第六十四話 軌道の目指す先
7449年8月21日
アルが今居るのは行政府か奴隷長屋のどちらかだろうと聞いたので、ラルファとグィネの二人は元来た道を戻った。
まずは行政府の方だろうか。
部隊編成を使っているミヅチでも一〇〇m単位で距離が離れていると正確な場所は解らず、大体この辺りだろうという事しか言えないためだ。
行政府と領主の奴隷長屋は一〇〇m強しか離れていないので、街外れにある騎士団の敷地に居るミヅチやクロー、マリーもアルがどちらに居るかは断言出来なかったのである。
行政府の入り口を警護していた二人の騎士団員にステータスを見せ、アルに面会に来たと伝えると門番の一人が報告に行った。
行政府で正解だったようだ。
暑い中運動もしたし、それなりの距離を歩いたのでラルファとグィネは行政府のロビーにあった長椅子に腰を下ろす。
建物の中は日陰になっているので屋外よりは涼しい。
程なくして、報告に行った門番が戻ると二人を執務室まで案内してくれた。
執務室はどれだけ広くて豪華なのだろうと想像していた二人だったが、案内してくれた騎士団員の後を付いて行くと、なんの変哲もない扉の前で止まったので少し失望してしまった。
二階の廊下の途中にあるその扉の左右にもかなり近距離で別の扉があり、小さな部屋であることが簡単に想像出来てしまったからだ。
騎士団員が扉の向こうに声を掛け、アルの返答を聞くと扉を開けてくれた。
中に入ると……。
「おおっ! 涼しい!」
「氷!?」
執務室はかなり狭い。
多少奥行きのある形だが、六畳程の面積しかないようだ。
その上、部屋の床や棚の上などあちこちに桶が置いてあり、その中に大きな氷が入っていた。
アルは丁度桶の一つを持って立ち上がり、部屋の奥の明かり取り用の大きな窓を跳ね上げていた。
氷が溶けて桶に溜まった水を捨てるところなのだろう。
桶があるからか、来客を応対するソファや調度品を置くスペースも無いようでかなり狭い印象を受けるが、明かりの魔道具に照らされた部屋の温度は廊下より五度は低く感じられる。
窓の前には部屋に比して大きな机があって、アルはその机と窓の間に座っている。
壁際の棚には訳の分からない書類が詰め込まれ、アルの前の机にも所狭しと書類が積まれていた。
机の手前側には椅子が一脚だけ置いてある。
これは打ち合わせか何かの際に使用するのだと思われる。
「おう、久しぶりだな。もう少しでキリのいいとこになるから、ちょっと待っててくれ」
桶を部屋の隅に戻し、その中に一斗缶ほどの氷を作り出すとアルは二人に声を掛ける。
机に戻ると手元の書類に視線を落とす。
涼しさに顔を和らげる二人の後ろで丁寧に扉が閉められた。
アルは書類を読んだ後に小さな溜め息を吐くとインク壺にペン先を浸して何やら書いたりしており、それなりに事務仕事も多そうな印象を受ける。
しばらく待っているとやっと仕事がキリの良い所まで進んだらしく、アルが顔を上げた。
「待たせて悪かったな。宿はもう?」
二人は既に宿を取ったことを伝えた。
「そうか。少し空気を回そうか」
返事をするとアルは風魔法と火魔法を組み合わせ、書類が飛ばない程度の量で冷たい空気を出す。その直後に無魔法を使って出した空気をゆっくりと回転させた。
部屋内の空気が適度に撹拌され、下の方に溜まりがちだった冷気が顔にあたって心地が良い。
「はえ~、いつも感心しますけど、よくそんな事に魔法使えますねぇ」
今アルが行った事と同じ事は、感心の声を上げたグィネも出来る。
出来るが、冷たい空気を出すまではともかく、空気を回転させるために無魔法を使うなんてしない。
魔法のために精神を集中する疲労感を考えるといちいちやりたくないというのが素直な気持ちだからだ。
「俺も一人ならやらねぇよ……」
アルとしては暑い中行政府にまで出頭してきた二人を労ったつもりもあったのだろう。
脇の棚からグラスを二つ取ると中に氷を出し、二人に渡した。
水は机の端に井戸水を汲んだ水差しがあるので勝手に入れろと言う。
「ところで、ズールーは? いっつも一緒にいるって聞いてたんだけど……」
少し不思議そうな声でラルファが尋ねた。
「ああ、線路の敷設の監督に行かせてるんだ。工事は始まったばかりで、今は解ってるのはあいつしか居ないからな」
ズールーが解っていると言っても、ここ二ヶ月程、簡単に研究した成果だけだ。
線路を通す用地を少し掘り下げ、その穴に砂利を敷く。
砂利は周囲の地面より少し高くなるように積む。
砂利を敷いた上にヤニなどで防腐処理をした枕木を置き、レールを乗せた後、枕木とボルトで固定する。
レールを地面に固定するために適当な間隔を置いて枕木の中央に開けてあった穴に杭を打ち込む。
勿論、砂利の下の地面に食い込むように、その長さは一mを超える。
なお、枕木については将来的に石材に置き換えることも考慮している。
最後に車両を引く馬が走ったり歩いたりし易いように線路の間にしっかりとした板を敷いて完成である。
