第二百五十八話 言いにくい話 4
7450年12月20日
ベッドに寝転がり目を瞑った。
「ご主人様、お水でもお持ちしましょうか?」
急に変化した俺の様子を慮ったのか、恐る恐るリンビーが尋ねてくる。
「……いや、いい。お前も自分の部屋に戻っとけ」
「ですが、お顔が真っ青です」
「いいんだ。ちょっと疲れただけだから、静かに寝かせてくれ」
「はい……」
リンビーが部屋を出ていった音がした。
意識の隅っこの方から“休むにしても鍵くらい掛けておけ”と訴えて来る俺がいるが、“どうせリンビーも扉の脇で警護についていたマールに合流して一緒に立っているだろうし、いいさ”と言う俺もいて、結局後者の意見に従うことにした。
「ふう~っ……」
大きな溜め息が漏れる。
ゆっくりと息を吸い、目を開けようとしたが何故か怖くなって出来なかった。
ああ、別に障碍を抱えていると決まった訳でもないのは充分に理解している。
でも、他の子と明確に違う点があると知ってしまうとな……。
仰向けに寝転がったまま両手で顔を覆う。
知らないうちに大量の汗まで掻いていたようで、手のひらがぐっしょりと濡れた。
目が回る感じがする。
俺の人生で精神的には最大のショックだ。
……。
…………。
初めてアルソンの顔を見てすぐに鑑定し、ステータスの状態欄に【良好】と記載されていた事に安心した。
五体満足で生まれてくれた事が嬉しくて嬉しくて、エムイー訓練を脱け出して会いに行きたくて仕方なかったのをよく覚えている。
自分で言うのも何だが無理もないだろう。
何しろ初めての子だし。
生まれて以降、顔を合わす事が出来る日には必ず朝晩と鑑定していたから息子のステータスの内容はもう完全に覚えている。
何度思い返してもアルソンのレベルはゼロ。
そして魔力もゼロ。
これはミヅチにも隠れて付けているアルソンの成長記録日誌にも可能な限り記載し続けているので確実だ。
何しろその成長記録は今も部屋の隅のサドルバッグに入れたままで、今朝も一人眺めて悦に入っていたのだから。
また大きな溜め息を吐いて、のろのろとベッドから起き上がるとサドルバッグを開け日誌を取り出した。
最後のページは7450年12月12日だ。
『朝からよく笑っていた。おっぱいを沢山飲み、機嫌がいい。家を出る前に抱くと少し重くなった気がした。成長を実感する。』
『王都に出立の際、家に寄れば良かった。年末に戻るまで息子の顔が見れないのが寂しい。』
と書かれ、専用の欄にはその日の朝に見たステータスが書かれている。
【 】
【男性/22/10/7450・普人族・リーグル伯爵家長男】
【状態:良好】
【年齢:0歳】
【レベル:0】
【HP:1(1) MP:0(0) 】
【筋力:0】
【俊敏:0】
【器用:0】
【耐久:0】
【経験:0(1)】
内容は日誌の最初のページに書かれている物と寸分の違いもない。
確か、最初はエムイー訓練兵舎の中で適当な板切れに書いたのを後で書き写したんだ。
だから、このステータスは生まれた直後の物で間違いない……。
「……ふう~っ」
ベッドに腰掛け、膝の上に日誌を置いたまま両手で髪を掻き上げる。
汗でぐっしょりと濡れている。
濡れた手をシャツで拭き、再び日誌に目を落とした。
ギュッと目を瞑り、まだ記憶に新しいマイコのステータスを思い浮かべる。
彼女のレベルは一で、魔力も一であった。
次のレベルまでの必要経験値はアルソンが一しかなかったのに対し、マイコの方は二五〇〇も要るけれど。
なぜ最初に気付かなかったのか。
いや、気付けなかったのか。
甥姪のゼットやベッキーもアルソンと同様に生まれてから一〇分と経たないうちに鑑定した記憶はあるが、内容についてはもうすっかり忘れてしまった。
生まれた時のレベルや魔力がどうだったかなんて全く覚えていない。
なんとなく覚えているのは双子で生まれたゼットとベッキーについて、性別や所属表記以外に違いがないか何度も見直して確認していたことくらいだ。
マルツを鑑定したのは生まれて数ヶ月が経ってからだが、その内容も既に記憶の彼方だ。
レベルがゼロだったかと言われればそんな気もするし、魔力があったかと問われればゼロではなかった気もする、という感じだ。
再び、アルソンの鑑定をした際にもおかしなところはない、と思って凄く安心したことを思い出す。
何せまず確認するのはステータスの状態欄だし、そこに【良好】とあったんだし……。
嫌な表現だが、この瞬間もアルソンが正常でマイコの方こそがおかしいのかもしれないとすら思う、いや、願う、ろくでなしの俺がいる。
アルソンが生まれて二月近く。
見ようと思えばその間に他の赤ん坊を見る機会もあった。
奴隷の子の命名とか。
しかし、その際にも俺はいちいち鑑定などしやしなかった。
以前は名前が付けられる瞬間を見ようと鑑定し続けていたが、いつしかそれにも飽きて面倒になったためだ。
ここ一年くらいは普通にステータスを見て命名されたのを確認しただけだ。
いや、仮に見たところで命名の儀式の時には生まれて一年くらい経っているから新生児とは異な……るのか?
