■第3話 「昼休み、修羅場。――“他人”のはずなのに、妻が怒ってます」
――完全にやばい。
「……なんでこうなるんだよ」
屋上から戻る途中、俺は頭を抱えていた。
さっきの西宮七瀬の言葉が、頭から離れない。
『これから、少し一緒にいない?』
――いや意味が分からない。
なんで俺なんだよ。
「はあ……」
教室の扉の前で一度深呼吸。
そして、覚悟を決めて中に入る。
⸻
ガラッ。
「……」
空気が、変わった。
ざわつきが、一瞬止まる。
視線が、集まる。
原因は分かっている。
俺の後ろに――
「戻ってきたね」
西宮七瀬がいるからだ。
「うわ、マジかよ」
「なんで神谷なんだよ……」
男子たちのざわめき。
女子たちの視線も痛い。
「ねえ神谷くん」
「……なんだよ」
「お昼、一緒に食べよ?」
――教室が凍る。
「は?」
「いいでしょ?」
笑顔。
逃げ場なし。
「……別にいいけど」
断れる空気じゃない。
「やった」
七瀬は自然に俺の席の前の椅子に座る。
距離が近い。
「ねえ、あーんとかする?」
「しない」
「即答なんだ」
くすっと笑う七瀬。
――やめろ、目立つ。
⸻
その時。
「伊織」
低い声。
「……蒼葵」
水瀬蒼葵が立っていた。
「なにそれ」
「なにって……」
「なんで七瀬と一緒にいるの?」
「別に普通だろ」
「普通じゃない」
即答。
空気がピリつく。
「私、聞いてないんだけど」
「聞く必要ないだろ」
「あるよ」
一歩、距離を詰める蒼葵。
「幼馴染なんだから」
「……それ関係あるか?」
「ある」
視線がぶつかる。
完全に火花。
⸻
そして。
もう一つの視線。
窓際。
「……」
白瀬舞衣。
本を読んでいる。
――ように見える。
でも。
ページは、やっぱりめくられていない。
明らかに、聞いている。
⸻
「ねえ」
七瀬が口を開く。
「水瀬さん、だっけ?」
「……そうだけど」
「ごめんね、今は神谷くんと話してるの」
柔らかい笑顔。
でも、言葉ははっきりしている。
「だから、少し待ってもらえる?」
「は?」
蒼葵の眉がぴくっと動く。
「なんであんたに言われなきゃいけないの?」
「だって――」
七瀬は、さらっと言った。
「私、今この人に興味あるから」
――爆弾投下。
「はあ!?」
「ちょ、七瀬!?」
教室が一気に騒然となる。
「マジで!?」
「神谷やばくね!?」
男子の悲鳴。
女子のざわめき。
⸻
「ふざけないで」
蒼葵の声が低くなる。
「伊織は――」
一瞬、言葉に詰まる。
けれど、
「私のだから」
はっきり言った。
「……は?」
今度は七瀬が反応する。
「それ、どういう意味?」
「そのままの意味」
蒼葵は一歩前へ出る。
「昔から一緒にいるの。あんたよりずっと」
「でも今は違うでしょ?」
七瀬も引かない。
「神谷くんはフリーだよね?」
「……っ」
蒼葵が黙る。
――事実だ。
表向きは。
「なら、問題ないよね?」
七瀬が微笑む。
完全に攻めの姿勢。
⸻
――やばい。
完全に修羅場だ。
「おい、ちょっと待てって」
止めに入ろうとした、その時。
「……やめて」
静かな声。
教室が、一瞬で静まる。
全員の視線が向く。
そこにいたのは――
白瀬舞衣。
ゆっくりと立ち上がる。
その表情は、いつもと同じ無表情。
なのに。
空気が、違う。
「授業始まるから」
それだけ。
ただ、それだけなのに。
圧が違う。
「……」
蒼葵も、七瀬も、一瞬だけ言葉を失う。
そして、
「……そうだね」
七瀬が先に引いた。
「続きはまた今度でいいよ」
にこっと笑う。
「神谷くん」
「……なんだ」
「また話そ?」
耳元で小さく囁いて、席に戻っていく。
⸻
「……」
蒼葵はしばらく黙っていたが、
「伊織、後で話あるから」
それだけ言って、自分の席へ戻る。
⸻
そして。
残ったのは――
「……」
白瀬舞衣。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
視線が、合う。
その目は――
明らかに、不機嫌だった。
⸻
放課後。
「伊織くん」
帰ろうとしたところで、声をかけられる。
振り向くと、舞衣。
「……なんだよ」
「一緒に帰るよ」
「は?」
「夫婦でしょ?」
「いや学校では――」
「誰も見てない」
手首を掴まれる。
「ちょっ……」
そのまま歩き出す。
校門を出て、少し人通りの少ない道へ。
そこでようやく止まる。
「……怒ってる?」
なんとなく聞く。
舞衣は少し黙って、
「別に」
そう言った。
けど。
「じゃあなんで手掴んでるんだよ」
「……」
答えない。
その代わり。
少しだけ、握る力が強くなる。
「……ねえ」
「なんだ」
「さっきの子たちと」
少しだけ視線を逸らして、
「仲良いの?」
「いや別に」
「そう」
短い返事。
そして。
「……嫌」
「え?」
小さく呟く。
「伊織くんが、ああいう子たちと仲良くするの」
「……は?」
思考が止まる。
「だって」
舞衣は、ほんの少しだけ頬を赤くして、
「夫婦なんだから」
そう言った。
⸻
――初めて見た。
この人の、“感情”。
⸻
俺の秘密の新婚生活は、
想像以上に――
めんどくさくて、
そして、少しだけ甘かった。
⸻
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