第二百十二話 直感と論理
7450年5月16日
……っ!
生命感知の魔術を使い、俺から半径三〇〇m以内の生命反応をサーチする。
引っ掛かった生命反応は僅かに五つ。
手近な中でも通り過ぎた方の一つに向かって馬を走らせる。
くそっ!
空の馬車という囮に対して、見事に引っ掛かってしまった間抜けさ加減に腹が立つ。
と言っても、そういう報告だったんだから仕方がないけど。
それに、この馬車に乗っていたという二人の人物が囮だったとまではまだ確定していない。
本人たちが乗っていて、途中で馬車を囮に逃げた可能性だって否定出来ないし、部下からの報告に信を置くのであれば、むしろそう考えるべきだろう。
しかし、頭巾が残されているし、ニックはひらひらした変な服を着ていたと言っていた。
あの線の細そうな女が走行中の馬車から修道服を着たまま飛び降りることができるのかね?
出来たとしても、怪我もしないで……って、あの固有技能だ。自前で治せるか。
なんとなく、俺の直感は馬車に乗っていた二人は囮だと告げているが、そういう訳でどうにも決心がつかない。
そもそもなぜ逃げようなんて思ったのか?
何度か考えてきた事がぐるぐると頭を巡る。
あの女教祖に初めて会ったのが今日の昼だぞ?
それ以前から俺を知っていて、そうでなくとも俺に狙われてると知ってなきゃ出来ない行動じゃないか?
ましてや俺の直感を信じるなら囮なんて。
でも、それだと昼に俺と顔を合わせたという行動がわからない。
俺に狙われていると知っていて囮まで立てるくらいなら、俺とは絶対に顔を合わせてはいけない筈だ。
俺が来るとは思っていなかった?
その可能性はある。
だが、閲兵式ではヨーライズ子爵と会話をしていたようだし、どこの誰の軍隊が来るなんて知らないまま閲兵式に顔を出すかね、普通。
可能性はゼロではないだろうが、限りなくゼロに近いだろう。
あの時はお互いに転生者であるという確認をし合っただけだ。
俺が転生者であると知って、逃げた?
それも変だ。
俺はかなり前から別の世から生まれ変わってきたと公言している。
西ダートの領主が転生者であることは、もうとっくに知られているはず……とも言い切れないか。
普通に考えて生まれ変わりなど与太話以外の何物でもないし、それを真剣な顔で報告されても笑い飛ばすのが当たり前。
事実、ヨーライズ子爵は初対面の時もその話題には触れなかったし、俺の出身地を治めていたウェブドス侯爵も一言も触れなかった。
報告くらい受けていたかもしれないが、冗談だと思ってくだらない情報だとさっさと忘れたか最初から報告すらされていない可能性もある。
と、言うか、それが当然だろうな。
何にしても領土を治めている大貴族ですらそうだ。
教会とやらの構成員が上に報告する過程で「生まれ変わり」という情報については故意に握り潰していたって全く不思議ではない。
むしろ、教会内でも「教祖自身も生まれ変わり」だという情報を秘匿していたのであれば、優秀な奴程握り潰す類の情報だろう。
……って、今はこんな事考えている場合じゃない。
もうそろそろ先ほど感知した生命反応があった場所が近い。
ウラヌスが駆ける音とは異なる音がするが、こりゃハズレだな。
一匹の白毛鹿が逃げていくのが遠目に見えた。
さっきの生命反応はこいつだったと思われる。
「団長、向こうで何か動いたような」
ニックが林の奥を指さして言う。
思わずそちらに向いてしまうが、俺の目に怪しい物は何も映らなかった。
念の為にもう一度、生命感知の魔術を使ってみたが、ニックが指差す方には何もいない。
少なくとも小動物以上の大きさの生命体は別方向だ。
地魔法で大量に土を出して埋めちまおうか?
空に出して広げて落とせば……。
林の中だけに上空の視界は狭いが出来ないことはないだろう。
俺ごと埋まるのはあれだから体の前方向しか無理だろうけれど。
またもう一度、生命感知の魔術を使ってみる。
幾つか生命反応が引っ掛かった。
ええい、ままよ。
できるだけ多くの生命反応があった方向に土を伸ばす。
そして、落とした。
殺すのが目的ではない(囮は大事な情報源なので殺してしまったらいけない)ので土の高さは七〇~八〇㎝もあれば充分だろう。
それを三〇〇m四方くらいでいいかな?
レベル八の半分くらいかね?
仮に埋まった土から抜け出せたとしても移動もままならない筈だし。
そりゃっ!
