第二百二十三話 暗鬼
7450年6月5日
一昨日、鉄道工事の現場で事故があった。
一人、大怪我をした者が出たのだ。
別の作業員とぶつかった拍子に、そいつが担いでいたレールが足の上に落ちてきたという。
丁度その時は俺の奴隷を中心とした工事チームも一緒に作業をしていたようで、監視の騎士団員がいたためにすぐに治癒魔術を掛けることが出来た。
その御蔭で怪我人は命を落とすことなくダモン村まで送られ、すぐにレール補充のためにべグリッツへと向かう貨車に乗せられたので事故発生から数時間で充分な治療を受けることができたため、後遺症もなく怪我は完治した。
因みに、べグリッツに着いた怪我人に治癒魔術を掛けたのは俺だ。
事故の被害者本人だけでなく、付き添ってきた現場監督のアイアンボイルからこの報告を聞いた俺は事態を重く見た。
何しろ、鉄道工事に於いて事故が発生したのは今回が初めてだったからだ(脱走を図った犯罪奴隷が二人死んだのは事故ではない)。
俺は土下座せんばかりの勢いで謝罪する監督のアイアンボイルに対し、後日で良いから原因の究明と事故のあらましについての報告を求めた。
何しろその時は事故原因とか聞いてる場合じゃなく仕事が詰まってたからね。
で、今日になってやっと空き時間が出来たのでその時の現場でレール運びをやっていた四人とアイアンボイルを行政府に呼びつけた。
レール運びの四人は全員虎人族で、つい先日採用した見習いであるばかりか、一人は監督候補の乱波だった。
そいつが事故を起こした張本人だと聞いていたのも招集した理由でもある。
なお、乱波は事故当日に傷害罪という名の業務上過失致傷でしょっぴいているので、この時に一時牢から出した。
彼の後ろには騎士団員がついていて腰縄を押さえている。
「座れ」
俺とインセンガ事務官長が並んで座る会議用の机の向かいに五人を座らせる。
騎士団員だけは立ったままだ。
「さて、まずはそなた。足の具合はどうだ?」
怪我を負った奴に尋ねた。
「お、お陰様ですっかりいい調子です。ご領主様。本当に助かりました、ありがとうございます!」
彼と一緒にアイアンボイルも頭を下げた。
「うむ。ではアイアンボイル。事故のあらましについて説明しろ」
「はい。ですが、ご説明の前にまずは謝罪を。この度は私の監督下において事故を起こしてしまいましたことにつきまして、深くお詫び申し上げます。誠に申し訳ございませんでした……」
アイアンボイルの説明によると彼の命を聞かずに楽をしようとした乱波が悪いとしか思えなかった。
以前に工事現場を見たときも独特の担ぎ方をしているなぁ、と思ったことはあるが、言われてみれば周囲への安全の意味があったのかと納得したくらいだ。
「ふむ。あらましについては大体理解した……」
おや? 乱波が不満そうな顔つきをしている。
捕縛されている以上当たり前かもしれないが、何だろうね?
「そなた、何か言いたいことがあるのか? あれば申してみろ」
興味を覚えたので訊ねてみた。
まさか、国王の命で工事を邪魔しろと命じられていたとは言わんだろう。
正直言って、事故を起こした者が乱波だと聞いた時から頭をよぎっていた思いだ。
尤も、ガラスを安全に、かつ高速で運ぶというお題目で許可を得ている話だから流石にそれはないだろうとは考えているけれど。
それともやはり、まずは自分も被害者に謝りたいのかな?
「……はい。では申し上げます。今の親方の説明だと不十分です」
「ほう?」
アイアンボイルへと目をやりながら先を促す。
アイアンボイルは無表情で真正面を見ている。
「確かに親方には一番最初にレールの担ぎ方を教わりました。“これが正しい担ぎ方だ”と言って……」
は?
