【7】彼女との、大切な時間 side:優哉
都内某所、タワーマンションの最上階の一室。
広々としたリビングからは、東京タワーを含む夜景を一望できる。
優哉はソファに仰向けになり、夜景だけを明かりに姿を沈めていた。
バーの前で花梨をタクシーに乗せ、見送ってから、ずっとなんだか現実感がない。会う前は、さすがに今日は早めに解散しよう、そのあとはジムでも行くか…なんて思っていたのに、実際は何をする気にもなれなかった。
花梨と過ごした時間がとても大切なものに思えて、他のことで書き換えたくない。せめて今日中は、余韻に浸っていたかった。
(……今の、演技じゃないから)
思い出すと、自分で言ったくせに顔が熱くなる。でも本音だった。
正直、ドラマや映画でキスなんか何十回も繰り返してきた。生意気にも、もう慣れた。今やカメラの角度を意識し、美しく情熱的に見えるように計算することだってできる。
そしてもっと言ってしまうと、それは「現実」においても浸食していた。いつしか、付き合ってもない、その場限りの女に対して、これまでカメラの前でしてきた「演技」をコピーすることで乗り切るようになっていた。そうすれば相手も喜ぶし、自分も楽だから。
みんな優しいという。世間は「理想の彼氏」だと騒ぐ。でも、それは俳優としての自分の姿であって、本当の自分じゃない、とずっと思っていた。だってそこに、俺の感情はないから。
でも、今夜は違った。
自分が会いたいと誘った相手と、焼肉屋で、気負わず昔の話をして笑い合ったり、時に真剣な仕事の話もしたり。相手を信頼して秘密を打ち明けたり。
それは、自分が俳優として注目されたここ数年間、できなかったことだった。あまりに貴重で、心ほどける時間だった。「アテンドされた女」と高級ホテルのスイートで過ごした数えきれない夜すべてが束になってもかなわないぐらい、ずっとずっと心震えるものだった。
演技じゃなかった。すべてが。
だから。
鼓動を大きく感じられるほどの緊張、湧き上がる感情、押さえられない衝動。
自分はそれに従って、彼女を引き寄せたのだ。
まだなお鮮明に記憶に残る、至近距離で見つめあったときの彼女の顔。
ヘーゼル色の瞳は相変わらず美しくて、クールで…
(でも…)
そう、ただクールなだけじゃなかった。どこか感情のゆらめきがあった。
じっと自分を見つめる瞳の中はわずかにゆらめいていた。そこに、少女のような無垢さ、自分に委ねるような甘さがあって…
(…俺がそう思いたいだけか)
ちょっと都合がよすぎるかもしれない。思わず苦笑する。
(でもあの表情はやばかったな…)
ああだこうだと思い出しているうちにふと眠気が差し込んできて、優哉は目を閉じた。
このまま少しだけ寝てしまおうと思った。幸せに浸ったまま。
5年前の夢を、見るかもしれないな――と思った。
まだ若くて、大人ぶろうとして、そしてきっと、彼女を傷つけてしまった夜のことを。
◇◇
5年前の夏。
ビルの屋上ビアガーデンを貸し切って行われた、雑誌連載の打ち上げ。
ふだん連載終了ぐらいでこんな大々的なことはしないのだが、今回ばかりは特別だった。
超人気コンテンツになった『りんゆうカップル』のファンイベント成功と、連載終了、さらに優哉の二十歳の誕生日。惜しむこと、お祝いすることがたくさんあった。
優哉はたくさんお祝いされて、ほろ酔い気分だった。
「ユウ!ハタチおめでとう!」
編集長がやってきて、ジョッキを掲げる。優哉も合わせて乾杯し、飲む。夜とはいえ、蒸し暑く、会場の熱気もあって、冷たい飲み物を流し込む爽快感があった。
「ユウのおかげで連載も大人気になったよ、ありがとう」
「いやいや…karin…さんのおかげでしょう」
「karinはもともと人気だったけどさ、でもユウと組んで、新しいファンもいっぱい増えたんだよ。なんつうか、二人の雰囲気が最高によかったね。化学反応が起きたわ」
「それはよかったです」
「このあとは、もうモデルはあんまやんないの?」
「そうっすね。映画とかぼちぼち決まってきてて」
「そうじゃん、初主演取れたんでしょ?絶対観に行くから」
「ありがとうございます」
「「おめでとうユウくーん!」」
周りにいたスタッフも輪に入り、また乾杯の応酬になる。
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(あー。けっこう酔ったかも)
盛り上がる時間がひと段落して、雰囲気がちょっと落ち着いてきたときには、さすがに優哉は飲むペースをおさえていた。気分が悪いとかはないが、どこかふわふわして、気分が無駄に高揚している感じがする。
「優くん、けっこう飲んじゃったんじゃない?」
気づくと横に花梨が座っていた。「酔った?」
「ちょっと。でも平気」
「本当?」
微笑みながら、彼女は優雅にグラスを揺らす。彼女は次の日も撮影があるから、と言って、ほとんど飲んでいなかった。さすがストイックだ。
「いやー、でも、マジで、お世話になりました、花梨ちゃん」
「こちらこそ」
「俺けっこうやらかしてたよね、最初」
「そうだね、やる気なかったもんね」
「花梨ちゃんに怒られて、あの時目が覚めてなかったらやばかった。ありがとう」
「いやいや…一緒に仕事できてよかったよ。イベントとかまでできてうれしかったよ。本当にありがとうね」
優哉は花梨をじっと見た。花梨は不思議そうに首を傾げる。
「どうした?」
「…なんでもない」
「目ちょっと赤い?やっぱり酔ってる?」
「酔ってないよ」
「本当?」
「もう会えない?」
「え?」
「連載終わって撮影もなくなるし、もうこれからあんま会わなくなるのかな」
「そうだね…優くんはこれから俳優の方に力入れてくんでしょう?」
「うん」
「よかったじゃん。ずっと言ってたもんね、俳優としてやっていきたいって。夢叶ってるじゃん」
「うん」
「アクションの仕事もどんどん来るといいね。絶対合うよ」
「…うん」
「……どうしたの?元気ない?」
「さびしくないの?」
「え?どういうこと?」
優哉自身も、自分がどうしてこんなにもどかしい気持ちになっているのか、よくわからなかった。酔いのせいだろうか?
花梨の言っていることは何も間違ってない。でも、自分が欲しいことはそこにないような気がした。
花梨は戸惑ったように優哉を見て、またちょっと微笑んだ。
「やっぱり酔ってるでしょう。休みな」
年上のお姉さんらしく。たしなめるような口調で。
それがまた優哉のもどかしさを煽った。
「俺ももう二十歳ですよ」
「うん」
「大人だよね」
「うん」
「ちょっと来てよ」
「え…、」
返事を待たず、腕を引いて、彼女を連れだした。
みんな思い思いに場を楽しんでいて、誰も気づかない。
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