「裏百六十一話」
「ぬっふーん!」
カリム(カリエール・マークス)が戦斧をノールの肩口へと叩き付けるように斬り下ろした。上背のある獅人族ならではの豪快な攻撃だ。
「ゴォエッ!!」
ガードした棍棒ごとカリムの戦斧を左肩口に受けたノールは断末魔のような声を漏らすとその場に頽れるようにして倒れ込む。
カリムは私が作り出した隙を上手く突いて大きな一撃を決めてくれた。戦斧を振り下ろして体勢の崩れたカリムの隙を庇うようにサンノ(サンノセ・クミール)が盾を差し入れ、別のノールの攻撃を受けないように防御した。ルッツ(ルーツォグ・サミュエルガー)が槍で攻撃する暇も無い程完璧なタイミングでの素晴らしいカリムの一撃だと言える。彼らの前に立ちはだかるノールはあと二匹。今仕留められた奴を含めて二匹が床に転がっている。もうこっちは心配いらないだろう。
次、あいつ。
ロリック(ロートリック・ファルエルガーズ)とデンダー(デンドール・スマイス)、メック(メイスン・ガルハシュ)が戦列を組んで相手をしているホブゴブリンの側頭部目掛けて矢を射ようとする。だが、こちらに注意を払っていないはずなのにそいつは大きく動いて私に狙いを付けさせない。
ロリックもメックも盾が邪魔よ! ジンジャー(ヴァージニア・ニューマン)も槍を突き込み難そうにしてるじゃない! でも、ロリックとメックの二人は騎士だったというだけあってジンジャーが攻撃を入れられないことを除けば四匹ものホブゴブリンを相手に何の被害も受けずによく持っていると思う。
仕方がないので右翼でリーダーのベルが前に出て相手をしてるノールの集団の方へと注意を向けた。ベルの後ろにはジェス(ジェスタス・マンゾッキ)が控え、踊るように動きまわるベルに右だ左だと言われながらもなんとか槍を突いている。
ノールは既に五匹も床に転がっており、たった二人組、しかも攻撃役は新人の戦闘奴隷にもかかわらずこの短時間で一番戦果を上げている。こっちに援護は必要なさそうだ。ベルに少しだけ嫉妬の感情が湧き上がる。
勿論、私より歳下の癖に、私と比べ物にならないほど立派なプロポーションにじゃない。あんな無駄なもの、弓を使うのに邪魔になるだけだ。私と同じ精人族のトリスと種族を越えての結婚を公言していることにでもない。ベルもなかなかの美人だが、私の方がよりエルフらしい繊細な美しさだと思っているし、悔しくなんかない。
羨ましく思うのは私と同じ弓使いのはずなのに前衛並みに歩兵用の剣を操るその冒険者としての力量、そして戦況を見極める冷静な観察眼に対してだ。
今回の戦闘は元々七匹のホブゴブリンに襲撃を掛けたところから始まった。ベルが二匹、ジンジャーが一匹、仕留めたところで新たにノールの一団が襲撃に加わってきたのだ。即座に前線を支える前衛が不足していると判断したベルは全く躊躇することなく剣を抜いて飛び出し、前衛として一番数の多いノールの集団の前に立った。攻撃役として一番実力の劣るジェスに命じて自分の後ろに付かせたに過ぎない。
再度中央でホブゴブリンを相手に戦っている四人へと援護の視線を動かした。視界の隅で丈夫なはずの革鎧の一部が揺れた気がしたが全く気にしていない。あの革鎧の二つの盛り上がりには一体何が詰まっているというのだろう?
