第二百三十話 赤兵隊 3
7450年9月3日
カニンガムを伴って騎士団本部へと行った。
彼女は以前俺が期待した通りに僅か半年で出納、民生、領土など行政府のほぼ全ての部署で行われている仕事について完全なマニュアルを作り上げてくれた。
そして、希望通り今度は騎士団へ異動するのである。
ラルファやグィネ達から半年遅れでの入団になるので騎士団内では一番下っ端ということになってしまうが、これだけ優秀な彼女であればすぐに追い抜けるだろう……戦技という壁はあるが。
「……ということで、今日から彼女を従士として採用するが、元々は私と同様に軍隊経験者でカンブ……騎士だったから能力は確かだぞ」
「エセル・カニンガムと申します。よろしくおねがいします」
副騎士団長のバリュートには予め彼女の話は伝えていた。
それに、彼女自身も時間を見つけては騎士団まで出向いて模擬戦や稽古をしていたのでこれが初顔合わせではない。
バリュートからも彼女の戦技についてはある程度把握していると聞いている。
彼の評価ではまだまだ正騎士には及ばないというレベルだそうだが、一介の従士として見れば充分に使い物になるという。
バリュートは「では、座学室まで案内する」と彼女を従えてすぐに執務室から立ち去った。
彼女が今日まで住んでいた宿は騎士団への入団とともに引き払い、正騎士として叙任されるか、二年が経過するまでは騎士団の敷地内にある従士棟で暮らすことになるのだ。
まぁ先輩としてラルファとグィネがいるからある意味俺も安心して押し込める。
中途での入団とはいえ変に虐められるようなことはないだろう。
……さて、決裁を……うむ。俺がしなきゃならん決裁書類も随分と減ったな。
・・・・・・・・・
ジュンケル伯国の首都、ヘスケス郊外。
そこには首都の人口に比してかなり大規模な軍が駐屯していた。
あちこちに旗印を掲げた天幕が建ち並んでいる。
その一角に、赤地に稲妻を掴んだ黒抜きのガントレットが染め抜かれた旗を掲げる天幕群――赤兵隊の駐屯地があった。
そこに近づいてくる者達が二人。
双方共、普人族の若い男女である。
「なぁ、ちゃんと考えてくれよ?」
「……」
「次のオーガ団の団長は俺なんだぜ? お前には赤兵隊みたいな小さな傭兵団なんか似合わないって」
「……」
「俺と一緒になりゃ戦場には出なくていいし、親父さんにだって楽させてやれるんだ」
「……ネフィルさん」
「ん? なんだ?」
「……そろそろ貴団にお戻りになられたらいかがです? ここは既に赤兵隊の駐屯地内です」
「俺とお前の仲なんだし、いいじゃ……」
「どんな仲ですか!? 誤解されるような表現は止してくださいと何度も申し上げています! それに、私にその気はありませんので、悪しからず!」
「お、おい、タニア! そんな邪険にすんなって!」
「隊の事務がありますので、お引取りを」
「チッ、そんなに冷たい言い方しなくてもいいじゃねぇかよ」
「温かい言い方をする間柄ではありませんから」
「んだよ、それ? まぁいい。今夜、ザバスの店で待ってるぜ!」
「私は行きませんが、どうぞご勝手に」
肩を竦め、ズボンのポケットに両手を突っ込んで男はすごすごと引き返し始めた。
女は暫くの間その様子を険のある冷たい目で見送った後、振り返った。
その時には意識して改めたのか、柔らかい表情が浮かんでいる。
現在、赤兵隊の隊員のうち、戦闘要員はほぼ全てが少し離れた場所にある演習場に訓練のために出払っており、ここに残っているのは子供や年寄り、妊婦など戦闘要員ではない者達ばかりだ。
丸く並ぶ天幕の中心部の広場には簡素な井戸があり、子供達は幼児から年嵩までその周囲で遊んでいる。
時刻はとっくに昼を回っているので洗濯や煮炊きをしている者もいない。
戦闘要員以外の大人達は天幕の中で繕い物やカゴ編みなど簡単な手仕事をしているのだろう。
「あ、おねーちゃんだ!」
「戻ってきた!」
「タニア姉ちゃん! 遊ぼ!」
「遊んで遊んで!」
タニアの姿に気が付いた子供達が駆け寄ってくる。
タニアは数歩歩み寄って一番背の低い子供を抱き上げると頬ずりをした。
「ごめんね。遊んであげたいけど、お姉ちゃん、まだお仕事があるのよ」
そう言って抱き上げた子供を下ろすと周囲に子供達を纏わり付かせたまま歩き出す。
そのまま他の天幕より一回り大きな天幕へと足を向けた。
「皆、ごめんね。お仕事が終わったら遊ぼうね」
「ちぇ~」
「いつ終わるの?」
「ん~、もう少しかかるかな? 皆、いい子で待っててね」
タニアは天幕の入り口の前で振り返ると胸元で小さく手を振り、中に入った。
――まったく、何が小さな傭兵団よ、ネフィルのヤツ、本当に失礼しちゃうわ。ウチはあんたたちみたいな烏合の衆とは違うってのに!
