第十話 新婚旅行 4
7448年6月8日
炎を纏わせた剣を突き付けられているカッツェ。
右肩を剣に貫かれ、だくだくと血を流しながら地に膝を突いて左手で傷口を庇っているキャロル。
「なんだなんだぁ? こりゃ一体どういうこった? あ?」
そこに遅れて現れたトール達。
トールの傍にはジンガルやガムランなど小頭を含めて十人近くもの手下が控えている。
だが、手下達全員の顔には意外そうな、驚いたような表情が浮かんでいた。
彼らはキャロルの戦闘力についてかなりの信頼を置いていた。
また、キャロルの手下のロッシからの報告でも相手の倍の人数で相対し、時間を稼げそうなら稼ぐというところまでしか聞いていない。
それが、報告を受けて即座に急行したにも拘わらず全滅寸前にまで追い込まれているのだ。
軽口を叩きながらもトールは用心深く相手を観察する。
深緑色の髪の精人族らしい男。
紺色の髪の兎人族らしい女。
武具らしい武具は右手に握っている波打つ刃を持つ剣くらいなもので、他にそれらしいものはナイフ一本身に着けているようには見えない。
エルフのパンツにある太腿部のポケットの膨らみが左右で全然違うことが目立つくらいだ。
右が大きく膨らんでいるがよほど中身の詰まった財布を入れているのか。
エルフにしては筋肉質で体格がいい。
服はそれなりのもの……バニーマンの服装は少し変わっているが、裏町を根城にする荒くれには好まれそうではある。
それにしても盾も使わず、鎧も身に着けていないのにキャロルの魔術をどうやって防いだのかは不明だ。
まさか、剣で弾いた?
前世の漫画じゃあるまいし、仮に剣の達人だとしても大道芸以外ではあり得ない。
キャロルだってそこまで距離をおいて発射するほど間抜けではない。
だがしかし……。
その時、カッツェに剣を突きつけているエルフが用心深そうにゆっくりと振り向いた。
同時に刀身に纏わり付いていた炎が消えた。
「確かにこいつらですぜ! お頭ぁ!」
「キャロルさんが?」
「ダセェな。カッツェよう!」
「やっちめぇましょうや!」
口々に喚き立てる手下どもに対して手を上げて黙らすトール。
「少し黙れ」
十m程も離れた場所からエルフの顔を細部までよく見ようと目を細め、その為に睨みつけるような顔になる。
ついでに炎を噴く剣のタネでも見極めようとするが、そこ迄は解らない。
事によったら、あれが噂に聞く魔法の剣という奴かも知れん、と思った。
その顔を認めたトールは自分の固有技能、超器用に思い至る。
勿論、トールだって戦闘中に別方向から発射された矢や魔術など、盾でも持っていないかぎり防げない。まして剣で弾くなど不可能だ。
それとも、あの剣のお陰……いや、キャロルと相対しているバニーマンの使っている剣には変わった点はない。
エルフに次いでバニーマンの横顔を見たトールは得心する。
でも、自分と同じ日本人なら……?
防御に特化した特殊な固有技能が存在しても……。
つまりはそういうことか……。
得心しながらも久々に忙しく頭を働かせていた。
あの女も日本人か。俺好みのいい女だ。
エルフの男もこうしてみると、日本人っぽいところがよくわかるな。
こいつらの固有技能には魔術攻撃すら躱せる程の防御系のものがあるのは間違いないだろう。
と、するとそれはキャロルをぶっちめてるあの女の方か。
キャロルだって接近戦はかなり得意だからそっちの腕もあるってことだな……。
あの胸を見ろ。横から見てもかなり形よく盛り上がってやがる。
えっ? あれ、ブラか? ブラなんかあったのかよ? いや、作ったのかも。
男の方の固有技能は想像もつかんが、用心に越したことはない。
ホグスとジャクリーヌをやったのは男の方かな?
