第百三十九話 育てる
7450年1月16日
日没。
それと同時に小休止をした。
グィネによるとウィードの農地まであと僅か、二㎞程だという。
かなり近距離まで到達しているのだが、完全に日が落ちてしまって流石に足元が覚束なくなったために、ここでの小休止は仕方がないのだ。
月は出ているがその位置はまだまだ低いから足元なんか真っ暗闇に近くて危ないからね。
小休止の間に、俺は適当な石ころを八個拾うと、それに効果時間を延長したライトの魔術を掛けた。
日が落ちてからは馬車の前方に三個、後方に一つ明かりを灯し、軍馬のうち半数に当たる四頭のお尻の辺りに明かりを灯す事で全体の明かりを確保するのである。
当然、前方を照らすことが可能な馬車は全隊の先頭を行く事になる。
隊列の順序は少し変だが、サーチライトのように明かりを収束して一方向をある程度の距離で照らすことが可能なブルズアイランタンがないから仕方がない。
普通のランタンはあるが、どちらにしてもライトを掛けた石を内部で固定できない以上、石を目の粗い網に入れて吊るすより他はないのだ。
明かりの用意を整えて再出発する。
だく足くらいの速度なので三〇分と掛からずにウィードの市街に入れる。
ウィードの市街地に入ると、殆どの店は既に閉まった後で、少し高級な飯屋や居酒屋にしか明かりは灯っていなかった。
後は建物の窓の隙間から漏れる弱い明かりくらいしかないので、日が暮れた後の街並みは本当に暗い。
まだ今日の移動時間はあと一時間くらい残っているので、今日はここに泊まることはしない。
なお、当然と言えば当然なんだろうが、ラルファとグィネはウィードに自宅がある。
今は騎士団の従士であるホワイトフレイムだって、ゼノムに挨拶したがっているフシも見えている。
今進んでいるバーラル街道はウィード市街の南地区を東西に横切っているのだが、ここからちょっと移動するだけでウィードの領主であるファイアフリード家の屋敷に行ける。
昨晩妄想していた中で「ラルファとグィネの二人とはウィードで別れてすぐに残っている検地に取り掛からせる」というものがあったが、あれは現実的ではない。
彼女らに同行させるマールとリンビーはべグリッツに居るし、検地の手伝いをする矮人族の女奴隷たちもべグリッツにいるからだ。
時計の魔道具で時刻を確認するとまだ一七時を少し回ったくらいだ。
「おい、どうした?」
とある十字路の手前から馬車が速度を緩め始めたので、御者台の脇に行くと尋ねた。
今の御者当番はホワイトフレイムだが、まさかな?
「え? あ、ファイアフリード閣下にご挨拶……」
そのまさかだった。
「いい。訓練中だ」
そう言うと残念そうな顔つきになった。
「了解しました」
ホワイトフレイムは謹厳な顔つきに戻ると再び馬車を加速させ、十字路を直進する。
「あれ? 家は今の道だよ?」
すると、ラルファが寄って来て意外そうな顔と声で言う。
本人は親切に道を教えているつもりなのだろう。
「訓練中だぞ? 寄る訳無いだろ。それにまだ移動時間は一時間残ってる」
「え゛?」
俺の返事を聞いて、ラルファは嫌そうな顔になる。
「今日も野営……?」
「訓練中だからな」
「あの、アルさん。あの店、鳥料理が美味しいんですけど……」
いつの間にやらグィネも俺の側に来ると声を掛けてきた。
こいつは……旨い料理があると言えば俺が心変わりでもすんのかと思ってんのかね?
