第二百二十八話 人参をぶら下げる
7450年8月19日
「何故ここに……?」
声を掛けたのが俺だと知って、闇精人族たちは驚いたようだ。
ま、本来なら西ダートに居るはずの俺がこんな所に居るんだ。
驚くのも無理はないだろう。
「王都まで行く途中なんですよ。ところで、何かお困りですか?」
馬車が故障して往生しているのなら、次の村まで積めるだけの荷物を運んでやってもいい。
隊商を率いている獲得階級の人は、去年べグリッツで会ったこともある人だし、力になれるのであれば手伝ってやりたい。
「いえ、あれを見てください。つい先程、ここを通りかかった際に崖の上から落ちてきたんです」
隊商長が指す一〇m程先の地面を見てみると、大人の頭ほどもある石が二つに割れた欠片が転がっている。
破断面の様子からして、ついさっき落ちてきて割れたのだろう。
「ああ、危なかったですね。怪我人でも?」
死んでなきゃ助けてやれる……って、ダークエルフ達、特に戦士階級は全員が一流の魔術の使い手だから、怪我人が出ていたとしてもとっくに治療を終えているだろう。
「いえ、幸い誰も怪我はなかったのですが、このまま放っておくのも危ないのでこれ以上崩れそうにないか人をやって見に行かせてるんです」
おお、それは偉いね。
俺だったら「うひゃあ、危なかったな。でも怪我人も出なかったし、さっさと通り過ぎよう」とか思って、崖の調査なんかさせていなかっただろう。
尤も、ここが俺の領土なら似たような事はさせていたとは思うけれど。
見上げると、崖の上にダークエルフが登って、これ以上崩れそうにないか観察しているところが見えた。
もしも崩れそうな石なんかを発見したら、今のうちに崩しておこうというのだと思われる。
理解してみれば感心な行為だ。
しかしながら、なかなかどうしてオースにもモラルの高い人たちはいるものだなぁ。
多くの人は「危険だな、放っておいたら危ないな」と思っても何もしないで通り過ぎるだけだろう。
「流石は戦士階級の方ですね……」
あんな所までひょいひょいと登れるのは余程身軽なんだろう。
「お手伝い出来そうな事もなさそうですし、申し訳ありませんがお先に失礼させて頂きます」
「いえいえ、わざわざ足を止めて頂いたばかりか、お優しいお言葉まで掛けて下さり感謝いたします。ロンベルティアまでのご無事をお祈りいたします」
お互いに挨拶を交わし、ダークエルフたちと別れてちょっと進んだ時。
「……ところで、さっきの落石だが、なんかおかしくなかったか?」
後ろを振り返って言ってみた。
一〇〇m程後ろ、カーブで見えなくなる寸前の場所にダークエルフたちが見えている。
「え? そうですか?」
カムリ准爵が聞き返した。
ふむ。気付いてない、か。
「そういえば、崖の上から落ちてきたという割には石は道の端、崖の傍の方にありましたよね。もっと真ん中の方に転がってても良さそうなものなのに……」
バルソン准爵は同意してくれる。
うん。なんか不自然な位置だったんだよねぇ。
「え? ですが、崖が安全かどうか確かめさせるくらいですから、馬車の通行の邪魔になるような石なんかまず最初に片付けるでしょ? 運べない程大きくもないんだし」
カムリ准爵が反論する。
言われてみればその通りだ。
時間を割いてまでああいうことをする人たちだ。
崖の上から転がり落ちてきた石をそのまま転がして放っておくことはしないだろう。
人手もあるんだし、片付けさせるか。
割れて欠片は小さくなっていたとはいえ、元々の大きさは人の頭くらいもあったようだし、馬車の通行を考えると確かに邪魔だし。
……ふむ。俺だったら通り過ぎてしまっただろうなどと考えるだけあって、彼らに対してコンプレックスでも抱いてしまったか。
それを隠すように、素直に考えずにイチャモンを付けちまった、ってところかな?
