第七十話 検地 5
7449年9月2日
「新規の開墾地か……」
ゾラの入れ知恵を受け、父親と相談したゲーヌン士爵は「新たな耕作地を開墾した」と言ってきたのだ。
「しっかし、なんだって三㎞も四㎞も離れた場所に作んのよ。面倒臭いなぁ」
ロンベルト王国の法には新たな耕作地を開拓してはいけないなどという条文はない。
だが、新たな居留地を勝手に作るのはいけない。
新たな居留地とはすなわち村や街のことで、狩人や炭焼職人などが一時的に利用する山小屋などはこれに含まない。
新規に村などを作ることが出来るのはその地域を領有する上級貴族か、その上級貴族に任命された者だけに限られている特権となっている。
しかし、村などの居留地ではなく、既存の耕作地の拡大は推奨されている。
普通は村の周囲の耕作地をそのまま拡大する方向で開墾を行うのが一般的だが、地形や水の便などの都合で多少飛び地になることもあるので、それは制限されていないのである。
また当然のことだが、その街なり村なりを支配下に置く上級貴族の領土を超えた先にまで広げることは禁止されているが。
尤も、これについては王国の法が唯一の法となる天領などでは徹底されているが、それ以外の土地では事後承認がなされたりなど、もう少し緩やかな場所が多い。
上記の内容からハロス村が少し離れた場所に新規の耕作地を開墾したとしてもそれ自体は全く問題ない。通常通り開墾後五年間はその耕作地での収穫について無税が適用されるだけのことである。
検地の役人としては、その土地も検地を行って五年後からの税を課すための面積を割り出す必要がある。
また、課税の間までに増えた耕作地と最初に開墾した場所との区別を行う意味もある。
「でも、それなりの面積があるって……隠し畑だったんだろうねぇ……意外すぎる」
勿論、意外でも何でもない。
要は耕作地である畑の面積を過少申告する亜種であるだけなので、隠し畑は割合にポピュラーな脱税方法だ。
しっかりと隠蔽できれば単に過少申告するよりは露見の可能性が低い時点で優れているが、居留地からある程度の距離を置いて開墾し、耕作せねばならないので人手が掛かるのは当然として水の便などが良いそれなりの土地も必要となる。
「まぁいっか。グィネが見ればどうせ一発だし」
よく考えると働くのはグィネだけで、ラルファはそれにくっついて歩くだけであったことを思い出す。
「検地をするのはグィネの目で、地図を書くのもグィネの手。……あたしは?」
グィネによると脳内に展開された地図情報は、そのまま目の前に映すようなことも可能らしく、白紙に映して主要部分をなぞるだけで正確な地図が描けるとのことだ。
バルドゥックの迷宮でさんざん鍛えられた地図描きの腕は年々冴えて来ており、最近ではあまり長いものでなければ直線も曲線も思いのままのイメージ通りに描けるようになっている。
その分、筆記用具や紙質には相当のこだわりを持っているが、職人なら自分の道具にこだわりが出てくるのは当たり前だとアルが言っていたことも思い出した。
「隊長だし、当然頭脳労働よね。こうして領主とも面倒くさい折衝をしてる訳だし。それに皆の安全に気を配って仕事の進み具合を心配しなきゃいけないし、大変だわ。あ……ふあぁぁ……」
そろそろ眠くなってきたようだ。
「明日も早いし、そろそろ寝ますか」
士爵家にも、恐らくはこの客間にしか無いであろう明かりの魔道具を消すとベッドに潜り込んだ。
・・・・・・・・・
7449年9月3日
いつも通り夜明け前に目を覚ましたラルファは、起きると同時に誰かが朝食の仕込みをしているらしいことに気がついた。
「ん~。いい匂いね」
ベッドの脇にあるはずの明かりの魔道具のスイッチを手探りで探し当て、明かりを点けるとすぐに窓を開け放ち、部屋に新鮮な空気を入れた。
「さて」
下着を交換し、昨日と同じ服を身につける。