そのためのガラス管の中に気泡のある水を入れた水平儀もアルは自ら作っていた。
このように、今のところはあまり複雑な部分はない。
べグリッツの周辺は地盤も固く、水はけも良いのでこれで充分であるからだ。
この先、湿地など地盤の緩い場所に当たった場合にどうするかはその時の問題にしている。
尤も、詳細な地図を作成させる為、グィネに先回りして土地を見させているから行き当たりばったりにならないように気を使ってはいた。
必然的に鉄道路線のコースは地形把握を持っているグィネが決定する事になる。
アルがズールーに工事の監督をさせているのは戦闘ではなく、仕事を指揮する事を学ばせようとする側面の方が強かった。
「新しい監督候補は居るんだけど、その人たちにはあと一月ばかりはズールーの下で線路工事の基本を学んで貰う必要があるしな」
べグリッツに二つある工務店の片方は領主の館を建設しているが、もう片方には線路工事をやらせていたのだ。
勿論、領主の館が完成したらそちらの工務店にも線路工事を発注する予定である。
「もう始めてるんだ。ズールーも暑い中大変だねぇ」
「ああ、大変だ。だからお前らにも仕事をして貰うんだ」
「はいはい。解ってるわよ。それで、まずはどっち? 工事始まってるから線路?」
ラルファは表情を改めると尋ねた。
「うん、そうだな。まずは線路のコースを決めるのが先だ。工事の方は今はまだ慣れてないから一日で敷設できる線路はレール四つ分、僅か三〇mにも満たないから大したことはない。あと一月くらいは地図なんかなくても問題ないくらいの速度だ。この速度じゃ一月かかってもべグリッツの耕作地を出ないだろうしな。でも、報告によると慣れるに従って作業効率はどんどん上がってるから来年からは期待できるぞ」
そう言うとアルは氷水を口に含み、ガリガリと氷を噛み砕く。
「何人でやってるんですか?」
グィネが尋ねるが、尤もな質問である。
「ん。今は奴隷が二〇人と現場を学んでる工務店の奴が八人だ。将来的には二〇~三〇人の作業チームを二〇くらい作りたいと思ってる。領内の集落はすべて線路で結ぶぞ。そのためにも正確な地図が必要だ」
アルによると鉄道はまずべグリッツからウィード方面へ伸ばすことを優先するつもりらしい。
領地に封ぜられる前、元々の計画ではべグリッツと距離の近いゾンディールを先に結ぶ筈だったが、この春に起きた反乱未遂に気分を害したため、計画を変更したようだ。
「あと二ヶ月位、しっかりと学んで貰って、出来れば今年中に五人は現場監督を作りたい。工事チームが五つ出来れば週一で休みをやっても一週間で一kmは線路を敷設出来そうだからな。年末までには領内に触れを出して必要な人夫も確保する」
アルの計画では今年中に工事チームを五つ用意し、年明けから本格的な工事に入るという。
まずはべグリッツからミード村までの約一〇kmを結ぶ工事だ。
年末までにはそのうちの四~五km程度まで工事は進んでいると見積もられている。
年明けから残りの五~六kmをおおよそ五箇所に区切って同時に工事を進める。
同時に数カ所で工事を始めるのであれば詳細な地図はどうしても必要になる。
その間の線路のコースを決定するのにグィネは二週間を要求し、承認された。
また、ウィードまでの五〇km程のコースを決める期限は十月一杯と定められた。
その後、ウィードまでの線路が開通するまでの間は新たな区間に工事チームを派遣する度に方位や正確な位置取りのためにラルファとグィネをその場に送る以外は、領内の各所を見回って正確な地図の作成をすることが求められた。
「そのついでに作付けされてる畑の面積を調べて、領主の評判とか調べればいいんでしょ? 楽勝よ」
「まぁ、そうですねぇ。ラルが言うように楽勝かどうかはわからないですけど。優先は線路のコース決め。次は耕作面積の調査。で、その過程で街や村、道沿いの地図は出来るとしてもそれ以外の場所を埋めるには相応の時間がかかりそうです……」
グィネが少し心配そうに言った。
「ああ、そこまで地図が出来たら……北の方かな」
「え? ダート平原じゃないんですか?」
「そうよ。新しく開墾するにしてもあっちの方が良いんじゃない? なら先に地図作った方が……」
「ラルの言う通りですよ。ダート平原以外で平地が広がっていて、水の便が良さそうな場所は限られてるでしょうし……」
アルの言葉に二人は疑問を挟む。
「うーん。それは尤もなんだけどな。だけど、ダート平原の地図は無くてもなんとかなる。村と街道だけで充分だ。殆どが平地だし、川も大小ある。極論を言えば、川沿いに適当に切り開いたっていいんだ。だけど、北の方はそうも行かない。土地の高低差もあるし、地質の問題もある。何より、将来的に周囲の他の貴族領との交易の窓口は増やしたい。可能ならウィード山を挟んでウィードの反対側の北西と、バシュケル山を挟んでゾンディールの反対側の北東部に交易の窓口となる村を作りたいと思ってるんだ」
