第百三十一話 魔の胎動
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ダービン村から暫定国境沿いを西北西に二〇㎞ほど移動すると、直径数㎞にも及ぶセルヴォンヌという名の湖がある。
湖の北岸はロンベルト領、南岸はデーバス領という事になっている。
その湖には小さな島がある。
セルヴォンヌ湖に浮かぶのはその島一つだけなので、特に定まった名はない。
単に島とだけ呼ばれている。
が、近隣でその島を知らない者はいない。
一昔前、その島では後に伝説となるような戦いがあった。
ベルゴーフロクティと呼ばれる悪の化身のような緑竜と、蒼炎を名乗る勇敢な冒険者集団の間で発生した戦闘だ。
戦いは数日間にも及んだと伝えられている。
ブルー・フレイムは勇敢に戦い、多くの犠牲者を出しながらもどうにか緑竜の打倒に成功した。
証拠である魔石も持ち帰られており、現在その魔石はデーバス王国の宝物庫に鎮座していると言われている。
因みに、魔石は二つだとも三つだとも伝わっているが、公開されていないため詳細は不明だ。
また、誰にも知られていないが、ベルゴーフロクティはブルー・フレイムに斃される少し前に、ダート平原に幾つかある湿地帯の一つに卵を産んでいた。
産卵直後の、体力が落ちて弱っている時期だったことがベルゴーフロクティが倒された大きな要因だったと評することも出来るだろう。
それはそうとして、オースに存在する竜種の数は非常に少ない。
そのため、大抵の竜種の雌は、一度性交したら体内にある特殊な器官に雄の精液を劣化することなく保存しておける。
性交後、好きなときに受精して産卵することが可能なのである。
一度に産卵する数は十数個。
一生のうちで合計一〇回くらいは産卵するが、その殆どが成体にまで成長することはない。
その原因は、子育てをしないことと、共食いである。
しかしながら、ドラゴンにも親の愛はあるらしく、一箇所にまとめて複数個を産み落とすことは稀である。
と、言っても卵と卵の距離は数十m程度しか離れていない事が多いのだが……。
産卵された竜の卵が孵化するまでに必要な時間は卵毎に異なる。
比較的短いとされる黒竜で百数十年、最長の金竜で二百年程の歳月を必要とする。
親となるドラゴンは卵の産み分けは出来ないのだ。
産み分けは出来ないが、金属の表皮を持つものが生まれる可能性はかなり低く、産み落とされた卵には一頭も含まれていないことも多い。
そして今、ダービン村の南西の方にある湿地の泥濘の奥深く。
一つの卵が小さく揺れた。
揺れは一定の速度を保ち、だんだん大きくなる。
振動により、卵の周囲を覆っていた泥の中に含まれていた気泡が繋がり続け、卵の周りには僅かな空間が生まれた。
それでも振動は収まらず、空間は新たな気泡を取り込んで段々と大きくなる。
既に卵の周囲数㎝は何もない空間と言っても良い。
するとどうだろう。
卵は振動するのを止めた。
ピシリ……。
卵の殻にヒビが入る。
ヒビは少しずつ大きくなり、ある程度大きなものになった時、中で何か気体が発生するような音がしたかと思うと小さな欠片が欠け落ちた。
数時間後、卵の中で再び気体が発生する。
それとともに欠片が落ちた穴の周囲から小さな欠片がぽろぽろと剥離するように落ち始めた。
何度かそれを繰り返して穴は段々と大きくなり、ついに内側から猛禽類のような鋭く曲がった爪の先が覗く。
爪は穴の縁を引っ掻いて更に大きくした。
そしてついにベルゴーフロクティの産んだ卵は孵化に成功した。
雛鳥のような小さなドラゴンは、美しい緑色の鱗と金色に輝く瞳を持っていた。
どちらも悪鬼と畏れられたベルゴーフロクティが生まれた時と全く同じ色である。
ドラゴンは殻を破ると同時に泥を掻き分け始める。
本能で地上を目指しているのだ。
こうして体の使い方を学習し、可能であれば魔法についての学習も同時に行う事もある。
生まれたばかりのドラゴンは、何日も掛けてやっと地上に辿り着いた。
生まれて初めて日光を浴び、青空を目にし、流れる水を飲んだ。
水を泳ぐ魚を食べ、草にしがみついている虫を食べた。
それらを狙って飛んできた鳥も食べてみた。
どれもこれも素晴らしく美味かった。
そして、少し大きな獲物が目についた。
――今までの奴よりも、ずっと大きいからもっと美味そうだ。
ドラゴンはそう考えた。
獲物がいる場所はここからは少し離れている。
近寄ろうにも沼地に足がとらわれてしまう。
が、すぐに背中に生えている翼を広げてみた。
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7450年1月11日
「次、あの左端の奴を狙います!」
トーニは護衛の盾兵に宣言するとそっと移動し始めた。
――遅い……ジーン様は何を手間取っておられるのか?
