第百二十一話 タンクール村
7450年1月11日
「この臭い、たまらんな」
「臭い……」
タンクール村までの道程を半分以上過ぎた辺りで石油の臭いは最高潮に達した。
とは言え、自噴している量自体が我々の基準で言って大したものではない上、この場所から油田までは一㎞以上離れているので、臭い自体はそう強くはない。
日本の道路工事でアスファルトを敷いているのを数十m離れて嗅いだようなものであり、嫌いな人なら気になって多少の不快感を覚えるという程度のものである。
「おい、これは何の臭いだ?」
バルミッシュは傍で道案内をする第二騎士団の団員に尋ねた。
「申し訳ありません、某は存じません。ですが、先程リーグル伯爵閣下の部下にも今の士爵閣下と同様のことを尋ねられました。流石に高貴な方々は臭いに敏感ですね」
団員は嫌味も込めて返事をする。
彼はダービン村に駐屯して二期目、そろそろ三年程になる。
期をまたいでの長期赴任には彼個人の事情もあるが、ここでは関係ない。
「貴様は気にならんのか?」
鼻白んだ様子でバルミッシュは言った。
「ええ、それほど気にはなりません」
この臭い自体は一~二年前からし始めていた為に慣れもあるが、元来彼は臭いには鈍感な質でもあった。
「そうか……しかし、嫌な臭いだ」
頭を振ってバルミッシュは答えると、携帯していた時計の魔道具に触れて時間を確かめた。
「一時間後に食事を兼ねて休憩を摂る」
恐らく、次が最後の休憩になるだろう。
バルミッシュの言葉に騎士団員はすぐに傍を離れて一時間後の休憩を伝達し始めた。
・・・・・・・・・
「まっずいなぁ、これ」
「そうね……」
クローとマリーの夫婦は少し大きめの同じ石に腰掛けて、出発前に支給された携帯食料への不平を零している。
ロンベルト王国軍が採用している携帯食料はカラスムギのパンを押し固め、更に硬く二度焼きしたもので、一食分の重量や体積はそれほどでもないが非常に堅い上に不味い。
どれくらい不味いかと言うと、我々がハード・タックと呼ぶ堅パンは小麦が原料で味付きのものが殆どであるのに対し、カラスムギで作られている上になんの味も付いていない事からも容易に想像が出来よう。
脂肪分や重曹などという軟弱なものは一切使われていないのである。
一般的な迷宮冒険者が持ち歩く保存食の方がまだマシ、という程度の代物であり、食味については碌に考慮されていなかった為だ。
因みに以前二人が所属していたウェブドス侯爵騎士団や、現在所属しているリーグル伯爵騎士団の携帯食料は、ちゃんと小麦で作ったパンを薄く切ってから二度焼きした、いわゆるラスクに近いものだったので、体積はともかくとして食味や食べやすさなどは比較にすらならない。
なお、乾パンはまだ正式採用には至っていない。
「そう言うな。作戦中の食事などこんなものだ」
そんな二人を窘めるバリュートの顔も渋い。
「そうそう。食えるだけマシだと思ったほうがいい」
デーニックもそう言うが、味や食べ易さはその顔つきが物語っている。
――そうは言うが、ひでぇもんだな。これ。歯が折れそうだわ。
アルも口にこそ出さないが、この携帯食料には不満を感じていた。
なお、ズールーはアル同様に無表情を貫いてカチカチに堅いパンを齧っている。
――カラス麦なんか、雑草一歩手前じゃねぇか……同じ種類でも燕麦ならまだマシなのに……。
そんなズールーと目を合わせつつ、携帯食料を齧りながらそう思うアル。
オースでもオーツ麦はカラス麦の栽培種として発展してきたので、食味はオーツ麦のほうが上である。
なお、カラス麦もそこら中に自生しているが、植えた後で殆ど手間がかからないので広く栽培されてもいる。
つまり、穀物の中で最も安価であるのだ。
「我々の騎士団の方が……」
「食糧事情は上なんですね」
クロー達の話を聞いて従士のリタ・ラヒュートとオズマンド・キブナルの二人は少し驚いたように言った。
「いや、携帯食料だけだ。不味いのは」
「普段の食事はウチとそう変わらんよ」
口を挟んできた従士達にバリュートとデーニックが答える。
勿論、ダート平原に駐屯する王国騎士団は小麦には困っていない。
しかし、領内の治安維持や魔物退治などが主な業務で、数年おきに持ち回りで外征や防衛に出かける程度のウェブドス騎士団とは異なり、時には数日も補給を受けることが出来ないこともある。
従って携帯食料は、より日持ちのするものを選択しているに過ぎない。
「……夜にはまともな物が食べられる。一食くらい我慢しろ」
アルは本隊と合流を果たせたのであれば携帯食料を食べる必要はないと言って皆を宥めた。