「ちょっと待て。そなた達、今の話は本当か?」
乱波の話を遮って、アイアンボイルと他の三人に聞いてみた。
いちいち嘘看破なんて使ってなかったしね。
「はい。一言一句、そのままかどうかは自信ありませんが、今彼が申したことは間違っておりません」
アイアンボイルが返事をし、他の三人も顔を見合わせながらも彼の言葉を肯定する。
「……」
隣に座るインセンガ事務官長に視線をやると、彼女は難しい顔をしていた。
俺も似たような顔になっていると思う。
何しろ、この乱波は自ら「正しい担ぎ方」を教えられたと言ったのだ。
アイアンボイルは「最低限の事は伝えた」と言ってたから、俺としてはてっきり「ここからあそこまで運べ」とか言っただけだと思ってたよ。
「あの……」
乱波が何か言いたそうにしている。
いやお前さぁ……。
ま、いいや。話くらい聞いてやろう。
「何だ?」
「ですが、その際にはなぜそのような効率の悪い担ぎ方をするのかの説明はして頂けませんでした。周囲の安全についての理由は説明されず、ただ“こうして担ぐのが正しいやり方だ”と言われただけなんです!」
……。
暫しの沈黙があった。
「で?」
「でって、最初からきちんと説明されていれば……」
「あんな事故は起こさなかったと?」
インセンガも黙っていられなくなったようで乱波の話を遮ったばかりか、その先まで口にした。
「はい、その通りでございます」
乱波ってのは大国であるロンベルト王国の国王直属の諜報機関だ。
すなわち、それなりの教育くらいは受けていると思われる。
まぁ、オースのレベルで、という冠詞はつくが。
しかし……。
「……」
任せていい? あとであの乱波とは一対一でお話するからさ。
隣のおばはんに目で問いかけた。
俺の視線を受け、インセンガは「ほんの一週間前に、そなたとの面接で“仕事を覚えるまでの見習い期間中は奴隷と同様に監督の命令に従う”と聞いたばかりなのだが、あれは嘘だったのか? それとももう忘れたのか?」と言った。
まぁ、そう言いたくなるのも解るが……。
「忘れてはおりません。が、それとこれとは違う……」
「違う? どう違うというのか?」
「は。あの担ぎ方が周囲の安全のためであると教えられていたらその通り担ぎ続けていました」
「……それは安全のためでなければ勝手に教えられた以外の担ぎ方をしてもよい、という意味か?」
「いえ、そこまでは申しません。例えば、あの担ぎ方は担ぎ手への負担が大きく、疲れやすいのです。前傾姿勢のため、正面を向くにもどうしても視線は足元の方へ行ってしまいますし……とにかく効率的ではございません。私にはそう思えました」
「もうよい。私の質問に答えないのであれば黙れ」
そうだよな。
前世から度々思うが、上司の質問に答えない奴って多いよね。
特に失敗したりした奴ほどその傾向が強いように思えるのはなぜだろう。
質問した方はくっそムカつくし、正直言って怒りしか湧いてこないんだが。
「ではお答えします。碌に説明もなく一見すると非効率なやり方を押し付けられてそれを受け入れることと、奴隷と同様に監督の命令に従うというのは異なると思います」
答えを聞いてインセンガは目を細めて乱波を見やる。
あーあ。
「……ではそなたに問う」
インセンガは被害者でもない別の見習いに声を掛けた。
「そなたは監督の申したという“正しい担ぎ方”についてどう思った?」
「は、はい。わたしは……その、疲れる担ぎ方ではありますが、これが正しい担ぎ方だと言われましたので、そういうものかと思って、思いまして、その通りに……」
急に指名された見習いはしどろもどろになりながらも自分の言葉で答えた。
「そなたは?」
「はい。私は大工をしていましたので、すぐに安全のためなんだろうなと理解できました。柱とか梁とか、何人も並んで長い物を担いで運ぶ時、ああいう事故を起こすことはあるでしょうから」
この見習いは二番目に尋ねられたからか、淀みなく答えた。
まぁ、元々大工なら安全のためだと分かるのも当然なのかもしれない。
良くは知らんけど。
「そなたは?」
被害者である見習いに訊ねた。
「はい。私はこれが正しい担ぎ方であるのなら早く仕事を覚えたい一心でその通り担ぎました」
「ふむ。なぜ早く仕事を覚えたかった?」
「少しでも早く見習いから本採用になって一人前の給料を貰いたいからです」
三人の答えを聞いたインセンガは乱波に視線を戻した。
「そなたはこの者らの言を聞いてどう思う?」
インセンガに問われた乱波は僅かに顔を顰め、沈黙した。
「そなたと比べて、効率を考えない愚か者だと思ったか?」
「……」
「それとも自分の方が馬鹿だと思ったか?」
「……」
「どちらにしろ、これだけははっきりとした。そなたは仕事において、全て説明され、納得出来なければ言われた通りではなく自己流で解決する性格だ」
「……」
「一概にそれが悪いとは言わぬ。そなたの自己流の方が優れている可能性もあるからな……」
経験者でもない素人が考えつく程度のことであるわけねぇだろ、そんなこと。
まぁ、全くのゼロだとは言い切れないけどさ。
ここがこのおばはんの良い所かな?