一緒のような気もするな。
「ああぁ……」
情けない声を出してベッドに横になる。
日誌が床に落ちた音がしたが、俺の心はそれどころではない。
よく考えたら、レベルがゼロというのは……俺が知る限り経験値を持たない生物だ。
馬とか豚とか魚とかだ。
……やっぱりマイコが正常でアルソンは障碍を抱えているのか!?
顔が歪む。
奥歯がぎりりと音を立てる。
落ち着け。
だとしても辛いのはアルソンであって、俺ではない。
が、くそぅ。
替われるものなら替わってやりたい!
ああ、アルソン……!
くりくりとして宝石のような薄紫色の目は動くものを追い求め、音のなるガラガラを近づけると笑顔を向け、きゃっきゃと声を立てて喜んだりする。
正に目の中に入れても痛くないとはこの事か、と思ったものだ。
まぁ、すぐに泣いたりおっぱいを欲しがったり飽きて寝たりするからよくわからないが、俺の目から見て(ミヅチや経産婦であるバルトロメの目から見ても)ごく普通の、一般的な赤ん坊にしか見えない。
これは本当に素直な感想だが、ゼットやベッキーもあんな感じだった。
くそ、どうしてもゼットやベッキーが生まれた直後のステータスが思い出せない。
ひょっとしたら生まれてから二ヶ月くらいはアルソンみたいにレベルも魔力もゼロで、三~四ヶ月が経過してからレベルが一つ上がり、それに伴ってMPが増える可能性もある……。
これならマイコもマルツも、そしてアルソンも何の異常もない事になり、全員ハッピーだ……だとしたら、そんな変な仕様?幾らなんでも忘れたりはしないだろ……くっそぅ……。
はっ!?
ひょっとしてリルスの魔術の副作用でその部分について忘れてた!?
あり得る!
希望に燃えて目を見開いた。
上半身を起こし、ついでに床に落ちていた日誌を拾い上げる。
うふふふふ。
そうだ。
きっとそうに違いない!
……バカか、俺は。
それなら俺とミヅチという、転生者の両親から生まれた子だから少し変わった子として生を受けた、とでも言う方がまだ納得するわ、糞が。
ん?
そういう、ことも、あり得る、のか?
以前、上級貴族としての教育を受けた過程で、遺伝に関する件について説明があったな……。
確か、魔法の特殊技能と魔力量について、親や祖先からの遺伝に関する考察だった。
一応ノートは取ったが結論としては「親が魔法技能を数多く持っているほど子も多くの魔法技能を得やすい」ということと「親の魔力が高いほど子の魔力も高くなりやすい」という分かりやすい内容だったと記憶している。
同時に、どうやってそれを結論付けたのかについては王宮にある貴族名簿(氏名や生年月日、魔法技能など一般的なステータス内容が記録されている)を幾世代も遡っての研究だと説明されたので、俺の中では「根拠が薄弱すぎるが全く信用出来ないとまでは言えない」という知識棚に放り込んでいた。
何しろ法則性について言及されていた訳ではないし、単なる統計資料の域を出ていないものだと思ったからね。
転生者の特質(固有技能やレベルアップ時の能力値の伸びなど)は遺伝するのだろうか?
