第百四十五話 干物の脂は黄色い方が旨い
7445年8月28日
三チーム合同での簡単な訓練を終え、昼食の後、ミヅチと二人ゆっくりとお茶を飲んでいた。
「そう言えば私が殺戮者に合流して今日で丁度丸一年が経ったんだね……」
口をつけたお茶のカップをテーブルに戻しながらミヅチが言った。ソーサー等という洒落たものは存在しない。
「ああ、もう一年か……早いもんだな」
「材料もあんまり集まらないし……ねぇ「キュアーディジーズ」の魔術ってまだ使えそうもない?」
祈るような目つきでミヅチが俺を見る。情けない話だが「キュアーディジーズ」の魔術については今までの魔術習得のようには上手く行っていなかった。このバルドゥックには病気の奴なんて幾らでもいるので、もし使えるようになったのであれば簡単に試せる環境は揃っているんだがな。
今までは学びたいと思っている魔術が“確実に存在する”という認識と、納得出来る呼び名が判っていれば試行錯誤を延々と繰り返すことで長くても数ヶ月でマスター出来ていたのだ。
だが、「キュアーディジーズ」の魔術については情報源が亜神であるリルスから齎されていることもあって、揺らぎなく“確実に存在する”という認識が有るのにもかかわらず、マスター出来ていない。習得には相当な困難が見込まれるらしいから一朝一夕には行かないことは覚悟の上でチャレンジしているのだが、ダメなものはダメだ。リルスがミヅチに嘘を吐いている可能性は無いと思っているし、そんな意味も無いだろうからな。
そもそも、ミヅチからの情報に関係無く病気を治療する魔術については相当前から取り組んでいたのだ。半分くらい諦めかけていた所にミヅチからの情報を得て、俄然やる気になったのが去年の今頃だったか……。ミラ師匠も知らんと言っていたので目の前で使っている所を見た訳ではないが、魔術の存在については疑ってはいないと断言出来るのにこの体たらくだよ。
「すまん……。時間を作って取り組んではいるんだが……全く掴めない状況だ」
「ごめんなさい。責めている訳じゃ無いの……」
そんなことくらいお前の顔つきを見りゃ判るよ。ミヅチも俺がダメなら自分が、とばかりに魔法の経験を得る為に相当無理をしている。俺もそうだが休みの時には大抵ズールーかエンゲラを伴って迷宮に入っているからね。お陰で何ヶ月か前に彼女の元素魔法のレベルは六に、無魔法のレベルは七に上昇している。非常に効率的にモンスターに魔法でダメージを与え続けた結果だろう。
「いや、いいさ。とにかく引き続き試してみる」
「うん……材料の目処はそれなりなんだけど、どうしても難しいのが幾つか……ね」
「ああ……確証はないが当面迷宮からは離れるつもりもないし、そっちの方はな……タイミングなんかもあるからどうにも……」
「ん、やっぱり厳しいのはワイヴァーンとヴァンパイアロード……」
「それに、ドラゴン……か……」
クロヤモリなんか井戸のあたりをうろつけばそこら中にいる。シュリーカーもバークッドから少し歩いた辺りに行けば居ないこともない。っつーか、生息地はミュンが知っている筈だ。スカベンジクロウラーは迷宮の一層で歩き回れば余程運が悪くても二日もあれば充分に出会えるだろう。クントキガエルは南の方の湿地帯では珍しくないと聞くし、ロックバイパーもミヅチによれば故郷の山に生息しているらしい。髪の毛だの爪だのなんざすぐにでも手に入るし、生き肝だって一欠片くらい俺から取ったっていい。
難しいのは上記の三種だが、ワイヴァーンは東や北の方の国境でたまーに見掛けられるらしいので時間を掛けて探せばこれもなんとかなる可能性が高い。ワイヴァーンなんてミヅチから聞くまでとんと知らなかったが、ミヅチによると劣化ドラゴンのようなものらしい。しかし、強さは比較にならないほど落ちるらしいから戦ってもなんとかなるだろうという気もする。確信までは持てないけど。
ヴァンパイアロードについては以前四層でヴァンパイアを殺したことがあると話したことがあるが、ミヅチは「ヴァンパイアの出る迷宮なら奥に行けばヴァンパイアロードが居ても不思議ではない」みたいなことを言っていた。ヴァンパイアの親玉みたいな奴らしい。俺もミヅチも「アンチマジックフィールド」は使えるし、腐った目玉野郎を正面から撃破出来た俺とミヅチの二人が居ればこれも何とかなるだろう。
だが、問題はドラゴンだ。俺の知る限り確実に居たという証拠はない。ダート平原に昔居たとか言うのは大昔に伝承として聞いたことがあるが……何にしても百年以上前のことらしいから本当に居たのかは解らない。しかし、ミヅチとも話し合った結果、こんな世界にドラゴンが居ない方が不自然だともいう結論にはなっていた。