弓は引き絞ったまま。
中央で戦鎚を振り回し打撃前衛として活躍しているデンダーを挟むようにロリックとメックが左右に立ち、必死でホブゴブリンの粗末な剣を躱し、受け止め、盾でいなしている。ジンジャーが前衛の三人に次々と注意を呼びかけ、なんとか攻撃は貰っていない。やはり今、一番の強敵であるホブゴブリンを相手にしているこの四人を援護しなくてはならない。
矢を放つ。
私の放った矢はロリックの外側に立つホブゴブリンの肩に突き刺さって傷を与え、同時にそいつに隙を作り出した。その隙を長年トップチームで活躍していたジンジャーが見逃すはずもない。少々無理な体勢だったが、片手一本で素早く槍を突き込む。腹に槍を受けたホブゴブリンは一瞬だけ動きが止まったものの、すぐに何やら喚きながら腹に刺さった槍を引き抜こうと掴んだ。
その時には私は矢筒から新たな矢を引き出して弓に番えようとしていた。
ジンジャーが体勢を立て直し、きっちりと両手で槍を掴むと「んっ!」と力を込めて捻りながら引き抜く。
「ブゲッ、ウウ!?」
ホブゴブリンは腹の傷を押さえて蹲るがジンジャーの槍に落とされ、床に転がった自分の指を見ている。
矢を放つ。
ホブゴブリンの側頭部に突き刺さり、どうと倒れ込んだ。これで彼らも少しは楽になったろう。
「オッケ! ジェス、行くわよ! ガブバド!」
その状況を見ていたのか(自身の戦闘中に何という視野だろうか)ベルは訳の分からない事を口走る。たまにこういう事がある。ベルの体が薄青い魔術光に包まれ、一瞬ですぐに消えた。
ベルは目の前に立ち塞がっていた二匹のノールに無造作とも思える自然な姿勢のまま突進すると、一気に右側のノールへと剣を突き入れた。あの様子だとノールは即死に近いだろう。生きていたとしてももう戦えない。
もう一匹残っていたノールは味方の腹に剣を突き入れたベルに対して棍棒を振るった。剣をノールに突き入れた為に体勢の崩れているベルが避けられる訳もなく、棍棒は当たり前のようにベルに命中する。本来なら背骨を痛める程の致命傷を受けていてもおかしくはない。考えるより先に長年の習慣で新たなホブゴブリンへと向けていた弓の照準をそのノールへとずらした。
「痛いじゃない!」
そう言いながら殴ってきたノールにキッと振り向いたベルは、何事もなかったように剣を引き抜き流れるような動作で突き出した。剣は正面からノールの首を貫き、その血で刀身を染めた。今ベルが使った魔術は樹皮防御の魔術だと言っていたのを覚えている。体の表面を覆うように魔法の鎧のような物を作り出す魔術らしい。あの速度で発現させられるからには、ベルが一番得意としている魔術だと思う。
「いっ、行ぎまずぅっ!」
ベルに命じられたジェスは既にホブゴブリンへと突撃を開始している。
ほぼ同時にノールから剣を引き抜いたベルも血刀を引っさげてホブゴブリンに向かって駈け出した。気にするな私、トリスはきっとあの胸に騙されているだけだ。
・・・・・・・・・
にこにこと微笑んでベルが宣言する。
「ん……十六時五十分。これで連続三回ね! みんな、おめでとう!」
それを聞いてホッとして体から力が抜け、へたり込むようにして床に座ってしまった。
皆も安心して気が抜けてしまったのだろう、緊張しなくても良い二層の転移水晶の間だからか、ヘナヘナと私のように座り込んだ。ベルを除いて唯一立っているのはジンジャーだけだが、彼女はベルと何か話している。
日光の時はこの二層の転移水晶の間に到着するまで丸一日以上の時間を費やしていた。それが今では休憩を入れてもたったの九時間だ。今まで殺戮者から来たリーダーは口を揃えて一層と二層は休憩も挟まず三時間ずつ合計六時間、三層は長くても四時間で抜けなければダメだ、と言っていた。殺戮者は各階層の踏破距離が短かったりするなど転移運が良い事が重なったりする時には、朝六時に迷宮に入り、昼過ぎには三層の転移水晶の間に到着してゆっくりとだべっていることもあったそうだ。
