第二百十一話 後の祭り
7450年5月16日
ザーラックスの市街を抜ける頃、大悟者の服を着込んだキルンは目深に被ったフードをずらさないように気を遣いながらそっと後ろを振り返った。
なんとなく見覚えのある服を着た、中肉中背の男が付いて来ている。
また、市街地を抜けて人通りが減ったことでわかったのだが、どうやら男は腰に剣を提げてもいるようだ。
しかしながら、ある程度の距離がある上、急速に暗さを増していく空の色の為か、はっきりと断定はできない。
キルンは隣で馬車を御しているジャクソンに「付けられてるわ。多分男が一人」と小声で囁いた。
警告を受けたジャクソンも聖騎士の衣装に身を包んだまま「少し速度を上げてみる」と小声で答えると、馬の手綱を緩めて二頭の馬の間に軽く鞭を振るった。
ひゅっという風切り音と手綱が緩んだことで、馬は少し速度を上げ始めた。
この程度の速度上昇であればたとえ騎士団に捕捉されてたとしても、市街地を抜けて交通上の危険が減ったことと、今の時刻を勘案して急いでいたと言い張る事は充分に可能だ。
「……どうだ?」
小走りにならなければ追い付けない速さまで速度を上げた事で、ジャクソンは尾行者の行動がどうなったかとキルンに尋ねた。
「速度は上げてないようね。どんどん離れて……あ、畑の方に……土地持ちの従士だったのかしら?」
どうやら尾行者がいたというのはキルンの思い過ごしだったようだ。
ジャクソンは馬車の速度を落とすことなく走り続けた。
来た時と異なり人数も減っているし、元々荷物も積んでいないため、今の処荷馬の疲れは考慮しなくていい。
「念の為、明かりはもう少し我慢だ。それに、もうちょっと速度を上げる」
「そうね」
一応まだ日は落ちていないため、あと数十分程度なら明かりなしでも走れるだろう。
・・・・・・・・・
一方、彼らの尾行をしているニックは、市街地を抜けた馬車が速度を上げても慌てることなく脇道に逸れた。
そして、素早く上着とズボンを脱いだ。
その下からは茶色や緑色が入り混じった、汚い染め方をされたまだら模様の衣服が現れる。
脱いだ服は小さく丸めて布袋に押し込むと、道端の植え込みに隠した。
そのまま道の脇に幾つかの石を矢印形に並べて目印をつくると姿勢を低くしたまま走り出す。
数分で馬車を遠目に収められる距離まで接近すると、今度は畑の作物や木の幹などで身を隠しながら付かず離れずの距離を保って尾行を続けた。
・・・・・・・・・
猛スピードで走る大きな軍馬に通行人たちは慌てたように道を開ける。
非常事態なんだ、すまんね。
そう思いながらも「どけえっ!」と叫びながらウラヌスを走らせる。
ザーラックスの市街を南北に通るテューラック街道を南に向かうと、聞き込みをしているデーニックを見つけた。
「やはり例の女は街の南から出たようです。少し前に教会の女が乗った南に向かう馬車を見たと複数の証言が得られました」
ふむ。
やはり南だったか。
俺はデーニックが率いていた従士達に「西にバラディークが、東にエリザが、北にラルフがいるはずだからそれぞれ捕まえてここに戻り、来るはずの騎士団と合流しろ」と命じた。
そして、デーニックには「そなたは一足先に兵舎に向かい、皆と合流しろ。そしてトリーニン准爵と小隊長二名とでヨーライズ子爵の逮捕に向かえ。残りの騎士団はアークイズに指揮をさせろ」と命じた。
デーニックは目を白黒させたが「子爵が今回の討伐の情報を漏らした疑いが強い」と言うと納得してくれた。
「但し、逮捕は子爵が配下の騎士団に教会関係者や麻薬販売者などへの罰則を布告してからにしろ。布告がされていないようなら早く出せと尻を叩くのを忘れるな」
と伝えるのも忘れていない。
また、デーニックの部下のうち余った者たちには「私は馬車を追う。そなたらも付いて来い。速度を合わせることはしないが、三十分も走れば追い付けるはずだ!」とそのまま馬に鞭を入れて南に向かう。
魔法の蹄鉄を履かせたウラヌスなら一〇分と掛からずに追い付けるだろう。
飛ぶように駆けるウラヌスの背に揺られつつ、そっと屠竜の柄に触れる。
熱くも冷たくもない柄は、いつもと同じような感触を伝えてくる。
あの女は、伯爵であり、竜殺しでもある俺自らが追手となっている事に気がついているだろうか?