だとするとカッツェも合わせて一対三ってことだから、奴らの低い実力を差っ引いても相当な使い手ってことか。
冒険者ってのは騎士と比べて大したことないと思っていたが、なかなかどうしてやるじゃないか。
いや、魔剣を使っているからか。
……欲しいな。
ああいうのは俺のように優れた使い手が使ってこそ真価を発揮するものだろう。
くそ、あの太腿、どうしても目が行っちまう。
……ん? 結構筋肉質だな。
ふん、だが幾らそれなりの使い手といえども超器用を存分に使いこなす俺様には敵うまい。
一対一なら絶対に負けん!
しかし、日本人とは驚いたね。
やっぱり居るもんなんだな……。
うほ。バニーマンってのを抜きにしてもありゃあ凄ぇ!
でもなんであんな格好?
それはそうと、良く見りゃ腕は太いし、腹筋まで割れていやがる……。
あいつぶっ殺せばあの剣も手に入るし、やるか!?
だが、そろそろ使える手下も充実させにゃあならんと思っていたところだし……殺すのは少し勿体無いか?
……こいつらを手下にするにはどうしたら良い?
でもなぁ……。
一瞬で色々なことに思いを馳せたトールは意を決して口を開く。
『お前ら、日本人か?』
それを聞いたエルフが答える。
『そういうお前もな。だが、こんな奴らとつるんでるとはお里が知れるな』
トリスの方も意外なところで日本人が関係していることが判明したために内心ではかなり動揺していた。しかし、剣を突き付けているカッツェへの用心を怠ることはない。また、内心の動揺を悟られないように必死でポーカーフェイスを保っていた。
『ふん、そうでもしなきゃまともに生きることすら出来なかったんだ。それを知らない奴なんかに言われたくないね』
碌に成長する時間すらないまま、逃げ出したダムル紡績商会を思い出すトール。
あのままあそこで過ごしていたら俺は十代にすらなる前に鉱山に売られていただろう。
そうなると子供の体に重労働を課せられて衰弱死していた可能性だってある。
何も知らないくせに好き勝手なことを言いやがって!
『ああ、そうかい。こんな訳の分からない社会の底辺の生まれで苦労したんだ、生きるためには犯罪に手を染めても仕方がない、ってか? お前みたいな奴はいつだって口を揃えてそう言うんだよな。そこは日本もオースも一緒だな』
トリスは興味を失ったかのように吐き捨てた。
それを聞いたトールはカッと憤りかけたが、どうにか気持ちを落ち着けることに成功する。
だが、一言くらいは言い返してやらないと気が済まないのも確かであった。
『おーおー、正論だな。日本でもオースでも権力者ってのは底辺に生まれた奴らの真実を知らねぇんだよな。お前、格好つけて忘れてるみたいだから一言教えといてやる』
ニヤリとトールは嗤う。
『ここは日本じゃねぇ。そして上手いことに俺の、暁の縄張りだ。殺されたって騎士団に通報する奴もいねぇ』
それを聞いたトリスとベルは思わずお互いの顔を見合ってしまう。
『なんだ? 思い出したら急に心配になってビビったのか? 坊ちゃん育ちの腰抜けが……まぁいい。ケジメとってやろうかと思ってたが同じ日本人だしな。素直にその剣と女を差し出しゃあ痛めつけるだけで許してやってもいいぞ?』
勿論、エルフの男を生きて見逃すつもりはない。
『……ん?』
トリスとベルの様子を見たトールは訝しげな声を上げる。
二人はさっぱりした顔で笑っていた。
『なぁんだ。通報されないのかぁ。じゃあ殺しちゃっても大丈夫だったのね』
『そうみたいだな。ま、正当防衛だし、殺してもそうそう咎められる事はないと思うけど……でも街のゴミとは言え、殺しちゃ寝覚めも悪いし、騎士団に咎められても面倒だと思って命だけは取らないように気を遣ってたのにな』
トールは予想だにしていない事を喋り合う二人に対して目を剥いた。
びびってない?
