第5巻:第1章 湖に囲まれた星の都
大地は地平線の彼方まで続くような、広い森に覆われていた。その森の中を流れる大きな川が、時に分かれ、激しく蛇行し、まるで全体を満遍なく通っているように見える。
そんな森の中を何本もの道がほぼまっすぐに延びていた。どの道も森の地面から何mも高い盛り土の上に造られ、石畳で舗装までされている。だが、それで道が森を分断しないように、至る所に石造りの高架橋が架けられていた。
その道の交わったところで、少年と少女が道しるべを見上げていた。近衛隊の中隊長の服を着た少年と、帝国最大の宗教──ソルティス教の聖女服をまとった少女の2人組だ。2人は背中に大きなリュックサックを背負い、持ってきた地図を広げている。
「メイベル。ラクスは、こっちの太い道を進むみたいだが……」
と言ったのは、近衛中隊長のナバル・フェオールだ。そのナバルの腰には、大きな剣が下がっている。
「それよりも、地図を見た感じだと、このまま細い道を進んだ方が近いみたいよ」
と答えたのは、ピンク色の髪が特徴的なメイベル・ヴァイスだ。メイベルは手に魔法の杖を持ち、リュックサックにはフライパンやまな板などをぶら下げている。
そのメイベルが顔を上げて細い道を指差し、
「あの木の向こうに、丘があると思うわ。それを越えるとラクスが見えてくるはずよ」
と向かう先を示した。
「ほう。丘があると『思う』。見えてくる『はず』……か」
不愉快そうな表情を浮かべて、ナバルがメイベルの言葉を繰り返した。そのナバルが、
「メイベル。もうその言葉は聞き飽きた!」
と、突然強い口調で文句をぶつけてくる。
「メイベル。この森はどこだ。オレたちはメルキアを出てからフレキ川に沿って、ピスク平原を進んでいるはずだよな。なのに、なんで森の中をさまよってるんだ?」
「さまよってないわよ。ずっとまっすぐに進んでるじゃない。たぶん……」
ナバルから怒気のこもった声で質問されたメイベルが、自信なさそうにさっと視線をはずした。
「フレキ川に沿った道を進めば、大きな街がいくつもあるから宿に泊まれるはずだよな」
「野宿して大自然を感じるのは、とっても素敵なことだと思うけど……」
「そう言って、いったい何日続けて野宿してたっけ?」
「初日を除いて6日……だったかしら? 11月になったけど、さすがにここは南国ね。夜でもまだ凍えるほどじゃないから助かるわ」
視線の先にまわり込んでくるナバルから、メイベルが逃げるように視線をはずす。
「おまえ、まさかとは思うが、地図が読めないなんてことは……」
「そ、それはないわ。ちゃんと最短距離でラクスに向かっているはずよ。だけど、地図には森が描かれてないから、ちょっと気になってるけど……」
「ほう……」
メイベルの言い訳に、ナバルが冷たい声で相槌を打った。そんなナバルの重苦しい雰囲気にあてられたメイベルの頬を、冷たい汗がツツツッと流れる。
「あ、ナバル。この標識を見てよ。あっちへ行くとヒュエルって書かれてるじゃない」
言い訳を探すメイベルが、標識に書かれた行き先案内に目を向けた。
「ということは、この道はラクスと、南にある港町ヒュエルを結ぶ道よ。とすると、地図上のこの道ってことになるから、やっぱりこの先に丘があって、それを越えたらラクスが見えるはずよ。ほら、ちゃんと地図は読めてたでしょ」
2人の今いる場所は、間違いなく予定通りの場所だった。それを確かめたメイベルの心に、再び自信が戻ってくる。だが、ナバルの方は、
「メイベル。今度こそくじびきで道を決めるぞ。奇数が出たら太い道、偶数が出たら細い道だ。さあ、引け!」
一度芽生えた不信は、簡単には回復できないようだ。持っていたくじびきキットをメイベルに向けて、くじを選ぶように迫ってくる。
ちなみにナバルの持っていたくじびきキットは、小さな筒に番号の書かれた串が入っているだけの簡単なものだ。そんなくじびきの方が、今のナバルにはメイベルの言葉以上に信頼を置けるらしい。
「あのさ、太い道は遠まわりよ。馬車用に作られた、丘を迂回する道だから」
「くじで決まったことなら構わない」
くじをためらうメイベルに、ナバルがなおも引くようにと迫る。
「どうしても引かなきゃダメ?」
「どっちを通っても、今日中にラクスに着く」
「まあ、それはそうだけど……」
ナバルが意見を曲げないと感じて、メイベルが大きな溜め息を吐いた。
「奇数が出たら、太い道だっけ?」
そう零しながら、メイベルが串を抜いた。そして串に書かれている数字をそっと見る。
「6。細い道に決まりね」
ホッと安堵したメイベルが、そう言って串をナバルに渡した。そのナバルも串を確かめて、軽く息を吐いてから筒に戻す。
「それじゃ、行きましょう」
ナバルがくじを仕舞ってる間に、メイベルが歩き始めた。
道を進むと、すぐに単調な景色になった。盛り土で森の地面よりも高いところを歩いている。だが、周囲を小高い木々に囲まれているため、まったくと言っていいほど周りの景色が見えないからだ。しかも道はほぼまっすぐではあるがわずかに曲がっているため、先の方は木立ちに隠れて見えなくなっている。
「丘まで、あと何キロぐらいかしら?」
あまりの景色の単調さに、メイベルがまた不安になって地図に目を落とした。地図によれば、そろそろ上り坂になっても良さそうな頃合いだ。その時、ナバルが、
「おい、メイベル。ちょっと気になることがあるんだが」
と呼び止めてきた。それで立ち止まったメイベルが、「どうしたの?」と振り返る。
「道の横の草、なんだかあっちより下まで茂ってないか?」
「横の草?」
ナバルが気に留めたのは、盛り土に生える雑草だった。
「あ、ホントだわ。どうして下には生えてないのかしら?」
気になったメイベルが、そう言いながら盛り土を降りていった。
「木の影でお日さまが当たらないから……とは違うみたいね」
そう零しながら、メイベルが盛り土の下側に草が生えないのか、その理由を探り始めた。
森は盛り土の近くまで迫っている。だが、盛り土は非常にゆるやかな斜面のため、森の落とす影は斜面の途中までしか届いてない。そのため陽が当たっていても草の生えてない場所があり、それがメイベルの立てた仮説を否定していた。
「あれ!? 何のあとかしら?」
森に目を向けたメイベルが、木の太い幹に残された何かのあとに気づいた。どの木も根元近くが乾いた泥で汚れている。それが何かで計ったように、ほぼ同じ高さでそろっているのだ。しかも幹の汚れている高さは、土手の下から草が生えてない高さと同じである。
「ひょっとして、この高さって、水平面じゃないの……かなぁ!?」
メイベルがこれまで通ってきた道を振り返った。
盛り土の上側で草の生えてる幅は、ほとんど同じに見える。だが、メイベルの向いている森の地面は、ゆるやかに下っていた。それに合わせるように盛り土が高くなり、その上を通る道の高さが水平に保たれていたようだ。
地図にある丘までなかなかたどり着かないのではなく、すでに丘を登っているのに、道が水平になるように作られていたため気づかなかったらしい。
「メイベル。何かあるのか?」
「ううん。ごめん、すぐに戻るわ」
ナバルに声をかけられたメイベルが、考えるのをやめて斜面を登り始めた。
「何かわかったか?」
戻ってきたメイベルに、ナバルがそんな質問を投げかける。それにメイベルが、
「わかったような、わかりたくないような……」
と、あいまいな言葉を返した。
「わかりたくない?」
「う〜ん。何と言えばいいのかしら……」
再び道を歩きながら、メイベルが答える言葉を探し始める。
「木の根元で汚れてるところと、道の下で草の生えてないところだけど、だいたい同じ高さみたいなのよ。それで、どうして同じ高さになるのか、一番スッキリする可能性だけど、あの高さまであたり一面、泥水で覆われたらそうなるかなぁ〜って……」
メイベルがそう話しながら、道をすたこらと歩いていく。
「で、一面が泥水で覆われるってことは、洪水ってことよね。で、洪水ってことは、そこまで水が来るってことでしょう。で、この森のずっと向こうにフレキ川って大きな川が流れてるけど、水が来るとしたら、そこから……よね。でも、あそこが氾濫したら、ピスク平原が水浸しになっちゃうわ。そんなことって、あるのかしら?」
「さあな。俺は知らん」
ナバルは考えようともしなかった。そんなナバルの横顔を怨めしそうに見ながら、
「少しは話に乗ってくれても、バチは当たらないと思うけど……」
と、メイベルが不満を口にする。
そんな2人の進む道が、ようやく上り坂になった。丘の上に近づくにつれ、森が開けて明るくなってくる。空も広くなり、2人の頭上に青空が広がる。そして、
「うわぁ〜っ。ここがピスク平原なの!?」
ついに丘の上に立ったメイベルの目に、森とは違う光景が飛び込んできた。
2人の目の前には、どこまでも続く大きな平原が広がっていた。その中を太い川が蛇行しながら流れている。その川の周りにはいくつもの湖があった。
「あれがあたしたちの目指すラクスの街みたいよ」
