第六十七話 検地 2
7449年8月27日
夜が明け、日の出前に目覚めたラルファとグィネは体をほぐす程度のランニングを行ってからジンケーゼ士爵家が用意してくれていた朝食を摂った。
その際に今日の予定を聞かれた二人は「今日は昨日に引き続いて検地を行う。恐らく昼過ぎには終わると思うが、終わり次第一旦べグリッツまで戻る。しかし、今日の夜までには再びミード村に戻ってくる予定である。その際には伯爵直属の女性の奴隷を二人伴ってくるので今晩はどこかの家にその二人の奴隷の宿泊もさせて欲しい」と答えた。
その二人の奴隷は双方とも足に障碍を持っている矮人族だというが、線路予定地の傾斜を調査する為に【傾斜感知】を使わせるのだという。
ここまで聞いてジンケーゼ士爵は少し意外に思う。
――センロとか言う新しい道はともかくとして、その下調べに我が村から人を出さなくて良いとはな……あの小僧(リーグル伯)、なかなかと領主が嫌がりそうなことを解っているようだ。
と、同時に改めて安心した。
――それはそうと、まだまだ経験不足の俄伯爵だな……。ケンチの内容を聞いた時にはそんな手間を掛けてまで土地の広さを調べるのかと驚いたが、この様子では通り一遍の調査にしかならんだろう。流石に伯爵に叙されただけあって年に似合わず頭の方は多少回るようだが、部下の方は所詮は冒険者上がりだな。縄も使わず、かと言って畦を全部歩き回って歩幅での計測をしている様子もない。悲しいかな、頭に手足がついて来ないとはこの事か……。
心の中でほくそ笑むジンケーゼ士爵は「それならば少しでも協力的な様子を見せておき、心証を良くしておこう」とばかりにミード村を拠点とする間の四人の奴隷を含めた六人全員の宿と食事については全て無償にて提供すると言ってラルファとグィネを喜ばせた。
朝食を済ませたラルファとグィネは、マールとリンビーと合流して再び耕作地の外側から村の各所を見て廻った。
「あの人、宿賃もご飯代も全部いらないって言ってたね」
村の東の外れに聳える大きな木から降りてきたグィネにラルファが言う。
「うん。いい人だねぇ」
グィネもニコニコしながら答える。
「あ、そう言えば私達も宿賃や食事代について尋ねたらいらないと言われました」
「ご領主様のジンケーゼ士爵閣下のご指示だと……」
マールとリンビーの二人も少し喜んでいるようだ。
「そうねぇ。基本的にはいい人なんだろうけど。グィネ、どんな感じ?」
木の下で馬に跨ったままラルファが訊ねた。
「どうもこうもないわね。結構誤魔化してると思う。聞いてたよりも一割くらいは広いよ、こりゃ」
苦笑いを浮かべて自分の馬によじ登りつつグィネは返事をする。
その言葉を聞いたマールとリンビーも「そんな所じゃないかと思っていた」というような表情を浮かべて槍を握り直すと周囲に視線を走らせる。
「後でグィネの書いた地図の写しと面積から出された納税量を書いた通知が届けられた時の顔が見たいね」
にしし、と笑い声を漏らしながらラルファが言った。
・・・・・・・・・
7449年9月2日
ミード村からハロス村までの線路を通す予定地について、ほぼ目処が立った。
少し時間が掛かったのはハロス村の傍には川が流れており、その川を越える為の橋を架ける場所を選定していたからである。
橋は将来の複線化(当面の間、各村に置かれる予定の駅でしか複線化の予定はないが)を見越す他、川底を掘り下げるような困難な工事をしたくないので、その幅は最低でも一〇mは見ておけと言われており、更に追加の条件として橋の両端の土地が周囲より少しでも高いところの方が川が増水した時の対策になるので都合が良いとだけ聞いていた。
ラルファ達には橋の架け方については詳しいことは解らない。
しかし、アルが大量の土を出せることは知っている。
土の代わりに整形した岩を出すことも出来る。
アルから橋を掛ける場所についての条件を聞いた時には「土や石を出せるんだから、一直線に近くなるようにした方がいいんじゃないの?」と質問をした。
その言葉を聞いたアルは深い溜め息を吐くと「橋を架ける時はともかく、橋付近の高低までいちいちやってられるか」と答えられている。
因みにアルは川底に川幅一杯くらいの奥行きがあり、幅は一〇m以上、厚さも最大で二m以上になる巨大な岩盤を沈め、その上に頑丈な石材製の橋を架ける計画でいる。
岩盤を設置したあと、自重によって川底に固定されるまで一ヶ月以上放置しておき、その後に必要な高さで橋を架けるのだ。
橋についても当然巨大な石一個で形成する。
更に大きな重量が掛かるので、後々にはもう少し沈降する可能性もあるが、その際には石の板を追加することで調整を図るのである。
岩盤は水平に固定される事にはならないだろうが、それなりの場所を選びさえすれば余程の事でもない限り水平に近い状態になるだろう。
また、沈める岩盤に穴を空けておいて、その穴に合致するように石製の橋を置いてしまえば多少の増水にもびくともしない丈夫な橋が架けられるだろうとの考えであった。
とにかく、ハロス村までの線路コースも当初の予定を上回るペースで決まってしまった。
「いいねいいねぇ~。検地の方もちゃっちゃとやっちゃおう」
昼過ぎ、ハロス村の耕作地に入る際にラルファは上機嫌で言う。
「だねぇ。でも今日は暑いし、もう疲れた。今日は何もしないで休むよ」
先月末から休みなくべグリッツからミード村までの線路コースを下見して決定し、ミード村の検地を行った後、ハロス村までの線路コースを下見していたのでグィネは休みを欲していたのだ。
