第二百十四話 逃走成功?
7450年5月16日
よし、西の捜索を始めよう。
何にしても、今捜索の手掛かりとなるのはあの馬車に乗っていた囮(本物の可能性もある)を捕らえるしかないのだ。
バルザス村に向かわせた第四騎士団の中隊長、アークイズが指揮する半数が視界から消えるよりも前に街道から西方への捜索を重点的に行うように命じた。
そして、捜索にはこの林の中でも機動力を落とさないで済む俺のウラヌスを外す訳にはいかないだろう。
そう思って自ら西の林へと進もうとした時。
クローが駆けつけて来た。
俺のウラヌス同様にクローが駆る軍馬にもそよ風の蹄鉄を履かせていて正解だったようだ。
「団長! やられました! こっちは囮です! 奴ら、今日の昼頃には馬車でサミッシュからジューダンルに入ってます! 関所で顔も確認されています!」
あっちゃ~、一杯食わされたかぁ。
「昼だと!? 確かか?」
何しろ、ザーラックスで閲兵式を終えたのが九時半くらいだぞ?
それにしても、昼には関所を越えてたって……そんな早くから逃げ出してたのか?
幾らなんでもあまりにも早くない?
「関所の者がそう言っていたそうです!」
関所では必ずステータスも確認されるし、顔を見たとも言っている。
間違いではないだろう。
しかし、昼かよ!
「……」
しょうがない。
今の時刻はもう一九時を大幅に回っている。
なんぼ魔法の蹄鉄があると言ってもなぁ。
もう一度地図を見てみるが、七時間も前に馬車で出たってんなら、休憩時間を考慮しても道の状態がいい街道沿いに逃げられていたら……移動時間が五時間、平均時速は……空荷だろうし、七~八㎞は可能だから少なく見積もったとしても三〇㎞以上は離れているだろう。
目的地さえはっきりしているならそよ風の蹄鉄もある事だし、一時間位で追いつけるだろうけど、行き先なんか判る訳がない。
先程予想した通り、北の関所を越えた後の選択肢が多すぎるしねぇ。
万が一、幸運に恵まれて正解の方向へ向かえたとしても、もう日が落ちている。
どっかの村や街で宿を取っているなら別だけど、道から少し外れてカモフラージュでもされて野宿とかされてたら見落とすに決まってる。
そもそも今から追っても追いつくどころか見付けること自体が至難の業だろう。
それならまだ今追っている囮を探した方がマシだと思うし、それ以上に当初の目的である教会の本拠地のバルザス村に向かって残された信者や施設を洗って手掛かりを探した方がずっと建設的だ。
バルザス村には囮を捕まえたら俺も向かうつもりだったが、囮と確定した以上、ここはクローに任せて俺はアークイズと一緒にバルザス村へ向かうべきだろう。
ちらと南の方に目をやるとクローが大声を上げて走ってきたからか、アークイズが率いていた騎士団員達も行軍の足を止めている。
そのまま進んでおけと怒鳴り、クローには残っている騎士団員の指揮を任せ街道から西を重点的に捜索するように、と命じた。
「ところでお前、宿を見張らせてたって言ったよな!?」
アークイズたちの方へ馬首を巡らせながら、側に馬を寄せてきたクローに尋ねた。
「申し訳ありません、団長! 見落としていたようです」
クローによると見張りに付けていた者たちは目立つ修道服にばかり気を取られていたのではないか、という事だった。
まぁ、西ダートみたいなど田舎で尾行を巻くために着替えるような奴なんかまずいなかっただろうし、まずは宿を確かめる為に後ろからの尾行で顔の確認すら碌に出来ていなかった可能性があるからなぁ……。
しかし、この体たらくで尾行が上手いとかよく言えたもんだ。
俺のイメージする“尾行”ってのは転生前のドラマとか小説に出てくるような尾行で、時にターゲットを追い抜いたり、距離を置いて監視し途中で尾行者を変えたりするような手の込んだものだ。
だが、西ダート基準だと、そもそも人混みなんか大したことがないので、足音を消し、振り向かれたとしてもすぐにそれを察知して身を隠せたり関係のない素振りが出来るというものらしい。
