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第17話:沈没都市と、猫の水遊び(潜水)

 迷宮都市アルカディアに、潮騒の香りが混じり始めた。

 『まどろみ亭』の三階。クロは、以前市場のガラクタの山から拾い上げた「虹色に輝く古い貝殻」を前足で弄びながら、じっと窓の外を見つめていた。その金色の瞳には、遥か南に広がる蒼い海と、その底に沈む未知の煌めきが映っているようだった。

「クルル……。ウニュ……」

 クロが貝殻をフィオーレの方へ転がし、窓の外を指し示す。

 フィオーレは、修理中の魔導時計の手を止め、クロの意図を汲み取った。

「海……ね? クロちゃん。あの貝殻の仲間を探しに行きたいの?」

「……うにゃ!」

 クロは短く鳴き、フィオーレの肩に飛び乗った。

 隣でウォーハンマーの手入れをしていたレオンが、呆れたように肩をすくめる。

「海か。……おい、クロ。お前、猫のくせに水は大丈夫なのか? 普通の猫は顔にかかるだけでも嫌がるもんだが」

 クロはレオンの言葉を無視し、不遜な態度で尻尾をパタパタと振った。

 彼にとって、水への恐怖よりも「未発見のコレクション(お宝)」への執着が勝るのは当然のことだ。クロは影の中に手を突っ込むと、いくつかの「奇妙な装備」を床に放り出した。

 それは、現代世界の英知が生んだ『フルフェイス型のダイビングマスク』と、黄色い塗装が施された『小型酸素ボンベ(レギュレーター付き)』。そして、水中でも鮮明な視界を約束する『LED水中ライト』だった。


「なんじゃ、その奇怪な仮面は。……それにこの、革とも布ともつかぬ柔らかな素材シリコン……見たこともない弾力じゃな」

 ガラムがマスクを手に取り、感心したように髭を震わせる。

 リリアーネも、透明な樹脂ポリカーボネートのレンズを指でなぞった。

「ガラスじゃないわね。……でも、驚くほど透き通っているわ。水の中でも、これならエルフの目と同じくらいはっきり見えるかもしれない」

 フィオーレは、クロの持ち込んだ現代の道具を『魔手』で宙に浮かせた。

 彼女の精密な魔法が、現代の工業製品と異世界の魔導技術を融合させていく。

「『精密結合』、そして『圧力中和プレッシャー・ヌル』。……レオンさん、このボンベに私の魔力を込めた『呼吸用の空気』を圧縮して詰め込みます。これで水深数百メートルでも、地上と同じように過ごせるはずです」

「……お前の魔法があれば、潜水艦もいらんな」

 レオンは、フィオーレによって浸水防止の魔力コーティングを施された自身の漆黒の盾を背負い、覚悟を決めた。

 最強の技術者によって「完全防水仕様」へと作り替えられた一行は、ガラムとリリアーネに店番を任せ、南の海岸線へと馬車を走らせた。


 到着したのは、伝説の『人魚の都』が沈んでいると言われる、切り立った断崖の真下。

 荒れ狂う波を前にしても、クロは動じなかった。

 フィオーレが展開した『魔力球マナ・バブル』の中に収まったクロは、最新鋭の水中ライトを首から下げ、準備万端といった様子だ。

「行きましょう。……『潜水開始』」

 三人が海中へと飛び込む。

 激しい飛沫。だが、フィオーレの魔法が水圧を完全に遮断し、現代のマスクが視界を鮮明に保つ。

 水深が深まるにつれ、太陽の光は届かなくなり、周囲は深い蒼に包まれていった。そこでクロが首のライトを点灯させる。

 ――ピカァッ!