幼少期からゼノムに連れ回されていたので洗濯もしていない服でも、よほど汚れていない限りは一週間連続で着ても抵抗はない。
実はアルと出会うまでは下着だって洗濯しないまま着回していたこともあったくらいなのだ。
流石に同じものを連続で着るのではなく、幾つかあるものをローテーションさせて自分を誤魔化していただけだが。
それに、アルと一緒に行動するようになってからも暫くの間は寝る時は全裸でゼノムとくっついて寝ていた。
特定の宿に長期間滞在するようになった上、寝間着や余分な下着を買えるようになり、洗濯のサービスについても気兼ねなく頼めるような余裕のある生活になって、初めて昔の生活を思い出したかのように下着や服を含めた身だしなみにも気を回すようになっている。
「よし、と」
着ていた下着を袋に入れるとそれをサドルバッグに突っ込んでベルト付きのサスペンダーを身につける。
これがないとそれなりに重量のある斧を腰に吊る事はできない。
専用に作った革製の鞘から【血塗れの手斧】を取り出して柄を握る。
特殊な能力を秘めた魔法の武器ではあるが、トリスの持つ【炎の剣】などとは違って柄を握っただけでは頭の中に何かが響いてくるようなことはない。
戦闘中に攻撃を成功させると“もっと、もっと獲物を”という物騒な声が斧から聞こえてきて、その度に強力になっていくような感じがするだけだ。
「……っ!」
既に癖になっている魔力感知の魔術を使い、よく似た偽物とすり替わっていないか確認する。
「うん、おっけ」
斧を鞘に戻し、腰のバンドに吊る。
朝食までにまだ多少の間はあるだろうから、ランニング前の準備運動を行うことにした。
斧を使って想像の相手と模擬戦だ。
・・・・・・・・・
「次はあそこ」
グィネが宣言したのはかなり遠くの耕作地の外側に立っている背の高い木々だ。
「ほい。士爵閣下。あちらの方に行きますのであの畑を横切っても?」
検地についてきたゲーヌン士爵に、現在は休耕畑に見える一帯を指差して尋ねるラルファ。
「あ、すみません、そちらは種まきをしたばかりなので……」
「解りました。グィネ、畝間を通って」
九時近くから開始した検地だが、昼頃になった今、士爵には三分の一近くも終わっているように思える。
「あの、ファイアフリード准爵。これがケンチですか?」
「ええ。流石に今日中に全部、という訳には行かないでしょうけど、明日には新たに拓いたという新規の耕作地も含めて全て終わると思いますよ」
この言葉を聞いてゲーヌン士爵はミード村のジンケーゼ士爵同様に拍子抜けした気持ちを味わった。
また、それと同時に「こんなことなら隠し畑の事など言うのではなかった」と後悔の念に包まれてもいた。
彼にしてもこのようないい加減な土地調査なら苦労して維持し、開墾を行ってきた隠し畑なんか確実に見逃されるだろうと思ったのだ。
しかし、同時に妻の言葉を思い出してもいた。
――馬車専用のテツドーというのが本当にそれだけの運搬力を持っているのなら利用しない手はありません。隠し畑の税金はせいぜい五〇〇~六〇〇万といったところでしょう? それよりも新鮮なままの野菜を売ったり出来る方が村には良いはずです。美味しいけど傷みやすくて栽培を断念したものだって高値で売れるでしょうし。何よりもあのご領主様は後で隠し畑があると知ったら何を言うか……。
妻の言うことは尤もな事だと思ったからこそ、士爵は村の周囲以外にも耕作地があることを言う気になったのだ。
「……もし良かったら、既に終わったミード村の検地帳をご覧になります? 今晩には出来上がると思いますけど、それをご覧になられれば閣下にもこの検地がどれ程のものかお分かりいただけると思いますわ」
そう言えばこのハロス村の前にミード村の検地を終了させていると聞いていた。
どういった内容で調査が行われたのか知っておくのも大切なことだろう。
また、個人的にもミード村の内情に興味が無いわけではない。
そう思った士爵は検地帳を見せてくれるように頼んだ。
