第九話 新婚旅行 3
皆様、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
7448年6月5日
トリスとベルはバルドゥックでの経験に加えて騎士団で忠告を受けたこともあって、周囲への警戒をしながらドランで最高級の宿、ミーハスへと向かった。
騎士団から宿までの道中、捕らえて突き出した奴らの仲間からの報復が懸念されていたが、二人に直接危害を加えようとするものはいなかった。
馬を宿の小僧に預け、一人一泊八万Zもするかなり高級なスイート・ルームで荷物を解く二人。
「ふーっ、あんな事があるなんてな……」
居心地の良い居間のソファに腰掛けたトリスが晩飯の軍資金を小型の財布に移しながらぼやく。財布には銀貨だけを入れ、大銅貨以下の小銭はそのままポケットに突っ込んでいる。
「本当、腹が立つわ。このブラウス買ったばっかりだったのに……」
奥のベッドルームでは胸当てを外したベルが切り裂かれた“元“ブラウスをベッドの上に広げて大きな溜め息を吐いている。
背中側に付着しているベル自身の血の跡と、パックリと切り裂かれて使い物にならなくなった有様を眺めて悔しそうに顔を歪めていた。
「だよな。でも、怪我が大したことなくて良かった」
ベルの脇腹の右後ろに鏃が一㎝ほど食い込んでいたのだ。
勿論、たったそれだけなので矢自体は直ぐに傷から抜けていた。
だが、その傷の痛みのせいでベルは魔術の素早い行使が不可能になってしまった。
「そうね。でも、新婚旅行に鎧なんか着てくるのも嫌だったし……」
ベルは切り裂かれてダメになったブラウスをたたむと、馬から外して部屋に持って来ているサドルバッグの奥に突っ込んで着替えを始める。
ブラウスに使われている布は良いものなので何か小物くらいには仕立て直す事が可能だ。
「ま……そうだな」
慎重なトリスは誰も供を付けないのだから鎧くらいは着て行こうと言っていた。
しかし「これから先、二人でどっかに行く機会なんて当分ないし……折角の思い出の新婚旅行なんだよ?」とベルに言われて諦めたのだ。
前世日本のように派手な披露宴など親戚への連絡すらままならない世の中では望むべくもない。大抵の女の子が夢見る純白のウェディングドレスも着せてやることが出来なかったという、精神的な負い目もあったトリスは渋々とそれを認め、それなりにおめかしをしての旅行となったのだ。
それでも、安全だというドランを行き先に定めたのはトリスの唯一の抵抗だった。
当初は天領の北に広がるアプサイド公爵領の首都、ロンベルティアに次ぐ王国第二の都市であるジーンウェルの街を見物しに行きたいと言っていたのだ。ジーンウェル近郊にはマットタートルという大きな陸亀が生息しており、その肉を使った料理は非常に美味な上に精のつく名物と言われている。
亀はともかく、北方はグィネの地図でも途中までしかない上に天領とアプサイド公爵領の間にあるミルハー山周辺の治安があまり良くないとされていることを理由に断念させた。
それなら思い切りおしゃれをして街歩きをし、景色をゆっくりと楽しみたいというベルの希望を叶えるためにドランを選んだのはトリスであった。
トリスとしては行き先の選択を間違えたと忸怩たる思いだ。
「……でも、いつまでも文句を言ってても仕方ないし、ご飯食べに行こっ!」
別の服に着替えたベルが明るく言う。
その声にトリスは救われたような気持ちになった。
「そうだな。でも、念のために剣は……」
「うん、それは当然ね。でも邪魔になるから弓は持って行かないわよ」
肩を竦めながらそう言って微笑むベルの格好はトリスの目に眩しく映る。
スカートこそ穿いていないが、膝下までのゴム底のブーツに細身の淡いグレーのパンツがスッキリした印象を与え、ブラウスは繊細なレースが襟や袖、胸を飾っている。胸飾りの一部に鮮烈な赤い糸が使われているのがワンポイントとして目立つ。
上着は黒地に金銀の糸で小さな花模様が沢山刺繍されている。
改めて自分の格好を見るトリス。
着替えていない。
と、言うより、着替えたところで持っている服はどれも同じようなものが大半なので大した違いはない。
ゴム底のブーツはベルと同じく迷宮踏破用なのでごつい印象のデザインなのは仕方ないにしても、その上が問題だ。
飾り気のないパンツは良いとしても、その生地は乗馬にも使える丈夫な帆布のようなごわついた厚い物で、色も汚れが目立ちにくいようにと地味な茶色だ。
