第百五十三話 剣の届く距離
7450年2月22日
居留地中央の広場では、避雷針の林の中で五人の男女が周囲に視線を飛ばしていた。
「あっ!!」
「あそこだ!!」
グィネとゼノムがほとんど同時に声を上げた。
彼らが指差す方にトリス達の視線も集中する。
バーン!!
銃声も響いた。
発砲したのは、どうやらベルのようだ。
既に彼女は薬莢受けを外し、銃の弾倉から空になった挿弾子を引き抜いている。
「来ます!!」
グィネが大声で警告を発する。
それによると、ドラゴンは広場に向かっているらしい。
「違う、ブレスだっ!!」
トリスは叫びながら少し離れた場所に転がった。
残りの全員は一塊になったまま林の中で身を縮める。
バリバリバリバリィッ!!
再び派手な音が轟く。
広場に向かう道の一本から青白い電撃が走る。
が、避雷針に捕らわれてそこでストップしている。
――チッ、やはりあの棒も……こりゃダメか。
ゴルゾーンドクーリは強力な武器であるブレス攻撃がほぼ完全に対策されていることを改めて理解した。
そして、再び足に力を込めると大地を蹴った。
「散れっ!!」
ゼノムが鋭い叫び声を上げ、その場に彼を残したまま全員が素早く距離を取って立ち位置を拡げた。
・・・・・・・・・
――あっちね……!
ベルが銃口を向けた方向、次いでブレスが広場に伸びて来た方を確認してミヅチは三歩だけ屋根の上を駆けて、跳んだ。
道を挟んで六mも間隔が空いていた隣の家の屋根に飛び移る。
隣の家は今までミヅチが居た領主の館とは異なり平屋建てである。
それなりの高低差があるとは言え、全部で二〇㎏近い重量のゴムプロテクターを着込み、ライフル銃や弓矢、おまけに曲刀まで身につけたフル装備だ。
恐ろしいまでの身軽さだ。
隣の屋根に飛び移ったミヅチは全くバランスを崩すことなくその屋根も駆け抜け反対側の際まで行く。
そしてそこに立てていた風見の棒を左手で掴み、身を乗り出すと下を見下ろした。
眼の前を左右に走る道の左側から真っ青なドラゴンが右手にある広場を目指して駆けて来ている。
彼女の右手にあるのは新たなクリップが装填されているライフル銃だ。
ミヅチは左手でポールを掴んだまま、右手一本で下を走るドラゴンの頭上目掛けて連続して弾丸を放つ。
バン!バン!バン!バン!バーン!
銃弾を受けたドラゴンの頭が、その度に少しずつ地面に近づく。
そして、ドラゴンの頭の上に小さな穴が五つ空……かなかった。
――やっぱそんなに甘くないか。
紡錘型をした小さな金属片が急に勢いをなくしたかのようにポトポトと落ちていった事に気が付いたのは銃弾を発射したミヅチただ一人だ。
今射撃したクリップに込められていた弾丸には、魔法武器化の魔術は掛けられていない。
ミヅチが持っていた魔法の弾丸は、最初のクリップだけだった。
ドラゴンはと言えば、頭を下げたままで突進を続けている。
ダメージを与えない攻撃にはなんの関心も払っていないかのように見える。
絶好の射撃位置だったが、ミヅチも改めて魔法の武器でないとドラゴンに傷一つ付けられない事を思い知る。
ミヅチは用をなさなくなった銃を屋根の上に放り出すと腰の剣に手をかけた。
「フッ!!」
そして、剣を引き抜きながらドラゴンの真上に跳んだ。
「ミヅチッ!?」
ドラゴンの背に跳んだミヅチを見てゼノムが叫ぶ。
ゼノムに言われるまでもなく、全員がその光景を目にしている。
ドラゴンの背中に向けて跳んだミヅチは空中で剣を抜きながら体をひねる。
狙うは首と胴の付け根、その後ろ側だ。
「ンッ!」
短く息を吐きだしながら、曲刀に弧を描かせる。
・・・・・・・・・
ダービン村の耕作地の北東に伸びる道から一騎の人馬が駆け込んできた。
立派な体躯を誇る軍馬に跨ったアルだ。
よく耕され、柔らかくて足を取られそうな畑にもかかわらず、ウラヌスは速度を弛めることさえせずに飛ぶように駆けていく。
その姿は、手入れの行き届いた競馬場を駆ける馬そのものである。
ウラヌスを操りながら、アルは一瞬だけ後ろを振り返った。