ズシャアアアッという、急に大雨でも降ったかのような音を立てて土塊が林の上から降り注いだ。
予想していたような、年初のタンクール村で土塁を築いた時のように「ドォン!」と腹の底に響くような音ではない。
土の大部分は木の枝なんかに当たって滑るように落ちたからだと思う。
土の量自体は合計して二千トンも無いだろうし、広範囲に薄くしたことと、木々が邪魔になって一気に地面に落ちた訳ではないからこんなもんか。
……そして三〇分後。
追いついて来た騎士団の連中から一〇人程動員して生命反応があった場所全てを捜索した。
残りの一〇〇名は土を飛ばしていない周辺の捜索に充てる。
が、動物しか見つけられなかった。
土の処分はどうせ誰も使っていない土地だしどうでもいいが、ここで見つけられないのはまずい。
とは言え、時間的に言っても流石にもうかなり遠くまで逃げられてしまっているだろう。
逃げられた方向すら掴めないのは痛い。
何せ、囮を立てていたくらいだから、素直にバルザス村に向かっているとは思えないし。
いや、まだ馬車に乗っていた二人が囮だとまでは確定していなかったな。
ヨーライズ子爵騎士団から借りていたサミッシュ地方の地図を広げる。
本格的に夜が支配権を握ったのか、ライトの魔術を使わないと細かいところが見えない。
ちょっと変形した三角形のような土地だ。
記入されている地勢は不正確もいいところだし、村や街の位置も「だいたいそのあたり」という感じに配置されている。
街道も自領以外はあの街とこの村を結ぶ街道があるよ、というくらいしか合っていないと思われる。
その証拠に、西ダートの方なんかグィネの地図は疎か、国から貰った地図と比較しても月とスッポンで、ゾンディール、ベグリッツ、ハッシュの位置は全然違う。
あの街から見てあの街はだいたいこっちの方向、この村はだいたいこっちの方向、くらいしか合っていない。
ん?
そんな不正確な地図しか描けないくせに領境が直線ってのは解せない?
ああ、それね。
俺も王都で貴族としての教育を受け、地図を見せて貰った時に聞いたんだけど、初代ロンベルト陛下がバルドゥックの迷宮で見つけたという唯一無二と言われている魔道具で引いたんだってさ。
何でも、その魔道具は二種類が一対になっているそうで、ある地点に基礎となる魔道具を設置し、その際に方角を指定するとその方向に魔術的なビームが出るらしい。
ビームってのは俺の意訳だけど、領土省の役人は「魔力が放射される」と言っていたのであながち間違いでもないだろう。
対になった魔道具を持ってビームの上にいると、使用者には基礎からの距離とともにそれが認識できるらしい。
簡単に言うと、ある地点から見た好きな方角に対して正確に移動できるという代物なんだってさ。
使用者はほんの僅か(多分一m程度らしい)その方角上の直線から離れただけで本来のコースから外れたという事が認識できるらしいから、広大な土地を、山や谷を超えて完全な直線を引くことは訳なく出来るそうだ。
まぁ、ビームの到達半径は最大でも一〇〇㎞程度が限界らしいんだが、物凄く大量の魔石を食う上に、その質も一定以上のものが要求されるので新たな境界線を引く要件が発生しない限り、使われる事は殆どないそうだ。
ついでに、基礎地点からの高低差は測れない(方角と距離、恐らくは高低差も含めた直線距離だけしかわからないと思われる)ので正確な地勢図の作成も出来ない。
でも、トンネル掘るコースを決定し、方角を間違う事なく工事を進めるのには最高だよね。
領土省の役人は「あの魔道具のおかげで我が国の地図は正確なのです」とか自慢げに言っていたが、確かに最初に見せてもらった西ダートの地図も地勢の把握はともかくとして、記載されていた村や街の位置なんかもグィネの地図と比較してもそう大きくは離れていなかった。
こうしてみると、元々天領であった西ダートと、そうでないサミッシュとでは地図の質もかなり違うのだろうという事がよく分かる。
この分だと外国なんかもう、どうしようもないレベルの地図(昔、まだバルドゥックにいた頃、里帰りの際に購入した地図も戦国時代の日本地図みたいにそりゃあ酷いものだった)しかないのではなかろうか。
さて、俺があの馬車に乗っていたとして、追手から逃げるにはどうするか?
まずは越境を考えるだろうな。
ここ(現在地はザーラックスとケルサミッシュの間で、恐らくはザーラックス寄りだろう)からなら東に少し進んでダズール伯爵が治めるバーク地方に入り、すぐに北に向かえばローウェル子爵が治める西カンデイル地方に入ることができる。
勿論、道はないし、法的には関所破りになるが、そんなもの領境に一番近い街や村を迂回して少し先の適当な街や村に辿り着く事さえ出来ればそう簡単にはわからない。
道すら無い林や森、原野、おまけにいつどこでどんなモンスターに襲われるかも不明な土地を数十㎞も突っ切る事が可能ならば、だけど。
でもまぁ、俺やヨーライズ子爵との会食をぶっちぎってまで逃げようとしている今、そんな事を心配するかな?
しないよね。
馬車に乗っていたという二人が逃げた本命は東だろうか?
散っていた騎士団員を呼び寄せ、第四騎士団の中隊長であるアークイズに半数を指揮させてバルザスへと向かわせることにした。
なにせ、バルザスは教会の本拠地だし、麻薬畑に製造設備もある。
そして、貯め込んだ財産も保管してあるだろう。
残りの半数は俺と一緒にここから東方向への捜索をさせるべきか?
