第百五十八話 全力投球、用意
7450年2月22日
アルはブルードラゴンから剣を引き抜くと、鞘に収めず抜き身で持ったまま一度だけ居留地を振り返る。
櫓の上に誰かがいるようだが、遠すぎて顔までは分からない。
――くっ……何だこれ? 屠竜に意識が取られて使いづらいな……ミヅチと……ああ、アンダーセンか。
居留地内で【部隊編成】に加わっていないのはアンダーセンだけなので、すぐに理解できた。
再び南に向き直るとアルは死体と化したブルードラゴンの首に腰を掛けた。
――さて……どうしたものか。
ベルト以外で唯一無事だった腰の物入れからハンカチを取り出すと、少しだけ惜しそうな微妙な表情で剣に付いている血を拭き取った。
刀身は美しいエメラルドグリーンの輝きを取り戻す。
アルの脳内には一つの地図のようなものが広がっている。
地図とは言っても地形など何一つわからない。
理解できるのは、自分を中心として周囲に存在する魔物の位置がリアルタイムでプロットされる位置情報図のようなものだ。
――この速度……こいつらはドラゴンみたいに空を飛ぶモンスターか。
それは、超高精度で作動する完璧なレーダーだと言っても過言ではない。
――こいつら特に早そうなのをA群としよう。で、こいつらはB群、こっちはC群……だああっ、流石に無理か。だが、A群だけはなんとか分けられそうだ。
移動速度が突出している個体群にだけ便宜上A群と名付けた。
A群はアルの位置から見て南から二〇程度、南東から三〇程度、東から二〇程度、北東から三〇程度、北西から三〇程度の数が接近中であり、一番近距離にいて高速な東から接近してくる集団はアルの魔法の射程まであと二〇秒程度で到達すると思われた。
それらのA群を除けば、恐らく地上を移動しているであろう次の魔物との接触までにはそれなりの余裕がありそうだ。
――早く来そうなのは東と北東か。次は北西、南東、南ね。じゃあ、最初は省エネで行くか。
血に汚れたハンカチをドラゴンの死体の上に放り投げ、その場から立ち上がると東の方を向いて左手を上げた。
・・・・・・・・・
ダービン村の北部に広がる耕作地。
畑の間を通る道を二台の馬車が村の中心部にある居留地を目指して走っていた。
馬車は二台とも単なる荷馬車だが、荷馬車にしてはかなりの速度を出している。
「あいつは……ロッコか?」
先頭を行く馬車の御者台で、今走っている道の先から一人の男が走ってくるのを見て、犬人族の男が呟くように言った。
「え? ロッコ? 知り合いですか?」
手綱を握る精人族の男が返答する。
「ああ、お前は知らなかったか。ありゃロッコだ。殺戮者のメンバーだよ。何必死こいてんだ、あいつ?」
ドッグワーはガタガタと揺れ、乗り心地の悪い馬車の御者台の脇にある手すりを掴みながら答えた。
道の先から走ってくる男は、馬車の方もかなりの速度が出ていた事もあってどんどんと近づいてきている。
「おい、ロッコ!」
御者台のドッグワーが男に向かって叫んだ。
声を掛けられて軽く手を上げて応える男の顔は勿論、殺戮者に所属する一流の前衛として、バルドゥック中にその名を轟かせていたロッコである。
その距離はもう一〇mもない。
「ドラゴンは!? どうなったんだ!?」
ドッグワーは続けて問いかけた。
「ウチの大将が来たんだ。今頃はもうとっくに殺されてるに決まってるだろ! それより、お前らのリーダーはもう着いてる。村の中心にある空き地に居るはずだ!」
男は怒鳴るように早口で言うとあっというまにすれ違って走り去ってしまった。
「ちっ。とっくに斃されてるって、ドラゴンってそんなに弱いのか?」
「俺たち、何のために急いで……」
「だよな。まぁいい。速度は落さず、注意して行けよ?」
「はい……」
彼らの後続の馬車でもロッコに何か声を掛けているようだったが、御者台に座る二人は振り返らずに進むことを選択したようだ。
理由は、ドラゴンなどとうに斃されていると言ったにも拘わらず、ただならぬ様子だったロッコの顔つきと、道の先に見える居留地の北門の周辺に人影が見えたことだ。
・・・・・・・・・
南に広がる耕作地のど真ん中でドラゴンが動かなくなった。
その脇には距離が離れているため、豆粒のように小さく見える男が立っている。
「……終わったわね」
「……」
