第3巻:第4章 ここが病気の生まれる地
運河を通る船を載せて、山を登っていく昇降施設。そこを今、馬車を載せた貨物船が移動してるところだった。その貨物船に乗るパセラが、
「ひゃあ〜。船が山を登ってますよぉ〜」
と興奮しながら、馬車から顔を出してどんどん変わる景色に目を丸くしていた。
パセラのいる水槽では、3隻の貨物船と2艘の平底舟が運ばれている。そのうち2隻の貨物船には、第5次調査隊の馬車が2台ずつと騎兵隊の馬が4頭ずつ載せられていた。
「友人Aくん。さっきからはしゃぎすぎですよ。馬がきみの声に驚いて暴れそうです。少し控えてくれませんか」
「あ、すみません。気をつけますぅ」
クラウに注意されたパセラが、肩を狭めて頭を何度も下げて謝る。
「パセラも落ち着きがないわね」
そこにレジーナが、手に地図を持って馬車に戻ってきた。レジーナは同じ貨物船に載っているもう1つの馬車から戻ってきたのだ。その馬車は、この第5次調査隊の指揮を任された、クリプトン卿の乗る馬車である。
「おや、レジーナちゃん。クリプトン卿のところで、何を話されてたのですか?」
「今日のこれからの経路について進言してたのよ」
レジーナが馬車のステップに足をかけたまま、クラウの質問に答えてきた。
「これからの経路って、このままヴァレーまで運河で行くのでは?」
「それでも昼過ぎには着くんだけどね」
そう答えかけたレジーナがステップから足を下ろして、
「この昇降施設を出て次のプラトーから陸路に切り替えれば、1時間で着けそうなのよ」
と言いながら、クラウに地図を広げて向ける。
「1時間ですか?」
「そうよ。運河は等高線に沿ってしか造れないでしょう。それでヴァレーまで山や丘を避けるように続いてるから、この昇降施設を抜けてもまだ12kmあるのよ。しかも、その間にもう2回堰で山を登るから、ヴァレーまで5時間はかかるの。でも、プラトーで陸路に切り替えれば、ヴァレーの町まで7kmよ。それなら1時間とかからないわ」
「なるほど。それでは、あのあたりにヴァレーの町が……」
地図を見たクラウが、そう言って山に目を向けた。
クラウたちから見てこれから進む運河は左の方向へ延びている。それが山の斜面に沿って、うねるように続いていたのだ。ようやくまっすぐになるのは、高原の上まで登り、ヴァレーの町に近づいてからである。
それに対して街道は多少の起伏があっても支障はない。そのため多少曲がりくねりながらも、ヴァレーまでほぼまっすぐに延びていた。
「それで、クリプトン卿は何と?」
「そんなに急ぐことはないだろうだって。前の教会でメイベルからの報告書の写しを受け取ったでしょう。それを読み込む時間が欲しいらしいわ。おじさまらしいお答えよ」
地図を折りたたみながら、レジーナが肩をすくめた。
その時、水槽を載せたケーブルカーの動きが止まった。と同時に水槽に水が流し込まれ、船の揺れが大きくなる。そんな揺れの中でも船の甲板に出て立っている2人に、
「クラウさん、レジーナぁ。あそこから黒い煙が上がってますよぉ」
と、パセラが馬車から顔を出して教えてきた。
「黒い煙? 火事かしら?」
「あれは火事とは違いますよ。火薬を爆発させたような煙ですね」
キノコ型の小さな煙が、ゆっくりと空へ上がっていく。爆風によって生み出された煙によく見られる形だ。
「レジーナちゃん。さっきの地図を見せてくれないか」
レジーナが乗り込もうとしていた馬車とは別の馬車から、たっぷり肥った男が顔を出してきた。第5次調査隊を指揮するクリプトン卿だ。そのクリプトン卿の求めに、
「おじさま。どうぞ、ご覧ください」
と言って、駆け寄ったレジーナが窓から地図を差し入れる。
「おじさま。どうなさったのです?」
「やはりそうだ。あの方向には町はないから、あそこで戦いが起きてるかもしれんな」
レジーナの問いかけには答えず、クリプトン卿が広げた地図に目を落としていた。
「レジーナちゃん。至急ヴァレーに向けて鳩を飛ばしてくれ。伝聞は『南で戦いあり。確認のため到着が遅れる』と」
「わかりましたわ」
クリプトン卿の指示を受けて、レジーナが自分の乗っていた馬車に戻った。その馬車の後ろには鳥カゴが取りつけられ、そこに数羽の伝書鳩が入れられている。
さっそく小さな紙に通信文を書き、それを丸めて小さな通信管に入れた。そして、それをカゴから出した鳩の足に取りつけ、そのまま大空に放した。
飛び立った伝書鳩は船の上で円を描くように飛んだ。何度も円を描きながら、これから飛んでいく方向を探しているのだろう。そして急に円運動をやめると、そのままヴァレーの町のある方向へ、まっすぐに飛び去っていった。
「クリプトン卿。偵察に出ましょうか?」
「クラウくん。隊長自ら、偵察に出る気かね?」
偵察を申し出たクラウに、クリプトン卿が逆に問い返してきた。
その間に水槽への注水が終わり、水門がゆっくりと開き始めていた。水門の先ではこれからこの水槽で山を下る船たちが、行儀よく左側に並んでいる。
「クラウくん。それよりもきみには、緊急の上陸場所を見つけてもらいたい」
そう言ったクリプトン卿が、ゆっくりと馬車から降りて船の上に出てきた。そして広げた地図をクラウに渡して、
「よいか。せっかく山を登ったところだが、我々はこれから山を一気に駆け下るぞ。山の下に街道が通っておるだろう。そこを使えば、あの煙の場所へ早く向かえるはずだ。そのための馬車の通れそうな斜面を見つけてもらうぞ」
と、これからの方針を伝える。そして船の後ろの方へ進んでいくと、
「船長。緊急事態で、我々は上陸が必要になった。これより騎兵隊長が上陸地点を指示するので、船を適当な場所で岸に近づけてもらいたい」
貨物船の船長にも、緊急の指示を伝えた。
「クリプトン卿。緊急上陸ですか?」
もう1隻の貨物船に載っている馬車から、確認の質問が来た。そちらの貨物船に載っている馬車は、学者を乗せた馬車と造営隊の荷馬車である。
「そうだ。これより我々は……」
そう答えかけたところで、クリプトン卿が言葉を止めた。クリプトン卿が顔を向けたのは、馬車の中に見える2人の老学者の姿だ。
「ご老体たちにこれ以上のご負担をかけるわけにはいかんな」
クリプトン卿が小さな声で呟き、軽く嘆息する。
「これより調査隊を別行動させる。こちらの船は緊急上陸して陸路を行く。そちらはそのまま運河を使ってくれ。のちほどヴァレーで会おう」
「わかりました。どうぞ、お気をつけて」
その言葉を合図にするように、学者を乗せた貨物船が動き始めた。そのあとに続くように、一緒に水槽で運ばれてきた平底舟も水門から出ていく。
「これでは上陸できませんねぇ」
船上で馬に乗ったクラウが、高い場所から上陸地点を探していた。
昇降施設を出た運河は、そのまま尾根の上を通っている。しばらくは山の上に造られた水路の上を移動だ。左右どちらにも馬車の上陸できる場所がない。
やがて運河は尾根の左右に分かれていく。ヴァレーへ向かう船は、この分かれ道で左側の運河を進む。
しかし、その直後に木立ちに入ってしまったため、上陸はできても馬車が進めるような道はない。そのため馬車が上陸できたのは、昇降施設から最初の運河駅のあるプラトーの手前だ。そこから跳ね橋のある道を使い、一行は煙の立つ場所へ向かうのだった。
さて、その頃、ヴァレーの町では、
「それで邪教の勇者を討ち漏らしたのですか?」
「申し訳ありません。しかも、ドラゴンさまたちと仲良く鍋パーティなんかやって……」
ナバルたちを追ってきたブルーノが、先行していた第6隊長たちから信じがたい話を聞かされていた。その話というのは、
「鍋パーティ……ですか? 神聖で侵すべからざるドラゴンさまたちと……」
ドラゴン教徒にとって神であるマウンテン・ドラゴンたちが、よりによって異教の勇者たちと鍋パーティをしていたというものだった。
「う〜ん、第6隊長。疲れて悪い夢でも見ましたか?」
事実を認めたくないブルーノが、眉間にしわを寄せて容認できる理由を模索している。
「アサッシニオさま。信じたくない気持ちはお察ししますが……」
「そのあとはドラゴンさまたちと雑魚寝してたっすよ」
「ざ、雑魚寝……ですって!?」
ブルーノがめまいを起こした。信じていたものが足許から崩れ、まるで心が宙ぶらりんになったような感覚を味わっている。
「何かの見間違いを、互いの勘違いで真実と見誤ることもあります」
頭の中で苦しい言い訳を探しながら、ブルーノは心の平穏を保とうとしていた。
その時、
「ん!? ドラゴンさまたちが……」
ヴァレーにいるブルーノたちの上を、何体ものドラゴンが通りすぎていった。
「何事ですかのう?」
そう零したのは、四角い顔の第3隊長だ。直後、
「大砲……ですか?」
丘の稜線に隠れた向こうから、空へ黒い煙の帯が伸びていった。
