第百話 責任1
7444年12月14日
乗合馬車で王都に着いたのは十五時頃だった。
ゼノムがいるんだし、何かトラブルがあった場合には俺の商会に顔を出すか、何がしかの連絡位は入れているだろう。
ベール通りに出た俺達はグリード商会へと歩き出し、もうそろそろ商会が見える辺りまで来た時に異変に気が付いた。
店の前の馬留杭に馬が四頭も繋がれている。
おお、貴族でも来てるのかな? と一瞬だけ思ったが、そのうちの二頭は俺とミヅチの軍馬だった。
やっぱりかよ。
しかし残りの二頭もなかなか良い体格の軍馬だ。
そのうちの一頭は俺のよりもずっと高価そうで立派な馬具を装着しているようだ。
そして、すぐに別の異変にも気が付く。
その前の馬留杭と店の壁の間に設えてあるベンチにヨトゥーレンたちが所在無げに座っていたのだ。
これは何かあったな……。
一見してヨトゥーレンたちに焦っていたり慌てた様子は見られないので危険な事にはなっていないと判断した。
「ゼノムさんも一緒にいるんだし、そう変なことではないでしょうけどね。ラル……なにかバカなことしてなきゃいいけど……」
「あれ、レイラさんとアンナちゃんとハンナちゃんですよね? カンナくんだけ中なのかしら?」
ベルやミヅチが言うが、どうにも解せない。
リョーグ達の姿が見えないのはゴムの作業場の方に行っているのか、それとも店にいるのかは判らないが、普通に考えたらこの時間はまだ作業場の方だろう。
とすると、ヨトゥーレンたちは締め出されている事になる。
「……とにかく行きましょう」
トリスの言う通り、行かなきゃ始まるまい。
俺たちが店のそばに近づくと、アンナとハンナがこちらに気が付いた。
二人共薄手のコートを着ているようだが、まだ日も出ている時刻だから真冬とは言え、寒さに震えているような事はなかった。
「あ、会長、お疲れ様です」
「かいちょー、おつかれさまです」
「おう、どうした? 外に出て……ヨトゥーレン、うちの奴が来てるのか? 何があった?」
普段なら店の前の木戸を開け放ち、客が店の中に入り易くしている筈だ。
それが、今日に限っては木戸が閉まっている。
「あ、会長、お疲れ様です。その……今朝、出勤して作業場へ行かれるリョーグ様方をお見送りした後すぐにファイアフリード様方がお客様をお連れしまして……大切な話し合いがあるからとファイアフリード様の娘さんが仰られましたので……会長はご存知ないのでしょうか?」
少し寒そうな顔でヨトゥーレン一家の母親、レイラが答えた。
「はぁ? 知らねぇよ。客ぅ? どんな方だ?」
俺がそう言うとアンナが横から口を挟んできた。
「騎士様のような方がお二人と、その付き添いみたいな方がお一人です」
なんだそりゃ?
俺が皆の顔を見回しても全員頭上に?マークを浮かべただけだ。
「グィネも一緒だったの?」
「はい、アクダム様もご一緒で今も六人で中でお話し合いをされていらっしゃいます」
ミヅチの質問にヨトゥーレンが答えた。
「扉の締切はラルファが指示したのかな?」
「ええ、なんでも、誰にも聞かれたくない、大切なお話だと仰られましたので、我々も外に出てお客様がいらっしゃった時だけ、ご許可を得て中に入ります。カンナだけは二階に寝かせていただいております」
ベルの質問にも淀みなく答えている。
確かに、ゼノム達もグリード商会の従業員として届けは出している。
そうしないと準貴族であるトリスや奴隷たちなんかはともかく、平民や自由民なんかはいろいろと納税とかで面倒だしな。
ヨトゥーレンたちにとっては先輩社員のようなものだ。
指示されたら逆らえないだろうし、逆らいにくいだろう。
「話し合いの様子はどうだい? 怒鳴りあったりとかしてるのかな?」
「怒鳴りあったりなどは無い様ですが……たまに大きな声が聞こえる事があります」
トリスの問い掛けへの答えだと非常に険悪と言う訳でもないらしい。
多少は険悪なのかもしれないけど、話していて声が大きくなる事もあるだろう。
それに、笑い声かも知れないしな。
「何にしても中に入って何があったのか聞く方が先だ」
そう言うと無造作に戸を開き、中に足を踏み入れた。
