第百九十八話 黒黄玉7
7446年9月10日
とにかく、今回の目的である黒黄玉のリーダー、レッド・アンダーセンの救出は成功したと言って良いだろう。
彼らも殺戮者のメンバーの治癒魔術を受けてかなり回復出来ている。勿論最低限に近いものであるし、痛みはまだかなり残っているであろう。しかし、それを除けば歩く程度の行動には支障も無くなったと言える。
「さて……まず、亡くなられた方々にはお悔やみを申し上げます。救援が間に合わず、申し訳ありませんでした。皆さんには本当にお気の毒です。が、気を落とさないでください」
確かに気の毒だとは思うよ。全く知らない人だという訳でもなかったし。
でも、所詮は他のパーティーの人だしね。それも、俺たちの開拓した商圏を脅かしに来た他社の従業員だ。それでも社交辞令は必要さ。
「ですが、何にしてもまだ生きていらっしゃったので安心しましたよ、アンダーセンさん。ところでここのオーガの魔石は我々が頂戴しますね」
「勿論よ。貴方たちの戦果だもの」
肩を竦めてニヤリと笑みを浮かべることで返事に変え、皆には魔石の採取を命じた。
ミヅチとカームは俺の両脇に待機している。カームが何か言いたそうにしているが、彼女の言いたいこと、その気持ちは理解している。軽く左手を上げてカームを制する。幾らなんでもそれは認められんよ。
今回は緑色団の依頼を受けて迷宮に入ったが、当然のごとく完遂については約束など出来る性格の依頼ではない。前払いで千五百、完遂した時の条件が三千万Zというだけの話だ。結構な料金だが、日本でだって山で遭難したりしたら捜索に駆り出された猟友会や地元青年団なんかからかなりの金額を請求されるんだぜ。
黒黄玉が自ら「自分たちを救ってくれ」と新たな依頼をして来る可能性もあるが、これは受けてはいけないだろう。「死にたくなけりゃ金払え」と言うのも本当に殺す気でもなければ言うべきではない。二重請求になるしな。
カーム達にしたところで、今回は依頼料の五%の報酬を約束しているし、増額の努力を行うのは当然のことだが、道理を曲げてまでそれをするのは不良冒険者くらいだろ。尤も、七層を荒らされるというのも正直なところ面白くはない。金を稼ぐつもりならこれほど良い層は他にはないしね。祭壇がないからお宝は得られないけどさ。おっと、俺が知らないだけで得られる可能性を否定することは出来ないか。採掘とか試したこともないし。
オースの常識で考えてもあまり褒められたことでもないことを解っているからだろう。カームも素直に諦めたようだ。
「魔石の採取が終わるまで少々待機願えますか。あと、お腹減ってません? 多少ですが保存食があります。ああ、勿論、代金は頂きますよ。オーガの魔石一個で結構です。どうです?」
やはり彼らの食糧事情はかなり悪化していたのだろう。アンダーセンの後ろに控えている黒黄玉のメンバーからごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。そりゃあギリギリの一線を越えでもしない限りは人型のモンスターや仲間の肉は食わんだろ。
何度も言って申し訳ないが、勘違いして欲しくないのはオースには食人や食猿などの文化はないということ。むしろ忌避される。皮くらいは鞣されて利用されることもあるけど、食われたりはしない。仮に食うような文化があったとして、幾らオースに染まりつつある俺でも他に食い物がある限りオーガやオーク、ゴブリンと言った人型のモンスターなんか断固として拒否すると思う。
そもそも麦などの穀物を栽培出来る農耕が中心の世の中で猿とか人型のモンスター食うとか頭がどうかしてるとしか思えんわ。緊急避難ならいざ知らず、原始時代の狩猟脳過ぎるだろ。
俺は自分とミヅチ、カームのサバイバルキットからあのくっそまずい保存食を取り出す。次いで、水筒にも熱湯を満たし、干し肉を入れてスープにした。
「もうご想像は付いていると思いますが、我々は緑色団から直接依頼を受けて皆さんの救出に来ました」
「そうじゃないかと思ったわ。……六層への転移水晶まで連れて行って。あと、これ」