彼女らに付き従っている四人の奴隷は休みなど年に数回しか無いものと思っているので、グィネの「今日はもう休む」という言葉に少し嬉しそうな顔をしている。
「スケジュールも順調だし、明日も休む?」
ラルファが訊いた。
「ん~、それもいいかも。ま、散歩がてら村を見て回るくらいはするけど」
返答しながらグィネは自分の馬の後ろに乗せているノームの女性を振り返った。
「足が悪いのにここんとこ何日も連れ回しちゃったから、今日明日はサマンサもゆっくりしてちょうだい」
「ありがとうございます、アクダムさん」
馬に慣れておらず、恐怖感からがっちりとグィネの腰に手を回したままノームの中年女が答えた。
・・・・・・・・・
ハロス村の領主であるゲーヌン士爵は二〇台後半の普人族の男性だ。
数年前に母親から士爵位を嗣ぎ、それ以降は大過なくハロス村を治めてきた。
結婚もして子供も二人生まれており、すくすくと育っている。
跡取りと頼む長子の娘も今年から従士の訓練に参加させ、毎日木剣を振るっているのを見て子供の成長を喜んでもいた。
また、それなりに頭も回り、村の農地では小麦や綿花の他、タバコや野菜、根菜、豆類などのうち他の村が作っていないような多くの作物を育てることを奨励し、べグリッツやゾンディールの商家に卸すルートも開拓している。
勿論売れ行きの良い作物もあれば、あまり高値では売れない物もある。
貴族という身分の割には何度も商家に頭を下げ、需要の高そうな作物の種を仕入れて貰っては、どの作物があまり手がかからず、その割には良く売れるのか研究したりもしている。
なお、旧ハミット王国の重臣の出の一員として、この西ダート地方を治める貴族への、引いてはロンベルト王国への税をどう誤魔化すかについても気を回しており、事実として結構な脱税を行ってもいる。
順風満帆のように見えるゲーヌン士爵だが、そんな彼も人並みに人生において幾つかの悩みや不満、抱えている夢はある。
そんなある日のこと。
日課となっている午後の稽古を始めて暫くした時、屋敷に来客があった。
来客は一人の若い女に率いられた、女性五人に男性が一人の集団である。
その女は西ダート地方を治めるリーグル伯爵直属の調査隊の隊長だと言って士爵に面会を求めていると言う。
屋敷のメイドや彼の引退した両親に伯爵発行の委任状を見せて、「ケンチのためこれから数日間に亘って村の耕作地を調査するので、その間の一行の宿や食事の手配を頼む」と言って来たらしい。
慌てて従士の稽古場に走ってきたメイドから事情を聞いたゲーヌン士爵は、ミード村を治めるジンケーゼ士爵同様に「ついに来たか」と思った。
しかし、彼はジンケーゼ士爵とは異なり耕作地の面積を錯誤させようとの考えは持っていなかった。
彼としては「徹底的に耕作地を調査されるだろうし、誤魔化しが露見した場合、あの厳しそうな領主にどんなことを言われるかわかったものではない」と考えていたのである。
なお、税は耕作地の面積に応じて昨年の小麦の収穫高を係数として決定されるのでどんな作物を育てているかは関係ない。
彼が行っている脱税は村から川を越えて四㎞も南東に開墾してある先祖代々から引き継いでいる隠し畑である。
この西ダート地方は南に行けば行くほどダート平原に似た特性の土地となり、肥沃さが増していくのだ。
開墾の難しい、森を切り拓いての隠し畑だが、彼の代でその面積は倍増している。
これは取りも直さず、所有している農奴を扱き使っていることにほかならないが、開墾した畑について報告を行わないことが問題なだけで、農奴に厳しい労働を申し付ける事自体は違法でも何でもない。
また、隠し畑までは物理的な距離もそれなりに離れている事もさることながら、ダモン村に続くバーラル街道を、南に生い茂る森の中に外れなければならない。
村人でもごく一部の者しか知らない、隠された道を通ってしか行けないのだ。
――あそこは遠い。気が付かれる訳がない。
と考えていたのだ。
勿論、その隠し畑で育てている作物は保存しやすい上に現金化も楽な小麦である。
年に二回ほど訪れる北のダズール伯爵領に本拠を置く二号免状を持った商会に買って貰うのである。
価格は多少買い叩かれるが、それでもかなりの収入を齎してくれる事は確かであった。
従士の一人に木剣を預け、贅沢品のタオルで汗を拭いながら屋敷に戻る士爵。
屋敷の前には四頭の馬が居て、中年の女や若い男女が馬を降りてその手綱を握っている。
中にはまだ一〇才くらいの子供もいるようだ。
――調査隊の奴隷か。
そう思って、頭を下げる四人組に一瞥をくれたのみで士爵は母屋に入った。
応接間には二人の若い女が彼を待っていた。
一人は山人族のようで、もう一人は普人族のように見える。
「初めまして士爵閣下。私はラルファ・ファイアフリード准爵です。父はウィードの太守を仰せつかっております、ゼノム・ファイアフリードです」
そう言いながら金髪の若い娘はにっこりと微笑んでゲーヌンに右手の甲を差し出した。
「あ、ああ……私がハロス村を治めるゲーヌンです……」
挨拶の言葉を述べながらもゲーヌンはどこかぎこちがない。
――こ、好みだ……。流れるように美しい金髪……控えめに膨らんだ胸……小さな口……大きくぱっちりと開いた目……。
タオルで掌の汗を拭い、女のステータスを確認すべく手を伸ばす。
――目鼻のバランスも良いな……彫りはあまり深くないが、それもまたいい! 父親はウィードの太守……あのドワーフか……。そう言えば養女が居ると……。