ああ、みっともないな、俺って奴ぁ。
「そうか。きっとそうだな。些か捻くれた見方をしてしまったようで恥ずかしいな」
照れ笑いを浮かべて弁解する。
バルソン准爵も少し恥ずかしそうだ。
「いえいえ、団長もバルソン卿もよく観察してらっしゃっただけですよ。私なぞ、言われるまで何も思いませんでしから……」
カムリ准爵は笑いながら言った。
「ふっ。そろそろ速度を上げるぞ」
ウラヌスに鞭を当てた。
・・・・・・・・・
7450年8月20日
王都の商会本部のバックヤードに籠もって、ガラス板を作っていた。
時刻はもうとっくに昼を回っている。
いい加減に切り上げて飯にでも行くか。
ちなみに、国王へのアポは取っていたのだが、元々明後日か明々後日のどちらかという約束で、指定されたのが明々後日の一五時だったというだけだ。
昨晩、ここに到着してそれを聞いて朝イチで会見のレジュメを提出してしまったから、ここ数日は特にやることもないし、時間に余裕があるうちにガラス板でも作っておこうと今朝鍛冶屋で鉄鉱石を買ってきたのだ。
どうせならとでかいのを買ってしまったのがいけなかったな。
まぁ、そのお陰で三〇㎝四方のガラス板は二〇〇枚も作れたし、その販売価格は一枚あたり五〇〇万Zだから、たったの半日作業で一〇億Zはでかいよな。
あ、買った鉄鉱石の価格は四〇〇万をちょっと超えるくらいな。
俺が一回鼻血を垂らしながら鉄鉱石を泥にして、その後、半日で二〇〇枚の鉄板を取り出し、それをガラス板にする。
魔術の連続使用で精神的にしんどいはしんどいが、たったこれだけで粗利率九九%を超える一〇億Zの売上になるのだから笑いが止まらない。
ちなみに、このガラス板だが、元々引き渡しは今年の年末になると言っていたので納期に迫られていた訳ではない。
しかし、現時点での予約量が一〇〇〇枚を超えていると聞かされたので、今のうちから少しでも作り置きをしておかなきゃ、年末に俺が死ぬと思ったからだ。
何しろ、規格品のこのサイズの予約はともかく、特注品とでもいう規格外のサイズで一六四枚、タンブラーが八七組、ワイングラスが一〇九組、シャンパングラスが七六組も予約されていると言う(グラスの組は二脚一組でしか受けていない)のだから、折角王都に居る時間を無駄に過ごす暇などないのだ。
べグリッツに帰ってからも各グラスの型や規格外サイズの鉄板を作っておく必要がある。
なお、カモフラージュ用として普段から仕入れさせていた迷宮産の凸レンズは三〇枚程貯まっていた。
でかいやつでも直径一〇㎝、最厚部で二㎝程なのでガラス量としてはカモフラージュにすらならないが、世の中ポーズというのは大切なのだ。
加えて、多種多様なレンズは、俺がレンズを作る際の参考にもなる。
X倍の倍率ならこのくらい、ってのがわかるからね。
バックヤードから出ると経理の講義中だったのか、バストラルを始めとして、レイノルズとサーラの夫婦と二人の息子も立ち上がった。
どうやら彼らも昼食はまだ摂っていなかったらしい。
ラーメンは今朝、同行してきた二人の騎士と食いに行ったばかり(つけ麺やまぜそばなどのメニューが増え、ラーメンもトッピングの追加が出来るようになっていた)なので普通の飯屋に向かう。
ああ、同行してきた二人の騎士には朝飯を食わせたあとでバルドゥックに向かわせた。
王都で一つくらい鉄鉱石を買っても不思議でもなんでもないが、幾つも買うのは不自然だからね。
店に入り、テーブルに着いた。
「バストラル。監視は何人確認してる?」
ボーイだかウェイトレスだかが注文を取りに来るよりも前に尋ねる。
「一五人くらいですね」
バストラルも表情を変えずに答えた。
そして、「ま、いつも店の傍に居るのはそのうち二人です。交代して見張っていると思われます」と言うと手を上げてボーイを呼ぶ。
「あと、ウチの前の服屋ですが、ちょっと前から新しい従業員を雇っています。彼も怪しいかと。それからこの店、豚料理が旨いですよ」
とレイノルズが付け加える。
子どもたちは「ビハスがいい」とか「マランスが食べたい」とか言っている。
ビハスってのは塩コショウした豚の薄切り肉をアスパラの親戚みたいなティッコルというお高い茎野菜に巻きつけて焼いたもので、マランスってのはステーキ状に切った豚のもも肉を焼いたものに、同じく豚のレバーパテを塗りたくって軽く炙ったものだ。
どっちもオースの料理としてはなかなか旨い。
「まぁ、いつも監視されて見張られていると言うよりは、見守られていると考えるようにしてます。この通り、息子達もまだ小さいですから」