身を屈めて盾の後ろに隠れ、足並みを揃えて小走りをしながらトーニは不満に思っていた。
敵陣で騒ぎが起こったのが確認出来たので打って出たのだが、あれ以降、敵陣では大きな騒ぎは起こっていない。
事前に取り決めていた作戦では、ジーン達レーンの盾がロンベルト側の陣地を回り込んで、後ろ側から敵の魔術師を狙い撃つ手筈になっていたのだ。
しかし、敵陣ではそれらしい声も上がらないまま、かなりの時間が経過している。
――遅すぎる。とっくに回り込めていなきゃおかしい。
既に九発もの攻撃魔術を放っており、その結果敵兵を六名も仕留めている。
しかも、そのうちの二名は魔術師だと思われるし、うち一名は黒染の金属鎧を着ていた。
個人の戦果としては非常に大きな武勲だ。
――流石にそろそろ限界だぞ……。
トーニは一般の魔術師よりもずっと多くの魔力を保有しているが、それでも残りはとっくに半分を切っている。
魔術弾頭の速度を上げるために、かなり魔力を込めていたからだ。
さらに悪いことに、あまりにも活躍しすぎたために悪目立ちしてしまっており、壁上の敵兵はトーニを目の敵にし始めている。
このあたりが戦場経験の少なさと功を上げようとする若さの発露なのだが、素直で一本気な性格の彼がそれを理解するには最低でもあと十年は必要だろう。
いい加減に戻るべきだ。
わかってはいるが、ジーン達から目を逸らすのが彼の役目であるからして、敵陣後方からの狙撃が行われない限りは戻るに戻れない。
・・・・・・・・・
「報告ご苦労」
バリュートとデーニックの帰陣の報告を受けて、司令官のファイアブレイズ士爵が答えた。
二人は、アルが仕留めた敵兵二名の遺体をここまで運んで来ていた。
「その死体は?」
「グリード閣下が討ち取られたデーバスの魔術師です」
敵に与する魔術師の撃破は大きな戦果であり、死んでいても通常より大きな褒賞の対象になる。
もしも生きて捕らえたのであれば、その金額は何倍にもなるのだ。
従って、戦闘で仕留めた敵の魔術師は死体でも己の戦果の証拠となるので、持ち帰る者は多い。
「双方とも奴隷ですが、デーバスの宮廷魔術師、ゲグラン男爵家が所有する奴隷です……お検め下さい」
宮廷魔術師が所有する奴隷と言っても、必ずしも魔法が使えるとは限らない。
二人の報告によると、デーバスの魔術師は六人もいて、その全てをリーグル伯爵が仕留めたとの事だった。
興味をそそられたファイアブレイズ士爵が遺体のステータスを確認すると、両名とも複数の元素魔法の技能を持っていた。
「……確かに魔法が使えたようだな。元は奴隷じゃなかったのかも知れんが……まだ若造とは言え、戦場に出てくるほどの魔術師をたった一人で六人も全滅させるとは……ううむ」
二人の報告では北の森で警戒待機中に近傍で起きた戦闘を察知したために、援護若しくは邀撃に向かったものの、到着した時には丁度リーグル伯爵が六人全員を倒した所だったという。
「それと、団ちょ、伯爵が仰るにはあのあたりにはもう敵兵はいないとのことです。こちらで戦闘が開始されたため、伯爵の命により我らだけ先に帰陣した次第でありまして……」
彼らだけが先に戻ったのは戦闘に突入した陣の援護をさせるため、殺した二名だけ彼らに預けて先行するよう命じられたからであった。
リーグル伯爵ともう一人の騎士は残りの四名を捕らえるか、止めを刺した後に戻るという。
「そうか。伯爵がそう仰ったか……」
報告を受けたファイアブレイズ士爵は薄笑いを浮かべた。
――あれだけ敵の気配察知に長けた伯爵の断言だ。……ならば後顧の憂いはないと考えてもいいか。
心配事が一つ取り除かれたと思ったのだ。
だが、ファイアブレイズ士爵はすぐに思い直し、暫しの間黙考する。
――魔術師以外の援軍は来ないのか……?