その上には昼間はベルも穿いていたチャップスと呼ばれる、尻と股間部が切り抜かれたように生地がなく、大きな穴になっている乗馬用の革パンツを重ね穿きしているのでパンツについては何を穿いていても一緒である。
財布などを入れるために太腿には底の深いポケットがあり、実用一点張りでいかにも野暮ったい。
ベルはチャップスも新調しており、サイドを編み上げにした上でピッタリとしたデザインの少しお洒落な物を穿いていた。
その分小物などを収納するポケットはないので昨日のトリスはブツブツ言いながらベルの財布も自分のチャップスのポケットに収めていた。
トップスの方も襟のない、少しだぶついた濃い紺色の丸首シャツをインナーに着て、その上はフリルなどの飾り一つない何の変哲もない白いブラウス。アウターは深緑色に染められた革製のベストを着ているだけだ。
トリスとて准爵ではなく、正式に士爵位を受けるのであるからして派手なフリルが付いていたりレースや飾り布が縫い付けられたような、アルがよそ行き用に着ているようなブラウスを注文していた。しかし、注文自体面倒がって遅くなり、まだ出来上がっていないのだ。
気が利かねぇな、俺って。
この新婚旅行のためにお洒落をするベルの気持ちを考えてトリスは少し落ち込む。
せめてこの野暮ったいチャップスと汗を吸ったシャツだけでも替えておくかとベルを待たせてチャップスを脱ぎ、シャツとブラウスを洗濯済みのものに替え、パンツのポケットに銀貨二十枚を入れた財布を突っ込んでおく。
「待たせたな、行こう」
部屋から出るとベルは柔らかい笑みを浮かべてトリスの左腕に自分の右腕を絡めた。
・・・・・・・・・
7448年6月6日
昨晩は宿に紹介して貰った高級レストランでドランの名物だという大きなロブスターの料理を堪能し、飲み物もビールのみであまり強い酒も飲まずに早々に宿に戻った。その後、ベルは強引にトリスをベッドに引き込んで心ゆくまで愉しんだ。そのせいもあって一夜明けた今日は少し寝坊をしてしまい、日課のランニングも休んでしまった。
遅目の朝食を摂りに剣を佩いて宿の前の小洒落た飯屋に向かう。
今日のベルはピンクを基調とした上下に焦げ茶色のチュニックを着ている。
トリスは前開きの、白地に太い紺色の縦縞の入った着流しだ。
朝の九時。
夜明け前から動き出すオースでは貴族だってとっくに朝食を済ませている。
案の定、店内はガラガラに空いており、昼食に向けての仕込みが始まっている。
天気も良いし、店員たちの目について仕込みの邪魔をしたくないと考えた二人は、道に面したテラス席で食事をすることにした。
サンドイッチと炒り玉子で手早く朝食を済ませる。
食後、寛いだ二人はレイダー産のお茶を愉しみながら今日の予定を話し合う。
「やっぱり最初はミスモッチ山に登ろうよ。すごい眺めだって言うじゃない?」
「そうだな。そうするか!」
ミーハスに戻った二人は、宿の小僧にミスモッチ山頂までの行き方を尋ねる。
徒歩なら片道五時間もかかってしまうそうだが、馬ならば半分くらいにはなるそうだ。
今から出ればお昼前には山頂に着けるだろう。
山頂には茶屋も幾つかあるそうだから弁当は必要ない。
馬を用意してもらうと早速ミスモッチ山目指して出発する二人。
トリスは昨日と同じ服に着替え、ベルはチャップスを穿いたのみだ。
宿を出て数分で昨晩会った騎士団員と出会う。
折しもミスモッチ山までの定期パトロールに出るところであったらしい。
丁度良いのでこの時期の見どころなどを道々解説してくれるそうだ。
ドラン初心者の二人も喜んで同道することにした。
その光景を路地裏から眺めていた者達がいた。
犯罪集団、“暁”の小頭を務める普人族の男、凶相持ちのジンガルとその手下どもである。
なお、ジンガルの額には真新しい傷がある。
「おい、騎士団を護衛にしてんのか? おまけにいい服にいい馬……あいつらどこぞの貴族じゃあ?」
「……そうかも知れねぇ……。おい、お前。お頭に報告だ。下手に手を出したらやべぇかもって言っとけ」
「おうよ」
流石にドランでは泣く子も黙る暁と云えど、騎士団員が直接護衛に付くような相手を強襲するのは分が悪い。騎士団員を殺さないまでも傷つけ、重傷でも負わせてしまった日には騎士団は他の何を置いても、騎士団員総出での本気の捜査を行うだろう。暁のリーダー、トールを名乗る男はそういった事には非常に敏感で、今までも騎士団とだけは事を構えずにいたのだ。
