第四十二話 領主の日常 4
7449年4月14日
「よーし、いくぞ! 一、二、三、それっ!」
リーグル伯爵領の中では比較的東の方に位置する開拓村、ミドーラ村の領主であるビンスは、早速村の平民や奴隷に混じって開墾の指揮を執っていた。
彼の掛け声の下、大きな木の切り株に引っ掛けられた綱を引く者と、可能な限りの根を切った切り株に群がって押す者が力を合わせて働いている。
その他、数名は梃子を使って少しでも切り株を浮かせるべく顔を真っ赤にしている。
ビンス自身を含め、合計で三〇名程もいようか。
大部分は綱を引く人足だ。
ビキ……。
地中にあってまだ切られていない根の一部が千切れる音がした。
「よし、もう少しだ! もう一度いくぞ! 一、二、三、それっ!」
ビンスも上半身裸になって切り株に手を当てている。
彼の背中に隆々とした筋肉が盛り上がると、珠のように浮いた汗が背中を流れ落ちた。
切り株に三本結わえ付けられている真ん中の綱の先には大きな軍馬もいて、一人の奴隷が手綱を取りながらビンスの号令に合わせて「さぁっ! どう! どう!」と馬の首を撫でながら牽いている。
「っく……くおぉぉっ!」
吠え声にも似た叫びがビンスの口を突いて出る。
ビキビキブチブチィッ、と大きな音がして切り株はかなり大きく傾いた。
男たちの顔に笑みが浮かぶ。
ここまでになれば後はそれなりに大変だが今までの比ではない。
大人が数人もいればなんとでも出来る。
「……っふぅ~、よし。皆の者、ご苦労だったな」
手の甲で汗を拭いながらビンスが微笑んで言った。
「今日も早く終わったな」
「ああ、流石はお屋形様だな」
周囲の男たちも無事に進んだ開墾作業に安堵のため息を漏らしつつ、思い思いに手拭いや手の甲で汗を拭く。
太陽は中天を大きく通り過ぎているが、まだ夕闇には余裕がある。
「では、私は屋敷に戻る。今日の普請手当は夕方にでも受け取りに来い」
ビンスは男たちに声を掛けると、村で唯一の軍馬を操っていた奴隷を伴って屋敷へと歩き始めた。軍馬に鞍は掛けられていないので二人は共に徒歩だ。
「新しいお屋形様がいい方で良かっただな……」
「ああ。ぽっと出のお貴族様らしいというから心配だったがのぅ……」
「ジョシュが言ってたのは本当だったんだべな」
「ほんまにのう、まさかお貴族様自らオラどもとご一緒に……」
貧しい身なりをしている奴隷の男たちが会話をしている。
「全くだ。俺も同じ心配をしていたが、あの方は働き者だな」
「あの奴隷もな」
「でも、あのヘンリーっつー奴隷はお屋形様の奴隷じゃないんだと。本当はご領主様の奴隷なんだってよ」
「馬を操れる奴隷ってのも大したもんだ……そうか、ご領主様の奴隷であったか……」
こちらは少しマシな格好をした平民の会話だ。中にはブーツを履いている者もいた。
ビンスは赴任して早々、農地を増やすためと称して村の周囲に広がる森の開墾を始めている。
そして、その為に村の平民家に労働力の供出を命じていた。
その際に支払われる普請の手当については伯爵領で定められている一日一〇〇〇Zを基本としているが、出来るだけ多くの異なった顔ぶれと会話をしたかったので初めて普請に出てくる者に対しては老若男女を問わず、一〇〇Zを追加で払っている。
この普請手当は労働者本人に支払われるのではなく、労働力を供出した平民家に対して供出した人数に応じて支払われる。
勿論、普請に参加した者が平民か奴隷か、男か女かで金額は違わない。
平民家としては、出来るだけ農作業で戦力にならない者を送りたいが、貴重な現金収入の一つでもある上、働きが悪いと次の普請の際に声が掛からない可能性もあるので基本的には働き盛りの男手が持ち回りで参加するのが普通であった。
また、領主に好感を持たれたいと思うのが普通なので、家によっては次代の家督を継ぐ予定の者が来ることもあれば、家督者本人が来ることすらも珍しくはない。
屋敷への帰り道、ビンスは隣を歩くヘンリーに語りかける。
「すまんな。俺の奴隷がまだ少なくって……」
「いえ、お気になさらず……。このミドーラ村の農地が増えれば、いずれはご主人様に返ってきますから」
ミドーラ村は伯爵領の開拓村でも比較的古い方なので農地はそれなりに広い。
人口も六〇〇人以上居る。
村の中心部にある、防護柵に守られた居留地まではもう少し歩かねばならない。