それを避けるように、編隊を組んでいたドラゴンたちが散開する。
そして、ドラゴンたちが口から吐いた炎で地上を攻撃し始めると、黒い煙の数が次々に増えていった。
少し時間を戻して、戦いの起きた現場である。そこでは、
「ヴァレーの町に向かって、鶴翼陣形を取れ!」
西アルテースから来た総勢50万人の軍隊が、横に大きく広がりながら竜の山脈に迫っていた。
軍の大勢を占めるのは、長槍と盾を持った重装歩兵だった。その歩兵たちが部隊ごとに長槍をハリネズミのように外へ向けた密集隊形で進んでいる。
その後方を進むのは、銃を持つ銃歩兵隊と、弓を持つ弓兵隊だ。更に後方には騎兵隊と魔導隊が控え、その後ろで砲身の長い大きな大砲が組み立てられている。
そして後方にある小高い丘の上では、全軍を指揮する将軍が陣を取っていた。
「対ドラゴン砲の準備は整っておるか?」
「1号砲、2号砲は完成しております。3号砲から5号砲は部品の到着が遅れたため、完成まで今しばらく時間が……」
「完成を急がせろ。偵察にきたドラゴンが戻ってくるぞ。6号砲から8号砲の設置は前方の丘とする。歩兵隊が通過したのち、ただちに作業にかかれ」
「は、ただちに指示を伝えます」
つい先ほど2体のドラゴンが上空を飛び、山へ戻っていったばかりだ。それでドラゴンに見つかったと知った軍は、ただちに戦闘態勢に入り、山への進軍を始めたのである。
全軍を指揮するテント張りの本陣から、周囲に無数の電線が延びていた。そこから通話機を通じて各部隊と連絡を取っているのだ。もっとも、交換器のようなものはないのだろう。通話機は1対1でつながり、本陣には連絡先と同じ数だけ通話機が置かれている。そこには何人もの情報参謀たちが集まり、情報収集と将軍の命令を伝える役目を担っていた。
「先ほどのドラゴンが偵察であったとして、また戻ってくるまでに、どれほどの猶予があると思うか?」
「山まで戻るのですから、往復に20分はかかるかと……」
将軍の質問に、作戦参謀が慎重に答えた。作戦参謀が念頭に置いたのは、飛行魔術の使える偵察兵が、飛行兵のみを連れて戻ってくる場合だ。だが、
「将軍! 山よりドラゴンの群れが迫ってきます」
ドラゴンたちの動きは、作戦参謀の想像を超える早さだった。
「ぬう、早いな。1号砲、2号砲、発砲準備急げ!」
ただちに将軍から、発砲準備を告げる命令が下る。
砲身の長い大砲が向きを変えながら砲口を上に向けていく。その大砲では砲兵たちが、回転レバーを3人がかりでまわしていた。
その軍隊に迫るドラゴンの側でも、
『おいおい、何が今までの10倍から20倍だ。軽く50倍はおるではないか?』
まずは相手を知るために、数の把握から始めていた。
出てきたドラゴンたちは、群れの中の若い男のドラゴンたちだ。それを率いているのは、体長12mはある若頭である。
『まずは代表者に、この軍の意味を問いたださねばならぬ。さて、どこにいるか……』
若頭が全体を見まわしながら、それらしい存在を探す。だが、
『む、いかん! 散開せよ!!』
砲身の長い大砲が自分たちに向けられていると気づいた若頭が、仲間たちに散るように指示を出した。その直後、大砲から黒い煙が吐き出され、それが長い尾を引きながらドラゴンたちのいた場所を突き抜けていく。
『おい、いきなり撃ってきたぞ』
『あの筒の正面へは行くでない! 横にまわり込むのだ』
左右に分かれていくドラゴンたちに、2発目の砲弾が撃ち込まれてきた。
対ドラゴン砲と呼ばれる大砲は、空を飛ぶドラゴンを撃ち落とすために作られた対空砲のようなものだ。
『若頭、どうする? 話し合いを呼びかけるか?』
『人間たちに話し合う意思はないであろう。仕方ない。みなの者、反撃開始せよ!』
仲間からの確認に、若頭が抗戦開始を決めた。
最初に狙われたのは、対ドラゴン砲だ。ドラゴンの口から、大きな炎の球が吐き出される。強く輝く球で、表面から炎の小さな柱がぽんぽんと噴き出している。小さな太陽という感じの球だ。噴き出している炎の柱は、球に引きつける重力がないため、戻ってこないプロミネンスというところだろう。
その球が熱で大砲を熔かしながら地上へ落ちていく。そして大音響をとどろかせて、周りにあるものをことごとく吹き飛ばした。
「なんだ、今の光は!?」
後方の陣地にいて難を逃れた将軍が、一瞬のできごとに何が起こったのか理解できないでいた。
草原に大きな窪地ができている。その場所にあった対ドラゴン砲は、跡形もなく消えていた。周りを見まわしても残骸らしきものがない。それどころか周りにいた軍隊まで、消えてなくなっていたのだ。
「あの鉄くずは、まさか……」
爆心から300m離れた場所に、熔けて塊になった物体が転がっていた。将軍がそれを対ドラゴン砲の残骸であると気づくまで、それほどの時間はかからない。しかし、その事実を認めるまでには多少の時間がかかった。
「将軍! 第3師団全滅です」
「5番砲大破。第7師団との連絡が途絶えました」
その間にもドラゴンたちの放つ光の球が、いくつも地上に落とされていた。
すでに組み立てられた対ドラゴン砲はすべて破壊されている。そのため西アルテース軍は、空にいるドラゴンたちに対抗できる武器を失っていたのだ。
その対ドラゴン砲であっても、それほどドラゴンにとって脅威ではない。連射能力がないため、空を翔るドラゴンには滅多なことでは当たらないからだ。
となれば、撃ったあとは完全な無防備状態となり、一方的に攻撃される存在である。
「将軍! 空から襲ってくる敵を、どう攻撃すれば良いのですか? 指示をください」
西アルテース軍の進撃は、歩兵だけで爆撃機に立ち向かうようなものだった。何も反撃できないまま一方的に甚大な被害をこうむっている。
「こちら魔導隊。飛行隊が接近を試みてますが、風に吹き飛ばされて近づけません」
数少ない航空兵力も、ドラゴンの巨体が起こす乱気流に呑まれて、思うように飛べないようだ。1人、また1人と失速して落ちている。
「これがドラゴンの強さなのか?」
将軍は、いまだ目の前の光景を信じられないでいた。
50万もの大軍勢に対し、ドラゴンはわずか60体ほど。数の上では圧倒的に有利である。だが、戦闘開始からわずか10分足らずで、50万いた大軍勢のうち4割を失っていたのだ。それなのにドラゴンの側に被害はない。戦史に残るような大敗北である。
ところが、
「将軍。ドラゴンの攻撃が止まったようです」
参謀がドラゴンたちの動きが変わったことに気づいた。光の球による攻撃が止まり、ただ上空を旋回するだけになったからだ。
その理由は──
『魔力切れだ。これ以上、火焰は吐けぬ』
『わしもだ。さすがに今回は数が多すぎるぞ』
ドラゴンたちの魔力が切れ、光の球を生み出せなくなっていたからだ。
1体が放てる光の球は、1日に1発か2発。魔力のあるドラゴンでもせいぜい3発だ。その弾数では全滅させられないほど、今回の軍は大きな規模だった。
『仕方ない。次の攻撃に移るぞ。みなの者、一度山へ引き揚げるのだ!』
若頭の呼びかけに応じて、ドラゴンたちがいっせいにその場から離れていった。
「おおっ!! ドラゴンたちが帰っていくぞ!」
その様子を見ていた将軍が、これは好機が訪れたと察知する。ただちに技術参謀の用意した大型拡声器を使い、
「動ける者に告ぐ。よくぞドラゴンの攻撃に持ち堪えた。攻撃に疲れたドラゴンどもは、根城に戻った。疲れが取れるまで籠城すると思われる。だが、やつらに休む間を与えるな。今度はこちらが攻め込む番だ!」
と、全軍を鼓舞する演説を放った。
その言葉は電線を通じて離れた場所にいる部隊へも届いている。それで勇気づけられた西アルテース軍は、将軍が最後に放った「全軍、突撃せよ!」の言葉に鬨の声を上げ、ドラゴンたちの帰っていった山へ突撃を始めるのだった。
『どうしたのであるか?』
遅れて飛び立ったカームの前に、先に攻撃したドラゴンたちが戻ってきた。
『魔力切れである。今回の人間の数は多い。ゆえに次の攻撃に移るのだ』
互いに空中で止まり、若頭が見てきたことを伝えてきた。
『どれほどの規模であるか?』
『ざっと見たところ、30万から60万と思う。これまでの50倍と思うが良かろう』
『ふむ。それは大規模であるな』
若頭の答えに、カームが厳しい表情を浮かべる。
『どうにか代表者と、話し合いはできぬかのう?』
『それは難しいのではないか。今日も近づく前に仕掛けて来おったぞ』
『うむ。では、今度はわしが話し合いを申し入れてみよう。それがダメであれば、次の攻撃は致し方なしである』
そう方針を決めたカームが、後ろを振り返った。そこにいるのは、一緒に岩場からきた若いドラゴンたちだ。
『おぬしたちは若頭と行動を共にせよ。話し合いはわしが行う』
『お爺上。わらわもご一緒するぞ!』
フェレラがカームの同行者に立候補した。