ジンガルは路地裏に消えた手下の背中を見つめながら呟く。
「ま、何もこんな時に狙う必要もないわな……貴族かどうかも奴に調べさせりゃ……」
・・・・・・・・・
7448年6月7日
「今日は海岸に行ってみようよ。断崖から三つ子岩ってのが見えるんだって!」
「海岸か。いいな。見てみたいよな」
「あとねぇ、舞い上がった波の飛沫が風に吹かれて白い花が咲いたように見えるんだって!」
「そうらしいな。行こう! ……その、今日の服、なかなか良いな」
「うふ。ありがとう」
今日のベルは白い襦袢の上に萌黄色を基調とした前開きの袂の無い浴衣のようなトップスだ。それを締める巾の広い濃い緑色の帯が目立っている。アンダーは少しゆったり目の濃い臙脂色のパンツだ。日本でなら色合いはともかくとして奇妙な格好である。
ドランの市街から目的のドラン断崖までは一㎞もない。
観光場所としては非常にメジャーで、常に多数の観光客で賑わっている。
断崖上の広場ではそんな観光客相手の出店ばかりか、ゆっくりと絶景を楽しみながら食事が出来る高級なレストランも営業しているし、観光場所である広場の一角には警備の騎士団員も常駐している。
出発したトリスとベルの進む道からは目的地は簡単に推測出来る。
目立たないように路地裏からそれを観察する複数の人影。
犯罪集団、“暁”の小頭を務める小人族の男、千本指のガムランとその手下どもである。
因みにガムランは頭目であるトール程ではないがスリの腕に長けているのだ。
「ドラン断崖に行くのか……ミイナに連絡だ」
「へい!」
ガムランは雑踏に紛れた手下の背中を見つめながら呟く。
「ドラン海岸で襲うのは無理だな……。とにかくステータスの確認が先なのは確かだろう。ま、あいつなら上手くやるだろうよ」
断崖の上の観光用の広場で観光客相手の果実水売りを仕事にしているのがガムランと同じハーフリングのミイナである。彼女は十二歳。貧相な体つきに整っていながらも儚げな顔立ちをしており、裕福な観光客は同情から気の毒に思いやすい。そんな相手に一日で百杯も果実水を高値で売りつけているのがミイナという少女だ。彼女のような売り子は男女ともに広場に何人か居て、それぞれ縄張りが決まっている。
暁も犯罪以外の商売もやっているのだ。但し、商会の免状なんかある訳ないので息の掛かった商会にやらせ、上がりを掠め取っているのでやっぱり犯罪なのだが。
重い果実水の樽と、木箱に入った氷を運ぶのは相当な手間なのでまともな商会はこんな商売はやらない。しかし、暑くなり始めた初夏ともなると観光客による果実水の需要は高く、多少高値で売ろうが売れるものは売れるのだ。
・・・・・・・・・
「平民なのは確かなんだな?」
“暁”の頭目である獅人族の男が目の前に畏まる少女に向かって尋ねた。
「はい、お頭。確かに平民の夫婦ですね、ありゃ。しかも、つい先日結婚したばかりみたいです。えっと、結婚の記念に良い景色を見に来たって……」
ハーフリングの少女、ミイナは昼間の光景を思い出しながら答えた。
――ご、ごめんなさい!――
トリス達がミイナの目の前を通り掛かった時にわざとよろけてぶつかった。
――ああ、こちらこそすまなかったね。怪我はない? ……へぇ、ぶどうジュースか。丁度喉も乾いていたし、一杯貰おうかな。ベルもどう?――
――そうね、じゃあ私も一杯頂こうかしら――
ミイナが何か言う前に二人は果実水を購入してくれた。氷入りとはいえ、カップ一杯で五百Zもするぼったくり価格である。
――あ、ありがとうございます! ご旅行ですか?――
カップに砕いた氷を入れ、ぶどうジュースを樽から注ぎながらミイナは尋ねた。
――えへへ、わかる?――
バニーマンの女がにへら、と笑いながら答える。
同時に彼女は腰に下げた小さな巾着のような小銭入れから二杯分の大銅貨を出す。
――そりゃあもう。もう三年もここで商売していますから……ご夫婦さんですか?――
ミイナは代金を受け取りつつ、種族の異なる二人が結婚している可能性は低いだろうと思いながらも訊ねた。
雰囲気が恋人のそれだったのを見逃さなかったのだ。
その僅かな可能性に賭けたというものあるが、結婚まではしていなくとも幾らでも話を続けられる自信はあった。
――へぇ、よく判ったね――
ニコリ、と人好きのする笑みを浮かべてジュースを受け取った精人族の男が言った。
非常に美男子だが、目鼻立ちがどことなくお頭の顔を連想させた。