梯子を登り、櫓の見張り台に立った瞬間に見えた光景。
ここからでも見えるほどに大きな魔術弾頭が放たれたばかりか、それには誘導まで付加されていた。
そして、驚くべき事に、その強力な魔術は走りながら発射されていたとしか思えない。
それが命中し、ドラゴンが地に降りた直後、男は眼を見張るほどの高速でドラゴンに突っ込んで行った。
何をしたのか不明だが、ここから見た限りだとドラゴンが吐いた電撃のブレスすらも寸毫で躱しながら突っ込み、エメラルド・グリーンの刀身を持つ剣でドラゴンを一撃のもとに屠り去ったのだ。
それらを見て、アンダーセンは度肝を抜かれて声も出せなかった。
全長五mにもなんなんとする巨体。
それなりのダメージを受けてはいたのであろうが、まだブレス攻撃をすら行える余裕があったのは確かだ。
それでもたったの一撃でカタを付けた。
アンダーセンはその光景を見終わった後も大きく目を見開いたまま、瞬きすら忘れたかのように遠くに佇む男を見つめ続けていた。
「あれは……!」
隣で声が上がり、妙な調子の声音に思わずそちらを向いてしまった。
声の主は、彼女に続いて櫓に登ってきたあの男の妻で闇精人族だ。
ダークエルフは男とは全く異なる方向に顔を向けていた。
アンダーセンは、妻のくせにあれだけ見事な活躍を見せた主人に心を奪われていないことに僅かな不満を覚えるが、思わずその視線を追ってしまった。
そして、すぐに羞恥の感情が湧き起こるのを感じた。
男の妻が目をやっていた方向に、ゴマ粒よりも小さな点が舞うのを幾つも認めたためだ。
慌てて別の方向にも目をやる。
と、他にも幾つかの方向に空を舞う点が現れている事に気づいた。
距離が遠過ぎるので点の正体は不明だが、碌なものでない事だけは確かだろう。
「ここは危険かも知れません。先に降りておいてください」
男の妻はそう言うと腰に提げる剣の柄に手をかけた。
「すみませんが、あの魔物達がここに目をつけないとも限りません。剣を振るスペースを……」
「戦うの? ここで? 弓もなしに?」
アンダーセンには彼女が何を言っているのか俄には理解できない。
「ええ。あの人が目に入る場所に居る必要があるので」
事もなげな調子で言うダークエルフの言葉を聞いて、アンダーセンは知らず劣等感を覚える。
――あれ全部が魔物の筈……。こんな高くて狭いところに居続けたら……。
得体の知れない魔物に全身を齧られる想像が浮かぶ。
「あれ、黒黄玉でしょ? 指揮を執る人が必要なのでは?」
ダークエルフが指す北から、この居留地を目指して走ってくる馬車が目に入った。
――見ていたいけど仕方ない、か。
アンダーセンは梯子を降り始めた。
・・・・・・・・
集積所に指定されていた領主の館の地下倉庫。
「ラル、それも」
倉庫内でミヅチが使っていたライフル銃を受け取っていたベルがラルファへ右手を伸ばしながら言った。
「え? これも? 私、まだ一発も撃って……」
「いいから、早く渡して」
ラルファは渋々としながらも腰のガンベルトごと外して拳銃をベルに手渡した。
ベルの足元にある木箱には館の窓から入れられていたグィネの拳銃の他、ライフル銃が予備も含めて四丁入っている。
その上にガンベルトごとラルファの銃を収める。
――これで全部……よね?
木箱に収められた銃器類の数と、当初から用意していた数を思い起こしながらベルは蓋を閉めた。
使用済みの薬莢も薬莢受けに回収されているはずなので、ドラゴンに弾かれた弾丸部でも見つけられない限りは銃を使用した痕跡は残されていない。
ベルが地下室から上がる頃にはラルファの姿は消えていた。
恐らくは馬の様子を見に行ったゼノムの手伝いか、広場に武器を用意しているトリスの手伝いに回ったのだろう。
床に作られた地下倉庫の扉を閉め、ベルは立ち上がった。
・・・・・・・・・
東から接近してきた空を飛ぶ魔物の群れはドーライ・ハーピーの集団だった。
ハーピー族とは、人の両腕を鳥の翼に、両足も鉤爪の生えた猛禽類の足になったような凶悪な魔物である。
その中でもドーライ・ハーピーはとりわけ醜い種族として知られていた。
頭部から背中、両腕に生える羽毛は灰色を基調とし、無秩序に黒や白などが混じった汚い印象の色調であるばかりか、醜悪な老人のような嫌悪感が呼び覚まされるような顔つきの者が多い。
――喰らえ!