これから進む道をたどったメイベルが、その先に五角形の盛り土に囲まれた大きな都市を見つけた。外側の盛り土は草に覆われているのか、陽の光を浴びて鮮やかな緑色に輝いている。その都の入り口まで、距離にしてまだ10km以上はありそうだ。
「湖の都じゃなくて、星の都じゃないのか?」
丘から都を見下ろすナバルが、ぽつんとそんな感想を漏らした。
都市を囲む五角形の一辺は、丘から都の入り口までの距離と同じぐらいある。その壁のそれぞれが、内側へややくぼむように彎曲していた。その壁の描く五角形のそれぞれ頂点から、他の頂点へ向かって大きな通りが作られている。その様子を丘から見下ろすと、都市の中に大きな星が描かれているように見える。まさにナバルの言うように星の都だ。
そして、その星の描く内側の五角形にも盛り土で囲まれた場所があり、その中も同じように星形の通りが作られている。
「真ん中に見えるのは大聖堂かしら? 洒落にならないぐらい大きいわね」
更に内側にできた五角形の中に、大きな建物が造られていた。見るからに巨大なドーム型の建物だ。中央のドームは六角形の壁に支えられ、その周りには半円形のドームが6つも取り囲んでいる。メイベルにとって、これまでに見たこともないような大建造物だ。
「あそこが聖ラクス教会かしら?」
「おい、メイベル。あの湖、何か変じゃないか?」
巨大な建物に目を奪われているメイベルの肩に、ナバルが手を置いてきた。その言葉に誘われるように、メイベルが視線をナバルの示す先へ向ける。
「湖が変!? 言われてみれば……不自然な形だわ。まさか人工のものかしら?」
湖を見るメイベルが、その不自然な形に気づいた。
丘から見える湖は、どれも長方形をしているようだ。しかも大小2つが組になっているのか、隣り合う2つの湖の間には水路まで見える。
「ねえ、ナバル。あの銀色の建物って、何だと思う?」
次にメイベルが、湖の間に銀色に輝く建物を見つけた。塔でもない。宮殿や神殿のようにも思えない。何と形容して良いのかわからない、不思議な建物だ。
その建物から都に向かって太いパイプのようなものが伸びている。
「あれは、何かしら?」
メイベルがパイプのようなものを見ていた時、その上を白くて大きなものが横切っていった。その白いものが空高く舞い上がり、メイベルの視線がその物体を追いかける。
「鳥!? 違うわ。まさか空を飛ぶ機械!? そんなことが可能なの?」
白いものを見上げるメイベルが、目を丸くした。白いものは十字型をしている。翼の大きなカモメを連想するような姿だ。しかも胴体の下には脚のようなものまで見える。
よく見れば都市の上空を、いくつもの白いものが飛んでいた。飛んでいるのは白いものだけではない。四角い形の布の下に、何かがぶら下がっているようなものも浮かんでいる。
都市を囲む盛り土の上には、これから飛び立つと思われる白いものがあった。それがいきなり加速して、空へ飛び立っていく。その白いもののあった盛り土のあたりからは白い煙が昇り、それが風に乗って左の方へ流されていた。
その光景を目にしたメイベルの呼吸が、見る間に荒くなっていく。
「すごい……。ナバル、今の見た!? あれは絶対に空飛ぶ機械よ! すごい技術だわ!!」
興奮したメイベルが、石畳の坂を都へ向かって駆け出した。
「お、おい……」
置いてきぼりにされたナバルが、慌てて後を追う。だが、
「あいつ、あんなに足が速かったか!?」
ナバルが全力で走っても、メイベルの背中はどんどんと離れていった。
いくらここが丘の上からの下り坂とはいえ、メイベルの速さは半端なものではなかった。それもそのはず。メイベルは魔法の力を借りて走っていたのだ。それは一歩で二歩分の距離を走るようなもの。ナバルが全力で走っても、とうてい追いつけるものではない。
だが、その時──
「きゃっ!」
左側から低空で飛行してきた白いものが、メイベルの上を通り過ぎていった。
「びっくりしたぁ……」
驚いて立ち止まったメイベルが、先ほどの白いものを目で追う。その視線の先で、空を飛ぶ白いものがゆっくりと旋回して戻ってくる。
「あ、誰かが乗ってるわ」
戻ってくる白いものは、翼を斜めにして飛んできた。その翼と胴体が合わさる場所の上に、誰かが乗っている。そこにある席は2つ。前に近衛騎兵のような軍服を着た男が座り、後ろには魔導師と思われる僧服の男が乗っていた。2人ともゴーグルを着用している。
『お〜い。聖女さまぁ〜!!』
白いものに乗る男たちが、大声を上げて手を振ってきた。そしてメイベルの前を通り過ぎると、また旋回して戻ってくる。
「こんにちはぁ〜! すごいものに乗ってるのね〜!」
戻ってきた男たちにメイベルも大きく手を振って返した。そのメイベルに、
『ようこそ、ラクスの街へ〜!!』
と、後ろに乗る魔導師が大きな声で呼びかけてくる。
「あれに人が乗ってるのか?」
ようやくナバルが追いついてきた。その2人の上を、また旋回して戻ってきた白いものが通り過ぎていく。そして、2度、3度と翼を左右に振ると、その白い空飛ぶ乗り物は丘の斜面に沿って滑るように飛び去っていった。
「うわぁ〜、速ぁ〜い……」
機械を目で追うメイベルが、驚嘆する声を上げた。白い機械は2人からどんどんと離れていく。その速さは、疾走する馬ですら追いつけないほどだ。そして白い機械はそのまま滑るように都へ向かって飛んでいく。
「ねえねえ、ナバル。今の見た!? 空飛ぶ機械よ。あんなものが実在したのよ!!」
いまだ興奮覚めやらないメイベルが、ナバルの腕を摑んでブンブンと振ってくる。そのメイベルに腕を振りまわされるまま、
「俺たちも街へ行くぞ」
と、ナバルが妙に醒めた口調でうながしてきた。
「すごいわ。いったいどんな技術かしら?」
先に歩き始めたナバルの腕を摑んで、メイベルも引っ張ってもらうように歩き出した。そのメイベルの頭の中にあるのは、
「どうやれば、空飛ぶ機械が作れるのかしら? 鳥のように羽ばたいてないから、力学ではなさそうね。ひょっとして魔法かしら? だとしたら、ラクスの学者は魔法の生理学的な現象を解明して、魔法力学を完成させたのかしら?」
見たばかりの空飛ぶ機械のことでいっぱいだった。そのために足許がお留守になって、
「いったい、どんな原理で……。あわっ!」
小さな石を踏みつけて足を滑らせてしまった。それでナバルの肩におでこをぶつけてしまい、「ふみぃ〜ん」と可愛い声を上げながら赤面するハメになっている。
もっとも、ナバルの方もメイベルほどではないが空飛ぶ機械に興奮しているようだ。
「あれ、俺にも乗れるかな? メイベルに動かされるとか、ドラゴンの手に乗るとかじゃなくて、自分の飛びたいように飛べないかな?」
と、空を飛ぶ白い機械を目で追いながら、そんな願望を口にしている。そのためメイベルが肩におでこをぶつけたことには、まったく気づいていない様子だ。
そんな2人の上を旋回して飛び去った白い機械は、ものの10分とかからずに盛り土に囲まれた都まで戻っていた。
「勇者さま。聖女さま。ようこそいらっしゃいました!」
都に向かって歩いている2人の前に、大勢の人たちが出迎えに駆つけてきた。
丘を下ると、石畳の道はまた丘の向こう側と同じように盛り土の上を通っていた。その道の途中に広場のような待避所が作られている。そこで待っていたのは近衛兵や宗教関係者たちだ。出迎えたちの後ろには、屋根のない馬車が何台も止まっているのが見える。
そんな出迎えたちの中から、立派な僧服を着た司教が前に出てきた。その司教が両手を大きく広げて、やって来た2人を迎えてくる。
「勇者さま。聖女さま。ここまでの長旅、お疲れさまでした」
「お荷物をお預かりします」
次に2人を取り囲んできた修道士、修道女たちが荷物を預かろうとしてきた。その言葉に甘えるように、2人は背負っていたリュックサックを預ける。
「では、改めまして、ラクスへようこそいらっしゃいました。お身体に差し障りなどはございませんでしょうか?」
そう言いながら、司教が2人に握手を求めてきた。それに応じる2人が、
「大丈夫だ」
「すこぶる健康よ」
と、司教の手を握り返しながら答える。
「ところで、あの空を飛んでる機械だけど……」
あいさつもそこそこに、メイベルが一番気になることを尋ねた。
「あの機械? おお、グライダーのことでございますか?」
「あれ、グライダーっていうの?」
司教の答えに、メイベルの瞳がキラキラと輝いた。
「あれが飛んでるのって……?」
「都の周りを空からパトロールしとるのです。都にとっては守りの要ですよ」
メイベルが最後まで質問を言う前に、司教がグライダーが飛んでいる理由を教える。
だがメイベルの聞きたかったのは、飛んでいる理由ではなく原理だった。そこで、
「そうじゃなくて、あれがどうやって飛ぶのか聞きたいんだけど」
と、空を飛ぶグライダーを指差しながら、司教に問い直した。
「おお、それでしたら、都を囲む斜堤の上に『蒸気カタパルト』というものが設置されておりまして、そこから射ち出されとるのですよ」
「あの、聞きたいのはそこじゃなくて……」
質問はとことん噛み合わなかった。もっとも質問が噛み合ってたとしても、司教が技術に詳しいという保証はないのだが……。
