第八十六話 参戦(戦場視察?)の決定
7449年10月19日
「で、どうするの?」
行政府に向かう途中でミヅチが俺に尋ねる。
勿論、来年早々に行われるという、デーバスに対する侵略戦争への参加についてだ。
昨晩、この情報を持ってきた伝令たちには兵舎でゆっくりと休んで貰っており、朝日が顔を出した現在でもまだ起きていない。
「ん~、俺としては見てみたいんだよな……」
歯切れの悪い返答をしながらも、俺の心は見に行く方向に大きく傾いている。
去年あったガルへ村の戦闘も見れなかったんだし、オースの戦争についてできるだけ早いうちに自分の目で確かめ、実感しておきたいのだ。
戦闘への参加はともかく、戦場の風とか肌触りを知っているのと知らないのとでは大きな違いだろうし。
……とかなんとか尤もらしい事を理由にしているが、実は単に興味があるだけ、というのが一番近いだろう。このあたり、俺の精神感覚は二十代の小僧を脱しきれていない。
近現代の地球の戦争のように高速に部隊が展開し、攻守が目まぐるしく移るスピーディーな戦闘展開になるなどということはないのだから、実際に見たところで得る物なんか大してないのは自明の理だ。
コンマ何秒で判断を迫られるなどという事態はまずない。
余程上手に伏兵でも置かれたらそういう事もあるだろうが、生命感知を使えるんだから、まず伏兵には引っかからないし。
全く同じ展開になる戦闘があるならば得るものはあるんだろうが……。
まぁ、実戦においてどういうタイミングで指揮官が陣形変更を命じるのかとか、突撃指示のタイミングだとか少しだけ興味はあるが、それだって戦国時代の農民が戦場傍の高台で弁当を食いながら観戦している心的傾向と然程の違いはない。
王都で第四騎士団の訓練に参加していた方が余程為になる。
訓練ならば実戦や演習と違って全く同じ地形や兵数などで幾らでも異なるシチュエーションで何度でもやり直しが出来るからね。
伝令によって伝えられた今回の作戦骨子は、俺の領地の東にあるランセル伯爵領の更に東にあるドレスラー伯爵領の最南端にあるダービンという村を起点として南のデーバス王国に侵攻し、デーバス側のなんとかという村を攻め落とすことだ。
ついでに、余裕があれば更にその近隣の村についても攻めるが、こちらの方は占領維持が困難であるために、攻撃が成功したとしても建物を焼き払って開発を阻害するだけに留めるという。
ま、要するに目標とその近辺の村々がそこそこ発展してきているというので、一番近い目標の村は戴くが、それ以外は嫌がらせだけで我慢してやる、ってなところだ。
侵攻部隊の指揮官が誰になるのかまでは教えて貰えなかったが、これについてはどうせいつものように第一騎士団の中隊長のうちの誰かだろう。
侵攻部隊の中核はドレスラー伯爵領に駐屯している第二騎士団から四〇〇名の他、郷士騎士団からなる五〇〇名弱に加え、第四騎士団の突撃一個中隊という合計一〇〇〇名強の布陣だ。
また、後方段列に第四騎士団からなる輜重部隊を合計一〇個中隊程詰めさせるという。
輜重部隊と一口に言っても、第四騎士団は第一騎士団に専属でくっついている機動力の高いエリート輜重部隊とは全く異なる性格だ。
当然王国の軍隊全体への補給が主な任務なのは確かなのだが、土木工事もやれば、防御戦闘もやる。そして、戦場での中央突破や、陣地を引き払っての退却戦時の殿を引き受けたりもする。
輜重や陣地構築などの地味な仕事を請け負う事が多いイメージだが、戦闘奴隷や自由民などの志願兵を中心に編成されている、非常に使い勝手の良い軍団だ。
……だからその損耗率は王国騎士団でも飛び抜けているんだけどね。
彼らが前線に立つ場合、ロンベルト側の死傷者数の大半は第四騎士団員となる。
「う~、私個人の気持ちとしてはやっぱり反対かな……。それに……」
この件については昨晩遅くまで話し合ったのだが、ミヅチは俺が数人の騎士団員とズールーを伴うのみで戦場視察という名の参戦をすることについては消極的に賛成の意を表しただけだ。
ミヅチは、我が西ダート地方は発展の端緒に手が届いたばかりであり、全体の指揮を執る俺が抜けるばかりか鉄道工事の現場監督を務めるズールーや、従士たちに稽古をつける立場であるベテランの騎士団員を何ヶ月も留守にさせるのはいかがなものか、という意見だった。
まぁそれは表向きの意見で、真意は戦場に出た俺が流れ矢などに当って即死してしまうことを心配する気持ちを取り繕うためのものであることは明らかなので、俺としてもその気持ちを無下に扱う訳にはいかないのだ。
しかし、今朝起きてからは昨夜寝るまでの消極的な賛成もすっかりと鳴りをひそめ、完全に反対であるという立場に回ってしまった。
「それに、陛下だってそんな局地戦に首を突っ込んでる暇があるなら早く子供をって……」
「え?」
聞こえねぇよ、そんなボソボソ声。
バラバラに馬に乗ってんだからさ。
何でも昨晩、ライル王国の女王であるリルスがミヅチの夢枕に立ったのだと言う。
そこで俺の戦争視察について意見を尋ねたところ、きっぱりと反対されたとのことだ。
起きてからもやけにハッキリと鮮明に覚えているので、あれは夢なんかではなく、何らかの魔術を使ったコンタクトに違いないと主張していた。
……あれから五年。
あの時リルスは「また何年か何十年か、ことによったら何百年かしたら復活する」というような事を言っていた。結局五年で復活したということだろうか?