今のところ手掛かりはダート平原に居たということだけだ。ミヅチによるとン百年とかン千年生きるらしく、物凄い長寿の爬虫類らしい。彼女には言っていないが、それが本当だとすると番とか子供とか、生き残りがまだダート平原にいる可能性もあるとは思っている。
ただ、洒落にならない程の強さを誇るらしい。体も大きいし、炎や冷気、酸、毒液、電撃と言った吐息による広範囲攻撃を吐き、空も飛ぶ。知能も高く魔法を使ってくる奴も珍しくないらしい。国を丸ごと滅ぼすくらいの力を持っていたとしても何の不思議もないと、何故か自慢気に断言までしていた。何その完全生物。
とにかく、今は薬の材料については手詰まりだ。可能性があるのは更に迷宮深部でヴァンパイアロードとやらに出会えることもあるかも知れない、ということだ。勿論、空を飛べるとは言え、ドラゴンも爬虫類だけに中にはじめっとした迷宮内を好む奴も居るらしいから、バルドゥックの迷宮の深部で出会える可能性も否定出来ない。俺個人の考えとしては多分無いとは思っているけど。だって、でかいんだろ? 迷宮なんて天井は高くても百mくらいだし、幾ら迷宮を好む個体も居ると聞いてもなぁ……。運動くらいするだろう。床ずれになる前に。
「今は迷宮の奥を目指すしか無いよ」
「ん、そうだな。あと、明日から一週間は殺戮者は休みな。明々後日にはまたミラ師匠のところに行くから……夕方には皆に話すよ」
「そうね」
ゼノム、ベル、エンゲラを虐殺者に、トリス、ラルファ、ズールーをもうすぐに入れ、バストラルはギベルティや女房のキャサリンとソーセージを作らせ、グィネは折もよく九月一日にやると言う、煉獄の炎主催の焼き肉パーティーにお呼ばれしているのでそっちに行かせりゃ文句もあるまい。俺とミヅチで王都の商会に顔を出しつつ妖精郷に行けばOKだろう。
虐殺者やもうすぐと一層で出会う可能性もあるが、隠密行動に長けたミヅチを先行させればそちらについてはまず大丈夫だろう。
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7445年8月29日
「……それと、新型の鞘が無くなりました。試供品が気に入ったので代金を払うから売って欲しいと小分けにお納めしていたのですが、残りはもうありません」
商会に顔を出し、少なくなった製品の在庫を確認し、売れ行きの報告を受けていた時にロズラルが報告してくれた。もっと突っ込んで話を聞いてみると、王家から度々使いが来るようになっているのだそうだ。今まで鎧の納品の度に纏めて納品していたが、ここ暫く鎧の納品も無かったので暇を見つけては納品に行っていたのだ。しかし、通常品の鞘を見る王妃殿下たちはなんとなく妙な態度だった。
何だ、新型も気に入ってくれてたのか。恥ずかしがり屋さんだなぁ。納品する俺には何も言わなかったがイボ付き鞘は好評なようだ。まぁ宿にはまだ沢山あるから暫くは大丈夫だろう。コンドーム以外は高級品のブーツはまだ数足残っているが、サンダルや靴、ゴム引き布も売り切れていた。ブーツや鎧の修繕の仕事は微妙にだが増えているようだ。そりゃ使用者数も僅かづつ増加しているからな。
何にしても在庫の補充が無いとリョーグ達はともかく、ヨトゥーレンの仕事が無い。
姉ちゃんが戻ってきた辺りから逆算すると、ほぼ同時に撤退したと考えても一度村に戻ることを考えるともう暫くは商品の補充は望めないだろう。今回、戦争に駆り出されたばかりだから今後暫くはこういうことも無いだろうが、これはバストラルに任せているソーセージなんかも急がせたほうが良いかも知れない。
ロズラルと相談した俺とミヅチは、彼に奴隷を住まわせる家を探すように言いつけておくことにした。
「バークッドへ奴隷を出すように仰るおつもりですか?」
少し驚いたようにロズラルが言う。
「いや、流石にそれは無いよ。新しく奴隷を買おうと思ってね。場合によってはゴムの作業場みたいな場所をもう一つ買う可能性もある。今話していた『ソーセージ』工場だよ。そこで働かせる人足だ。まぁ、今度『ソーセージ』は持って来てやるからそれ食いながらもう一度話をしよう」
十代前半のガキの奴隷は安価だ。おまけに供給も多いから幾らでも買える。頭の柔らかい若いうちから衛生観念も含めてしっかりと仕込めば良い作業員になるだろう。万が一優秀な奴が混じっていたら儲けモンだ。そんときは工場長でも何でも任せられるといいなぁ。キャシーでもいいけど、流石にバストラルと別れて暮らさせるのは忍びない。本人も何にも言って来ないし。