「訓練中だぞ? 寄る訳無いだろ。それにまだ移動時間は一時間残ってる」
ラルファに言ったのと全く同じ言葉を返してやった。
「今日も『乾パン』ですか……」
グィネの様子だと、俺の心変わりがどうこうではなくて、単に己がまともな食事に未練たらたらだったようだ。
しょうがねぇな、こいつらは……。
「俺だって柔らかい布団で寝たい。旨いものを食いたい。でもあと一時間、今のペースを保って進むぞ。今日はそこで野営する」
ラルファとグィネは揃って絶望したような表情になったが、すぐに不満そうな表情になった。
「そんな顔が出来るならまだ元気がある証拠だ。我慢しろ」
話している間に飯屋や居酒屋のあるエリアを抜けてしまった。
・・・・・・・・・
7450年1月17日
昼前にミード村に到着した。
今回はずっとだく足までの速度しか出さなかったからそれなりに時間がかかったけど、ウィードからミードまで四〇㎞もある事を考えると僅か五時間での踏破と言うのはやっぱり驚異的な速度だ。
因みに、鉄道路線はこの一〇日間でしっかりと一・五㎞程延びていた。
これは、ズールーを抜いても大丈夫という証明になるし、今までズールーが監督していた内容について、しっかりと後任に受け継がれているという証左でもある。
仕事というのは、誰かが抜けて一気に能率が落ちてしまうことが一番良くない。
特定の個人におんぶにだっこだったという事だからね。
組織の管理職にとって一番大切な事は、適切に仕事を割り振ったり、職場の雰囲気を良くしたりして集団の効率を上げる事ではない。
勿論、職域についての知識や技術を高め、優れた働き手になる事でもない。
それはそれで非常に大切だが、一番じゃない。
それらは、集団のリーダーになる前に身につけておくべき事だからだ。
一番大切で、何よりも優先しなければならない事は、それが出来る自分の後継者を育てる事だ。
まぁこれは、一番難しい仕事でもあるから一朝一夕には行かない事が多いんだけど。
だが、ズールーは僅かな時間で見事に俺の期待に応えてくれたようだ。
取りも直さず、俺が一番期待していた部分について充分に理解していたという事に他ならない。
ズールーの様子を窺うと、ホッとしたような表情を浮かべていた。
目が合ったのでニヤリと笑って頷いてやると嬉しそうな顔になった。
ホッとしていたあたり、三十路も見えてきたとは言え、まだ二十代。可愛いとこあんな。
「よし、ミード村で小休止だ。一四時にはべグリッツに着きたいから昼食は休憩中に各自で済ませておけ」
鉄道路線の工事を行っている脇を通りながら宣言した。
そして一四時。
べグリッツの外れにある騎士団本部に到着した。
「よし。皆、大きな怪我人も出さずに無事に視察を終えたこと、本当にご苦労だった……」
とか何とか言っているうちに留守を守っていた団員たちが集まってきた。
当初の予定よりもかなり早い帰還に驚いているような顔も見える。
馬車やバリュートたちの馬に履かせていたそよ風の蹄鉄を回収し、多数の団員が集まってきていることを確認する。
「さて皆。少し早いが紹介する……おいラルファ、グィネ」
もそっと近う寄れ。
「知っている者もいるだろうが、まずこちらのヒュームの女性はウィードの太守、ファイアフリード男爵の娘でラルファ・ファイアフリードという。おい、挨拶しろ」
突然の紹介だったがラルファは卒なく挨拶をした。
「それからこちらのドワーフの女性は同じくファイアフリード男爵の従士のグリネール・アクダムだ」
グィネは俺に促される前に挨拶をした。
「彼女たちは三月から揃って我が騎士団に入団する。温かく迎えてほしい」
そう言うとラルファとグィネは少し意外そうな顔をしたが、その場では何も言わずに素直に宜しくと頭を下げた。
入団時期については今初めて言ったから、その点については少し驚いたのだろうが、騎士団への入団についてはかなり前から話していたので「その時が来たか」という感想なのかもしれない。
「なお、階級は当然最下級の従士からだ――」
ええっと、王国軍的に正式には……騎士候補の従士なので第七位階第三位だったっけな?
リーグル騎士団のようなド田舎の郷士騎士団ではあまり意識される事はないので知らないか、忘れている奴も多い。
因みに俺の王国軍内での正式な階級は第三位階第四位だ。
感覚的には三佐の階級って感じかね?
指揮する人数も自衛隊の中隊くらいだから相応かな?
