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逃走失敗


「何故、こうなったんだ」


 僕は青過ぎる空を見上げながら、何処とも知れぬ海のど真ん中を漂っていた。

 ……これは、いわゆる漂流というヤツなのだろう。

 周囲には陸地が見えず、一体どちらに泳げば人がいるのか見当もつかない。

 ただ波の気の向くままに何処かへ運ばれながら、飢えて死ぬのを待つのみ……緩やかな死とは、まさにこの事だ。


「……蒼。貴方と一緒なら、この世界に骨を埋めても良いと言ったけど……このままだと、骨を埋めることも出来ない」

「……良かった。とりあえず、このまま死んだらお前から逃げる事は出来るのか」

「はい、病んだ」


 すると、突然隣でぷかーっと浮かんでいたサズ子が、僕を海の中に引きずり込もうと抱き着いてくる。


「おい、コラ! 顔に海水がかかるだろ! 暴れるのをやめろ!」

「知らない。私は、今どうやったら死んでも貴方と一緒にいられるのかを考えるのに忙しい」

「だからって、物理的に引っ付いてもどうにもならねえわ! ていうか、死ぬときくらい一人にしてくれ⁉」

「自分の死に際は、一番愛しい人に看取って貰いたいと思う。女ってそういうもの」

「それは、全人類がそうだ! だがなぁ! 僕は、死に際までストーカーに悩まされたくはねえ!」

「……大丈夫、死んだ後も貴方を逃がしはしない」

「いや、急に怖えよ⁉ 何でちょっとリアルな声で言うんだよ⁉」

「私を受け入れたからには、死んだ後のアフターケアまでしっかりやって貰わないと困る」

「死んだ後のアフターケアってなに⁉ 死後の世界があるんだとしても、お前と僕じゃあ行く場所が違うだろうが!」

「それは、世界が? それとも、天国と地獄の話をしているの? ……まあ、どちらにしても、死という概念ごときで、私を振り切れるとは思わないで欲しい」

「だから、何で無駄に言葉に重みを持たせんだよ⁉ 普通に怖えよ! あと、ただでさえナイーブな状況で更に精神的に追い討ちをかけてくるんじゃねえ⁉ お前、本当に最悪だな⁉」