これだけの人数差だぞ?
それに、殺さないようにしていた?
あのキャロルだぞ? 攻撃魔術だけじゃなく、毒爪を使わせたら相当な腕の……手を抜いて倒せる訳がない!
馬鹿な。
ハッタリだ!
一気に全員で掛かるか?
いや、キャロルを負かしたことを考えるとこちらの被害もかなり……。
ゾーイと彼女の組も騎士団に囚われている。
これ以上、動けない手下を増やすのは流石に問題が大きい。
一対一なら負けることはないんだし、やるか。
『大した自信だな、お前ら』
少し挑発するように言うトール。
「お頭が喋ってるの、外国語か? すげぇな!」
「ああ、なんだかんだ言って色々物知りだからな。流石だよ」
「おっと、『日本語』じゃ周りの奴らに解らねぇ。これからはラグダリオス語で宜しく頼まぁ」
トールの言葉を聞いたトリスとベルは揃って「最初に日本語使ったのはそっちだろうに」と思ったが何も言わなかった。
「で、何だって? この剣と女を差し出せば見逃してくれるんだっけか?」
「あら? 私を差し出しちゃうの? 酷い人ね」
余裕たっぷりの返答を返すトリスとベル。
しかし、既に重傷を負わせて無力化した三人を除いてもカッツェに加えて十人以上。
その中には転生者も含まれているのだ。
二人とも、心の内ではかなりの危機感を抱いている。
しかし、トール達には表面しか解らない。
それ程にトリスもベルも荒事には慣れており、ポーカーフェイスも堂に入ったものであったのだ。
「おうよ、そんな酷い奴は放っておけや。俺の女にしてやる」
スラリと剣を抜き放って言うトール。
トールの剣術は固有技能に頼った自己流である。
使っている歩兵用の剣も、彼が使い易いように鍛冶屋に別注で作らせた特別製の超高級品でもある。
左手にはやはり特別製の大ぶりのナイフ。
トールはこの大小を両手で自在に操り、攻撃に防御に変幻自在の動きで活用するのだ。
自己流であるがゆえに型もなく、ありえないような体勢からでも攻撃を放ってくるのがその恐ろしいところでもあった。
今までに苦戦したのは神速の速さで攻撃魔術を放ってきたキャロルだけだ。
そして、右手に握ったショートソードの剣先をトリスに向けて口を開く。
「おいお前。もういいだろ、そいつを放してやってくれ。俺と一対一で勝負だ。こいつらにも絶対に手出しはさせねぇし、俺が勝っても命までは取らねぇ。詫びを入れて有り金とその剣、女を置いていけば見逃してやる」
トールとしては単にベルを傷つけたくない、傷つけてしまうと抱くのに暫く難儀をしそうだということもあるが、キャロルの攻撃魔術ですら無効化すると思われる固有技能を持っていそうなベルとの対決を避けたに過ぎない。
防御が巧みで面倒そうなベルと戦っている間、剣技に長けているであろうトリスに不意打ちを狙って来られると厄介そうだからである。
その逆であればまだ楽そうだと踏んでいた。
場合によっては一気にトリスを屠って勝負を決めてしまえるかも知れない。
転生者であるトリスとベルを舐めてもいない。
しかし、一対一の接近戦であれば絶対に負けない。
そこには揺るがぬ自信があった。
剣を向けられたトリスは内心で喝采を上げている。
「へぇ? 一対一か。強そうだな。……ところで、お前が勝った場合は聞いた。だが、俺が勝ったら一体どうなるんだ?」
「あら? 私を賞品にするのを認めるの?」
少し拗ねたような口調のベル。
「俺が負けると思っているならそうなるな。だけど俺は、俺達は負けない。そうだろ?」
そう言いながら右太腿の膨らんで重そうなポケットを、ズボンに留めているボタンを外してポケットごと外してベルに向かって放るトリス。