――いつご結婚なされたのか当ててみましょうか?――
こうして正解を確認するという名目で首尾よく二人のステータスを目にしたのだ。
中には嫌がる者もいるからこんなに上手く運ぶことは滅多に無い。
二人ともかなりのお人好しであろうことはすぐに分かったが、ぶつかったとき双方ともに一瞬だけ見せた周囲を窺うような目つきは背筋がゾッとする程鋭いものであり、只者ではないと思っていた。
だが、今ミイナの目の前に居るのはここ六、七年で急激にのし上がってきたトールの旦那であり、その練達した剣やナイフの腕には誰も敵わない。そして、同様に唖然とするほど素晴らしい冴えを見せるスリの腕。それらを何度か目にした当時の幼いミイナはトール同様の名無しであったこともあって自然と彼に憧れるようになった。
「……貴族でもない、騎士でもない奴らか。なら、せいぜいが大店のボンボン出身の冒険者ってところだな」
ミイナの報告を受けたトールは顎に手をやりながらニヤリとして言う。
新婚旅行や旅行自体はそれなりに豊かな生活を営む者であればあまり珍しくない。
ドランはそういう富裕層の旅行者が落とす金によって発展してきた街なのだ。
「でもお頭。あの夫婦からはあたいらみたいな匂いもしました。荒事には慣れてるのかも……」
ミイナは恐る恐る進言する。
「んなこたぁ解ってんだよ、このバカ!」
千本指のガムランがいきなりミイナを怒鳴りつけた。
ガムランはミイナの上司である小頭だ。
「何しろたった二人で五人からいたゾーイ達をぶっちめたんだしな。だが、二人とも元素魔法が三種も使えるってんなら納得だ。だがよぉお頭ぁ、それで尻尾を巻いてちゃあ暁の名がすたるってもんだ。黒刃や紅蜘蛛の奴ら、俺達がたった二人にやられて仕返しもしねぇって言いたい放題よ」
ガムランは続けて憎々しげに言う。
それを聞いたミイナも「確かにそんなことは解ってたことだった」と唇を噛む。
トールの旦那は愚かなことを言う奴が嫌いだった。
賢しげな事を口にして怒らせ、癇癪を起こしたトールに殴られた奴は山のように居る。
だが、幼く、偏った人生経験しかないミイナはガムランに庇われた事にはまだ気づけない。
彼に対しては「余計な事を言いやがって、小頭の癖にこの点数稼ぎ野郎が!」と苦々しく思うのが関の山であった。
「ガムランの言う通りですぜ、お頭。厄介な紐付じゃねぇってこた解ったんだし、やっちめぇましょうや! 今晩か明日、奴らが宿を出たところをキャロル達に……」
凶相持ちのジンガルがガムランの後を継いで言う。
その視線は相変わらず頭目に侍る女に注がれている。
「……俺ぁよ、舐められるのが一番嫌ぇなんだ。この業界、舐められたら終わりだかんな。キャロルが殺るならそれでもいい。だが、きちんと俺達が、俺がケジメ取ったってことは知らしめなきゃなんねぇ……キャロルにはしっかり言っとけ。首を取っても俺達がやったと見せつけなきゃ意味がねぇんだから、それが出来そうになきゃ軽々しく手を出すなってな」
トールは両脇に侍っていた女達を邪険に押しのけながら言うとジンガルとガムランを睨みつける。
小さくなって震えているミイナのことは眼中になくなっている。
「そりゃ勿論、キャロルだって解ってるでしょう。それにあいつのフレイムアローはお頭だって良く……」
神妙な面持ちをしたガムランが言う。
キャロルは暁が擁する中で最高の魔法使いであり、元はどこぞの騎士団に居たこともあるらしい。
しかし、正騎士としての叙任を受けた訳でもなく、今は犯罪集団で小頭をやっているに過ぎない。
とは言ってもドランの裏社会では暁の小頭というだけでそれなりの大物ではある。
キャロルは流れ着いたドランの街で小さな強盗団を組織したが、トールとの勝負に敗れ、その軍門に下ったのだ。
その勝負の際に見せた、神速で放たれるフレイムアローにはトールも苦戦したのだ。
道端に転がっていた樽の蓋をとっさに拾い、それを器用に操って盾の代わりにしながら辛くも彼女に負けを認めさせ、勝利を掴んだのだ。
因みに、キャロルは現在トリスとベルの動向を窺うために数人の手下を引き連れてミーハスを監視している。
「よし……キャロルの報告を待つか。おいお前、今の話をキャロルに伝えに行け」
トールはミイナに指示をすると再びソファにふんぞり返る。
女達は品を作りながら突き出した盃に酒を注ぐ。
