第二百六十六話 約束
7448年4月8日
さて、一体幾らの値が付けられたのだろうか。
「この鎧一式で三十六億二千万Zと見積もられた」
ふむ。まぁそんなもんだろう。
俺は元の位置に戻ると臣下の礼を取って跪いた。
税金とボーナス、工賃とで俺の手取りは四分の三として……鎧二着でざっくり五十四億ってとこか。
「面を上げい。……それと、この鎧に使用した量と全く同じ量の鱗、鎧一着分を除いて全体の四割程の量の鱗が残っている。こちらの金額については二十七億六千二百二十六万Zと見積もられている。……これは鎧として仕立てる前なので、同様に固有名付きになると見込まれるが、付随する魔法の効果が不明なためだ。それに、この分については鎧にするつもりもないしな」
ってことは……七十五億を超えるな。
だが……いや、いいか。落とし所かもしれない。
「が……」
「が?」
失礼にも思わず聞き返してしまった。
何を言うのだろうか。
幾つか考えられるが、多分あれしかないだろう。
「……百億超えたな」
え? そっちかよ。
まぁいいや。
「は」
真っ直ぐに見つめる俺の目を見て国王は薄笑いを浮かべながら口を開く。
「俺は吐いた唾は呑まんと言った。どうする?」
ふむ。やはり最大の関心事はそっちか。
当然といえば当然だ。
鎧なんて所詮個人用の装備だし。
幾ら性能が良くたってたかが知れてるわな。
「では、今回の鎧と残りの鱗を献上いたしとうございます」
騙されてくんねぇかな?
出来るだけ純朴そうな顔付きをして言ってみた。
ま、念のためだ。
「おいおい、これで百億Zを少し超えるからと言って物納すんなよ。流石にそこまでのシロモンじゃねぇだろ」
国王はニタニタと笑いながら言う。
くそ。
物納で済めば贅沢税の十億払わないで済んだのに……。
あわよくばと思ったが、流石にそりゃ駄目だったか。幾らなんでも舐め過ぎたな。
「無理ですか……」
気落ちしたような表情を浮かべて国王を見上げた。
「な、こいつ、油断ならねぇだろ? 贅沢税を誤魔化そうとしやがった」
お見通しか。
王妃も傍に控えるリチャード殿下も苦笑いを浮かべている。
「いえ、そんな! 誤魔化そうだなんてとんでもない! 私めはただ百億Zの価値が有るのであれば、と思ったに過ぎませぬ! 誤解です!」
慌てたように言うが、俺の前では三人共がその表情を崩していた。
「ほれ、リチャード。俺とモリーンの想像通りだろ? こいつはダメ元でも必ず物納しようとするってな」
国王は得意げな顔でリチャード殿下を見やる。
「は。確かに。私もまだまだ人を見る目を養わねばならないようです」
リチャード殿下は笑いながら国王に言って俺の方を向く。
「グリード君。陛下が君にお約束した件については私も聞いている。だが、かなり困難だと思うぞ」
うん、解ってる。
神妙な顔付きをして王子殿下を見上げた。
「確かに土壌は良いし、作物も育ちやすい。起伏も殆ど無いから開墾さえ出来れば王国のどこよりも収穫量は高いだろうことは確実だと思う。それだけ考えれば百億Zと言うのは破格だろう」
だよね。
王子殿下は表情と声音を改めて言葉を継ぐ。
「しかし、あの辺りは数年おきに必ず争いが起こる。それに、人が入植して百年程しか経っていないから魔物も多い。どこの土地もダート平原に入っていない北部のみは安全だが、ダート平原内は護衛がいなければ安心して生活を営めない程に危険地帯が多い」
だから軍隊が駐屯している、というんだろ?
「百億Zの裏側にはそういう事情もあることは理解しているんだね?」
「は。それらは覚悟の上です」
王子殿下は俺の目を覗きこむように暫く見つめた後、頷いて引き下がった。
「ふん。そんなこと、こいつはとっくの昔に知ってる筈だ。……去年、ダート平原の辺りで何人ものダークエルフが目撃されている。どうせこいつが調べさせてたんだ。な? そうなんだろ?」
国王は全てが自分の掌の上の出来事だとでも言うかのような表情を浮かべて言った。
あらら。
確かにダークエルフは目立つからね。
調査のための会話は当り障りのないもので、すぐに記憶から消えていくようなものでもダークエルフと会話したというのは印象深いのは道理だよな。
「すでにお見通しでありましたか……」
ならばしらばっくれても意味は無い。
「で? 何所が欲しいんだ?」
「では、遠慮無く申し上げます……。一番西に御座います、リーグル伯爵領を所望致します」
畏まったまま微笑を浮かべて言った。
「ふぅん。俺はてっきり東から二番目のドレスラー伯爵領の方かと思っていたんだがな……。理由を聞いてもいいか?」
国王は本当に意外そうな表情で聞いてきた。
ま、普通は国王の言う通りだな。
話はちょっとずれるが、ここでダート平原について簡単なおさらいをしてみようか。
ダート平原の北部。つまりロンベルト側の南部には以前言った通り大きく分けて四つの伯爵領が並んでいる。
東からエーラース伯爵領、ドレスラー伯爵領、ランセル伯爵領、そしてリーグル伯爵領だ。
まず、一番東のエーラース伯爵領。領地の面積は一番狭いと言われている。ついでに領内に占めるダート平原の面積も一番狭いがダート平原以外の部分はそれなりに開拓されている。街の数は五。村は十一。うち開拓村は三。領地南部に広がるダート平原の東部は他領と比較して森が薄く、土地の開拓は一番容易そうではある。しかし、その開拓は一番進んでいない。理由は後述する。