店の中では中央にある応接セットでゼノムたち三人と知らない奴らが三人、テーブルを挟んで睨み合っていた。
テーブルの左側に奥からゼノム、ラルファ、グィネが座り、右側に奥から身なりの良い普人族の騎士らしき男、真ん中に虎人族のこれも騎士らしき男、手前に彼らの付き人っぽい猫人族のみすぼらしい形の男が掛けている。
急に戸を開けて入ってきた俺たちに十二個の瞳が視線を向けた。
……こりゃ驚いた。
なる程ね。転生者か。しかも三人も。
ゼノムもいるから日本語で喋る訳にはいかなかったのだろうし、ヨトゥーレン母娘たちを店から締め出した事については許してやろう。納得はせんが。
何か喋り出そうと息を吸い込んだトリスとベルを背後に、右手を挙げてそれを制した俺は店にいた六人の注目を浴びたままつかつかと応接セットの脇まで足を運んだ。
ミヅチの他、俺に発言を制されたトリスとベルも俺の後ろに付いて来ている気配を感じた。
ズールーとエンゲラはまだ戸口の外にいるらしい。
俺は知らない三人に頭を下げ、一言「お話中失礼」とだけ言って断ると、ラルファを見つめた。
何故かと言うと、ゼノムとグィネの目が「自分たちは何度も忠告した。こうなって申し訳ない」と言っていたのを読み取ったからだ。
ついでに言うとラルファは「あ、もう来やがった」という目つきだった。
おまけに俺から目を逸らしたのだ。
「やぁ、ラルファ。こんな所に居たのか。心配したんだぞ」
と出来るだけ優しい声音で言った。
これには当のラルファだけでなく、ゼノムとグィネも意外そうなようだ。
そうだろうとも。
「だが、無事で良かった……。さて、何をしたら良いか判ってるよな?」
今度も出来るだけ優しく言ってやった。
「え? あ……その……ご、ごめん、なさい?」
ラルファは下から目だけで俺を見上げるようにそっと言った。
「うん。それから?」
「あ、あと、連絡しなくて悪かったと思って『おい、行動で示せ。ごめんで済んだら警察いらねぇんだよ、こんガキャァ!』
『うひっ! は、はい!』
俺が怒鳴りつけるとアホ娘は椅子から飛び上がってテーブルの向こうに行くと地面に正座した。
グィネが足を引っ込めたのでさっきまでラルファがケツで温めていたソファにどっかと腰掛けると、ヘルメットの緒を解きながら右に座ったままのグィネを見た。
俺の視線を受けたグィネもすぱっと立ち上がるとラルファの隣まですっ飛んで行って正座した。
次にゼノムに視線を転じたが、その時には奥からミヅチが木の椅子を出して来て、ゼノムの隣に置くと「ゼノムさんはこちらに」と言って俺からヘルメットを受け取ると下がっていった。
早く皆もこのくらい気を利かせられるようになってくれ。
ゼノムが座っていた所にはトリスが、グィネが座っていた所にベルが腰掛け、ミヅチは奥に引っ込んでいった。
お茶汲みの真似事でもしながら適当な場所に控えて嘘看破の魔術でも使う気なんだろう。ミヅチはもう放っといても良い。
この間、騎士らしい二人はあっけにとられた顔付きで、付き人の方は元々大して興味がないのか、それとも別の事に心を奪われているのか、二人よりもっと驚いた顔付きで俺たちの顔を眺め回していた。
うん、彼らには一片の罪も無い。
「まずは、いきなり出てきてゴタゴタした事についてお詫びを申し上げます。お騒がせして申し訳ありませんでした」
俺が頭を下げると同時に両脇でトリスとベルも頭を下げたようだ。
ゼノムは居心地が悪そうだが、今日はそのくらい我慢してくれ。
流石にあんたに正座させる訳には行かねぇよ。
「初めまして、私はアレイン・グリードと申します。このグリード商会の商会長並びにバルドゥックの冒険者、殺戮者のリーダーをしています」
そう言って自己紹介をした。
すぐにトリスとベルも続けて自己紹介をする。
俺も含めて三人ともテーブルの上に手を伸ばす。
向こうも俺たちの手に順に触れステータスを確認すると自己紹介をしてきた。
なお、自己紹介の際には当然俺たちも日本人だった頃の名も名乗ったが、彼らは日本人だった頃の名の方を先に言って来た。
なんだかなぁ。そういう人たちなんだな。
