第百六十話 シュート、
7450年2月22日
「ふうっ、ふうっ……」
土山の上でアルは大きく喘いでいる。
目の毛細血管は破れ、両方の鼻の穴から鼻血が垂れているが、彼の顔に浮かぶ表情からはそんな事には構っていられない様子が伺えた。
なお、屠竜はとっくに鞘に収まっているが、アルは勿論、モンスター達にも何らの変化はなかった。
一度使った剣の能力はキャンセルが利かないものであるらしい。
――魔力残量は……。
あれから更に二〇分程が経過しているが、アルに集まってくる魔物の数は全く減った様子を見せない。
むしろ、足が遅かったり、物理的に遠かったりした魔物が混じり合って手のつけられない状態になってしまっている。
尤も、剣の能力によるアルの脳内レーダーにプロットされている数自体は、既に当初の半数程になってはいる。
今では土山の南側斜面を登ってくる相手を中心に攻撃魔術を放っている有様だ。
空を飛ぶような、ある程度の速度を出せる魔物だけは全て叩き落としていることが救いであろうか。
そして、南側斜面からあぶれた魔物達は、土山の北側にも広がっている。
――もう四〇〇〇を切りそうなのか……あ、またレベルがあが……いやいや、鑑定は控えないと。
ここまでに二〇〇〇匹にも上るモンスターを倒してきた。
魔術に使用した魔力だけでなく、アルの固有技能である天稟の才の受動発動によって、倒したモンスターと同数の魔力が強制的に失われている。
既にアルは鑑定に使う魔力すら惜しく感じていた。
「ンなろ!」
チェインライトニングを放ち、頂上寸前にまで迫ったオークの一団を黒焦げにした。
大きな体格を誇るオークが死体となって斜面を転がり落ちる。
それによって出来た僅かな隙きで、アルは大規模な攻撃魔術のために魔力を練り始めた。
ミヅチ達から五〇m以内にまで近づき、彼女らを視界に収めた魔物達は、アルの方に気を取られながらも彼女達にも襲いかかっていたのだ。
「うらあっ!」
北側に振り向き、射程を延長したアイスコーンを放つ。
バタバタと折り重なるように倒れる魔物達。
だが、スタッグ・ライノやジャイアント・ロックリザードなど、体中に切り傷を負いながらもミヅチ達を目指し続ける魔物も残っている。
――とりあえず今は何とかしてくれ……ってか、少しでも数を減らしてくれ。
ミヅチ達を見るアルの目つきは祈るようですらある。
とは言え、ミヅチ達の周囲にも一〇〇や二〇〇どころではない大量のモンスターの死体が転がっている。
アルは振り返った。
「ふんっ!!」
ガチンと音が鳴る程に奥歯を噛み締めて精神集中を行い、新たな攻撃魔術を放つ。
ライオンの胴体に上半身が人、というなりをしたラミアの一団のど真ん中にストーンライトカタパルトが撃ち込まれる。
小型の電信柱のように大きな石の槍は、四匹のラミアを貫通し、その後ろに迫っていたコボルドやノールも団子のように貫いた。
これだけ集中してモンスターが重なっていると、無誘導の攻撃魔術でもかなりの撃破数が見込めるようになっている。
魔術弾頭こそ残っていないものの、このような凄惨な死体はいたるところに転がっており、既に斜面は足の踏み場もないと形容することすら可能だろう。
「もう一発っ!」
角度をずらして更にストーンライトカタパルトを放つ。
「ゴエッ!!」
「ギャアアアッ!!」
モンスターの断末魔が重なる。
「もひとつおまけだ、コノヤローッ!!」
そうしてまた僅かな隙きを作り出すと北に振り返る。
「っ!!」
アルは息を呑んだ。
毛の生えたマンモスのようなモンスターの一団が、居留地の北側の土壁に体当たりでもするように殺到しているところが目に入ったのだ。
・・・・・・・・・
「よし、じゃあ次はこいつを頼む! グィネはそいつを!」
高名な冒険者且つ男爵家の当主であるゼノムは、グィネだけでなく王国軍の半数を指揮して恐怖で昏倒した馬や馬車を安全そうな場所へと移動させていた。
当初はグィネとたった二人、へたりこんでいる馬の傍で無聊を託っているしかなかったが、三〇名に上る兵士と一〇頭もの軍馬が駆けつけて来てくれたからこそ出来ることだ。
近くの民家から拝借した古い毛布や布団を持ち寄り、力を合わせて倒れた馬の下に敷く。