絶対にしないとまでは言い切れないが、まずしないだろうな。
過去に転生者が居たことは確実だと思われるが、その全員が子をなさなかった訳ではない。
中にはロンベルト一世のように、現在まで子孫が居る者もある。
もしも転生者の特質――分かりやすい【固有技能】だけで考えてみても――が遺伝するのであれば……ロンベルト一世から五〇〇年も経って二〇世代を経ている以上、一人くらいは王家やその係累に生まれた子が固有技能を持って生まれてきてもいいはずだからだ。
ましてや、子孫たちは結構な割合で貴族になっているから、重婚などで一般の人よりも多く子を設けているだろう。
固有技能が、言うなれば超劣性遺伝であっても隔世での発現があってもいいと思う。
ま、隠してたのかも知れないからなんとも言えないけど。
ああ、現実逃避してもなぁ……。
腰を掛けていたベッドから立ち上がり、開きっ放しだった窓に寄ると通りに目を落とした。
丁度一台の馬車が道を通っている。
【 】
【女性/4/11/7441・馬】
【状態:疲労】
【年齢:9歳】
【レベル:0】
【HP:152(169) MP:0(0) 】
【筋力:22(25)】
【俊敏:18(20)】
【器用:6(7)】
【耐久:20(22)】
どこにでもよくいる感じの荷馬だ。
変わったところはない。
アルソンとの違いはこういった多くの魔物や動物と同じく経験値欄が無いところだ。
いや、モンスターとかレベル表記があるのに経験値欄が無いものも多い、と言うか、殆どのモンスターとか動物は経験値欄が無い。
ある奴、いたっけ?
よく覚えてない。
これはどういうことだろう?
レベルがゼロ、という部分は我が子が家畜と一緒になったみたいでなんだか嫌な感じだ。
再びベッドに寝転がると、別の事を考える。
魔力についてだ。
ゼロってのは……それこそ牛馬や魚のような、モンスターとは呼ばれない動植物くらいでしか見たことはない……と思う。
MPの成長が望めないのだろうか?
大昔、魔力は自制心みたいなもの、という解釈をしたことがあるのを思い出す。
アルソンはある程度の年齢になるまで魔力を持たない、イコール自制心がない、ということだろうか?
頭の中を精神障害とか自閉症とか多動症とかいう言葉が飛び回るが、一つ一つ現時点ではそういった症状について確認しようがない、と反論していく。
何せそういった先天的な障碍については鑑定でも見た事はないので、自分でも甚だ否定根拠に乏しいことは解っているのだが、これはどうしようもない。
次に、そういった転生前の日本で知られていたような障碍とは限らないと考える。
ネガティブな事についてどうしても考えてしまい、止められない。
普通の人なら六歳くらいで魔力は少し増える。
アルソンは六歳になったら魔力が増えてくれるのか?
わからない。
ああ、思考が袋小路に入り込んでしまった感じがする……。
……んん?
レベルがゼロのアルソンの能力値はHP以外は全てゼロ。
レベルが一のマイコの能力値はHPとMPが一なだけであとは全部ゼロ。
アルソンのレベルが上がる際、普通の人と同じなら何かしらの能力値が二つ上昇する筈で……?
ああぁぁぁ、やっぱりおかしいのはアルソンの方か。
うん、分かってた。
最初から分かってたさ、チクショウ……。
だがしかし、次のレベルまでの経験値欄があるということは、レベルアップ自体はするのだろう……するよね? してくれるよね?
そしてレベルが上がるのに必要な経験値は僅か一。
適当なモンスターにちょっと傷を付けさせて、その後そのモンスターを俺がぶっ殺しても得られる程度の経験値だ。
それこそ俺が生まれて初めて殺したモンスターであるラージリーチでも十分にお釣りが来るという僅かな数字である。
やらせてみるのも悪くはない、かな?
これで魔力が上昇してくれたら儲けものだし、そうでなくとも別の能力値が上昇してくれるだろう。
器用以外が上昇してくれれば、それに釣られてHPも上がってくれるからそれだけでも万歳三唱ものだし。
……だが、やらせたとしても、まぁ無理だろうな。
アルソンはまだ生まれて二ヶ月で意思を持たない。
経験値を得る行為は明確な敵意や害意、そして稽古に励むなどの上昇意識があって初めて成り立つ。
開墾や畑仕事なども多かれ少なかれ目的意識があるものだ。
昔、まだ自らを殺戮者と称していなかった頃、結構実験したからこそ分かるんだけど、例えば夢遊病患者が無意識にゴブリンを殺したとしても経験値は得られない。
山の上で腰掛けようとして失敗し、悪意や害意なく石を転げ落とし、それが何かモンスターを殺したとしても経験値を得ることは出来ないのだ。
二歳くらいになって、虫を叩き殺すようにラージリーチを殺させる、というのがせいぜいだろうか。
試す事くらいはしてもいいが、何にしてもミヅチに説明しないと始まらない。
何と言えばいいのだろう?
