第百六十三話 クローとマリー
7446年5月6日
こちらに向かって歩いてくるマリーの顔はすっかり甘さが抜けているようで引き締まっていた。少し日焼けもしているようだ。おっと、俺達は全員ヘルメットを被っているままだった。顎を斜め上に持ち上げるようにして顎紐を解くとヘルメットを脱いだ。真っ赤に染めた髪が目立つことだろう。
染められた俺の髪を見て、少し驚いたような顔をしたマリーはそれでも歩調を崩すことなく歩み寄って来る。
「元気そうだな、マリー」
「お陰様で。部屋を取ってあるの。こちらは?」
少し微笑んだマリーはミヅチをはじめとした三人を見ながら言った。
「全員俺のパーティーメンバーだ。後で紹介するよ。クローは?」
「今は交代の休み時間でちょっと買い物に出てる。すぐに戻るはずよ。どうぞこちらに」
「待ってくれ。馬はここの杭に繋いでも?」
「ええ、問題ないわ。武器も持ったままで大丈夫」
エンゲラはそれを聞くと手早く馬を繋いだ。
いつかセンドーヘル団長と面談した部屋に通される。建物に入ってから数人の人とすれ違ったがマリーは必ず廊下の脇に退いて相手が通り過ぎるのを待っていた。仕方ないので俺達も真似をしていた。
「ごめんなさい。私が従士なので……騎士団では訪ねてきたお客さんも同じ扱いになっちゃうの」
そりゃあ四年で正騎士になんかなれっこないから分かってたことだ。仕方ないさ。
「さて、クローが戻る前に紹介だけでもしとくか? うん。皆、彼女はマリー、マリッサ・ビンスイルだ。まだ従士だそうだから自由民かな?」
「ええ、そうよ。初めまして。ウェブドス侯爵騎士団従士マリッサ・ビンスイルです」
マリーは軍人らしく姿勢良く立つとしっかりと名乗って挨拶をした。
「前にも言ったが、こう見えて元は俺より少しだけ若いだけのおばちゃんだ。敬老精神を忘れるな」
冗談めかして言ったが、マリーに凄い形相で睨まれた。
「前の齢はどうでもいいわよ! 今は十八なんだから。それより早く紹介してよ」
「ああ、お前から見て左がミヅチ。ミヅェーリット・チズマグロルだ」
「初めまして、マリーさん。ミヅェーリット・チズマグロルです。見ての通り闇精人族です。髪は染めていますが、染料を落とせば真っ黒ですよ。この人がお世話になったそうで、お礼を申し上げます」
ミヅチはそう言って一歩踏み出すとマリーへと右手を伸ばした。マリーもその手を掴んで握手したが、ミヅチの肌の色には気圧されているようだ。
「……よ、宜しく。……ごめんなさい。ダークエルフと会うのは初めてで……その……。それに、この人って……」
「ああ、昔からの縁でちょっ『妻です』まだ結婚してない」
俺達の喋りを聞いたマリーは少し愉快そうな顔をしたが『貴女も……』と言ってミヅチの顔を見つめ、微笑んだ。
「それから真ん中の山人族はグィネ。グリネール・アクダムだ」
「初めまして、マリーさん。お話はアルさんから聞いています。グリネール・アクダムです。私もアルさんやマリーさんと同じです」
「そうじゃないかと思っていたわ。素敵な髭ね」
マリーはグィネの髭を話題にした。本人気にしてんだから触れてやるなよ。
日本人は気配り上手のはずだぜ?