 僕は心の底からそう叫ぶが、サズ子は言われ慣れているかのように涼しい顔をしたまま華麗に僕の魂の叫びをスルーする。


「さて、冗談はともかく、ここ数日間、海を漂い続けている現状は結構不味い。蒼のスキルの影響で溺れる心配はないとはいえ、流石に飢えはどうしよも出来ない」

「……大体、何で海に落ちてるんだ? 僕が気絶する前は、まだ船の上だった気がするんだが」

「……それは、非常に説明が難しい」

「早く話せ。怒んないから」

「簡単に言うと、海龍の背に乗ってあの性悪女の元から蒼を連れ去ったら、ここら辺で急に海龍に振り落とされて海に落ちた」

「よーし、お前と僕の旅はここまでだ。お前は右に向かって泳げ。僕は左に行く」

「怒らないと約束したはず。契約違反は世界の理に反する」

「うるせえ。これは怒っているんじゃない。呆れ果てているんだ」

「沈黙は時として、怒鳴り声よりも生徒の心を追い詰めるもの。パワハラで教育委員会に訴えるよ?」

「お前は僕の生徒じゃないし、この世界に教育委員会なんてものがあっても、十ゼロでお前が悪いって判断されるに決まってるだろ」


 僕はそれだけ言い残すと、疫病神を置いてスイ―ッと左に泳ぐが……サズ子は僕にしがみ付いたまま、一緒にスイ―ッと付いてくるだけだった。

 ちょっと楽しそうな顔をしているのが、とても腹立たしい。


「なるほど。人間の短い手足で、どうやって海を渡っているのかと思っていたけど、これは面白い」

「おい。せめて、自分で泳げよ」

「泳ぎ方を知らない。教えて?」

「分かった。じゃあ、まず手を放せ」

「それは、嫌」

「いや、何でだよ⁉ しがみ付かれたままじゃあ、何も教えられないだろ⁉」

「だって、私が手を放したら、蒼は私を置いて何処かに泳いで行く気でしょ?」

「……ソンナコトナイ」

「偽善者が、偽悪者に嘘を吐こうだなんて一恒河沙年早い」

「それ、宇宙が百回生まれ直しても足りないって……」

「そう。だから、私を騙そうだなんて諦めた方が良い。泳ぎ方は、蒼の身体の動きを見て覚える事にする」


 サズ子はそう言って、目を瞑りながら僕に身体を預けてくる。

 ……コイツ、マジでこのまま無理矢理振りほどいて置いて行こうかな。

 僕は深く溜息を吐くと、適当に平泳ぎをしながら前に進む。


 それにしても、本当にこのまま何処の島にも辿り着けなかったらどうしよう……。


 ボォーー……ッ。


「あっ、見て。下に綺麗なお魚さんがいるよ」

「絶対に! 今! そんなモノよりも! 百億倍! 重要な情報があっただろ⁉ お前、実は助かりたくないのか⁉︎」

「ああ、ごめん。つい、癖で蒼が不幸になるように動いていた」

「お前は、本当に最悪だぁーっ‼」



 ****************



 それは、僕の世界でも一度は見た事があるような大型の観光船のように見えた。

 白い船体、何段にも分かれた船室、船上には楽しそうに談笑している多くの人達がいる。


「さて……、どうやって忍び込もうか」


 僕達はそれを、上空から見下ろしながら首を捻っていた。


「蒼、あまり物騒な事を言わないで」

「いや、こんな事を言うのもなんだけど……お前に正論言われるのは、正直めちゃくちゃうざい」

「はい、病んだ」


 サズ子は、はぁ……と深いため息を吐くと、優しく諭すように僕を見る。


「当たり前だけど、この世界でも無賃乗車は犯罪だよ?」

「なあ、何でだ? 今回に限って、何でお前はそんなに正論しか言わないんだ? 普段は良く、自分の事を悪を定められた存在だとかイタいことを言ってるじゃないか」

「い、イタい⁉︎ それは、流石に聞き逃せない! 私は、本当に生まれた時から悪を定められた存在! 今だって、これは正論に見せかけただけの、ただの嫌がらせ! 本当は、蒼が無賃乗車する罪悪感に苦しんでいる様子を見て楽しんでいる!」

「お前……、本当に最悪だな」

「でしょ!」


 サズ子は、無駄に綺麗なドヤ顔をして胸を張る。

 まるで、悪戯を自慢する子供のようだ。

 はぁ、めんどくさい……。


「無事に誤解も解けたみたいだし、そろそろ飛んでいるのも疲れたから、さっさと船に乗ろう」

「お前の切り替えの早さどうなってるんだよ。さっきと言ってることが真逆じゃねえか」

「じゃあ、このまま限界まで空を飛んで海を渡る?」

「無理だっつの」


 この前はアドレナリンが出過ぎてて気が付かなかったが、空を飛ぶのは意外と疲れる。

 例えるなら、飛んでいる間は常に持久走をしている気分だ。


「でも、このまま船に乗ったら騒ぎになりそうなんだよなぁ……」


 記憶がない間、僕はこの世界の住人として普通に暮らしていた訳だが、その間に空を飛んでいる人なんて見たことない。

 恐らく、魔法が存在するこの世界でも空を飛ぶ魔法は一般的に普及してないのだろう。

 なので、空から船に乗り込めば、さぞかし悪目立ちするに違いない。

 それに騒ぎになって船員が来たら、僕達は不法乗船で拘束されてしまうだろう。

 もしかしたら、お金を払えば船に乗せてくれるかも知れないが……残念ながら、僕が一か月間汗水垂らして稼いだバイト代も、海軍基地を出る前にヴァンに預けてしまったので、今は無一文だ。