「さあ、それよりも聖女さま。どうぞ用意しました馬車にお乗りください。まずは市庁舎へご案内しますぞ。市長殿がお2人のご到着を聞き、お待ちでございます」
司教が停まっている馬車の中から、ひときわ豪華な馬車を示した。大きな幌をたたんで屋根を開いた、いかにもパレード用という感じの馬車だ。しかも馬車を牽く4頭の白馬は、頭に真っ赤な式典用の帽子を載せている。
「ほら、メイベル。みんなが待ってるぞ」
望んだ答えが得られなかったため、メイベルは少し不満だった。そのメイベルの背中を、ナバルが優しく押してくる。
「足許にお気をつけくださいませ」
若い修道女が馬車の扉を開けて、2人が乗り込むのを待っていた。青い服を着た、髪の長い修道女だ。
「ほら、手を出せ」
先に乗り込んだナバルが、振り返ってメイベルの手を取ろうとしてきた。そのナバルに手を伸ばしたメイベルが、そのまま馬車の中へと引き上げてもらう。
馬車の座席は前後向かい合わせになっていた。大男が3人並んでも、ゆったりと座れるほどの幅がある。
「どうぞ、お2人さまは後ろの席でゆったりとお寛ぎください」
扉を開けて待っていた修道女が、2人に後ろの席へ座るように言ってきた。それで先に乗り込んだナバルが右奥へ座り、その隣にメイベルがちょこんと座る。
その後を修道士と修道女が乗り込んできた。2人とも青い修道服を着ている。そして最後に馬車の横にいた髪の長い修道女が乗り込み、開けていた扉を閉める。
「お2人さま。わたくしたち3人が、お2人がラクスに滞在される間の案内役兼世話係を仰せつかりました。座席の奥より正修道士エミリオ、正修道女キャロル、そして、わたくしが正修道女ジェニフィと申します。なにぶん不慣れでございますが、精いっぱい務めさせていただきます」
一番左に並ぶ髪の長い修道女が、そう言って2人にあいさつしてきた。
エミリオと紹介された修道士は、長身で物静かな印象のある青年だった。真ん中のキャロルは小柄で、目をくりくりさせて活発そうな雰囲気を放っている。そして髪の長いジェニフィの合図で3人が深くお辞儀をし、2人に向かい合うように座席に腰かけた。
「ナバルだ。よろしく」
「ナバル。そのあいさつは、いくら何でも失礼だと思うわ。あ、わたしはメイベルです。えっと……。よろしくお願いします」
ぶっきらぼうなあいさつを返したナバルを注意しつつ、メイベルもあいさつを返した。それを待っていたように、
「それでは、市庁舎に向けて出発!」
司教の合図で、出迎えに来た者たちがいっせいに動き始めた。
近衛騎兵の乗る2騎の白馬を先頭に、出迎えに来た者たちによるパレードが始まった。パレードは道いっぱいに広がる大行進だ。白馬の後ろには司教の乗る馬車が続き、更に司祭クラスの乗る馬車が4台続く。ナバルとメイベルの乗る馬車は前の5台に続く格好だ。
「うわぁ〜、派手だわぁ〜……」
後ろを振り返ったメイベルが、ボソッとそんな言葉を零した。
2人の乗る馬車の後ろにも何台もの馬車が続いていた。しかも馬車の両側には、近衛騎兵の乗る馬が1列ずつに並んで行進している。
「つかぬことを伺いますが……。聖女さまは、こういうパレードはお嫌いでしょうか?」
ちょっと小首をかしげたジェニフィが、メイベルにそんなことを尋ねてきた。それに、
「う〜ん。歓迎してもらうのは嬉しいけど、すごい歓迎ぶりで戸惑ってるわ」
と、顔を前に向け直したメイベルが質問に答える。
「ところでさ、あのグライダーという機械だけど、どうして空を飛べるのかしら?」
パレードも気になるが、やはりメイベルの一番の関心事は空を飛ぶグライダーだった。
「わたし、サクラスの帝国技術研究所に出入りしてて、機械や道具の技術にはけっこう詳しいつもりだったけど。今日の今日まで空を飛べる機械があるなんて知らなかったわ。帝国技研の学者も知らないような、未知の力学でもあるのかしら? それとも……」
質問を堪え切れなくなったメイベルが、まくし立てるように疑問を並べてきた。質問をぶつけられているのは、メイベルの前に座る髪の長い修道女ジェニフィだ。その雰囲気に圧倒されたジェニフィが、
「それでしたら、キャロルが詳しいと思いますわ」
と、真ん中に座る小柄な少女に質問の矛先を向けさせようとする。
「えええ〜っ!? ジェニフィ。あたし、グライダーの技術になんか詳しくないよぉ!」
「そうですの? よく操縦されてますのに?」
慌てたキャロルが、ジェニフィに文句を言ってきた。それで反論されたジェニフィが口許を押さえて、しれっとそんな言葉を返す。
「操縦できるのと、技術に詳しいのは別だよぉ。聞かれてもわかんないよぉ!」
握った拳を必死に上下させながら、キャロルが困った顔で訴えている。
その話題に割り込むように、背筋を伸ばして座っていたエミリオが、
「聖女さま。先ほど『空を飛べる機械を知らない』と仰ってましたが、サクラスには空を飛ぶ機械や道具はないのですか?」
と、意外そうな顔で尋ねてきた。その言葉にメイベルが「ん!?」と零して、怪訝そうな表情を浮かべる。
「ないわ。サクラスで空を飛んでるものといったら、鳥と魔導師ぐらいかしら。他に飛べるもので知ってるのはドラゴンぐらいだけど……。ここでは違うの?」
「えっ? 違うも何も……」
メイベルの答えに、今度はジェニフィたちが不思議そうな表情を浮かべた。
「聖女さま。ここ南アルテースでは、昔から空を飛ぶ道具が使われていたんですよ」
と教えてきたのはキャロルだ。
「これは聖女さまがお知りになりたいこととは違うと思いますけど、ここからすぐ南にあるサナーレ南洋の漁師さんたちが、昔から空飛ぶ道具を使ってたんです。上を飛んでいるグライダーは、海鳥が翼を広げて飛んでいる姿を真似たものだそうですよ」
「海鳥を真似て!? でも、羽ばたいてるように見えないけど……」
空を見上げたメイベルが、グライダーを見ながらそんな疑問を零した。その言葉に、
「聖女さま。海鳥は羽ばたかなくても、風に乗っていつまでも飛んでるんですよ」
と、キャロルが教えてくる。
「風に乗って?」
「そうです。あのグライダーは風に乗って空高く上がって、風のない時は滑空しながら次の風を待つんです」
「へぇ〜、そうやって飛ぶのね……」
技術的に詳しい話は聞けなかったが、メイベルにとっては海鳥を真似たというだけでも十分に満足できたようだ。
「それじゃ、あっちの湖の上に浮かんでる四角いものは?」
メイベルの関心が、グライダーから別の空を飛ぶものに移った。それは四角い形というか、弧を描いてるというか、不思議な形のものだ。
「あれも漁師さんたちが使ってたもので、パラグライダーといいます。広げた布にぶら下がるものなんですけど、あれも風に乗って高く舞い上がるんですよ」
「あれも漁師が使ってたの? なんで? 漁師って、お魚を獲る人でしょ。そんな人たちが、どうして空を飛ぶ道具を……」
キャロルの説明に、メイベルがそんな疑問を持った。それを聞いたキャロルが、しばらくメイベルの顔を見詰めてから、ふいに頬をほころばせる。
「それが……ですね。グライダーやパラグライダーに乗って海の上を飛ぶと、お魚の群れがよく見えるんです。だから漁師さんたちがよく使うんです」
「お魚の群れがよく見える!? うわぁ〜、そういうものなんだ……」
キャロルの話に、メイベルが目を丸くして身を乗り出してきた。そのメイベルに、
「空から見るお魚の群れって、まるで大きなお魚とか、大きな海のドラゴンみたいに見えるんですよ。初めて見た時は、大きな化け物かと思っちゃいました」
と、キャロルが見てきたことを楽しそうに語って聞かせる。そのキャロルが、
「あ、聖女さま。反対側を見てください。熱気球が飛んでますよ」
と言って、これまでとは反対の方向を指差してきた。
「熱気球!? うわぁ、大きい……」
顔を横に向けたメイベルの目に、丸くて大きな物体が飛び込んできた。
青空に真っ赤な球体が浮かんでいる。その下にぶら下がってるゴンドラに、人が乗っているのが見える。
「グライダーの仕組みはよくわからないけど、熱気球の仕組みならあたしにもわかるわ。暖かい空気は軽くなって空に昇ってくでしょ。その空気を袋に詰めたのが熱気球よ」
「暖かい空気!? そんな簡単な仕組みで空を飛べるの?」
キャロルの説明に、メイベルが口を大きく開けて空を見上げている。
「でもさ、袋の中に、どうやって暖かい空気を集めるの?」
「口を下に向けた袋の下で、熱魔法やバーナーを使うんです。昔は松明を焚いてたらしいけど」
「うわぁ。それも簡単なやり方だわ。そんな簡単な方法で空を飛べたんだ……」
熱気球は風に乗ってゆっくりと移動している。その気球を見上げるメイベルは、目からぽろぽろとウロコが落ちていく感覚を味わっている。
そんなメイベルを見ていたエミリオが、
「聖女さまは先ほど、サクラスの技術研究所に出入りされてると仰ってましたが、機械に興味がおありなのですか?」
と、意外そうな顔で尋ねてくる。
「そりゃあ、もちろん興味があるわ。機械だけじゃなくて、水力技術、電気、製鉄、錬金化学、材料学、もう何にでも。専門は博物学なんだけどね」
「あら? でも、聖女さまの袖章は厨房係ですわ。それもタマネギ3つの……」