普通ならそれなりの数の援軍が送られて来なければおかしい。
しかし、近隣の村とはそれなりの距離が開いている事と、援軍の移動時間を考慮して襲撃時刻を調整したというバルミッシュ士爵の言葉を思い出す。
「わかった。急いで駆けつけてくれたところをすまんが、未だ騎兵の出番はない。貴様らは壁の後ろで待機していてくれ」
二人を下がらせたファイアブレイズ士爵は戦況を確認すべく壁に登っていた中隊長の一人を呼んで確認したが、大きな変化は無いままだったため、北側の警戒に向かわせた中隊から半数を戻すことにした。
・・・・・・・・・
『こいつ、どうする?』
クローは気絶したままウェッブで拘束されているメクイを指して言った。
右手には血に濡れた長剣を握っている。
『ん~、ずっと気絶してんだろ? お前が固有技能を使ってるところを見られた訳じゃないしなぁ。俺の立場上、生かしたまま捕虜にして身代金をせしめるってのが本当なんだろうが……』
アルの方も死体と化したドノヴァンをクローの軍馬に載せながら答える。
仄めかしや人物魅了の魔術は敵意を持っている相手には効果を発揮しないのだ。
国王の間者達はアルに敵意は持っていなかった。
従って、痛めつけられても吐かなかったドノヴァンから有用な情報を得るには、非常に多くの時間が必要になる。
そして、多くの時間を掛けたからと言って、必ず正確な情報が取れるとも限らない。
そう思った時点でアルにはドノヴァンを生かしておく理由などなかった。
『そうは言っても確信がないからな。俺としてはさっさと殺って安心したい』
クローは雨傘のしずくを振り落とすかのように剣を振って刃についた血を落としながら答えた。
彼の足元には事切れたソリンが転がっている。
『……しっかし、お前。さっきまで愛を囁いていたっつーのに非情だね』
その様子を見てアルは呆れたように言う。
『抜かせ。俺ぁお前に会う前にもこうして食ってたんだ。まぁ、殺しゃあしなかったが、今更だ。それにお前だって人のこと言えんのかよ? ちゃんと答えたら約束は守るとか言っておきながらしっかり殺したし』
クローは足元に転がるソリンを見ながら吐き捨てるように答えた。
が、眉間には深い皺が寄り、沈痛な表情を浮かべている。
『一つ忘れてないか? 俺は俺の質問に正直に答えたら捕虜として命だけは助ける。そうでなければこの場で殺すと言ったぞ? 今、お前が言ったように嘘吐いたりせずに正直に答えてたら生かしてたと思う。ペラペラと吐いてくれればお前の力を借りずに済んだろうしな。……俺だって無抵抗の奴を殺すなんてしたかねぇよ』
クローの誘惑に囚われたソリンが自白したため、ドノヴァンの嘘についてはすぐにバレた。
ゲグラン男爵の子供は娘であったし、黒髪黒目であった。
年齢もアル達と同じで、誕生日も一緒だった。
ついでに宮廷魔導師という新設された要職に就いている事もわかった。
『いや……だって、そいつが嘘吐いた後でもそのおっさんを治してたじゃないか……』
クローはソリン同様に死体と化したジーンを指して意外そうな顔をしている。
『確かにそうだな。だが、嘘を吐いたらすぐに殺すとまでは言っていない。俺はお前が誘惑を使うのを見るのは今回が初めてだからな。どうなるかわからなかったし、徒にその女の動揺を誘うこともなかろうと思っただけだ』
アルはジーンの側に行くとアンチマジックフィールドを使ってウェッブを解いた。
ジーンの血液が染み込んでしまったところを残してウェッブの大部分が消える。