ベルが受け取った時、硬貨の触れ合う音がすると思ってそれを見ていた全員は、そういった音が何もしなかったために少し期待外れの表情になった。
「ふん、知れたことだ。一番強い奴が頭を張る。もしお前が勝てば今日から暁の頭目はお前ということになる。……この俺に勝てたのならな」
トールがそう言うと全員が納得顔になった。
裏社会では暴力こそが絶対であり、強ければそれは正義なのである。
手下どもや周りの野次馬たちは口々にそうだそうだと囃し立てるが、誰もトールが負けるという点には全く思い至っていないかのような有様であった。
トールと呼ばれる転生者はそれ程に個人の強さを知られているのだ。
ここ数年は他の犯罪者集団の頭目もトールとの直接対決は避けている程で、ドランの街では騎士団長も含めて三本の指に入る強さであろうとの噂もある。
「ふぅん……。そうか……ふーん……」
トリスは一瞬だけ思案げな顔つきになったが急に雰囲気が変わる。
余裕たっぷりの笑みは崩さないまま、周囲の温度が急激に低下したような感すらある。
「へぇ……。もしそうなら私が賞品でも……だけど、その言葉、どこまで信じられるのかな?」
対してベルの方は相変わらずキャロルに対する用心は怠っていないものの、トリスから受け取ったポケットの蓋を留めているボタンを外して中身を確認すると明るい雰囲気でニンマリと微笑んでいる。
「ねぇ、ちゃんと宣言して。そうしたら賞品になってあげてもいいわよ?」
周囲をぐるりと見回してトールに言った。
まるでどこに誰が立っているのか、何があるのかもう一度しっかりと確認するような行動であった。
トールとしては意外過ぎる答えである。
こういう手合いは犯罪者集団の頭目など嫌がるのが普通だ。
少なくとも前世の物語の主人公などこういう時には「そんなものいる訳が無い」と言うのが常である。
ましてや自分の配偶者を商品にするなど忌まれそうな条件でもある。
また、オースの平民以上の裕福な人々だって似たような価値観だ。
ひょっとしたらこいつら、冒険者なんかじゃなくてどこかの街のそれなりの組織人なのだろうか?
ふとそんな考えがトールの頭をよぎるが、それはそれで話が早い。
自分達同様に力を信奉するような手合いであれば殺さなくても有能な右腕になる可能性だって高い。
もしそうなら少し残念だがエルフの忠誠心を高めるために女を諦めることも吝かではない。
「……よし。ならば、皆聞け! 宣言しよう!」
周囲の野次馬も含めて全員に聞こえるほどの声を上げるトール。
そして、剣を上方に突き上げる。
「俺が勝ったらお前達の全てを寄越せ! お前が勝ったら暁の全てはお前のものだ! 勝負は俺とお前で一対一! 邪魔はさせん! そして……どちらかが死んだ時が決着だ! ……これでいいか?」
トールとしてはトリスの出自を確かめるまでは殺したくない気持ちも湧き上がっていたが、殺してしまったらそれはそれでいいと、仕方ないと思っている。
「よし。わかった。始めの合図は?」
未だカッツェの喉笛に剣を突きつけたままのトリスは落ち着いて尋ねる。
「いい加減そいつから剣を離してやってくれ。そいつがこの線よりこちら側に足を踏み入れた時が開始でどうだ?」
トールは剣先で地面に線を引きなから答える。
それを聞いたトリスはカッツェに向けていた剣先を振って「行け、ゆっくりとな」と言うと、トールに向かって半身になって剣を構え直した。
「カッツェ、小細工はいらん。ゆっくりと来い」
腰の後ろから左手だけで器用にナイフを抜きながら言うトール。
二刀流のようになったトールを見たトリスは少しだけ眉を顰めるが、何も言わずに剣を構えている。
トリスの構えからある程度正統派の剣を使うであろうという予測を立て、「魔法を使ったっていいんだぞ?」と、余裕たっぷりに言うトール。