「うん。夏にはヒスが奴隷を連れて来るだろうし、そうしたら筋の良さそうな奴を二・三人鍛えれば、従士も居るから毎週パトロールも出来るようになる。今は月に二回が精一杯だしな……。それに、来年からは実家から従士も二人来る。ヘンリーには悪いが年明けくらいまではよろしく頼む」
「勿論です。ヒスも人を見る目はあるでしょうし、迷宮でそれなりに戦闘経験も積ませるでしょうから、私などお役に立てるかどうか……」
「謙遜するな。お前は閣下の奴隷中頭なんだろう? 元は騎士なんだし、あの迷宮でも相当な冒険者として有名だったじゃないか」
「いえ、そんな……私などまだまだです。それよりゲクドー様、あそこに見えるのは猟師の……アーベントロートではないですか? 何か獲物を獲っているようですね」
ヘンリーが指を差す先には村で猟師を営む虎人族のアーベントロートが彼の妻と娘を伴って歩いているのが見える。夫婦が担ぐ棒には四足獣らしい獲物が逆さになってぶら下がっている。
「お? あれは……白毛鹿か!? ここらでも穫れるとは嬉しいな。俺はあれの煮込みが大好物なんだよ。ヘンリー、すまんが先にひとっ走り行っていいところを買っといてくれ」
「分かりました。代金は立て替えておきます」
「ああ、すまんな。頼む」
ヘンリーはビンスに手綱を預けると畑の真ん中を通る農道を駆け出す。
猟師が獲ってきた獲物の肉のうち上等な部分は大抵の場合、領主がかなり多目の金額で買い取る。そうすることで残りの肉は貧しい平民や奴隷にも手の届く金額になるのだ。
その日の夜、領主の館ではヘンリーを始めとしてビンスの所有する十人弱の農奴に白毛鹿のシチューが振る舞われた。
村に駐屯する第四騎士団は備蓄もある上、パトロールと称して自前で何とかすることもあるのでこういった、猟師の獲物にありつくことは稀だ。
・・・・・・・・・
7449年4月15日
リーグル伯爵領、ベージュ村。領地の首都であるべグリッツからは物理的に一番距離のある村でもある。
その村の南東部の農地から森に踏み入って二㎞ほどの少しばかり開けた場所。
村に駐屯していた王国第二騎士団のメンバーを数人借りてパトロールに出かけたカームは、ここで小休止を取ることにした。
続けて周囲に四名、歩哨を立てて一〇分で交代すると告げ、自分は最初の歩哨へと向かおうとする。
「メック、悪いけど水をお願い」
すぐに振り返ると言うのを忘れていたとでも言うような、少しバツの悪そうな顔をして一人の奴隷に言った。命令するというよりは頼むような言葉と口調であった。
「分かりました、ミシャウス様」
メイスン・ガルハシュは腰にぶら下げていた小型のバケツを地面に置くとその上に掌を翳す。
彼が少し眉根を寄せるように集中するとバケツに翳した掌からバケツが溢れかえるほどの水が噴き出した。
メックは火魔法を使うことは出来ないので、彼の出す水は生ぬるい。
しかし、パトロールに参加している面々は次々に水筒を出してバケツに突っ込み、生ぬるい水で水筒を満たす。
「しっかし、水魔法のレベルが四レベルとは本当に大したもんだな」
「ああ。こんなに水を出してもまだ……」
「うちのギージュ中隊長と張り合えるよな」
メックは水魔法について四レベルの実力を誇っている。
今は小さなバケツに対して太い水栓から噴き出すように水を出しているが、その勢いは風呂桶を満たすほどの量で続けられるのだ。
これだけの量の水を持ち運ばなくて済むのは大したものだが、流石に風呂桶一杯程度では農作業の足しになるかどうか程度の量でしかない。
「んぐっ、んぐっ、んぐっ……っぷは~っ!」
バケツから汲んだ水を一気に飲み干すと、ロッコは満足気な顔をしてまた水筒をバケツに浸し、口まで一杯にする。
水を出し終わったメックもバケツに自分の水筒を浸して飲む。
バケツに残った水はその分減ってしまったが、歩哨に向かった四人が一杯ずつ飲んで、水筒を満たすくらいは残っている。
「話に聞いていたケンタウロスってのはいつ出てくるんだ?」
傍の木の根にあった丁度いい大きさの瘤に腰を掛けてロッコは騎士団の若手に尋ねた。
騎士団が行う軍事的なパトロールとは別に、彼らは村に到着した三週間ほど前から二日おきくらいにこうして村の周囲のパトロールを始めているが、ゴブリンやコボルド、セイバービートル、ジャイアントセンチピード、ダークスパイダーといった比較的安全に戦える、メジャーな魔物としか出会っていなかった。
「いつと申されましても……確かにここ最近は見掛けませんが、来ないなら来ないでいいじゃありませんか」
兜の面頬を上げ、手拭いで汗を拭きながら若手は答えた。
