「裏百六十話」
バルドゥックの街もすっかり春めいてきた三月の終わりのある晩のこと。繁華街の外れにあるフォートンという飯屋に一部で虐殺者と呼ばれている、トップチーム殺戮者の下部組織のメンバーが集合して思い思いのメニューで食事を摂っていた。
「なぁ、ラルさんよう、次は誰になる?」
お調子者だが、剣を握らせればそれなりに腕の立つ、一流と言って良いベテラン冒険者のロッコ(ローカスト・ケイネスタン)が正面に座っているラルファ・ファイアフリードと言う名の普人族の少女に質問する。彼女は未だ十代という若さにもかかわらず、数日前までバルドゥックの迷宮に潜っていたこの虐殺者のリーダーを務めていた。
「ん~、わふぁんないふぇろ、フォリシュかおふぉーふぁんらと思うよ、なんで?」
ラルと呼びかけられた少女は、それなりに顔の造作の整った見た目の良い外見をしている。惜しむらくはそれ程彫りの深い顔立ちと言う訳ではないのでオースで一般受けはしにくいことだが、どこにでもマニアは居る。因みに、今は腰まである金色に染めた長い髪を食事の邪魔にならないように一つに纏めている。
しかし、そんな彼女も今は周囲の冒険者同様に口一杯に肉野菜炒めを頬張っており、ついでに口の端からタレが垂れていた。右手にはこのクラスの飯屋では珍しいことにフォークに刺したベーコンの塊を持ち、左手にはビールの入った木製のジョッキが握られている。他の人の様に素手で手掴みのまま食べないだけかなり行儀の良い部類だが、非常に食い意地の張った卑しい性格であることが窺える。
「今回は三層突破の時間切れになっちゃったから……。明日の稽古は次のリーダーを考えて内容を弄りたいの」
殺戮者から毎回派遣されてくるリーダーを除き、虐殺者のまとめ役となっているカーム(カーマイン・ミシャウス)がフォローを入れた。
「あ~、なるほどね……あ、そうだ、このあとアルに直接聞けばいいんじゃない? 今晩はあんたたちの番でしょ?」
虐殺者の構成員は昨日、殺戮者全体のリーダーを務めていたアル(アレイン・グリード)から「明日の晩の食事が終わり次第、ボイル亭の俺の部屋まで来てくれ」と言われていたのだ。昨晩はもう一つの下部組織、根絶者のメンバーが呼ばれていた。
用事はメンバーに支給する戦闘用のブーツのサイズの計測だ。
「ん、そうなんだけど、今まで幾ら聞いてもアルは迷宮に入る前日の夜にならないと次のリーダーを教えてくれないからさ……ラルなら知ってるかと思ってね」
カームの言葉を聞いたラルは口の中のものを飲み込むと少し表情を改めた。
「ん、私も知らない。アルがいない間、殺戮者の事は“私に”任されてるけどさ、そっちの方はお父さんとトリスが決めるみたいだしね」
テーブルの端でその会話を聞いていたキム(キュミレー・ビオスコル)は少し驚いた。
(ラルってグリード君に殺戮者を任されるような存在だったの!? 私より八つも下なのに? 確かにこの子は驚く程強いけど……養父だというファイアフリードさんか、完全治癒の使えるミヅチの方が頼りになるし、パーティーに居ると安心感も段違いなんだけど……トリスやベルもそう言っても良いかな? ……でも、ラルがねぇ? グリード君はなんでラルを?)