ジェニフィがメイベルの袖章に気づいた。キャロルも首を伸ばして、メイベルの袖章を確かめようとする。
「うそ!? その袖章、宮廷料理人の実質最高ランクじゃないの。そんな人が、どうして技術研究所に出入りしてたの? 最新の調理器具を発明するためとか?」
「……ああ、最新の調理器具を発明するなんて、考えたことはなかったわ……」
キャロルの一言に、メイベルがポンと手を打った。どうやら今日は、メイベルにとって大きな意識変革の日になりそうだ。
「ところで、あなたたちは何を受け持ってるのですか?」
袖章の話題が出たところで、メイベルが3人に教会から与えられた役割を尋ねた。
「ぼくは銀縁の羊皮紙1枚。市庁舎で財務を担当してます」
最初に袖章を見せたのはエミリオだ。羊皮紙に羽ペンの絵が描かれた銀縁の書記係だ。
「あたしは銀縁の杉2本。救急救命士よ。一応は医者の端くれなの」
次にキャロルが銀縁に赤い杉が2本描かれた、医療係の袖章を見せてくる。
「わたしは銀縁に釘2本の土木係。教会の地理院に籍を置く測量係ですわ。地図と街の案内のことでしたらお任せください」
最後にジェニフィがカナヅチと釘が2本描かれた、銀縁の袖章を見せてきた。
もっとも、ナバルは誰がどんな仕事を担当してるのかには興味ないようだ。4人の会話に加わらず、盛り土の上で離陸を待っているグライダーをずっと見詰めている。
とその時、突然、空で何かが轟音を響かせた。
その音を聞いて空を見上げたメイベルが、そこに白い煙の塊を見つける。その煙の近くに、新しい塊がぽんぽんと2つ生まれた。それから少し遅れて、ドーンドーンとお腹に響く音がメイベルの耳に飛び込んでくる。
「すごく大きな壁だわ。しかも周りにお堀があるなんて、まるで要塞みたい……」
視線を落としたメイベルの目に、都を囲む大きな壁の姿が飛び込んできた。
都を囲む盛り土は、高さが10m以上もあった。壁は垂直ではなく、よじ登るのが難しいほどの急な斜面のある堤──斜堤だ。その斜堤を見ていたメイベルが、
「あれ!? ここも下側に草が生えてないわ……」
斜面の下に草が生えてないのに気づいた。壁は上半分が緑に覆われているのに、下半分は土がむき出しの茶色になっている。
「ねえ、あの壁だけど、どうして下側に草が生えてないの?」
メイベルが気になったことを前に座るジェニフィに尋ねた。
「それは毎年夏から秋の始まりの頃、あのあたりまで水に沈むからですわ」
「水に……沈む!?」
ジェニフィの答えに、メイベルが自分の耳を疑った。
「冗談でしょ? 水って、まさか川の水?? ひょっとして洪水なの!? あのあたりまで水に沈んだら、ここから見える平原が一面の水浸しになるわ!!」
「なりますわ」
メイベルが否定するように言った言葉を、ジェニフィがさらりと肯定する。それを聞いたメイベルが、
「…………沈むんだ……」
とだけ零して、返す言葉を失った。
その間に、パレードの一行は都の入り口に到着していた。
盛り土の上を通る道。その先に跳ね橋が降ろされている。その跳ね橋に目を向けたメイベルが、橋を渡った先の地面が道と同じ高さであることに気づいた。
そして、入り口の前には広場があり、そこから別の方向へ伸びる道がある。その道も盛り土によって高い場所を通っているが、その盛り土も上側にだけ草が生えていることに気づいた。草の生えているところと生えていないところの境目は、斜堤と同じ高さだ。
どうやらこの地域では、本当にあたり一面が水浸しになるようである。都の地面が高くなってるのも、道が盛り土で高くなっているのも、水浸しになっても暮らしに困らないための生活の知恵であるらしい。
メイベルを乗せる馬車が、跳ね橋を渡っていく。橋の下の堀には、水が満々とたたえられている。その様子を見下ろすメイベルが、
「なるほど。高い壁もこのお堀も、周りが水に沈んでも、街で安全に暮らすための生活の知恵なのね。高い壁は堤防、このお堀は水を掃くための水路ってわけね。わたしはてっきり、戦争のための備えかと思ったわ」
と理解した。だがその言葉を、
「え!? 冬の戦争にも備えてますけど……」
と、キャロルが訂正してくる。
「…………そ、備えてるって……。って、冬の?」
驚いたメイベルが、顔をキャロルに向けて質問しようとした。
だが、その直前、大きなファンファーレが鳴り響いた。メイベルを乗せた馬車が橋を渡り終え、その先にある大きな門を抜けて街に入ったためだ。
ラクスの街へ入った途端、道は石畳からレンガ舗装に変わっていた。
この門からまっすぐに伸びる通りには、大勢の市民たちが集まっていた。その市民たちの上げる歓声に、メイベルの疑問はすっかりかき消されたようだ。
「うわぁ〜……」
市民たちの熱い歓迎ぶりに圧倒されて、メイベルが思わず仰け反っていた。
市民たちの集まる通りは、かなりの広さがある。その通りを挟んで、レンガ造りの建物がずらりと並んでいた。いずれも窓の上側がアーチになった、レンガ造り特有の姿をした建物だ。レンガの色は赤や黄色、灰色、紫など様々な色が使われている。しかも鮮やかな看板もそこかしこにあるため、街はとても色彩豊かだ。
そんな街に並ぶ建物は、その多くが5階建てから7階建てだった。せいぜい5階建てまでのサクラスより高い建物が並んでいるため、街からは強い活気のようなものを感じる。
そんな通りに集まってきた市民たちが『勇者さま』『聖女さま』と渦巻くような歓声を送ってきた。その迫力に呑まれたメイベルが、何を思ったのかナバルの腕を摑んで下にもぐり込もうとしている。その様子を見たジェニフィがくすっと微笑んで、
「聖女さま。みなさん、お2人が来られると聞いて、歓迎の用意をしてたんですよ」
と、歓声に負けない声で話しかけてきた。
「歓迎の……用意?」
「はい。それはもう、いろいろと……」
上目遣いで尋ねるメイベルに、ジェニフィが微笑みながら答える。
それで顔を上げたメイベルの目に、大勢の人たちが小旗を振ってる姿が飛び込んできた。
どの小旗も同じデザインだった。それは南方教会を示すソルティス教の青い図形だ。
通りに面した建物の上からは、無数の紙吹雪が舞い落ちてきていた。窓から顔を出す人たちも、通りにいる人たちと同じ小旗を振ってメイベルたちを歓迎している。
紙吹雪の中を進むパレードの先頭が、大きな高架橋をくぐっていった。動力用の水が流れる水道橋だ。ラクスは平原に作られた街のため、水車をまわす落差を得るために、水道が高い場所を縦横に流れている。
その水道橋の横に無数の垂れ幕が下がっていた。そこには『ようこそラクスへ』『救世の勇者と聖女に栄光あれ』『私たち市民はお2人を歓迎します』など、思いつく限りの言葉が並べられている。
「ふむ。それならば、俺たちも歓迎に応えなければいけないな」
ジェニフィから用意の話を聞いたナバルが、そう言って立ち上がった。それで手を振るナバルの姿に、市民たちの歓声がなおも白熱する。
「ほら、メイベル。おまえも応えてやれよ。微笑んで手を振るだけでいいから」
ナバルが手を伸ばして、メイベルにも立ち上がるように仕種で伝えてきた。
「そ、それもそうね……」
軽く嘆息したメイベルが、そう零してゆっくりと立ち上がった。
メイベルの右手が挙がると、ナバルの時以上に市民たちの歓声が大きくなった。その歓迎ぶりに気圧されたメイベルの頬が、ひくひくと引き攣っている。
『聖女さまぁ〜。こっちにも手を振ってくださぁ〜い!』
メイベルは硬い笑みのまま、市民たちの求めに応えている。そこに投げ込まれてきた花束が、メイベルの頭にコツンと当たった。
「すっごく疲れたわ……」
市庁舎までのパレードは、優に2時間は続いた。門をくぐってから市庁舎まで、かなりの距離があった。そのためナバルとメイベルは長い時間、沿道に出てきた市民たちの熱烈な歓迎を受け続けたのだ。
そのパレードも市庁舎到着と共に終わった。今、2人は案内の3人と一緒に、市庁舎にある1階の狭いホールにいる。そこに置かれた長イスに腰かけて、メイベルはぐったりと項垂れていた。すっかり疲れ果てた様子だ。
「聖女さま。巻き上げ機が降りてきましたよ」
キャロルの言葉に、メイベルがゆっくりと顔を上げた。それと同時に、鉄格子の向こう側に箱が降りてきて、停止と共にチンと鐘を鳴らす。
「上に参ります」
箱には灰色の服を着た見習い修道女が乗っていた。その修道女が手で鉄格子の扉を開け、ホールにいる人たちに声をかける。
「最上階までお願いしますわ」
最初に乗り込んだジェニフィが、見習い修道女に利用階数を告げた。そのジェニフィに続いて、ナバル、メイベル、キャロル、エミリオの順で箱に乗り込んでいく。
「これで上の階へ行けるのか?」
箱の天井を見上げて、ナバルがそんな疑問を口にした。それにメイベルが、
「あれ!? ナバルは巻き上げ機を知らないの?」
と、意外そうな顔で尋ねる。
「巻き上げ機? 見るのも乗るのも初めてだ」
「そうなの? 帝都にもいくつかあったけどなぁ」
物珍しそうに見ているナバルに、メイベルがそんなことを言う。
その間に見習い修道女が鉄格子の扉を閉め、機械を操作していた。