自己紹介が終わる頃、お茶を淹れ直してきたミヅチも自己紹介して、一応全員、表面的な挨拶は済ませた。当然その間に三人を【鑑定】してみる。
【ロートリック・ファルエルガーズ/11/11/7444 ロートリック・ファルエルガーズ/7/12/7428】
【男性/14/2/7428・普人族・ファルエルガーズ伯爵家長男・ファルエルガーズ伯爵騎士】
【状態:良好】
【年齢:16歳】
【レベル:5】
【HP:87(87) MP:11(11) 】
【筋力:13】
【俊敏:16】
【器用:12】
【耐久:13】
【固有技能:耐性(ウィルス感染)(Lv.-)】
【特殊技能:地魔法Lv1】
【特殊技能:火魔法Lv1】
【特殊技能:風魔法Lv1】
【特殊技能:無魔法Lv2】
【経験:27235(28000)】
なるほど【耐性(ウィルス感染)】ね。それなりに有効そうではあるな。どら。
【固有技能:耐性(ウィルス感染);体長1㎜以下、体重1g以下のあらゆる生物の寄生を防ぐ。いかに多量の生物が侵入しても一度の能力使用で必ず全滅が可能。但し、寄生を意識した対象に限る。寄生を意識するとは、体調の変化等によって動物、植物、昆虫、細菌、ウィルスなどによる寄生や感染を疑う事を意味する。実際に対象となる生物を特定する必要はない。つまり、腹痛を意識した場合、それが何らかの生物の寄生や感染が原因で引き起こされた時にこの能力を使用すると腹痛の原因となった生物を体内で殺す事を可能とする。一匹毎に数HPのダメージを与えると考えても良い。従って自分が意識しない寄生や感染に対しては効力を発揮しないことに留意せよ。なお、本技能には便宜上以外のレベルはない】
それなりどころじゃねぇ、う、羨ましい技能だった。
【フィオレンツォ・ヒーロスコル/9/6/7444 フィオレンツォ・ヒーロスコル/18/3/7429】
【男性/14/2/7428・虎人族・ヒーロスコル家三男・ファルエルガーズ伯爵騎士】
【状態:良好】
【年齢:16歳】
【レベル:7】
【HP:105(105) MP:21(21) 】
【筋力:17】
【俊敏:20】
【器用:15】
【耐久:16】
【固有技能:根性(Lv.7)】
【特殊技能:夜目】
【特殊技能:剛力】
【特殊技能:水魔法Lv2】
【特殊技能:火魔法Lv1】
【特殊技能:無魔法Lv2】
【経験:54632(60000)】
【根性】だって? なんだか凄そうだな。
固有技能のレベルも、MPも高いから能力については熟知していると見ていいだろうな。
【固有技能:根性;技能レベルあたり三秒間、筋力、俊敏、器用、耐久の各値の能力を現時点の値まで引き上げる。効果時間中はHPの上限値もレベルと同じ数値だけ上昇するが、現時点のHPまでその値に上昇するわけではない。効果時間終了後は運動量に応じて通常通り疲労を感じ、筋肉には相応の疲労物質が蓄えられる】
ふーん、ライオスの【瞬発】の上位のような技能か。
あっちはレベルの数値分の上昇だっけ。
肉体レベルが上昇すれば特に転生者の場合、効果時間(どう考えても俺以外の人がレベル三〇以上になるような事は不可能に近いだろうと思う。毎日デス=タイラント・キンを相手にするなら行けるだろうが誰がそんなおっかないことするもんか)も相まってこっちの方が圧倒的に有利そうだな。
だが、これで確証を得られていなかった問題についての答えを得られた。
やっぱり能力値は限界まで使っている訳じゃないのか。
能力値だけでは肉体的な強さの判断基準にはならないんだな。
【サージェス・バストラル/13/12/7444 サージェス・バストラル/4/7/7429】
【男性/14/2/7428・猫人族・ロンベルト王国ロンベルト公爵領登録自由民】
【状態:良好】
【年齢:16歳】
【レベル:3】
【HP:69(69) MP:4(4) 】
【筋力:9】
【俊敏:16】
【器用:10】
【耐久:10】
【固有技能:耐性(熱)】
【特殊技能:小魔法】
【特殊技能:夜目】
【経験:7251(10000)】
何故か固有技能の鑑定が出来ない。
内容自体はなんとなく想像が付くが、何故鑑定出来ないのだろう?