「だが、そういう時は質問しろ。ああ、アイアンボイルのことだ。質問しにくい雰囲気だったのかもしれぬが、それならそうでその場は従っておけ。そもそも仕事も碌に覚えないうちから黙って自己流で解決しようとする、その性格は直した方が良いぞ」
「……はい」
乱波の返事の後に妙な間が空く。
え? まさかこれで終わり……?
だってまだ……。
「さて、当事者の言い分は理解できた」
だよね。まだもうちょっと続くよね。
「もう言いたいことや言い忘れていた事はないか?」
インセンガは乱波に質問をした。
うん。
大切なことだ。
「……ございません」
え? ないの?
ごめんなさいしないの?
安全についての説明がどうとか以前に、お前のせいで仲間が何時間も痛い思いをしたんだぞ?
不注意で事故を起こした挙げ句、自分は悪くないと言い張るだけあって、やっぱりとんでもねぇ野郎だな、こいつ。
「そうか……」
答えるインセンガも呆れているようだ。
「次に今後についてに移りたいと思いますが……」
そう言うとインセンガは俺の方を見た。
少なくとも、改めて被害者に謝罪するつもりもないのなら仕方がない。
うむ、と頷いてやる。
「アイアンボイル。そなたは今までの話を聞いて、今後の事故防止のために何をする?」
俺やインセンガの気持ちが伝わったのか、はたまた当然謝るものだと思っていたのかは知らないが、横目で乱波を睨みつけていたアイアンボイルは小さく咳払いをして口を開く。
「何も。と言いたいところですが、今後、新米は作業に放り込む前に説明の時間を取った方が良いかも知れない、と思いました」
この言い方だと……あれだよねぇ。
「私は何をするのか? と尋ねたのだが、聞こえなかったか?」
うん、思っただけで何もしません、と言ってるのと同じだし。
それならそれでも良いが、聞かれたことへの返事はちゃんとしないとね。
「今後、レール運びの作業者同士の間隔について一〇mは空けるように徹底し、指導します。加えて、新米にはまず最初に説明の時間を取ります。しかし、そうすれば半日ほど損をしますが、それはお許しください」
答えを聞いてインセンガはまた俺を見た。
流石にこれは俺が答えるべきだろう。
「工事は順調過ぎる程順調に進んでいる。ゆえにそなたが必要だと考えて説明の時間を取るならその程度の遅れなど何ほどのこともない」
アイアンボイルが「必要ない」と思うのならば説明なんか別にしなくてもいい。
俺としては無事故はともかくとして、順調に工事をしてくれればいいんだし。
そして、アイアンボイルという男については、俺の屋敷を建てた時から真面目に堅実に、且つ納期についてもきちっと守る仕事をしているのは知っている。
無理は無理だ、何故ならこうでこうでこうだから、と言ってくれるのは有り難いのだ。
そして、こいつが手下となる職人や作業員にどういう指導をしていようが、ちゃんと結果を出し続ける限り、それは心の底からどうでもいい。
「ありがたきお言葉、このアイアンボイル、感謝に堪えません」
アイアンボイルは額を机に擦り付けんばかりに頭を下げた。
「うむ。今回の事故を教訓に、今後も安全には気をつけてくれ。世の中にはこういう奴もいるということも忘れずにな。では下がれ」
アイアンボイルは意外そうな顔で俺を見た。
どうやら事故の加害者である乱波が捕縛されたことで、監督であった自分も何らかの責を問われるものと思っていたらしい。
いや、今回の件、お前に責任はないよ。
乱波は「安全のためだと教えられていたらちゃんとやってた」と言ったが、信用なんか出来るか。
虫がまとわりついた程度で周囲の事も考えずに足を止め、担いでいたレールを旋回させるような奴だ。
こういう奴は何を教えていたってつまらない理由で自分を優先する。
幸運にも事故を起こさないまま仕事を覚え、慣れたら慣れたで、監督の目を盗んで楽な担ぎ方をするに決まってる。
思い切りレッテルを貼るが、自分一人で完結出来るような仕事じゃないと向かないよ。
これを機に変わらないとも言い切れないが、俺はインセンガ程優しくはねぇ。
「それから、そなた。マークス・ロビゴルと言ったな? そなたにはまだ話がある。ここに残れ」
乱波に残るように言うと、自分も残ると言う騎士団員にも「目の前に私がいて反抗だの逃走だのを許す訳がなかろう?」と追い出してインセンガと三人で乱波と向き合った。
「さて……自らの間抜けさで同じ仕事をする仲間を傷つけた気分はどうだ? ん?」
「……」
「なんとか言え」
まぁ、俺に謝罪してもあんまり意味はない。
いや、忙しい時間を無理やり割いて治療したんだから謝罪の言葉くらい述べてもバチは当たらんだろう。
ついでに今この瞬間も俺の時間をお前なんぞの為に割いているのだから。
「……まぁいい。それはそうと、今回怪我をした作業員の治療費だが、それはお前に負担して貰うべきもののようだ」
「!」
なんでそんな意外そうな顔すんの?
