第百四十七話 ヒトを知る……
7450年2月12日
――ン……明るくなったな……。
森の中にぽっかりとひらけた小さな草原の真ん中で、ゴルゾーンドクーリは目を覚ました。
大きな欠伸をしながら体を伸ばす。
巨体を誇るドラゴンが大きく動いたことで、周囲の森にいた小動物たちは一斉に逃げ出した。
――腹がペコペコだ。だが、その前に……。
かなりの空腹感を覚えていたが、それを押し殺しながらゴルゾーンドクーリは草原の周囲に立つ木から一本を選ぶと睨みつけた。
すぐにゴルゾーンドクーリの額には小さな魔術光が凝集し始める。
「……ッ!!」
僅か数秒で魔術光はパッと散り、僅かに遅れて目標の木は大きく震えた。
丈夫な幹は折れこそしなかったが、確かにボキッという木材が折損したような音がした。
ゴルゾーンドクーリはエアーバッシュの魔術が上手く働いた事に目を細める。
――んっふふ~。
のそりと体を起こし、いまダメージを与えた木の傍まで歩くと、幹に片手を当てて少し力を込めた。
バギャッ!!
派手な音を立てて樹皮が裂け、木はゆっくりと傾いた。
周囲に生い茂る木々が支えになって、完全に倒れはしなかったが、裂けた樹皮の内側の幹内部に折損が見られている。
――この魔術はモノにできたかな?
広場の周囲をよく見ると、似たように中途半端に傾いている木は何本もあった。
――よし、復讐戦だ、行くか!
広場に振り返ったゴルゾーンドクーリは翼を開く。
朝露に濡れたままの翼は宝石を散りばめたように蒼く美しく輝いた。
一振りでそれらの雫を払うと、大きく羽ばたいて北に飛んだ。
・・・・・・・・・
――ん? あれ? 変だな?
眼下に広がる村を見て、ゴルゾーンドクーリは少しだけ混乱した。
それもその筈、眼の前の村にはあれだけ破壊の限りを尽くした痕跡が全く無いのだ。
村の居留地を中心に、大量に転がっているはずの死体も無ければ、建造物も破損してない。
昨日、あれだけ暴れ回った、北の耕作地もきれいに畝が並んでいる。
――ありゃ? 間違えたか? でも、獲物が見当たらないなぁ……。
村の上空を旋回しながら若きブルードラゴンは首をひねった。
「お、おい、あれ……」
ダービン村の周囲に広がる森の中、その北部に張った簡易駐屯地ではロンベルト王国の斥候部隊が息を潜めていた。
空を飛ぶドラゴンから見つかりにくいよう、全ての天幕は広く枝を張った大きな木の下に張られている。
「おう、天幕を潰せ」
斥候部隊の隊長が指示した時には張られていたテントの大部分は支柱を外され、単なる広がった布にしか見えなくなっている。
なかなかに訓練された部隊のようだ。
「それからナッツとホーフはゼンドに、トミーとサリーはインゲルだ。貴様達、必ずこの事を伝えろ」
命じられた部隊員は出来るだけ枝の下を選んで北に向かった。
少し離れた所に馬を止めてあるのだ。
「あとは手はず通りだ。届きそうでも決して攻撃するな。気取られるなよ?」
木の裏に隠れながらゆっくりとテントを引っ張って丸めていた皆はそっと頷くことで返事に代えると、テントの始末を終えた者から周囲に散らばった。
――ん~? 間違えたかな? こっちの方じゃなかったっけ? ヒトも見当たらないし……あれぇ~?
ゴルゾーンドクーリは居留地内を注視しながらまだ首をひねっていた。
――ま、いいや、獲物もいないみたいだし、さっきのとこに戻るか……。
そう思って飛んできた方向に旋回をしようとした。
しかし、森の下でうろちょろするヒトを見てしまう。
――あ、なんだ、居るじゃんか! って……え~、少なっ!
体を捻って、たった今見かけたヒトが居た場所に向かいながら周囲を観察する。
だが、一匹の獲物も見つけることは出来なかった。
――ふっふ~ん。見逃さないよ! 腹減ってるし! あ、そうだ!
飛行しながら魔法を使ったことはない。
練習には丁度いい、とゴルゾーンドクーリは思った。
――あの木の裏のはず……。
翼を広げ、目標の木に向かって滑空しながら精神集中を始める。
ゴルゾーンドクーリの額に魔術光が凝集する。
と、急激に高度が落ちるのを感じ、慌てて魔術をキャンセルした。
魔術への精神集中のあまり、翼に力を入れて固定することが出来なくなった為である。
――と、と!! 危っぶない、危ない。
梢スレスレでなんとか上昇することに成功し、ゴルゾーンドクーリは胸を撫で下ろした。
――うーん、もっと飛ぶ高さを上げるか、気合入れる時間を短くするかしないと危ないね。もう少しだったんだけどなぁ……。ま、いっか。練習なんかまだまだ出来るんだし。
しかし、想像した通りに上手に出来なかった事に苛ついた。
――だからと言って、見逃すつもりは、無いけどね!!