盃に注がれた酒に口をつけたトールは酒場から出て行く小さな背中を見つめ、隣の女にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。
『あ~、寿司食いてぇ……』
・・・・・・・・・
7448年6月8日
「今日もいい天気よ、トリス」
「おう、そうだな。今日はどこに行く?」
「今日はねぇ、食べ歩きしたいな。ラッタリンって店のミートパイが有名だし、アルさんも言ってたバレスケルって店のシーフードスープ、絶品らしいじゃない?」
「いいね。行こう! ……今日も似合ってるね」
「そう? ありがとう」
今日もベルは新しい服を着ていた。
ブーツだけはいつもと同じだが、太腿の付け根まで見えそうな黒い革製の軽快そうなショートパンツを履いている。
小洒落たデザインの襟をした前開きで袖無しの黄色いシャツはボタンを留めずにへその前で裾を縛り、その下のインナーはぴっちりとしたこれまたへそが出るくらい丈の短い白いシャツを着ている。
オースにしてはかなり珍しい、露出度の高い格好であり、道行く男の目を惹きつけるだろう。
ブラも付けており、シャツに隠された大きな双丘の形もいつもより数段魅力的だ。
シャツを縛る辺り少し時代遅れだが、どこか懐かしい、日本の若い女性を思わせる格好だった。
腰の太い剣帯と左側にぶら下がる魔剣はどうしようもないにしても。
「でも、いつの間にそんな服を……」
思わずそんな言葉が口を突いて出てしまう。
「うふふ。この前ね、マッシュズで仕立てたの」
マッシュズはバルドゥックにあるあまり高価ではない服屋だ。
「えっ、あそこ、仕立てもやるのか?」
「ん~、最近ね。高級な服は王都の仕立屋が最高だけど、こういうのはちょっとね……。グィネとラルも最近じゃあ結構注文してるよ」
「ふーん」
気を取り直してベルをエスコートするために左肘を出すトリス。
そこに右腕を絡めたベルは嬉しそうにトリスの顔を見上げる。
「行こうか」
名物料理店や露天を冷やかしに宿を出る二人。
目立たないように路地裏からそれを観察する複数の人影。
犯罪集団、“暁”の小頭を務める狼人族の女、邪爪のキャロルとその手下どもである。
キャロルは騎士団時代に覚えた魔法と、手甲に埋め込んだ毒爪での接近戦が得意なのだ。
「さぁ皆さん、後を追いますわよ」
「へい!」
「カッツェさん。あまり大きな声を出さないで下さいまし」
「へ、へい……」
キャロル率いる数人の集団は意外なほど身軽に動き、あっという間に散り散りになってトリス達の尾行を始めた。
・・・・・・・・・
「ふい~、食った食った」
「美味しかったね!」
とある店から出たトリスとベル。
次はどこに行こうかと少し立ち話をしたあと、移動を始める。
どうやら次はビュージーズという飯屋に向かうようだ。
少し離れた物陰からそれを観察している集団がある。
男女混合の五人の集団だ。
「……姐御、さっきからあいつら食ってばっかり……」
「ふん。攫うにしても、殺っちまうにしても満腹で動きが鈍くなった方がいいだろう、なぁ、姐御?」
「ええ。それに、ビュージーズに行くようですわね。それならカルハ通りを行くでしょうから先回りしてラブル通りに差し掛かったところが狙い目ですわよ」
「へいっ。よし、行くぞ。先回りだ! まず、ロッシ。お前はお頭にこの事を伝えに行け! ホグスはラブル通りの北から、ジャクリーヌは南、俺がカルハ通りの正面から行く、姐御は後ろからお願いしやす」
「ええ、それでいいですわ。但し、トールさんが来る迄出来るだけ引き伸ばすことを忘れないように」
五人の人影はバラバラに分かれ、あっという間に見えなくなった。
『何人か判ったか?』
トリスはビュージーズという羊肉煮込み料理が名物の飯屋へと向かいながら妻に話し掛けた。
『ん~、多分だけど今日は四人だと思う。生命感知使っても周りにも沢山人がいるから……ごめん』
ベルは少し申し訳無さそうに答える。
生命感知はベルの魔術レベルだと半径百二十mが効果範囲となり、その中に居る、ある程度以上の体重を持つ哺乳類などは全て引っ掛かってしまう。
効果時間も一瞬だけなので感知対象が静止しているか移動中なのかの判別も不可能だ。
二人はここ何日かで尾行自体には気が付いていた。