このバストラルと言う自由民は自分の固有技能を使った事がない、という事だろうか?
だが、昔ラルファと会った時には鑑定できた。俺の天稟の才と似たような系統なのだろうか? わかんねぇ。
「さて、川崎さん。ちょっと話をお伺いしたいのですが……」
自己紹介のあと、真ん中に座っているヒーロスコルと言う名のタイガーマンが俺をしっかりと見つめながら話し掛けて来た。
「ああ、申し訳ありませんが今は川崎ではありません。彼は既に死にましたのでグリードとお呼びいただけないでしょうか」
俺がそう答えると目の前の三人は少し驚いたような顔をしたがファルエルガーズとヒーロスコルは少し納得が行かないような顔で、バストラルは何か得心したような顔で頷いた。
「失礼。では、グリードさん。昨日我々はファイアフリードさん父娘とアクダムさんと偶然お会いして驚きました。一度に複数の日本人と出会ったのですから、我ながら無理もないと思いますがね……。話を聞けば他にもまだ日本人が何人かいて、皆さんで冒険者をしていると言うじゃありませんか。我々も……と言ってもヒーロスコルと私の二人なんですが、冒険者を志していたものですから興味を持ちましてね、ファイアフリードさんの娘さんも熱心に勧めるものですからお話をお伺いしていたのですよ」
ファルエルガーズが言った。
へぇ、ラルファが粘っていたのかと思ったが彼らが食いついていたのかな?
まぁ日本人に会ったのであれば逃さない様に食いつくのも納得出来る。
だが、ラルファたちは三人もいたし、それこそ席を外せないのであればリョーグたちやヨトゥーレンに俺に対する連絡を言いつけても良いと思うから簡単に許さないけど。
逆に彼ら三人が俺への連絡を妨害したのならラルファたちもあんなに素直に正座なんかしやしないだろう。
「それでですね、お話の中で興味深い事を耳にしました。私たちは昨日から何時間も話しているので迂遠な言い方は止めましょう。単刀直入に申し上げます。貴方とファイアフリードさん父娘、並びにアクダムさんとの契約内容について伺いました。こういった契約内容にした事について申し開きが聞きたいと思います。それに、今行われている、その……『体罰』についても言いたいことがあります」
は? このヒーロスコルと言うタイガーマンはいきなり何言ってるんだ?
ベルとトリスも不思議そうに俺を挟んで顔を見合わせている。
「まず、順番に行きましょう。我々の話の間にいきなり割り込まれて来た貴方は碌に言い分も訊かずに怒鳴りつけ彼女達を床に座らせています。これは些か彼女たちの教育にも良くないかと思います。私の記憶では『体罰』は『学校』での教育現場に於いて禁止されたと思いますが……」
「はぁ……」
本当に何言ってんだこいつ?
「それと、あまりに不平等な契約になっていると思います。尤も、契約についてはファイアフリードさんたちに昨日から何度も説明させて頂いておりますが平行線を辿っています。『洗脳』でもやりましたかな?」
「は?」
ちょっと変な声が出た。
不平等な契約はともかく、洗脳だって?