「へー」
「うーん。東西はわかりましたけど、北の中央部は? ヘンソン村の辺り」
「そっちの方は当面いい。うちの領地の北はダズール伯爵が治めてるんだけど、そこの首都は東の方だからな。それに領境を北に越えるとすぐに湿原らしいし」
その後も三人の間で幾つか細かい話や指示が行われ、いつしか時刻は夕方になった。
折角の機会でもあるので、アルは今晩の夕食はべグリッツに居る転生者やズールーなど、冒険者時代の者を集めることにしたようだ。
その中には、マールやリンビーなどグィネの護衛に付ける戦闘奴隷も含まれていたのは言うまでもないし、末席にはトールも座っていた。
「あの、ラルファ……ファイアフリード様。その、俺の両親や兄貴は……?」
おずおずとラルファに家族の様子を尋ねるトール。
トールの家族はウィード山で鉱夫として働いていたが、その所有者は元の所有者であるカズム男爵からゼノムに引き継がれていたのである。
当然、その件については全員が知っていた。
何しろバルドゥックから移動する途中に立ち寄ったウィードで一度顔を合わせていたからだ。
その際にゼノムはトールに「家族は将来トールがそれなりの立場となって買いに来るまで誰にも売らない」と約束している。
因みに、アルが買わなかったのは鉱山奴隷の使い道が無かったためで他意はない。
同じ領内で、それなりに生活出来ている事が確認された事もあって、トールも不満感を顕わにはしなかった。
「ああ、普通。病気もなく元気に働いてるわ。えーっと、ごめん、名前忘れちゃったけど、お兄さんの子供がもう少し大きくなったら連れて来て会わせてあげてもいいって」
トールの兄は数年前に結婚しており、子供も四人生まれていた。
そのうちの一番下の子は今年の春先に生まれたばかりであり、余程豪華で大型の馬車を使ってかなり速度を落とした移動でもしない限りは宿泊を要するような移動を行うと体調を崩す可能性もある。
そんな馬車は大貴族の中でも余程裕福な者しか所有していない。
又はゴムタイヤを履き、サスペンションでもあれば別であるが、生憎とその大部分はバルドゥックからの移動に持って行かれてしまっていたし、唯一残っていた一台も奴隷の新生児の移送と騎士団員の訓練では重要さのレベルが違う。
「そう……ですか。まぁ、元気ならいいんですよ。教えてくれてありがとうございます」
少しだけ落胆したような声でトールは返事をすると自分の席に戻った。
・・・・・・・・・
7449年8月22日
翌朝、ラルファとグィネの二人は線路敷設の工事現場に顔を出した。
「おおー、線路じゃん!」
「結構立派なんですねぇ!」
線路のレールの間には、機関車の役目をする馬専用の道路とでも言うべき、防腐処理をした板を敷いているので、二人の目には昔の踏切内の線路のように見えていた。
今のところ駅と定めた場所からミード村方面へ直線でしか敷設していないが、べグリッツからミード村までの間はいつまでも一直線では結べない。
一直線で結ぶことが出来れば理想だが、大体の方角に一直線に伸ばしただけでグィネが作成した地図をもとに伸ばす方角を決めた訳でもない。
従って、いつかはどこかでカーブを描き、方向の修正が必要になるだろう。
可能なら早いうちにゆったりとしたカーブで方向の修正を行いたいのだ。
そのために彼女らは方角の指示を出すために顔を出したのであった。
グィネは自らが描いた簡易な地図を既に敷設されたレールの上に置くと周囲の風景を改めて眺めた。
そして、慎重に地図の角度を合わせると、やはり僅かなズレが認められた。
「レールの継ぎ目が少し開いてるみたいだし、今のところわざわざ曲がったレールを作らなくても良さそうね……」
グィネが言うのはレールに次のレールを継ぎ足す時に、完全な直線ではなく僅かに斜めに継ぐことで何とかなりそうだというものだった。
工事を行う前に実験した結果、レールの継ぎ目は膨張を考慮に入れても二㎝もあれば充分な事が判明しており、円滑な運行のために継ぎ目はホゾのようにすることに決まっている。
微妙に角度がついたとしても大きな問題はない。
馬車鉄道に使用するレールは運搬や人力による積み下ろしなど、重量の都合で僅か七mの長さしかない。
日本の鉄道に使うレールのように二五mとか一〇〇mなどという長大なものではないので、カーブが必要になっても流石に手で曲げるという訳には行かなかった。
グィネが何と言うか、心配そうにしていたズールーは彼女の言葉を聞いて大きく息を吐いた。
「ああ、良かった……これ以上……何にしても良かった……」
本物の鉄道のレールの一本の長さはもっと長く25mが基本だそうです。
でも、運送用のトラックなどはともかく、起重機がないので一本7mとしました。
今後は出来た部分の線路も利用できる場所までは利用して製造したレールを運ぶのでしょうが、起重機はありませんから長さが大きく変わることはないでしょう。




