第15話:迷宮都市の隠れ家と、王の城(お買い物)
迷宮都市アルカディアでの生活も数週間が経ち、一行が身を寄せる高級宿屋の一室は、もはや限界を迎えつつあった。
原因は明白、黒猫――クロの病的なまでの収集癖である。
クロが市場や地下道で「目利き」したガラクタ……いや、秘宝の数々は、クロ自身の無限に近いストレージに収められているとはいえ、その一部をフィオーレが『分解』し、ガラムが『鍛造』し、リリアーネが『試作』するために、常に部屋の床を埋め尽くしていた。
「……レオンさん、また足の踏み場が。これじゃクロちゃんの毛繕いスペースがなくなっちゃうわ」
フィオーレが『魔手』で宙に浮かせたアダマンタイトの破片を避けながら苦笑する。
レオンは、漆黒の盾を壁に立てかけ、窮屈そうにウォーハンマーの手入れをしていた。
「ああ、ドワーフの親父とエルフの嬢ちゃんまで加わったんだ。さすがに宿の一室じゃ無理があるな」
「……うにゃ?」
クロがフィオーレの肩の上で、同意するように短く鳴いた。
クロは窓の外、街の喧騒から少し離れた「北区の古い職人街」を前足で指し示した。
そこは、かつて腕利きの錬金術師たちが軒を連ねていた、静かで堅牢な石造りの建物が並ぶエリアだ。
クロは影の中から「古びた黄金の鍵」を一つ取り出し、フィオーレの膝に転がした。それは箱庭の最下層で拾った、あらゆる扉を開くと言われる『万能の合鍵』だった。
クロが案内したのは、職人街の突き当たりに建つ、三階建ての古びた石造りの洋館だった。
数十年も主がいないのか、門は蔦に覆われ、壁には不気味なひび割れが走っている。近隣からは「幽霊屋敷」と忌避され、売りに出されても買い手がつかない物件だった。
「……ここか。建物自体の骨組みはしっかりしておるが、内装は酷いもんじゃな。湿気とカビの臭いが鼻をつくわい」
同行したガラムが、白髭を揺らしながら建物を見上げる。
リリアーネも、尖った耳を不快そうに伏せた。
「エルフの嗅覚には拷問ね。……でも、この奥の地下室……あそこにはいい『魔力の脈』が通っているわ。工房には最適ね」
クロは、フィオーレの鞄から飛び降りると、躊躇なく屋敷の扉へと歩み寄った。
彼にとって、この屋敷の「古さ」や「汚れ」は、これから自分のおもちゃ箱を整理するための「最高の白地図」に見えていた。
「クルル……。ウニュ……♪」
満足げに喉を鳴らすクロ。
ギルドを通じて交渉した結果、驚くほど安値(といっても、普通なら一生遊んで暮らせる額だが、アダマンタイトの一欠片にも満たない)で、この屋敷は一行の所有物となった。
翌日から、アルカディアの住民たちは目撃することになる。
「幽霊屋敷」から、目も眩むような魔力の光と、不気味なほど爽やかな「石鹸の匂い」が溢れ出しているのを。
屋敷の内部は凄惨だった。埃は数センチの厚さで積もり、壁には魔力を糧とする『影の粘菌』がびっしりと張り付いていた。
クロは、その不潔さに**「シャーーーッ!」**と一喝し、毛を逆立てて威嚇した。彼にとって、自分の新居が汚れていることは、コレクションの価値を損なう重大な不備だった。
クロは影の中から、見たこともない形状の「ボトル」と「電動器具」を取り出し、フィオーレに託した。
それは現代世界の英知が生んだ『超強力アルカリ電解水スプレー』と、高速回転する『充電式スクラバー(電動ブラシ)』だった。
「わかったわ、クロちゃん。……『魔手』――八重並列起動」
フィオーレは、クロから分け与えられた膨大な魔力を解放した。
彼女の背後から、八本の不可視の腕が伸び、それぞれがスプレーと電動ブラシを掴む。
「『精密分解・汚れのみ抽出』、そして……『空間一斉清掃』」
フィオーレが指先を振った瞬間、屋敷内が暴風のような魔力に包まれた。
八本の『魔手』が、人間の目には追えない速度で壁、床、天井を磨き上げる。電解水が粘菌を分子レベルで分解し、高速回転するブラシが数十年分の汚れを瞬時に掻き取っていく。
数分と経たず、玄関ホールは鏡のように輝き始めた。
ガラムは、磨き上げられた石材の継ぎ目を見て唸った。
「……嬢ちゃん、その『魔法の棒(電動ブラシ)』の振動……鍛冶の研磨にも使えそうじゃな」
リリアーネも、清潔になった厨房を検品し、満足そうに頷く。
「これなら、バニラの香りが埃に邪魔されることはないわね」
一週間後。
アルカディアの北区に、奇妙な看板が掲げられた。
黒猫が丸くなって寝ている彫刻が施された、精緻な木製の看板。
一階は、リリアーネの作る絶品のお菓子と、クロがストレージから出す「異世界の茶葉」を楽しめるティーサロン。
二階は、ガラムの鍛造品と、フィオーレが鑑定・分解した迷宮の遺物を展示するギャラリー。
そして三階は、一行の居住スペースとなっていた。
「……ウニュウ……♪」
クロは、三階の最も日当たりの良い窓辺に、特注のアダマンタイト製の爪研ぎ台と、シルクのクッションを配置し、満足げに丸くなった。
彼にとって、この店は「住処」であると同時に、世界中から集めるコレクションを整理するための「展示場」なのだ。
「レオンさん、お店の方はどう?」
フィオーレが、エプロン姿で一階から上がってきた。
レオンは、漆黒の盾を看板娘ならぬ「看板騎士」として入り口に置き、不審者が来ないか睨みを利かせていた。
「ああ、行列ができてるぞ。リリアーネのお菓子も凄いが……何より、お前が『修理』した古道具を目当てに、ギルドの高官たちが血眼になってる」
「ふふ、困っちゃうわね。クロちゃんは、売りたくないものの方が多いみたいだけど」
クロは、フィオーレの声を聞きながら、うっすらと目を開けた。
その足元には、昨日ガラムが作ったばかりの「最高級の猫用食器(アダマンタイト製)」が置かれている。中には、フィオーレが淹れたての聖水が満たされていた。
最強の技術者と、最強の騎士。そして伝説の職人たち。
それらを従えた一匹の黒猫の、わがままな「店舗経営(コレクション公開)」が、こうして幕を開けた。
「クルル……」
幸せそうな鼻鳴らしと共に、クロは深い眠りに落ちる。