「えへへ、有難うございます。結構手間かかるんですよ、これ」
手間とか誰も聞いとらせんわ。しかし、もう完全に吹っ切れたようだな。
「一番右の犬人族は俺の戦闘奴隷のマルソー・エンゲラだ。皆は普通にマルソーと呼んでる。ああ、彼女だけは日本人じゃないが、ある程度の事情は知っているからあまり気にしないでくれ『本人しか使えない技についてはまだ話していないけど、必要なら別に話しても問題はない』」
「宜しくお願いします。お話はご主人様よりかねがねお伺いしております。マルソー・エンゲラと申します。以後、お見知り置きを」
「こちらこそ、宜しく。あんまり懐かしくて、つい貴女の知らない言葉が出ちゃうかもしれないけど許してね」
さて、前置きは充分だ。聞くことを聞いておかなきゃな。
俺はソファに腰掛けると口を開いた。
「マリー。急に訪ねて済まないな。あれから四年。答えを聞きたくてな。実家に帰る用もあったからついでに寄らせて貰った」
「……」
マリーはじっと俺を見て口を噤んだままだ。
「前にも言ったがどんな結論だとて、俺は恨んだりしない」
言いにくい答えなのかな? と思って言い易くさせてやった。万が一、俺たちとの合流を希望しないのであれば残念だが仕方が無い。縁が薄かったと思って“今は”諦めるしかあるまい。勿論腹をたてることもない。
「今ではバルドゥック一と言われる冒険者なんですってね。僅か四年で、大したものだわ」
やっぱ断られるのかな? まずは黙って話を聞こうか。
「私達、この前までブライズの方でホーンドベアーの退治に行ってたの。年に一回くらいあるんだよね。こういうこと。去年も一回行ったんだけど、その時は誰も死ななかった。でも、今回は二人も死んじゃった……」
心なしかマリーの声のトーンが落ちたように感じた。
「一人は見てないけど、もう一人は私の目の前で死んだわ。ホーンドベアーに一撃で頭を飛ばされた。まだ十七の子だった」
全員じっとしたままでマリーの声に耳を傾けている。
「人って簡単に死んじゃうんだよね。貴方も知っているでしょうけど、去年私達も戦争に行ったわ。私とクローは後方で糧秣の護衛に回されていたから直接、デーバスの軍隊と剣を交えた訳じゃないけど、うちの騎士団でも何人か戦死者が出た。大怪我をしても助かった人もいるけど、三人が戦死した。怖いと思ったわ」
でも、辞めなかったんだろ? “食らいついて見せる”と言ったマリーの顔を思い出した。
「うちの騎士団でね、語り草になってるんだ」
あ?
「貴方のお兄さん。ファンスターン・グリード卿。十四で入団して十六で正騎士として叙任して初陣。そこで大手柄を上げる。その後の栄達も全て放り投げて団長の娘さんを攫うように結婚して故郷に戻った英雄。ウェブドスの黒鷲。団長も事あるごとに自慢しているわ」
ふむ。
「お姉さんのミルハイア・グリード卿は十五の手前で王国第一騎士団に入団。僅か三年で正騎士。当然うちの騎士団でもすごく有名な人よ。剣の腕も相当らしいけど恐るべきはその魔法使いとしての高い技倆。黒の魔女。この前の戦争では二十一歳という若さにして軍議にも参加していた程。団長も自慢していたわ」
なんだ?
「そして貴方。アレイン・グリード。たったの四年でバルドゥック一の冒険者となった。その界隈では知らぬ人は居ないそうじゃない。同時にグリード商会の創業者兼商会長。ウェブドス商会とも喧嘩せずに上手くやっているそうね」
俺たち兄弟の経歴を述べ始めたマリーの口調は静かな、事実のみを指摘するような話しぶりではあったが、些か面白くはない。
「あのね。私達も頑張ったんだよ。騎士団に入った時、貴方のことはともかく、お兄さんとお姉さんのことは既に皆知っていたからね。ああ、そうか。アルはすごい人たちの弟なんだなって思った。実際に魔法も剣も見ていたのにね。改めて思い知ったわ」
マリーはいつの間にか俯いて洟をすすっていた。
「クローはともかく、私は槍の握り方一つ知らなかった。いつもどこかが怪我をしてた。でも、クローと励まし合ってね。最初は二年で正騎士になろうって……それがいつの間にか三年で、四年で、って延びちゃった……」
その時部屋の扉をノックする音がした。マリーが「クロー?」と誰何すると同時に扉が開き、髪を短く刈り込み、少し日に焼けて浅黒い肌の男が部屋に入ってきた。クローだ。
「すまない。ちょっと外に行っていたもんで。久しぶりだな」
「ああ、久しぶりだな」