アンダーセンはため息を吐くと腰に下げた袋から魔石を一個取り出した。ステータスを見てオーガのものであることを確認する。金を貰っているからにはきちんと仕事はするさ。
「了解しました。お任せ下さい」
保存食とスープを差し出して言った。隣にいたカームを始め、魔石を採りながらもこちらの様子を窺っていたジンジャーやミース、ジェルと言った虐殺者のメンバーも満足そうだ。九食分の保存食で八十万Zのオーガの魔石じゃ大儲けだしな。富士山のコーラが高いのと同じ仕組みだね。
仏の顔も三度まで。いつかの五層。解呪。この前のオーガメイジの部屋。三回も大サービスしてやりゃ充分だろ。あ、日光を取り込む時に協力して貰ったか。それに、昔、一層の転移水晶の間でちょっといい話を聞かせて貰った。それにしても俺の貸出超過だろうし、このくらい支払って貰ってもバチは当たるまいよ。
貪るように飲み食いして人心地が着いたのか、多少顔色の戻ったアンダーセンに話し掛ける。
「皆さんが使った転移水晶はこの先二㎞あたりにあるもので間違いありませんね?」
「そうよ」
堅焼きのビスケットを齧りながらアンダーセンが答える。
「そこまでお送りします。六層の転移水晶の間にバルドゥッキーを用意してあります。すぐに食べてもいいですし、そのまま地上に戻られても結構です。ですが……」
「わかってる。緑色団も来てるのね?」
「そう聞いています」
多分、相当順調に進んでいても、今頃は良くて四層だろうけど。俺の予想ならまだ三層だとは思う。
「いつ入ったの?」
「緑色団は昨晩のはずですね」
「そう。貴方たちは……いえ、いいわ。聞くと落ち込むでしょうし……。じゃあ五層の転移水晶の部屋に誰か置いておくことにするわ」
・・・・・・・・
魔石の採取も終わり、黒黄玉は遺体の運搬について一人あたり百万Zも出してくれると言う。ゲイリーとマリンの遺体についてはズールーとギベルティが運ぶことになった。僅かに腐敗の始まったロットについてはバールがかなり回復してきたこともあって彼が運ぶとのことだった。
手が空いた者から順次、保存食とスープの軽食を済ませる。ある程度の大休止も兼ねて、五時間程はこの場所で休息しないと流石にこちらの身が持たないと判断したためだ。
あと二㎞。慣れているメンバーの多い俺たちなら七層はこの周囲のような背の高い草が生えている場所でもない限りかなり歩き易いから途中戦闘があっても小一時間も歩けば転移水晶に行くことは問題ない。休まずに少しでも前進するという手もある。しかし、一応の目的である黒黄玉を確保出来たこともあって、気が抜けている可能性を慮っただけだ。
「最初は私が見張りをするわ。疲れたでしょうし、貴方は休んで」
ミヅチから有り難い申し出があったが、見張りは最低でも二箇所に置きたい。つまり、俺と、それを言い出すくらいまだ余裕の残っているお前だ。我慢しろよ。
少し離れた木の枝の上に腰掛けて、いつでも飛び出せるように片膝を立てて周囲の警戒をしていたら、カームがそっと近づいて来た。
「稼がせてくれてありがとう」
どういたしまして。
「取れる時は取らないとね。それより今のうちに休んでおいた方が……」
「ん」
カームは中途半端な返事をしながら俺に背を向けて木の幹に寄りかかる。
「ね、グリード君」
「うん?」
「今回、改めて思ったけど、殺戮者の皆、一体どれだけの体力があるの?」
呆れたように言うカームになんと答えたものか。真面目に訓練してる二師の普通科中隊員くらいだよ。流石に冬戦教の「部隊r」どころか普通の「R」にも届かないだろうけど。匍匐前進やハイポート走なんかやらせたことないし。
「付いて行くのがやっとだったわ……。足引っ張っちゃったわね」
解ってるなら充分に意味があったさ。俺たちだけなら、いや、俺だけならもっとずっと早かっただろうし。
「これは単なる俺の意見だけど……」
そう前置きをしてカームのつむじを見下ろした。
「冒険者はさ、一人で色々な事を出来るようになってる方がいい。でも、基本は走ることだと思う。出来るだけ長く、きつい動きを続けられることだ。僅かな休憩で先に進めることだ。剣や槍が上手く扱えるとか、罠に詳しいとか、多少魔術が使えるとかそれと比べたら大した問題じゃない」
