第四十六話 疑問符 3
7449年4月18日
「我らをお呼びとの由、承りまして参上いたしました」
大会議室を臨時のパーティー会場に模様替えをする間に、キブナル士爵母子を応接室に呼び出した。
彼女らの顔色は再び悪くなって指先は僅かに震えてすらいるように見える。
応接は上座である奥に一人がけのソファが二つ並び、低いテーブルを挟んで部屋の入り口に近い方に三人がけのソファが一つ置かれている。
行政府の応接では俺やミヅチが使う場合に限りこのような座席配置になる。
「掛けろ」
三人がけのソファを手のひらで示して命じた。
俺に命じられてキブナル母子は三人がけのソファに並んで腰を下ろした。
「なぜ呼ばれたか解っていて?」
俺の隣で一人がけのソファにゆったりと腰掛けているミヅチが少し柔らかい口調で尋ねた。
彼女ら母子を呼び出す前の僅かな時間でミヅチと話し合ったのだが、やはりミヅチも彼女らの態度には疑問を抱いていたらしい。
「……そ、それは……」
落ち着きなく唾を飲み込みながらキブナル士爵が答えようとする。
「…………」
数秒間、応接間は沈黙に支配された。
心当たりはあるものの、口に出すのは憚られる、か?
「実はね、もう知っているとは思うけれど、私達がべグリッツに着任する前の晩、前代官のラフリーグ伯爵がお住いになっておられた屋敷が火事で燃えちゃったのよね……」
ミヅチが誘導し始めたようだ。
「……っ……」
若いオズマンドが息を呑む。
こいつは騎士団の従士だから領主の屋敷が焼失してしまっていることはよく知っている筈だ。
火事自体は隠していないし、そもそも俺が赴任する前の事だしね。
母親のキブナル士爵は青い顔のまま口を結んでいる。
まぁ、知っていた、という顔だね。
「仕方ないから新しく屋敷を建て直すまで私達は郊外のコートジル城に身を寄せているんだけどね」
ミヅチは世間話でもするかのように自然に話し始めた。
俺も肩を竦めておどけるようにしている。
「そ、それは色々とご不便でしょう……」
士爵はどうにか声を絞り出すことに成功した。
「ん、それ程でもないけどね。……それはともかく、屋敷は屋根まで燃えちゃってたから完全に建て直すしかなかったのよね。まぁ、全部私好みに建てていいって言うから、それは嬉しいんだけど……」
ここでミヅチは息を継いでキブナル士爵を見た。
士爵は愛想笑を浮かべているが……それはどう見ても無理やり作っている表情にしか見えない。
「……な、何か問題でも?」
勿体つけたミヅチの喋りに痺れを切らしたのか、士爵はかなり核心に近い質問を飛ばす。
核心に近いがミヅチの言い方ならこの尋ね方でも不思議はないか。
「問題?」
にっこりと微笑んでミヅチは聞き返した。
「あ、いえ、不都合でもあったのかと……」
「ん~、不都合と言えば不都合が、都合が良かったと言えば都合が良かった事もあったかな?」
「そ、それは……?」
士爵だけでなくオズマンドもゴクリと唾を飲み込んだ。
「焼けた家からね……出てきたのよ」
ミヅチはニヤリと笑って言う。
おっかない笑みだな。
そんな笑い方されたら俺は苦笑しか浮かべられないわ。
「ん? 何か知っているのか? ……まさか?」
長くなってもしょうがないから、雰囲気を変えた方が良いだろう。
少しばかり凄みを利かせて言ってみる。
何しろこの後はパーティーが待っているのだ。
「貴女達、さっきから書類が出てくる度に落ち着かなかったわよね。気付いていないとでも思っていて?」
ミヅチの声も冷たくなっている。
「あ……も、申し訳ありません! お屋敷の床下の地面から……出てきたことを先ほど母に話してしまいましたっ!」
空気に耐え切れなくなったのか、オズマンドは半べそをかきながら椅子から飛び降り、這いつくばって詫びてきた。