『人間の真っただ中へ入るのだ。危険があるやもしれぬぞ』
『それは承知しておる。じゃが、お爺上を1人で行かせるのは心配じゃ』
孫娘の身を案じるカームに、フェレラも心配そうに答えてきた。
『良かろう。フェレラ、くれぐれも無茶をするでないぞ』
『わかっておる。気をつけるぞ』
そう言うと、カームとフェレラが地上へ降りていった。
『こちらは次の準備である。長老たちの交渉が失敗であれば、ただちに攻撃である』
残ったドラゴンたちは、若頭の指示で山へ引き返していく。
その下では突撃命令を受けた西アルテース軍が、隊列をなして山に迫っていた。
『お爺上。代表となる方は、どのあたりにおるのじゃろうか?』
『う〜む。とんと見当がつかぬのう。もっと後ろにおるのかのう?』
低めの高度を取りながら、カームとフェレラが軍の総司令官を探していた。
横に広がる最前列の陣形から少し後方の上を、右側から左へ向かって飛んでいる。下を進むのは最前列を進む重装歩兵の部隊ではなく、銃歩兵と弓兵の部隊だ。その銃歩兵と弓兵たちが、迫ってきたカームとフェレラを銃や弓で狙っている。だが、2体の飛ぶ高さは銃も弓も届かないギリギリの低さだ。しかも弾は2体の後方に飛んでいる。
『お爺上。あの方ではないのか? かなり大きな身体じゃ』
『フェレラよ。人間は歳を取ると小さくなるのだ。代表となる者は身体の大きさでは見つからぬぞ』
ドラゴンは人とは違い、一生の間身体が大きくなり続ける。フェレラはそのドラゴンの感覚で、体格の大きな者を探していたようだ。
『ひょっとして、あそこにおるのではないか?』
カームが地上に張り巡らされた無数の電線に気づいた。それが1か所に集まる場所がある。そこに当たりをつけたカームが向きを変え、速度を落としつつ舞い降りようとする。
「将軍。巨大なドラゴンが来ます!」
ドラゴンの来襲に、西アルテース軍の本陣がパニックに陥った。将軍たちを差し置いて、本陣のテントから情報参謀たちが逃げ出していく。
『この中に代表者はおるか? おったら対談を申し込むものである』
地上5mのところで浮遊するカームが、本陣に向かって話し合いを求めた。そのカームが近くに手近な荷馬車を見つけ、そこを足場に舞い降りようとする。
『おおっと、これはすまぬ!』
荷馬車はカームの重さに耐えられなかった。バギッと破壊音を響かせて潰されてしまったのだ。その馬車の車輪が、虚しく転がりながら本陣のテントに入っていく。直後、
「た〜す〜け〜て〜く〜れ〜!」
代表者である将軍が、恐怖で逃げ出してしまった。その後ろを「置いてかないで」とばかりに作戦参謀も逃げていく。無様な将軍たちである。
その逃げ出した相手が軍の代表者だったとは気づかないカームは、
『ここには代表者はおらぬのかのう?』
テントの屋根を持ち上げ、中を覗いていた。
本陣にはいくつもの折り畳み式の長テーブルが並べられ、そこに通話機が並んでいる。そして中央に置かれたテーブルには地図が広げられ、ここが間違いなく作戦本部であることを物語っていた。
『ふむ。これは困ったものであるな』
屋根を戻し、顔を上げたカームが周囲に目を配った。
本陣は見晴らしの良い小高い丘を陣取っていた。ここは草原全体を見渡せ、軍の行動を一望できる最適な場所だ。
その丘の上にいるカームを、何千、何万という数の兵たちが取り囲んでいた。丘の上にいることも手伝って、兵たちにはカームの姿が実際以上に大きく感じるのだろう。銃の弾どころか、弓矢すら届かないほど離れている者がほとんどだ。
だが、中には勇敢な者たちがいて、カームの至近距離まで近づいてきている。
『おぬし。代表の者と腹を割って話し合いたいのだ。どこにいるか教えてくれぬか』
カームが近づいてきた兵たちに声をかけた。だが、その兵たちはカームの言葉に耳を貸さず、弓を射り、槍を投じてきたのだ。
『これは堪らぬのう』
カームにとって、たまたま当たった角度が幸いしたのだろうか。弓と槍はドラゴンの厚くて堅い皮に弾かれた。それでも角度によっては危なかったと感じたカームは、すぐさま空へ戻っていく。
『お爺上。話し合いはどうじゃった?』
『どうやら無理そうである。客人には悪いが、火の粉がかかる前に対処せねばなるまい』
空で待っていたフェレラに、カームが困った顔で答えた。
『お爺上。みなが山から戻ってくるぞ』
フェレラが山から戻ってくる仲間たちを見つけた。ドラゴンたちは山の上から水平飛行してきている。そのため地上から1,200m以上の高さを飛んでいた。
『長老であるわしの責任で、これより反撃を命じる』
そう言うと、カームが大きく息を吸った。そして遠くまで響く重低音の声で、
『交渉決裂。各個殲滅せよ!!』
と叫んだ。
その声は人間の耳には聴こえない、超低周波の声だ。だが、それは人間にとって恐怖を感じる13Hz付近の音だった。
超低周波を浴びた兵たちは、身の毛もよだつ恐怖を味わっていた。思わずその場に座り込む者。居すくんで立ち止まってしまう者。武器を放り捨てて逃げ出す者。兵たちの間に様々な反応が見られる。これをドラゴンの気にやられたと感じる兵もいただろう。
その兵たちに向かって、戻ってきたドラゴンたちが急降下を始めた。
ドラゴンたちは大きな袋や、目の細かな網をぶら下げていた。それで運んでいるのは、岩や小石などだ。
『投石開始せよ!』
若頭の合図と共にドラゴンたちが翼を閉じて急降下を始めた。降下中、袋を持つ者は口を大きく開け、網を持つ者は紐をしっかり握っている。
先頭を行く若頭が、ふいに翼を広げて身体を起こした。その若頭の持つ袋から、無数の砂利が飛び出していく。他のドラゴンたちも次々に身体を起こしながら、袋や網で持ってきた岩や小石を次々に空中から放り出した。
放たれた岩や小石が空中で広がり、西アルテース軍に降り注いだ。
1,200mの高さから落とされた岩や小石は、空気の抵抗があるとはいえ時速にして500km近い速さで落ちてくる。それはまるで空から機銃掃射を浴びたようなものだ。しかも斜め上から降ってきたため、跳ね返った小石や砕け散った岩の破片が後方にいる部隊にも降り注いでいる。
その攻撃がどれほどの被害を与えたのか、それはすぐにはわからなかった。岩や小石の降り注いだ地上には土煙が広がり、戦果を確認できないからだ。
『ぬ、撃ち漏らしたか』
土煙の中から、長槍でハリネズミのような密集陣形で進む2つの重装歩兵の部隊が出てきた。先頭を進んでいたおかげで、岩が頭上を通ったために被害をまぬかれたようだ。
他にも空にいた魔導部隊の一部が被害を受けずに残っている。
その残った部隊の前に、若頭がゆっくりと舞い降りた。
『おぬしら。後ろを見てみよ。それでもまだ戦う気でおるのか?』
「ド、ドラゴンがしゃべった!?」
歩兵たちが最初に驚いたのは、ドラゴンが話しかけてきたことだった。だがすぐに、
「うわっ。なんだよ、あれ!?」
「まさか……、俺たち以外全滅したのか?」
周りに目を向けた者が、戦況を見て愕然としていた。
戦場を掩っていた土煙が晴れ、そこには凄惨な光景が広がっていたのだ。
西アルテース軍は、すでに壊滅していた。飛び散る破片の中、幸運に恵まれて生き延びた者もいる。しかし、そのような者はかぞえるほどしかいなかった。
たちまち戦意を失った者たちが武器を捨てて逃げ出した。山の側にドラゴンが降り立ったため、逃げるのは山とは反対の方向。来た道をそのまま逃げ帰るのである。
『毎度のことながら、あまり気持ちの良いものではないのう』
戦いが終わったと感じた若頭が、天を仰いで溜め息を吐く。ところが、
『お爺上。北から何かが来るぞ』
離れた場所に降り立ったフェレラが、北からこちらに向かってくるものを見つけた。
この草原の少し東側を街道が通っている。だが、その何かは街道を進むのではなく、草原の中を帝国旗と空色の旗をはためかせながら、こちらに向かって疾走してくるのだ。
『もう次の軍が来たのか?』
すっかり疑心暗鬼になっている若頭が、うんざりした顔でフェレラの指す方角を向く。
だが、やってきたのはわずか2台の馬車と4騎の騎兵だ。それを見たカームが、
『おやおや。これまでとは違う者たちであるな』
と、いつもとは異なる編成に何があるのだろうと首をかしげている。
さて、その迫ってくる編成というのは、
「戦いは、終わったみたいですよぉ」
「友人Aくん。危ないですから、馬車から身体を出すのはおやめなさい!」
2手に分かれた第5次調査隊のうち、運河から上陸した分隊だった。
馬車は路面の悪い草原を跳ねながら疾走している。その馬車の窓枠に摑まって、パセラが上半身を出していた。その横を白馬に乗って並走するクラウが、パセラが何かの弾みで落ちないようにと、片手を出していつでも受け止められる用意をしている。
「パセラ。あんた、よく立ってられるわね!」