『あー、はいはい。そういうところ、相変わらずだな』
クローの脳裏には在りし日に、クローと笑い合うこともあったベグル一味の顔が浮かぶ。
彼らは揃って犯罪者ではあったが、アルの言葉に嵌められたところもある。
『ほざけ。で、その女だが、恐らくお前が誘惑を使うところは見られてないぞ。それでも殺すか?』
アルはジーンを担ぎ上げながら尋ねた。
『ああ。魔法が使える奴隷なら身代金はかなり取れるだろうが、万が一ということもある。俺としては後腐れがないように殺しておきたいね。お前だって、今更その程度の金、どうでもいいだろ?』
クローもソリンを担ぎ上げて答える。
『そりゃまぁ、金が惜しい訳じゃない。だけど、お前らに払う遠征手当の増額も出来るしな。……分かり易いボーナスもあった方がいいだろ?』
アルはジーンをドノヴァンの上に乱暴に放り上げながら答えた。
『……それ本気で言ってるのか?』
クローはドノヴァンの隣にソリンの死体を乗せながら疑問を呈する。
『本気じゃないとでも?』
アルはメクイの方に向かいながら言った。
『ああ、本気には思えんね』
サドルバッグからロープを引き出しながらクローは即答する。
『へぇ? なぜそう思う? 理由を聞きたいね』
メクイの側まで行くと、アルは腕組みをしながら振り向いて言う。
『まずは……やはり俺の誘惑について見られた可能性は否定できないって事だな。その女が生きてデーバスに戻るとすれば、確実にご主人様の宮廷魔術師だか何だかに身代金を払って貰ったという事だろう。俺達と同じ転生者のな』
『……』
『そいつがまともに考える事の出来る脳味噌を持ってりゃ、よく無事に戻ったなで済む筈がない。子飼いの魔術師集団がどんな相手に捕らわれたのか、やられたのか聞くだろう。そうでなくともその女が報告がてら積極的に話すだろう。その時、俺の誘惑が見られていたかどうかは重要な問題だ。用心されるかも知れないからな』
『それで? 用心されたとしてお前の誘惑は防げるのか? 脇で見ていた俺にはとても無理だと思えたんだがな』
『確かにそうだ。だが、そういうことの出来る奴が相手にいる、という事を知られることと、知らないままでいる事は天地の差だ』
『なるほど』
アルは少しだけ嬉しそうな顔つきをして死体がずり落ちないように縛るクローの後ろ姿を見つめている。
『まだあるぞ?』
『ほう?』
アルは楽しそうな顔になった。
『お前の方だ』
『俺?』
『そうだ。お前、お前も知らない攻撃魔術にやられたって言ったよな? ペ、ペ、ぺンタトルーパーとかって言う』
『ペネトレーターな』
『そうそれ。手前ぇの奴隷に仕込んでたくらいだ。飼い主だって使えるだろうよ』
『まぁ、そうだろうな』
アルは肩を竦めながら答えた。
『冒険者でもないのに、奴隷にそんな特殊な攻撃魔術を仕込むような奴だ。ろくなもんじゃねぇ』
『なんでだよ? 別にいいだろ?』
アルは少し不思議そうだ。
『……ったく、トリスが遠くに行ったら俺の番かよ……』
『え? なんだって?』
『冒険者が所有する戦闘奴隷なら、まぁわからんでもない。だが、コートメ、宮廷魔術師だぞ? しかも、手前ぇの奴隷に管理者もつけずに軍隊に送り込んでるような奴だ。普通は反乱を警戒して高度な魔術なんか教えないんじゃないか?』
『そうか?』
『おいおい、とぼけんなよ。……教えるとしたら、そんな魔術なんか児戯にも等しいくらい……コート・メイジか……。そういう事なんだろうな、って事だ』
アルはクローが言わんとする所を正確に理解した。