そうかも知れないし、本当に単なる夢なのかも知れない。
今俺に領地を留守にして欲しくない、戦争に行って欲しくないというミヅチの願望が夢という形になって現れただけ、という可能性が高い気もする。
……そもそも本当にリルスが復活したのであれば、美紀なのであれば……何か言ってくるだろう! ミヅチの夢枕に立つなんて回りくどい真似なんかしないでさぁ! それなら俺の夢枕に立ったってバチは当たるまいよ。あ、亜神ならバチを当てる方か?
何にしても本当にリルスが復活して、国外に対して何らかのコンタクトを行うのであれば、まず俺じゃないか?
……多分に俺の希望的観測が含まれているが、普通はそう思うのが人情ってもんだろう。
え? そんな事ない? あっそう。ま、そこは人それぞれだよね。
そうこうしているうちに行政府に着いた。
ああ、捕らえた二人の間者だけど、疲れきった伝令が眠り、ミヅチとの話し合いを切り上げた後、そっと温かいスープと白パンを持って行ってやった。
別々の地下室で拘束されていた二人は、共にズールーにさんざっぱら痛めつけられたと見えて、顔は腫れ上がり、指は結構な数が折られていた。
その様子を見て俺は本気で慌てた。
だって、死んじまう寸前に見えたからさ。
最終的には殺してしまうのもやむなしだが、それは今じゃない。
出来るだけ長く生かして、絞れるだけの情報を絞りとってからの話だ。
すぐに【鑑定】をしてHPを確かめたが、二人共半分くらいは残っていたので、ズールーの絶妙な痛めつけ加減に感心した。
あいつ、こんなこと出来るのか。すげーな。
同情した顔で声を掛けながらキュアーオールの魔術を大盛りで掛けてやり、完全に怪我を治してやりながら、ズールーへの評価を下げた。
だって、怪我の箇所がすっげー多いんだもんよ。
一人目のバケイラの怪我を治すのに合計して八〇回程もキュアーオールを使わざるを得なかったので、途中で休憩すらしたくなった。と言うか、二回休憩した。
精神的にくたくたになってからの二人目、ダーガンへの治療を根性でやり遂げ、さぁ俺の尋問の時間だ、と思った時には真夜中近くなってしまっており、怪我が治って飯を食ったバケイラはぐっすりと眠っており、ダーガンも夢中でスープを飲み、パンに齧りついていた。
獄吏とも言えるズールーの目を盗んで、温かい食事を持って治療をしにやってきた俺に二人は涙を流して感謝していた。
治療のついでに掛けた人物魅了はちゃんと掛かったので、掛かった魔術を打ち破ることは、イコールで魔術への抵抗に成功したという訳ではないようだ。
これから暫くはこのようにズールーが痛めつけ、俺がその傷を治してやるつもりだが、何回目で心が折れるのだろうか?
ズールーには三日後の木曜、彼らがまた餓え始めた頃を見計らって痛めつけさせる。
俺が運ぶ食事も少しづつ量を減らし、痛めつける間隔を短くしていく。
間隔が毎日になってからも一週間は続けるが、それでも国王との繋がりや王国の諜報体制について吐かないようであれば、別の方法に移る予定だ。
・・・・・・・・・
7449年10月20日
午後の仕事を少し早く切り上げた俺は、リョーグの作業場で作業に没頭していた。
「ふんふんふん~♪」
鼻歌を歌いながら作業の仕上げに取り掛かっていた。
地魔法を使って、でかい湯船のように整形した石の内側にゴム側を内側にしたゴム引き布を敷き、エボナイトを塗って巨大な桶にするのだ。
ダイアンとルークの夫婦が協力してエボナイトを塗り、塗った傍から俺が乾燥させていく。
何重にも塗って耐久性と強度を上げるのだが、それも今日でお終いだろう。
湯船自体は俺が地魔法で石を出し、それを整形して作るつもりだけど、屋根に乗せる水タンクまで石造りだと流石に重いし、運ぶのは何とかなっても持ち上げるのすら一苦労だろうしね。
それに石造りとなる湯船は今作っても運ぶのが手間なので現地で直接作るつもりなのだ。
「アル様、ご機嫌ですね」
ダイアンが旦那の持つ桶から粘性の高い状態のエボナイトを掬い、ゴム引き布に塗り、ヘラで伸ばしながら言うが、それもそうだろう。
来月くらいに落成する領主の館、自宅ではゆっくりと風呂に浸かれるんだからさ。
今まで、べグリッツの住民で風呂を持っていたのは、ダイアンたちリョーグ家だけだった。
俺もミヅチも週に一度、風呂を貸して貰っていたのだ。
リョーグの家の風呂については勿論俺が大部分を作ったんだけど、暫く風呂桶みたいな、表面を滑らかに整形した大きな石なんか作ってなかったし、いい練習になった。