次に、東から二番目のドレスラー伯爵領。土地の開拓の順位としては二番目に進んでいる領地だ。また、面積も四つの中では一番広いと言われている。だが、土地が開拓されていると言っても、ダート平原の方は深い森が広がっている上にそこを根城にする魔物の影響で碌に進んでいない。開拓済みのダート平原の北部と山地から採掘されている金属類が主な収入源となっている。街の数は四。村は一七。うち開拓村は七。
そして、西から二番目に広がるランセル伯爵領。土地の開拓具合は一番高く、当然使用可能な農地の面積も一番大きいし、北部には一つ東のドレスラー伯爵領の北部から連なる小さな山地もあって鉄や銅も産出する。街の数は五。村は十八。うち開拓村は七。
最後は俺の希望した領地、一番西のリーグル伯爵領だ。領地の面積も三番目。領内のダート平原の面積も三番目という土地である。ここもエーラース伯爵領同様にダート平原以外の領地もそれなりにある。だが、そちらは隣のヨーライズ子爵領から続くぽこぽことお椀を伏せたような妙な形の山地が半分くらいを占める。街の数は一番少ない三。村は十三。うち開拓村は四だ。街が一番少ないとは言っても、村の規模は大きなものが多い。領内の南西にはデーバスとの国境となっているベロス山という山があり、その北は僅かだが四つの領地では唯一海に面しているのが特徴だ。
この中ではリーグル伯爵領とドレスラー伯爵領が比較的デーバス王国との紛争のタームが長く、一番東側にあるエーラース伯爵領と西から二番目のランセル伯爵領はそれらに比べて少し紛争のタームが短い。
エーラース伯爵領はダート平原の面積が一番狭いが平原内は林が殆どを占めており、開拓がしやすそうな事と、国境を接するデーバス側の貴族が領地拡大の野心が高くて好戦的なのがその理由らしい。
ランセル伯爵領は土地の開拓具合が一番高くて豊かなので目を付けられやすいって事だ。
従って、まずエーラース伯爵領とランセル伯爵領は選択肢から消えた。
ドレスラー伯爵領の方は一番面積も広いし、それに伴って当然領内のダート平原の面積も一番広い。その上安全な北部には開発済みの鉱山がある。
俺も最初はここが一番の候補だと思っていた。
だが、ダークエルフとクローたちの調査結果を目にして考えを改めた。
リーグル伯爵領にある山からは一種類の量は少ないが鉛や水銀、硫黄などの多くの鉱物資源が産出していたのだ。勿論、鉄も銅も真鍮も採れる。
要するに俺にとって鉱物資源の面で都合が良いのはドレスラー伯爵領よりもリーグル伯爵領である。
そして、更に二つの理由がある。
一つは各街や村の領主の問題。土着の領主の割合が一番高いのがリーグル伯爵領なのだ。つまり、俺が引き継ぐことの出来る下級貴族の数が一番多いと言う事でもある。今のメンバーのうち数名は授爵させるつもりだが、いきなり村を領有させるのは難しいだろう。その際に先輩となる近隣の下級貴族の数は多い方がいい。
ん? 席が足りなくなったら? 南にロンベルト以外の土地は幾らでも広がってるじゃないか。席が足りなくなるほどに発展するのであれば侵略して奪った土地を分け与えれば済むことだ。
もう一つの理由は、賭けに近い。が、そこそこ分が良い。リーグル伯爵領はここ七年間、紛争の舞台になっていない。おそらく次の舞台はここだ。俺が受け継ぐ直前に紛争が起こり、いつも通り適当に痛み分けに終わってくれれば最高である。ま、俺が受け継いだ後は当面こちらから打って出るつもりはないが、攻めて来られた場合には鉄砲や火薬を使ってでも撃退する事になるだろう。
さて、話を戻そう。
リーグル伯爵領を選ぶ理由だったな。
「陛下も御存じの通り私の生まれはジンダル半島です。ゴム製品の交易をするには一番近いリーグル伯爵領が一番都合が良いのです。あと、こう言ってはなんですが、デーバス王国との争いの頻度が低いことも大きな理由です」
「なるほど。……ふん、まぁいい。お前に任せるにしても早くて一年は掛かるだろうし、大方その間に次の戦が起きることでも狙ってやがるんだろう」
国王は少しだけ感心したような顔をしたが、すぐに表情を改めて立ち上がった。
そして、玉座から降り、俺の前に来た。
「ここには俺の身内だけだからな……。おい、グリード」
「はっ」
「この鎧は大したもんだ。重量を感じさせない魔法効果がある上に、鎧としての防御効果は素晴らしい物がある。全身板金鎧なんざ目じゃねぇくらいにな」
「はっ」
「だから、今回は大負けして物納を許す」
「ははっ、ありがたき幸せ!」
いいとこあんな。顔に似合わず。
「そして……約束だったな。いつかの時はお前の夢を馬鹿にして悪かった。俺の見立てが間違っていたようだ。すまなかったな、許せ」
「……滅相もございません」
覚えてたか。
国王がそう言うと、それを聞いていたモーライル王妃殿下が国王の後ろ姿を見て僅かに微笑んだ。
ふふ……。
平伏したまま顔が緩みそうになるのを必死に堪えた。
「リーグル伯に任じているロミオスやその配下の撤収や引き継ぎもあろう。来年の夏にはお前がリーグル伯爵だ。それまでに準備を怠らない事だな……」
リーグル伯爵アレイン・グリードか。
まだまだこれからだぜ!
さて、長かった第二部もようやっと次の話で終わりです。
その後は暫く別の話になります。