監督の責任だとは思えないし、全額お前が負担するのが当然じゃん。
今の所、こういった事態での治療費の請求なんかについての法は整っていない以上、俺の領土で起きた問題なんだから領主の俺が判断するしかないんだしさ。
尤も、出来るだけ公平になるようにしたいとは思っているけどね。
たとえそれが、俺以外の誰一人として納得がいかない物であったとしてもだ。
「治療費は治癒魔術を合計一四回使用で七〇万Zが正規料金だが、そなたは見習いとはいえ鉄道事業に従事しているから特別に一割引をしてやる。六三万Zをこの行政府に支払え」
「ろっ!?」
なんだ?
安くて驚いているのか?
俺もキュアーオール一四回の料金としては些か安すぎるような気もするが、バルドゥックなどの外傷専門の治療院で規定されている正規の料金だからな。
片足とはいえ一〇箇所も骨折してたらそのくらい掛けないと完全に治療してやれなかったんだよ。
一番金の取れる診察料を上乗せしていないだけ良心的だろ?
「閣下、この者が六〇万も持っているとは思えません」
本当、このおはばんはいつでも冷静だね。
俺もそう思うけど。
「支払えないのか?」
持っている訳がないとは思うけれど、一応聞かねばなるまい。
「……すぐにはお支払いできません」
やはり。
「こういう場合、どうなる?」
インセンガに尋ねた。
「……そうですね。まず、彼の罪状は二級傷害罪に該当すると思います……」
「え? 一級じゃないのか?」
思わず言葉を遮ってしまった。
だって、片足がほぼ完全に潰れてたんだぞ?
普通なら一生障害が残るか、片足切り落としだぞ?
「はい。被害者は傷を負っている最中に医者か治癒師の診察を受けておりません。魔術で治療した治癒師からの診察書も行政府に提出されておりませんし。そして、被害者は現在、何の障害も負っておりませんから」
あぁ、そう……。
「二級傷害は王国刑法第二七条により鞭打ち二回か五〇万Z以下の罰金に相当します。尤も、まだ正式な裁きは行われていませんからこちらについては刑が確定しておりませんのでなんとも言えませんが、仮に判決が鞭打ち二回となった場合、それを受けてしまえば犯罪者ではありませんので、治療費は単に行政府への借金ということになります」
「罰金刑だった場合は?」
「その場合、罰金が支払われるまで行政府預かりの奴隷です。罪の罰金に加えて今回の治療費である六三万Zが支払われるまでの期間が延長されるでしょう」
罰金が最高の五〇万だと仮定して一一三万Zか。
監督になれなきゃ二年くらいは奴隷ってことね。
とはいえ流石に一銭も持ってないって事はないだろうしなぁ。
一時的に借金奴隷にするにしても監督にしちゃったら給料も高いから数ヶ月で奴隷からは解放だ。
ん? まてよ……奴隷じゃ俺の領内から外に出せない。
いや、まぁ、俺の領内においてそういう法を作れば出せるけど、受け入れる方の土地にそういう法がなければ意味はない。
来年になって新たな領土を貰ってもダート平原の北半分でしか動かせないという事だ。
そして、完全に借金が支払えないと結論されるまでは奴隷商に預けて再教育することも出来ない。
ま、まさかこいつ、こちらが乱波は領外の工事に従事させるつもりであることを見越して、阿呆のフリをしてまで領内に留まれるような行動を!?
こちらの心証が悪くなって長期間奴隷となるべく罰金刑になるように、謝罪もしなかった!?