ドランへの到着初日に追い剥ぎを騎士団に突き出して以降、それなりに周囲に注意しながら過ごしてきた。やくざ者というのはよほど小さな組織でもない限り、だいたいの行動様式とその動機は共通しているものだ。バルドゥックの街にも犯罪者集団は居たから、動機についても大方の想像は付いている。しかし、先方から何らかの手出しをして来ない限りはトリス達からも何もする気はなかった。
だが、こちらを監視する相手の人数くらいは把握しておきたいと思っていただけだ。
それにしても人通りの多い街なかでの生命感知は、感知対象が多過ぎて方向と距離に対して大まかでもアタリを付けていないとあんまり意味が無いという事について、改めて再認識させられる二人であった。
・・・・・・・・・
トリスとベルが露店を冷やかしつつビュージーズへの道を歩き、小さな裏路地と接続する十字路へと差し掛かった時。
「おう、兄ちゃんら。ちっと面ぁ貸しちゃあ貰えねぇかい?」
十字路の先の壁に寄りかかっていた男が進み出てきて言った。
「やっとか」
「そろそろはっきりさせて欲しかったものね。遅かったくらいだわ」
余裕の笑顔で答える二人。
「ほう?」
目の前の男が僅かに感心したような声を上げるが、二人はそれに関心を払うことなくゆっくりと周囲を見回した。
十字路の左右の裏路地からは、ニタニタと嫌らしい笑いを貼り付けた男女が一人ずつ迫っている。
背後からも剣呑な雰囲気を纏った一人の女が迫っていた。
人通りは少ない。が、無い訳ではない。
「これはこれは。既にお気付きのようで、光栄ですわ」
後ろから迫っていた女が左手で口を隠しながら、おほほ、と笑う。
二人とは五m程の距離を置いて足を止めたようだ。
マントのような物を着て、左半身のみを露出させている。
「さてね。で、俺達に一体何の用だ? 今忙しいんだが」
薄い笑みを浮かべながらも用心深く左腰に手を伸ばすトリス。
ベルも腰に手を伸ばし、既に剣の柄を握っている。
場慣れた感じで自然と背中合わせのようになった。
「なぁに、ケジメを付けて貰えさえすりゃあいいのよ」
右の路地から迫る男が言った。
その手は腰に伸び、長剣の柄を握っている。
それをそのすぐそばで見聞きした通行人はさっと回れ右をしてその場から遠ざかり始め、起きつつある騒動を遠巻きに眺めるようだ。
「ケジメ? 何の?」
左の裏路地から迫る、こちらも既に腰の剣に手をかけている女に鋭い視線を浴びせかけながらベルが答えるが、その表情はトリス同様に薄く笑っている。
「あらあら、三日前の事も覚えていらっしゃらないとは……これだから頭の悪い子猿は困りますわねェ」
後ろに立ったままの女が言った。
「そうだ、暁が仲間をやられたまま引っ込んでると思ったら大間違いだ! クラァ!」
「やられたらやり返す。当たり前の事だよ?」
左右から迫る二人もいかつい表情を浮かべ、肩を怒らせながら何か喚き始めた。
数少ない通行人も脅しの声に気付いて距離を空け始めた。
喧嘩は、自分が巻き込まれないかぎりは下層民の娯楽でもあるのだ。
「暁がケジメを取るって喚いてるぜ」
「ああ、三日前の夕方に五人も騎士団に突き出されたんだって?」
「あいつらがやったのか?」
「嘘だろ? たった二人、それもまだ若いじゃないか?」
「あのバニーマンの女、すげぇ格好だな、むしゃぶりつきてぇ!」
野次馬が好き勝手な事を言い始める。
「おら、者共! しっかり目ん玉おっぴろげて見てろ! 暁の恐ろしさをな!」
トリス達の目の前に立つ男が周囲の野次馬に向かって叫ぶが、そんなものに惑わされるほどトリスもベルも浮足立ってはいない。
トリスはともかく、ベルは数年前にバルドゥックに居着いた頃から冒険者ややくざ相手の喧嘩は無数に経験してきている。
『多分、本命は後ろの女の魔法。あれは私がやる。でも一応他のにも気をつけて』
『了解』
後ろから迫ってきた女が距離を空けたまま一向に近づいて来ないため、攻撃手段に魔法を含む何らかの飛び道具があるだろうことを見抜くベル。
「ちょっと待ってくれ。幾つか確認したい。まず、暁ってなんだ?」
少しでも用心深さを取り除くために相手の怒りを誘おうと声を掛けるトリス。
その声の調子は思い切り相手を小馬鹿にしたようなものであった。
「……俺たちも舐められたもんだな」
「暁を知らねぇとはよ」
一気にボルテージの上がる気配がした。
「あなたたち、少しは落ち着きなさいな。この二人はドランに住んでいる訳じゃないんだから暁をご存知ないだけでしょ?」
後ろに立つ女が落ち着き払って言ったため、集団はひとまず落ち着きを取り戻したかに見える。
(……幾分かはまともな奴もいるんだな)