・・・・・・・・・
一〇分以上も馬車を走らせ、キルンはそっと後ろを振り返った。
日はもう既に空から落ち、かなり暗くなっている。
ザーラックスの南に広がっていた耕作地もとっくに抜け、道は広葉樹に覆われた林の中に入っている。
ゆったりとカーブする街道のため、あまり遠くまで見通すことはできない。
「尾行はいないようね」
揺れる馬車の上、舌を噛まないようにキルンはジャクソンに言った。
「念の為、一度馬車を停める」
ガタゴトと大きな音を発する馬車の上では、仮に尾行者が居たとしても、その足音を捉える事も出来ないし、唯でさえ暗いのに揺れる視界では人影などそう簡単に見分けることは出来ない。
ゆっくりと速度を下げ、ジャクソンは馬車の行き脚を止めた。
キルンがすぐに飛び降り、地面に片耳を当てる。
ジャクソンも振り返って目を凝らし始めた。
……。
辺りに響くのはぶるる、という馬が息を吐く音と微風が揺らす葉音、遠くで鳴いている何かの声だけだ。
「付けられてる!」
「なに!?」
「多分一人。あと、馬が一頭ね。駆けてるわ!」
言うが早いかキルンは馬車に飛び乗り、ジャクソンは鞭を振るった。
「追いつかれそうか!?」
ほぼ空荷と言っても良い馬車は小気味よく加速し始めた。
すぐに大人が走るよりも速くなる。
「多分追いつかれるわ。あの足音は馬車を引いている音じゃなかった!」
空荷でも馬車はそれ自体がかなりの重量物だ。
馬車を引いていない馬が相手ではすぐに追い付かれてしまう事は目に見えている。
「ちっ!」
舌打ちをしたジャクソンは眉間に皺を寄せて何事か考えると、すぐに「荷台から服と金を!」とキルンに言った。
「どうするのっ!?」
「この先は蛇行してるが、しばらくは一本道だ。頭巾だけ脱いだら俺の背凭れに掛けてくれ。用意ができたら飛び降りろ! 俺もすぐに飛び降りる!」
キルンが飛び降りたのを確認すると、ジャクソンも馬に大きく鞭を入れ、次いで太腿に仕込んであったダートを引き抜くと、二頭の馬の尻に投げ付けてから飛び降りた。
仕立ての上等な聖騎士の服を汚しながら、怪我一つしていない事を確認して夕闇が迫る空の下、後方に目をやる。
数十メートルも後ろで、金の詰まった袋とぐしゃぐしゃになった服を抱えたキルンがこちらに向かって走り出しているのが見えた。
ジャクソンは大きく手を振るとすぐに林の中に飛び込む。
キルンもすぐに追いついてきたようで、後ろから藪を掻き分ける音がした。
「今の服は目立つ。あと五〇メートルは奥に行って着替えよう」
キルンが追い付いて来たのを確認してジャクソンは囁くように言った。
・・・・・・・・・
ザーラックスの耕作地を抜ける頃、前方に妙な人影を認めた。
迷彩服の出来損ないのような服を着て小走りする、多分男だ。
男は一度だけ振り返るとまた走り始めた。
すぐに追いついたので男の正体が判明した。
「団長!」
ニックだった。
ニックが走る速度にまでウラヌスのスピードを落とす。
「教会の大悟者と上等な服を着た男が馬車で……」
時間が勿体無いのでそれ以上の報告を制し「後ろに乗れ!」と命じてまたウラヌスを走らせる。
「確かだな!?」
「はい! あの服は見間違いようがありません!」
確かにあの修道服みたいなデザインの服はそうそうないから……服?
「顔は確認してないのか!?」
つい咎めるような口調になってしまったが、それも仕方がないだろう。
「申し訳ありません! 遠目で後を付けていたものですから顔までは!」
むう。確かに尾行していたのであれば顔を見るのは難しいだろう。
「……」
嫌な予感がする。
だが、今更ここまで来て取って返す訳には行かないのが辛いところだ。
今は一番可能性が高そうな、あの南に向かっている馬車を捕捉し、あの女が乗っていれば良し。
そうでなければそうでないで、バルザス村まで行って溜め込んでいるであろう麻薬や製造設備などを破壊し、捏造した証拠を元に「教会こそがデーバスの間者であった」という事を宣言するだけだ。
そのまま三~四分も馬を走らせた頃だろうか。
耕作地から林に入ってもう、二㎞以上は進んだろう。
前方からガラガラと荷の軽そうな馬車が引かれる音がしてきた。
馬車までの距離は、恐らく一〇〇メートル程度だろう。
「団長!」
「ああ、私にも聞こえている」
自分でも驚くほど冷たい声が出た。
・・・・・・・・・
林の中を数十メートル進み、ジャクソンとキルンは服を脱ぎ始めた。
「私達、教会は何も悪いことなんかしていないのに……」
修道服のスカートをたくし上げ、ワンピース状のそれを頭から引き抜いて、囁くようにキルンが言った。
「ああ、だが、大悟者様が仰られたように、後を付けられた。あれはやはり……」
「ウィンキビラウの……」
ウィンキビラウとはオースで広く知られている神で、疫病などあらゆる病を司る悪神とされている。