最初にガタンと揺れて、箱がゆっくりと動き始めた。鉄格子の向こうに見える天井が下に消えていく。代わりにすぐ上の階の床が見えてきた。
「おお、本当に昇ってるぞ」
初めは箱の奥にいたナバルが、興味を持ったのか鉄格子の扉に近づいていく。
その一方でメイベルは、
「ねえ、この巻き上げ機を動かしてるのは水車かしら? 帝都の巻き上げ機は水車で動かしてたけど」
と、操作盤の前にいる見習い修道女に気になっていることを尋ねた。
「あ、せ、聖女さま! えっと……」
突然メイベルに質問されたため、見習い修道女が驚いた顔になった。その彼女が、
「そうです。水車で動かしてます」
と、頬を赤くして答えてくる。
「そう、ありがとう」
「聖女さま。どういたしまして」
メイベルに声をかけられたことで、見習い修道女はすっかり舞い上がっていた。
その間に箱は最上階に到着し、床の高さが合う位置で静かに停止した。だが、見習い修道女は頭の中が真っ白になっていて、箱が止まったことに気づいていないようだ。
「あんた、巻き上げ機、止まってるよ」
「えっ!? あああ、す、すみません!!」
キャロルに注意されて、見習い修道女が慌てて操作盤の表示を確かめた。操作盤には目盛りの刻まれた円盤があり、その上にある針が一番大きな数字を示している。
「足許にお気をつけください」
操作盤をいくつか動かした修道女が、最後に鉄格子の扉を開けた。その修道女が操作盤の横に戻って、降りていくメイベルたちをお辞儀しながら見送る。
「すげえ。あっという間に、こんなところまで昇ってきたのか」
窓に近づいたナバルが、そこから見える景色に驚嘆した。
市庁舎の最上階は10階だ。高さにして40mはある。その周りにある建物はせいぜい3階から5階程度。そのため、窓からは下界を見下ろすような感じだ。
「あの大聖堂、近くで見るとすごい大きさね」
ナバルの隣に立って、メイベルは大聖堂のドームを見ていた。地上10階の窓から見ているのに、メイベルの目線は大聖堂の半分もない。大聖堂自体が小高い丘の上に建っているという事情もあるが、大聖堂のドームはその丘の大きさをも上まわっていた。
その大聖堂のはるか上を、グライダーが静かに通りすぎていく。
「勇者さま。聖女さま。市長室はこちらですわ」
外を見ている2人に、ジェニフィが声をかけてきた。
廊下の壁に10階の見取り図が貼られている。それによれば廊下の突き当たりが大会議室で、市長室はその左隣になるようだ。
薄暗い廊下を通って奥にある部屋の前まで進む。そして大きなドアの前で立ち止まり、キャロルがトントントンと3回ノックした。
「お祖父ちゃ〜ん。勇者さまと聖者さまをお連れしたわ」
『バカ者!! 仕事中にお祖父ちゃんはよさないか!』
キャロルの呼びかけに、中から注意する言葉が返ってくる。そのキャロルを指差して、
「お祖父ちゃん?」
と、メイベルが誰にとはなく尋ねる。それにジェニフィがくすっと笑みを漏らして、
「うふふ。キャロルはこれからお会いいただく市長さまの、お孫さんですわ」
ということを教えてきた。
「勝手に開けるわよ」
そう断ると、キャロルがドアを開けて先に中へと入っていく。
「おおお。これはようこそ、勇者さま、聖女さま」
部屋に入ってきたナバルとメイベルを、丸メガネを掛けた小柄な老人が出迎えてきた。老人は学者の着るような白衣を羽織っていた。髪は黒いが白髪が多く雑じっている。そして何よりも大きなダンゴっ鼻が特徴の男だ。
市長室は大きく、奥行きだけでも15mはあった。その奥、窓ぎわで外を背に座っていた市長が、2人の前までゆっくりと歩み寄ってくる。
「ようこそ湖の都ラクスへいらっしゃいました。わしが市長のシーザー・フランクです」
2人の前まで来たフランク市長が、右手を出して握手を求めてきた。そして、
「メルキアからの便りで、お2人のご到着を今か今かと待っておりました。救世の英雄お2人が遠路はるばる南アルテースの地まで来られたのも何かの縁。是非ともこの街でゆっくりお過ごしください」
と、ナバルの手を取りながらあいさつしてくる。
「それはありがたいお言葉ですが、わたしたちは帝国から追われてるというか……」
次に握手を交わすメイベルが、言葉を濁しつつも気になることを尋ねた。
「お2人に手配書が出てることは百も承知してます。ですが、その手配を無視して、南方教会ではお2人を全力で保護すると決めました。ですからお2人も、ここラクスに来られたのでしょう?」
「まあ、それはそう……なんですけど……」
苦笑するメイベルが、肩を上下させながら市長から手を離す。
そのメイベルの目が、左側の壁ぎわにある背の低い棚に向かった。
「あれはグライダーとかいう空飛ぶ機械の模型ですか?」
棚の上に、来る途中で見た空飛ぶ白い機械の模型が置かれている。それを見たメイベルの目が、たちまちキラキラと輝き始めた。
部屋を見まわせばグライダーの模型に限らず、様々な模型や小物が置かれ、壁には何かの設計図らしいものまで貼られている。小物の中にはカタカタと動いているものまであった。それらに気づいたメイベルの瞳が更にキラキラと輝いて、頬までツヤツヤしてくる。
「おや、聖女さま。グライダーに興味がおありですか?」
「もちろん、大ありですっ!!」
市長の一言に、メイベルが拳を握って力説した。
「いったい、どうして空を飛べるのですか!? あ、熱気球というものが空を飛ぶ理由を聞いた時、すっごく単純な原理に驚きました。これもひょっとして、当たり前の原理で飛んでるのでしょうか⁇」
「これはこれは……。興味があるのは飛ぶことではなく、飛ぶ原理ですか?」
メイベルの質問に、市長が意外そうな顔をする。その市長が、
「申し訳ないが、詳しい原理はよくわかっておらんのですよ」
と言いながら、グライダーの模型に手を伸ばした。だが、ふと手を止めて「失礼」と断り、一度事務机に戻ってメガネを掛け替える。そして戻ってきた市長が、改めてグライダーの模型を手に取った。
「飛ぶ秘訣は、この翼の膨らみにあるらしいとは思うのですが……。いやはや申し訳ない。ご期待には応えられそうもありません」
「いえ、翼に秘訣があると聞けただけでも十分です」
市長の言葉に、メイベルが伸ばした両手を振って恐縮する。そのメイベルが、棚の上に他にもある模型を見ながら、
「この膨らみ方、何となく帆船の縦帆に似てるわね」
ということを呟いた。それを聞いた市長が、
「おおおっ! 聖女さま。そのことに気づかれましたか!!」
と、大きな声を出してくる。
「聖女さまの仰る通り、翼はまさに帆船の縦帆と同じなのです。縦帆は追い風よりも、横風を受けている時の方が強い推進力が得られるものです。そのことは古くから知られていた現象なのですが、それがどうしてかという理由までは……」
「まだわかってないのね」
市長の言葉を受けて、メイベルがくすっと微笑んだ。
ちなみに帆船の縦帆とは、主に三角形に近い形をした帆のこと。横帆と比べると追い風を受ける力は弱いが、向かい風以外の風なら船の推進力にできる。そのため小型の帆船では、縦帆のみが使われることが多い。その際たるものがヨットだ。
余談ながら縦帆で横風を受けると、船は風速よりも速い速度で進むこともある。
そんな仕組みを知ったメイベルが、
「この翼に前から風が当たると、膨らんでる方向に力が働くわけね。熱気球の時も簡単な原理に驚かされたけど、グライダーにもすでに知られた原理が使われてたのね」
と感慨深そうに言いながら、置かれてる模型を興味深そうに眺めまわした。
そこにすっかり蚊帳の外に置かれたナバルが、
「メイベル。俺は飛べる理屈なんかどうでも良い。それよりも乗ってみたいぞ」
と言って、2人の会話に割り込んできた。そのナバルに、
「おっと、これは勇者さま。お構いもしませんで大変に失礼いたしました」
と、市長が深々と頭を下げて謝ってくる。その市長が孫娘に、
「キャロル。さっそく勇者さまを、グライダー乗り場まで案内して差し上げなさい」
とナバルの案内役を任せた。そして、また事務机に戻り、最初のメガネに掛け替える。
「乗れるのか?」
「はい。お望みでしたら、ご自分で操縦されてはいかがでしょう。キャロルは幼い頃からグライダーや空飛ぶ機械をいろいろ操縦してきました。ですので操縦のやり方については、キャロルから手ほどきを受けると良いでしょう」
「そうか。操縦できるのか」
市長の言葉に、ナバルが操縦できると聞いて気合いを入れている。もっとも、
「いきなり素人が操縦するのは、いくら勇者さまでも危ないと思うわ」
案内役を任されたキャロルは、操縦に関しては賛同しかねていた。そこで、
「ということで勇者さま。くじびきをどうぞ。奇数が出たら今日は乗るだけ。偶数が出たら地上で操縦の練習。それ以外が出たら実際に操縦してみるってことで」
と言って、手持ちのくじびきキットをナバルに向けてくる。
それに市長が「こら、キャロル!」と、変な条件を出した孫娘に注意しようとする。
だがナバルは「では引くぞ」と何も考えずに、目の前のくじを引いてしまった。そして抜き出した串には『5』と番号が書かれている。
「ふむ。奇数か……。じゃあ、今日は乗せてもらうだけだな」
ナバルはくじびきには忠実な男だった。