トリスはそう思い、安い挑発に乗ってくれた方が楽なのに、と内心で舌打ちをする。
「で? 結局、暁ってなんなんだ?」
わかっていながら再度訊くトリス。
余裕を表すように右手を剣の柄から離すと左手をズボンのポケットに突っ込む。
「暁っつたらよう、そりゃ俺たちの事さぁ!」
右の裏路地から迫る男がイラついたように言う。
「なるほどね。君たちのグループの名前ってことか。じゃあ次だ。ケジメって一体何の事だ? 三日前の事と言われてもな。こちらには心当たりがない」
落ち着いて話すトリス。
だが、その言葉を聞いた四人はそれぞれの表情で怒りを表明する。
「ああ、街の外で俺達にちょっかいを掛けてきたゴミを掃除したな。ひょっとしてそれか? 罠まで張ってかなり汚らしいゴミだったから、王国民の義務として犯罪者を突き出してゴミ掃除をするのは当然だろう? え? もしかするとあいつらも暁だったのか? 暁って犯罪者集団のことか!?」
わざとらしく聞きなおすトリス。
ポケットに突っ込まれた左手が出てきたが拳になっている。
拳の中にはポケットに入ったままの貨幣が数枚握り込まれていた。
「おうよ! それがどうした!?」
「こちとら舐められちゃお終めぇなんだよ!」
怒りを爆発させて口々に威嚇の声を張り上げ始める暁たち。
そして、ついに、左右の裏路地から迫っていた二人が鞘走りの音をさせて剣を抜いた。
それを見たトリスは再び右手を剣に伸ばす。
「ふふ、それでこの程度? ドランのヤクザってのはお優しいのね……または、救いようのない間抜けか……」
心持ち顎を上げ、後ろの女に見下ろすような視線を投げつけるベル。
「あらあら、この状況でよくもそんな事を口に出来るものね、小猿ちゃん。そんなはしたない格好をしているくらいだから、きっとお頭まで猿並みなのね? おへそまで出しちゃって、風邪を引きますわよ……」
後ろから近づいて来た女はそう言うと右半身を覆っていたマントの肩口に左手を添える。
右肩に伸ばした左手がマントの肩口を掴み、上に放り投げた「バッ!」という音が合図になった。
マントの下から現れた右手には威嚇するように恐ろしげなデザインをした金属製の大きな手甲。
盾程ではないだろうが、十分にその役目も果たせるほど丈夫そうな装甲はかなり幅広で、大人の腕三本分はあろう。
そして、手甲の先、拳のあたりからは三本の長い鉤爪のようなものが伸びていた。
鉤爪は黒く濡れているように見える。
そして、手甲を右手に嵌めた女、邪爪のキャロルは放り投げたマントに隠して左手を伸ばしていた。
キャロルの左手から、炎の矢が打ち出される。
この魔術行使に掛かった時間は僅か一秒!
ベルも驚いたほどの驚異的な熟練度であった。
炎の鏃が指向するのはベルの胸の中心。
そこを目標として選んだのは一番大きな的でもあるから当然と言えば当然だが、なによりもキャロルに向かって突っ込んできたのが最大の理由だった。
腰に吊った歩兵用の剣を引き抜きながらキャロルに突撃するバニーマン。だが、非常に高速な魔術行使速度には驚きを隠せていない。
殺りましたわ!
邪爪のキャロルは躱しようのない近距離で放った攻撃魔術の行く末を幻視してほくそ笑む。
ハーグ子爵領の騎士団時代、従士の時分から猛練習を重ね、以降も磨き続けた彼女が誇る必殺の攻撃魔術。
今でも毎日の練習を欠かしてはいない。
練習した回数は実戦も含めれば優に千を超えるだろう。
僅か一秒とは言え、魔術行使のための精神集中の精神的な負担はかなり多大なものであり、それを毎日続けられる精神力は並大抵のものではない。
……普通なら。
「ガブバド!」
あまりにも目立つだけに、ベルは手甲に目を奪われることなくキャロルが魔術の精神集中を始めたことにすぐに気が付いた。キャロルに向かってダッシュすると同時に呪文を口にしている。
「なっ!?」
キャロルの口から驚愕の叫びが漏れる。
露出度の高い、はしたない格好をしたバニーマンの全身を青い魔術光が覆ったのだ!
一瞬だけの光であったが、魔法を使う者であれば見まごう事なき光である。
――走りながら魔術を!?――
勿論、ベルが使ったのは頑丈な剣の魔力であるので正確には魔法ではない。
だが、効果は魔法と同一である。
「馬鹿なっ!?」
ベルはキャロルの攻撃魔術が放たれた直後の一瞬の間に炎の矢であると見抜いていた。
そして、走りながら少し屈むとその額でキャロルが放った必殺の魔術を受けたのだ!