魔力を指向させるべく指先や掌を向けていないので魔法の精神集中すらしていないであろうことは見抜いている。
尤も、社会の底辺を這いずり回っていたトールは、魔法についてはキャロルから聞いた程度以上のことは知らないし、勿論使うことも出来ない。
情報源のキャロルにしても魔法の教育は騎士団で受けていたのだからして、その知識はオースではかなり上位のものなので普通はそれで問題ないのだが。
トールとしては最初にトリスに攻撃魔術を使わせ、それを躱してから接近戦に移るつもりであった。
一対一で、且つ、このように落ち着いて発射の瞬間を見ているのであれば、十mも空いていれば躱すことは可能だ。
魔術弾頭の飛翔速度自体は大人が石を投げる程度、時速換算でだいたい百㎞強でしかない。
高校野球の投手の投げるボールの方が少し速い。
キャロルよりも若い年齢で彼女を上回る熟練など有り得ないし、普通は速度を上げるために魔力を余計に注ぎ込むなんてことも魔力が勿体無いのでしない。そんな事に魔力を使うのであれば手数を増やすべきなのだ。
また、トリスの方も相手の動きを見てから対応しようと考えていた。
トリスはトールについて全く情報がない状態であり、やはり魔法に対する用心は怠ることは出来ないと思っている。
だがこれは、キャロルが魔法を使うと知ってしまった事による必要以上の用心深さである。
実際に彼女の技倆は目にしていないものの、ヤクザにも魔法を使う者が居ると知って慎重になり過ぎたとも言えるし、トールが転生者であると知って用心に用心を重ねたとも言える。
現実にはヤクザ者で魔法が使えるような人物など滅多にいない。
魔術の修行を続けられる程の意志の勁さがあれば、まっとうな道で生きて行く方が多数だからだ。
そうこうしているうちにカッツェはゆっくりと線を踏み越えた。
しかし、それでもトールとトリスの双方ともに大きな動きは見せない。
すぐに魔法を使って来ないと知って、二人共少しだけ拍子抜けの感を覚えたものの、トールには思い当たることもあった。
……まだあの剣は炎を纏っていない。
ひょっとしてあれ、魔法の剣じゃなくて、ああいう魔法なんじゃないか?
または、魔道具?
それとも、カッツェ達との戦闘で魔法を使ってしまってもう魔力がない?
トリスはトリスでまた別のことを考えている。
そこそこやるようだが、魔法を使おうとしないのは何故だ?
……あ。
使えないのか。
納得。
それはそうと、殺すのは……流石になぁ。
先に焦れたのはトールの方であった。
「来ないのか? ならこっちから行くぞゴガァァッ!」
トールは先方から来ない以上、一気にカタを付けるつもりである。
そのため、瞬発の特殊技能まで使っていきなりトリスへ向かってダッシュした。
右手にはショートソード。
左手にはナイフ。
上半身を投げ出すように前方に傾け、得物を掴んだ両腕は体の少し後方に広げている。
「エメロン!」
トリスが呪文を唱えると、波打つ剣の刃から一瞬で炎が噴き出す。
ガッ!
トールが下から斬り上げたショートソードがトリスの炎の剣に阻まれる。
ショートソードの鍔のあたりから十㎝ほど上の部分に炎を纏う剣が当たっている。
すかさず左手に握ったナイフでトリスの太腿を狙って斬り付けたトール。
ギンッ!
トールが舌を巻く程の速さで炎の剣は輝く残像を残して消え、ナイフの刃を弾く。
そればかりかトリスは勢いに乗って体を回転させ、回し蹴りを放つとトールの右脇腹をしたたかに蹴り付け、すぐにまた距離を取ったのだ。
「ぐあぁっ!」
蹴りのダメージはトールが思った以上の衝撃で体の芯まで突き抜ける。
何だ?
靴?