大悟者であるペギーは「ウィンキビラウに取り憑かれた者達から追われる事になるだろう」と語っていたのである。
そして「今バルザス村を離れている我々だけでもウィンキビラウの魔の手から逃れ、ニギワナの教えを世界に広めなければならない」と言ったのだ。
因みに、バルザス村に向かわせたキャラックという男については彼が出ていった後で「彼の信心を試す機会を与えた。私は彼が見事に試練に打ち勝って再び合流することを期待している」との説明を行っている。
キルンの隣ではジャクソンが「しかし、大主教猊下もよくウィンキビラウの手が迫っていることに気が付かれたよな」と言いながら昼間のうちに購入したズボンを穿いている。
背は低いがゴム底の高級ブーツを履いたままなので些か苦戦しているようだ。
それを横目にキルンは「流石は大主教猊下、と申し上げるべきね。新しい拠点を築き始めたのもその予感があったからかしら?」と少し大き目のズボンに足を通し、腰紐を結んでいた。
ジャクソンは「うむ。だけど村に残ってる皆はどうなっちまうんだ? わかってたのなら……」と無理矢理に足を通すことに成功させる。
「それは……でも、リライ様やイリーナ様といったパラディン方やケーミス様やクインシー様なんかの主教方も丁度バルザスから離れていたし……」
キルンがそこまで言った時。
彼女は遠くから馬蹄の音が響いてくることに気がついた。
キルンは「しっ」と言うとしゃがみながら上着に袖を通した。
ジャクソンも即座にしゃがみ込むと微動だにせず、見えもしない街道の方へと視線を送る。
北から響いてきた馬蹄の音はあっという間に彼らの前を通り過ぎ、南方へと消えていった。
「なんてぇ速さだ……ありゃあすぐに追いつかれるぞ。糞、キルン、急げ!」
と囁くジャクソンにキルンは「あんた待ちよ」と返し、金袋を肩に掛けながら立ち上がった。
「すまん。もう少し東に行ってからサンゼン香を焚こうか」
ジャクソンはそう言うと大股に歩き始めた。
――数十分後。
二人はサンゼン香を焚くのに丁度よい木の洞を見つけた。
この洞の中であれば多少火を使ったところで街道側に明かりは漏れないであろう。
キルンは最低レベルの火魔法を使ってサンゼン香と呼ばれる植物由来のペレットに火を付けた。
殆ど煙らしい煙を出さないサンゼン香なので、今が真っ昼間だったとしても彼らの居場所はそう簡単に特定されることはない。
また、香から放出される香りも非常に微弱であり、犬人族などが超嗅覚を使うかしないとまず気が付かない。
但し、魔石の粉が混ざっているためか、香りは遠くまで届く。
そして、この香りは特殊技能などなくても鼻が利く者の多いオーク達がしばしば遠隔地への連絡手段として利用していた。
果たして一時間後。
用心してサンゼン香を焚いていた木から少し離れた場所で隠れていたジャクソンとキルンの前にオークが姿を現した。
「オヨビデスカ?」
茂みの中に身を隠していたにも拘わらず、オークは碌に迷うことなくジャクソン達を目指して歩いてきた。
「あ、ああ。ギィグは居るか?」
「ギィグ、モウズゴ、スゴシ、スコシ」
「そう。なら彼が来たら話すわ」
・・・・・・・・・
……見えた!
もうかなり暗くなってる空の下、緩やかに蛇行する道の先に馬車らしきものがちらりと目に入る。
馬車はかなりの速度を出していたようだが、所詮は普通の馬車。
そよ風の蹄鉄を履かせた俺のウラヌスから逃げ切ることなど不可能だ。
だが、報告では二人乗っていたと言うし、たとえそれ以外に碌な荷物を積んでいなかったとしても、速度から見て御者は相当に腕が立つのだろう。
接近に伴ってカーブの先の馬車の御者台から布のようなものが翻るのが見えた。
思わず鑑定してしまうが、【頭巾】としか出ない。
しょうもないウィンドウを消し、なんとか頭巾の下に伸びているであろう髪の毛でも見えないものかと再度鑑定の視力で見てみるが……御者台の背板が邪魔になっているのか、肉体にまで視線が通らない。
何より揺れる馬上から揺れる馬車の一部分に視線を固定するのが難しい。
「おい、呼び掛けろ!」
ニックに命じると、「止まれ! そこの馬車、止まれーっ!」と怒鳴り始めた。
勿論その程度で止まる事はなかったが、馬車まで五〇メートル程度まで接近できたところで、ファイアーボールの魔術を使い、馬車よりも先で火の玉を爆発させる。
宵闇を引き裂くようにいきなり轟きわたる爆音。
そして瞬間的に大きな光量を発した爆炎を前に、馬車を引いていた二頭の馬が嘶きながら棹立ちになるのが見えた。
次いで、急停車に近い状態になったことで馬車の重量に負けたのか、馬車ごと倒れた。
業者台や荷台から投げだされたものは、人影は勿論、荷物すら見えない。
くっそ、やられた!
ぎりりと音が鳴るほど奥歯を噛みしめる。
しかし、一体、どこで、いつ感づかれたのか。
反省すべき点はあるだろうが、今は後回しにするしかない。