これは日光など比較にならない超スピードだ。最初は何かの冗談だと思っていた私達だが、やれば出来るじゃないか。私達だってグリード君の設定した関門を突破出来たのだ。次からは三層の突破を目指さねばならない。虐殺者に追い付いたとも言える。
「へっ、二層突破、だな」
「ああ、俺達もやれば出来るな」
サンノとルッツがへたり込みながらも楽しそうに会話をしている。
「や、やった……」
「疲れましただ……」
そう言いながらもメックとジェスも嬉しそうだった。
「この勢いですね」
「三層も突破できますよ」
「……ああ、二人共よく頑張ってくれたな」
デンダーとカリムに言われたロリックは戦闘奴隷に労いの言葉を掛けていたが、すぐに立ち上がると私の方へ歩いてきた。
「疲れましたか?」
そう言うと腰の水筒を外し、私へ差し出した。私の水筒はほんの三十分程前に空になっていることに気が付いていたのだろうか? 王国屈指の大貴族であるファルエルガーズ伯爵の長男だが、それを鼻にかけたりせず、誰にでも丁寧に接するロリックには好感が持てる。
「ん……ちょっとね。ありがとう」
ロリックに礼を述べ、水筒を受け取った私はぬるくなった水を飲んだ。この水は一層を抜けた転移水晶の間でベルに作って貰った水だ。あまり美味しいとは言えないが迷宮内で贅沢は言えない。何より喉が渇いていた。
水筒に残っていた水を半分だけ飲み、ロリックへと返した。彼も残っていた水を一息に飲み干すと反対の手を私に伸ばした。
「今日はビールが旨いでしょうね。熱々のバルドゥッキーで一杯やりましょう」
屈託のない微笑みで言って来た。
あのバルドゥッキーという食べ物は私を含め皆のお気に入りだ。
「マスタードもたっぷりね。キャベツの漬物も欲しいわ」
口の小さい私ではかなり大きく口を開けなければ太いバルドゥッキーは食べにくいが、好物であることは間違いない。今晩の食事を楽しみに思いながらロリックの差し伸べた手を握った。
・・・・・・・・・
まだ三月の終わりということもあり、バルドゥックの街を吹き抜ける風は少し冷たく感じる。
食事を終えた私はジンジャーと並んで歩きながら私達が宿泊しているマートソン亭へと向かっていた。
「明日からは三層突破に向けてもっとキツくなるんだろうね」
焼き鳥の串を銜えたままのジンジャーに言った。
「ん……それね。虐殺者の方もちょっと苦戦してるみたいだからね。頑張れば抜けるかも知れないね」
そうだと良い。痛快だ。
「抜いたら根絶者が殺戮者で二番手になるってことだよね?」
「そりゃそうだ、とも言えるけど、本当の所はどうなのか皆解ってるでしょ?」
「グリード君が戻るのって六月でしょ? 入れ替え試験ってそれまでお預けなのかな?」
「わかんない。でも、今トリスやゼノム、ベルなんかで話し合ってるらしいよ。予定通り来月の半ばから終わりにかけて入れ替え試験をやろうって考えもあるみたいだね」
「ふーん」
「お? あんたも挑戦してみる? 殺戮者は無理にしても虐殺者との入れ替えならサンノあたりと組めば目もあるかもよ?」
そりゃあ、ジンジャーは次の入れ替えテストに向かって燃えているのは知っている。カームやミース、キムなんかと毎朝走ってるし。でも、私はあれは無理だと思う。前回の試験の時も自信がなくて参加しなかった。第一体力試験を突破出来たとしても個人技、連携を含めたオーガ相手の戦闘もあるのだ。
虐殺者なら去年七層でオーガを相手にしたこともあるからそれなりに落ち着いて戦えるだろうが、ベテランのジンジャーならともかく、私には無理だと思う。絶対に慌てる姿が目に浮かぶ。何しろ、以前六層でイノシシ相手に酷い目にあった時も、転移の罠に掛かり目の前で消えていった仲間を見た私は慌てるばかりで命からがら逃げ出したのだ。
マートソン亭に到着した私達はお互いに挨拶をしてそれぞれの部屋に別れた。
鍵を開けて部屋に入るとすぐに明かりの魔道具を灯し、服を脱いだ。着替えを掴んで体に手拭いのような薄いタオルを巻きつけ、シャワー室に向かう。ざっと冷たいシャワーを浴び、新しい服に着替えると部屋に戻り、脱ぎ散らかした服をまとめて洗濯カゴに入れ、部屋の隅に戻した。