そう思って大きく息を吸い込んだ。
そして……。
「ギャオオオォォン!!」
腹の底から吠えた。
「ふっ……」
「あ、あ……」
「ひ……」
直下に居て大音量でゴルゾーンドクーリの声を耳にしてしまった者も多い。
だが、大方の者は相棒として組んでいたベテランの兵士に口を塞がれ、恐怖の叫び声を上げる事はなかった。
それでも……。
「うわああっ!!」
「あわわわ……」
「お、お助けぇっ!」
何人かは腰を抜かし、みっともない叫び声を上げながら地面を這うようにしている。
――見つけた!
そのうちの数人がゴルゾーンドクーリの視界に捉えられた。
――何にしても食っとかなきゃね!
一人に狙いを定め、急降下する。
器用に翼を縮めながらも制御を失わず、木の枝をすり抜けて着地した。
すぐに這って逃げようとする男を捕まえると軽く握る。
こうすると周囲に居るヒトが何らかの反応をすると考えたためだ。
「ぎゃああっ!」
体を締め付けられ、爪が腹に食い込む痛み、死を目前にした恐怖感で男は絶叫を放った。
――ん~、相変わらず、ヒトってのはいい鳴き声をするなぁ。
腕の中で藻掻く男の後頭部を見つめながら、ゴルゾーンドクーリは心の中でニンマリとする。
少し離れた場所にはもう二・三匹、今の獲物のように地を這って逃げようとするヒトがいるだけで、他には見つからない。
――あれ? ここにはちょっとしかいないのか……ちぇっ。
固いばかりで食味の悪い骨部分の多い、小さな頭を引っこ抜くとバリバリと齧る。
たったいままで獲物の体を巡っていた生暖かい血液が喉を湿らせる。
筋張った筋肉を細い骨ごと噛み砕き、柔らかい内臓を啜った。
・・・・・・・・・
「ぐっ」
ちょっと離れた木の幹の裏では、隠れて音だけを聞いていた兵士が戻しそうになるのを必死で堪えていた。
嘔吐感に耐えて歯を食い縛り、ゴツゴツと膨らんだ木の瘤に隠れながらそっと様子を窺うと、気の毒な同僚は見るも無残な有様となっている。
悪魔のようなドラゴンは、最後に残った片足の足先を摘み上げると、がぶりと口に入れ、足首から先を持ったまま肉をこそげるように食べるところだった。
兵士は顔を顰め、こみ上げてくる朝食を胃袋から出さないように全神経を傾ける。
同時に、這って逃げようとしている別の同僚を見て「早く隠れろ、ノロマ!」と心中で毒づいた。
ドラゴンは殆ど骨だけになった足を放り捨てると、左右を見回した。
――ゼメル! 隠れろ! 馬鹿野郎!
固唾を呑みながら、兵士はドラゴンに尻を向けて這う同僚に念を送る。
だが、当然届くことはない。
「……っ!?」
兵士は思わず声を漏らしそうになったがすんでの所で押し込める。
ドラゴンの額に魔術光の凝集を認めたのだ。
ズバッ!
石の矢がゼメルの尻に突き刺さった。
「ギャアアアッ!! い、痛ぇぇっ!」
痛みでのたうつゼメルに向かって更に一本、ストーンアローが突き刺さる。
「うわっ! た、隊長、助けて!」
更に一本。
「ぐっ! あ……あ……たいちょ」
ゼメルが静かになった事を確認すると、ドラゴンは首を振りながらゼメルに向かって行った。
そして、物言わぬゼメルを食った。
――ち、畜生……! 怖ぇぇ……。
兵士は涙で視界を滲ませながらもドラゴンの動向を窺うのを止められなかった。
ドラゴンの移動に合わせて少しずつ自分も移動して、常に木の陰に隠れ続けるためだ。
ゼメルを食い散らかすと、ドラゴンは別の獲物を見つけたようで、全く異なる方向を向いた。
――うっ、あれは……!?