そこに縄をかけて軍馬に引かせて避難させているのだ。
「ジャン、お前達はあっちの奴を頼む。俺達はこいつだ。行くぞ、それ!」
王国軍の隊長も残りの半数を指揮して馬の退避を行っている。
ドラゴンの退治が終わった今、貴重な足を失う訳にはいかない。
隊長はミヅチから、ドラゴン退治が終わったら領都のデバッケンにダービン村の守備隊とタンクール村再占領の為の援軍を求める伝令を送るのは当然として、残る全員で即座にタンクール村に移動した方が良いと助言されていた。
それに対し、隊長に否やはない。
何しろ、タンクール村にドラゴンが巣食っていたため、ドラゴンさえ排除出来たのならあの村はもぬけの殻になるのだ。
本格的な再占領を目指すのであれば、たとえ数十人でも先に送り込んだ方が有利なのは自明の理である。
タンクール村の周辺にはこのダービン村に駐屯する偵察部隊程度の人数しかいないことは既に判明しているのだから。
当然、デーバス王国もタンクール村の動向を探ってはいるだろうが、ドラゴンが退治された事など知る由もないだろう。
ドラゴンが棲むタンクール村は当然だが、ロンベルト王国もタンクール村に一番近いこのダービン村だけでなく、傍のゼンド村やインゲル村も住民を避難させ、駐屯する部隊も最小限の数に絞っている。
また、当たり前だがタンクール村よりも奥地にあるデーバス王国のデナン村やキンケード村に対しては危険過ぎて偵察のための斥候すら送る余裕はない。
それは、デーバス王国も大して変わらないであろうと考えられる。
よしんば、このダービン村の傍までデーバス王国の斥候が来ていたとしてもアルが剣の能力を使った時点で大量の魔物に囲まれていなければおかしい。
そういった理由から、移動のための馬は最重要戦略物資と言える。
それを理解している隊長は熱心に馬を移動させていた。
そんな折、最初に異常に気づいたのはゼノムだ。
北門の先、二〇〇m程に作られた土壁の上に動くものが見えたのである。
それは、毛の生えた何かだ。
まだ全容はわからないが、魔物に違いないとゼノムは思った。
「何だ? あれは?」
ゼノムが北の土壁を指さして傍の兵士に尋ねた。
「……!」
ゼノム同様に暫くそれを見つめていた兵士の顔色が変わった。
兵士が言うにはトロープ・オリファントという、巨大な魔物とのことであった。
オリファントは本来ツンドラ地帯に住むマンモスのようなモンスターだ。
マンモス程牙は長くないが、体高は三m近くになる凶暴なモンスターである。
その体はマンモス同様に硬い剛毛に覆われ、大きな体に見合う高い耐久力も持っている。
その魔物の頭の天辺や鼻先が壁の上からチラチラと見えている。
見える範囲で数頭はいそうだ。
まだ退避させていない馬はアルのウラヌスも入れて三頭も残っている。
「グィネ! 来たぞ!」
ゼノムが警告を飛ばした時、一頭のオリファントが壁の上に前足を掛け、巨大な上半身が姿を現した。
「隊長さんよ、馬は頼んだ!」
ゼノムは腰に提げていた魔斧の柄を掴みながら言った。
「あれは……オリファント! 閣下、あれは危険ですぞ! 退避した方が……!」
開け放たれた門の方へと進むゼノムの背に隊長が叫ぶ。
その声を聞いてゼノムが振り返った。
「退避? どこへだね? 馬の退避ならわからんでもないが、それなら今やっているところだろう?」
「し、しかし!」
「まぁ見ておけ、殺戮者の前衛がどんなもんか!」
そう言うとゼノムは再び振り返って北門から伸びる道を駆け出した。
「槍を持ってる人は一緒に来て! 私がゼノムさんの援護をしますから、魔法に集中させて下さい!」
グィネも傍の家の壁に立てかけていた魔槍を手にするとゼノムの後を追い始めた。
「く、糞! おいお前ら! 馬の退避を急げ! それからケン、ニック、ファード、リリー、バッズ、メリーは俺について来い! あの子を守るんだ!」
部下達に命令し、隊長もグィネの後を追い始める。
既に土壁の上には一頭のトロープ・オリファントが完全に登り切っており、その後ろには他のオリファントの前足や頭頂部、伸ばした鼻が見え始めている。
・・・・・・・・・
――登れんのかよ!? 二m半の高さだぞ!?
