幕間 第二十四話 塀内陽子(事故当時17)の場合
もうさ、諦めて。
もう判ってると思うけど全員分書くから。
「いや~、買えてよかったよ~、付き合ってくれてサンキュ~」
私の前で若菜は美佐にそう言うとバスに乗り込んだ。
私も若菜に続いて乗り込み、みんなでバスの先頭の方へ移動すると優先席に並んで座る。
私は若菜の隣に腰掛け、さっき買ったばかりの義理チョコを膝の上に乗せると若菜と顔を見合わせて笑う。
なんとか放課後までには学校に戻れそうだ。
今日はバレンタインデーだけど、義理チョコを買い忘れた雪乃、若菜、私の三人に美佐が付き合ってくれた形で学校を抜け出して買い物に出たのだ。
私と若菜はともかく、クラスは疎か、学年でもトップクラスの可愛いさを誇る美佐と雪乃の二人がお昼前から居なくなっているから、男子共は今頃気が気じゃないだろう。
若菜と二人、今頃クラスの男どもは絶望に打ちひしがれているだろうと笑いあった。
私と若菜は付き合いが古く、親友と言っていい間柄だ。
小学生の時、若菜が転校してきて以来、私達はいつも二人で過ごしていた。
今日も学校で義理チョコ忘れたと青くなった若菜を見て、私も昨日若菜と一緒に遊んでいた事を思い出して一緒に青くなった。
そんな時、雪乃も忘れたらしい事を知って、思い切って学校を抜け出して三人で買いに行こうという話をしたのは私だ。
だが、授業を抜け出して外に義理チョコを買いに行く勇気を持てなかったらしい雪乃は、彼女と親しくしている美佐を誘って四人で買いに行こうと言い出した。
完全に美佐は付き合いだけの授業エスケープだが、何故か気だるそうな顔つきのまま一緒に付いて来てくれる事になった。
私としてはいつもつんと澄ましている雪乃より、面倒くさそうでも誰とでも気さくに話す美佐の方がどちらかというと付き合い易いから彼女の同行は歓迎だった。
西新宿のデパートでチョコを買い、学校に戻るためにバスに乗り込む事は当たり前だ。
それを責められても困るが、バスを選択せず、電車で最寄駅まで行くという方法だってあった。
勿論幾分遠回りにはなるし、歩く距離も増えるから普通そんな選択なんかする訳もないのだけれど、後悔先に立たずって言葉は本当なんだろう。
後ろから突き上げられるような衝撃と共に、若菜の前で吊り革に手をかけていた他校の男子生徒の脇を飛び、反対側の一人がけの座席に座っていたサラリーマンに頭から突っ込んだ事までは覚えている。
・・・・・・・・・
生まれ変わってから半年以上が経ち、大体の状況が掴めてきた頃だ。
家族の背格好やたまに見る他の人から類推して私は人間じゃない別の何かに生まれ変わった事実を理解した。
当然納得は出来ないけれど。こんな小人が暮らしているのだから当然地球ではないだろう。
近隣に暮らしている人は人間もいるようだが、動物の耳が生えている人も見かけたから、これで地球の訳はない。
バカだけどそのくらいは私にも判る。
あれだ、あれ。
なんだっけ?