・・・・・・・・・
「これがミード村の検地帳です。まだ清書が終わっておりませんので覚書に近いものですし、それを元にちゃんとした書類を作って伯爵閣下に提出しなければいけませんのでこの場でご覧になられましたらすぐにご返却していただきますが」
その日の晩、夕食が終わった頃にアクダムという、初日に挨拶に訪れた女性が現れて言った。
士爵は彼女が差し出した数十枚の紙束を受け取り、早速内容に目を通す。
内容は大きく分けて四つに分類されているようだ。
一つ、村の人口について。
これは領主からの報告で七九五人と記載されている。
実際に数えた訳ではなさそうなので合っているかは分からない。
人頭税の対象なのでいつかはちゃんとした調査が行われると思われる。
一つ、村の家畜について。
鶏や豚、馬の数が確認日とともに書かれている。
これは全て数日前の日付が書かれている。
間違っている可能性もあるが、実数との乖離は小さなものであろう。
そもそも税の対象ではない。
一つ、村の商家について。
行政府に開業届が出ている、何らかの商家が記載されている。
ミード村では届けとの乖離は無いそうだ。
ここまではゲーヌン士爵としてもあまり問題を感じなかった。
この辺りの情報については普通の役人なら余程の低能でも無い限り調査出来るであろう。
そして最後、いちばん重要な村の耕作地について。
ここでゲーヌン士爵は腰を抜かす程の驚愕に包まれた。
一枚の紙には村全体の地図が記載されており、建物もその敷地らしい形で描かれている。
その他、上下左右に繋ぎ合わせることでかなり大きな一枚の地図になるように分割された詳細な地図。
用水路や井戸なども一つとして省略されることなく、その位置なども正確に描かれているようだ。
また、驚くべき事に耕作地などはかなり細かく数値が記載されている。
士爵としてはここまで詳細な数字をどうやって調べたのか疑問に思うくらいだが、妻の実家の裏庭にある小さな畑までが数字付きで記載されており、記憶と照らし合わせてもその数字が妥当なものであるらしいことは理解できた。
「最終的に、伯爵閣下が保管するものと、各村のご領主様にお渡しする二通の書類を作成します。異議などがあればそれをご覧になられてから、という事になります」
落ち着いて喋るドワーフは平然とした顔で士爵から検地帳を受け取ると丁寧にしまった。
「その、一つ尋ねたい。一体……一体どうやってそんなに細かく……?」
士爵が質問をしたが、当然の疑問であろう。
「私達は伯爵閣下と共にバルドゥックの迷宮の大部分を地図に書き起こしています。あの、大きな迷宮を、見て、歩いてです。正確に同じ歩幅で何時間も歩き続けるなど当然のことです」
ファイアフリード准爵は、少しだけ凄みのある表情をして言う。
その言葉を聞いてゲーヌン士爵は些か唖然とせざるを得ない。
村内の移動には馬を使う事も多かったではないか?
「いま、ファイアフリード閣下が申し上げましたことにもう少し付け加えます。あの迷宮は全て洞窟だと思われがちですが、内部にはこの村がすっぽり入るよりも大きな空間もありますから、そういった場所でも地図を作ることには慣れています。また、地図作成の最中に魔物の襲撃を受けることも珍しくありません。途中で戦闘が発生したり、一目散に逃げ出したりすることもよくあるんです。そんな時でも歩数や歩幅を数えていますよ。え? 出来ない訳ないじゃないですか。命が掛かってるんですから」
ドワーフの女はにっこりと笑って、口髭を撫で付けながら言った。
バルドゥックの迷宮を知らぬ士爵としては、俄には否定する言葉を言うことは出来ない。
続けて「そういうことが出来ない人は、なかなか下層に降りることも出来ませんし、無理に奥に進んでも死ぬだけです」と言われてしまっては「そういうものであるか。やはり若いに似合わず一流の冒険者とは斯くあるのか……」と納得してしまった。