ジーン達を所有するデーバスの転生者は王宮に勤めるほどの魔術師だ。
アル程ではないかも知れないが、非常に優れた魔術の使い手と見てまず間違いないだろう。
戦時捕虜として身代金と交換にメクイを返す、と言うのは、要するに次の事を意味する。
アルが言うところの「かなりの使い手の戦闘奴隷の集団」をたった一人で打ち負かすような者がいる、という事が知られてしまう。
どう考えてもメクイ達は手塩にかけて育てたか、物凄い大金を積んで買い揃えたかのどちらかだ。
多大な時間や金がかかっている。
大金持ちだとしても数千万から、事によったら億を超えるかもしれない金が水泡に帰してしまえば腹立たしい思いは避けられないだろう。
または、アルにとってのズールーのように、可愛がられていた可能性もある。
その場合、上記に述べた程度の思いどころの騒ぎではないだろう。
何れにしても彼らを打倒した人物、つまりアルが個人として恨まれる可能性は高い。
そして、何より重要な事は、そんな人物が自分達と同じ転生者である可能性が非常に高い、という事である。
『……それで?』
アルは楽しそうに尋ねた。
『それでって……お前にも予想くらいついているだろうに』
『レーンティア様とやらには俺の仕業と隠しようもないと思うぞ?』
『え? なんでだよ? 殺しちまったら誰がやったかなんて……』
『ん~、ロンベルト王国ってな、俺たち日本人の目から見りゃ平安時代よりゃあ多少マシ、鎌倉とか戦国期程度の国だ。それでも他の国は中世の真ん中あたり、一〇世紀とかそんなもんだ。平安時代のど真ん中程度みたいだし、それよりはずっとマシだと言えるだろう』
クローにしてみればアルは急に関係のない話を始めたように思えた。
『でも、軍制だけは結構まともなんだな、これが。階級や部隊の概念もしっかりしてる。デーバスなんて階級はそれらしい何人長ってのが片手くらいの種類しかないらしいし、兵隊は一応騎士団の指揮下に入っているらしいが、さっきの何人長の私兵みたいなもんらしい。世の時代から言ってそれが当たり前とも言えるんだろうが、そんなならず者みたいな軍隊と較べられたらロンベルトの軍人は、それだけで全員侮辱されたと思ってもおかしくはない。そんな王家直属の騎士団が論功行賞を怠るとは思えんね』
『でもさ、今回は正式に参戦した訳じゃねぇじゃん。お味噌じゃん』
クローの返事を聞いて、アルは憮然とした表情を浮かべた。
驚きを隠せていない。
意外な気持ちになっているようだ。
『……お前ね、お味噌は酷くない? 俺、結構働いたよ?』
『ん。まぁ、お味噌は酷かったな。でも、本来ならここに居なかった筈の人じゃん』
『だから? 論功行賞をちゃんとしないって理由にはならんぞ?』
『うん。そりゃそうだ。でも考えてみろよ。使える奴隷を何人も殺されたムカつく奴を調査しようってんなら……』
『今回の戦で大手柄を上げた奴なんか、簡単に調べられるだろ』
『聞けよ。そうだよ。お前の言う通り、調べるだろ。ついでに、間違った情報を掴まないように裏を取るくらいはするだろ。日本人的な常識で言っても、復讐心から言っても道理じゃないか?』
アルはちらりとメクイの方を見て、同時に鑑定した。
まだ意識を失ったままのようだ。
『……そうだろうな』
そう返事をしながら、アルは何か思い当たったのか面白そうな顔をした。
『そうしたらおかしい事にも気づくと思うぞ?』
アルとは対象的にクローの方の表情はかなり真剣だ。
『おかしい事?』
『領地からの移動時間が異常なことだ。お前だったらどう考える?』