いきり立とうとするベルとトリスたちを制した。
「また、昨日から彼らに色々話を伺った結果、どうも貴方に対する依存度合いも大きいと感じられる。余程上手く騙しているようですが、我々は日本人として同郷の女性がこういう契約を結ばされている事を看過出来ない、と思うのですよ」
「ほう……」
苦笑のような表情をしているだろうな。
「さぁ、『大野さん』、『西岡さん』、『正座』など止めて立ちなさい」
ヒーロスコルは目に慈愛さえ込めて二人の元女子高生に声を掛けた。
ふーん、俺が、俺たちが元日本人だからかもしれないが、正面から日本の正論を持って切り込んでくるような性格なんかね。
因みに、ゼノムは何が何やら、と言った感じでちんぷんかんぷんそうな顔だが、非常に面白くなさそうだった。俺も面白かねぇけど。
「ラル、グィネ、勝手に立つのは許さないわ。だけど、もし立ちたければ立ちなさい。でも、その時は引っぱたいてあげるから」
ベルが静かに言った。
おお、怖。
ベルに言われるまでもなくラルファもグィネも立ち上がる素振りすら見せなかったんだからいいじゃんかよ。
ファルエルガーズとヒーロスコルの二人は面白くなさそうな顔でベルを見ている。
対してバストラルは少し興味深そうにベルを見つめていた。
「ヒーロスコルさん。我々をどう思おうがそれは貴方の勝手です。好きにお考え下さい。ですが、他人の家の方針や、決まり事に文句を付けるのはおかしくはないでしょうか? 今戸口に立っている二人は私の所有している戦闘奴隷です。バルドゥックには荷運びとしての奴隷もいます。寒空の下に締め出しているキャットピープルの母娘は自由民ではありますが、ファイアフリードらと同様の契約で私が雇用しています。彼らにも日本の常識を押し付けるおつもりですか?」
ま、だいたい答えは想像つくけどね。
「ああ、その辺も話し合いたいところだった。別に私はオースの社会体制について全て否定している訳ではない。奴隷も居れば貴族も居るし、この程度の文明だ。身分の違いなんかあって当たり前だろう。私たちが言いたいのは……そうだな、貴方は亡くなった時四十代半ばの立派なサラリーマンだったらしいじゃないかね。そして彼らは高校生、そこのお二人も大学生だったと言うじゃないか。相手の知識の無さに付け込んで不平等な契約を日本人やオースの人に押し付けている貴方のような存在が我慢ならないだけだ」
そう言や日本での社会人経験者はミヅチくらいだったな。
なるほど、そういう切り込み方もあるよな。
この、何も知らない若い奴を騙しているという切り込まれ方はちょっと想像外だった。
ここにクローがいたら更に高校生が一人増えてるし、マリーは主婦だったらしいから契約だのなんだのの知識は大学生とそう変わらん、とでも言われるだろう。
「なる程、私が若く、知識の無い若者を誑かして美味い汁を吸っている、と、そうお考えですか……物は言いようですね。しかし、知識の無い若者を誑かし、まして『洗脳』していると言われるのは心外ですね。また、不平等な契約、と仰られますが、私は無理に契約を勧めた事は一度もありませんよ。そもそも貴方がたが我々の契約のどの部分を指して不平等と仰られるのか、良く解りません。我々はお互い納得して契約を締結しているつもりでしたので」
「恍けるのもいい加減にしたらどうかね? 大体の条項の内容は聞いている。出来もしない壮大な嘘を信じ込ませ、若い人たちを使って金儲けをしているとしか思えんな」
あー、見方によってはそうも見えるかも知れないな。
「ぶふっ」
トリスが吹き出した。
「大方、あれじゃないですか? 自分の生命に関わるような命令以外なら従う、という所じゃないですかね? 最初に読んだ時は私もちょっとどうかと思いましたが、今は納得しています」
トリスの言葉を聞いて途中まではうんうんと頷いていたファルエルガーズ達だったが、最後に「今は納得している」という所を聞いて不審そうな顔をした。
「あら? じゃあ給料でしょうか? 私はもう二年以上アルさんに雇われていますが、基本給が上がった事が無い、という所かしら?」
お前、ベル、それは納得してるじゃんか。
月二〇万Z(銀貨二〇枚)って騎士団の従士よりは少ないけど、それだけで生活は出来るんだぜ。
勿論今みたいな生活は無理だけどさ。
ほれ、そこは彼らも食いついてないだろう?