いやいや、流石にそれは……ないよな?
だとしても初日にやるか?
少なくともここ暫く工事は西ダートだけでしか行われないんだし。
「そうか……」
ここでこいつの狙いが何なのかを確かめたところで意味は薄い。
治療費を飼い主に請求してやりたい気もするが、知らぬ存ぜぬと言われたらそれまでだし、奴隷にしたところで、先方に「そういう方法があったか」とヒントを与えてやるようなものだ。
監督にして数ヶ月で解放し、その直後に犯罪を理由に馘首して追い出すにしても結果は一緒だろう。
かと言って無罪にするのも憚られるし、死罪にするのなんかもっと無理だ。
やろうと思えば出来なくはないが、不自然すぎる。
そんな不自然な裁きが行われたのであれば、なぜそうしたのかを考えさせてしまうだろう。
何これ……?
どうしてこうなった?
考えろ。
この状況を打開、いや奇貨とするには……。
……ちょっと確かめておくか。
結論を出すのは今でなくともいいんだし。
「……そなた。こういう状況になってしまった訳だが、我々としても残念だ」
「ですね」
インセンガも話を合わそうとしてくれているが、国王の間者を前に何を言ってよいのか考えた結果、相槌を打つだけにしたようだ。
「監督候補として採用した、それなりに有能だと思える人材な訳だしな……ところでそなた、未だ謝罪がないが、被害者に悪いとは思わなかったのか?」
乱波は初めて「失敗した」というように表情を動かした。
ふむ。
「いえ、それは……悪いとは思っています。ご領主様や事務官長様のお手も煩わせてしまいました。申し訳ありません」
どうやらこいつ自身は唯の阿呆のようだ。
本気でこちらを呆れさせるつもりなら「謝罪なら事故を起こしたときにしている」とか言うはずだし。
さっきのは考え過ぎだったか。
ともあれ、乱波のお頭だのといった幹部や国王とは違う。
敢えてヒントをやるべきではない。
尤も、国王あたりは既に気がついていて、時期を狙っている可能性もあるけど。
「……この状況をそなたの家の者にでも伝えるか? 罰金などを支払って貰えるのであれば牢に置く必要もないからな」
勿論、こいつに金を払えるだけの家族がいるのか、そもそも家族なんかいるのかどうかすら知らない。
身上書に書かれていたことなんか覚えてないし。
だが、一瞬だけ顔色が変わった。
それが希望なのか、家族など頼れる者がいない鬱屈した感情なのかまでは判らないが、確かに顔色が変わった。
「家族でなくとも友人でも誰でも良いが連絡をしたい者がいれば申せ」
「そういうのは……おりません……」
乱波は今度こそ完全に表情を消して言った。
「いえ、王都に両親と兄がいる筈です。身上書には記載されています。父親はマルザン商会というところで、母親はラヌザス男爵家のメイドとして働いていると」
「家族にそんな余裕はございません」
流石だな、インセンガは。
多分、俺が乱波だろうと言った者の身上書は全部覚えているのだと思われる。
身上書は面接を受けに来た者が自分で用意することもあるが、それは貴族階級くらいのもので、大抵の者は面接の前に係官にインタビューを受けてこちらで作成されている。
乱波という組織に所属している以上、嘘を言っている可能性も大いにあるけれど。
というか、多分嘘だろう。
ちょっとくらい本当の事も書かれているかも知れないけどね。
因みに、ロンベルト王国にも俺の領土にも履歴不実記載、要するに嘘を吐いて就職した場合の罰則はない。
無理やり当て嵌めるならば詐欺なんかが該当するんだろうが、流石に詐欺と解釈するのは苦しいかな?
