閑話 ネルの冒険 1
「やはりお前には優れた魔法の資質がある。普通はこんな短期間でレベル二になることなどないぞ」
呆れたような口調ながらも多分に感心の感情を含ませて精人族の治癒師が言った。
レベル二。
この世界では元素魔法のレベルが二になるということには非常に大きな意味を持つ。
何しろ治癒魔術が使えるというのと同義だからだ。
これで何をするにも困ることはそうそう無い。
少しだけ満足気な顔をしながらネルは頷く。
正式な彼女の名はネイレン・ノブフォム。
このハットリーズ村の従士であるノブフォム家に次女として新たな生を受けた少女である。
今日は成人直後から習い始めた魔法、そのうちの元素魔法のレベルが二になったので師匠である治癒師に報告に来たのだ。
実のところ、彼女の元素魔法のレベルは軒並み三に達しており、無魔法は四になっている。
魔法の修行を始めた初日に無魔法を覚え、その僅か一週間後には元素魔法を二つ、更にその翌週には別の元素魔法も習得してしまった。
そして、ひと月と経たないうちに無魔法のレベルは一になり、その翌月にはすべての元素魔法のレベルが一に上昇していたのだ。
このペースについては流石のネルも驚き、いらぬ妬みを買わないように魔法の特殊技能レベルについては誰にも話さなかった。
何しろ、魔法を教えてくれた治癒師は既に熟年に差し掛かる五十代にして習得している二つの元素魔法のレベルはようやっと五になったばかりなのだ。
まぁ、魔法の修行については一度技能を習得してしまい、魔力の使い方さえ覚えたのであれば一人でも問題なく行うことが出来る。
魔術と呼ばれる多種の魔法を組み合わせて行う高度な技など初期のうちはあまり重要ではない。
とまれ、ネルは魔力量に恵まれていた。
最低の魔力しか使わない、単に僅かな元素を出すだけの魔法や、灯りの魔術であればその気になればかなり多くの回数を使うことが出来るだろう。
多くの魔力を有効に使い、こうして魔法を習い始めて一年も経たぬうちに一人前程度の魔術師の技能レベルを獲得してしまったのだ。
人の何倍にも達する多くの魔力にあかせて幾度も失敗を重ねながらも攻撃魔術まで使えるようになっていた。
ネルは昔から農作業が嫌いだった。
地味で汚く、朝から晩まで泥に塗れて身体を酷使する将来はどうしても回避したかった。
そのため、従士の義務である白兵戦の訓練には熱を上げて取り組んでいた。
もし可能であるならば、騎士団に入団して将来を切り開きたかったのである。
しかし、身体の大きさにはさほど恵まれない矮人族であることが祟り、その実力については弓か槍を使ってどうにか人並みであり、剣や盾を使うと村でも相当下の方の実力であった。
これについては仕方のない事である、とすぐに諦めてしまった。
何しろ白兵戦技の修行も、農作業に負けず劣らず泥臭くて地味な訓練を延々と続けなければならないのである。
そんな面倒なこと、ネルはすぐに飽きてしまって何度となく投げ出してしまう寸前までいった。
ただ、ここで投げ出してしまうと、将来は良くてどこかの従士の嫁になって農作業をする未来しか望めない。
最悪の場合は奴隷へ嫁に入り、自らも奴隷階級となる事さえ考えられる。
それだけは嫌だ、という一念で続けていたに過ぎなかった。
白兵戦の修行を始めた当時は魔法を学ぶだいぶ前であったこともあって、将来何をするにも直接戦闘する力を手に入れておきたかった、という事情もある。
将来的に商売をしようにも当時のノブフォム家の財政事情では流石にそこまでの財産分与は望めそうになかったからだ。
とにかく、自分でも驚いたことに彼女は魔力量に恵まれていたために、急激に魔法の腕を上げ、あっという間に実力を伸ばしてしまった。
ネルとしては一安心である。
このレベルの魔法の技能があればどこに行っても治癒師としての仕事にはありつける。
このハットリーズ村には既に二人の治癒師が居るからこの村で生活するのは無理だろうが、もっと人口の多い大きな街や治癒師が居ないか少ない村は数多くある。
若いうちに将来腰を落ち着ける場所を探して回るのも悪く無い。
当面は冒険者となって護衛や治癒師の真似事などをしつつ蓄財に励み、住み易そうな場所を見て回ろうと思った。