騎士団の従士として鍛えられているとはいえ、やはりまだ一六の小僧ということか。
「従士キブナル。椅子に座れ。それと質問に答えろ」
床に両手をついてわなわなと震える小僧を見下ろしながら言った。
「お前、あの時居なかったよな? なぜ地面から何か出てきたことを知っている? それと、出てきた物の中身を知ってるのか? 包み隠さずに申せ」
俺の命令にオズマンドはガクガクと震えているだけだ。
士爵の方はより一層真っ青になって息子に視線を落としている。
その間にディテクト・ライの魔術を……と。
「そ、その……従士デスダンと従士ハミルトンの会話を聞いてしまいました」
デスダンとハミルトンと言うのはあの日見張りに立っていた警ら中の従士だ。
一応口止めとして誰にも言うなとも言っておいたし、ディテクト・ライで誰にも言っていないことは確認していたのだが……。
「私の目をしっかりと見て話せ」
ディテクト・ライについては完璧ではない。本人が嘘を、若しくは真実だと思っている事以外を口にした時のみ反応するからな。
誰にも話していないだろうな? はい、誰にも話していません。と言われても盗み聞きされていたらアウトである。
しかし……ちっ。
あの従士共には例の件についてお互い同士での会話も禁じておくんだった。
とは言え、そもそもいつまでも隠しおおせるものではないだろうと考えていたのも確かだ。
事実、僅か一週間でこうして情報は漏れている。
全てではないにしても。
「中身については内容までは存じません。古い羊皮紙の束とだけ……本当です」
魔術への反応はなし。
話していることについて意図的に騙そうという意志は無いようだ。
「古い羊皮紙の束……内容を知らずにそれだけを聞いただけにしては……」
「ああ、おかしいな。何を恐れているんだ?」
ミヅチの呟きを受けて俺は新たに質問した。
「は……そ、その……」
オズマンドは未だ立ち上がろうともせずに床から俺を見上げたまま口ごもる。
「閣下。息子が妙なことを申し上げて……済みません。ですが……」
士爵は詰問されている息子を見ていられなくなったのか、庇うように口を挟んできた。
どことなく開き直ったような感じも受けるが、その顔つきは全てを諦めた訳では無いようだ。
「ですが、お屋敷の地面から古い羊皮紙が出てきた程度のことでなぜここまで? 私には理解できません」
どうにかしてこの場を切り抜けようかと必死に言葉を探している。
内容については知らなかったことにしてとぼけ通そうという肚だろう。
若しくは母親としてなんとか息子を庇いたいという気持ちの現われか。
「さて、なぜだろうな? 士爵にはその羊皮紙に書かれていた内容についての事だと想像くらいはできぬか?」
「……」
こんな言い方じゃダメだな。
「士爵、それから従士オズマンドよ。私の問いに答えよ。羊皮紙に書かれていた内容について知っているか?」
「……いえ、存じません」
「……わかりません」
嘘ではない。
「じゃあ、書かれていたのがどういう内容だったかは想像出来る?」
ミヅチが尋ねた。
ああ、そうかもな。
「答えろ。地面から出てきた書類の内容は知らずとも、書かれていた内容について心当たりはあるか?」
「……存じません」
「……心当たりはございません」
嘘だ。
だが、得心がいった。
彼らは元々、代官の屋敷に過去の反抗計画書またはキブナル士爵家にとって都合の良くない事柄が書かれている書類が存在していた事について知っていたのだ。
ミヅチと目を合わせると小さく頷いた。
こいつもディテクト・ライを使っていたか。
「誠か?」
「はい」
「は、はい」
これも嘘だ。
「ほう。誠とな。その割には顔色が良くないな」
「……」
「……」
どうしようかな?
ポケットに水を入れた薬瓶が入っている。
嘘を吐いた者が飲むと死ぬ魔法の毒薬だ、と言って飲むか聞いてみようか?