ようやく全員が堅い携帯食料を齧り終えた頃。
「全員、集まれ」
アルが集合を掛け「タンクール村の攻略にあたって、私は当初皆とは別れて行動する」と、攻略戦の作戦概要の説明を始めた。
「そんな顔をするな、ズールー。一人だけは傍に付けても良いと聞いているからな。そなたは私の脇に控えていろ」
アルの説明によると、作戦はタンクール村の防備状況やその流れによって大まかに三通りあった。
一つ目は当初からバルミッシュが考えていた通常の攻略戦をなぞったものだ。
まずは予定通り全員でタンクール村まで行く。
防御施設は村の居留地を覆う馬防柵程度しかないことを想定している。
この場合、全員で強襲を掛け、同時に馬防柵の頑丈さや、どの辺りが手薄なのか相手の兵力の調査も同時に行う。
この時に可能ならば馬防柵に幾つか綻びを作り、後の手掛かりにする。
ひと当たりして退却し、本隊と合流後に得た情報を元にして再突入を行うと言うもの。
本隊との合流は夕方前には果たせる可能性が高いため、先方の援軍到着を気にする必要はない。
この作戦は、アルが参加した事もあって馬防柵の破壊には大いに期待を寄せられたが、魔術の行使時間の問題もあると見られ、結局採用は見送られている。
そして二つ目。
タンクール村まで接近するのは一緒だが、念には念を入れて強襲前に第一騎士団から参加したメンバーのうちで魔法の得意な者数名とアルで別働隊を作り、別働隊は別方向からタンクール村に遠距離から攻撃魔術を使用する。
それに合わせて強襲を仕掛け、後は上記とほぼ同一となる。
こちらは一つ目の作戦の改良案で、アルの魔術行使時間について考慮されたものだ。
ここまでは過去にロンベルト側もデーバス側も幾度となく行い、成功したり失敗したり、数限りない実例がある。
占領後や撃退後、それなりに耕作地は荒れるが全部がダメになるという訳でもないし、荒れてしまった所も手作業で復旧がし易い。
最後に三つ目。
そもそもこれは最悪の場合を想定している。
タンクール村の防備が予想以上に堅固だった場合だ。
例えば、居留地を囲む馬防柵が石なども使って堅牢に作られていたり、想定以上の人数が駐屯していた場合。
または、防御施設が村の居留地を覆う馬防柵程度でなく、周囲の耕作地内にも小型の陣地や櫓があった場合などが該当する。
なお、小型の陣地や櫓を建てるに都合が良い場所は戦術論から考えて予め想定可能である。
勿論、攻略自体を諦めてしまうのもいいが、それでは消極的すぎる。
別働隊を作って二方向から襲撃するのは一緒だが、攻略戦の橋頭堡となるような陣地を地魔法を使って作り、それに合わせて他の全員が突入して陣地を支配下に置く。
可能ならそのまま陣地を維持し続けて本隊との合流を待った上で本格的な攻略戦に移行する。
この際、陣地構築から休息を経たアル達もそれなりに魔力が回復していると予想されるので、可能であれば攻撃魔術などで援護をする。
万が一、長期の維持が難しいようなら追われたふりをしてさっさと退き、本隊との合流を目指す。
その為、構築する陣地は村を攻めるには互いに連携し易く、反対に陣地後方である村外から攻められた際はそれが弱点となるような形に作れることが条件だ。
予め想定されていた通りの防衛体制だったとしても、バルミッシュはこの三つ目の作戦を採用する腹づもりであるとアルは考えている。
「今回はこの三番目になると思う」
アルが予想を口にしたことで幾つかの質問が行われたが、アルは理路整然とした返事をする。
「予想以上に堅固な防衛体制というのは時間も、金も、人手も掛かるのでそう簡単に実現出来ないものだ。そうなると予想通りの防衛体制である可能性の方が圧倒的に高いと言えるだろう」
「その場合、三つ目の作戦であれば人的被害は出にくく、うまく運べば然程の苦労もなくタンクール村の占領に成功するため、バルミッシュ卿も採用したのだと思う」
「確かに後始末は面倒そうだな。耕作地の復旧にはそれなりの期間を要すると思うが、我々は戦闘が済んだらすぐに帰るつもりだしな。後の事まで面倒は見切れん」
そう答えたアルも一点だけ疑念を抱えていた。
――陣地の構築はいいが、本当に後始末はどうするつもりなんだ? 一時的に指揮下に組み入れられはしたものの、戦闘後の後始末なんて緊急性は低いからその時点で俺達はお役御免になるし、俺がそう言って帰還することは止められない筈だ……。
アルが腕を組んで考えた時、部隊の先頭の方に動きが見られた。
どうやら最後の休憩時間は終わりのようだ。
――……穀物生産拠点としての村の役割を考えていない? まさか、そんな訳……?