「――だが、この二人を舐めない方がいいぞ? 特にファイアフリード准爵の方は、魔法抜きの模擬戦なら私やミヅチも負けたことがある」
まぁ、何年も前に一回か二回くらいだけど、嘘じゃない。
勝率にすれば〇・一%に満たないと思うけどな。
だけど、少し訝しげな視線が混じっているのが気になった。
大多数は納得げなんだけどね。
理由を聞いてみるとラルファは以前、バリュートと模擬戦をして一本も入れられずに負けた事があるという。
正直に言って、そんな馬鹿な、だ。
確かにバリュートはかなりやる方だが、ラルファが一本も入れられないとは信じられない。
「まぁ、団長と一緒に迷宮探索をしていたお仲間だったとお聞きしておりましたので、どれ程のものかと恐れてはいたのですが……」
バリュートは余裕綽々の様子で言っている。
今回の視察行の間、バリュートはラルファに対して余裕のある態度で接していたのはこれか。
『おい、手ぇ抜いたのか? どういうことだ?』
無表情で隣に立つラルファに小声で尋ねた。
『斧使えなかったから……』
あぁ、そういうことか。
なら納得だわ。
軍隊は統一行動が基本なので斧を標準装備している部隊でもない限り剣や槍になる。
バリュートとの模擬戦の後、斧を使ってミヅチといい勝負をしたらしいが、バリュートにしてみればラルファとミヅチの模擬戦はエキシビション・マッチ的な感覚だったのだろう。
その通りだとは思うけど。
「バリュート。余裕なのはいいが、本当の実力を見誤まる事のないようにな? 戦場で相手が剣だとか斧だとか文句は言えないんだから……」
別にラルファを擁護するつもりで言った訳ではない。
「従士のうちは統一行動を学んで貰う必要もあるから別だが、ファイアフリード准爵も騎士になれば斧を使うことを許すし、従士ホワイトフレイムたち新入り連中だって昇級して騎士になれば長柄武器を許す」
今のリーグル伯爵騎士団には騎兵だけで構成された部隊を作る余裕はないので、騎士は全員が歩兵部隊の指揮官となるのだ。
従って、武装の統一が大切なのは歩兵までである、と個人的に解釈している。
尤も、将来は騎兵部隊も作るつもりだけど、その頃にはホワイトフレイム以下の旧煉獄の炎の連中はファイアフリード家に仕えているだろうし、ラルファも自前の騎士団を指揮している筈だ。
そうなった時、下っ端の歩兵たちがどんな気持ちでいるのか、どういう行動を得意として、どういう行動が苦手なのか、実感として肌で知っておいて貰う必要があるから従士からスタートさせているだけだ。
それに伴って冒険者時代の得意武器を禁止しているに過ぎないのである。
まぁ、本当は歩兵の指揮官である騎士だろうが、臨時に騎兵部隊を組織する可能性がある以上、統一された武装である方が望ましい。
だけど、元々一流の冒険者だった人物がそのレベルになったのであれば得意な武器を使った方が役に立つ。
先頭で活躍すれば部隊の士気も、本人の士気も上がるだろうし。
「それに、ファイアフリード准爵同様、アクダムだってそうそう引けは取らない。恐らく、彼女の突きを余裕を持っていなせる者はそう多くはないだろう」
さて、つまんない話はそろそろ止めにしたい。
俺には愛する妻が待っているのだ。
・・・・・・・・・
バルドゥックの迷宮内、その第五層。
「グールが六よ! ヴィックス、ネル! 対応!」
冒険者、黒黄玉のリーダー、レッド・アンダーセンの声が部屋に木霊する。
「おう!」
「はい!」
リーダーに命じられたメンバーは、それぞれガーゴイルとの戦闘から抜けると召喚されてきたグールの群れへと走り出した。
「うぉらぁ!」
ヴィックスと呼ばれた犬人族の男が戦棍を振り回して先頭のグールを牽制する。
その間にネルと呼ばれたノームの女はグールの群れに左手を向けて精神集中を始めた。
彼らの後方では他のメンバーがガーゴイルを相手に奮戦している。
……程なくして戦闘は終わった。