馬車の中ではレジーナが、腕で頭をかばっていた。馬車が弾むたびに身体が浮かび、天井に頭をぶつけそうなのだ。
同じ馬車にはパセラとレジーナの他に2人の修道女が乗っている。
「神さま、変な死に方だけはイヤです……」
恐怖で変な祈りを捧げてるのは、青い正修道服を着た医療係の女性だ。その隣には幼い顔をした宮廷聖歌隊の見習い修道女が、クッションを頭に載せて身体を丸めている。
「ねえ、この先に集まってるのぉ、ドラゴンじゃないですかぁ?」
「ドラゴン。本当に?」
パセラの言葉に、レジーナが反対側の窓から顔を出した。
「うわぁ〜、本当に大きいわね。初めて見たわ……」
「ドラゴンがいるの!? お、終わったわ、わたしの人生……」
医療係の正修道女が涙目で放心した。そこにもう1台の馬車に乗るクリプトン卿が、
「ドラゴンたちの前まで進んで停めよ!」
と命じてきた。その言葉に、正修道女の頬がピクピクと引き攣っている。
やがてドラゴンに近づいたところで馬車は速度を落とし、軽くドラゴンたちに横を向けるような位置関係で停まった。
「さて、降りるぞ」
クリプトン卿が巨体を起こして、馬車から降りようとする。ところが先に降りてステップなどを準備するはずの執事と侍女は、今の恐怖に失神寸前の放心状態だった。
そんな執事と侍女に目配せしたクリプトン卿が、自分で巨体を揺すりながら、ゆっくりと長い筒を手に持って馬車から降りていく。
「これはすさまじい有り様ではないか」
馬車から降りたクリプトン卿は、最初にドラゴンたちの後ろに目を向けた。そこに広がっている光景は、凄惨な戦いの爪痕だ。
隣に停まった馬車からもパセラが降りて、戦いの惨状に顔をしかめている。
「クリプトンおじさま。降りて大丈夫なのですか?」
「メイベルくんの報告書によれば、ドラゴンはこちらが手を出さねば何もせぬそうだ」
レジーナの質問に、クリプトン卿がそう答えた。それでレジーナも、恐る恐るながらもパセラに続いて馬車から降りる。
そのレジーナに目を配っていたクリプトン卿が馭者に近づき、
「青色旗をこちらに」
と、馬車に掲げていた旗を求めた。そこに白馬に乗ったままクラウが近づき、
「クリプトン卿。僕が旗手を務めましょう」
と旗振り役を申し出る。
「では、任せよう。参るぞ」
馬から降りたクラウが、クリプトン卿の右後ろに立った。そのクラウを引き連れて、クリプトン卿がドラゴンたちの前まで進んでいく。
そしてドラゴンたちを見上げたクリプトン卿が、
「我は帝国より疫病調査を任された調査隊の代表兼全権大使である。疫病調査に先立ち、是非とも貴君らと会談の席を設けたい。この申し入れを願い入れてもらえないだろうか」
よく通る声で、話し合いを申し入れた。
『あの方、人間の代表者のようじゃ。でも、お爺上。先ほど、人間の代表は大きいとは限らぬと申しておったではないか。じゃが、あの方は……』
『うむ。なかなか大きいのう。横に……』
フェレラの言葉に、カームが苦笑いしながら前に出ようとする。その前に、
『話し合い!? 人間が我々と話し合いだと?』
と、若頭が胡散臭そうな顔でクリプトン卿に答えた。若頭は西アルテース軍との戦いがあったばかりのため、人間に良い感情を持っていないのだ。
「おお、本当に言葉がしゃべれるのか……」
驚いたクリプトン卿が、思わず半歩身を引いていた。報告書にはドラゴンは言葉を話して文字も使うとある。だが、それにはどこか半信半疑だったのだ。
『まあ、待つのだ。真意はともかく、ようやく人間が話し合いを求めてきたのだ。この機会をふいにするのは愚か者のすることである』
若頭を制したカームが、クリプトン卿の前へ歩み出てきた。そして、
『帝国の大使よ。わしが西の山の長老である』
と、代表者としてクリプトン卿と対面する。
『まず、話し合いの前に2点、問いたださねばならぬ。初めに、おぬしが全権大使というのであれば、その証を立ててもらおう。それと話し合いの前に大軍で攻めてくる行為は、はなはだ礼儀に失すると思うのであるが、この了見を説明願おう』
「全権大使の証は、この書状にある。ご覧いただこう」
そう言って、クリプトン卿が持ってきた筒のフタを開けた。そして、中から丸められた紙を出し、それを広げてカームに見せる。そこには全権大使を示す文が記され、教皇の印が捺されていた。だが、
『そのような文字を見せられても、わしらには読めぬ』
と言って、カームが証が立たないことを言った。
『では、この大軍の意味は何であるか?』
「それは……。すまぬが拙者は何も知らされておらん。ゆえに何も答えられない」
『ふむ。それでは話にならんのう』
回答に困るクリプトン卿を見て、カームが溜め息を吐いた。これでは話し合いができるわけがない。
『ところで後ろの者よ。先ほどから、おぬしの持つ青い旗が気になっておる。それは何のつもりであるか?』
「えっ!? この旗ですか?」
思いがけずカームに尋ねられたクラウが、面喰らった顔をする。
「青い旗は友好の証ですけど、ご存じありませんでした?」
『人間の約束事など知らぬ。わしらにとって青い旗は「中身がない」の意味である』
クラウの説明を、カームがバッサリと切り捨てた。
王国連合帝国周辺では青い旗は友好を示すものとして、外交の際には使節が掲げる決まりがある。だが、風習が違えば当然のように意味も変わるのだ。人間の持つ常識すべてがドラゴンに通用するとは限らない。この場合、話し合いに青い旗を掲げられたら、ドラゴンたちにとっては中身のない話し合いという意味になりそうだ。
『さて、どうしたものかのう?』
旗を丸めているクラウを見ながら、カームは対応に困った。真偽のほどはわからない。だが、話し合いを求める相手を、無下に追い返すわけにはいかない。そこにフェレラが、
『お爺上。メイベルを間に立てるのはいかがじゃ?』
と助言してくる。
「メイベルちゃん!? そのメイベルちゃんというのは、メイベル・ヴァイスですか?」
フェレラの言葉にクラウの耳がピクンと反応した。
『その通りである。おぬしらも知っているのであるか?』
「知ってるも何も、メイベルちゃんは僕の……」
「関係者です!」
カームの問いに答えようとしたクラウの言葉に、レジーナが言葉を重ねてきた。
『ふむ。顔見知りであれば立会人として申し分ない。確認のために名前を聞いておこう』
「あたしはレジーナ・テルルよ。それと、メイベルの大親友がここにいるわ」
「あ、パセラ・アヴィシスですぅ」
いきなり前に押し出されたパセラが、丸い目でカームを見上げながら名乗る。
「僕はロード・クラウ・アスピス・リ・フローレス・ド・アキロキャバス・ユー……」
『長い名前は憶えられぬ』
ついでに名乗ろうとしたクラウの言葉を、カームがあっさりとさえぎった。それで最後まで名前を言えなかったクラウが、その場でしゃがみ込んでイジケている。
『帝国の大使よ。おぬしはメイベルと面識はあるか?』
確認のために、カームがクリプトン卿にも尋ねた。
「もちろんある。彼女は宮廷料理人だ。宮廷で何度も会っている。まあ、我にとっては料理人の1人であり、あちらにとっては貴族の1人であろうが……」
『つまり互いに顔を知ってるだけ……であるか。おぬし、隠し事が苦手のようだのう』
クリプトン卿の答えに、カームが静かに目を閉じて口許を緩ませる。
『わしは西の山の長老、カーム・コップである。本当の名前は人間に聞き取れる音ではない。ゆえに人間風の名前を名乗ることを許されよ』
「我が名はバロン・メルクリオ・パライナ・ド・クリプトン・アイルアルテースだ。縮めてマーク・クリプトンと呼んでくれて構わない」
『では、マーク・クリプトンよ。ここで待っておるがよい。立会人としてメイベルを連れてくるとしよう』
互いに名乗り合ったのち、カームが翼を広げて飛び立っていった。そのカームと一緒に、フェレラも西にある山へ飛んでいく。
「あのぅ、クリプトンおじさま」
飛んでいくドラゴンを見送りながら、レジーナがクリプトン卿に声をかけてきた。
「こういう場合はメイベルではなくて、勇者の方が立会人になるのではありませんの?」
「おおっ!? 言われてみれば、救世の勇者を忘れていたのう」
レジーナの一言を聞いたクリプトン卿が、ぽんと手を打った。
「ところで、勇者は何という名前だったかのう?」
「えっ!? さあ……、あたしの記憶には……」
不憫な勇者であった。
「クリプトンさま。お茶を淹れましたぁ。どうぞ」
そこにパセラがお茶を運んできた。
「おお、これはすまぬのう」
お皿を持ち、クリプトン卿が立ったままカップを口に運ぶ。それを見たレジーナが、
「あたし、テーブルの用意をするわ」
と言って、クリプトン卿の乗っていた馬車へ駆けていった。
「ところで、これは馬車に積んでいたカップか? あれだけ馬車が暴れたのに、よく割れなかったものだのう」