・・・・・・・・・
「じゃあ、行きます」
行って来ます、ではない。これが今生の別れになる可能性は低くないのだ。
ネルは両親や祖父母、兄弟としっかりと抱き合って別れを告げた。
彼女の叔父や叔母にもこうして村を出た者が居るらしい。
父親は「しっかりな」と肩を叩き、母親は「辛くなったらいつでも戻って来なさい」と言って両頬にキスをしてきた。
祖父母や兄弟もネルの門出に際してそれぞれの言葉を贈ってくれた。
彼女の出発には村の領主一家も見送りに来てくれ、温かい言葉を掛けて貰えた。
雰囲気の明るい、良い村だったがネルがここに住むには不満が多かったのは確かだ。
この地方の村々を定期的に巡回する隊商の商人に話を付け、護衛の一人として雇って貰ったのがネルの初仕事となった。
家を出るにあたってネルに分与された財産は丈夫な革鎧と槍、しっかりとした造りの弓が一張り、身の回りの物を格納する背嚢が一つ。そして何重にも厚く豚革を貼った丈夫なブーツ。金朱と銀貨などを取り混ぜてどうにか作った百五十万Zの現金が全てである。
これから約二十日間、この領地の首都であるヘムドーズまでの行程の護衛料金は安めの十万Zだ。ヘムドーズ迄には五つの村を通るらしい。各村での滞在日数は決まっていないが、行程の消化具合に合わせて二、三日とのことだった。
こうしてネルは基本的には隊商の護衛をしながらあっちにふらふら、こっちにふらふらと二年余りの時間を過ごし十八の春を迎えた。
護衛の途中、魔物の襲撃もこの二年間で十回近くも受けた。
一度だけだが野盗の襲撃だって受けた事もある。
その中で、ネルは幸運にも一度も怪我をすることなく全ての襲撃を退けてきた。
勿論、護衛が彼女一人などという事も無いので彼女だけの手柄とは言い難いが、少なからず彼女の魔術によって窮地を脱した事もあったのだ。
この実績は彼女に自信を与えてくれた。
「ふふん。私だってやれば出来る子じゃない!」
冒険者を護衛に雇った商人は、道中で襲撃を受けた時などその依頼の完了後に結構派手に護衛の手柄を触れて回る。
義務でも何でもないが暗黙の了解でそういう習慣があるのだ。
誰それという冒険者を護衛にしたが見事にオークを追い払ってくれた。
俺がこの前雇った誰それは二十匹を超えるゴブリンの一団をたった四人で追い払ったぞ。
いやいや、去年雇った誰それは僅か二人でハーピーの襲撃を切り抜けた。あれが一流ってものだ。
などのように宣伝してくれる事があるのだ。
但し、成功した場合のみに限る。
護衛失敗は商人自体が未帰還になることが多いし、仮に命からがら逃げ帰れたとしても護衛の冒険者は魔物の胃袋に収まってしまっていることはほぼ確定事項だからだ。
護衛を主な生業とする冒険者の方も、金払いが良くて無理なく安全なコースを選択する商人に雇われたい(すなわち、長年堅実に商売を続けている商人はそれだけで信用が置ける)。
また、一緒に仕事する他の冒険者についても情報が交換される。
一人前に魔法が使える、というのはここでもネルに大きなアドバンテージを齎してくれた。
ステータスを見せて複数の元素魔法の技能があることを確認させ、その上で派手な攻撃魔術――アイスボルトなど――を一度披露してやれば護衛料金の上積みすら可能になる場合も多い。
少なくとも水と火魔法のレベルが二、無魔法が三であることが確認出来るので、多少時間がかかる可能性はあるがキュアーライトの魔術が水魔法付きで使えることの証左になるからだ。
彼女が参加するだけで継戦能力は一段階上昇する。
ネルはどの街に行っても冒険者達から引っ張りだこであった。
実はネルの評価についてはそれだけではない。
時間に正確で集合時刻に遅刻したことがない。
数週間後の依頼開始でも日時を間違えずにきちんとやって来る。
一見して当たり前のようではあるが、これは驚くべきことでもある。
携帯可能な時計の魔道具はそこそこに値が張り、持っている冒険者などまず居ないし、勿論ネルだってそんなもの持っていない。
だから、一般の冒険者達は余裕を持って集合する事が多い。
場合によっては何時間も前から待っていたり待ち合わせの日を忘れてしまったりなど日常茶飯事である。
しかし、ネルだけはいつも時間に正確であった。