その視線を追った兵士が見たのは、やはりガクガクと震えながらも這って逃げようとする同僚だった。
――ミラベルか? 糞、どうすれば……。
飛び出してでも同僚を救おうかと逡巡する間もなく、ドラゴンは意外に素早い動きでミラベルの所に行ってしまった。
そして、傷つけないように掴み上げた。
「あああっ!」
ミラベルは引き攣り濁った叫び声を上げる。
それを見ていた誰もが瘤に隠れた兵士と同様に「食われる」と思ったが、ドラゴンはミラベルを食べなかった。
両手を使ってそっとミラベルの手足を引っ張ったりしている。
勿論、ミラベルは痛がって更に大きな声を上げている。
ひとしきりミラベルの体を確かめるように弄っていたドラゴンだったが、どういう訳か、折角手にしたミラベルに対して攻撃魔術を使ったようだ。
――あれは……ストーンアロー?
手足に何本もの石の矢を受けてミラベルは遂に絶命した。
ミラベルが完全に反応しなくなったのを確かめると、ドラゴンはまたもやおぞましい音を立ててミラベルの死体を食った。
その後も何人かの兵士を弄ぶようにして殺し、食ったあとでドラゴンはやっと飛び去って行った。
五〇名いた斥候部隊は一〇名もの犠牲者を出してしまった。
半数近くの二〇名は元々タンクール村に張り付けていたし、伝令として四名を送り出していたので待機していたうち、四割がやられてしまった勘定である。
この場に残りつつも生き残った者はドラゴンが去った後も一〇分以上、身動ぎ一つ出来なかった。
・・・・・・・・・
――いやぁ、細っこいヒトもあれだけ食えば腹も膨れるね……。
幾らゴルゾーンドクーリが五mもの巨躯を誇っているとはいえ、一〇匹も食えば腹もパンパンである。
――こっちかな? あ、あの石、見たことがあるような……無いような?
もと来た方へ飛びながら、ゴルゾーンドクーリは先日煮え湯を飲まされたヒトの群れがいた筈の開けた場所を探していた。
――今度は魔法も使えるし、沢山……そう、沢山殺して、あのキラキラも……。
心の中で、これから行えるであろう虐殺に思いを馳せる。
ちょっと考えるだけでうきうきわくわくとして、少しだけ楽しくなった。
――本当、あの寝床をちゃんと作んないとなぁ。
昨日からこっち、傷を癒やし、魔術の練習をしながら休んだ広場の寝心地はちっとも良くなかった。
生まれたばかりの頃はもっと悪い寝心地の場所で寝ていたように思うが、今更あのような悪い環境に戻ることなど出来はしない。
――ん?
前方の森に何か見えた気がする。
少し高度を上げてみる。
――あれは……!
上機嫌になりかけていたゴルゾーンドクーリの貌に凶相が浮かんだ。
彼の視線には、タンクール村で休息の陣を張るデーバス王国軍が映っていた。
・・・・・・・・
7450年2月13日
夕刻。
「そう、ダービン村に……」
ドラゴンについての情報を持ってきたロッコに頷きかけながら、ミヅチはその尖った顎に手を当てて黙考した。
ロッコはデバッケンで営業する騎士団御用達の店で網を張り、情報を得たのだ。
昨日の朝、ダービン村に残ってドラゴンの動向を探っていた斥候部隊が襲われたとの情報は、昨晩の夜遅くには齎されていたが、それがロッコの耳に入るまでには僅か一日も開きがない。
驚異的な情報収集能力だと言える。
「うん。それで、その後は斥候部隊を見つけて魔法まで使って暴れたんだって」
「一〇人も殺されちゃったって……」
ロッコとは別の店で食事をしていただけのラルとグィネも重要な情報を掴んできたようだ。
彼女らもロッコに負けず劣らず噂話の収集に余念がなかったようだ。
因みに飲酒はしていない。
「ミヅチさん、アルさんはまだ遠すぎる。行きましょう」
「そうです、行くべきです」
齎された情報を聞いて、トリスとベルは口を揃えて言った。
だが、ミヅチは眉根を寄せて、テーブルに広げた地図を睨んで考え込んだままだ。
グィネが作成した地図にはタンクール村や油井、ダービン村、ゼンド村などがその位置関係や道中の目印と共に書き込まれている。
「ん~、ダービン村とタンクール村の間の『油田』は確保しておきたいよねぇ……」
「……そうだけど、ドラゴンだよ?」
腕を組んだまましたり顔で言うラルにグィネは同調しない。
「ゼノムさん、どう思います?」
ミヅチはゼノムに意見を尋ねた。
「ここはアルの領地じゃないからなんともなぁ……」
ゼノムも額に深い皺を刻んだまま渋い声で答える。
――待つべきか……行くべきか……油田を荒らされるとアルは困るだろうなぁ……。
うんうん唸りながらもミヅチは顎に当てていた手を下ろす。
「決めたわ」
テーブルを囲む皆を見回して口を開く。
ミヅチの目には冷たい光が宿っていた。