紅茶を半分飲んだクリプトン卿が、そう言ってカップを見まわした。
「これは陶磁器ではなく樹脂製ですから、多少手荒に扱っても大丈夫なんですぅ」
「樹脂? 陶磁器ではないのか? 言われてみると、いつものカップとは違うのう……」
言われて初めて気づいたのか、クリプトン卿がカップの縁をお皿で叩いてみた。陶磁器のチンと鳴る甲高い音ではなく、カチッという鈍い音が返ってくる。
『人間はこんなものを飲んでいるのか』
『う〜む。これは不思議な味だのう』
クリプトン卿から離れた場所では、ドラゴンたちもお茶を飲んでいた。大きなドラゴンが左手にお皿を持ち、右手の指で器用に取っ手をつまんで口に運んでいる。その姿は、なんともひょうきんな感じだ。
「きみ。ドラゴンたちにもお茶を振る舞ったのかね?」
「ええ。興味津々に飲まれてますよぉ」
クリプトン卿の質問に、パセラがにっこりと微笑みながら答えた。
その笑顔を見たクリプトン卿が、
「これはまた、度胸のある見習い修道女がいたものだ」
と、パセラの肝の据わり具合に呆れている。そのパセラは、
「この黄色いお花、綺麗ですぅ」
近くに咲いている花を見つけて、すっかり見とれていた。
さて、その頃、山で待っているメイベルとナバルは、
「終わった……のかな?」
「う〜ん。だと思うが……」
まったく状況がわからず、不安な気持ちの中にいた。
メイベルの持ってきたオペラグラスは、今、ナバルが使っている。その代わりメイベルは小さなドラゴンの手に乗って、少しでも遠くを見渡そうとしている。
「第5次調査隊に、ヴァレーからの情報が伝わらなかったのかしら? 大砲を撃つ前に、まず話し合えって……」
「だろうなぁ。でなきゃ、闇雲に撃ったりしないだろ」
メイベルの言葉に、ナバルがオペラグラスを覗きながら答える。その時、
『あ、長老が帰ってくるだの』
小さなドラゴンが、戻ってくる2体のドラゴンを見つけた。
「パゲトンちゃん。どこ?」
『そこだの。こっちに向かってるだの』
小さなドラゴンが指を差して、場所を教えようとする。
示す先に小さな鳥のようなものが見えた。それが急速に大きくなり、メイベルたちの前に姿を現す。ふもとから戻ってきたカームとフェレラの姿だ。その2体が、
『メイベル。それとナバルよ。すまぬが、2人には立会人となってもらうぞ』
『下に大使と名乗る人間が来てるのじゃ。それでメイベルを間に立てたいのじゃ』
と言いながら、近くの岩場に降り立った。
「大使? それは……」
『マーク・クリプトンと名乗っておった。おぬしに心当たりはあるか?』
「クリプトン卿!? あの……お腹の大きな……」
メイベルが思わずお腹の周りで大きな円を描いた。それを見たカームが、
『ふむ、間違いない。たしかに大きかったぞ、横に』
と答えてくる。
「それでしたら、帝国議会の執政幹部です。それも終身の……」
『ほう。であれば、全権大使というのも間違いはなさそうであるな』
メイベルの言葉に、カームが納得できたようだ。
『それとパセラとレジーナという者が一緒におったが、心当たりはあるか?』
「パセラとレジーナも来てるの!?」
メイベルが小さなドラゴンの指につかまって、前に身を乗り出した。
そのメイベルを、小さなドラゴンが身体を前に倒して地面に下ろす。そして今度は、
『間違いなく顔見知りであるな。では、2人には立会人として同行願いたい』
と言って、カームが身体を前に倒して手に乗るように促してくる。
「わかったわ」
真剣な顔つきになったメイベルが、自分からカームの手に乗ろうとする。そこに、
「メイベル。荷物は持っていった方がいいぞ。あとでここに戻れる保証はないからな」
ナバルがそう言って、メイベルを呼び止めてきた。朝食の途中で事件が起こったため、荷物は何もまとめられてなかったのだ。
「毛布と雨具は俺が預かるから、急げよ」
「ありがと、ナバル」
ナバルがメイベルの毛布まで自分の荷物として背負った。そのナバルにお礼を言ったメイベルが、散らかっていた食器類を手早くまとめる。汚れ物は魔法でさっと洗い落とす手早さだ。
そして、すべての準備を終えると、
「お待たせ! さあ、行きましょう」
と言って戻ってきた。
先に準備を終えたナバルは、すでにカームの手に乗って空で待っている。
そして、メイベルはフェレラの手に乗って、ふもとへと降りていくのだった。
その2人を待つ草原では、
「天よ、哀れなる者たちに、安らかなる世界へ導く光を、どうか照らしたまえ♪
恐れもなく、苦しみもなく、悲しみもない世界へ、彼らを誘いたまえ♪
彼らの魂に祝福を与えたまえ♪ 慈悲と栄光を与えたまえ♪」
宮廷聖歌隊の少女が戦場跡に向かい、透き通った声で鎮魂歌を捧げていた。
その後ろではドラゴンたちが、
『綺麗な歌だのう』
『しかし、悲しい響きだ』
などと言いながら、少女の歌声に耳を傾けている。
戦場跡にはヴァレー教会の人たちが駆けつけてきていた。少女の歌を聴きながら、司教が戦死者たちを弔っている。修道会の人たちは、生存者探しと手当てに奔走していた。その救助活動に混じって手当てを指示してるのは、調査隊に同行する医療係の正修道女だ。
そしてクリプトン卿は、草むらに座って熱心に書類を読み返している。
そこに、
『みなの者、待たせたのう』
『2人を連れてきたぞ』
山から戻ったカームとフェレラが、そう言って馬車の近くに舞い降りてきた。その2体の手から、ナバルとメイベルが地面に降りる。
「メイベルぅ!」
「パセラ!! 2か月ぶりよね。ホントに来てたのね」
駆け寄ってくるパセラを待ちながら、メイベルがその場で荷物を下ろした。そのメイベルにパセラが涙を浮かべて抱きつき、再会を喜んでいる。そこに、
「おお、愛しの我が君、メイベルちゃぁ〜ん。遠く離れた地で再会できるなんて、これはソルティスの神がお膳立てさせたもうたもの。この出会いは、まさしく運命です!」
と言いながら、クラウが近づいてきた。そのクラウに顔を向けたメイベルが、半歩下がって口を半分開けている。それでもお構いなしに、
「このロード・クラウ・アスピス・リ・フローレス・ド・アキロキャバス・ユーベラス。この運命を神聖なものと受け止め、君に永遠の愛を……」
と愛を語り始めたクラウの後頭部に、
「メイベルが呆れてるだろ!」
「この色ボケ男、場所を考えなさい!! 不謹慎じゃないの!」
ナバルとレジーナのゲンコツが、見事なほど同時に炸裂した。
「メイベルよ。再会を喜ぶのはあとにしてもらうぞ」
そう言いながら近づいてきたのはクリプトン卿だった。メイベルにこれから始まる話し合いの立ち合いを求めたのだ。続いてカームも、
『さて、何から話すのが良いかのう?』
と考えながら、クリプトン卿と向き合うように立つ。
「それならば、こちらから切り出しても構わぬか?」
『よかろう』
そう言うとカームは話をしっかり聴こうと、身体を前に倒してきた。そのカームに身体を向けたまま、クリプトン卿がその場で両膝を突いた。
「ここにメイベルが帝都へ送った報告書がある。メイベルが旅の間に調べ上げた、人間とドラゴンに関する歴史の報告書だ」
クリプトン卿が持っていた書類をカームに見せ、そのように切り出してくる。
「この報告書を読みながら、我は考えてみた。人間には誤解から相手を恐れ、対話の道を鎖す悪いクセがある。有りもしない被害妄想を抱き、それによる無意味な戦争を数知れず繰り返してきた。これは否定できない歴史上の事実だ。人間同士でも対話が難しいのであるから、種族の違うドラゴンが相手であれば、なおのこと対話が遠退いてしまう。これは人間の持つ悪い業ではないかと思う。
ところが、メイベルの報告書によれば、ドラゴンはいつまでも対話の窓口を開けて待っていてくれたとあるではないか。となれば一方的な誤解からドラゴンを恐れ、対話の道があることに気づかず、意味もなく迷惑をかけたのは我々人間の方である。
このことを帝国から全権を任されている者として、ドラゴンたちに人間を代表して、これまでの非礼を詫びたい。まことに申し訳なく思う」
そう言うと、クリプトン卿がカームに向かって深々と頭を下げた。
『ふむ。では、これでようやく話し合いができるのであるな』
「もちろん、人間の側にも話し合いの窓口を作る。それによって互いの誤解を解き、共存できることが望ましい。それを実現することこそ、為政者の責務だと感じている」
カームの確認に、クリプトン卿が頭を戻して答えた。
「しかし、恥ずかしいお願いをせねばならん。人間は約束を交わしても、守ることのできない者がいる。決まり事があっても、それを故意に無視する者がいる。
先ほど貴君らと戦った者たちがそうだ。あれは帝国の軍ではない。生存者の証言から、西アルテースという国が独自の判断で送り込んできた軍のようである。