いや、まだ新婚二ヶ月くらいだ。そんな時期に言って来る方がおかしいわ。それに、キャシーは冒険者と言う訳でもないし、ましてや俺の部下と言う訳でもない。子供だって産むだろう。バストラルにはバストラルの家族計画があってもちっとも不思議じゃなかった。
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7445年9月1日
「なぁんだ、やっぱりフラれてなかったのか……」
おいこの羽虫。本気で言ってやがったのか……。っつーか、自ら記憶力の無さを誇っていたはずなのに、なんでこっちは覚えてるんだよ。意味わかんねぇ。こいつの相手は精神的に疲れる。
「それでは、ミラ師匠。今回も魔術をお教え頂きたいのですが……」
「ええよ。でも、その前に……」
「魚ですね。勿論今回も沢山お持ちさせて頂きました。……こちらです」
二人分のリュックサック一杯に詰め込まれた魚の干物に歓声を上げる妖精たちを前にして顔が綻んだ。何であっても喜んで貰えることは気持ちいいしね。
俺とミヅチは顔を見合わせて笑うと、別に用意してきたサンドイッチを齧りながらコンロで魚を焼いてやった。
「ところでミラ師匠、放たれた攻撃魔術を無効にするには「アンチマジックフィールド」や瞬間的には「ディスペルマジック」も有効だと伺っていますが、他に方法はありますか?」
ミヅチが食べていたサンドイッチから口を離してミラ師匠に聞いた。うむ、ちゃんと師匠を付けて呼びかけている辺り、好感が持てる。
「幾つかあるさね。代表的なのは「レジスト系魔術」や「ターンマジック」だね」
ごくりと唾を飲み込みながらコンロで炙られている干物から目を離さずに師匠は答えた。ほう、そんなのもあるのか。
「レジスト……イメージは出来ますが、無効化と言う訳ではないのではないでしょうか?」
少し不思議そうにミヅチは言う。なんで? レジストっつったら抵抗じゃねぇの? 抵抗に成功すれば無効となるんだろうし、失敗すれば食らうって感じじゃないのか? それとも、電子回路なんかに使うように抵抗器という感じなのだろうか。それなら解らんでもない。
「ほう、良く知っとるの。お前さんの言う通り「レジスト系魔術」は完全に無効にするというよりは掛けられた魔法から受ける悪影響の効果を和らげるのが普通じゃの」
魚の皮から滴り落ちる脂がコンロの炎によって蒸発したのか、薄紫っぽい煙を上げ、それによって魚自身も燻されている様子に目を細めながらミラ師匠は答えた。なるほどねぇ。やっぱり抵抗器の方なのか。
「結構奥が深いんだよ。自分以外にも掛けられるのが「レジスト系魔術」の売りかねぇ」
カールもミラ師匠とは反対側から同様にコンロに注目しながら言った。お前の場合、発言の内容よりも、どうしても食い意地の張っているラルファの表情を思い出すのは何故だろうな。
「あとは選別の意味もあるのぅ……氷で攻撃された時に「レジストウォーター」が最大限に効果を発揮すれば、通り抜けてくるのは冷気だけとなるんさね。と言っても普通の魔術師が使う「アイスジャベリン」を冷気だけにするのは物凄い魔力を必要とするし、攻撃された「アイスジャベリン」の魔術自体を何とかするだけなら「アンチマジックフィールド」の方が余程少ない魔力で散らせるけどの」
ミラ師匠は魚をひっくり返す俺の手の動きに合わせて顔を動かしている。しかし、それならば「アンチマジックフィールド」で充分だろう、と思う。だから、それを指摘してみた。また、敢えて触れなかったが確かに有効そうではあることも理解できる。フィルターのような使い方も可能っちゃ可能なんだろうから。
「知らなければそう言うのも無理はないの。「アンチマジックフィールド」と「レジスト系魔術」の最大の違いは効果時間があることさね。「アンチマジックフィールド」を使いながら動いたり、他の魔術を使うことは出来んじゃろ?」
動いたり剣を振ったりは俺の場合出来るが、確かに他の魔術を使うのは無理だ。なるほど、一度使ってしまえば「ライト」の魔術のように放っておいても暫くは精神集中を持続させなくても効果は保たれるのか。それに、他人に掛けられるというのも大きな違いだろう。
「ミラ師匠、それでは今日はその「レジスト系魔術」をお教え下さい」
「ん、ええよ」
また真夜中まで掛かってしまったが、俺は「レジストファイアー」「レジストエアー」を、ミヅチは「レジストアース」「レジストウォーター」の魔術を教わることが出来た。地上に戻ったらミヅチとお互いに今回教えて貰った魔術の練習が必要だろうな。