携帯電話みたいな個人単位の遠隔通信手段なんか無いし、余程の大人数でもない限り先回りでの人員配置とかも無理だよなぁ……。
そう考えると東京の街中なんかで足音を消すような技術に殆ど意味がないのと同じで、ロンベルティアみたいなン万人を超えるような大都市ならばいざしらず、碌な人混みなんかない西ダートでターゲットを追い抜くなんて概念とか無いだろうな。
それなら碌に顔の確認が出来ないというのも頷けはする。
頷けはするが、一体何のために見張らせていたのかを考えると、どうにも納得がいかずに釈然としないのは仕方がないよなぁ。
「まさか、見張りがバレて、それで逃げられたって事はないよな?」
だとしたら見張りを付けた事自体が藪蛇以外の何物でもない。
「いえ、そんな! ……確かに宿を出た事に気が付けなかったのは見張りの落ち度でしょうが……」
こんな台詞をしれっと口にするクローにカチンと来た。
その気持ちを飲み込みながら言う。
「……保身を考えて北に向かった事を報告されない方がずっとまずかった。そういう奴らにしなかったのは普段指導している騎士の成果だ。だけど……」
「ええ。尾行を撒かれたのならともかく、宿を出た事に気がつけなかった事についてはキッチリと叱責します。それに、彼らに任せた私も同罪です」
ふうん、手前ぇで人選して命じた以上、自分にも責任が有ることは理解していたか。
部下への罰も記録に残さない叱責にとどめようとするあたり、なかなか。
ついでに自分もだろうけど、解ってるならいいさ。
クローの言葉に頷きながら口を開く。
「……こちらの方の囮は多分二人だ。この街道の西側を重点的に捜索させている。お前が指揮をしろ。暫く捜索して見つけられなかったら、そこで捜索を打ち切って全員を率いてザーラックスまで戻り、デーニックたちに合流して子爵の逮捕を援護しろ」
「わかりました」
「子爵の逮捕に当たっては子爵の郷士騎士団の激発も考えられるから用心しろ」
「はっ!」
ヨーライズ騎士団の激発、という言葉にクローの表情が今までよりも一層締まったものになる。
「その場合、こちらからは手を出すな。後が面倒だから戦闘行為は出来るだけ避けて欲しい。それでも、どうしても戦闘が避けられそうもないと思ったら西ダートまで逃げる事を優先するんだ。いいな?」
「はっ!」
「ウチの領内まで逃げ込んでも追って来るようであれば……」
「?」
クローは「そこまでするか?」と言うような顔つきになった。
「最初は理不尽に捕らえられた主君を救おうと感情で動く者もいるだろう。ここまでは半々くらいの可能性があると思う。しかし、退却するお前らを追っているあたりで徹底的に交戦を避けている事には気付くだろう。向こうにも冷静になる者も増えてくるだろうしな。だけど、その上で相手の騎士団に多少頭が回るような奴がいれば、このあたりで子爵の証言がこの領土にとって急所になりかねん事についても考える奴も出る可能性がある」
そう言うと、クローは「考え過ぎでは……?」と言ってきた。
正直なところ、俺もそう思う。
だけど、想定しておくに越したことはないのだ。
「子爵を通じて麻薬や教団に関する罰則を宣言させた。当然、それは子爵の騎士団員が一番最初に知ることになる。私にそのつもりはないが、最初は思い至らなくても罰則の遡及適用を言い出す奴が出たら過去に麻薬をやった奴や、それを齎した教会に関わったことのある奴なんかは不安になるのが当然だ」
ここまで言った時点でクローは俺の言いたいことを理解してくれたようだ。
「そうなれば子爵には後継者もいるらしいし、追いかけてしまった以上、口封じを狙って子爵の命を絶とうとする奴も出るかも知れないってことですか?」
「そこまでの気持ちになって、且つ実際の行動に出るかと問われれば、まずそうはならないだろう。だけど集団でパニックを起こされ、それを煽られたら、そう簡単に抑えることは困難だ。中途半端に頭が回って、周囲を扇動するような奴がいたらその可能性もある、という程度だ」
クローは少し安心した顔になった。
「何にしてもそうなったら決して応戦せずに逃げろ。そして子爵だけは守れ」