アルの左手から長大な石の槍が撃ち出された。
魔術弾頭は発射されると同時にアルの誘導を受け、二〇〇m程にまで接近していた者の胸を貫く。
「!!」
断末魔の絶叫すら放つことなく死体と化したハーピーは地面に落下した。
ハーピーを貫いたストーンカノンミサイルは僅かにその威力を減じられたが、進行方向を変えて別のハーピーに命中し、これも貫いた。
危険を察知してハーピーの群れが分散する。
しかし、魔術弾頭は的確な誘導を受けて次々に戦果を上げた。
そして、二三匹にも上るドーライ・ハーピーを全滅させるに至った。
――まだ行けるか?
北東を見上げるアルの目に別の集団が映る。
アルとの距離は三〇〇mを切っていた。
こちらもハーピーのようだが、先程の集団とは羽毛の色が異なる。
茶褐色系を基調としたこの群れはダネッズ・ハーピーという種族だ。
その群れに向かってストーンカノンミサイルの誘導を始めた。
――行けそうだな。
つい今しがた次々に仲間を屠られたというのに、北東から迫るハーピーの群れは一心不乱にアルを目指して飛んでくる。
その群れの右下からアルが誘導する魔術弾頭が襲いかかる。
――三匹……四匹……五匹……。
また何匹も魔術弾頭に貫かれて絶命していく。
――九匹……一〇匹……一一匹……ここまでか。
遂に威力を失ったのか、魔術弾頭は消えてしまった。
――合計三五匹かよ……一〇もMP使ってないのにすげ……って感心してる場合じゃねぇ。もう一発!
北東から接近してきたダネッズ・ハーピーの群れも全滅させた。
――さて、お次は……。
今度は北西の空を睨んだ。
・・・・・・・・・
ダービン村の北の森に駐屯していた王国軍はドラゴンが退治されたと聞いて湧き上がるような歓声を上げる。
彼らの位置からでも一度逃げ去ったドラゴンが舞い戻り、降下したところは見えていたのだ。
――いや、斃せたと言っちまったのは俺だが、こうまで喜ぶとはな……ちゃんと斃せてなきゃ吊し上げでもされそうだな、こりゃ……大丈夫だよな? まぁ、あいつに限って討ち損じはあんめぇ……。
息を切らせながらロッコは僅かに硬い表情を浮かべる。
ここまで走ってきた事による汗とは別に、背中に冷や汗まで流れるのを感じていた。
「嬉しいのは分かるがぐずぐずしないでくれ。逃げたドラゴンを呼び戻すのに……えーっと、よくわかんねぇ魔術を使ってるのは確かだ。で、それに引かれて周囲の魔物が呼び寄せられると言ってる。とんでもない量の魔物がドラゴンの周辺目掛けて移動してくるとさ」
腰の魔剣の柄頭に手を当てながら、少し慌てたようにロッコは続けた。
彼も魔剣の使い手である以上、魔法の武器の特性についての知識は持っているのだ。
「了解した。おい、すぐに移動だ!」
ロッコの要請を受けたロンベルト王国軍偵察部隊の隊長は即座に命令を下した。
部下達の何人かは馬に向かって走り、何人かは武器類を取りまとめ始めている。
流石に防具類を身に着けていない者はいなかったようで、その点についてはロッコを安心させていた。
・・・・・・・・・
――威力はともかく、流石にカノンは辛いな。旋回半径的に。
南から飛んできたソード・ビートルの群れとの距離は一〇〇mを切っている。
ソード・ビートルは頭の先端に剣のように鋭い角を生やした全長一mにも及ぶ巨大な肉食の甲虫である。
装甲のように硬い表皮を貫いて剣や弓矢で傷をつける事は非常に困難であると言われている危険な魔物だ。
――だが、一〇〇匹以上始末するのに使った魔力は三〇以下ってのは上出来だな。あいつらを始末したら速そうなのはいないし、一息つける……ちと大盤振る舞いでもしてやるか。
アルはソード・ビートルの群れに向かってフレイムアーバレストミサイルの魔術を使った。
弾頭の数は八本である。
勢いよく飛翔した炎の槍が先頭の甲虫を貫く。
今まで相手取ってきたハーピーやフォレスト・コンドルよりも素早い動きで魔術を躱そうとする甲虫だったが、威力が落ちた替わりに旋回半径もかなり小さくなったアーバレストの前に、こちらも次々に撃墜されていった。
――……ふ。一丁上がり。さて、もう飛ぶのはいないか、いても少しだけの筈だ。
脳内に展開されたままのプロット図から、アルは暫く余裕がありそうなことを理解した。