部屋には四体のガーゴイルの死体が転がり、元々無残な様相だったオーキッシュグールも六体全てが動かなくなっている。
対して黒黄玉に犠牲者は無い。
僅かに一人がグールの攻撃を食らったのみだ。
その攻撃の当たりどころが悪かったのか、麻痺させられてしまった以外は数人が掠り傷のような軽傷を負ったに留まっている。
「ネル、ロールの麻痺を看てやれる……?」
アンダーセンがネルに麻痺させられたメンバーの回復を命じた。
「は、はい……でも……」
ネルは解麻痺の魔術について、完全に自分のものにはしていないのだ。
「もう魔力がきつくなってきた?」
「い、いえ、まだ行けます。でも、まだ慣れてないので時間が……」
ネルは魔術への集中を行っている間の襲撃を心配しているようだ。
「時間は幾ら掛かってもいいわ」
「は、はい……」
「周囲の警戒は私達がするから、安心して」
アンダーセンには、ネルはまだ何かを不安に思っているように見える。
――解麻痺を使う自信がない? もう見せたでしょうに……。
そう思うアンダーセンだが、ネルが不安を感じる事については無理もないとも思っている。
何しろネルが解麻痺の魔術を使うことが出来る魔術レベルになったのはつい一昨日の事なのだ。
一昨日の夜、水魔法のレベルが上がった事に気がついたネルがそれをアンダーセンに報告すると、アンダーセンは殊の外喜んだ。
ネルが加入するまで水と地魔法、そして無魔法の特殊技能を持ち、その全てが四レベルを超えていたのはリーダーのアンダーセンただ一人であったからである。
その彼女も戦闘の指揮を執る都合上、限りある魔力はどうしても要所で攻撃魔術に注ぎ込みたかったのだ。
しかしながら、ネルはこのパーティーに参加する以前に、何度となくデーバス王国のベンケリシュの迷宮に潜っていた経験がある。
そして、解麻痺の魔術もその当時に所属していた冒険者の魔術師が使っているのを何度か見ていたうえ、昨日はアンダーセンが使うところも間近で見せて貰っていた。
それを知っているアンダーセンにしてみれば、魔術の失敗について尻込みするネルには苛つくところもある。
何せ、解麻痺の魔術を失敗したくらいでは黒黄玉というベテラン揃いのパーティーにとって致命的な事など発生しないのだから。
――気が利くし、いい子なんだけど……。魔力も私よりは多いらしい癖に怖がりな質よね。
「魔法を使う間、しっかり見張ってるから。それとも、まだお手本が見たいの?」
「いえ……や、やってみます」
「大丈夫。ネルならきっと出来るわ」
自信がなさそうなネルの様子を見て、アンダーセンは彼女が安心出来るように優しく微笑みかけながら言った。
アンダーセンにしてみればネルが使うことの出来る魔術を増やすため、練習の機会があれば逃したくはないのだ。
そのため、ネルが早く魔術を使いこなせるようになるためには多少の危険は仕方ないと割り切っている。
とは言え、既に部屋の主を倒しているので、部屋の外から魔物が入り込まないよう警戒するだけなので大した危険はないのだが。
ネルは地に倒れたままのロールの脇に座ると、むき出しだったロールの二の腕に触れ、精神集中を始めた。
――さて。ネルには頑張って貰わないと……でも、あいつの紹介だけあって大したものだわ。
アンダーセンはネルの魔力が一般的な魔術師よりも多いであろうことには最初から期待していた。
何しろ、普通ではない男からの紹介なのだ。
期待するなと言う方が無理だった。
実際、一般的な目で見るとネルは相当に優秀な魔術師である。
ネルの紹介者の戦闘をアンダーセンは何度か間近で見たことがある。
――別の世界から生まれ変わった男……か。
その男が繰り広げた戦闘には何から何まで度肝を抜かれた。
アンダーセンの目の前でネルは集中を続けている。
――そう言えば、糞親父が……。
アンダーセンは新年早々に王宮から呼び出され、王宮の主からある事を聞かされていた。