それだけ言うとアークイズと合流し、バルザス村へと向かった。
徒歩も多いが、街道を征くのだ。
遅くとも夜明けにはバルザス村の近郊に着けるだろう。
一休みしたら……教会の本拠地へ強襲だ。
・・・・・・・・
「はあっ、はあっ、はあっ……」
碌に星明りも届かない林の中をジャクソンとキルン、そして数匹のオーク達が走っている。
赤外線視力を持たないジャクソンとキルンは、少し先を走るギィグの闇に溶け込むような朧気な姿を頼りにするしかない。
と、林を抜け草地に出た。
もう少し西に寄ればザーラックスの耕作地に入ることもできるだろう。
だが、ギィグ達オークを伴っている以上、それは難しい。
流石にこの時間ともなれば、農作業をしている者はいないだろうが、万が一発見されて行政府や騎士団に通報されると面倒なことになるからだ。
ジャクソン達は出来るだけ耕作地から離れるように、しかし移動がしにくくて暗い林には踏み込まないギリギリのところで西へと進路を変更した。
そして、ザーラックスから南へと伸びる、少し前に馬車に乗って通ったばかりのテューラック街道を視認できるところまで到着した。
「……ここで少し休憩しよう」
ジャクソンは街道の少し手前の草むらに寝転がった。
腰くらいまでの高さの草むらなので、寝転がってしまえばそう簡単には見つからないだろう。
キルンは息を乱しながらも地面に耳を当てる。
「私達ハチカヅクモノガナイカミハリヲシマス」
ギィグが手下のオーク達を周囲に散開させようとしたその時。
キルンが南の林へと伸びる街道の先から多数の足音が近づいてくることに気がついた。
「待って! あっちから誰か来る。沢山いるわ。背を低くして動かないで……!」
警告を受けて、全員が体を硬くした。
「……」
草むらには虫の声もなく、葉擦れの音しか響いていない。
誰かがゴクリと喉を鳴らした。
「……で……か……」
全員の耳に人声が届く。
ビクリとするように、全員が一層体を硬直させた。
息を潜めて通り過ぎるのを待つ。
「おら、歩くんだよっ!」
「グズグズしやがって、このオーク野郎が!」
近づいてきたのはクローが率いている騎士団員達であった。
話している内容からして、ジャクソンたちを逃がすため、総攻撃を掛けた残りのオーク達のうちの何名かが捕らえられて連行されているようだ。
――あそこで別れたオークは一〇匹くらいいた筈だ……それがこんな短時間で敗れた……? どんだけの大部隊だったんだよ!?
思わず上げそうになる頭をこらえてジャクソンは歯噛みをする。
同時にギィグは良く人語を解するようになっている事を思い出し、そっと視線を送った。
ギィグはランランと目を光らせるように声や足音がする方向を睨みつけている。
だが、特に行動を起こすような事はしていない。
歯を食いしばって細く、長く、息を吐いていた。
「なんだぁ? こいつ、生意気に睨みやがって!」
「反抗的な奴は躾けなきゃよ?」
「止せ!」
「でもバラディーク卿、こいつ、ずっと唸りながら睨んでるんすよ! オークの癖に生意気っす! おらっ!」
「ブギッ!」
捕らえられたオークが蹴られでもしたのだろう。
人間とは異なる声帯から苦痛の声が漏れたのがわかる。
「いい加減にしろ貴様! 第四騎士団の所属だな? 遊んでる暇はない! 急ぐんだ!」
「了解っす! おら、さっさと歩かねぇか!」
――どうなることかと思ったが、すんなりと行ってくれそうだな。
ほっとするジャクソン。
しかし、がさりと草を揺らす音に思わず目をやった。
オークのうちの一匹が立ち上がろうとしている!
しかし、そのオークの背に素早くギィグが乗り、低い小声で何事か耳打ちしている。
ジャクソンには何と言っているか理解出来ないが、声の調子から宥めているようだ。
――助かった……冷静なギィグは頼りになるな。
思わずキルンと顔を見合わせながら、ジャクソンはゆっくりと息を吐く。
そんな彼の耳にギリギリという妙な音が届いた。
傍に伏せているオークが立てる歯ぎしりの音らしい。
――頼む。こらえてくれ!