サーラが微笑を浮かべて言うので「そういうもんでもなかろうが、窮屈な思いをしているなら言ってくれ。別に家を借りても、買ってもいいし」と言うと非常に恐縮されてしまった。
子どもたちのリクエスト通りの肉料理とスープと白パンを頼んだ。
・・・・・・・・・
7450年8月23日
時間の少し前にカムリ准爵とバルソン准爵を伴って登城する。
いつも通り門のところで武器を預けた。
二人の騎士は俺の護衛役だが、ここで丸腰になってしまう。
予めそういうものだということは言い含めておいたから、二人は特に不満を表さない。
二の丸から本丸に続く門を兼ねた石造りで大きな櫓に入ると、まだ約束の時間になっていないにも拘わらず、国王陛下は既に応接に入っていると言われた。
応接室の手前で護衛の騎士たちと別れ、国王の護衛を担っている騎士と交代した。
騎士が応接の扉をノックすると中から「入れ」という声がして、騎士は丁寧に扉を開くと部屋の入口を俺に譲ってくれる。
「座れ」
国王は奥のソファに腰掛けており、先日俺が提出したレジュメに目を落としながら言った。
国王が座るソファの斜め後ろにはリチャード殿下が立ち、護衛を務めている。
「失礼いたします」
国王の前に用意されているソファに腰を落としながら言う。
「陛下におかれましてはお元気そうで何よりです。臣より心からのお慶びを申し上げます」
「うむ。そなたもな」
挨拶の言上を述べている間に廊下とは別の扉からメイドが入室し、お茶の用意をし始める。
暫しの間、部屋には沈黙が流れ、お茶の支度を終えたメイドが退出していった。
すると、国王は「幾つか聞きたい」と問うてきた。
「は。何なりと」
「まず、この、エキというのは何だ?」
「馬車を停める場所をそう言っております。流石に西ダートからロンベルティアまでは遠いですから、線路を敷き、高速に行き来できる馬車鉄道と言えど、同じ馬を使い続けるのは難しいのです」
「ふむ。替え馬をとどめて置く場か……」
「そのような物です。また、それに加えまして、どうせなら途中にある大きな街などにも立ち寄るようにしております。少し遠回りになりますが、中西部ダートのバライズや中部ダートのデバッケン、その北にあるファーノマンなどを通しているのは替え馬だけでなく、そこで乗り降りする人や荷物の都合の為を慮ってのものです」
国王は眉根を寄せて聞いている。
元々がガラスを壊さないように安全に運ぶためというお題目の馬車鉄道だ。
大量輸送機関だとまで考えが及ばないのも無理はない。
「しかし、これだとかなり遠回りにならぬか? 昨年末、そなたより提出された書類では、ここまで遠回り……いや、もっと素直に殆ど一直線にべグリッツとロンベルティアを結んでいたと思ったが?」
そらま、あん時はダート平原に並ぶ領地を貰えるなんて話は無かったからね。
当然、文字通りの一直線という訳ではないが、それに近いコース取りにしていた。
俺はニヤリと笑みを浮かべると「来年には私の管掌する領土も増えますし、領内での行き来の事も考えたのです」と答えた。
そこで表情を謹直なものに改めると「折角線路を敷くのですから、多少工事が大変になろうともそれなりの規模の街を結んだ方が良い、と考えました」と付け加えた。
「ほう? それはどういうことだ? 俺には馬車が通る道のりが長くなるばかりでなく、余計な街を通ることで不心得者の襲撃のチャンスも増えるとしか思えぬ」
と言って、後ろを振り向くとリチャード殿下に「そなたはどう思う?」と尋ねた。
「私も陛下と同意見です」
殿下はそう答え、次いで「質問をしても宜しいですか?」と陛下に断りを入れ、許可を得た上で俺に視線を戻してくる。
「グリード君。あれほどのガラスだ。あの品質は他ではとても真似ができない、とても貴重な物だと思う。暫くの間は大丈夫だろうが、センロの上を通る馬車が運んでいることはあっという間に広まるだろう。一度に何枚運ぶのかは知らぬが、例えば一〇〇枚運ぶだけでも五億Zの価値の品物が馬車で運ばれているというのは、少し頭が回る者であればすぐに気付く」
そうだね。
俺は殿下に向かってゆっくりと頷く事で返事に替えた。
「それだけの財物を運ぶのだから、当然、馬車には護衛を付けているのだろうが……襲撃は免れ得ないと思うぞ。まして、このコースはベグリッツからダスモーグまでダート平原を通るじゃないか」
仰る通り。
口を開きかけたが、殿下は言葉を続けたので慌てて口を閉じる。