「ま、そりゃそうなんだがな。でもよ、畑に被害が出る前に少しでも減らしておきたいんだよ。なぁ、メック」
ロッコは傍の地面に座り、他の若手と何やら話していたメックに話を振った。
「確かにそうですね。……ところで、ケンタウロスが馬の頭の代わりに人の上半身が生えているというのは本当なのですか?」
メックの問いかけに騎士団の若手達は揃って首肯する。
「ああ。騎士のように落馬もしないし、森の中でも結構早く走れる。現れる時は必ず複数だし、そこらの魔物なんか比較にならない程頭もいい。かなりの強敵だ」
「でも、ケイネスタンさんもガルハシュも、それにミシャウス様だって物凄くお強いと聞いているぞ。あのオーガをすら何匹も倒しているって……」
「うむ、魔物相手なら心強いよな」
それを聞いてロッコは「はっはっは。任せておけ」と高らかに笑っていた。
その時。
「魔物だっ! ケ、ケンタウロス!?」
彼らが休憩していた場所より少し南の方。
そちらを担当していた歩哨から警告の叫び声が上がった。
一瞬にしてロッコの目から笑いが消え、あたかもバネ仕掛けであるかのように立ち上がる。
立ち上がった時には腰の魔剣、急所狙いの剣は鞘から引き抜かれ、右手の中に収まっている。
メックも腰に結わえ付けている途中の水筒を放り出して剣を抜き、盾のハンドルを握って立ち上がっていた。
「一人ここに残って遅れてきた奴を誘導しろ! 残りは付いて来い! メック、二列縦隊で行くぞ!」
「はい!」
声のした方へ駆け出したロッコは「今行くっ! 守りに徹して耐えろっ!」と叫びながら森の中へと突っ込む。
その右隣ではメックが低い場所に生えていた樹の枝を屈んでやり過ごしつつ、前進の速度を緩めてはいない。
彼らに付き従うは王国第二騎士団の第五大隊に所属する第二中隊、通称二五二中隊に所属する若手の従士が四名。
口々に突撃の叫び声を張り上げながら警告を発した歩哨のいる方向へと疾走した。
「チルゴウズ・ダッヘ・デー!」
「ゲッド!」
「ゲッド!」
「オオオオオッ!」
聞き慣れない言葉が響いている。
ロッコが戦場に到着した時、歩哨に立っていた従士は地に伏していた。
その周囲には馬の首が生えているはずの場所に人の上半身を生やした魔物、ケンタウロスが四・五匹(頭?)も居て、そのうちの一頭が今まさに止めを刺そうと手にした短槍を振り被ろうとしていたところだった。
ケンタウロス達は人の姿をした上半身だけでなく、馬体の全面を覆うように鞣し革で作ったらしい鎧を身に着けている。
ロッコは雄叫びを上げた。
叫びながらも突撃のスピードを全く緩めることなく、一番手近なケンタウロスに向かっていく。
その脇を空気を引き裂きつつ何かが追い抜いていった。
メックが放った石の矢の魔術弾頭である。
弓から放たれる矢のように鋭く尖り、細く、長く整形された石は、短槍を振り被っていたケンタウロスの首を横から貫いた。
見事な魔術の技である。
――いいぞ、メック。いちいち言わなくても的確な仕事をしやがる!
叫ぶのを止めてニヤリと獰猛な笑みを浮かべながら、ロッコはケンタウロスが突き出して来た槍の穂先を斬り飛ばすと返す刀で人の上半身ではなく馬体の方の胸に突き入れた。
革鎧の隙間を狙って斜めに進んだ剣先は、丈夫な革紐を断ち切りながら心臓を抉る。
「ガッ! アッ!」
ケンタウロスはビクンと震えると横倒しに倒れ、すぐに動かなくなった。
――流石に上半身には届かねぇからな……でもこっちで正解か。
ロッコとしては、人ならば心臓があるであろう位置を狙いたかったのだが、リーチが足りないと判断して馬の心臓があろう位置へ目標を変えると、針の穴ほどしかない鎧の弱点に対して正確に魔剣を突き刺したのだ。
剣を引き抜きざま、横に転がり別の一頭の脚に斬り付ける。
「アアーーーッ!!」
痛みのあまり絶叫を上げて転がるケンタウロス。
そこに、追い付いてきた従士が槍を突き入れる。
転がった勢いのまま立ち上がるロッコに別の一頭から槍が突き出される。
左手の盾を使ってとっさに穂先を弾き、距離をとった。
「ゲム・イーグッ!」
「うるせぇ! ケダモノ!」
突き出された槍をスパっと断ち切りながらロッコは吠える。
「ウオオオッ!」
攻撃魔術を放ったために遅れていたメックも参戦してきた。
――ふん。なら俺の相手はこいつだけで良さそうだな。
穂先を斬り飛ばされたケンタウロスはただの棒と化した槍の残骸を投げ捨てると腰(?)に提げていた曲刀を引き抜いてロッコに襲いかかる。
――よっ……はっ……とりゃっ!