しかし、キムとしては槍を扱う自分の腕にかなりの自信は持ってはいるものの、模擬戦では殺戮者で前衛を務める誰を相手にしても簡単に懐に入られるように誘導されてしまう。それはラルを相手にしていても一緒だ。手斧を使っているにも関わらず、リーチが圧倒的に長い槍の攻撃をいなされ、逸らされてしまう。場合によっては軽業のように素早い身のこなしで、こちらが突き出した槍を掴まれてしまうこともある。その隙にラルが組んでいる誰かがこっちの前衛も躱して懐に飛び込んでくるのだ。
それぞれの技術はそう目を見張る部分は少ない。ゼノムやミヅチ、ラルあたりはかなりの白兵戦技を誇るが、他のメンバーは単純な技術だけを見れば虐殺者より下であると言ってもいい。だが、一瞬の動きや一撃の重さが予想を超えることがままあるのだ。継戦能力については開いた口が塞がらないレベルだ。
殺戮者の切込役に一人でも飛び込まれた虐殺者の前線は瞬く間に崩壊してしまう。殺戮者の攻撃役、普段は槍衾を務める山人族の少女と猫人族の少年が素早く前進し、強襲前衛と化してちょっと驚く程の強烈な突きをかましてくる。
昨年の夏に当時所属していた日光が吸収され、虐殺者と根絶者として再編成を受けたキム達は、同人数では今まで一度として殺戮者に模擬戦で勝った事はなかった。勿論、持ち前の経験からいい勝負をすることも多いのだが、各人が役割に徹し、完璧にそれをこなす殺戮者の攻撃力に屈したり、防御線を貫けない事の方が圧倒的に多かった。また、人数に倍くらいまで差をつければ殺戮者を相手にしても勝つ事はあるが、それは当たり前なので誇れるような事ではない。
(……まぁ、私が考えても解らないし、カーム姐さんに任せておけばいっか……)
水を混ぜた安ワインで食べ物を飲み込み、周囲の仲間たちと談笑しながら全員の食事が終わるのを待つキムであった。
・・・・・・・・・
「今だっ!」
虐殺者を指揮するゼノム・ファイアフリードの胴間声がバルドゥックの迷宮に木霊する。キムはその声を合図に槍を構えたまま魔物に突進した。
ここは石造りの三層。魔物が巣食う一室だ。
キム達虐殺者は今朝八時頃に迷宮に入ってから、この十七時過ぎまでの間に一層と二層を突破しており、三層の二個目の部屋に襲撃を掛けたところだった。部屋の主はグリーンオウルベア。緑色の羽毛に覆われた体表を持つフクロウみたいな頭の熊さんである。オウルベアの中では比較的大型で強いとされる魔物だ。なお、勿論のこと熊なので羽毛は生えていても羽ばたくための翼は無い。
「んっ!」
掛け声を掛けて体勢を崩し隙の出来た脇腹に槍を突き入れる。この隙は虐殺者のメンバーが命懸けで作り出したものだ。無駄には出来ない。槍の穂先を伝わって幾らかその内臓を破壊した手応えがキムの手に感じられる。キムは更に槍を握る手に力を込め、捻りながら引き抜いた。
「グゲェェェッ!!」
痛みに耐えかねたグリーンオウルベアは黄色くひん曲がった嘴を広げると叫び声を上げ、猛禽類の爪が生えた野太い腕を闇雲に振り回した。しかし、キムの槍は刃先だけで五十㎝、全長では四m近い長さを誇っており、流石のグリーンオウルベアの攻撃もその距離を飛び越えることは出来ない。引き抜いた槍を再度油断なく構え、牽制を続けるキム。
その牽制によって魔物に隙を作りだしたおかげでゼノムにロッコ、ケビン(ケビン・ファイアスターター)、ヘンリー(ヘンリー・オコンネル)達、切込隊は怪我一つしないで後退することが出来た。後退の援護のため、数本の矢が魔物の胴体に向かって放たれている。カームとミース(ミーフェス・ランスーン)が放ったのだろう。
「おらぁっ!」
「ふんがー」
キム同様に長柄の槍を構えたジェル(ジェルトード・ラミレス)が反対側の脇腹に槍を突き込み、正面からルビー(ルバーノ・ファイエルノート)が大上段に振りかぶった鎚矛を魔物の頭上に振り下ろした。
大振りの攻撃を次々と決められ、グリーンオウルベアの動きは目に見えて鈍る。
「行くぞっ!!」
ゼノムの指示により、後退したばかりの切込隊は魔力を温存していたビンス(ビンノード・ゲクドー)も加え、それぞれの得物を手にして弱った魔物に躍りかかる。
程なくしてキムは主が動かなくなったのを確認した。
ゼノムはヘンリーとルビーにグリーンオウルベアの魔石を採るように命じると荷物から地図を引っ張り出して広げた。すぐに地図を畳み、部屋から繋がっている通路の一つを指差した。