この前橋は作ったけど、表面処理なんか殆どする必要なかったし、バークッドの風呂桶は今作ってる水タンクみたいにエボナイトの内張りで作ってたからねぇ。
「おう。やっぱ風呂はいいよな。楽しみだなぁ~」
どうにも表情が緩んでしまう。
と。
おっと、乾燥乾燥。
「すみません、私達ばかり……」
彼女が俺の従士となってべグリッツに来て貰うことが決まり、住居を選定する際には充分に広い庭があり、且つ排水の便の良い家を優先的に回した。
何しろバークッドでは二日に一回は風呂に入っていたんだから、風呂を置くことの出来るスペースは絶対に必要だろうと思ったからだ。
俺の自宅となる領主の館は燃えちゃって建て直すまでは風呂なんか望むべくもないし、コートジル城内で風呂を作っても大量の水を一気に捨てる場所なんかないからね。
使い終わったお湯については一々アンチマジックフィールドで消したっていいけど、お湯に溶け込んだ体の老廃物は消えないからミヅチが嫌がったのだ。
それに、何らかの理由で消さないで放っておいたまま一日くらい経つと、アンチマジックフィールドで消すにも物凄く大量の魔力が必要になってしまうので非常に効率がよろしくない。
どのくらいよろしくないかと言うと、日本の一般家庭の風呂桶程度の、レベル四の水魔法でもお釣りが来るくらいの量でも一日経ったそれを消すには五〇〇〇以上ものMPを喰われるくらいだ。
「……よし、次頼むな。何度も言うなよ。そんなこと気にしないでくれって言ってんだからさ」
塗られたエボナイトの乾燥を終え、少し横にずれながら言った。
「どう? 進んでる?」
作業場にミヅチが入って来た。
何処かで買ってきたらしい食べ物の包みも持っている。
今日の夕食はリョーグたちとここで食べようということにしていた。
「あ、奥様。いらっしゃいませ」
ルークとダイアンはすぐにミヅチに頭を下げる。
「おう、もうすぐだ。ちょっと待っててくれ。ほれ、次頼むって」
それから三〇分ほどで作業は完了し、ミヅチが買ってきた食べ物で夕食を摂り始める。
メニューはローストした豚肉と葉野菜を挟んだサンドイッチと、水筒に入れて貰った鶏のスープだ。
「そうそう、ダイアンさん。ちょっと聞いて欲しいんだけど……」
ミヅチが俺の戦争参加についてダイアンに意見を聞いた。
副騎士団長であるバリュート士爵は俺の意見に賛成で、是非自分も帯同させて欲しいと言っているので、ミヅチの分が悪い感じなのだ。
ミヅチにしてみれば同じ女性であり、俺と古くから付き合いのあるダイアンを味方につけたいのだろう。
「……なるほど。奥様の仰る事も尤もですね」
やっぱお前も女だけにそういう意見か?
「ですが、アル様は最早お屋形様。ましてこの西ダートの地を治める大貴族です。まずはアル様のご意見が尊重されて然るべきでしょう」
おお!
やっぱお前もそう思う?
そうそう。
俺はご領主様なんだからさぁ。
「ええ~、それは分かってるけど……」
ミヅチが頬を膨らませている。
「勿論そうでしょう。それに、アル様は騎士団長でもあります。そういったお方が実戦を見たことがないというのも確かにどうかと思います」
ルークも俺への援護をしてくれる。
「でも……でも、死んじゃうかもしれないじゃない……」
ミヅチもダイアンには心を許し始めているのだろう。
誰にも言わなかった事を言い始めた。
そう簡単には死なないと思うけど、確かに俺だって気づいていない流れ矢に当たったりして、当たりどころが悪ければ即死もあり得る。
敵味方数百人規模の人数だと一回の戦闘で数人は流れ矢で死んでしまうのだ。
矢が届くほどの最前線には行かないつもりだと言ってもこれだからな。
盾の魔術で避けると言っても「どうせずっと連続して使いやしないでしょ」と言われ、風魔法で矢の軌道を逸らすと言っても「そんなの矢に気づいてなきゃ使えないじゃない」と言われる始末だった。
「そうですね。そういう事もあるかも知れません」
困ったような笑みを浮かべながらダイアンが言う。
おいおい、絆されてるのか?
「しかしながら、いざ、この地が戦場になったとして、一度も戦場に立ったことのない騎士団長の命令は軽んじられます。リーグル騎士団の指揮権を王国の駐屯軍に取られてしまう可能性さえあります」
うん。そうね。
「アル様が亡くなってしまったら、確かに御領地は困りましょう。でも、それも仕方ありません。その時はその時だと思うしかないのです。残った者でなんとかする以外ありません」
……そのくらいで、流れ矢に当たって死ぬくらいならそれまでの男だったってことか?
厳しいね。
でも、ま、そうだろうよ。