「あと考えられるのは幾つかありますが、まずは契約条項に規定の無い、若しくは想定されていない場合の解決方法ですね。日本の常識なら誠意条項と言う、特別な条項を追加して契約者が対等に話し合って決定するのが普通です。ですが、ここは日本ではないですし、日本の法律も適用されません。雇用主が適切に判断すれば良いだけのことです」
俺の後ろの方、奥の台所の傍の柱に寄り掛かったミヅチが指摘した。
「……私にはその意見は納得しがたいが、まぁいいだろう。だが、もっと肝心なものが抜けている」
ヒーロスコルはミヅチを見て言った。
「それは、」
更に言葉を継ごうとしたミヅチを制してヒーロスコルが言葉を挟んだ。
「あんたは……『椎名』、いやチズマグロルさんと言ったな。この中じゃ一番の新顔らしいが、あんたは彼の縁者なのだろう? ここは黙っていて貰いたいな」
俺は軽く右手を左肩の上に挙げ、ミヅチを制した。
まぁまともに社会人を送っていたのなら一番最初に気が付く筈だ。
「あとなんかあったっけ?」
「細かいところまでいちいち覚えてないからなぁ……」
ベルとトリスが小声で言っている。
「グリードさん、貴方の口から言った方が良いんじゃないかね?」
「……契約解除が更新毎……一年に一回しか出来ませんね。日本なら労働基準法に抵触します。ですが、これは私も同様ですね。首を切ることも出来ません」
「ほう? 意外に素直に言ったな……」
ヒーロスコルは少し目を見開いて言った。
「てっきりこちらが指摘するまでだんまりを決め込むかと思っていたんですがね……」
ファルエルガーズも意外だったようだ。
だって、あんたら気が付いてるっぽいじゃんか。
なら黙ってても意味がない。
「申し開きを聞こうか?」
「申し開き? 何についてですか? 私には一片の後暗いところはありませんが」
きっぱりと言い切った。
「貴様! 何を言うか! 不平等な契約で縛り、何でも己の言うことを聞かせよう、という下衆な魂胆はお見「そこまでに願います」
ヒーロスコルが怒鳴り始めるとエンゲラが彼らの後ろに立って制していた。
ズールーは戸口のあたりから一歩も動かずに怒りの表情を浮かべてこちらを見ている。
「これ以上私どものご主人様を侮辱なされるような発言は見過ごせません」
エンゲラが氷のような声音で彼らの後ろから宣言した。
「っ……契約の要らない奴隷の忠誠は得ているようだな……」
「エンゲラ、下がれ、ズールーと戸口に居ろ」
「ですが、「気を使わせたな。いいんだ。下がれ」
しぶしぶと言った体で下がるエンゲラを横目に俺はヒーロスコルに丁寧に頭を下げた。
「私の躾が行き届かないばかりに奴隷が失礼をしました。ご勘弁ください」
頭を上げ、ヒーロスコルを見返す。
「さて、先程の続きですが、不平等な契約で縛り、と仰いましたね。雇用契約ですから対価は支払っていますよ。その対価が少ない、と言うのであれば仰る通り不平等でしょう。しかし、対価に納得いかない、と言うのであれば本人が私に交渉すべきです。私は交渉の窓口を閉ざしたことは一度もありません」
「む……だが、その対価が月二〇万Zというのは少な過ぎやしないかね? 騎士団の従士だってもっと貰えるぞ……」
ああ、確かウェブドス騎士団の従士の週給は四三〇〇〇Zだったな。月収だと二一五〇〇〇Zか。
一五〇〇〇Zしか違わないじゃねぇか。
コンドーム一袋分だ。
あっちは曲がりなりにも軍人だ。戦場にだって出るだろう。
危険な斥候や囮を命じられることもあるんじゃないか?