「あの通路が近いだろう」
ゼノムの言葉にカームが自前の地図(旧日光から引き継いだものだ)を確認している。
「ゼノムさん、あっちはダメ? あの先の部屋は壁から銀鉱石が出たことがあるのよ」
「ん……希望するなら構わんが、時間を食うぞ?」
カームの提案に少し戸惑ったようにゼノムが答えた。
三層は通路や部屋の壁が崩れている場所があり、極稀にそういった場所を掘ると鉱石を得られることがある。三層を訪れる冒険者の大多数はそれも大きな目的だったりするのだ。
「ゼノムさんの言う通りの方に行こうぜ。三層の鉱石なんて、余程運が良くないと出て来ないし、それだって大した量じゃない。時間を無駄にするべきじゃないと思うな」
戦斧に付着した血を手拭いで拭き取りながらケビンが言った。
「うん、私もそう思う。四層や五層に行く方が結果的には稼げるもの」
戦闘奴隷が魔石を採るべく胸を割いている魔物の死体から、彼らの邪魔にならないように矢を回収しながらミースも言う。どうも四層へ行くことを優先しているようだ。
ケビン同様に自前の得物の手入れをしていたキムとしてはどちらでも良かった。彼女はかつてトップチームと呼ばれた日光に所属していた槍使いであり、この虐殺者でも一番腕の立つ槍使いであると自己評価をしている。三層程度の魔物には油断しない限り負けるような腕は持っていないと自負している。殺戮者全体を見回しても彼女以上の槍の使い手は根絶者の纏め役を担っているジンジャー(ヴァージニア・ニューマン)しかいないであろう。走るのも彼女同様に速かったし。
「なぁ、カーム。皆が言うように三層の鉱石なんか放っておこう。ゼノムさんが来てくれている今週が三層突破のチャンスなんだ。そうしたら三層で宿泊が許される。鉱石なんかその後でも良いだろ?」
ビンスの意見がダメ押しになったようでカームも納得の行った顔をした。
「そうね。四層を目指しましょうか。あ、ありがと」
ミースから回収した矢を受け取ったカームは穂先を確認しながらそう言った。
キムは(四層か……確かに三層よりは鉱石も採り易いし、まぁ悪くはないよね。でも、あの臭いがなぁ……)と鼻の上に皺を寄せていた。四層と五層にはゾンビやグールなどのアンデッドが彷徨いており、鼻がひん曲がりそうな悪臭が漂っているのだ。キムはあまり好きな階層ではない。尤も、このバルドゥックの迷宮で彼女が好きな階層、などというものはありはしないのだが。
・・・・・・・・・
「時間は?」
三層の中心にある転移水晶の間に辿り着いた瞬間、期待の篭った目つきでカームがゼノムに聞いた。
「二十時三十分……残念だったな。戻って飯にしよう」
そこかしこから残念そうな溜息が漏れる。キムも少し残念に思っていた。
(ダメだったかぁ……。ま、明日また挑戦することになるんだし、あと三十分なら頑張れば行けそうな時間よね……)
地上に戻った虐殺者はいつものフォートンに繰り出すと、今回リーダーを務めてくれたゼノムを囲んで夕食を摂った。
「なぁ、ゼノムさんよう、どうしたらあと三十分、縮められると思う?」
ロッコがそう言ってゼノムを見た。
「ん……そうだな。小休止を減らす必要は無いと思う。下手に減らしたら注意力も散漫になるしな。俺から見て時間を掛け過ぎだと思うのは魔石の採取と罠の回避だな」
ゼノムの答えを聞いた皆は一斉にヘンリーとルビーを見るが、すぐに彼らが冒険者としては初心者であることに思い至った。なお、ヘンリーとルビーは申し訳無さそうに項垂れていた。
(魔石の採取……グリード君が彼らを買うまでは全員で手分けして採ってた。グリード君は魔石の採取なんて面倒なことは奴隷にやらせればいいって言ってくれたから私も喜んだけど……。そうも言ってられないわね)
そう思ったのはキムだけでは無いようで、何人かが明日から自分たちも手分けして魔石を採るべきだと言い出した。
「でもよう、それなら戦奴にだけ言いつけないで俺達にも言ってくれよ……」
不満そうに口にしたのはジェルだ。キムと同じ槍使いだが、実力は少し落ちる。同じ狼人族のミースの事が好きなのは全員にバレバレなのだが本人だけがそうと気が付いていない気の毒なほど楽天的な性格をしている。良く言えば素直とも言えるが、普通に考えるとお調子者の馬鹿だ。ロッコ程考えなしで無いところが救いといえば救いだろうか。