そんなナバルを見る市長が、ボソッと「それで良いのか?」と呟いた。
「では、勇者さま。ご案内します。お祖父ちゃん、行ってくるわね」
「それでは乗ってくる」
キャロルに案内されて、ナバルが意気揚々と市長室を出ていく。ナバルは先ほどのくじに問題があったことに、まったく気づいていない様子だ。しかもくじびきの結果を素直に受け容れ、今日は乗るだけでも満足してるようである。
「聖女さま。今のくじびき、勇者さま、まったく気づいてないように思われ……」
「ナバルは素で気づいてないでしょうね。微塵たりとも……」
説明を求めてくる市長に、メイベルが大きく嘆息しながら答える。そのメイベルが、
「それよりも市長さん。翼の話の続きですけど」
と、話を元に戻してきた。
「この翼の膨らみ……。厚くすると膨らんでる方へ引かれる力はどうなるのですか? 厚いほど強くなりそうな……。でも、あまり厚くしちゃいけないような……」
「ほほう。聖女さまは、なかなか鋭い質問をされますな」
模型の翼を指差して尋ねてくるメイベルの質問に、市長が楽しそうな笑みを浮かべる。
「聖女さまのお考えのように、膨らみは厚い方が引く力が……。いえ、この場合は浮かせる力と言うべきでしょうか。それが強くなるのは間違いありません」
そう答えながら、市長が事務机に置いた別のメガネに掛け替えた。そして棚のところへ来ると模型を取って目の高さまで上げ、
「ですが、膨らみは厚ければ良いというものでもございません」
と翼をつまんで断りを入れてくる。
「実はここにある模型の翼の膨らみは、すべて翼の断面の長さに対して6%の厚さにそろえられてます」
「6%? 何かわけがあるの?」
メイベルが横から模型を見ながら、6%の意味を尋ねた。それに、
「もちろん、ちゃんとした理由がありますよ。経験則ですがね」
と答えた市長が、更に楽しそうな笑みになる。
「翼は前から風が来ると、膨らんだ方へ力が働きます。これは帆船の縦帆が横風を受けるのと同じ原理……と、先ほどもお話しましたね」
説明を始めた市長の確認に、メイベルが「うん」とうなずく。
「そして、膨らんだ方へ働く力の大きさ……ですが。これは膨らみが大きくなれば、それに伴って大きくなります。この関係は、一見すると簡単なように思えますが……」
市長が持っていた模型を頭の高さまで上げると、ふいに言葉を止めた。
「実は膨らみが大きくなると、浮かせる力は少し風向きが変わっただけで消えてしまうのですよ。たとえば少し翼を傾けたとか、風向きが少し変わったというだけでね」
そう説明する市長が模型の頭を持ち上げて、その傾きのまま胸の高さまで下ろした。
「この問題が大きくなるのは、グライダーが速度を落として地面に着く時です。半世紀ほど前、翼の膨らみを12%まで厚くしたことがありましてね。その時、翼を厚くしたグライダーが相継いで墜落事故を起こしました。そのほとんどが地上へ降りてくる時の事故です。地面に着く直前にグライダーは頭を持ち上げるのですが、その角度をわずかに大きく取りすぎた途端、急に浮かせる力が消えてズドンですよ」
「うわぁ〜。そんなことがあるんだぁ……」
メイベルが意外な問題点を聞かされて、口をぽかんと開けている。そのメイベルに、
「そんなこともあって試行錯誤してるうちに、翼の厚さは6%に落ち着きました。でも、この厚さは縦帆だけの小型船が、もっとも風上に向かえる時の厚さと同じだったんですよ。散々試行錯誤した結果が、すでに船の世界では当たり前だったといいますか」
と苦笑しながら、市長が開発時の話を語って聞かせる。
ようやく見つけた解決の糸口が、実は別の分野や自然界ではとうの昔に解決済み。技術開発の世界ではよくあることだ。
そんな会話を続ける2人を、
「聖女さま、すごいですわ。市長さまのお話がご理解できるなんて」
「ただの似た者同士ですよ。あれは……」
存在を忘れられたジェニフィとエミリオが、部屋の隅でぽつんとたたずんでいる。
しばらく市長の持つ模型を見ていたメイベルが、ふと視線を棚の上へ移した。
「ところで、他にもいろいろ並んでますけど、これらはすべてグライダーですか?」
棚にはグライダーに似た形の物がたくさん並んでいる。だが、グライダーとの違いは、本体の前や後ろに十字型の風車があることだ。中には上に風車が向いてるものもある。
その他にも三角形や丸い翼を持った、まったくグライダーとは違う形のものもある。
「それらは、わしが構想してる空飛ぶ機械ですよ。飛行機と呼べばいいでしょうか」
そう答えた市長が、持っていた模型を棚に戻した。
「今のグライダーは風に乗って飛ぶだけです。少しでも飛べる距離を伸ばそうと魔導師を乗せて風を起こさせているのですが、それには限界があります。これまでに300kmを飛んだ記録がありますが、普通は50kmも飛べれば良いところですよ」
そう言いながら、市長が別の模型を手に取った。それには十字型の風車が付いている。
「そこでわしはグライダーに風を起こす風車を載せて、それで遠くまで飛ばせないかと考えてるのですよ。この風車を『回転しながら前へ進ませるもの』という意味で、プロペラと呼んでますが、これを載せれば、グライダーは空をもっと速く、もっと自由に、そしてもっと遠くまで飛べるのではないかと考えてます」
と言って、市長が模型のプロペラを指で弾いた。それがクルクル回ってるのを見ながら、
「遠くまで!? ひょっとしてサクラスまで飛んでいけるとか?」
とメイベルが尋ねる。
「それどころか、更に北のユーベラスまで飛んでいけるかもしれませんよ」
「それはすごいですね」
市長の考えに、メイベルが感心したように模型を見詰める。そのメイベルが、
「で、この風車……プロペラって言いましたっけ? それはどうやって回すのですか?」
と、もっとも気になることを口にした。
「聖女さまは動力船をごぞんじでしょうか?」
メイベルの質問に、市長が異なる質問を返してくる。
「もちろん知ってるわ。ここに来るまでに、大きな川を渡るために何度も乗ったもの」
「でしたら説明は簡単です。その動力を小さくして載せようと思ってるのですよ」
そう言った市長が、棚から離れて窓ぎわへと歩いていった。そこには部屋に入った時からメイベルが気になっていた、ずっと動き続けている小物の1つが置かれている。
「市長さん。そこで動いてるものですけど、それが……」
市長を小走りに追いかけたメイベルが、さっそく気になる小物について尋ねた。
「その通りですよ、聖女さま。船には3種類の動力が使われているのですが、これはそのうちの1つを小型化したものです」
そう答えた市長が小物の前で立ち止まり、くるりと振り返った。
黒い日除けのある小物が、カタカタと小さな音を立てていた。小物には左右2対ずつの筒があり、それぞれから出た4本の腕が弾み車のある軸を忙しそうに回している。
その軸の先には箱があった。そこから2本のパイプが出ていて、一方は棚からぶらんと垂れ下がっている。そしてもう一方は筒に向かい、その先から水がしたたっていた。
「市長さん。本当にこれの大きいものが船を動かしているのですか?」
「原理的にはまったく同じです。これは空気エンジンといいまして、空気を温めて熱膨脹させ、次に冷やして収縮させることを繰り返して動かしているのです」
そう言うと、市長が窓ぎわの小物の前にしゃがみ込んだ。
「聖女さま。この右側の筒にはパネルが付いているでしょう。こちら側は太陽の熱で温められてますので、ここに空気を入れると熱膨脹してピストンを押し出すのですよ。それでピストンを押したところに左側の筒とつながっている穴がありましてね。温められた空気はその穴を通って左側の筒へ移動するのです。すると左側の筒は冷やされてますので、それで今度は収縮する力でピストンを引き戻すのです。この空気エンジンは2つの筒の温度差がある限り、連続して動き続けるのです。なかなか面白いでしょう」
「う〜ん。何となくわかったような、わからないような……」
メイベルが機械をジッと見詰めたまま、複雑な表情をしている。
温める力でピストンを押し、冷やす力でピストンを引く。言っている言葉は理解できるが、それがどうして連続した動きになるのか、そのあたりまでは理解できないようだ。
「あ、そういえば左側の筒は冷やされてって……。あ、冷たい!」
濡れた筒をそっと指で触れたメイベルの口から、そんな言葉が飛び出た。そのメイベルの指先が、吹きつけてくる冷気を感じる。その出処は箱から伸びているパイプだ。
「市長さん。こんな小さな箱の中で空気を冷やしてるのですか? こんなに小さな冷却装置は見たことがないのですけど」
「冷却装置? 聖女さま、違いますよ。それは冷暖房装置の一種です」
メイベルの言葉を、市長が何喰わぬ顔で訂正してきた。それにメイベルが、
「冷暖房装置!? そんなものがあるのですか⁇」
と驚いた顔をする。
「おや? 冷暖房装置をご存じないのですか? 帝都にもありませんか? 帝都にも空調設備はあるのでしょう。夏の冷房とか、冬の暖房はどうされてるのです?」