村の耕作地まで二〇〇m程直進していた道にはアンダーセンは勿論、誰一人見えない。
再び前を向くと、アルは少しでも空気抵抗を減らそうとでもするかのように上半身をウラヌスの背に付くほどに曲げた。
・・・・・・・・・
ゴルゾーンドクーリは広場に向かって思い切りブレスを吐いた。
しかし、先程屋根の上に居たヒトに向けて吐いた時と同様に、広場のあちこちに立てられた妙な金属棒に吸い込まれてしまう。
頭を振ってみても、電撃は一本の金属棒に捕らわれたまま、目標よりもかなり手前で無力化されてしまった。
尤も、中れば幸いとの色気から吐いただけなので、それを見てもゴルゾーンドクーリはさして気落ちしない。
だが、忌々しい事態であることは確かである。
即座に気持ちを切り変えると全速力で駆け出した。
咆哮が効かず、空を飛んでいても得体の知れない魔術にダメージを貰い、改めてブレスが阻まれてしまった今、彼が恃むは自らの強靭な肉体だ。
――ヒトめ! 己自ら八つ裂きに……。
その時。
頭上から雷鳴にも似た轟音が立て続けに起こった。
――グッ!?ガッ!?ゴッ!?
轟音と同時に頭頂部の辺りに連続して鋭い圧力を感じる。
圧力を受ける度に視線の高さが低くなった。
同時に轟音は例の正体不明の魔術が発する音だと悟った。
――やられ……効いてない!
そう思って走りながらも歓喜の雄叫びを上げようとした瞬間。
今まで感じたことのない妙な感じを受けた。
それは、ゾクリとするような危機感をすら伴う強烈な存在感だ。
その存在は、まるで急に背中の上の空中に現れたかのように思えた。
だが、既に走り始めている二トン近い巨体は急には止められない。
――クッ、ならもっと速く……!
更に加速すべく大地についた四本の脚に力を込める。
「ギォオオォッ!!」
しかし、背中に走った激痛に思わず叫び声を上げてしまう。
そして、それが痛みによる苦痛から来たものだと理解するよりも先に、自ら姿勢を崩した。
勿論、これ以上背後から攻撃を受けないようにするためだ。
・・・・・・・・・
「おおっ!」
「やった!」
ドラゴンの背中に斬りつけたミヅチを見て、広場から声が上がる。
ミヅチが狙ったのは首の付け根の後ろ側だが、僅かにドラゴンが加速したため、もう少し背中に近い方に狙いを移さざるを得なかった。
見事に背中の一部を大きく切り裂く事に成功したミヅチだが、狙いが外されてしまったことだけでなく、その手応えに驚愕していた。
彼女の使う魔剣は、亜神であるリルスから賜った魔法の曲刀である。
今まで出会ったどんなモンスターをも溶けかけたバターのように切り裂いてきた。
勿論ミヅチとてドラゴン相手に同じように切り裂けるものではないだろうという予想の下に、全力で斬りつけていた。
それこそ、狙い通りであれば一撃で太さ七〇㎝にも達する首、少なくともその後ろ半分くらいは切り裂いてやるつもりだった。
だが、この青いドラゴンの背中を守る表皮は彼女の予想以上に硬かったのだ。
与えた傷こそ、ドラゴンの背中を右から左へと四〇㎝程も切り裂いていた。
しかし、岩で作った板のように厚くゴツゴツとした突起のような背鰭の隙間を縫って斬り付けたにも拘わらず、その深さは僅か一〇㎝にも達していないだろう。
ドラゴンの体の大部分は腹部や翼の皮膜などを除いて、蛇や魚のように皮膚内部に発達した骨格が表に出た、いわゆる鱗に覆われている。
しかし、その頭頂部から後頭部、そして背中を通って尻尾の先にまで連なる突起周辺や前足の肘部、指を含む前肢の前腕部など、高い防御力が必要とされ、且つ攻撃にも使うような場所は皮膚が角質化したワニのような堅固な鱗に覆われている。
その下の皮膚内部には蛇や魚のような皮骨からなる鱗が埋まっており、非常に高い防御力を発揮しているのだ。
尤も、ミヅチが振るった曲刀は、その皮膚に埋まった鱗すら切り裂いている。
これは魔法の曲刀の性能もあるが、何度も繰り返されたレベルアップによって引き上げられた高い筋力はもとより、しっかりと稽古を続けていた剣技によるところも大きい。
――浅い!