またお互いに紹介を済ませるとクローはマリーの隣りに座った。
「どこまで話をした?」
クローが訊ねてきた。俺は肩をすくめる事で返答に代えた。
「マリーはさ。ちょっと今ナーバスになっちゃってるんだ。先週の件は聞いた?」
「ああ、なんでも目の前で従士の方が一人亡くなったんだって?」
「ん……それだけか。その目の前で亡くなった従士ってな、彼女が可愛がっていた後輩なんだ。それでちょっとショックを受けていてな……」
ふうん、そうだったのか。
「申し訳ない。話は俺が引き継ぐ。簡単に言う。勝手なことを言うが、あと二年、いや、一年待ってくれ。結構頑張ったつもりだが、やはり飯屋の娘と冒険者崩れじゃな……最初の一年は何も出来なかったに等しい。他の従士とまともに模擬戦が出来るようになったのだって入団して二年半も掛かった。やっぱ騎士団に入ってくるような奴は小さい頃から訓練を積んでいてな……俺たちじゃとても敵わなかった」
急がないからそれは別にいいが……。
「それは一年後に俺と冒険者をやるという意味だと取って構わないのか?」
「ああそうだ。恩は必ず返すと言ったろう?」
そう言ってクローはニヤリと笑った。
無理は……言っていないようだ。
「待つのは別に問題は無い。こう言っちゃなんだが、今の戦力はそこそこ充実しているから焦る必要もない。勿論、早く合流してくれればそれは嬉しい事だけどな。だが、本音を聞きたい。合流するというのがお前たちの意思なら、今すぐに騎士団を辞めて合流する手もあるはずだ。もう武器は使えるんだろう?」
俺がそう尋ねるとマリーとクローはお互い少し顔を見合わせたあと、クローが口を開く。
「ああ、それな。すまんがちょっと訳があってな。少なくとも俺の方はどうしても正騎士の叙任を受けたい。昔教えてくれた通り、俺たちは座学の方はあんまり問題がない。暗記だけだしな。戦術なんかについても大本の基本さえ理解すればあとは暗記だ。計算なんか会計監を入れても俺たちが騎士団で一番なくらいだよ。だが、やはり戦闘技能の方で、特にマリーが手こずっていてな……」
「それ、本音だろうけどさ……全部言えよ」
「……ごめん。でも理由の一部であることは確かだ。本当のところは、ビンスイルの親父さんに正騎士にならないとマリーは嫁にやれないと言われた……正騎士になれば平民だしな」
「おおーっ!」
髭の生えた女が興奮していた。こいつ、本当にこういう話が大好物だな。
「そうなら最初からそう言え。別に怒りゃしないよ」
まぁ、収まるところに収まったようで。やはり別れ際にゴム袋を餞別にやったのが効いていたのだろう。俺、良い仕事したよな。
「ごめん」
「もういいって。ところで、買い物に行ってたんだって? ひょっとしたら指輪か? ん?」
和んで来た場を更に柔らかくさせようと笑いながら言った。
クローとマリーは少し赤くなった。
なんだ、本当に指輪でも買いに行ってたんか。
なんという俺の読み。
「いや、指輪は流石にな……ちょっと必要な物を買いに行ってただけだって」
「でもお二人共赤くなってるとは怪しいですよ~このこの」
グィネも相の手を入れている。
「いや、その、いいじゃんか。昔アルに貰ったものだよ。キールだと結構扱う店も多いし」
コンドームかよ。ぎゃふん。
・・・・・・・・・
一年後、少なくともクローの方は正騎士が見える程度にはなっているようだ。クローとマリーの話によると、マリーの方も最近伸びが見られ、一年後は難しそうだが魔物退治などでそれなりの手柄を挙げられれば全く無理というわけでもないらしい。兄貴たちから話には聞いていたが頑張ってるんだな。合流してくれる気もあるようだし、彼らについては近況が確認出来たので問題はない。
それより、もう一つ、キールで済ましておかねばならない事がある。リットンのオーナーであるハリタイドさんに近況を聞いておきたい。あのヒキガエルのような男は見るに堪えない容姿ではあるがその頭脳については見どころがある。二号店の話もしていたので、資金などでまだ詰まっているようであれば援助を申し出ようと思っていた。
リットンまで三人を引き連れて歩いたが、近づくに連れ、決心が鈍っていく。エンゲラはともかく、ミヅチやグィネが居るところで娼館に入るのはなぁ。止めとこう。それよりダックルトンにでも呼び出せば済む話だ。途中で道を外れ、ダックルトンへと足を向けた。