あいつもショックを受けるだろうなぁ……。
言いにくい話だ。
全くもって言いにくい話だ……。
でも、ミヅチならアルソンの経験値について俺よりも良いアイデアが浮かぶかも知れない。
ああ、今すぐにでも帰りたい。
が、そうも行かぬのが浮世の渡世というものか……。
結局この日はこのまま何もせずに過ごしてしまった。
王都での貴重な時間を無駄にしてしまったという向きもあるかも知れないが、俺はそうは思わない。
だって、息子の事を考えるのは無駄じゃないからね。
・・・・・・・・・
7450年12月21日
翌日。
俺は日課のランニングを済ますと、碌に休憩もせずに店に詰めた。
昨日の午後の分がしわ寄せになってしまっていたからだ。
レイノルズやバストラルたちに心配はされたが、半日休んだらすっかり回復したから心配無用と言って誤魔化した。
が、どうにもこうにも魔術への集中が乱れてしまうのは誤魔化しようがない。
今まで数秒程度で発動していた金属ガラス化の魔術だが、今日は精神集中を開始してから魔術が発動するまで酷い時は一分近くも掛かっている。
「ふぅーっ、ちょっと休憩する」
「それが良うございますよ、アル様。宜しければ二階でお休み下さい」
レイノルズの言葉に甘え、二階に向かおうとしたが途中で階段を降りた。
「いや、ちょっと茶でも飲みに外の空気を吸ってくる。すまんな」
と言って、一人店を出て歩き出した。
マールとリンビーが後を付いてくるが……今朝、暇をやると言ったのにな。
数街区を歩き、ロンベルティアの裏通りに面した飯屋に入る。
隣のテーブルにマールとリンビーを座らせ、俺は一人でぼーっと通行人を眺め始めた。
……。
…………。
あんまり旨くないな、この豆茶。
ああそう言えば……まだレイノルズやバストラルたちにアルソンが生まれたことを言っていなかったな……。
だが、障碍を抱えているかも知れない子だ。
そんな事はないと思いたいが、他の子と異なる部分がある以上、ちゃんと成長してくれるかという問題もある。
特にバークッドの従士でもあるレイノルズはアルソンの誕生は手放しで喜んでくれるだろう。
……ぬか喜び、というのも変だが、数年後に落胆させ……いや、まだ決まった訳ではない。
領主として、多数の領民に対して責任を持たねばならない大貴族としては考えねばならない事もあるのだ。
……こうなると、庶子のミマイルを第二夫人として娶るという部分については有効性を認める必要もあるだろう。
結婚し、子供を生んでもらう事になる以上、彼女についてももう少し考えねばならない。
でも、本気で何の興味も無い女について、愛情とかそういった感情が生まれるのだろうか?
向こうも俺の事など愛してはいないだろうし。
「……ちっ」
思わず舌打ちをしてしまう。
一緒に暮らせば……少なくとも情は移ると思いたい。
すぐに、という訳には行かないだろうが。
なんだか、本当に産む機械について考えているようで嫌だ。
俺は機械のメンテナンスをする保守員じゃねぇ。
それよりもまたミヅチと子作りを頑張る方がずっとずっと建設的だし、いい。
いやいや、アルソンが精神的な障碍を抱えていると決まった訳でもないのに、最低だな。
って、次子を望むのは普通の事だろうがよ!
ったく、仕事もせずにぼーっとしてるからこんな妙な考えばかり……くっそぅ。
都合よく新生児を連れた女も現れそうにないし(赤ん坊すら見かけない)、戻って仕事しよ……。
経験値を得るには第一部の設定資料に記載している通りの事柄が基本ですが、その他にも幾つかあります。
以前、本文中にも記載していますが、農作業などの肉体労働や、稽古などの戦闘訓練によっても得ることが出来ますし、実際の戦闘に於いても、戦闘している敵の攻撃(魔術攻撃も含む)を防ぐ、受け流す、避けるなどでも得られます(訓練の一環と見做されますが、得られる経験値はただの稽古や訓練よりも多いです)。
また、上記の戦闘行為で得た経験は、そういった行為を行った直後より24時間以内に対象となった相手が何らかの要因で死ぬか滅ぶ事で少しブースト(というのも変な表現ですが)されます。
今回の文中にリルスのレポートの魔術の話が出ましたので、ちょっと裏の話を。
アルが最初にオースでの重要なことを忘れた表現を入れたのは第1部の第50話(アルが12歳の頃)です。
そこではその話題を聞いた直後に思い出したためにしれっと話を合わせていますが、実はアルがレポートの対象となっていたのは6歳の頃からなのです。
そこからレポートを切ってもらった16歳迄の約10年間、アルはレポートの対象となり続けていますが、その間は転生直後のミヅチのように膨大な記憶(アルはエピソード記憶と分析していますが)を封印された訳ではありません。