帝国はソルティス教の名の下に集まっておるが、80以上ある王国はそれぞれ自治権を持っておる。それゆえ、時に帝国の決定とは異なる行動をすることがある。今回の場合、帝国は5回目の調査隊を派遣するにあたり、これまでのように軍隊を伴った調査隊ではなく、軍の代わりに全権大使たる我が同行することになった。であるが、軍隊を伴わないことに不安を持つ者がいたのは事実だ。それゆえの独断専行であったと思う」
『ふむ……』
クリプトン卿の話を、カームはどう解釈するべきか迷っていた。
『話し合いはする。だが、約束しても保証できない。そう申しておるのか?』
カームの言葉にしなかった疑問を、若頭が口に出した。その疑問にクリプトン卿が、
「そう受け取られてしまうと、返す言葉がないのう……」
と零しながら、答えに窮している。
『まあ、待つのだ。ここは……』
カームが若頭の前に出て、話し合いに戻そうとする。ところが、
「あ〜っ、パセラ!! その花に触っちゃダメ!」
突然、対談をさえぎるように、メイベルが大きな声を出した。その理由は、
「え!? どうしたのですかぁ?」
草原に咲いている花を摘み集めているパセラだった。
「この花、綺麗ですよぉ」
パセラが集めていたのは、黄色いシャーマだった。それを両手いっぱいに摘み、抱えるように持っていたのだ。
「バカ! この花は危険なのよ。捨てなさい!」
慌ててパセラへ駆け寄ったメイベルが、シャーマを奪い取って風下へ放り捨てた。それを見たカームが話し合いをやめ、
『む、そう言えば、メイベルよ。黄色いシャーマの話が途中であったな』
と言いながらメイベルに歩み寄っていく。
『黄色いシャーマが突然変異とか、花粉毒を吐くようなことを言っておったが……』
「古文書によれば、ある条件さえそろえば、どこでも発生する突然変異だそうです。そして花粉が広い範囲に病気をばらまくと書かれています。その病気が花粉症によるものか、それとも花粉に含まれる毒によるものかまでは書かれてませんけど」
メイベルが説明しながら、荷物を置いてある場所まで戻ってきた。そして荷物の中から古文書を引き出してパラパラと広げる。
「それで黄色い花を咲かせる条件ですが、古文書には硝酸塩が原因と書かれています。少し汚い話ですけど、昔は肥だめの周りでよく見られたため、糞尿で黄色く染まった毒草という俗説があったそうです。そこからこの古文書を書いた研究者は、土壌に含まれる硝石の濃度を調べました。そして、その濃度が突然変異の原因と確認したようです。まあ、突然変異は硝石に限らず、硝酸塩であればどれでも原因になるようですけど……」
そう話したメイベルが顔を上げ、目を草原に向ける。
「ところでカームさん。この草原で、わたしたち人間の軍と何回戦いましたか?」
『戦った回数であるか? 今日を入れて5回である』
「でしょうね。たぶん、この草原に黄色いシャーマが咲いているのは、その時に撒き散らされた火薬が原因ではないかと思います。黒色火薬は硝石が主成分ですから」
『ふむ。硝石とか硝酸塩とかいうものが原因であるか。しかしのう……』
カームはメイベルの話を理解できないでいた。硝酸塩がどのようなものか、まったく知らないからだ。それを説明するはずのメイベルの方は、
「あ、でも硝酸塩が原因としたら、農地の周りでも発生してていいような……」
どうやら別のことが気がかりになって、説明がお留守になっていた。
『メイベルよ。なぜ農地を気にするのであるか?』
「硝酸塩は火薬の原料になりますけど、どちらかというと肥料として使われる方が多いんですよ」
カームの疑問に、メイベルが草原の先に見える農地を見ながら答えた。
『肥料……であるか?』
「ちょっと考えすぎね。黄色いシャーマを発生させるには、バカみたいなほど大量の肥料を撒かないといけないもの。そこまでする人は……」
『しておる……』
メイベルの言葉に、カームが震える声を重ねてきた。
『メイベルよ。シャーマに大量の肥料を与えたら、黄色くなるのであるか?』
「えっ!? それは、なるんじゃないかしら?」
いきなり振られた質問に、メイベルが面喰らった顔で答える。
『あたり一面に黄色いシャーマが咲いたら、どんなことになるであろうか?』
「それは、大量の花粉が風に乗って広が……。まさか……」
答えかけたメイベルが、顔を山に向けた。
空は青く澄み渡っていた。その下に白っぽい岩肌を見せる山が連なっている。
その連なる山の間に、やや黄色みがかった霞のようなものが見える。
『メイベルよ。わしの手に乗れ。急ぐぞ!』
「わかったわ」
魔法の杖と古文書を持ったメイベルが、カームの手に飛び乗った。そして、
『大使の者よ。緊急事態ゆえ、わしは今すぐ山に戻る。話の続きは、山の上で行おう。ヴァレーの町からなら、人間の足で3時間もあれば上に着く。待っておるぞ!』
と言い残すと、カームはメイベルを連れて山へ飛び立っていった。
「え? なにが……」
事態を呑み込めなかったクリプトン卿が、飛び去ったドラゴンを見送っている。
その後ろでは、
『おまえは俺が運んでやる』
「すまない!」
剣を手にしたナバルが、自分を手に乗せたドラゴンにお礼を言った。
そして、その場にいたドラゴンたちはいっせいに山へと帰っていく。
「待ってると言われても……。あの山に登るのか? この足で……」
クリプトン卿が困った顔で山を見上げた。そのクリプトン卿の背中を押すレジーナが、
「クリプトンおじさま。運動する良い機会ですわ。さあ、あたしたちも急ぎましょう」
と言いながら馬車へ向かう。山の入り口までは馬車を使うつもりなのだ。
そのあとをナバルとメイベルの荷物を拾ってきたパセラが、それらを重そうに抱えながらついてきている。
「いったい何が起きてるのですか?」
この様子をクリプトン卿以上に困惑した面持ちで見ている者がいた。ドラゴン教アサッシニオ派を率いるブルーノだ。
ブルーノは草原まで来たものの、そこにはドラゴンたちが集まっていたため畏れ多くて近づけなかった。それで離れた場所にある草むらに隠れていたために、会話が耳に届いてなかったのだ。しかも、
「大ドラゴンさまが小娘を連れて聖地に戻られたということは……」
神であるドラゴンが異教の修道女を連れて聖地である山へ戻っていったのだ。目の前で繰り広げられる状況が信じられず、心の中は激しく動転している。
「アサッシニオさま。どうしますか?」
「ここは天罰を覚悟してでも、追って確かめるべきでしょう」
第6隊長の質問に、ブルーノが表情をゆがめて決断した。その顔は真剣な表情で、山の一点を凝視している。
その横を、背後から来た白馬が駆け抜けていった。その馬に乗る者が、
「メイベルちゃ〜ん。待ってくださぁ〜い!」
と、大きな声で呼びかけている。更に、
「こらぁ〜、クラウ! 隊長が職務放棄してどうすんのよ!?」
窓から顔を出して文句を言うレジーナを乗せた馬車も通りすぎていった。
「アサッシニオさま。今のは……?」
「行きますよ。後れを取るんじゃありません」
出後れたブルーノが、慌ててヴァレーの町の方へ駆け出していった。
ブルーノの後ろを20人もの集団が追いかけていく。
そして草原には、今も鎮魂歌を捧げる少女や、死者を弔う司教、生存者の救出を続ける正修道女とヴァレー教会の人たち、それと今も気を失ったままの執事と侍女を乗せた馬車が残されることとなった。
「うわぁ〜……。何よ、これは……」
カームの手に乗って山へ向かったメイベルは、空から高原を見下ろしていた。
高原には一面に白と黄色の花が咲き乱れている。白い場所と黄色い場所が、複雑に入り雑じった奇妙な図形を描いていた。しかも、高原の背後には大きな海が広がっている。
そんな幻想的な風景を、メイベルは空から見ているのだ。
「カームさん。ここはいったい?」
『わしらのシャーマ畑である。シャーマはわしらの大事な食料の1つであるからのう』
一面のシャーマ畑を横切りながら、カームがそう説明する。
「ここで、いつからシャーマを?」
『栽培を始めたのは、5年前からである。それまでは高原に自生するシャーマだけで十分であった。だが、群れが大きくなったゆえ、ここで裁培を始めたのだ』
「それで、黄色いシャーマはいつから?」
『昨年からである。1年目の収穫は良かった。だが、2年目、3年目と育ちが悪くなったのだ。それで昨年から肥料を使うことにしたのである』
「えっと……、どうツッコんで良いか……」
メイベルの頭の中で、すべての理由が1つになった。
昨年からといえば、ちょうどふもとのヴァレーの町でデスペランらしき病気の報告があった頃だ。ここで生まれた黄色いシャーマの花粉が、風に乗って遠くまで運ばれていく。それによって生まれた症状がデスペランと似ていたため騒ぎになったのだ。
病気が放射状に広がったのも、風に乗っていたためだ。これが運河や街道に沿って感染が広がるデスペランと違うところである。