爪先をエボナイトで固めた迷宮踏破用のゴム底ブーツについて初めて意識するトール。
それはそうと、あの剣は……そういう仕掛けか。
「獅人族相手は慣れてるんでね……」
ずばっと思い切りの良い踏み込みで突っ込むトリスの剣を、しっかりとショートソードとナイフを交差させ、その勢いを殺しつつ器用に受けるトール。
トリスが放った斬撃の重さと速度は、その体格や筋肉量からトールの予想した通り、なかなかのものであった。
そして瞬発は切れてしまう。
「なんだ、もう終わりか? お前、結構レベル低いんだな」
口調はともかく小馬鹿にするような内容にトールの頭は沸騰する。
「なん、だとっ!」
叫びながら変幻自在の連撃に移るトール。
下から、右から、左から連続で繰り出される千変万化の技。
それを見た手下達を中心として歓声が上がる。
複数のモンスターを相手に前線に立つこともあるトリスだが、たちまち防戦一方に追い込まれてしまう。
盾がないとどうしても攻撃に移れない。
それ程にトールの技は多彩であった。
しかし、その攻撃の全てをトリスは躱し、または剣一本で防ぎ切っている。
トリスは内心でかなり感心していた。
やくざの癖にこりゃたまげた。
伊達に頭を張ってないってことか……。
少しでも気を抜くとこっちがやばいぞ、こりゃ。
でも、それならそれで……。
トールの方は、最初こそかなり焦ったものの、今では自分のペースに持ち込めていると思い、この調子で押していけば必ず隙を見せる筈だと考えている。
しかし、トリスは焦りながらも無謀な攻撃機会を窺うのを止め、完全に防御に専念している。
ガインッ!
四合。
ガッ! ガッ!
五合。
ラブル通りとカルハ通りの十字路に刃鳴りの音が響く。
ここまでトールと打ち合った者は一人としていない。
歓声を上げていた手下達も既に誰一人声を上げる者もなく、ゴクリと唾を飲み込んで成り行きを見守っていた。
未だに声を上げているのは遠巻きに見ていた野次馬だけだ。
なお、炎の剣の炎はとっくに失われている。
そして遂に、保たれていた均衡が破れる時が来た。
キンッ!
二人の間から、今までになく澄んだ音が鳴り響いた。
トールの使っていたショートソードが鍔から十㎝程のところで折れたのだ。
いや、トリスが狙っていたのがこれであった。
これにはトールも我が目を疑う。
馬鹿なっ!? 四〇〇万Zもした特別製の剣だぞ!?
その隙を見逃すトリスではない。
「ぐわおぉっ!」
左手のナイフで突こうとしたトールの拳をトリスが右膝と剣の柄頭で挟んで潰したのだ!
思わずナイフを取り落としてしまうトール。
そこからトリスは猛然と反撃に移る。
「ぎぃっ!」
膝を蹴り、
「うっ!」
太腿を突き、
「がうっ!」
屈んだ顔面にコインを握ったままのパンチを叩き込む。
周囲は水を打ったように静まり返っている。
尻餅をついて鼻血を垂らしたトールは周囲を見回す。
「おい、お前ら、見てんじゃねぇよ! やっちまえっ!」
手下に号令を掛けるトール。
弾かれたように手にした得物を構え直し、トリスに向かおうとする手下達。
その瞬間――
十字路に轟音が鳴り響いた。
ベルがトリスから預かったポケットの中身を取り出して使用したのだ。
大きな音に吃驚して一瞬だけ動きを止めた手下達。
だが、すぐに思い出したように駆け寄ろうとする。
そして、
「うわっ!?」
「つめたっ!」
「痛ぇ!?」
「なんだっ!?」
「氷っ!?」
動きを止めた隙を狙い、レベル五になる水と火の魔法を使って大量に氷を出して膝下くらいの高さで固めたのはベルだ。
「一対一じゃなかったの? ところでこれ、何だか解るわよね?」
右手に握った金属の塊をこれみよがしに見せつけ、既に白煙が消えた短い筒先をトールに向ける。
『け、拳銃!?』
気の抜けたようなトールの声が虚ろにこぼれ落ちた。