瞬間、アルは瞠目したが、すぐに振り返るとチェインライトニングの魔術を使った。
土山の南側の斜面をゴブリンやホブゴブリンの一団が登って来ていたのだ。
電撃を受け、余波のアーク光を迸らせながらホブゴブリン達が吹き飛ぶように死んでいった。
――だが、幅は四mだからな。流石に崩すことまでは出来ないか……。
そして、またもや振り返ると北に向かって左手を伸ばす。
――遠いな、畜生。
開いた掌を中心にして、瞬間的な速さで魔術光が凝集した。
「ングッ!!」
短く息を吐き出すと同時に、魔術光が散る。
距離があったからか、ストーンカノンミサイルは十分な加速を得て飛翔した。
アルの鼻孔から、またどろりとした鼻血が垂れる。
それに気を取られる様子もなく、アルは石槍の誘導を続けた。
――横から回り込ませれば……!
アルの誘導を受け、石槍は北の土壁の外周を辿るようなコースに遷移する。
残念だが土壁に乗ってしまった一頭は無視するしかない。
――おお! あんなでっかい奴でも真横からなら結構貫けるもんだな。
土壁の北側に密集していたオリファントを八頭も貫通させ、アルは満足げな顔をした。
そして、右手の甲で垂れた鼻血を拭いながらもう一度振り返った。
・・・・・・・・・
北に伸びる道を走りながら、ゼノムは苦笑いを浮かべている。
――こんな事なら俺も少しは走っておくべきだったか?
五〇歳を目前に控え、体力の衰えは著しい。
息が乱れ、心臓は早鐘を打つ。
――本当、こんなきついのはこれを最後にしてくれよ?
土壁に登っていたオリファントは降り始めている。
距離はまだ一〇〇mもあり、いかな魔法の斧とはいえ流石に射程外だ。
ちらりと後ろを振り返るとグィネを先頭に、何人かの兵士がゼノムを追うように駆けているのがわかった。
そして、ゼノムが再びオリファントを見た時。
「パギョーーーッ!」
「ピギョーーーッ!」
「プギョーーーッ!」
壁の向こうから、何頭ものオリファントが上げたであろう絶叫が聞こえた。
――ふん、世話になったようだな。あいつ一頭くらい俺達で倒せって?
土壁を降り始めたオリファントは同胞の断末魔を耳にして思わず体をビクつかせてしまったようだ。
そのためか、己の体高に近い程に高い土壁から滑るようにして地に落ちた。
起き上がろうとするオリファントまで三〇mに迫った。
ゼノムは左足を踏み切るように大地に下ろすと、右手で振り被っていた手返りの投げ斧を投擲した。
魔斧はくるくると回転しながら飛翔し、オリファントの頭蓋に突き刺さった。
それを見ないまま右に方向転換したゼノムは開いた右手を頭上に上げる。
斧はブルブルと震え、ひとりでに抜けるとまた回転しながら戻ってきてゼノムの手に収まる。
「その図体だ。あの程度じゃあ死なんだろ?」
確かにオリファントは頭部から血を噴き出しながらも立ち上がろうとしていた。
・・・・・・・・・
「ミヅチ! お父さんとグィネが!」
部隊編成によってゼノムとグィネが移動を始めたことに気づいたラルファが叫んだ。
「わかってる!」
眼の前にまで迫っていたスタッグ・ライノの角を避け、交差した瞬間、がら空きの胴体にデュロウの剣を突き込んで鎧のように硬い皮膚を切り裂きながらミヅチも叫び返す。
大物を仕留め、僅かに息をついたミヅチは周囲に目を走らせた。
――まだ余力はあるようね。もう少しいけるかな? でもゼノムさん達が向かったのは北。……という事は北の壁が破られたという事。
「おらあっ!」
ロッコが長剣を突き出している。
直後、彼の前で暴れていた大柄なリーム・ホブゴブリンが崩折れるように倒れた。
「ツエエィッ!」
その隣ではトリスが炎の剣を振るい、別の一匹に致命傷を与えている。
「くっそがぁっ!」
黒黄玉も負けてはいない。
戦斧を振り回しながら、ズールーに並ぶ巨体のバールがオークの首を刎ねている。
「エルランド! 右のを! ヴィクトールは暫く下がりなさい!」
アンダーセンが指揮する声が響いた。
後方ではミヅチと入れ替わりに下がったズールーが、矢の尽きたベルの治癒魔術を受けている。
矮人族の転生者、ネルも怪我をしたメンバーの治療に忙しそうだ。
「みんな、あと一〇分は粘るわよ!」
返り血を浴びたままミヅチは叫んだ。