まぁ、詐欺に準ずるというところだろうね。
「ふむ。父親は勤め人で母親は貴族家に雇われているのなら大丈夫そうだな。すぐに使いを出すとしよう」
うん。
王都まで使いなんか出したら人手も時間もかかるし、下手すると足が出る。普通は有り得ない。
そもそも面倒だしね。
「そ、そんな。たかがこれだけの金で……?」
だが、ブラフはそれなりの効果を発揮した。
「そのたかがこれだけの金を払えない者が言うセリフではないな。それに、そなたが乱波の一員であることは既に知っている。私としても国王陛下の手の者をつまらない罪で処罰したくはないからな」
「ラッパ?」
流石にここはごく自然な感じで不思議そうな顔をした。
このあたりはよく仕込まれている。
「そうだ。そなたが乱波という、裏の仕事に従事していることは知っている。それはそなただけではないぞ。面接の時に教えてくれた者が居たからな」
こいつを利用して乱波の間に相互不信の種を植え付けてやる。
・・・・・・・・・
7450年6月15日
デーバス王国ラゾッド侯爵領。
その東端に対カンビット王国の最前線はあった。
海岸から一〇㎞ほど北に入った場所に少し開けた平野があり、現在はその平野の西寄りの場所にデーバス王国軍が、東寄りの場所にカンビット王国軍が布陣している。
人数はお互い輜重部隊も入れて一〇〇〇名ずつ程度であり、戦力的には拮抗しているように見える。
が、デーバス王国の方は六割程が徴集された士気と練度が低い兵で構成されており、徴集兵の割合が半分以下であるカンビット王国と比して少し不利だった。
両軍はいつ突撃が始まってもおかしくない距離にまで近づいている。
つまり、騎馬による突撃を受けても、そこに増援部隊を回して防御態勢が整えられるかどうかという三〇〇m程だ。
その陣において、アレキサンダー・ベルグリッド王子は左翼部隊の指揮を執っている。
精強な騎兵隊を擁しており、王族でもあるにも拘わらず、中央本陣ではないのは本人が左翼部隊を志願したからだ。
「そなたら、火薬と弾丸の準備は良いだろうな?」
少しずつ前進を続ける左翼部隊の中、一際立派な鎧を身に着けたアレクが周囲を固める騎士に声を掛ける。
奇妙なことに、左翼部隊を構成するほぼ全ての騎兵は槍を乗馬の左側面の槍掛けに保持しているだけで、手には全長一m程の金属製の刃すらついてない細長い棒のような物を持っていた。
また、馬の右側面には少し大型の剣の鞘のようなものがぶら下げられているが、中身は入っていない。
細長い棒は鉄砲であった。
日本の戦国期から江戸期に使われていた火縄銃そっくりの肩当て銃床がないタイプだ。
が、機関部に相当する部分が少し異なっているようだ。
王子の問いかけに「応」と王子の周囲各所から応えが上がる。
「落ち着いて訓練通りやれ。突撃中は決して銃口を下げるなよ?」
周囲の騎馬武者達に声を掛けながら、王子は部隊の中で少し前進した。
その先にはその他の騎馬武者同様に銃を持ち、馬に槍を掛けたミュールが居た。
「猛訓練で不発率は二割を切った。装填して持ち運べない唯の火縄銃とは一味違うところを見せてやろうぜ!」
アレクの言葉にミュールも不敵な顔で「いや、火縄銃とか向こうは知らん筈だし」と苦笑で返す。
「そろそろだ……突撃ィィッ!」
こちらの左翼部隊に騎兵を固めていると見て対抗のためか、他の部隊より幾分騎兵と盾持ちの槍兵が多めのカンビット王国右翼部隊への攻撃が開始された。
■感想欄でご指摘を受けましたので解説を。
以前からちょこっと書いていますが、アルの目的は「自分の領土に住まう者をそれぞれの階級に於いて世の中で一番幸せしたい」ということで、究極的には「オースの進化を加速し、最終的には身分制度のない民主国家が主流となる世界になればいい」です。
最初の目標は「オース中の国家と比較して幸福度(?)が一番」という意味ですので、別に現代社会にある南スーダンとかアフガニスタン、ソマリアなんかより幸福度が低かろうが、作中範囲内(西オーラッド? アルの目の届く範囲内?)で最高スコアならいいのです。社会に貴族階級があって人口の過半を大きく超える数が、この世界においても教育レベルが低い奴隷ばかりなのだからそれでOKでしょう。
おそらく一〇世紀頃の地球だとほぼ全ての場所が南スーダン以下の幸福度でしょうし。
それに、これはアルとその配下の者達が贅沢をしたり私腹を肥やしたりすることと相反しません。
次の目標は「ステータスに記載のある年数から考えて、文明や文化の進歩が遅すぎる」という事に疑問を持ったのが始まりです(一応の理由は設定しています。そもそもステータスに記載のある時間が正しいかどうかは置いておきます。考えても仕方がないので)が、世の中は封建制です。