――今のうちにやっとかなきゃな……。あ、黒黄玉も来るんだった。それに王国軍も北の森に……ロッコが行ってるのか? どうすっかな……。
アルは居留地に向き直ると、建物の屋根から僅かに顔を覗かせている物見櫓を見つめた。
そこにミヅチが居るのは分かっている。
「……」
しばらくして魔術が完成した。
「ミヅチ、怪我はないか? 答えられるようなら答えてくれ」
アルが使ったのは遠話の魔術だ。
相手が見えてさえいれば普通に会話が出来る優れものと言える。
「ん。大丈夫。お疲れ様。あれで終わり?」
ミヅチの返事はアルの耳にしか届かない。
「終わりじゃない。それより、今のモンスター、お前に襲いかかってきたか?」
「ううん。でも飛んできたモンスターはこの近くを飛ばなかったし、私も身を低くして隠れてたから……」
「そうか。他の皆も目をつけられていたか?」
「正確にはわからないけど、多分大丈夫だと思う。モンスターは全部貴方を目指して飛んでたと思うし……視界に入っていたらどうなったかは……」
「わかった。見られたり距離が近かったらどうなるかわからないって事だな?」
「ええ、そうね」
アルは少しだけ黙考した。
「要点だけ言う。剣の能力を使ったんだが、パーティーゼーションみたいにモンスターの位置が分かるようになった」
「え?」
「それによると今のは空を飛べるやつだけだと思う。まだまだ腐っさるほどのモンスターが接近してきている」
「そう……」
「ああ、でも多分最初のモンスターが森から出て来るまで五分は余裕がある……と思う」
「わかったわ。何をすればいい?」
「王国軍を迎えに行ってるのはロッコだろ? 見えるか?」
アルに尋ねられてミヅチは北を向いた。
ミヅチが見るに森は静かだが、物騒な事を言われたからか不穏な気配を発しているような気もした。
「こっちに向かってはいるようだけど、まだ森の中みたい。見えないわ」
「そうか、見えたら王国軍が皆付いてきてるか教えてくれ」
「ええ。どうするの?」
「王国軍がある程度居留地に近づいたら居留地ごとそれを囲うように土塁を作る。居留地の周囲を全部見た訳じゃないから、恐らく東西あたりに綻びがあるだろうが、高さ二m以上はなんとかする」
ミヅチは北の森を見続けている。
これだけ距離がある上にミヅチはアルとは反対を向いているにも拘わらず、怒鳴りもせずに会話が可能な不思議さに笑みが浮かんでいる。
「形は?」
「俺がいる方に口を開けた円形を目指すが、さっきも言った通り、東西は微妙だ。少しでも視界が良くなるように土山を作ってそれに登って使うつもりだけど、地面とかよく見てないし限界はある。俺を目指してくるモンスターも登ったまま近づいてきた所を全力でやってやるから、誰も近づけるな」
「わかったわ……あ、ロッコが見えた。王国軍も……うん。多分皆居ると思う」
「よし。最後尾が居留地から二〇〇m以内に入ったら教えてくれ」
「ええ。あと二・三分だと思うわ」
「ん。今気がついたんだが、さっきのハーピーなんかは高速で飛んでいた上に俺の事を目の敵にしていたからお前を含めて地上とか碌に気にしていなかった可能性がある」
「それもそうね」
「だが、今近づいてきてるのは移動速度から言ってほぼ全てが地上を移動していると思われる。特に北の方から来てるモンスターなんかで阿呆なのは土塁を目にしても最短距離で俺を目指す可能性すらある」
「そうかも」
「そうなると居留地も通り抜けるはずだし、建物に隠れていてもそれを破壊しながら進んでくることすら考えられる。だから建物内部には隠れるな。場合によっては厳しい戦いになることを覚悟して魔力の無駄遣いは控えろ」
アルとミヅチが打ち合わせをしていると、王国軍で最後尾だと思われる兵士が居留地まで二〇〇mを切る場所に到達したと思われた。
「二〇〇mを切ったわ」
「わかった。もうお前もそこから降りていい。皆を頼む」
「ええ。貴方も怪我しないで」
「ああ。任せとけ。じゃあな」
アルは目の前に高さ三〇m程もある土山を作ると、一気に駆け上る。
ストーンカノンミサイルですが、無魔法LV.MAXのアルの場合、弾頭部分に9、飛ばして0.3、誘導で0.6の9.9MPの消費です。