とっさに風魔法を使ってドラゴンから距離を取った。
それを見越していたかのように、ベルが銃を発射する。
銃弾はミヅチが使った風魔法の影響を受けてしまったからか、それともドラゴンが姿勢を崩したためか、狙いをつけていた頭部ではなく肩に命中した。
ドラゴンは姿勢を崩したものの、その突進力は大して衰えてはいないようで、広場にいるトリス達の方へ進んできた。
当然のように彼らは抜き身の得物を構えており、その輝きは嫌でも目に入る。
「ゴアアアァァッ!!」
ドラゴンは雄叫びを上げながら避雷針の林を突っ切るように駆け込んで行く。
「天秤伍番!拾番!」
突進してくるドラゴンを受けて、即座に陣形を指示するゼノム。
この場合、ドラゴンに正対する形で盾を持つ伍番と拾番を中央に、ゼノムとラルファをその左右に配して遊撃となし、グィネが前衛の間隙を縫うように攻撃をする事を意味する。
ドラゴンとの白兵戦を見据え、ここしばらくはこの陣形を中心に訓練を重ねてきている。
トリスとロッコが前進し、左手に盾を構えた。
「何ダァッ!?」
ドラゴンは吠えながらも振り回しやすいように、今まで縮めていた翼を広げながらトリス達へと向かっている。
広げた翼の片方が、一番端に立っていた避雷針にぶつかった。
避雷針はゴムパイプを関節のようにして曲がり、翼が通り抜けると再び立ち上がって揺れた。
「やっぱ喋ってる!」
ラルファが魔法の手斧を片手に素早くロッコの右に回り込んだ。
「今更だよ!」
トリスとロッコの間ではなく、ロッコとラルファの間の少し後ろに控えながら魔法の槍を構えてグィネが答えた。
「来いオラァァァッ!」
盾に半身を隠しながらロッコがドラゴンに向かって吠えた。
だが、その姿勢は僅かに前傾し、つま先立ち。
どの方向へも素早く動けるように意識されている。
ロッコが吠えたからか、彼の斜め後ろにグィネがいるからか、ドラゴンはまずロッコに照準を合わせたようだ。
「死ネェェッ!」
ドラゴンは吠えながら真っ青な鱗に包まれた左腕を振るう。
その指先には湾曲したナイフのように長く鋭い爪が生えている。
ロッコはその軌道を見切ると、身を屈めてやり過ごしながら更に右側へと回り込んだ。
彼の動きに合わせ、グィネも魔槍を構えた姿勢を保ったまま回り込む。
初撃を躱されたドラゴンは突進する速度を緩めたが、天秤の揺動杆をへし折った形で一〇m以上も突っ込んだ。
バーン!
そこにベルが発砲した。
「グッ!」
銃弾はドラゴンの頬を貫き、牙で跳弾すると口中を切り裂いた。
だが、ドラゴンは全く怯む様子を見せず、全員が驚くほど素早い身のこなしを見せて向きを変えた。
「シュアッ!」
短い吐息と共に、距離を開けられてしまったゼノムが魔斧を投げる。
斧はくるくると回転しながら飛翔し、ドッという音を立て、ドラゴンの後肢に突き刺さった。
が、やはり先程のミヅチの攻撃のようにそれ程深くはない。
「ンガッ! オ前カッ!?」
それでも痛みを感じたのか、ドラゴンはゼノムを睨みつける。
しかし、ゼノムには向かわずに一番近くにいたグィネに向かって跳ねるようにして飛び掛かった。
グィネは落ち着いて躱し、振られてきた翼を魔槍で切り裂くという芸当まで見せながら距離を取った。
「エメロン!」
鋭い声と共に、刀身に炎を纏わせてトリスがドラゴンの右腕に魔剣を突き込む。
だが、この攻撃は爪で払われてしまう。
ドラゴンは右の翼を振ってトリスを跳ね飛ばそうとしたが、盾でカチ上げることでトリスは攻撃を躱した。
・・・・・・・・・・
「く、くそ!」
弾倉に収まっているはずの最後の一発の弾丸を発射したら、屋根から降りて援護に駆けつけるべきだ。
ズールーは焦りを感じながらドラゴンに照準を合わせている。