流石に以前俺がちらっと考えたように、体売って金稼いで来い、とか新型のコンドームの使い心地を試させろ、とか言うような事はないだろうけど。
騎士団がそうしないように、当然俺もそんな事を命じたりなんかしない、と思う。
「給料が多いか少ないか、それを判断するのは私と本人だけだと思いますが? 当然私は経営的な観点から言って人件費は抑えたい。給料は少なければ少ない程、私にとっては良いに決まっています。ですが、従業員にとっては少しでも多く貰いたい。同じ働きなら一Zだって多く貰いたいはずです。これも理解できます。私が提示した金額に納得が行かないのであれば交渉するか、そもそも契約を締結しなければ良いのだと思います」
「あくまで自己責任だと言い張るつもりか……」
「当たり前です。元は高校生とは言え、生まれ変わってから十年以上もこのオースで過ごしているのですから、損得勘定についてはもう子供とは言えないでしょう」
何かに対する感情や物の感じ方などを含めた情動面は肉体年齢相応に戻っているとは思うが、知識は失われていないし、その知識に基づく思考力だって失われた訳じゃない。
そもそも判断の基となる知識の有無については俺の責任じゃないだろ。
「詭弁だよ、それは」
「何とでもどうぞ」
「……では、誠意条項がないことについてはどう思っているのかね?」
「何とも思っていません。先ほど彼女が言った通り、私が都度適切に判断すれば良いだけです。それだって反論や別の判断を提示してくれれば考慮しますからね」
ミヅチを左手の親指で肩ごしに指さしながら答えた。
「君の判断が間違っていたらどう責任を取るつもりかね?」
しかしさ、呼び方も貴方から君かよ。
さっき言った貴様は見逃してやろう。
こっちが下手に出てりゃ偉そうに。
平民ごときがぞんざいな口を利いてくるもんだな。
あ、騎士様だったっけ。
でも騎士かどうかなんて騎士団内じゃないと関係無い筈だがね。
そう言えば俺たちは彼らが幾つで死んだのか聞いてないな。
俺より年上なだけかも知れない。別にどうでもいい。
「それを指摘され、私が納得するのであれば適切な対処をするでしょうね」
「……随分と自信があるんだな」
「自信がなきゃ人を雇ってまでバルドゥックになんか潜りませんよ。危ないじゃないですか」
自分の判断に自信が持てない奴は誰かに判断を委ねればいい。
その相手を見極めるのも立派な才能だろう。
「しかし、たった二〇万Zで危険な迷宮に同行させるとはな……珍しくボーナスも払っているようだが、失礼と思って額までは聞いていなかった。何ケ月分出しているのかね? 今年の夏の金額で構わないよ」
なんでそんな事まで言わなきゃならんのよ?
まぁ彼らにしてみれば幼気な(死んだ時でも十代後半だから幼気は言い過ぎか)子供を騙くらかして危険な仕事に従事させ、甘い汁を啜る悪い大人を成敗してやる、というつもりなんだろう。
根掘り葉掘り聞いて来るのも昨日だか今日だか知らないがラルファ達から聞いた内容と齟齬がないか確認したいんだろうしな。
あと、オースではボーナスなんて習慣は無いから珍しがられるのも解る。
「日本の『会社』のように『決算期』に合わせてのボーナス支給ではありません。『歩合』制のようなもので、その時の迷宮行で稼いだ金額に応じて支払っています。先月は迷宮から戻ってきた回数は三回で……合計幾らだった?」
「えーっと……給料入れて二百万は貰ってないかと……」
ああ、マジックアイテムの貫きの槍を見つけたのはノーカウントだしな。そんなもんか。
「「「は?」」」
「給料を抜いて一七二万Zです」
ミヅチが補足してくれた。
お前、黙ってなくていいのかよ?
しかし、よく覚えてたな。
「現在私たちは九日サイクルで迷宮に挑んでいます。従って月に三回か四回、迷宮から戻ってきます。四回戻る月は当然ですが収入も多くなります。魔石の稼ぎについては都度ボーナスを頂戴していますし、宝石や魔道具を見つけた際には売却時にその分のボーナスを頂いています」
ベルも補足説明をした。
うんうん、その通りだ。
その程度の事も言ってなかったのかとちらりとラルファを見た。
「だって額を言ったら稼ぎを計算されちゃうかも知れないし。正確な金額はパーティーに入ってアルと契約するまで黙ってたほうが良いってお父さんが……」
ラルファが口を尖らして言った。
確かにそれはそうだが、別に転生者に隠すようなものじゃないし、言ったって良かったんだけどな。
仮にパーティーに入らなくても俺と敵対さえしなきゃいいんだし。
そもそも調べる気になりゃ魔石屋に情報聞くなりして大体の収入なんか幾らでも調べる方法はある。
だが、ここで話は予想外の方向へとずれた。
「そ、それは本当ですか!? 一月で一七二万Z!? 俺を雇ってください! 何でもします!」
今までほとんど喋らなかったバストラルがものすごい勢いで身を乗り出すとテーブルに頭を擦りつけていた。




