第五百三十三話 物見遊山(偵察) 27
7452年9月24日
――お腹も減ってるし、ご飯食べておきたいけど……。
いい加減、日が沈む寸前になってしまえば、流石にもう馬を購入する事は難しい。
眼の前に牧場でもあればまた話は別かもしれないが、当然そんなものはない。
そして、馬具店すらどこにあるかもわからないので、今日はもう馬を購入するのは絶望に近い。
必要とあらば盗みや強奪も辞すつもりはないが、流石に街中は目立ち過ぎるし騒ぎなど起こしたくはない。
――仕方ない。馬は諦めるか。
ミヅチは先程目を付けた簡易食堂に入ることにした。
程よく客も入っており、隅っこにでも座ればそう目立つこともないだろう。
入って分かったが、この店の売りは鶏の胡椒焼きだ。
食べ物のメニューは他にスープと簡単な煮物があるだけで、飲み物もエールとワインだけというシンプルさだ。
――値段も高くもなく、安くもなく、か。さっさと食べちゃおう。
薄いエールで料理を胃に流し揉む。
味は期待していたよりは多少マシだったが、転生者であるミヅチにしてみればそもそも美味くはない。
――どこかで一晩休……そこまで悠長にする訳にも行かないよね。
つい数十分前まで馬を飛ばし、屋根の上を飛び跳ねただけでなく、デーバスの転生者を相手に近接戦闘で立ち回ったのだ。
疲労していない訳はないが、しっかりとした食事を摂った事もあるし、あと一晩歩く程度なら可能だ。
相場がそう変わらないのであれば乗用馬を購入することは出来るくらいの所持金はあるが、馬などそうしょっちゅう売れる程の取引量はない。
そこから足が付くかもしれない以上、出来るだけ手掛かりを残してはならない。
もしもロンベルト王国並みに乗り合い馬車が発達しているならば、陽動のために東や南に少し移動してみるのも手ではある。
しかし、そんな事をするくらいなら足が付こうと移動速度の早い馬を購入して少しでも距離を稼いでおく方が良いし、同じ理由で乗合馬車も北の方へ向かうものに乗った方がマシだろう。
だいたい、こんな夕方から出発する乗合馬車などそうは無いし、あったとしても客など碌にいない筈だ。
客が一人きり、しかも顔も見たことのない新顔の女なら護衛と示し合わせて追い剥ぎに転ずる乗合馬車など珍しくもない。
そういった事を考慮するなら、歩いた方がまだマシかも知れないのだ。
勿論、女の独り歩き自体が危険であるし、ましてやこれからすぐに夜になる時刻だ。
本来なら女一人でこんな簡易食堂に入る事自体が危機感に欠けた行動である。
大抵の揉め事なら力で解決出来るとは言え、騒ぎを起こす事や、それに巻き込ま……。
「よう姉ちゃん、一人かい?」
少し残っていた酸味のあるエールを飲み干している所に精人族らしき男が声を掛けてきた。
――チッ。面倒事は避けたいって言うのに……。
「そうだけど、何の用?」
あえてドスを効かせた声で答える。
「いやな、このあたりはそう物騒でもないが、時間が時間だ。良ければ俺達と一緒に飲まないかと思ってな」
男はミヅチの声音を気にした風もなく飄々と答えた。
可能性は低いが単に一人でいるミヅチを気遣ってくれたのかもしれない。
だが、そのような甘言に乗せられる程、ミヅチは甘くもなければ初心でもない。
「ありがと。でもこの後用があるので失礼するわ」
「へぇ、珍しいな。闇精人族とはね。綺麗な顔でそう連れないことを言う……うっ」
馴れ馴れしい言葉を吐いているうちに、男は顎下にナイフを突き付けられていたことに気付く。
一体、いつ抜いたのか、いつ突きつけられたのか。
「これでも自分の身は自分で守れるつもりなの。悪いわね」
料理や飲物と引き換えに勘定は済ませていたので、ミヅチは冷や汗を掻く男を背に店を出た。
しかし、予想通りと言うべきかミヅチを追って店から数人の男たちが飛び出して来る。
――あーもう。こんな時に面倒な。
「待てよ!」
その言葉と同時にミヅチは夕闇が迫るランドグリーズの街を駆け出した。
・・・・・・・・・
『あ、兄貴。大丈夫か?』
ヘクサーは震え声でアーニクに問いかけている。
『……ああ』
アーニクの返答も震えてはいるがヘクサーよりは少しマシなようだ。
『へ、へへ。豚の味噌漬け食いてぇな』
先程美味い物の話でもしようと言ったからか、ヘクサーが好物の話をし始めた。