腰に佩いていた長剣を外し、事務用のテーブルに立て掛けるとタニアは椅子を引いて腰を下ろした。
――さて、補給品の申請書を書き上げないと……布はともかく、砥石の支給が遅れているのはいい加減にして欲しいな。
小さな溜め息を吐くとタニアは筆記用具を用意し始めた。
数時間後。
バスコと彼に付き従っていた数人の偵察隊はヘスケス市街に立ち寄ることなく駐屯地に入っていった。
子供達から歓迎を受け、そこで部下達と別れると、バスコは自らの天幕へと足を向けた。
「お帰りなさい。お疲れ様。どうだった?」
バスコが入り口を覆う布を跳ね上げて天幕に足を踏み入れると奥から声が掛かる。
彼の副官のタニアだ。
外から聞こえてきた喧騒でバスコ達の戻りを知ったのだろう。
「ん……」
タニアの問いには答えず、バスコはテーブルの上に置いてあった水差しから木製のカップに水を注ぐと一息に飲み干した。
書類を書く手を休め、タニアは汗と埃に塗れたバスコに視線を送ったままだ。
その顔にはあからさまに不機嫌そうな表情が浮かんでいた。
それを見て取り、タニアは眉根を寄せる。
「ふう……。どうもこうもねぇ。やっぱロンベルトってなぁ大国と言われてるだけはある……」
タニアの正面の椅子を引いてどかりと腰を下ろし、浮かべた顔つきそのままの声音でバスコは言う。
続けて「親父っさんは?」と尋ねた。
「練兵中の筈。今日は夕方まで戻らないと思うわ」
肩を竦めながらタニアは答える。
「そうか。んじゃ、親父っさんが帰ったら報告するとする。それまで俺は休むから、夕方までに各組の組長を集めといてくれ」
そう言って立ち上がると天幕の奥に続く私室へ消えてしまった。
苦笑の表情でバスコを見送ったタニアは「……もう、少しくらいは私を労ってよ」と呟くと筆記用具を片付けて席を立った。
そして、ポニーテールに纏めていた薄い緑色の綺麗な髪を解くと、テーブルに立て掛けてあった長剣を佩く。
ちらりとバスコが姿を消したカーテンを見やり、天幕を後にした。
外に出たタニアは陽の光を受けて眩しそうに目を細めながら、バスコに同行していた偵察隊がたむろしているところまで歩き、帰還してきた彼らの労を労う言葉を掛けた。
そして、彼らに纏わりついている隊の子供達にジースと組長達が訓練を終えて戻ったらバスコの天幕に顔を出すようにと言った。
・・・・・・・・・
ロンベルト王国西ダート地方。
ウィード。
ゼノムはにこにこ顔で燻製機の扉を開けると、中から薄茶色に染まったイウェイナを取り出した。
彼が大の燻製好きだと知った家令が、ゼノムの許可を得た上で下働きの奴隷や料理人に命じて小さいがかなり本格的な燻製室を屋敷の敷地の隅に建ててくれたのだ。
「むほほ」
そのお陰で、当初は嫌っていたイウェイナという魚も燻製にすることで非常に彼好みの味になることを知ったのである。
そして、ここ半年くらいでゼノムは自ら燻製を作るようになっていたのであった。
ウィードの街を囲むように立つウィード山で狩られた獣や家畜、ウィード湖で獲られた魚介類をはじめ、遠くハッシュ村(馬車鉄道が開通したため海の幸が新鮮なまま手に入るようになっている)から取り寄せた海の幸などありとあらゆる物を燻し、食べ比べた結果、今のゼノムのお気に入りは目の前のウィード湖で穫れるイウェイナという魚である。
「……い~い匂いだ。流石は我が領のイウェイナ」
まだ暑い時期であるため冷燻は難しいが温燻や熱燻は問題なく作れる。
製造時間も短いので作ったその日から食べることが可能なため、短気なところもあるゼノムにはぴったりといえる。
夕暮れ時、庭に出したテーブルと椅子でお気に入りの高級焼酎で舌を湿らせ、自ら燻した燻製を味わいつつウィード湖に沈む夕日を眺める。
この贅沢なひとときは最近のゼノムにとってかなり大切な時間となっている。
「ん~、味見くらい……いや待て待て」
ゴクリと唾を飲み込みながら、燻製機にぶら下げられたイウェイナを皿に移し続ける。
体長三〇㎝を超す成熟したイウェイナ。