炎の矢は刺さるどころか、ベルの額に触れた瞬間、硬い石壁にでもあたったように飛散して掻き消すように痕跡一つ残さずに消滅した。
慌てて右手の手甲を前に突き出し、ベルの放つ突きを弾き返そうとするキャロル。
ギリギリでベルの攻撃を右腕の手甲の装甲で受けられたのは僥倖である。
だが、キャロルが想像していた以上にベルの力は強かった。
重い突きを弾き返すことが出来たものの、たたらを踏んで体勢を崩してしまう。
なんとか二撃目も弾くことが出来た。
しかし、手甲から生えていた三本の爪のうちの一本が根本から折られてしまう。
鋼の爪が!?
キャロルにとっては全く予想だにしていない事態である。
ショッキングな出来事に些か慌てていながらも、どうにか三撃目も受け止められた。
しかし、ここでももう一本の爪が折られてしまう。
今までに相対した何人もの剣ですら刃毀れ一つせずに弾き、受けきり、肉を斬り裂き血を啜ってきた特別製の爪。
それがいとも簡単に……?
次も受けてしまうとまずい!
かろうじて四撃目を躱す事に成功するが、再び体勢を崩されてしまった。
キャロルの顔からは余裕が消え去り、濃い焦りの色が表れ始めている。
既にベルの顔からは熟練の業で攻撃魔術が放たれた時のような驚きは消え去り、能面のように表情がなくなっている。
これだけ異形の手甲を付けているキャロルに対しては、人ではなくバルドゥックの迷宮に巣食っているモンスターを相手取るつもりになっているのだ。
一方、前方と左右の三方向から囲まれる形になったトリスの方は剣を抜いて迫ってくる三人を認めた瞬間に腰から炎の剣を抜き放って移動を開始していた。
まずは左から迫っていた一番弱そうな女、ジャクリーヌに向かって突進する。
エメロン! とコマンド・ワードを唱えるトリス。
刀身に炎を纏わせた魔剣が一閃すると、魔剣を見て腰の引けたジャクリーヌの左腕、肘の内側の腱が切断された。
深く斬られたものの、炎の剣による傷は同時に出血も止める。肘を庇うジャクリーヌの顔面に硬貨を握ったままの左拳を打ち込み、それを彼女に対する止めの一撃としたトリスは即座に振り返ると自分の背中に対して風魔法を使って、今度は十字路の真ん中に到達したカッツェとホグスに向かって突進する。
下段からの一閃でホグスは剣を握った両手を斬り飛ばされ、返す刀でカッツェは握った剣を撥ね飛ばされ、その喉笛に剣先を突きつけられていた。
もしゃもしゃとカッツェの顎を覆う無精髭がチリチリと音を立てる。
「大人しく降参しろ。そうすれば殺さないし、その二人も傷の手当くらいはしてやってもいい」
両手首を失った痛みから転げ回って絶叫を上げているホグス。
少し離れた場所では鼻を潰されたジャクリーヌが悶絶したまま呻き声も上げずに転がったまま。
そして、カッツェに魔剣を突きつけているトリスの向こうでは邪爪と呼ばれて恐れられている彼らの小頭、キャロルが防戦一方に追い込まれている。
カッツェは焦る。
正直言ってホグスとジャクリーヌについては簡単に挑発に乗るあたり、同情心すら湧かない。
また、目の前で魔剣を突きつけているエルフや、奥で小頭を追い詰めようとしているバニーマンについてもこれ程強いとは思っていなかった。
特にバニーマンについてはキャロルの魔術をあの距離で、どうやって躱したのかすら解っていない。
「おい、あの女が大怪我しないうちに降参した方がいいぞ。五つ数える間に決めろ」
まだか。
まだ来ないのか。
「五」
彼らの頭目であるトールさえ来てくれれば。
この二人が幾ら強くてもトールの剣技にかかっちゃあ……。
「四」
とにかく、当初の予定通り時間を稼がなければ。
「三」
返す返すもホグスとジャクリーヌの浅慮が恨めしい。
簡単に挑発に乗りやがって。
こんな馬鹿な奴らはとっとと死んでくれた方が有り難いくらいだ。
「ま、待ってくれ」
カッツェが口を開いた時。
ジャクリーヌが転がっている方の裏路地の奥で遠巻きに眺めている野次馬を掻き分けながら、遂に彼らの頭目達が現れたのを視界に捉えた。
「だ、旦那ぁ!」
カッツェが喜色を上げて叫ぶ。
ほぼ同時に「ぐっ! っつうっ! 畜生っ!」とすっかり余裕のなくなったキャロルの苦痛に塗れた声が上がった。