 情に訴えようにも、得体の知れない空を飛ぶ侵入者を無賃で温かく迎えてくれるには、海賊が現役のこの世界では少々治安が悪過ぎる。

 最悪、海軍に引き渡されでもしたら、アリスさんに命を狙われている僕はそこで詰み。


「困ってる?」

「困ってる」

「助けてあげようか?」

「えっ、何とか出来るのか?」

「うん」


 すると、珍しくサズ子が僕に協力的な姿勢を見せる。


「しかし、何かを得るためには、代償が必要」

「……何が望みだ」

「私の事を褒め称えて」

「そういうのは、褒める所を一つでも作ってから言え」

「……言葉には気をつけた方がいい。人間に堕ちた私は……簡単に泣く」

「前と何も変わってないじゃねえか。遊んでないで、早く方法を教えてくれ」

「なら、抱っこ」

「はい?」

「抱っこしてくれたら、何とかしてあげる」


 サズ子はそう言うと、両手を前に差し出して早くしろと言わんばかりに僕の顔を凝視する。


「……何が狙いだ?」

「私の事を疑い過ぎ。これは、ただ単に抱っこして欲しいだけ。他意はない」

「むしろ、そっちの方が怖いんだが……」

「……どうやら、交渉はここまでのよう。私はこれから海の深い所まで沈んでくるから、後は蒼一人で天海を目指せば良い」

「ちょっ⁉︎ あーもーっ、悪かったって! だから、簡単に死のうとするな! お前の身体はもう、僕と変わらない普通の人間なんだろ⁉︎」


 いくら、僕のスキルがあるから溺れないとは言っても、海中には海龍や正体不明の化け物が住み着いているのだ。絶対に安全という保証は無い。


 僕は仕方なく、サズ子の肩に手を添え、両足を抱えるように持つ。

 所謂、お姫様抱っこというヤツだ。


「……計画通り。最初に無茶なお願いをする事で、後にするお願いを通りやすくした」

「いや、しっかりと脅されたけどな。ていうか、お前自分でも褒める所ないって自覚してんのかよ」

「私は謙虚な女。世界一可愛い事以外に、自ら誇る事はない」

「おかしいな。今自称謙虚な女から、世界一激しい自己主張が聞こえてきた気がするんだが……」


 僕は深い溜息を吐きながら、改めて目の前にいる小憎らしい顔をした少女を見る。


 ……悔しい事に、確かにサズ子はお世辞抜きで美少女だ。

 僕の影響なのか、顔はディアやアリスさんと比べるとかなり日本人に近い容姿をしている。

 しかし、サズ子は僕とは違って、まるでインスタに投稿されているモデルのような完璧な造形美をしているのだ。

 本来、日本にいた頃の僕だったら、間違いなく仲良くなるどころか話しかけるのすら躊躇してしまうようなタイプなのだが……。


「? どうしたの?」

「……いや、何でもない。それより、お前は自分でも飛べるのに、何でわざわざ僕に抱っこさせたんだよ」

「人間が良くやってるのを見てたから、どんなものか興味があった」

「そうかよ……。感想は?」

「とても良い」

「……良かったな。それじゃあ、約束通り、目立たないように船に侵入する方法を教えてくれ」

「安心して。私は良い女だから、約束は守る。【汚泥の鱗】」


 その瞬間、サズ子の身体が消えた。

 僕が、慌ててサズ子の身体を固定してた手を動かすと……。


「……約束と違う」


 すぐに不機嫌そうな顔をしたサズ子が、顔だけ空中に現れた。


「き、気持ち悪っ!」

「キレそう」


 額に僅かに血管を浮かべた生首のサズ子が僕に近づくと、不意に僕の頬っぺたがつねられたような感触がある。

 これは、もしかして……?


「まさか、透明になってるのか?」

「その通り。【汚泥の鱗】は、任意のモノを他者から見えなくする。例えば、身体だったり、ステータスだったり」

「ステータスもか?」

「うん。だから、どんな方法だろうと怪しまれずに船に侵入出来るし、誰かにステータスをチェックされても誤魔化せるよ」


 なるほど。確かに、このスキルがあれば騒ぎを起こさずに船に乗り込むなんて容易いだろう。

 それどころか、その気になれば大抵の場所には侵入出来そうだ。


「それ、僕にも使えるのか?」

「勿論。慣れれば、身体の一部だけを消すことも見せることも出来る」


 そう言うと、サズ子は僕の頬をつねっていた右手を出現させる。

 痛いので、ペシッとサズ子の右手を払った。


 ……よし、僕もやってみるか。


「【汚泥の鱗】」


 僕はとりあえず、全身を消すイメージでスキルを使ってみる事にした。

 すると、確かにスキルが発動する感覚と共に、自分の手足が見えなくなる。


 おおっ! これで、僕もサズ子のように透明人間になれたのか?


「……」

「…………ねえ、蒼。何故、無言で船に向かおうするの?」


 僕がそのまま全力で気配を消しながら船に向かおうとすると、あっさりとサズ子に肩を掴まれた。

 どうやら、かなりの力を込められているようで、肩からミシミシと嫌な音が鳴っている。


「……何故、バレた」

「左眼のスキル【夜空の眼】は、隠蔽魔法やスキルを見破る能力がある。それより、無垢な私を置いて行こうとした説明を求む」

「いや……つい、出来心で」

「……例え、一時的に私から逃げられたとしても、地の果てだろうが天海だろうが、何処まででも永遠に貴方を追いかけ続けて、必ず捕まえるから」

「だから、怖えって……」


 謙虚の件といい、とても無垢を自称する奴の台詞ではない。

 僕は【汚泥の鱗】を解除して姿を現しながら、降参するように両手を挙げる。

 ほんの冗談のつもりだったが、開けたくもない箱の中身を見てしまった気分だ。

 しかし、このスキル。発動している間は空気が薄くなったかのように息苦しくなり、あまり長時間は使えそうにないな。


「……ん」

「うん?」

「許して欲しかったら、抱っこ」

「……気に入ったのか?」

「……」


 サズ子は、無言で僕を見つめ続ける。

 …………はぁっ。


「ほら、これで機嫌直せよ」

「それは、これからの蒼の態度次第」


 僕が再びサズ子を抱きかかえると、サズ子は不機嫌そうな顔のまま、小さな子供のように服の袖をギュッと握る。


 ……やれやれ、当分コイツからは逃げられそうにないな。

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