メイベルたちが喰い止めるべき病気は、初めからデスペランではなかったのだ。
「カームさん。肥料の加減を知らなくて、たくさん使えば良いなんて思ってませんでしたか?」
『うむ。そんなこともあったかのう……』
メイベルから視線をそらして、カームが体格の割に小さな手の指であごを掻いている。
「それから、連作障害ってご存じですか?」
『れんさ……。なんであるか?』
カームが困った顔でメイベルに尋ねてくる。その反応に、メイベルは「やっぱり」と思った。
「まだ詳しい理屈はわかってませんけど、毎年1つの場所で同じ作物を作り続けると、育ちが悪くなるんです。それを連作障害といいます。なので、1つの作物を育てたら翌年は別の作物を育てて、そのまた翌年は畑を休ませて、大地が作物を育てる力を取り戻すようにするんです。これが水耕栽培なら、連作障害はないんですけど……」
『う〜むむむ。そのような知恵があったとは……』
カームが畑の上を旋回しながら、自分たちの無知を唸った。
「でも、この知恵は、ドラゴンから学んだはずですけど」
『元はそうかもしれぬ。だが、わしらは2度の死に神咳で多くの仲間を失い、古くから受け継がれた知恵が途絶えておるからのう。これからはわしらが学ぶ番かもしれぬ』
そう言うと、カームは高原を見渡せる場所に降り立った。そこは高原の東側。振り返れば眼下にヴァレーの町や、先ほどまでいた草原が見える場所である。
『さて、これからどうするか……』
「黄色いシャーマを焼き払いましょう。そうすれば肥料に使った硝酸塩も一緒に焼けるんじゃないかしら」
カームの手から降りたメイベルが魔法の杖を構えた。そして、
「灼熱の炎よ!」
と唱えて、手近にある黄色いシャーマに火を放った。
『長老。これはいったい……?』
遅れて戻ってきたドラゴンが、カームに何が始まったのかを尋ねる。
『わしらも黄色いシャーマを一掃する。みなの者、手分けして焼き払うのだ』
『え? 焼き払えと言われても……』
カームの指示に、ドラゴンたちが戸惑った。
『我々は先ほどの戦いで魔力を使い切り、まだ炎すら吐けませんが……』
『とゆーか、無理して炎出したら、体力切れで倒れちゃうし……』
『う〜む。それもそうであるな』
ドラゴンたちの言葉に、今度はカームが困った。
「メイベル。黄色い花を焼くことだけを考えればいいんだな?」
「そうよ。ガンバってね」
ナバルが火のついた草を持って、別の場所へ火を広げている。それを見たカームが、
『わしらも地道に手伝おうではないか』
と言って翼を広げた。カームは翼で風を起こし、火を広げると同時に空気を送ることを始めたのだ。
やがて他のドラゴンたちもカームを真似て、炎に風を送り始めた。
それから1時間と少しあと、炎は高原の2割にまで広がっていた。
2割とはいえ、高原の広さを考えると炎は呑まれそうなほど大きい。
そんな炎の燃え盛る高原に、白馬に乗ったままクラウが登ってきた。
「これはいったい……」
到着したクラウが巨大な炎に照らされた。白い馬が炎に染まって真っ赤に見える。
その馬は炎に怯えていた。このままでは危ないと察知したクラウが、馬から降りて炎の見えない場所へと連れていく。
「メイベルちゃん。これはいったい……?」
再び高原に戻ったクラウが、メイベルを見つけて駆けていった。
「ああ、ちょうど良かったわ。クラウさんも黄色い花を焼くの手伝ってよ」
「手伝ってって……。何があったのですか?」
「病気の原因よ。この黄色い花が病気の原因だったの。炎よ!」
まだ燃え広がってない場所に火を放ちながら、メイベルが事情を説明する。
「病気の原因って、この黄色い花が……ですか?」
メイベルの説明が、クラウにはすぐに理解できなかった。目の前にある黄色い花は、これまでに見たこともないほど綺麗で大きな花を咲かせている。それが病気の原因と言われても、花には鵜呑みにできないほどの魅力があった。
だが、メイベルは炎の魔法でその草花を焼いている。ドラゴンの中にも炎を吐いて草花を焼き払っている者がいたのだ。それを見たクラウが、
「よくわかりませんけど、やることはわかりました。灼熱の炎よ!」
と言って、伸ばした手の先に大きな炎を生み出す。そして、それを放とうとした時、
「何をしてるのですか、あなたは!?」
と叫んで、クラウを制してきた者がいた。
「ここはドラゴンさまの聖地です。そこに火を放つなど、なんと畏れ多いことを……」
止めようとしたのはブルーノだった。飛行術を使って、クラウを追いかけてきたのだろう。彼の後ろには山を駆け上がってきた第6隊長他数名が、大汗をかいたまま突っ伏している。
「メイベルちゃん。あれ、誰です?」
生み出した炎を引っ込めたクラウが、メイベルに小声で尋ねた。それにメイベルが、
「わたしたちを追いかけてきたテロリストでしょ。炎よ!」
チラッとブルーノを一瞥して、野焼きを続けていく。
「小娘! やめろと言ってるのです」
ブルーノが腰にある剣に手をかけ、抜き放とうとする。だが、そこでブルーノの動きが止まった。ブルーノたちにとってはここが聖地であるため、無闇に剣を抜くことをためらったのだ。
そんなブルーノの前を、
『ガオ〜だの。燃やすだの』
小さいドラゴンが楽しそうに炎を吐きながら通り過ぎていった。そのドラゴンの通った草地が、炎を上げて燃えている。それを見たブルーノの頬がひくついた。続いて、
『おや、メイベル。お疲れか? 少し休んだ方が良いぞ』
口から火を吐くフェレラが、メイベルに親しそうに話しかけてくる。
「大丈夫よ、フェレラ。まだまだ燃やせるわ」
『そうか。では、お互いガンバるのじゃ』
そう言って、フェレラも黄色い花を燃やしながら、ブルーノの前を通り過ぎていった。
「今のはいったい……」
ブルーノの信仰に、ピシッと亀裂が入った。
神のはずのドラゴンが、自分たちドラゴン教徒ではなく異教の修道女と親しげに話をした。それはブルーノにとって、宗教的な敗北感というか、屈辱というか。信仰が揺らぐほどの大きなショックだった。しかも、
『おお、シャーマが美味しく焼けてるだの』
『茎のところがよく焼けてるのじゃ。まことに美味じゃ』
「土の中で蒸らされて、球根がうまい具合に焼けてるわ。クラウさんも食べてみる?」
「これは不思議な食感ですね。味もクセになりそうですよ」
仲良く掘った草を食べている。その事実は否定しようにも否定できない事実だ。
ブルーノはあまりにも強烈な精神ショックを受けてしまい、その場に座り込んでいた。
その後ろにいるドラゴン教徒たちも、信じられない光景に茫然としていた。
さて、その頃、山を登っているクリプトン卿の方はどうなってるかというと、
「レ、レジーナちゃん。もうダメだ……」
緩やかな山道から岩場に入り、よろよろした足取りで坂を登っているところだった。
「おじさま。さっき休んだばかりですわ。ですから常日ごろ、ダイエットしてくださいと言ってましたのに」
「拙者は呼吸するだけで肥る体質なのだ」
「ならば、息を止めてください」
クリプトン卿が弱音を吐くたびに、腕を引くレジーナが小言を浴びせてくる。レジーナは泣き言を許してくれないのだ。
「ふぅ〜、これは堪らん」
「あああ〜、後ろに下がらないでくださぁ〜い」
一緒に山を登るパセラは、必死にクリプトン卿の背中を押していた。そのパセラはクリプトン卿が立ち止まるたびに、押し潰されそうな不安に襲われている。
そんなクリプトン卿が高原に到着したのは、太陽が真南を通りすぎたよりもあと。山登りを始めてから4時間半も経ったあとだった。
「うわぁ〜。山火事ですぅ」
疲れ果てたクリプトン卿を草むらに転がして、パセラが高原を覆う炎に目を向けた。
この頃にはもう高原は、すべてが焼き払われていた。ドラゴンたちの体力が戻って炎を吐けるようになったため、一気に作業が進んだのである。
まだ燃えているのは一部にすぎない。8割方の高原はすでに鎮火し、燃え残った白い花と燃えて炭化した場所が白黒模様を作っている。
「パセラ。あんた……、よくピンピンして……いられるわね……」
レジーナはクリプトン卿の横で突っ伏していた。
クリプトン卿に至っては空を見上げたまま、息も絶え絶えで声も出ないようだ。
それなのに一緒に登ってきた中でただ1人だけ立っているパセラに、レジーナは意味もなく怒りを感じていた。
そこにドラゴンたちが大きな器を持ってやって来た。その器がクリプトン卿の近くに置かれる。そしてその器の周りに、先に来ていたメイベル、ナバル、クラウらが座る。
「ん……。この匂いは……?」
ドラゴンの持ってきたものの匂いに誘われて、クリプトン卿が身体を起こした。
「クリプトンさま。お昼になるものを用意しました。どうぞお召し上がりください」
「メイベル。これは芋料理か?」
「いえ、これはこの高原で採れるシャーマという作物の、球根を蒸し焼きにしたものです」