物々しい出で立ちだが、一応は俺も貴族の端くれ。問題なく予約は取れた。ついでにボーイにリットンのオーナーに使いを出して十八時に呼んで欲しいと伝えておく。当然割増料金を取られるが必要経費だ。
「商談があるんだ。初期にそれなりのボリュームで取引をしてくれたお客と話をしておきたい。すまんが今夜は俺抜きで飯食っといてくれ」
と言いながらビンス亭に戻ると、上等では無いがこざっぱりとした服に着替える。
ジャバはグリード商会の商会長からという招待にすっ飛んできたらしい。俺のことも覚えていてくれたようだ。今は兄貴が売っているが、最初に商談を纏めたのは俺だしな。揉み手をしながら現れた彼はまた新製品の話でもあるのかと思っていたらしい。しかし、俺からの提案は二号店の出資であった。更に大喜びするかと思ったが、そこまでアホじゃ無いようで、一転して用心深そうな顔つきになる。
こうじゃなきゃな。今は断られてもいい。俺がそれなりの資金を持ち、本気で考えているということが伝われば充分だ。ああ、勿論、田舎娼館の二号店なんざどうでもいい。希望するならその程度の資金くらい融通してやるのも吝かではない。彼の記憶に俺という存在を強く印象付けることが目的だし。
・・・・・・・・・
7446年5月7日
「じゃあ一年後、バルドゥックまで来い。待ってるからな」
「あの、アル……昨日はその、変な事言い出してごめんなさい」
マリーが申し訳無さそうな顔をして言う。
「そういうこともあるだろう。だが、冒険者にとって死は日常だ。ある程度は慣れておいて欲しいもんだ。だけどな、宣言しておくが俺は自分の仲間は殺させない。まだ誰一人死なせていないしな。ついでに言っておくが、正騎士になって騎士団に残ったって怒らないよ。ただ、これだけは知っておけ。バルドゥックに来れば正騎士の給料の何倍もやる」
そう言うとマリーは少し驚いた顔をしたが笑っていた。
「じゃあ、クローも元気でな。お前だけでもさっさと正騎士の叙任を受けなきゃならんのだろ? 月並みだが、頑張れよ」
「ああ、俺もマリーも恩は返すさ。待っていてくれ」
俺はクローとマリーとで肩を組み、円陣のようにすると小声で素早く言う。
『怒らないで聞いてくれ。もしマリーが許すなら、クロー、【誘惑】の固有技能をレベルアップさせておいてくれ。知っているかもしれないが回数をこなせばレベルが上がる。マリーがどうしても、と言うなら無理にとは言わん。だが、情報収集には向いている技能だと思うんだ。判断は二人に任せる』
クローのやつ、あれから【誘惑】については殆ど使っていなかったようだ。レベルはまだ三のままだった。マリーの【耐性(毒)】は技能のレベルがMAXになっていたのにな。
早朝の騎士団本部前で別れの挨拶を済ませた俺たちはキールを出立した。
・・・・・・・・・
7446年5月10日
道が良いと違うね。
あっという間にウェブドス侯爵領を抜け、ペンライド子爵領に入った。グィネは完璧に地形を覚えている。
「帰りは新しい道を覚えた方が効率もいいと思うんですよ。どうします?」
本来ならこの辺りでペンライド子爵領の南西部に聳え立つピートス山脈の麓を迂回するルートに行く。その後子爵領の首都カールムに行き、あとは海岸沿いを行けばいい。馬車も無いし、身軽だし、途中で遊ばなけりゃ三週間も掛からずにバルドゥックへ到着する。昔、姉貴が里帰りした時は王都からバークッドまで一月半で往復したのだ。人数分の馬がいるわけではないのでそこまで早くはないだろうが片道一ヶ月で充分にお釣りの来る速度での移動は可能だろう。
ふぅむ。別に一日を争う訳じゃない。今月中に帰れればいいやくらいの気持ちだったが、今後のことを考えると多少時間を消費しても地図を作った方が良いに決まってる。バルドゥックからカールムまでの正確な海岸線はもうグィネの頭の中にあるし、道だって記憶されている。同じ道を通る必要なんか無い。
「確かにそうだな。じゃあこっちに行こうか」
ピートス山脈だけではなく、その東にあるボード山も迂回し、ヨーライズ子爵領を突っ切ってから北上しようか。
昼食を摂りながら日本の戦国時代並みの出来の悪い地図を広げた俺たちは大体のコースを決めた。今日中に東の村であるビアッソには辿り着けるだろう。そこで一泊。その先二十㎞くらいには数千人規模の大きな街であるラムドックがある。そこまで行けばヨーライズ子爵領は目と鼻の先だ。
昼飯を食った俺は馬の背に乗ると移動を開始した。