流石に、あれからかなりの時間も経過しているし既にそれなりの距離を踏破されている可能性は高いだろうが、奴らはこの夜の下、明かりすら灯すことも出来ないまま道なき道を進まざるを得ないのだろうから、捕捉できる可能性は十分にある。
それはそうと、あの二人が囮だったと仮定した場合はどうだろうか?
三角形をしたサミッシュ地方の北の頂点近くにあるザーラックス。
……貴族なら無条件で領境超えられるんだから、先程俺が考えたように、まずは隣の領土に逃げるわな。
だが、俺の記憶違いでなければ、あの女は准爵だった。
貴族といえども商会も持っていない単なる准爵だと、供の数も制限を受ける。
准爵は一応貴族の最下位ではあるが、完全な貴族とは言えないとされているからな。
実家がどんなに高位でも、例え王子だろうが軍務でもなんでもない准爵の旅なら最大でも一〇名程度が限界だろう(普通は無理やり軍務などの公務に託つけたりするし、それ以前に王子だの王女だのともなれば最悪でも下級貴族位程度は持っているので最低でも数十人はお供を同行可能だ)。
そんな事よりも最大の問題は、すぐに越境可能な隣の領土って奴が三つもあることだ。
俺ならどこへ、どうやって逃げるだろうか?
今回の女教祖の逃避行は、俺から逃げるという事が主眼に置かれていると思われる。
じゃなかったら俺や子爵との会食をぶっちぎってスタコラと逃げ出すなんておかしすぎる。
そう考えると、東にあるダズール伯爵が治めるバーク地方は外してもいいだろう。
バーク地方で一番ザーラックスに近いゲッティルトの街には西ダートから離れる北へ向かう街道はないし、北にあるローウェル子爵領へ向かう街道はゲッティルトからかなり東まで行かないと無いはずだ。
尤も、俺から出来るだけ離れようとせず、バーク地方やカンデイル地方に潜伏するつもりなら取り敢えずゲッティルトへ向かう可能性はあるだろうが……可能性としては一番低いだろうな。
次は西。
ペンライド子爵が治めるジューダンル地方。
ザーラックスから西に向かって一番近くにあるのはロイハという村だ。
この地図だと一〇㎞以上離れている感じに書かれているが……正直なところどの程度離れているかは分からない。
まぁ、五㎞以上、一五㎞以内だろうな。あんま根拠ないけど。
この地図を見るまでは俺も知らなかったが、ロイハからは北に向かう道もあるようだ。
多分、ザーラックスから北に伸びるテューラック街道が向かうザマルの街で合流するか、その傍にある村にでも向かう道だろう。
このあたりはザーラックスから見て南西に伸びるザーラックス山地からは外れているうえ、例のチョコレート・ヒルズのような妙な丘も少ないから移動はしやすい筈だ。
急いで天領に行こう、その先の外国に行こうとしないのであれば可能性は十分にある。
そして北。
俺から離れるように動くのであれば、囮とは反対側の北に向かう可能性が一番高いだろう。
ペンライド子爵領に入ってすぐに東に向かえばローウェル子爵領だし、そうでなくともそのまま北に向かうなら好きなところで天領に入る事も出来る。
ローウェル子爵領に向かわないのであれば、最短距離で広大な天領に逃げ込めるコースということだ。
また、西に向かうのと同様に領境にある関所を超える数を抑えられるから足取りも掴まれにくい。
関所破りをされたらこの考えもあまり意味ないし、この地図に記載されていない小径や獣道のような道とも呼べないような道を知っているのであればそもそも関所なんか通らないだろう。
あーあ、馬車に乗っていた二人が囮ではなくて本命だと祈るしかないな、こりゃ……。
・・・・・・・・・
「大悟者様、明かりを隠してください。到着いたしました」
リライの言葉にペギーは手にしていた明かりの魔術が掛けられていた竿を引き戻すと、荷台に被せてあった幌布に突っ込んで明かりを隠した。
突然暗くなった周囲にこわごわとした表情を浮かべて周囲に目を走らせるとリライの方を見る。
「変わった様子はない?」
狼人族であるペギーは夜目が利かないのだ。
「いえ、特には……」
馬車はコルザス村の北に広がる耕作地を見渡せる場所で停められている。
「では、私は念のためにここで待っていますので確認を……」
「は。確認次第すぐに戻りますので、一時お側を離れさせていただきます」
リライは手綱をペギーに渡すとすぐに馬車を降りて村の居留地へと走り去っていった。
・・・・・・・・・
「っ、そうですか。ありがとうございます」
ザーラックスから北に伸びるテューラック街道。
ペンライド子爵領との境にある関所まで来て聞き込みをしたリーグル伯爵騎士団の従士ラルフは決定的な証言を得た。
今日の昼過ぎ、教会の教祖で大悟者とも言われているジーベックス准爵が僅か一名の護衛を供にして、馬車で北へ向かったというのである。
ステータスも確認しているので、この関所を通ったのはジーベックス准爵本人で間違いがなさそうだ。
――昼過ぎって、もうだいぶ前じゃないか。それに、あの服なら見間違える筈もないのに、見落としたというのか?
苦虫を噛み潰したような顔で従士ラルフはザーラックスへ向けて走り出した。