飲ませる直前に何か調合するふりをして毒の魔術を使うという手もあるが……。
……そこまでしなくてもいいか。
「一つ教えておいてやる」
先任の領主と対立したい訳ではない。
「お……私はな、この領地に封ぜられるにあたって幾つか決心していることがある」
ソファの背凭れにふんぞり返っていた姿勢を改め、右膝に右肘を当て、拳の上に顎を乗せるような姿勢をとると話しだした。
「まず最初はこの地に住まう者、全てについてだ」
二人は身を乗り出して話し始めた俺の顔を見ている。
「全員、今までよりも幸せになって欲しいと思っている。豊かな生活を営み、憂いなく子を産み、育て、笑って生きて行ける地にしたいと思っている。上は勿論私だが、下は一番下賤な奴隷に至るまで全員だ。こう言っては誤解されるかも知れぬが、ここは誤解を恐れずに言おう。貴族は貴族として、平民は平民として、自由民は自由民として、そして奴隷は奴隷としてこの世で一番豊かで幸せな人生を送ることの出来る土地にしたいと思っている……出来る出来ないではない。常にそう志向し、それを目標に歩みを止めない、という意味に捉えて貰えると嬉しい」
左の肘掛けに乗せていた手の上にミヅチの手が重ねられた。
俺個人としては貴族だの平民だの奴隷だのといった生まれながらの身分については納得の行かない部分も残っている。
日本では第二次世界大戦の敗戦とともに貴族という存在自体がなくなり、僅かに皇族のみしか残ってはおらず、殆ど全ての国民は平等であるとされているし、俺自身そのような時代に生まれ育っている。
身分とは別に色々な格差が存在することについては全く別の話なので今は関係ない。
尤も、格差が存在すると言っても金持ちだろうが貧乏人だろうが、政治家だろうがなんだろうがどんな存在でも等しく同じ法を適用されるので、そういう意味では平等であると主張することも可能だろう。
しかし、幸か不幸か、転生したオースは二十一世紀の日本ほどに社会は成熟しておらず、平均的に見れば平安時代、下手したら奈良時代とか飛鳥時代的なところも多く残されていた。良くて鎌倉、ごく一部で室町とかギリギリ安土桃山や江戸時代に通じる部分もある、という程度だ。
そのような時代に「人は皆、生まれながらに平等な権利を持っている。能力ではなく生まれの階層で差別されるのはおかしい」とか主張するのは頂点に君臨する王様を除いて、全くのアホ以外にはいないだろう。
仮に王様が言ったとしても、そんなこと言ったらどうなるのか、想像に難くはないからアホだとは思うけど。
俺も奴隷として生まれて、死ぬような目に合わされて暮らしてきたのであれば、最後の最後に破れかぶれでそう主張する可能性はあったかも知れない、という程度のものだ。
でも、もし奴隷として生まれたのであればそこから脱するためにあらゆる手を使って這い上がる努力を重ねたとは思うけれど。
ただ、あんたも既に知っての通り、俺は非常に運の良いことに下っ端ながらギリギリ貴族として生まれ育ったので個人の感情を云々言う前に、平穏無事に過ごすという利益を享受するために貴族であることについては最大限に利用したし、今後も利用するつもりだ。
まぁ、俺個人の魂として身分社会には納得しがたい部分もあるが、理性ではすっかり受け入れているし、それはきっと俺だけではなく、俺の知る限りほぼ全ての転生者も認めるところだと思う。
とにかく、先の言葉で貴族や他の階層の人を分けて表現しているのは……改めての俺自身への宣言でもある。
「その為の方法についても考えはある。具体的な方策については時が来れば当然指示をするが今は方針だけ教えておく。まずこの地の産業を発展させること……これには新しい産業の創造も含まれるが、とにかく経済的に大きく成長することで今までの生活より良い暮らしになるよう、どんな努力でもするつもりだ。世の中は何事も金がなくては上手く行かぬしな」
あまり大した事を言っているという自覚はないが、二人は真剣な表情で聞いている。
ちょっと照れるね。