燻すことで凝縮された旨味は大好きな蛸にも劣らない。
むしろ、品の良い芳醇な脂がある分、旨味ばかりが強い蛸にすら勝るとゼノムは思っている。
尤も、最上級の蛸を手に入れるとその考えはあっという間に覆されてしまう程度だが。
「お屋形様。バルコム様と奥方がお見えです」
家令が声をかけた。
バルコムはウィード山の坑道の一つを利権に持ち、ゼノムに仕えている従士の一人で矮人族である。
「おう、通せ」
料理人の指導を受けたことである程度上手に燻製が作れるようになると、ゼノムはウィードに住む平民の従士達に声を掛け、自ら作った燻製を振る舞うようになった。
勿論、ゼノムとてその地を治める貴族である自分と食事を共にするのは窮屈であると嫌がる者がいるであろうことは理解している。
だが、領主に気に入られたいとか、少しでもお近づきになりたいと思ってそれを好む者が多い事もまた真実であるし、うまい酒と料理を共にしてお互いの考えや気持ちを近づける事は街という人口の多い土地を治める貴族にとって大切な仕事でもある。
そこに多少の好みくらい反映させても良いではないか。
ゼノムはそう考えていた。
「お屋形様、いい匂いですね」
「ええ、食欲をそそられますわ」
ゼノムの招待を受けたバルコムとその奥方はかなり上等な服でめかしこんできた。
「おう。今日のはいい出来だぞ。おい、酒と料理を持て」
ゼノムに言われた家令はすぐに執事の一人に酒と料理を運ぶように命じた。
ゼノムも人を招待している以上、燻製だけで済ます訳には行かないことくらいは理解している。
そして、ささやかだがゼノムにとって楽しい食事会が始まった。
深い味わいのある焼酎に舌を痺れさせ、旨い料理に舌鼓を打つ。
日の方もそろそろ大分落ち、ウィード湖の表面も朱に染まる。
「そういえばお屋形様」
「ん?」
「燻製材は椈をお使いですか?」
「ああ」
「なるほど。ですが、聞くところによると色々な木を使うことで同じ素材でも味わいが変わるそうですよ」
「なに?」
今までゼノムは燻製材について、あまり気にしたことはなかった。
バルドゥックでも王都でも燻製材は椈の木を使うのが常識であったし、それはウィードでも変わらなかったのだ。
「この前来た商人から聞いたんですが、なんでも、楢を使えば色づきも良く、あまり癖がないので魚に合うらしいです」
「ほう。それは良い事を聞いたな。楢か。ウィードで取れるか?」
「ええ、私の坑道の傍には結構生えています」
「ほほう」
「枝打ちした後の小さな枝でしたら沢山落ちていますので、今度お持ちします」
「おう、頼む」
「それから、東ダートの沼地あたりで取れる燃える泥もいいみたいですね」
「燃える泥?」
「ええ。東ダートには沼地が多いんですが、あの辺りの沼地の泥は乾かすと燃えるらしいんですよ。それで燻製を作るといい香りになるそうです」
バルコムが言っている燃える泥とは泥炭に近いものである。
緯度を考えれば地球の北海道やスコットランドで採れる泥炭と東南アジアなどで採れる熱帯泥炭の中間のようなものであろう。
蒸留が必要な焼酎はあっても未だウィスキーのないオースでは燃料としても性能が低いためかあまり知られていない。
「ほう、東ダートというとエーラース伯爵領か」
「そうですね」
「ふむ。その燃える泥という奴、興味があるな。買えるのか?」
「どうでしょうか? でも話を聞いた商人はラムヨークに家があると聞いたことがありますから……今はべグリッツあたりでしょうし、戻る頃に聞いてみます」
ラムヨークは東ダート地方の領都の名で、かつてそこにあった小さな王国の名でもある。
「うん、頼む」
返事をしながらゼノムは「こいつは色々な木を集めて試さずにはいられんわい」と考えていた。
・・・・・・・・・
夕刻。
赤兵隊の天幕。
「黒い金属鎧を着た隊長格は要注意だ。俺が見たのは数人だけだが、全員とてつもない手練だった」
バスコは集まってきた者達を前に今回の偵察で得た情報を話していた。
「手練ってどんくらい?」
槍隊二番組の組長を任されている若い虎人族、ウェルクスが言う。