 漆黒の海溝を切り裂く、強烈な白色光。

 照らし出されたのは、色とりどりの巨大な珊瑚に彩られた、白亜の沈没都市。

 崩れ落ちた神殿の跡には、宝石を散りばめたような小魚が群れ、海底には数世紀前の沈没船から溢れ出した金貨や陶器が砂に埋もれていた。

「ウニュ……!」

 クロはバブルの中から身を乗り出し、興奮を隠せない様子で前足を動かした。

 彼が見つめていたのは、神殿の中央、巨大な貝の彫像の口の中に収まった――猫の頭ほどもある大きさの『月光真珠』。

 それは海水の魔力を数百年吸い込み続け、自ら発光する伝説の秘宝だった。


 だが、その秘宝に手が届こうとした瞬間。

 神殿の背後にある暗い海溝から、巨大な「山」が動いた。

 現れたのは、この海域の絶対的な支配者――『古代海龍リヴァイアサン』。

 全身を硬質な蒼鱗に覆い、その一振りで大波を起こす魔獣。

 海龍は、静寂の都を侵す不届きな「光」を排除せんと、水中で轟くような咆哮を上げた。

 ――ズゥゥゥゥン!!

 凄まじい衝撃波が水を通じて一行を襲う。

 レオンが即座に前に出た。漆黒の盾を構え、海龍の巨躯から繰り出される尾の一撃を受け止める。

「――っ! 水中ではハンマーが振りにくいが……この盾さえあれば、押し負けはせん!」

 盾の表面で水流が渦を巻き、海龍の力を受け流す。

 海龍はさらに、その巨大な口を開き、超高圧の『水弾ハイドロ・カノン』を放った。

「シャーーーッ!!」

 バブルの中から、クロが鋭い威嚇音を上げた。

 水中であるにもかかわらず、その魔圧は周囲の海水を物理的に弾き飛ばす。

 クロにとって、この「でかいトカゲ」が自分の『水族館候補地』で暴れることは、耐え難い不快事だった。

「クロちゃん、怒ってるわ。……レオンさん、そのまま固定していてください! 私が『収穫』します!」

 フィオーレが両手を広げる。

 彼女の指先から、数千本に細分化された『魔手』が放たれた。

「『流体制御・全方位固定』。……そして、『非接触解体』」

 海龍が放った水弾は、フィオーレが作り出した無数の「魔力の壁」に絡め取られ、空中で静止した巨大な水の塊と化した。

 フィオーレは海龍そのものを攻撃するのではない。その周囲の「水の流れ」を完全に停止させ、魔獣を巨大な水の檻の中に閉じ込めたのだ。

「……信じられん。リヴァイアサンを、ただの氷像みたいに固めちまうなんてな」

 レオンが呆れたように呟く。

 その間に、クロは悠々と『月光真珠』をストレージへと吸い込んだ。

 さらに、周囲に落ちていた「綺麗な小石」や「難破船の舵輪」までもちゃっかりと回収していく。


 数時間後。

 『まどろみ亭』の一階には、かつてないほど巨大な「魔導水槽」が設置されていた。

 フィオーレが古代の遺物を改造して作り上げたその水槽の中には、聖水で満たされた透明な空間が広がり、そこには今日持ち帰った月光真珠と、不思議な光を放つ珊瑚たちが、幻想的な庭園を作り出していた。

「クルル……♪」

 クロは水槽の前の特等席に座り、満足げに喉を鳴らした。

 彼が望んでいたのは、ただの真珠ではない。自分の店に相応しい、世界で最も美しい「アクアリウム」だった。

「……お菓子、食べる?」

 リリアーネが、海の青をイメージした新作のゼリー菓子を運んでくる。

 クロはそれを一口食べ、月光真珠の輝きを眺めながら、次の獲物を思い浮かべうっとりと目を細めた。

 そんな王の気まぐれを察したのか、レオンは盾を磨きながら溜息をつき、フィオーレは楽しそうに次の探索ルートを考え始めた。

 猫の探訪記。

 彼のコレクションには、今日、蒼い海の神秘が加わった。

 

 地上でののどかな旅は、海さえもそのおもちゃ箱の中に変えていくのである。

「うにゃう」

 満足げな声が、静かな店内に響いた。

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