「領地に金が入り、それが回り出せば……それによって最初に恩恵を受けるのは各地を治める領主たちであろうが、領主たちが幸せになればその庇護下にある領民たちも幸せになろうという物だしな」
ちらりとミヅチを見ると目が合った。
俺なんか見てないで二人を見てろよ。
「次にそなたら貴族たちについてだ。先任だろうが、古くから付き合いがあろうが私の下に領主たちは皆平等だ。勿論、能力や働きで相応に評価は変わるがな。それは平民も、自由民も、奴隷ですらそうだ。領地のため、私のために役立った者はどんどん評価する」
そう。
先ほどの俺自身への宣言だが、生まれの階層による差別は無くせないし、無理をしてまで無くすつもりもない。
俺の領地では、少なくとも俺が権力を握っているうちは奴隷に対して法的に人権を与えるつもりもない。
大混乱を招くだけだしね。
だが、奴隷は一生奴隷のままでいろ、などと言うつもりはさらさらない。
相応の働きをしたのであれば新たな身分や地位を与えるに吝かではないのだ。
王国でもめったに無い事だが前例なんか幾らでもあるし。
とは言え、基本的には世襲になるので簡単に貴族位や平民位を与えるつもりはないが。
この階層の人数は一定割合を超えると色々問題が多そうだしな。
何より一度与えてしまったら余程大きな失敗でもやらかさない限りは周囲に大きな影響を与えずに取り上げるのも困難になるからだ。
やろうと思ったら強権発動で目つきが気に食わないと言ってぶっ殺してもいいんだけどさ。
外聞が悪いじゃんか。
「そなたらこの地の先任の領主たちともせっかく出来た縁だ。大切にしたい。私はいかなる理由があろうとも領主たちを守る。その為に私の権限においてこの地で適用する法については……私が王国の法について納得行かぬと思うのであれば変えられる限りは変える」
顎から拳を外し、右に傾いていた姿勢を真っ直ぐに直しながら言った。
身分制などの生活に根ざした価値観に関わるようなものは変えるつもりはないが、祖先の犯した罪を何代も後の子孫が被るなどという罪は変えたとしても心理的な抵抗は少ないだろう。
この場合の心理的な抵抗を感じる人、というのは勿論国王を始めとする王国の上の方の人たちの事だ。
彼らも馬鹿じゃないから仮に俺と同じ証拠を得たとしても、せいぜいそれをネタに今の領主たちを強請るくらいで基本的には握り潰すに決まってる。
何より、領地に封じてすぐに俺を処断するというのもみっともなくて出来ないだろう。
たとえ反逆罪と言えども、一〇〇年以上前の話で、しかも実際には計画だけで実行された訳でもない。
そもそも、反逆罪の証拠を握っているのは俺だから、俺が証拠を公開しなければ反逆罪自体が存在しない。
法を変えるにしても王国の上層部には「全ての犯罪には時効を設けます。一〇年前の盗みを知ったとして、それを一々話を聞いて裁くほど新任領主は暇じゃありませんので。あ、それから犯罪の連座制も現行犯以外は無くします。三〇年前の殺人が暴かれたとして、殺人犯の兄弟や子供を殺してもあんまり意味無いですし。と言うか、犯人が平民だろうが自由民だろうが、兄弟とか子供とか、どっかに売られちゃってる可能性が高いですから、時間と費用を使って探すの大変ですし」とか言っておけば「お前の領地なんだし勝手にしろ」と言われてお終いだろう。
「例えば……大昔の事などで祖先の犯した罪を現代の子孫が被るなど、おかしいとは思わぬか?」
二人の顔つきが変わった。
「それはともかく、評価をするには正しい報告が行われなくては始まらない。例えば戦場で武功を上げた兵士がいたとして、本人の申告した戦果が間違っていたら困るだろう? 従士キブナルよ、どう思う?」
息子の方に質問をしてみた。
「は。閣下の仰る通りです。しかし、戦場では混乱することも多く……」
そういう事を言ってるんじゃないよ、間抜け。
キブナル士爵もあちゃー、という表情をしている。
「意図的に嘘の武功を報告されたら困るわね」
「うむ。混乱の中で正確な状況を把握できず、仕方なく色々な状況などから類推して少しでも正確になるように報告するのと、意図的にありもしない事を報告されるのとでは全く異なるな」