「スケジューラーって結構便利よね」
しっかりしているという評価も上乗せされていた。
そうした中で度々耳にする言葉が彼女の心を捉え始めた事については無理も無いことであろう。
「迷宮に行けば危険な分稼げる。ネルならもっと稼げるんじゃないか?」
ネルとしても流れ流れてダンテス公爵領の沿岸部、ミヨイテ地方を中心に活動するようになって一年余りが経ち、己の冒険者の力量にも多少自信が付いて来たところでもある。
何しろ転生者なのだからしてやれば出来る子なのだ。
運良く西のベンケリシュ方面へ行く隊商護衛の仕事が目に付いた時、思い切って行ってみることにした。
・・・・・・・・・
一ヶ月後、ネルの姿はベンケリシュの街にあった。
この街は迷宮都市として名高く、彼女も幼少期から幾度と無くその名を聞いていた。
この街の迷宮に挑戦し、運良く大成功した冒険者の話。
お隣ロンベルト王国の建国者、初代の国王も迷宮で得た財を元に建国したと言う。
他にも迷宮で得た財物を元手に大商人となりおおせた虎人族の女や、一介の冒険者から白凰騎士団長に出世したという英雄、カイ・ライザーの伝説など迷宮に関する話は多数伝わっている。
尤も、胸を膨らませて故郷から出て挑戦したものの、二度と地上に戻ること無く姿を消したどこかの貴族領一の力自慢の話や、迷宮に巣食う魔物に取り込まれて生ける亡者と成り果てて、数百年を経た今でも迷宮を彷徨っているという貴族のお姫様の話なんかも多い。
どちらかと言うと、ネルが迷宮に抱いていたのは後者の怖いイメージしか無かったので今までは避けていた。
しかし、十代のうちに一流冒険者の仲間入りを果たしてしまったからには、かの有名なベンケリシュの迷宮を一度くらい覗いてみたほうが後学の為にも良いだろう。
まして、それ程稼げるというのであれば……。
無理そうならすぐに諦めて別の道をゆけば良い。
ベンケリシュの街に滞在を始めて数日後。
ネルはラビウスというチーム名の女性が中心の冒険者の一団に加わっていた。
ラビウスとは中心メンバーの出身地である街の名である。
丁度魔法使いのポジションに空きが出来、募集していたのだ。
魔法の腕を確認され、驚いたことにどうにか合格点だと言われて気落ちしたものの、かなりの実力を誇る冒険者パーティーだそうだからここは満足すべきだろう。
このパーティーを選んだ理由の一つは男性メンバーが二人しか居なかった事もある。
その二人もリーダーの戦闘奴隷だと言うので安心した。
別に男が怖い訳ではないが、ベンケリシュの迷宮に慣れるまでは出来るだけ不安要素は減らしておきたかったに過ぎない。
そして、数日の訓練を経て迷宮に挑んだ初日。
だだっ広い迷宮内。
探索中にもよおしてくることはよくある。
まして緊張も高まる初挑戦の日とあっては仕方がない。
パーティーに断って用を足そうとズボンと下着を下ろしてしゃがんだ。
パーティーメンバーはネルを中心に今迄通って来た方向に男の戦闘奴隷が二人。
向かう方には残りの七人が待機していた。
今まさに用を足し始めた矢先のこと。
パーティーが前方から奇襲を受けたのだ。
後方で警戒を担当していた二人の戦闘奴隷も武器を構えて前方へとダッシュする。
「きゃっ! い、いま来ないで! 見ないで!」
思わず声を上げてしまうネルだったが、戦闘奴隷たちは恥じらうネルなどに見向きもしない。
自らの主人の手助けをすべく、必死の形相で猛然と駆け抜けて行った。
「あ! ひ! 引っ掛かって上手く穿けない……」
すぐに通路内を響いてくる戦闘音や魔物の雄叫び。
味方か魔物か判らないが、武器が命中したのか、痛みを堪えられずに絶叫も上がっている。
どうにかこうにかネルの用足しが済んだ頃には魔物も撃退されてしまっていた。
「ネル。いいご身分ねぇ」
「襲撃を受けてるってのにのんびり用が足せるってのも神経が太いねぇ」
「まぁ、一層の魔物なんかにはそうそう後れは取らないから良いけどね」
思わず顔から火が出るかと思うくらいに赤くなりながらネルは思う。
(あ、あの、私。は、穿いてれば、穿いてさえ居れば、穿けばデキる子なんです! 本当です!)
「スミマセン……」
この日、ネルの実力は発揮されること無く終わった。