『……』
『ちょっと調べたらすぐに分かる事だけ言うぞ。リーグル伯爵アレイン・グリードは伯爵としては新米だ。どうやらバルドゥックの迷宮ででっかいワイヴァーンを倒して、その鱗から作った魔法の鎧を献上して西ダートを治める伯爵に叙された。ついでにドラゴンを倒したという』
『……』
アルは少し口の端を吊り上げただけで黙って聞いている。
だが、同時に話し続けるクローに対して感心しているようでもあった。
『去年の年末は王都に行ってた。どうせ沢山の人に見られてるし、以前から予定されていた行動だから、こんなのちょっと調べりゃ余程抜けてるスパイでもない限り調査できる。で、それから一月も経たないうちにダート平原のど真ん中で戦争に参加してる。場合によっちゃあ、その間に自分の領地に帰っていた事も判っちゃうかもな。ザイドリッツって王家の間者なんだろ? デーバスの間者が潜り込んでてもおかしくねぇしな。あのベグルみたいによ』
アルの微笑は苦笑になった。
自信を持って否定出来ないのが辛いところなのである。
『んで、早ければ、ん~、明後日には領地に居るんじゃないか? お前が向こうの宮廷魔術師ならこれをどう判断する? 魔法の蹄鉄とか思い当たるか? 自動車でも作ったと想像するか? 馬車鉄道くらいは調べればわかるだろうが、工事なんか始まったばかりで、西ダートの領地の中すら満足に開通していない状況だ。もしもそんな想像が出来るような奴が居たとしたら、確実に人間以外の何かだ。そうなると幾らアルが凄ぇっつっても、そんな奴に敵う筈ないからさっさと頭下げて配下に入れて貰うべきだろ』
そこまで聞いたアルは、やっと自分の表情が動いていたことに気が付いて、意識して表情を消した。
『要するに、そんな相手には生きた情報なんかこれっぽっちも渡すべきじゃない。俺の将来にも関わって来るんだからもう少し考えてくれ』
それを聞いてアルは少しだけ意地悪な考えが浮かぶ。
――お前、恩を返したらマリーと一緒にキールに帰るんじゃなかったの?
だが、すぐにニヤリと嬉しそうな顔をする。
『ああ、そうだな。俺について来い。悪いようにはしない』
アルは少し嬉しそうな声音を滲ませながら、もう一度メクイを鑑定する。
未だに意識を失ったままだ。
そして、アンチマジックフィールドでメクイを包むウェッブを消しながら言う。
『じゃあこの女の経験値は奢ってやるよ』
本音を言えば、無抵抗の、しかも女を自分の手で殺すのは嫌だっただけの事だった。
『……奢るって。しかし、ちっとばかり話し込んじゃったな。急がないと』
『いいさ。五分も経ってないし。あれだけの陣地だしな。五分や一〇分でどうにかなるもんじゃないよ』
メクイの死体を馬に固定するためのロープを手にアルは答えた。
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翼を広げたドラゴンは早速羽ばたいてみる。
羽ばたき方は鳥を食ったので、既に理解していた。
稀にだが、ドラゴンは食べた生物の記憶を得ることもある。
それによって食った種の社会性や、言語すらも学ぶことがあるのだ。
鳥のように羽ばたいてみたが、地面から飛び上がることは出来なかった。
――羽毛に覆われた鳥と、羽毛のない己とでは羽ばたき方が違うのかも知れない。
試行錯誤の末、僅かに体が浮き上がった。
そうなると進歩は早い。
次の羽ばたきで身長の半分くらいの高さまで浮き上がることに成功する。
さっき見つけた獲物は?