他と比べて多少進んでいるらしいロンベルト王国にしても未だ絶対君主制とはいえません。
そんな中で現代的な民主国家を目指すにしても障害は大きい上に多く、自分の生きている間にはとても出来そうにないので、せめてその礎となり、後世の人達の踏み台になれればいいなと考えました。
そのためには一段階進めた絶対君主制国家を作り、ある程度国民を虐げる必要があると思いました。
倫理的な是非はともかく、アルは「地球の歴史を考えるとそうせざるを得ない」と思ったのです。
デモクラシーには民主革命の発生が必要です(地球の歴史を参考にしていますので)。
民主革命を起こさせるには国民を虐げるだけでなく、一定レベルの下地となる教育や知識の流布も必要であるとも考えています。
特に大切なのは「ポイントとなる事は自分が教えるのではなく、自ら気付かせる、気が付いて貰う必要がある」と考えました。
そうでないと、単なる上からの一時的な改革で終わってしまいかねないからです。
国民自らが真に解放を望み、民主的な社会を作ろうとしない限り、すぐにもとに戻ってしまうでしょう。
なぜなら、人は楽な方へと流れるものだからです。
高度な教育を受けている貴族達に政治を任せ、税さえ払っていれば社会が維持されて生活できる、ついでに税も妥当で治安も保たれ、場合によっては商売でも成功できるし、軍などの公務機関でも出世が可能なのであれば、何も苦労して民主主義を維持する必要はありません。
そして悪いこと(笑)に、現在のオースでは奴隷は税を払う必要がないですし、扱いも近世米国の黒人奴隷程酷いことは「そんなに」ありません。
この目標は最初の目標とは相反しませんが、相反しないためにはさじ加減が非常に難しいです。
これらについて、アルは一生を掛けて取り組む目標であり、そも自分一代での達成は無理だと考えています。
少しずつでも順番に進んでいく「道筋」を作れれば上出来と思っているのです。
さて、今回の話の安全管理について触れます。
アルは勿論、ポカミスを防ぐために出来るだけ安全には気をつけるように、事前に説明する方がより良いことは知っています。それを教え、やらせることも出来ます。
でも、アルとしてはそのポカミスを防ぐためにどうしたらより良くなるのかについて、監督自らに考え付いて欲しいのです。そのために数人程度(まさかレール運びで全滅という事態にはならないでしょうから)なら犠牲者が出たとしてもです。
今回の話でもアルは「原因の究明と事故のあらましについての報告」を求めることで監督に考えるように仕向けています。
また、監督に限らずインセンガ事務官長にも考える機会を与えています。
身上書(履歴書)への不実記載について法整備の必要があるか問うている(一般的には必要でしょうが)のです。
この話中では事務官長は法整備についての提案はしていませんが、それは乱波の前で話すようなことではないからでしょう。
まぁ、これに限らず、使い捨てのように作業員が事故でどんどん死んでいったり、身上書に嘘を書くような者が増加していけば、思いつくかどうかは別にして誰でも考えさせることになるでしょうけれど。
なお、アルはその犠牲者がたとえ貴族の子弟だろうがなんだろうが、自分の身内や親しい人物などでなければ、事務的に数字としてしか考えません。
これは、以前に日光を吸収する際にトリスやベルの成長のため、幹部連中を除けば何の罪もない日光のメンバーを迷宮内で謀殺する計画に対してOKを出した実績がある以上、不自然ではないかと思います。
ご指摘の通り、多数の応募があって幾らでも替えの利く作業員の命なんかより工期の方が大切なのです。別に善人だ聖人だというような道徳観で褒め称えられたい訳ではないので。
事故を起こす前だって、監督は一応安全について考え、正しいとされるレールの担ぎ方を編み出して指導していたようですから、現時点ではそれで充分に安全に気を遣われている、という判断です。
他領の工事現場よりは大分多いと思われる食べ物を支給し、ちょっとだけ高い給料を払い、一応安全にも気を使われているだけ余程ましなのです。
尤も、これだとどこかで大規模な事故に繋がらないとも限りませんが、それはトンネル工事だとか大きな橋を掛ける必要ができた時などに、改めて考えさせれば良いことですし、こういった事故を何度か経験させていればその考えも真剣なものになると思います。
でも監督はどうやら色々と考え始めたみたいですね。
いつかは「その工期を達成するには作業員の安全が確保できませんのでご再考を」とか言ってくれるようになるのがアルの希望ですし、「またお貴族様の無茶振りだ、糞が」と陰口を叩かれるのもアリでしょうね。