「冷暖房装置なんてないわ。冷房と暖房をどうやってるのかというと、夏は気化熱で冷やした空気や地下水路で冷やされた空気を空調で流して、冬はガスで暖めた空気を……」
そこまで答えたところで、メイベルは市長が変な顔をしていることに気づいた。
「あのぅ、ここでは違うのですか?」
思わず上目遣いになったメイベルが、市長に尋ねてみる。その市長が、
「わざわざガスで暖めますか。それは費用がかかりますね」
と零して、わざとらしく肩をすくめてみせる。
「聖女さま。こちらに簡単な設計図がありますので、それでご説明しましょう」
そう言った市長がまたメガネを掛け替えてから、グライダーのある壁のところへ戻った。その奥の壁に『水力冷暖房装置』と書かれた設計図が貼られている。
設計図には大小2つの円が描かれていた。大きい円の中に小さな円が描かれた図形だ。それも小さな円が外側の大きな円に接するように描かれている。その外側の円の中心に軸らしきものが描かれていた。その軸を中心に、内側の小さな円が回るようだ。当然、小さな円の中心とは異なる場所に軸があるため、中の円は中心のズレた動きをしている。
その円に向かって、外側の円から仕切り板と思われるものも描かれていた。その仕切り板にはバネらしきものも描かれ、内側の円の動きに合わせて伸び縮みするらしい。
「聖女さま。ここに描かれた内側の円は、外側の円に接触したまま回り続けます。すると2つの円の隙間は、内側の円の動きと一緒に回り続けます」
設計図をジッと見詰めるメイベルに、市長が指を回しながら説明を始めた。それに、
「うん。回るわね」
と、メイベルが考えながら相槌を打つ。
「そのままではこの中の空気はただ回っているだけです。そこで、ここに仕切り板を入れましょう。そうすると2つの円の隙間が2つに分けられます。すると、内側の円の回転する側の空間は、仕切り板の手前で圧縮されることになります。それとは反対に、仕切り板の後ろの空間は膨脹することになります」
「う〜ん……。そうなるわね」
設計図をジッと見詰めながら、メイベルは機械の動きを頭の中に思い描いた。
大きな円の中で、中心軸のズレた小さな円が回っている。その回転に合わせて、仕切り板が出たり引っ込んだりする光景だ。その仕切り板にさえぎられて、小さな円の動きで動いてきた空間……というか、そこにある空気は堰き止められる。となればそのまま空間が小さくなるのに伴って圧縮されることになる。
逆に仕切り板の先では空間がどんどん大きくなるので、空気は膨張することになる。
「聖女さま。空気を圧縮したり膨脹させたりすると、温度はどうなるでしょう」
「温度……!? あああっ、そっか☆」
市長の一言で、メイベルが思わずパンと手を叩いた。
「空気が圧縮される側では温度が高くなって、膨脹する側では低くなるのね」
「その通りです。まあ、そのための空気の入れ替えに多少のノウハウがあるのですが、ここでは昔からこの仕組みで、夏も冬も水車1つで冷暖房を行っているのですよ」
「うわぁ〜……。これも聞いてみれば、簡単な仕組みだわ……」
設計図を見るメイベルの瞳が、またもキラキラと輝いていた。
「あ、でも、温度はどうやって調整するの? 水の量を調整して、水車の動きを速くしたり、遅くしたりとかするの?」
「そんな必要はありませんよ。冷暖房装置から出てくる暖かい空気と冷たい空気を混ぜて、好みの温度にすればすべて事足ります」
「ああ、そっか! ついつい難しく考えちゃうわね」
単純な解決方法を聞いたメイベルが、市長に向かってペロッと小さく舌を出した。そのメイベルが再び設計図に目を向けて、
「この仕組みを知ったら、あたしも帝都の暖房って、ただのガスの無駄遣いに思えてきたわ」
と、両手を合わせて感動したように表情を浮かべている。
「この装置があるおかげで、ラクスでガスを使うのは夜の灯りと食事の用意、それと水車や風車以外の動力ぐらいです。風呂のお湯もこの仕組みで十分に温められますからね」
「へぇ〜。お風呂のお湯も温められるのね……」
そこまで言葉にしたメイベルが、そのまま感心したまま動きを止めてしまう。
そのまましばらく動きを止めたメイベルが、
「あ、そうそう。それで、あの機械……。空気エンジン……でしたっけ? あれをグライダーに載せれば、空を自由に飛べるのですか?」
と言って、話を元の空を飛ぶ機械の話題に戻してきた。それに市長が、
「ええ、そのはずです。それでここにある模型は、プロペラを前に付けて翼に風を当てるのが良いか、後ろに付けて押し出すのが良いか、それとも、いっそのこと翼を回転させて浮かせてみてはどうか……と、いろいろ思考をめぐらせた結果ですよ」
と言いながら、棚に置かれたいろいろな模型を見せてくる。
「それで、空気エンジンを載せたグライダーは、空を飛べたのですか?」
「飛べませんでした。それはもう、まったく」
「…………ゔ……」
散々期待させておいて、市長の返事はさっぱりというものだった。
「どうしてです?」
「空気エンジンは非力すぎました。飛ぶどころか地上を進むことさえ……」
「……できなかったのね」
市長の答えに、メイベルが呆れた表情を浮かべた。
「それで、船に載せている残り2種類のエンジン──蒸気エンジンと蒸気タービンエンジンでプロペラを回そうと考えているのですが、この2つは小型化するのが大変でしてね」
そう言いながら、市長が事務机に戻ってまた別のメガネを掛け替えた。
事務机の横に置かれた箱に、丸められた紙が何本も挿さっている。そこから紙を一本抜き出し、それを事務机の上に広げた。
「聖女さま。これが蒸気タービンエンジンの設計図です。この蒸気タービンエンジンは発生した蒸気を並べられた風車に吹きつけて回す仕組みです。燃料と水のタンク、水を熱する火室、蒸気で風車を回すタービン室。これらをなかなか小型化できないのですよ」
「へぇ〜。こういう仕組みでも機械は動くのね」
設計図を見ながら、メイベルが動力に強い関心を寄せている。
「そこで、いっそのことタービンを取り払って、水蒸気を後ろに噴射させたらどうかと考えて、蒸気ジェットと名づけたのですが……。これがまた燃費が悪くて……」
「水蒸気を直接ですか?」
市長の思わぬ考えに、メイベルが考えを止める。
「それなら蒸気を噴射させるより、燃料を直接噴射させた方が良いと思いますけど」
「聖女さま。その考えは一見すると素晴らしいご意見ですが……」
メイベルの思いつきに、市長が微笑みながらそう言ってきた。
「そんなことをしたら熱で周りが熔けてしまうと思いませんか?」
「ああ……。それはあるかも……」
市長の言葉に、メイベルがあっさりと納得する。
「それじゃ、あと残ってるのは蒸気エンジンだっけ? それもダメなのですか?」
「蒸気エンジンは、3つのエンジンの中ではもっとも力が出るのですが、それだけに大きく重いのですよ。なのでグライダーに載せるのはちょっと……」
「難しいものなのね」
メイベルが頬に手を当てて、何か解決策はないものかと考える。そのメイベルに、
「それにしても聖女さまが機械技術に強い関心をお持ちとは……。久しぶりに楽しい会話ができました」
と微笑みながら、市長がメガネを取ってまた別のメガネに掛け替えようとしている。
「よろしかったら、これから街をご案内しましょう。実際にエンジンを見ていただくのも良いでしょうし、他にも関心のあるものはございませんかな?」
メイベルとの会話にすっかり気を良くしたのだろう。市長が公務をそっちのけて、メイベルに街へ出ようと言い出してきた。
「ホントですか!? それならエンジンも気になるのですが、湖の近くに銀色の建物があるじゃないですか。あれもすっごく気になってたんですよ」
「銀色の建物!? おお、あれは珪油精製プラントですよ。湖に棲む小さな生き物から、ガスやエンジンに使う燃料油を精製する施設です。そちらもご案内しましょう」
「湖からガスや燃料油!? それは是非とも見たいわ!」
市長の話に、またもメイベルが瞳をキラキラと輝かせる。だが、
「……と、その前に市長さん。さっきから気になってたんですけど、どうして何回もメガネを掛け替えてるのですか?」
と言って、市長の掛け替えたメガネのことを尋ねてきた。
「おお、これですか。お恥ずかしながら歳を取ると遠くのものと近くのものをうまく見れませんでね。何度も掛け替えないといかんのです」
そう答えた市長が、メイベルに掛けてない方のメガネを見せてきた。
「こちらが近くのものを見る用です。それと今掛けてるのが遠くのものを見る用で……」
「へぇ〜。遠くのものを見る時と、近くのものを見る時でレンズが違うのね」
2つのメガネを見比べて、メイベルがレンズの違いに関心を示す。そのメイベルが、
「このレンズを半分に切って、上半分を遠くを見る用、下半分を近くを見る用にしたら、1つのメガネで済みませんかね?」
などという案を口にした。その言葉に、
「聖女さま。今、何と……」
市長が目を丸くして固まっている。
「えっ!? 2つのレンズを半分に切って、上下に……」
「おおおおおっ!! 上下という発想はありませんでした!」
市長が目を丸くしたまま、拳を強く握って吠えた。