指輪を火山だかどっかに捨てに行く映画に出てた人。
背が低いけれど手足の先のサイズは普通の人間の大人くらい。
頭の大きさも人間の大人と遜色はない人たち。
ああ、もう、ここまで出かかっているんだけどなぁ。
まぁいいや。
とにかく、大人になってもあんまり大きくならない小人に生まれ変わっていた。
私は家族の末っ子で上に兄姉が一人ずついる。
両親の他、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんも同居している。
お祖父ちゃんとお祖母ちゃんと言ってもどちらもまだ四十代半ばな感じで若く見える。
その頃には私は自分の異常な肢体にも慣れていた。
私の体には指が手足とも左右六本ずつ生えていた。
勿論独立して動かすことも可能だ。
見た限りでは家族全員六本指のようだから異常と言う程でもないのだろう。
家族の仕事は農業で、農作業の時には兄姉共々畑の傍に生えている木の空洞に寝かされている。
当然外を目にする事も出来るのだが、既に想像していた通り大昔のような生活だった。
電気も、ガスも、水道もないのだから当たり前だ。農作業も全て鎌だの鍬だのを使って人力で行っているようだ。
テレビで見た日本の農家の人たちは色々な機械を使っていたが、そんなもの、影も形もないようだ。
・・・・・・・・・
そんなある日、村に沢山の人がやってきた。
デーバスとかなんとか聞き慣れない単語が聞こえてくる。
一般に話されている言葉にはなんとなく英語っぽい単語も混じっているから最近は多少意味も判る。
どうもこの村に敵が攻めて来るらしいからその敵から村を守る為にこの人たちは来たらしい。自衛隊のようなものだろうか。
だが、村にやってきた人たち(軍隊らしい)は村の人を奴隷のようにこき使い、威張り散らしていた。
食べ物なども差し出させているようだ。
両親たちは「ロンベルトに占領されたらもっと酷い事をされる」と言って耐えていた。
そんな生活がしばらく続いた。
一ケ月か、二ケ月だろう。
軍隊の人たちは最初の頃はそれでも統制が取れていたようで、あまりに傍若無人過ぎる振る舞いはしなかったが、最近は酷いものだった。
農作業中の若い女性に乱暴したりするようになって来たのだ。
隣家に十四になるメリーといううさぎの耳を生やした女の子がいたのだが、夕食時に乗り込んできた軍隊の男達に家族の目の前で乱暴されたらしい。
私はそれを耳にして戦慄した。
なんと恐ろしい世界だろう。
それを捕らえ、裁く警察官のような人はいないのだろうか?
しかし、どういう事か、我が家は全くと言って良い程被害を受けていなかった。
その理由もじきに判明した。
村に乗り込んできた軍人たちの中にお父さんの弟、つまり、私の叔父さんがいたらしい。
その関係で我が家は食料を無心されたり、お母さんが乱暴されたりするような悲惨な事態にはならなかった。
両親祖父母ともに幸運を喜んでいたが、私は不安で仕方なかった。
だって、攻めて来た相手を追い返した(追い返せない、なんてことは考えもしなかった)あと、私たち家族は他の村人から絶対に恨まれるに違いないと思っていたからだ。
人は自分と同じくらい不幸な人は仲間と認め、自分より不幸な人には手を差し伸べたりするが、自分より幸福な人は妬むに決まってる。
ことに、親族が軍隊にいるからという理由でお目こぼしを受けていた我が家は村の他の住人たちにとっては羨ましくて羨ましくて仕方がない筈だ。
仮に、軍隊に親族を入れる事自体を来るべきこの様な事態を見越してのものだとしても、その慧眼に感心するような事など有り得ないだろう。
「上手くやりやがって」とか「なんであいつのところだけ」とか思わない方がどうかしていると思う。
きっと私が別の家に生まれていたとしても、この状況を知ったらそう思うに決まっている。
お父さんの弟はカロドという名前らしい。
何度か抱き上げられた事もある。
日に焼けた浅黒い肌だが、どことなくお祖父ちゃんやお祖母ちゃん、お父さんに似ているから叔父さんなのだな、とは思う。
しかし、狡そうな表情をする時もあって、結局は乱暴を働く軍隊の人なんだと思わざるを得なかった。
ただ、私達三人の兄妹を抱く時には掛け値なしに良い笑顔をしていた。
この人が私たち家族を守ってくれると思い、私も精一杯微笑んでいた。
それを見てカロド叔父さんはまた相好を崩す。
お願いします。カロド叔父さん。私たちを守ってください。
・・・・・・・・・
さらに一ケ月程が経過した頃の朝の事だ。
村の中が慌ただしくなった。
私たちはいつもの木の空洞に入れられたまま、怖い顔をしたお母さんに抱かれていた。
空洞の口は筵で塞がれ外から縛られている。
筵で塞ぎ、外から縛ったのはお父さんだ。
馬か何かが駆け回り、あちこちから鬨の声が響いてくる。
叫び声や悲鳴も聞こえてきた。
兄姉は怖がってお母さんに抱きつき泣き声を上げていた。
お母さんはその口を塞いで小さく蹲っていた。
多分ロンベルトとやらが攻めて来たのだろう。
私も怖くてたまらなかったが、碌に生え揃っていない歯を食いしばって声を上げまいと堪えていた。
ここで感情を制御出来ずに泣き声を上げてしまったらお父さんとお母さんの努力が無駄になりかねないと思った。
また、当然、ロンベルトに見つかって殺されることの恐怖が私をそうさせていた。
兄姉を両手に抱きしめたお母さんは呪文のように「大丈夫よ、大丈夫。安心して」とまるで自分に言い聞かせるように小声で繰り返していた。
それを聞いて私も不思議と安心出来た。
悲鳴が少なくなってきたこともあるからかもしれない。
・・・・・・・・・
どのくらい時間が経ったのか、全く判らない。
数十分か、数時間か、はたまた数分のような気もするが、流石にこれは短すぎるだろう。
既に悲鳴は殆ど聞こえなくなった。
撃退出来たのだろうか?