まだその場にいるようだ。
もう二つ三つ羽ばたいて更に高度を取る。
傍に居た小鳥や小動物、魚までもが全速力でその場を離れる。
獲物がよく見えるようになった。
獲物は集団で固まっている。
高度を取ったことで、獲物はこちらに気がついたようだ。
後ろを振り向いて逃げ出すような印象を受けた。
――喰わせろ!!
翼を広げて滑空した。
ぐんぐんと獲物に近づいてゆく。
獲物はこちらを振り向いた。
その顔にはありありと恐怖の色が浮かんでいるが、ドラゴンにはそれが何なのかよく解らなかった。
だが、愉悦を感じる。
食欲以外に愉悦を感じるような事がある事に少しばかり驚いた。
集団に迫ると自分の体よりも、相手の方が大きい事が分かる。
だが、危機感は全く無い。
本能で相手の方が弱いと思えたのだ。
そして集団に飛び込むと思い切り暴れ回る。
「オアアアッ!!」
「ギャアアーーーッ!!」
絶叫が響き渡る。
哀れなケンタウロスは碌な抵抗が出来ないまま、何頭も食い殺された。
「オゴエェェッ!!」
「ガムゥゥッ!!」
「ダゼドッ! ゴルゾーン・ドクーリ・ワグ!!」
「サズヤァァッ!!」
――ゴルゾーンドクーリ?
全く理解出来なかったが何故か響きは気に入った。
そして、十分に殺戮を楽しんだあと、最初の一頭の頭部を食った時、突然理解した。
――ゴルゾーンで、強い。ドクーリで、過大。なるほど、そういう意味か。
次の一頭を食った時、また知識が増えた。
――雄より雌の方が肉が柔らかくて美味い。……雄? 雌? 何だ? ……ふぅむ。そういうものなのか。
美しい緑色の鱗を持つ雛竜は地上に出た時は全長一m程にしか過ぎなかったが、今では倍くらいにまで急成長している。
何となく、まだ暫くは食えば食う程大きくなれそうな気がしていた。
そして、また獲物を探す。
遠くの方に新たな獲物を見つけた。
蒼い塊のようだ。
改めてその獲物の姿形を理解すると、もっと大きな、本能とでも言うような根源的な欲求が鎌首をもたげてくる。
――あいつを食ったら、もっと……!
また高度を取ると、新たな獲物を目指して空を切る。
かなり近づいたあたりでおかしなことに気がついた。
――アレは獲物ではないかも知れない。
初めての感覚だった。
――あいつは……手を出したらまずいかも……。
そう思った時。
蒼い塊が動いた。
自らと同じような翼を広げ、丸めていた長い首を伸ばす。
全体的には同じような姿と言えなくもないが、所々異なる部分も多い。
目が合った。
そいつの金色の瞳には喜色が浮かんでいる。
青い竜は、緑の雛竜の倍以上に大きな翼を広げて羽ばたいた。
雛竜よりは余程飛び慣れている。
――まずい、逃げろ!
何とか速度を殺し、沼地に降り立って、急いで方向転換する。
その時には青い若竜は歓喜に打ち震えている。
・・・・・・・・・
稀にだが、ドラゴンは食べた生物の記憶を得ることもある。
それによって食った種の社会性や、言語すらも学ぶことがあるのだ。
そして、同種を食った場合に限り、それが持つ魔力をも得る。
青い若竜が同種を食うのはこれで五頭目になる。
これ以上は食っても急成長は望めない。
大きな獲物もいいが、色々な物を食べて別の意味で成長をすべきだ。
食べたらまた眠くなった。
――ゴルゾーンドクーリ。己も気に入った。
眠りに落ちる寸前、蒼い鱗を持つ若い竜は初めて自分自身の存在を意識する。
ステータスにこそ記載されていないが、若い青竜は自己の名前を持った。
――次に起きた時は……ここから離れてみよう。
読者の皆様。
今年も一年、応援ありがとうございました。
来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
なお、ご指摘を頂戴していたにもかかわらず、長らく放置してしまいました誤字脱字の修正ですが、この正月にはなんとかします……多分。