ミヅチがフォローを入れたことでオズマンドにも自らの発言の愚かさが理解できたようだ。
俺にしてもこの程度でのことで一六のガキを責めるつもりはないので威圧的にならないように心掛けた。
「だからな……私は嘘を吐かれるのは嫌いだ。正確な判断が出来なくなるからな」
再び背凭れにふんぞり返る。
「改めてもう一度問おう。そなたら、屋敷の地面から出てきた書類の中身を知っているか、想像がついているのではないか? 正直に申せ」
キブナル士爵は一度だけ目を閉じるが、すぐにしっかりとこちらを見て話し始めた。
事情を把握した俺とミヅチはキブナル士爵母子に対して「悪いようにはしないから安心しろ」と言ってやり、続けて「ハッシュ村の領主は忠実なようで私も嬉しく思う。今後も領主としてハッシュ村を大きくするために尽くせ」と言うのは忘れなかった。
また、今日の今後について幾つか言葉を掛けてやって安心した様子になった母子を応接から解放した。
・・・・・・・・・
「うむ。すっかり用意は整っているようだな。まずは乾杯といこうか」
学校の教室のような大会議室には長テーブルが三つ運び入れられ、その上には料理や飲物が所狭しと並んでいる。
料理はカムランという、べグリッツで最高と謳われているレストランから出前させた、そこそこ値の張るものだし、酒も高級なワインや焼酎が揃っている。
ただし、料理の取り皿や盛り付けがなされた大皿、焼酎を入れるカップやビールのジョッキについては別として、乾杯に使うワイン用のグラス(?)に限っては予め用意させた鋳鉄製の、木製よりは多少はマシ、という程度の安物しかない。
鋳鉄製の食器は丈夫なだけが取り柄で、かなり使い込んでもワインの味や香りが変わってしまうのでワインを飲むには適さないという大きな弱点も抱えている。
加えて、重い。
それを除けば薬缶や鍋釜、単なるコップなどでは一般的であり、いざという時には鈍器にもなるので行商人や冒険者が使うような食器と言っても良い。
それでもトールに型を作らせただけあって、一般品よりは大分薄く、デザインも多少凝っているところが救いか。
微妙な顔をして黒いワイングラスを持ち始める領主たち全員にワイングラス(?)が行き渡ったことを確認して乾杯の音頭を取るべく、居住まいを正して口を開く。
にこやかな表情は消し、すこし凄みのある表情を意識する。
「皆の者、今日は忙しいところ、遠路ご苦労であった。さて、知っている者もおろうが、乾杯の前に改めて自己紹介をしよう。私は昨年、バルドゥックの主であるドラゴンを倒し、迷宮を制覇した竜殺しだ。そして、先ほども言った通り、進んだ世界からこの大地に生まれ変わってもいる。そんな私の実力の一端を披露しよう」
そう言うと結構高級なワインが入っている深い緑色の瓶を一本持って、中央の一番前に立っていたコーヴ男爵に近づいた。
注ぎやすいように差し出してくるのを待って、彼の持っている重そうなカップに触れる。
そして金属ガラス化の魔術を使った。
鋳鉄製のカップは男爵の手の中でみるみるうちに透明なガラスへと変貌を遂げる。
元が鋳鉄なので表面はざらついているが、そのざらつきごと透明になり、部屋を照らす明かりの魔道具の光を乱反射してツルッとしたグラスよりは少しだけ豪華な感じがしないでもない。
「お、おお! これは……」
恐らく、重量も軽くなった事に驚いた男爵はカップを取り落とさないように左手を添え、明かりに翳している。
落とすなよ、と言いながらワインを注いでやった。
「まさか、これは……?」
ガラスと言ったら緑色のものしか見たことがないであろう男爵は呆然としている。
「ガラスだ。気に入ったのなら持って帰っても良いぞ」
透明なガラスなどまず存在していないオースでは一体幾らの値がつくのか。
王宮で使われていたワイングラスも薄い緑色がせいぜいだったし。
持って帰っても良いと言われたからか、驚いたままの男爵を他所に、領主たちの間を歩きまわって全員が持つカップをグラスに変えてやった。
酒は行き渡った。
さて……。