もう恐ろしい争いは終わったのだろうか?
そんな時だ、カロド叔父さんの声が聞こえた気がした。
何か喋っているようだが内容までは聞き取れない。
たまに痛みを堪えるようなくぐもった声もする。
同時に肉を殴りつけるような音。
音はだんだんと近づいてきた。
カロド叔父さんは一人ではないようだ。
「へへっ、旦那、こちらです……佳い女ですぜ……」
「ふん、そうか。まぁ見た目が良くなきゃ殺すだけだがな」
「旦那も小人族でやしょう? なら同族の女の方がなにかと……」
「それはそうだ……」
何だ? カロド叔父さんは一体何を言っているんだ?
薄暗い空洞の中、籠から見上げたお母さんの顔は青く引き攣っていた。
空洞を塞いでいた筵が強引に剥がされる。
右手を肘から先で失くしたカロド叔父さんが歪んだ顔で覗き込んでいた。
大怪我をしている!
カロド叔父さんはすぐに別の男に蹴り飛ばされ「げぶぅ」とカエルの潰れたような声を出してすっ飛んで行った。
カロド叔父さんとは別の、かなり洗練されたデザインの革鎧を着込んだ男が空洞を覗き込んだ。
「ひぃっ!」
お母さんが兄姉を抱きしめて男の手から逃れようと空洞の中で身をよじる。
突然に襲いかかってきたあまりの恐怖に、兄姉だけでなく私まで火のついたように大声で泣き叫ぶ。
男は母さんの顔を目を細めて見つめると空洞から離れ、代わりにぎらりと光る槍の穂先を空洞に入れてきた。
「おい、女、面倒だからすぐに出て来い。そうしないとこのままガキを突き殺すぞ!」
ロンベルトの男がそう言ってお母さんを脅した。
「ミューレ義姉さん! 言うことを聞いたほうがいい! そのままじゃ殺されるぞ!?」
カロド叔父さんの声が聞こえた。
お母さんは顔を引き攣らせたまま更に空洞の奥に身を寄せようとしたが、当然もう限界だ。
兄姉と私も声を上げて泣き叫ぶばかりだ。
「うるせぇっ! もうおめぇに用はねぇ! そんなんじゃ奴隷にもならねぇ。死ね!」
男は空洞から引き抜いた槍を横へと突き込んだようだ。
「ぐわぁっ! そ、そんな……それじゃ話がちがっ」
「うるせぇっつってんだよ!」
「がっ!」
血のついた槍が空洞に差し込まれ、すぐに引き抜かれた。
「三つ数えてやる。出て来い。奴隷にしてやる。すぐに出てこないとガキから刺し殺してやる。ひとつ」
「ま、待って下さい。すぐに出ます! ですから子供だけは!」
お母さんが慌てて叫んだ。
「おら、早くしな!」
兄姉を抱え、籠に入れられたまま泣き叫ぶ私を空洞から出したお母さんは、足にお兄ちゃんを抱きつかせ、両手に私とお姉ちゃんを抱いている。
槍を構えた男はお父さんのように背の低い小人だった。
見分する様にいやらしい表情でお母さんを睨めつけると「ガキを地面に下ろせ」と言って槍を突きつけた。
お母さんは「子供だけはどうか!」と泣き叫ぶが、男はお母さんの言葉に耳を貸さなかった。
「お前は戦利品だ! もう奴隷になるしかねぇんだよ! いいからガキを下ろせっつてんだよ、おらぁ!」
槍が伸び、私の胸を貫いた。
「いやぁぁっ! チューミン!」
それが最後に聞いた理解出来る言葉だった。
冷たく、しかし同時に熱い槍の穂先が体内に差し込まれたのを感じた。