彼の願いが通じたのか、オークは怒りの形相で草むらの先を睨みつけながらも耐えてくれた。
・・・・・・・・・
7450年5月17日
夜が明ける少し前。
コルザス村から少し北に離れた洞穴で待っていたペギーとリライのところに最初の合流者が現れた。
ルーダとヘミットの二人である。
全員がほとんど着の身着のままに近い格好でザーラックスを出ていたため、盛大に鳴る腹の音に笑みを零し合う。
「明日の朝まではこのままキャラックを待ちますが、日が昇っても来ないようなら……残念ですがキャラックはウィンキビラウの手に落ちたものとしてカールムに向かいます。皆、それまではゆっくり体を休めておいてね」
ペギーの言葉に三人が頭を垂れるが……。
「しかし、大悟者様。私はともかく大悟者様ご自身、昨日の朝からお食事を取られておりません。それに、ルーダもヘミットもあれから夜通し歩いておりますから……」
「いえ、リライ様、我々は大丈夫ですのでお気になさらず」
「そうです。それより大悟者様がお食事を摂られていらっしゃらないのは問題です。コルザスまで出向けば何か手に入れられるでしょう。私が都合して参ります」
ペギーは「コルザス村の者達に私達……いえ、余所者が傍に居ることを気付かれてはなりません。ですから村で食料を調達することは駄目よ」と言って会話を止めた。
そして「僅かですが、リライと合流する前に購入したパンがあります。これを皆で分け合って頂きましょう」と微笑んだ。
・・・・・・・・・
「どこまで行くつもりだ?」
キャラックを追うフィオは独り言ちながらも付かず離れずの距離を保って慎重に追跡を続けていた。
何時間も前に登った日は、とっくに中天を通り過ぎている。
その間、小川などで一~二時間おきに少しの休憩を取るだけでキャラックは荷馬の手綱を取りながら歩き続けていた。
コース取りも街道は殆ど使っておらず、人通りが絶える時を見計らって素早く横断する程度である。
尤も、険しい山道ではなくポコポコと点在する低いお椀型の丘の間を縫うように移動しているので高低差は殆ど無いために難所などもない。
足元にさえきちんと注意を払っていれば移動自体はそう難しくなかった。
疲労を除けば。
「しかし、馬はともかくあの足腰は大したものだ」
フィオとて騎士団での訓練や冒険者としての経験から道なき道を歩くことはあったが、これほど長時間に渡って歩き続けたのはバルドゥックの迷宮くらいのものだ。
それとて、ここまで歩きにくい場所ではない。
携帯保存食の堅焼きクッキーを齧りながら「あの男、確実に騎士団か冒険者の経験があるな」と一人納得していた。
そしてまた日が暮れる頃。
やっとまともに休息を取るらしいことが見て取れた。
今までの腰を下ろす程度の簡易な休息ではなく、しっかりと馬を木に結び、寝床のようなものを作り始めたのである。
「ふふ、奴も流石に睡魔には勝てんと見える」
そう呟くフィオも必死に眠気と戦っていたのである。
おあつらえ向きに、キャラックが作った寝床を監視出来る丁度よい木の洞も見つけられた。
妻であるグレースとたった二人、冒険者として数年も郊外を巡り続けていたフィオにとって、寝過ごして対象を見失うなどということはない。
完全に眠りこけることなく、フィオは瞼を閉じた。
そして数時間。
寝床から起きたキャラックが干し肉を噛みながら馬の手綱を解いた時、フィオはとっくにそれまで休んでいた木の洞から出て、藪の中から暗闇に紛れてキャラックの背に視線を送っていた。
・・・・・・・・・
7450年5月18日
夜半過ぎ。
キャラックは遂に目的地に到着したようだ。
フィオは足音を忍ばせながら、そっと距離を取る。
木々の間から漏れる月明かりでキャラックが足を止めた傍に、二頭の馬と馬車を認めた為である。
夜目の特殊技能を使いながら息を殺して様子を窺っていると、キャラックに近づいてきた者を認めた。
「結構早かったわね」
「ああ、流石に疲れたよ」
――誰だ? 女か……確か、ルーダといったな。
「出発は日が昇ってからだから、それまで休んで。あと、何か食べ物はある?」
「ん。干し肉とパンしかないが、それなりにあるぞ」
「良かった。皆、丸一日何も食べてなかったのよ」
「丸一日って、大悟者様もか?」
「ええ」
――大悟者様? あの女もいるのか? どういうことだ?
フィオは一言も聞き漏らすまいと身を乗り出す。
用心していたので物音は立てなかった。