タンクール村は、過去にあった戦いで当時の所有者であるロンベルト側が敗北してデーバスに占領されたのが三〇年近く前の事だ。
その後も何度かロンベルト側が攻撃を仕掛けた事もあるのだが、その全てが陽動のための進軍やおざなりの攻撃であったため、村の主は変わっていない。
三〇年の長きに亘ってデーバスの支配下にあったために村の規模はそれなりに拡大され、現在の人口は六〇〇人を超え、七〇〇人近いと見積もられている。
これは過去に行われた偵察の結果からも裏付けが取れていた。
同時に数か月前までは特別な防御施設はない事も判明している。
つまり、それなりの規模の耕作地があるのだ。
――それを長期間使い物にならなくするなんて……あり得るのか?
常識では考えにくい。
この時点のアルにバルミッシュの個人的な事情や、王国中央の意図など予想できる道理など無かった。
・・・・・・・・・
――くそ、気が付けよ……って、流石に無理か。発見してからもう三〇mも接近しちゃったし、どうすべ?
生命感知を使ってデーバス側の物見を発見したアルは自問する。
進軍途中に戻ってきた偵察員と出会っていたため、デーバス側は村の耕作地から森に二〇〇m程入った場所に見張りを配置していることが判っている。
配置間隔は一〇〇~二〇〇m前後というところらしい。
ついでに耕作地の中に防御陣地の構築を始めているとの情報も齎されていた。
それ故に、犠牲を減らしての攻略作戦には、自動的にアルの魔法が不可欠の要素になってしまっている。
――俺が陣地を構築する以上、今更か。仕方ないな。
「左前方、二〇〇m弱に二人。右前方、こちらも二〇〇m程先に二人いますね。恐らくまだこちらには気がついていません。もう少し前進し、よく見えるようになったら始末出来ると思いますが?」
アルは同行していたバルミッシュに提案する。
「……え?」
アルが指し示す方向を鋭い目つきで見つめたバルミッシュだが、そんな遠方にいる見張りを見つける事は出来なかった。
「どこに……?」
馬から身を乗り出すようにして目を凝らしてバルミッシュは尋ねる。
「あちらです。まだ結構な距離がありますが」
「よくおわかりに……」
「お忘れですか? 迷宮では敵の気配が感じられずに死ぬ者が多いんですよ」
アルは口から出まかせを言って誤魔化したが、バルミッシュや周囲にいた者達は感心してアルを見た。
「どうします? 私が単独で接近すれば魔術で狙撃可能だと思います」
「その後、陣地の方は……?」
「村まではまだあるでしょうし、問題ないと思います。それに、こちらが部隊を分けていると気付かれるよりは」
「あちらは確実に気付かれるだろうしな。解りました。始末をお願いしても宜しいですか?」
「ええ、お任せ下さい」
馬から降り、身をかがめてアルは左手の方の見張りへと接近していった。
――うーん。俺にも見えん。もっと近づかなきゃ……。
方向と距離、数だけは判るが視認できない。
魔法は対象を認めない限り正確な行使は難しい。
――……動いてはいないな。
身を低くして伸び放題の下草に埋もれながら、アルは慎重に接近していった。
――七層を思い出すな。
バルドゥックの迷宮の七層は森や草原、荒れ地に覆われていた。
地面は膝丈くらいの短い下草か、胸くらいの長い下草、または単なる荒れ地が交互にあり、その上に深く生い茂った森が点在していた。
アル達は幾度となく下草や木陰を利用してオーガに接近していった。
――……いた!