その後、弓に異常がないか確かめ、矢の確認だ。何本か寿命に近いものがある。矢筒からそれらの矢を引き抜き、保管してあった新しい矢と入れ替えるとダメなものはテーブルの上に纏めた。今日は剣を使ってはいないが、念のため愛用の剣の点検も済ませる。
立ち上がると部屋に備えてある小さな戸棚の上に乗せてある買い置きの焼酎の瓶を手にしてテーブルに戻った。木のカップを二つ用意し、少しずつ焼酎を注ぐと一つをテーブルの奥に置き、そのカップに自分のカップをコツンとぶつける。
「フェード……私は、まだ生きてる……必ず……」
二年半くらい前、私はバルドゥックの迷宮で恋人であるフェードを失った。五層の祭壇の部屋、召喚されてきた部屋の主、アイスモンスターとの戦闘中のことだ。私はカーム姐さんと一緒にガーゴイル相手に前衛に立って耐えているロッコとケビンの援護に夢中でフェードがやられた瞬間の事を知らない。「ダメだ、撤退しろ! 全員撤退だ!!」と叫ぶコーリットさんの命に従ってロッコとケビンの援護を続け、命からがら、なんとか撤退した時にはその中にフェードの姿は居なかったのだ。
後で聞いた話だが、メイリアさんとハルクさんと一緒に前衛に立っていたフェードは、アイスモンスターの前足の攻撃を受けて蹲ったところに頭から噛み付かれてあっけなく亡くなってしまったそうだ。コーリットさんにはフェードがやられてしまい、前衛が薄くなったため撤退せざるを得なかったと聞いている。その時槍で援護をしていたマライユも前足でフェードが攻撃を受けたところは気付かなかったそうだが、頭から噛み付かれて振り回されているところは見たそうだ。勿論彼の魔石もそのまま部屋に……。
それから暫くは落ち込み、迷宮へも行きたくなかった。私が休んでいる間にマライユも迷宮で死んだ。でも、生きていくのにお金を稼がなくてはならない。一泊五千Zもするマートソン亭では月に十五万Zも必要になる。今更泊まる宿のランクは落とせない。フェードが積み立てていた御札の代金は私が引き継ぎ、一枚御札を手に入れられそうな金額にはなっていたこともあって、一月半で立ち直った私は、フェードの魔石を探すために日光に居続けた。
勿論、私の冒険者としての力量はトップチームと言われた日光の中でそれほど高いものではない。でも、何年かかってもまたあの部屋に行き、フェードの遺した魔石を手に入れるまでは……彼を暗い迷宮から明るい外に出してあげるまでは死ねない、と思っていた。
ゆっくりと焼酎を飲んだ。熱い液体が喉を伝って腹に落ちていくのがわかる。
「……ねぇ、私を抱いてよ……」
いつの間にか涙が頬を伝っていた。
彼にもう一度私の名を呼んで欲しかった。
あのゴタゴタがあって、フェードは謀殺された可能性が高いと知った時、私はコーリットさんやメイリアさん、ハルクさんが許せなかった。どうしても、許せなかったのだ。彼らが刑場の露となった今でも許せない。
獄門台に晒されていたコーリットさんとメイリアさんの首に何度唾を吐きかけたか……。
目を閉じるとフェードの顔が浮かんでくる。
故郷を飛び出し、汚い格好で流れの冒険者のようになっていた私と知り合った頃のまだどことなく幼さが残る顔つきのままだ。
「ヒス、俺と一緒に来い。バルドゥックに行って一旗揚げよう。金が貯まったら俺の子を産んでくれ」
懐かしい、フェードの声が聞こえた気がした。
また焼酎で喉を灼いた。
「そんな事気にするなよ、ヒス。俺はお前の胸は好きだぜ」
そう言いながらいつも兎人族のマライユの胸からなかなか視線を外さなかったフェード。
私のカップは空になっていた。
「ふん……男って……」
フェードのカップを取り上げ、口をつける。
「明日から私も走ろうか……」
飲まずにカップを戻した。
服を脱いで椅子の背もたれに掛け、明かりの魔道具を消した。
もう寝た方が良い。明日は早いのだ。