「聞いたことあるわね……」
言ったことあるからね。うるさがられようと煙たがれようと何度だって言うけど。
「魔法もそう。攻撃魔術を当てる技術はそりゃあ大切だ。でも、発動までの時間をどれだけ短く出来るか……幾ら敵に当てるのが上手でも必要な時に発射出来なければ意味がない。当たらなくたって威嚇になりさえすればいいんだ。勿論その時には命中するに越したことはないけど。カームだっていつも弓を当てようと思って射る訳じゃないだろ?」
「……いつだって命中させるつもりで射ってた……」
あ、そう……。心構えとしては正しいと思うけどさ。
「すぐに射撃出来る体勢に入れる方が大切だって事を言いたいだけだよ。いつだって余裕を持って有利な位置で撃てるとも限らない。素早く動いて素早く射る方が重要だなぁって思うだけだよ」
「そう……私も少し休ませて貰うわ」
そう言うとカームは皆のところへ戻っていった。ま、俺の言う内容は冒険者と言うより兵隊向けの内容だしね。
その後は転移水晶までの間に二回、オーガとの戦闘があっただけで黒黄玉は無事に六層へ転移していった。俺達はオーガの死体から魔石を回収しつつ、ちょくちょくと休憩を挟んで元来た道を辿り、中央の転移水晶を使って六層へと戻った。勿論オーガメイジの部屋は外周を迂回することで戦闘は回避した。別にカームたちに戦闘を見せたくなかった訳ではなく、本当に疲れているし、魔術を使うためにこれ以上精神を集中するのが嫌だったからだ。
六層に用意しておいたバルドゥッキーはしっかりと無くなっていた。彼らは五層に一人残し、緑色団の到着を待たせると言っていた。俺たちもこんな迷宮の土のベッドではなく、宿のちゃんとしたベッドに横になりたい。
地上までは十分とかからずに戻れるので休憩もせずに戻ることにした。
五層では精魂尽き果てたバールが部屋の隅で丸くなって眠っていたので起こさないように静かに転移の呪文を唱えた。彼の傍には手の付けられていないバルドゥッキーが何本か置いてあったので少しだけ微笑ましくなった。
・・・・・・・・・
地上に戻った時は既に真夜中を通り越しているばかりか、空が白み始めている時間だった。迷宮の税吏の護衛を務めるバルドゥック騎士団の人に黒黄玉は無事に戻ったか尋ねると、
「皆さんが救い出したそうですね。いや、大したもんです」
と言っていたので無事に任務が完遂出来たことを知って全員で笑うことが出来た。
この時点で奴隷以外の全員に三千万Zの五%、百五十万Zの特別報酬の支給が決定したからだ。へとへとになったけど一日にも満たない時間で百五十万は美味しいだろ。
また、魔石については売却金額の合計額は二千万Z近いだろう(いつも使っている“魔道具ダンヒル”の営業時間はとっくに過ぎていた)。こちらでは殺戮者扱いの二%なので四十万Z弱だ。合わせると一晩で二百万Z近い稼ぎを叩き出せた計算になる。俺としても一夜で三千五百万を超える稼ぎを得られたのは嬉しい。
入り口広場の隅ではエンゲラを始めとした戦闘奴隷たちも俺たちの帰りを待っていた。すぐに駆け寄ってきた彼女たちも任務成功を喜んでくれた。え? なに? お前ら昨日の夜から待ってたの? そうか。ご苦労だったな。でもさ、エンゲラ。お前、どうせ先輩風吹かせて皆に徹夜を強制させたろ? 四人とも疲れて眠そうじゃんか。俺の前だから不満気な顔は見せないけど。
「気持ちは嬉しいがこれからはそこまで心配して待っていなくていい。俺が命じたのなら別だけどな」
と言って彼らも誘って飯にすることにした。奴隷の中では一番の若手のジェスが皆に俺たちの帰還を知らせるために走っていった。
着替えもせずにそのままムローワに行くと大いに食べ飲み、あまり時間をかけることなく退出した。本当に疲労も限界で眠かったからだ。ボイル亭に帰ってからもおいたもせずに寝てしまおうとしたが、何故かミヅチが絡んできた。寝ろよ、もう。俺も眠たいよ。
「……予想とは違って良かった……けど……」
あん?
「ねぇ、しよ」
もう夜明け近いんだぜ。勘弁してくれよ。
「静かに、ね?」
ええー?