味噌が完成してからこちら、デーバス王国の転生者コミュニティでは味噌を使った料理が充実の一途を辿っている。
その中でも味噌汁を除けば肉類や魚の味噌漬けはかなり人気が高い。
味醂は疎か日本酒もないので微妙と言えば微妙ではあるが、砂糖やワインを味噌に混ぜて味を調整した漬け床はクリスが仕上げており、中々に好評を博している。
また、まだまだ生産量は少ないものの、流石に転生者達が消費する量とは比較にならない程の量が生産されているため、ある程度の高級店を中心に卸されてもいて、メインの味付けは勿論、隠し味や下味などで利用され始めており、転生者達では思いも寄らない料理にまで使用され始めていた。
それ程に味噌という調味料は万能かつ深い味わいを齎す、ある意味で夢の調味料だった。
『あ、確かに。でも俺は豚じゃなくて魚がいいな。銀鱈とまでは行かないけど、あの、ちょっと前に食ったあれ、何てやつだっけ? あれが食いたい』
『ああ、メイロゥな。うん、あの魚は絶品だったな』
そのような会話をしながらもアーニクとヘクサーの頭の一部は冷静に回転している部分もある。
『……それはそうと、俺はジャックになっておかなきゃまずい。だけど……』
『分かってる。タイミングだろ? 【変身】の』
『ああ、そうだ。声を出しちまうのはどうしようもないが、問題は……』
【変身】に伴う身体の造り変えによる痛みだ。
レベルが上がり、当初とは比較にならない程の短時間で【変身】可能になったとは言え、文字通り七転八倒するほどの痛みまで和らいだ訳ではない。
あれを身動ぎ程度でやり過ごせる自信などアーニクにはなかった。
何度も兄が【変身】するところを見ているヘクサーも、ゴキバキと骨が鳴り、ブチブチと音を立てながら筋繊維が千切れては繋がる、身体の造り変えとも思える程に壮絶な【変身】を考えると、蟲を潰すのは必至だろうとしか思えなかった。
だが、このまま朝……警備に気が付かれるまで粘るのもかなり難しい、と言うか辛くて無理だ。
と、その時。
『……』
『……』
開いたままの窓から話し声が聞こえてきた。
巡回の警備だろう。
開いたままの窓に気が付かれるにしてもジャックに【変身】している必要がある。
『今しかない。やるぞ!』
そう言うとアーニクはジャックへと【変身】した。
「ぐああっ! うぎいっ! んおあがぁっっ!!」
苦しむ兄の声にヘクサーは目を瞑る。
「あっ! つぁおっ! ぬわああぁっっ!!」
ゴキゴキと骨が鳴り、ブツブツと肉や筋が千切れる音がする。
「おい、誰か、あれ!」
「窓が開いてる!」
狙い通り、警備は直ぐに異常に気が付いてくれた。
「ぎいっ! あぶぅっ! ちゃあっ!!」
バキンと言う音と、ベキベキという音が同時に鳴り、アーニクは身長も骨格も顔の造作も、髪の色や皮膚の色だけでなく瞳の色、体表に生えている毛の密度や位置、そしてあろうことか体重まで変わっていった。
「ふぐっ! ぬいいっ! だいいぃっっ!!」
二人のいる倉の階下からは、
「おいっ、誰だっ!」
という誰何の叫びと共に緊急を知らせる笛の音が鳴り響いた。
あと何分も待つことなく警備が雪崩込んでくるだろう。
ヘクサーはそっと目を開くと兄を見遣った。
薄暗い光の中、アーニクは叫び声を上げ続けている。
その苦痛を思うだけでヘクサーは己の耳や足の痛みなど兄に較べれば大した事は無いと考えられた。
何しろアーニクの痛みは【変身】による身体の造り変えだけではないのだから。
全身を毒虫に刺され、噛まれ続けているのは想像を絶する程の苦痛だろう。
――くそ、あのデュロウ! グリードの女! 必ず……!
一瞬にしてヘクサーの目に復讐の炎が灯るが、警備が倉の鍵を開け、二階への階段を踏み鳴らす頃にはその輝きも昏い諦めの光に取って代わられてしまった。
■コミカライズの連載が始まっています。
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「小説家になろう」版とは少し異なっていますので是非お読み頂けますと幸いです。
ついでに評価やご感想も頂けますと嬉しいです。
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