「左右を別々にすることは考えましたが、あれは疲れるのです。2つのレンズを同時に使うのは同じでも、縦に並べる……ですか。遠くを見る時は目は上を向きますし、近くを見る時は目は下を向くもの。なるほど、聖女さま、そのお考えをいただきますよ!」
そう言い放った市長が、くるりと後ろを向いてメイベルに背中を向ける。そして、
「これはさっそく試さなくては!」
と言いながら、壁にある小さなドアから隣の部屋へ行ってしまった。
「あっ、市長さん……」
いきなり案内の約束を反故にされたメイベルが、悲しそうな目で閉められたドアを見ている。そのドアの上には『休憩室』と書かれた木製のプレートが掲げられている。だが、その上には浮き彫りで『工作室』と刻まれた金属プレートが載っていた。
「あのぅ、市長さん?」
そうっとドアを開けて、メイベルが中を覗いた。
室内には工作機械が置かれ、簡素な作りの棚には工具や材料が詰め込まれている。そこで市長は、浅い木箱を出して中身を選んでいた。そこに入っているのはレンズらしい。
「あら。市長さま、さっそくメガネを作られますのね」
ジェニフィもメイベルの背中越しに中を覗いてきた。更にエミリオも、
「間違いなく、作ってますね。こうなっては誰にも止められません」
と、嘆くような口調で零してくる。
「メガネを作る!? 市長さん、自分でメガネを作るの?」
「市長さまは大変に器用な方ですわ。部屋にある模型もそうですけど、こんなものまでご自分で作られるのですわ」
そう言ってジェニフィが指差したのは、部屋の上に掲げられた金属プレートだった。
そのプレートを見上げて、メイベルが言葉を失っている。その時──
「おお、あったあった。これだこれだ」
何かを探していた市長が声を上げた。それで視線を戻した3人の目に、箱から2枚のレンズを取り出す市長の姿が飛び込んでくる。
「聖女さま。どうやら市長さまはご自分の世界に入ってしまわれたようですわ」
ジェニフィがそう言って部屋を覗くのをやめた。それにエミリオも倣い、
「市長さまには何か思いつかれると、そのまま公務をすっぽかす悪い癖があるのです。まったく困ったものです」
と零して、わざとらしく肩をすくめてみせる。
「それにしても、どうしてそういう人に市長を任せるのかしら?」
「聖女さま。それはこの地方の伝統で、都で1番の技術者が市長になる決まりですの」
最後に顔を上げたメイベルの疑問に、ジェニフィが笑顔で答えてきた。
「都で1番の技術者? それはどうして?」
「『技術者は国や社会をも設計する』。南アルテースに古くからある考え方です」
続く質問には、エミリオが答えた。そのエミリオが、
「こうなっては仕方ありませんので、ぼくたちが聖女さまを案内しましょう」
と言って、ふうっと溜め息を吐いた。
「では、聖女さま。ご希望の場所はございませんか?」
「ご希望の場所?」
エミリオに尋ねられて、メイベルがふと考える。そのメイベルの目が、市長室の窓ぎわにある小さな機械に向かった。
「それじゃあ、お風呂に!」
「ゔ……」
メイベルの希望に、エミリオが顔をしかめた。
「ジェニフィ。そこはぼくには手が出せませんので、聖女さまの案内は任せます」
「あらあら、うふふ……」
頭を抱えるエミリオの姿に、ジェニフィがくすくすと笑いをこらえている。そのジェニフィがメイベルの背中を押して、
「それでは聖女さま。修道院の大浴場へご案内しますわ」
と移動をうながしてきた。その後ろを、
「さすがにぼくはご一緒できませんので、ジェニフィ、お風呂が終わりましたら、あとで事務室まで呼びに来てください」
と言いながらエミリオがついてくる。
そして誰もいなくなった市長室には、隣の工作室からギコギコと何かを切る音が聞こえてきていた。
さて、その頃、グライダーを乗りに出たナバルの方は、
「勇者さま。外の合図で発射します。その時にすごい衝撃が来ますから、しばらくの間、風防の枠にある取っ手を力強く握っててください」
ゴーグルを着けて座席に乗り込み、これから空へ飛び立つところだった。
ナバルは後ろの座席に乗り、操縦するキャロルは前の座席にいる。そのキャロルがナバルに注意しながら、丸みのある風よけの枠にある取っ手を握っていた。それを見て、
「ここを握るんだな」
ナバルも自分の目の前にある取っ手を強く握る。
「勇者さま。準備はよろしいですか?」
「大丈夫だ」
キャロルの確認に、ナバルが短く答える。それを受けたキャロルが右手を軽く離し、
「出してください!」
と、外にいる係員に声をかけた。
「準備完了」
係員が白い旗を揚げて、周囲の係員たちに合図を送った。
グライダーは短い滑走路に止まっていた。グライダーの前には溝があり、そこから出ている金属がグライダーにあるフックとつながっている。
その溝から白い湯気が出てきた。溝の先には赤い旗を揚げた係員がいる。その係員が、
「発射!」
と言って、赤い旗を下ろした。
直後、バシュッという大きな音と共にグライダーが前へ引っ張られる。溝の正体は蒸気圧でグライダーを急発進させる蒸気カタパルトだった。
ナバルの身体が背もたれに押しつけられる。キャロルに言われた通り取っ手を握ってなければ、身体ごと後ろへ首を持っていかれそうだ。
「射出成功!! 上昇するわよ!」
発進時の急激な加速が終わると、キャロルはすぐに取っ手から手を離して操縦桿を握った。そして操縦桿を後ろに倒して、風に乗って上昇を試みる。
「すげえ! 街がどんどん小さくなってくぞ」
外に目を向けたナバルが、眼下の光景に目を大きく見開いた。
「勇者さま。右に旋回しますよ。2時の方向にある風に乗るわ」
キャロルが操縦桿を右に倒し、同時に右のペダルを踏み込んだ。少し遅れて機体が右に傾き、右に急旋回を始める。
「風が見えるのか!?」
「風は目で見るのではなく、耳で聞くんです。耳をすまして風の音を聞き取るんですよ」
問いかけに答えたキャロルが操縦桿を戻した。だが、すぐに顔を左に向け、
「ああ、流れが変わった……」
と声を出して機体を左旋回させる。その声を聞いたナバルが、
「流れが変わった? 何かが変わったようには思えないが……」
キャロルの視線を追って左の空に目をやった。
「何もわからな……。おおっ!」
突然、下から何かに押されたような感覚が襲ってきた。それと共に機体が空を向き、更に地面から離れていく。
「これはいい風に乗ったわ。勇者さま、昇れるところまで昇りますよ」
キャロルが左手を外に出して風を読みながら、グライダーの姿勢を微調整する。
下から押される感覚が浮遊感に変わった。空を滑るグライダーが、ゆっくりと旋回しながら天高く昇っていく。その時のキャロルの操縦ぶりを見ながら、
「今、風に乗ってるのか? くっ、俺には風がどこにあるのかわからねえ!」
キャロルの感じている風の姿を自分でも捉えようとしていた。
2人の乗るグライダーの上に綿雲が浮かんでいる。その雲を軽く見上げたキャロルが、
「勇者さま。風から抜けますよ」
操縦桿を傾けて大きく左へ旋回する。
グライダーは都から、はるか北の空を飛んでいた。眼下にはいくつもの長方形の湖が点在し、その間を大きな川が蛇行している。都はその川沿いに作られていた。しかも都を上から見下ろすと、五角形の囲いや星形の通りがよく見える。
「勇者さま。空を飛ぶ気分はいかがですか?」
グライダーを水平飛行に戻したキャロルが、後ろを振り返ってナバルに尋ねてきた。
尋ねられたナバルの方は、今は下を飛んでいるグライダーやパラグライダーを目で追っている。そのナバルが視線をキャロルに戻して、「悪くない」とだけ答えた。
で、一方でお風呂へ向かったメイベルは……というと、
「うわぁ〜、本当に水車だけでお湯を温めてるわ」
バスタオル1枚の姿で、熱心に水力温水器を観察していた。
ここは女性用浴場の隣。水車で温水器をまわしている動力室だ。ここで温められたお湯が、パイプを通って男女それぞれの浴場へ送られている。
「あのぅ、聖女さま。お風呂へ行きたいと仰ったのは、入るため……ではなかったのですか?」
困った顔で声をかけてきたジェニフィも、バスタオル1枚の姿だった。
ジェニフィはメイベルがお風呂に行きたいという求めを、お風呂に入って旅の疲れを取りたいという意味に取っていた。だが、当のメイベルは脱衣所で服を脱ぐまではジェニフィの予想通りの行動だったが、浴場に入って動力室の入り口を見つけると、何の予告もなく勝手に中へ入っていったのだ。そのあとを追ったジェニフィが目にしたのは、動力室で熱心に機械の動きを観察しているメイベルの姿である。
「火も太陽も使わずにお湯を作れるなんて、これはすごい技術だわ」
「聖女さま。機械を見るためでしたら、わざわざ脱がなくてもよろしかったのでは?」
動力室に通じるドアのところで、ジェニフィが呆れた顔でメイベルを見ている。
当のメイベルは温水器の観察に夢中で、ジェニフィのぼやきが耳に入らない様子だ。
そのメイベルのまとうバスタオルが、パイプの留め具に引っかかった。だが、メイベルはそれに気づかず、瞳を輝かせて温水器の観察を続けている。そのためメイベルが動いた途端、バスタオルがするっと身体から離れていった。