そう答えたメイベルが、皮をむいた球根をクリプトン卿に渡した。
「この湯気の具合が食欲をそそるのう。匂いも、うむ、これはなかなか香り高い……」
クリプトン卿がまず目と鼻でシャーマを味わった。そして大きな口で頬張ると、
「おおっ、これはまたシャキッとしたあととろける、なんと不思議な食感だ。味も淡泊ながらほんのり甘味と塩味があって……。これは……うぐっ、なんというか……」
いきなりガツガツと食べ始めた。さっそく病みつきになったようだ。
「クリプトンおじさま。肥りますわよ!」
「拙者は気にせん!」
「気にしてください」
食べすぎを心配するレジーナと、クリプトン卿が不毛な言い合いをする。そこに、
「こちらはシャーマの果肉の部分です。甘酸っぱいので、デザートに最適ですよ」
とメイベルが解説すると、すぐさまクリプトン卿が手を伸ばし、
「おお、これもまた美味しいではないか。いかん、涙が出てきたぞ」
あまりの美味しさに涙を流して感動した。
「クリプトンおじさまったら……」
レジーナがクリプトン卿の食欲に呆れ果て、額に手を当てて天を仰いでる。そこに、
『大使の者よ。この山で採れたシャーマは味わっていただけたかのう?』
と言って、カームが声をかけてきた。
「うむ。堪能した。これは素晴らしいご馳走だ」
クリプトン卿が上機嫌な声で、出された食べ物を賛美する。
『満足いただけたなら、それは結構なことである。だが、ここで言わねばならん。今出した食べ物が、おぬしら人間に迷惑をかけたのだ。わしらは満足な裁培の知恵を持たなかった。そのため、間違って毒のある花を咲かせてしまった。まことにすまなかった』
「ん!? どういうことだ?」
突然の告白に、クリプトン卿が話の意味を理解できないでいた。そこでメイベルが、
「今回のデスペランと思われた流行病の原因は、今、クリプトンさまが召し上がっているシャーマが原因でした。カームさんたちが裁培のやり方を間違えたために、この高原一面に毒の花が咲いてしまったんです。その毒が風に乗って広い範囲に撒き散らされたのが、今回の騒動のすべてです」
と説明し直した。
「毒の花だと? これには……」
「ご安心ください。お出ししたものには毒はありません。シャーマは育て方さえ間違えなければ、とても美味しい作物です」
「なるほど。そうなのか……」
手に握っていたシャーマの果肉に目を落として、クリプトン卿が何かを考えている。
「メイベル。その毒の花は、今、どうなっておるのだ?」
「それでしたら、あちらをご覧ください。すべて焼き払ってます。たぶん、もう今回のような大発生はないと思います」
「そうか。それはデスペランの調査を終えたという解釈で良いのか?」
「はい。毒の花がなくなりましたので、もう病気が広がることはありません」
クリプトン卿の確認に、メイベルが落ち着いた口調で断言する。
「それで、メイベルたちにはもう1つの使命があるだろう。テロ事件はどうする?」
「あ、それももう解決できたと思います」
そう答えたメイベルが、離れた場所に目を向けた。そこでは今もブルーノたちが、茫然とした顔で座り込んでいたのだ。
「わたしたち人間と、カームさんたちドラゴンが仲良くなれば、あの人たちは何もできません。ドラゴン教徒にとってドラゴンは神さまですから、ドラゴンと友好関係のある相手を攻撃できないはずですよね?」
「おお、言われてみればその通りだ」
メイベルの考えを聞いたクリプトン卿が、納得したとばかりに膝を強く叩いた。
「しかし、友好を結ぶには、まずは話し合いだ。少なくとも伝説では1,000年近く前に交流を絶ったのであるから、まずは互いを知ることから始めねばならん」
肩に力を込めて語ったクリプトン卿が、顔を上げてカームの顔を見た。
「ドラゴンの長老よ。たしかカーム・コップさんだったな。今回の訪問の目的は疫病調査であるため、話し合う準備は何も整っておらん。準備といえるのは、メイベルの用意した報告書ぐらいだ。そこで我は一度帝都に戻り、改めて正式な友好使節として伺いたいと思うが、いかがだろうか?」
『うむ。それも良かろう』
クリプトン卿の提案を、カームが即座に受け容れた。
『わしらの間には1,000年もの断絶があったのだ、その長さに比べれば、待つなど造作ないこと。急いては事を仕損じるのだ。じっくりと納得いくまで話し合おうではないか』
「では、必ず戻ってくる。その時は土産を忘れぬようにせねばならんな」
『うむ。待っておるぞ』
立ち上がったクリプトン卿が、カームの指をつかむ恰好で握手を交わした。
今回は正式な友好関係を結ばないが、それでも話し合いの約束は結んだ。十分な成果である。そして、そのあとは再びシャーマを囲んで、他愛ない談笑が始まるのだった。
「じゃあ、元気でね〜!」
すべての問題が解決し、メイベルたちはふもとの町に戻ってきた。今いるのはヴァレー教会の前。ドラゴンたちに運ばれて、一気に山から下りてきた。
ただしクラウだけは乗ってきた馬がドラゴンに怯えたため、1人だけ別行動である。
その運んでくれたドラゴンたちは今、手を振りながら山へ帰っていくところだ。そのドラゴンたちに、メイベルが大きく両手を振って見送っている。
「おい、小娘」
そのメイベルに、ブルーノが声をかけてきた。ブルーノたちドラゴン教徒も、メイベルたちと一緒に運ばれてきたのだ。そのため畏れ多さのあまり、腰を抜かしている者もいる。
「何? まだわたしたちを追いまわす気なの?」
手を下ろしたメイベルが、振り返ってブルーノに聞き返した。その隣ではナバルが、ブルーノの不測の行動を警戒している。だがブルーノは、
「もう、そんなことをしませんよ。それこそ我々の信仰に反します」
と、不愉快そうな顔で何もしないと言ってきた。
「それにしても神がもっとも気に入った相手が異教の修道女とは、癪に障りますね。物事をくじで決めるソルティス教は好きになれませんから」
「あら、それは気が合うわね。わたしもソルティス教は大嫌いよ。修道女なんてやってるけど、くじでムリヤリさせられてるだけだもの」
ブルーノの憎まれ口に、メイベルが軽口で答えた。
「まあ、今回の功績を盾にして、修道院からおさらばしたいわね。それで学者か料理人になるの。できれば博物学者になって、世界中を旅したいわ」
「学者か料理人って……。はは……。あはははは……」
メイベルの言葉に、ブルーノが大笑いを始めた。
「くっくっくっ。あなたを小娘と呼んで悪かったですね。あなたは大物ですよ。宗教を超えた聖女たる器の持ち主です」
額に手を当てて可笑しそうに笑いながら、ブルーノがそんなことを言ってきた。そして、ひとしきり笑うと、
「もう、我々がここにいる理由はありませんね。これにて潔く消えますよ。それでは」
ブルーノは背中を向けると、手を振りながら教会前の坂を下りていった。こちらも間違いなく一件落着である。
「ふぅ〜。いろいろあったけど、これで救世の旅は終わったわね」
メイベルが大きく伸びをしながら、顔を隣にいるナバルに向ける。そこに、
「救世の旅ねぇ。こら、勇者くん。あんた、この旅でどんな活躍をしたのかなぁ?」
と零したレジーナが、いきなりナバルを肘で小突いてきた。そして前かがみの姿勢でナバルを睨みながら、
「あんたが勇者のはずなのに、問題を解決したのはみんなメイベルじゃないの。これって、どーいうことなの?」
と訊いてきたのだ。横に立つパセラが「それはメイベルだからですよぉ」と言ってるが、レジーナはその意見を無視している。
「まあまあ、レジーナ。ナバルはちゃんとくじで選ばれた勇者よ。私は従者として、問題が解決できるようにやってきたの。それだけじゃないの」
メイベルがナバルの腕に抱きついて弁護を始めた。
「くじで決められた勇者と言ってもねぇ……」
身体を起こしたレジーナが、大げさに肩をすくめて嘆息する。
「メイベル。あんたは修道会の一員だから、従者のくじだけで勇者のくじを引いてないでしょ。それは勇者くん、あんたも同じ。あんたは勇者のくじだけで、従者のくじを引いてないものね。だから神さまは仕方なく、2人に逆の当たりくじを引かせたんだと思うわ。本当の勇者はメイベルで、勇者くんは護衛の従者だったのよ」
「レジーナ。それは曲解しすぎよ」
メイベルがレジーナの考えを否定しようとする。ところが、
「ああ、なるほど。俺はメイベルの護衛だったのか」
ナバルの方は妙に納得しているようだ。
「言われてみれば、それらしいことしかやってなかった気がするなぁ」
「ちょっとぉ。ナバルも少しは否定しなさいよ……」
ナバルの言葉に、メイベルが呆れた声でツッコミを入れる。そこにパセラが、
「2人とも勇者ではいけないのでしょうか?」
という意見を持ち出してきた。だが、その考えには誰も耳を貸してなかった。