「……正直な話、ジースと互角かそれ以上と見ておいた方がいい」
ウェルクスを見てバスコは答えた。
「ジース副長並みかよ!?」
「信じらんねぇ」
「そんなのが何人もか……」
口々に呟く組長達。
「バスコ。お前が戦ったとしたらどうなんだ?」
赤兵隊の副長であるジースが尋ねた。
「ん~、難しいところだな。森の中みたいな場所で一対一なら負ける気はしねぇけど」
現在、誰が何と言おうと赤兵隊の中での白兵戦の第一人者は隊長のバスコである。
ここ数年に亘り、何度か行われた他の傭兵団との決闘騒ぎでも負け知らずであり、その剣技は時としてとんでもない冴えを見せていた。
数年前に行われた一揆の鎮圧時には、飛来した流れ矢を切って落とした事すらもあったのだ。
「森の中と限定するってことは……」
「ああ。平原みたいにある程度開けた場所なんかでは一対一でも勝てないだろうな。一人しか確認できていないが、鳥を狩るのにミサイルの魔術を使いやがった」
バスコがそう言ったことで組長達は全員が息を呑む。
「た、たかが鳥を落とすのにミサイルだって?」
誰かが言うが無理もない。
ミサイル付きの攻撃魔術は半ば伝説に近いもので、宮廷魔術師クラスとでも表現すべき超一流の魔術師がやっと使えるかどうかというものだ。
まして今バスコが言ったことが本当なら、その集中時間は長くてもせいぜい数秒と言った所であろう。
「ああ。この目で火の矢が……こんなふうにぐいっと曲がって鳥を追いかけて命中する所をはっきりと見たし、その時はタークスも一緒に見てる」
ミサイル付きのフレイム・アローは小回りが利き、数十メートル程度の距離しか離れていなければ鎧の継ぎ目など急所に当てる事すら容易いと言われている。
また、赤兵隊で一番遠目の利くタークスも一緒に見たというのならバスコの見間違いという線も薄いだろう。
そして……バスコは赤兵隊が抱える最強の魔術師でもある。
豊富な魔力を元にガムシャラな稽古を重ねた現在のバスコはアロー級は疎か、アーバレスト級の攻撃魔術であればそれこそ数秒も掛からない、僅かな集中時間で放つことが出来るのだ。
そのバスコをしてもミサイル付きの攻撃魔術は使うことは出来ない。
黒い金属鎧を着た連中にはそのバスコをすら凌ぐ魔術師がいるというのである。
組長達がうすら寒そうな顔をして黙ってしまったのも当然と言える。
「まぁ、流石にミサイルの魔術なんてのが使えるような奴がゴロゴロしているとは思えんが、山の中で重たい鎧を着て動ける時点で化け物揃いなのは確かだろ? 黒鎧は背格好からして最低でも四人は確認済みだ」
肩を竦めながら言うバスコ。
「ロンベルトのパトロールは全部その黒鎧が率いてるのか?」
押し黙る組長達からバスコに視線を戻したジースが尋ねた。
「全部じゃないな。黒鎧がいなかった部隊もあった。それは普通な感じだったな。とにかく、疑う気持ちは解る。だからこれから暫くはお前らも偵察に行ってよぅく観察しておくんだ。奴らの戦い方やどんな道を好むのか、指揮の傾向、何一つ見落とさないよう、全員見に行っておくべきだろう」
バスコは一人ひとりの顔に視線を送りながら言う。
「ああ、ここにいる全員が交代で偵察にいけ。勿論、タニア。お前も行くんだ。全員で観察して相手の強さを理解しておかなければならない……そしてあわよくばだが、万が一にも弱点でも見つけられたら最高だな」
そう言うとバスコは解散を宣言した。
ぞろぞろとバスコの天幕から出て行った組長達は偵察の順番を相談しつつ自分の天幕へと足を向けた。
「私、もうちょっと詳しく聞いてくるね」
そんな中、タニアは父親であるジースに言った。
「ん? ああ……」
ジースは低い声で答え、再びバスコの天幕に入る娘を見やった。
「もう結婚すりゃいいのに」
「バスコが何も言わないからなぁ」
「あいつら、どうなってんすか?」
それに気が付いた数人の組長達は肩を竦めながらジースに言う。
「知らんよ。俺は何も聞いてないし」
ジースも肩を竦めると自分の天幕へと足を向けた。