「ロンベルティアにはデーバス王国の領事館もある。あのガラスはもう既に王都ではかなり話題になっているし、君の商会まで足を運べば誰もが目にする事が出来るから、知られていない筈はない……」
殿下によると、実は昨年末からこっち、俺の商会の扉や展示用の棚に使われているガラス製品を狙った集団を三つも逮捕しているとのことだった。
どれも犯罪集団や愚連隊を検挙し、余罪を吐かせる際に得た情報だという。
まぁ、聞いてみればどれもこれも数人から多くても十人程度のしょっぱいグループだった。
ウチの店には不定期に貴族などのある程度裕福な客が護衛付きで立ち寄るし、第一騎士団を中心とする王国騎士団の人たちもしょっちゅう出入りしている。
襲撃のタイミングを図るのは難しいのだ。
それに加え、バークッドの軍人であり従士のレイノルズ一家が暮らしていること。
そして必ず警備の者がいる(俺の戦闘奴隷だけでなく、冒険者を雇って二十四時間の警備体制を敷いている)。
極めつけは、殺戮者のメンバーのバストラルが入り浸っている事が決定打となっていたともいう。
これらの理由でしょっぱい犯罪集団は計画段階で諦めた、というのが実情らしい。
これについてバストラルたちからは何の報告もなかったので、冒険者の警備員を雇っているのは無駄かなぁという気持ちにもなっていたのだが、抑止力として立派に機能している事が確認できた。
ああ、バストラルたちは知っていて報告しなかったんじゃないよ。
王国第三騎士団(領内の警備や警察を司っている)は吐かせた情報を、わざわざ被害予定者に教えるなんてする筈がないし。
そもそもウチの商会の警備に手抜かりがあったのならまだしも、二十四時間体制で警備員を張り付かせている、ある意味でこれ以上やりようがない程の物凄く厳重な警備なんだから、言う必要もないよね。
俺としても毎月二〇〇万Zを超える金を注ぎ込んでいたのが、無駄じゃなかったと知れて良かったよ。
え?
流石にその金額は勿体ない?
確かにそう言えなくもないけれど、ベール通りに居を構え、大店を目指そうとしている新進気鋭の商会だ。
行政府に警備冒険者斡旋の依頼を出して手数料を払い、雇用を増やす。
ついでに通りの治安維持に貢献するのは必要経費だろ?
企業は地域に貢献するのも大切だし、存在意義の一つだとも思うんだよ。
話を戻すけど、国王と殿下の両人はガラス運搬中の襲撃について気を揉んでいるようだった。
まぁ、この前の話だとかなりの輸出関税を掛けるつもりみたいだから、無理もないとは思うけど。
「勿論、馬車には充分に警備の者を乗せ、襲撃に備えます」
慇懃に言う。
国王の顔には「警備に兵士を回すつもりなのか?」と書いてある。
うん、まぁね。
「警備は当初こそ兵士が中心になるでしょうが、およそ一〇年内外で馬車鉄道専門の警備員を雇い、完全に入れ替える予定です」
まぁ、それも俺の兵隊ということになるんだがな。
「ご指摘の通り、高価なガラスを運んでいるのですから私とてむざむざ奪われたくはありません。それなりの手は打ちます」
自信たっぷりに言い切ったからか、不承不承ながらもなんとか納得はして貰えた……かな?
仕方ねぇ。
「そのあたりはどうか国内唯一のドラゴン・スレイヤーである臣にお任せ頂いてご安心下さいませ」
リップサービスだが、どうやら納得はしてくれた様子だ。
さて……。
「それから、先月中にベグリッツからウィードまでの路線が開通し、営業を開始していますが、今の所魔物も含めて馬車や線路への襲撃はありません」
意図的に話題をずらした。
「なに? もうベグリッツからウィードまで? 早くないか?」
うむ。やはりそこに食いついてきたか。
「ええ。当初こそ工事人夫たちが工事に慣れておらず、時間を食いましたが、思いの外早く慣れてくれたことで能率はかなりの向上をみせています。加えて増員もしていますから今後も線路の敷設速度は今以上に上昇するものと見込んでいます。詳しくは資料の六ページを御覧頂ければ、と存じます」
ついでに、ダート平原から北上する線路工事だけでなく、王都から南への線路工事や、中間地点での工事の開始も認めさせた。
ま、費用は俺持ちなんだし、順調過ぎる程順調に進んでいる工事に加え、開通してガンガンとガラスが運び込まれれば関税で巨額の外貨収入を得られそうなんだ。認めざるをえんわな。
ガラスの輸出関税は第三部第百六話「報告と献上」で七割と決められているようです。
例えば板ガラスが一〇枚輸出できたら三五〇〇万Zの関税です。
そして、国王たちはその価格でも必ず諸外国にも売れるだろうと見込んでいます。