「ジェル、それを気が付くのは私達の役目よ。ヘンリーとルビーが入ってきて一番喜んでたのは貴方でしょ? ゼノムさん、明日からまた私達も魔石を採ります」
カームがジェルを窘め、ゼノムは笑って頷いていた。
「ああ、それから罠の回避にも時間を掛け過ぎって言ってましたけど……」
ミースはそう言うと豚と青菜のワイン煮込みから青菜を取り出して手にぶら下げた青菜に下から口を近づけて食べた。
「さて、そこまではな。三層にある罠は落とし穴、弩、落とし戸……落とし柵と壁の落とし穴だ。落とし柵と壁の落とし穴は俺も一度しか出会った事はないけどな。皆は罠を恐れ過ぎだ。勿論、恐ろしい物であることは間違いない。だが、アルと一緒に迷宮に入ったこともあるんだろう? あいつが怖がっていたのは六層の転移の罠を除けば落とし戸くらいだぞ」
ゼノムはそう言うと「パーティーが分断されなきゃどうにでもなる」と言って骨付きのバラ肉に齧りついてた。
それを聞いたキムは、
「でも、三層の落とし穴は床まで石だから落ちたら大怪我をするし、弩は怖いよ。毒でも塗ってあったら急所に当たらなくても大変だし。時間が掛かっても解除するなり遠回りするなりした方が……」
と、思わず考えていたことが口を突いて出てしまった。
「そうだな、罠を作動させてしまったりすればそうなる。だから罠が仕掛けられていることが判明している通路を避けようとするのも解る。だが、もういい加減慣れて欲しいものだが、あまり罠を恐れ過ぎるな。勿論油断していいものじゃない。落とし穴の脇を一人ずつおっかなびっくり通るのは時間の無駄だ。皆も殺戮者の一員ならビビらないでさっさと通り抜けるべきだと思うぞ」
「そんな事言ったって……弩なんか解除しなければどこから矢が飛んでくるか解らないのに……」
ビンスがそう言うが、キムは「全く同感だ」と思った。落とし穴は最近傍を通るのにも慣れては来た。そんな時に襲撃でも受けたら例え相手がゴブリンのように弱い魔物だとしても非常に危険なのでどうしても“恐ろしい”という感情は拭えないが、それでも慣れてきた。一人ずつそれなりに用心しながら通り抜けるのは全滅しないための保険でもあるのだ。特に三叉路や十字路、五叉路と言った通路が入り組む中心の落とし穴については突然の横からの襲撃を考えると慎重に慎重を重ねることの何が悪いのか理解出来ない程でもある。
しかし、弩については作動スイッチを躱すだけで通り抜けられる神経が解らない。殺戮者には治癒魔術の使い手が多いとは言っても、当たりどころが悪ければ治癒魔術でも追いつかない程の大怪我の危険性もあるし、何より毒が怖い。
「ん……変な言い方になるがもう少し“迷宮を信頼しろ”。スイッチを作動させない限り落とし穴が崩れることもないし、矢は飛んで来ない。その辺りが実感出来れば一層ももっと短い時間で通り抜けられるし、全体としてももっと時間を短く出来るだろうよ」
ゼノムの言うことはキムには良く解らなかった。“迷宮を信頼しろ”ってどういうことだろう、と思った。
常宿にしているシューニーに虐殺者に所属する戦闘奴隷たちと一緒に戻ったキムは、部屋の扉の前に蹲っている猫を抱き上げると頬ずりをして扉を開けた。虎人族であるキムは夜目の特殊技能を持っているが、窓を開けるまでは役に立たない。明かりの魔道具を灯し、水差しから床の皿に水を入れ、窓を開けると明かりをすぐに消した。水を飲みたそうにしている猫を抱いたまま暗い部屋のベッドに腰掛けると猫を離してやった。猫はキムの膝から飛び降りるとすぐに水を飲みだす。
元々トップチームに所属していたキムはシューニーよりグレードの高い宿に泊まることは出来るのだが、猫を飼うためにこの宿を使っているようなものだ。
シャワーを浴びたくなったが、シューニーにシャワー施設はない。水浴びをするには井戸から水を汲まなくてはならないが、今日の疲労と明日の事を考えるとエネルギーを消費したくはなかった。キムは服を脱ぐと水を飲んで満足してベッドに上がってきた猫を撫でた。猫の毛が裸の肌にくすぐったく感じる。
いつの間にかキムの脳裏には去年の今頃、日光に参加し、半年も経たないうちに抜けてどこかに行ってしまった郷士騎士団出身のタイガーマンの顔が浮かんでいた。時折、実家に置いてきた弟のような表情をする黒髪黒目の男だった。
「あいつ……気にかけてやってたのに……」
恩知らずの事を頭から追い出すとゼノムの言った意味を考え始め、目を閉じた。