そっと先を窺うと、前方数十メートルのところに槍を立てた二人組を発見した。
手前の茂みが邪魔になっているが、発見できたのは二人は会話をしていたからだ。
当然、遠くて声は聞こえない。
だが、片方の男が槍を持つ手とは反対の手を使って、何か大げさな身振りを交えていた為に気づけたのである。
――おしゃべりしてんじゃねぇよ……!
左手を開き、手袋に空けた穴から自らを鑑定するアル。
そのまま人差し指以外を握り込むとそっと手を伸ばして指をさす。
――お前らには何の恨みもないが……悪いな。
指先を話を聞いている方に向けた。
――名前を覚えるつもりはない。
そちらはどうやら女らしい。
少し高めの笑い声が僅かに風に乗ってアルの耳に届いた。
鑑定せずとも女と知り、意識せずとも半面を歪める。
――俺の肥やしになって生きろ。
「……!」
一瞬にして指先に蒼い魔術光が凝集した。
ストーンジャベリンを放つ。
――も一つ!
次は誘導性を付加した上、速度まで高めたストーンジャベリンミサイルだ。
最初に放たれたストーンジャベリンは話を聞いていた女の首を側面から貫いた。
「!!」
声にならない声を上げて見張りの女はその場に崩折れる。
その直後、ほとんど同時。
話していた男は驚いた顔のまま、側頭部を貫かれて脳漿を撒き散らしながら即死した。
――流石に見張りは下っ端の大した事ない奴らだったか……。オークやホブゴブリンにすら届かない肥やしにして悪かったな。
再び開いた左手を見つめながら、アルはもう一度ディテクト・ライフの魔術を使った。
感知範囲にいた生命体に大きく動きを見せていたものはいない。
背を屈め、下草に埋もれたアルは次の獲物へと接近していった。
始末を終え、アルが戻った時には、バルミッシュはファイアブレイズ士爵率いる攻略本隊に集結地変更の伝令を出すところだった。
「ズールー。伝令と一緒にダービン村に戻れ。伝令が本隊に合流して、誰も見ていないようなら全速を出しても構わん」
伝令に指示を伝えるバルミッシュを横目に、アルは小声でズールーに命じた。
「は?」
意外な命令にズールーは思わず了承以外の返答をしてしまった。
「俺の警護より重要な役目だ。ラルファたちに伝えろ。今夜までに馬車に積めるだけの空き樽と柄杓を俺達の人数分買ってこいって。きちんと密閉出来るやつな?」
アルはズールーの無礼を意に介さずに早口で続ける。
「今夜中……ですか?」
意外そうな顔をしてズールーは、確認するように尋ねた。
「気が変わった。夕方までには必ず陥落させるからそっちは心配するな」
「は。では、集合場所はどちらに?」
「ん~……さっきメシ食った場所でいい」
「了解いたしました。必ず用意させて戻ります」
「……自分で言っておいてなんだが、空き樽が少なくても仕方ないからな? それから、こいつを持って行け」
アルは腰から鞘に収まったままの屠竜を外すとズールーに手渡した。
「代わりにお前の剣を寄越せ。いいか? この剣を預けるからには死ぬことは許さん」
「わかっております」
ズールーは表情を改めると腰の剣をアルと交換した。
アルは「頼んだぞ」とだけ声を掛けてバルミッシュのもとに向かった。
「バルミッシュ卿。申し訳ありませんが、護衛が腹を下したようで……すみませんが伝令と同行させてやって貰えませんか?」
・・・・・・・・・
森の隙間からかろうじて村の全景を見渡せる程度の場所まで接近したアル達。
「まずは右手に。次は中央をお願いします……」
地図を指し示し、次いで村の方を指し示しながらバルミッシュがアルに指示を出す。
帯同してきた第一騎士団の魔術師は距離の近い左手の陣地、それも端の方の僅かな部分を担当する。
構築する陣地全体からすれば、位置決め程度の量の土しか出せないから当然ではある。
「解りました。形はこれでいいですね?」
足元に簡単に作った陣地の模型を見てアルが確認する。
「ええ。右手の方はこれ。中央はこれ。左手はこれです」
バルミッシュはそう言いながら必要のない模型を足で崩した。
「特に騒ぎが起きなければ、あと三〇分後くらいです」
そして時計の魔道具に手を当てながら言う。
「了解しました」
……果たして三〇分後。
構築中であった防御陣地を埋め立てるように巨大な陣地がタンクール村の耕作地に出現していた。