・・・・・・・・・
7446年9月11日
朝のランニングから戻る(驚いた事に昨日のメンバーは全員ランニングに参加していた)と宿に黒黄玉のカークが使いとして来ていた。アンダーセンが会いたがっていると言う。夕食を共にしたいらしい。
俺たちへの報酬は緑色団が負担するはずだ。そして、彼らはまだ戻っては居ないだろう。助けた時に礼も言われているし、精算しなければいけないことも無い。もう黒黄玉に用はない。向こうもないはずだ。不思議に思って尋ねてみると「それでもきちんと礼を言いたい」とのことだった。
そこまで言われて否やのあろうはずもない。しかし、あのアンダーセンの姐ちゃんがここまで礼儀正しいとはね。勿論、彼女だって貴族の出であるし、騎士団で教育も受けているらしいから幾らでも礼儀正しく振る舞うことは可能なんだろうけどさ。それだけ感謝の念が強いということだろうな。
今日は一日完全なオフにしているし、迷宮に行くのも緑色団が戻って報酬の精算を終えてからの予定だから、時間はある。夕食を共にすることにした。
ようやっと疲れた体を休め、少し遅目の昼食を摂ったあと、ミヅチとロリックを誘って三人で再び迷宮に潜り、魔術の練習がてら今後について簡単に相談した。ミヅチもロリックも転生前の年齢が比較的高く、結構まともな考えをすることが多いからで別に他意は無い。
実は以前、グィネを中心とした別働隊を組織してダート平原近辺の調査を前倒ししようかどうしようか悩んでいたことがある。その後「情報収集はやっておいて損はないだろう」という安易な考えで半ば以上別働隊を組織しようと思っていた。
しかし、今回の黒黄玉の件で考えを改めた。あれだけ強力な黒黄玉ですら七層のオーガには歯が立たなかった。勿論、俺たちは豊富な経験もあるし、オーガだのオーガメイジだの相手に今更後れを取るなどということは考え難い。が、少し気を抜けば死ぬときは一撃で死ぬのは確かだ。
ちょっと脇にそれる。
ミヅチの使っている無茶苦茶高性能な魔剣のお陰で考察出来たことでもある。手足や頭部をすっぱり切り落とせていることで、その切り落とされた手足を気が向いた時に【鑑定】していて気付いたためだ。人型のモンスターの場合、全体のHPを百%とすると、頭部や手足は大体十~二十%のダメージで使い物にならなくなる。
ボロボロになって動かせないとか、それこそ切り落とされるようなことがあれば一箇所について十~二十%程度のダメージを与えるようだ。これについては同じ種族でも体格などで個体差があるようではある。
胴体は四十~五十%程度のダメージで使い物にならなくなる。つまり、死ぬと思ってまず間違いない。このダメージについてはあくまで観察の結果得られた想像でしかない。例外も多いからなんとも言えない。例えば一息に心臓を突いてしまえばHPは大抵耐久値分のマイナスになって死ぬ。
そういった急所を狙った攻撃ではない場合、武器の性能くらいのダメージが期待出来るようだが、それも一定ではない。稀にだが性能を超えたダメージを与える事もあるようだし、とても性能に遠く及ばないダメージで終わる時もある。クリーンヒットしたと思っても僅かなダメージしか与えられないこともあるからイマイチよくわからない。何となく図体のでかい相手の方がダメージを与え難いような気もするが気のせいのような感もある。あと、もし着ていたら防具の性能も関係があるようだ。
手足のHPにしたって、胴体まで加えて全部合計するとどう考えても全体のHPを超えることが多いのだ。かと思うとバッタだの便所コオロギだのはどうも全体のHPとぴったり同じようだし、人型をしていてもゾンビとかグールなんか部位のHPがあるかどうかすら疑わしいような奴もいる。
とにかく、急所に当たったりすれば充分に即死もあり得る。対抗策は全体のHPの上昇以外に思いつかない。ミヅチと話したこともあるが、人型でも巨人のようなモンスターが居たとして、HPが四桁や五桁あれば首に俺の剣が命中しても即死はないだろうというくらいしか想像出来ない。それだってカノン級の攻撃魔術なんかでしっかりと心臓を貫けば即死させられるだろうとも思う。
話を戻そう。
俺は決して今の戦力に満足している訳ではない。ああ、冒険者としては充分だ。勿論あと一人二人増えるくらいどうってことはないが、その座を占めるのは出来れば転生者にしたい。クローやマリーを除けばまず無理だろうけど。
それに、ダート平原の調査にしてもグィネを派遣して正確な地図を作るのは後回しでもいい。確かに地図も欲しいといえば欲しいが、それよりは領地の状態やどういった代官が居て、代官じゃない土着の豪族(貴族)にはどういった人がいるのかと言う事や、各種産業の状態や今後の見通しなどの方が余程重要だし有用だ。これについてはバークッドの隊商に手紙でも預けてクローやマリーがこちらに来るついでに少し回り道をして時間を割いて貰った方が良いと考えた。
その間、例の庶子だの貴族の子弟だのから接触があっても適当に受け流すことに決めた。面倒だけど皆の命とは引き換えにならない。こう言うとクローとマリーの命について軽く見ているようだが、危険度は迷宮の方が高いだろうし、こちらの戦力を割くことは出来なかった。
なお、アンダーセンの呼び出しは本当に礼だけであり、俺も彼女の出自については触れなかった。
緑色団が戻り、報酬の精算が済んだらまた迷宮へと潜るのだが、虐殺者と根絶者の編成については元に戻し、殺戮者への援護についても無理の無い範囲に留めるようにしようと思った。
当面はレベルアップや九層の地図作成に専念しよう。とは言え、二~三ヶ月、どんなに長くても半年で九層の突破を目標とした。




