理想と現実
「そうか……そんな事態に……」
急いで現場にやって来た親方に事の子細を話すと、一瞬沈鬱な表情を浮かべたが、それはほんの一瞬で、取り乱す様子はない。内心はどうか分からないが、オレと違ってそれを表情に出すことはしなかった。
「早く……早く助けに行きましょうよ!」
オレは強い口調で直訴した。誘拐されたらどんな目に遭うか、彼女の置かれた境遇を想像するだけでも恐ろしい。早く助け出さなければ……はやる気持ちを抑えられなくなっていた。
「ちょっと落ち着け、オレもそうしたいのは山々だ」
「しかしまだ誰がやったかも分からないのに探せないだろう」
たしかによくよく考えたらそうである。混乱して周りが見えていないオレとは対照的に、親方は殊の外、冷静だった。
「今はベルガの帰りを待つしかないな……」
「くそっ!」
何もできないもどかしさから路端の石ころを蹴り飛ばす。そして街へと続く道の先をにらみつける。
(ベルガ、早く戻って来い……!)
そう思った矢先、向こうの方から地響きが聞こえてくる。馬の蹄音だ。やがてその音は大きくなり、四、五人の親衛隊員が近づいてきた。そしてオレの目は捉えた。先頭を走る男、親衛隊長のベルガだ。ベルガが帰って来たのだ。
だがその姿は見るも無残なものだった。真っ白の制服も血にまみれており、所々裂けている。他の者を見ても同様だ。加えてかなり消耗しており、敗走してきたのは明らかだった。
精鋭部隊である親衛隊がここまでボロボロにされるとはにわかに信じがたかった。しかし現実はそこにある。そしてそれを目の当たりにしたオレは急に怖くなった。王女をさらった敵は武術に秀でた彼らを敗残兵にしてしまうのだ、その強さは計り知れない。
「ヴァフォードだ……」
ベルガの第一声はその言葉だった。
「ヴァフォード? ヴァフォードってあの……」
南ファランク王国の支配者であるヴァフォードの名前が出てきて、一同固まる。
「ヴァフォードの正規軍にやられたっ……!」
失意に満ちたその口調から無念さがひしひしと伝わる。
「そしてやつらは国境を越えて北上している」
「おい、それってどういう……?」
「話は後だ、道を空けてくれ! 王子にこのことを伝えねば……」
そう叫ぶと、馬を促し、王宮までの坂道を駆け上がっていった。
「親方……」
「お前たち、帰るぞ」
短く言い放つと、王宮に向かって歩き出した。道に斃れた男と共に、オレたちも後に続く。その道すがら、少し冷静さを取り戻したオレは思い至る。
王女誘拐に続いて、敵国の国境侵犯という異常事態の連発に最早言葉は出ない。しかし現在の状況を改めて字面に直すと、ある種の既視感すら感じられた。それはなぜか、異世界で英雄になるお誂え向きの展開、王道展開だからだ。つまりオレがここに来る前、思い描き、夢にまで見た試練だからだ。
オレはこれから軍の指揮官となり、敵を打ち破り、王国を救う――異世界で英雄になるためにはそれを成し遂げなければいけない。
だが残念なことに、この世界のオレはただの使用人、軍の駒にはなれても、指揮官になることは不可能だ。だから「転生モノ」にありがちなご都合主義はここで捨て去ろうと決めた。
そしてこれからは地べたに這う虫のように、足掻いて、もがいて、苦悩して、自分の生きる道を切り開いていこうと心に誓った。