ロッコの頭よりも高い位置から振り下ろされるシミターを剣や盾を使って弾き、隙を見付けては脚を狙って斬り付ける。
そうこうしているうちに別の方向で歩哨に立っていた者達も到着したようで、不利を悟ったケンタウロス達は背中を見せて逃げようとする。
しかし、そこをカームの弓に貫かれて遂には全滅した。
すぐにカームは倒れた従士を診て息があることを確かめると、メックに治癒魔術を頼んだ。
メックの魔力の残りはかなり少なくなっており、二回も治癒を使ってしまうと休むまで魔術は使えないが、人命が優先された。
「にっひっひ。カームよう、こいつらの魔石ってどこにあるんだろうな?」
「知らないわよそんなの。でも、全部採らなきゃね」
まだ息のある一頭を前にして、カームは冷たく見下ろしながら答えた。
「ガム、ガム……」
虫の息のまま哀願するような声で何かを訴えるケンタウロス。
「はぁーあ。領主も楽じゃないわね……」
腰の後ろから愛用の小刀を引き抜くカーム。
「えーっと、なんて言ったっけ。ミヅチがよく言ってたのよね。……そうだ。私の経験値になれ」
そう言いながらカームはケンタウロスの耳の穴に小刀を刺し込んだ。
・・・・・・・・・
7449年4月16日
べグリッツにある、唯一の神社から連絡が来た。
俺たちがべグリッツに到着した翌日、この神社にはロッカーを借りる為に出向いていたものの、小さなロッカーしかない上に数も少ないので俺が要求する手持ちの現金、魔石、書類、その他諸々について、今はとても全部は預かれないと言われていたのだ。
その時は取り敢えず大部分の現金と価値の高い魔石、大切な書類だけを預かって貰っていたのだが、どうやらロッカーの拡張が終わったようだ。
馬車をチャーターして金属鉱石でも貴金属などの高価な物や比較的小さい魔石の詰まった袋なんかを満載して神社に向かった。
当然、全ての品は袋に入れてあるからぱっと見ただけだと値打ち物には見えない。
入り口で職員に声を掛けると既に話は通っていたらしく、すぐに運び入れてくれとの事だった。
神社のロッカーに入れるのは職員の他はロッカーを契約する者がたった一人なので、俺は表に止めてある馬車から全部の荷物を運び入れなければいけない。
金鉱石や白金鉱石なんか、重い奴は一〇㎏以上もあるのにさ。
荷台から神社の入り口に運ぶ程度しか出来ずに申し訳無さそうな顔をしているズールーや、領主である俺がヒィヒイ言っているのを見かねて、神官を始めとする職員たちも手伝ってくれたので、予想していたほどの時間は掛かりそうもないのが救いだ。
そうして荷物を運び入れていた時。
神官の一人が入り口にあった袋を持ち上げて神社の敷地に足を踏み入れた。
「あ……あ……ああ……」
神官は腹の前で袋を抱きながら中空に視線を漂わせて動きを止めた。
瞬き一つせず、呆けたような表情を浮かべて口は開いたまま、放っておけば涎でも垂らしそうだ。
あまりの異常な出来事に俺も他の職員たちも思わず固まって様子を見てしまった。
と、すぐに神官は表情を引き締めるとキョロキョロと辺りを見回した。
一体何事かと様子を窺う俺の顔を認めると、荷物を抱えたままスススッと寄って来て丁寧に頭を下げる。
「グリード様、大切なお話がございます。今すぐに奥の院までおいで下さい」
頭を上げたと思ったら神官は真剣な表情を浮かべて妙な事を言ってきた。
普通、神社の本堂まではその気になれば誰でも入れる。
満月の夜にお賽銭を上げたり、神社の札で治癒の魔術を掛けて貰うなどの機会や、単にお参りするのでもいい。結婚や奴隷購入時のステータスの書き換えなど、何らかの命名の儀式も本堂でやるし。
でも、神社の関係者以外が奥の院に入る、いや、入れるなんて話は聞いたことがない。
その証拠に周囲に居た別の神官や職員も、ぎょっとしたような表情を浮かべて凍りついたように固まっているじゃないか。
「え? あの、荷物……」
「そのような些事は彼らにお任せ下さい」
些事?
些事だと?
神官だろうが神社の職員だろうが、知る限りは貴族に対しても一般のようにきちんと敬意は払われていた。
領主である俺の大切な財産を前にして些事とか、よく言えるな。
でも、なんだか気になる。




