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エピローグ 結婚後も、ラブコメしか勝たんわ

 それから何年も経って、星宮莉乃は星宮莉乃ではなくなった。


 もちろん、芸能界での名前はそのままだ。アイドルとしての活動は少しずつ形を変え、声優としても多くの作品に出演するようになり、雨宮雪乃役は今でも彼女の代表作の一つとして語られている。けれど、役所へ婚姻届を出したあの日から、莉乃は戸籍上、俺と同じ高原莉乃になった。


 結婚式は、派手すぎない小さなものだった。


 清華と篠崎は当然のように参列し、清華は泣きながら俺をからかい、篠崎は眠そうな顔のまま「長かったね」と呟いた。莉乃は純白のドレス姿で、式の間ずっと俺の手を握っていた。誓いの言葉を交わす瞬間、彼女は昔と同じように小指を二度触れさせてきた。


 大丈夫。


 近くにいる。


 好き。


 高校時代、誰にも見えない場所で交わしていた小さな合図は、結婚指輪をはめた今でも、俺たちの間に残り続けている。


 結婚後の生活は、想像していたほどドラマチックではない。


 莉乃は朝が早い仕事の日には、眠そうに髪を結びながらキッチンへ立つ俺の背中に抱きついてくる。俺は味噌汁を焦がさないよう気をつけながら、「危ないから離れろ」と言う。莉乃は「夫婦だからいいでしょ」と返し、俺は高校時代と同じように「その言葉を万能にするな」と呆れる。


 休日の夜には、二人でソファに並び、『学園ラブコメに青春はいらない!!』のアニメを見返すことがある。


 画面の中では、若い頃の莉乃の声で雪乃が真冬へ語りかけている。俺は何度見ても、第一話の教室の場面で胸が熱くなる。莉乃は隣で俺の反応を確認し、少しでも目元が潤んでいると、勝ち誇ったように笑う。


「清太、また泣きそう」


「泣いてない」


「雪乃、好き?」


「好きだよ」


「私とどっちが?」


「まだ聞くのかよ」


「一生聞くよ」


「莉乃のほうが好きに決まってるだろ」


 そう答えると、莉乃は満足そうに俺の肩へ頭を預ける。


 結婚しても、彼女の激重感情は健在だった。仕事で数日家を空けるときは、出発前に何度も抱きしめてくるし、帰宅した日は玄関で靴を脱ぐより早く腕の中へ飛び込んでくる。昔ならその重さに戸惑っていた俺も、今ではそれを莉乃らしさとして受け止めている。


 もちろん、すべてが甘いだけではない。


 忙しさのすれ違いで口論になる日もある。俺が仕事へ集中しすぎて連絡を返し忘れ、莉乃が不安になって拗ねることもある。莉乃が大きな仕事を抱え込みすぎて、俺に弱音を吐けなくなる夜もある。


 けれど、俺たちはもう勝手に離れようとはしない。


 言葉にする。


 手を伸ばす。


 小指へ二度触れる。


 それだけで、何度でも同じ場所へ戻ってこられる。


 ある冬の夜、収録を終えて帰ってきた莉乃は、リビングのソファに座る俺の隣へ倒れ込むように腰を下ろした。テレビでは、たまたま再放送されていた『青春いらない!!』の最終話が流れている。真冬と雪乃が夕暮れの教室で向き合い、青春を拒んでいた少年が、ようやく自分の本音を告げる場面だった。


「懐かしいね」


 莉乃が呟く。


「この作品がなかったら、俺たちどうなってたんだろうな」


「清太はまだ青春いらないって言ってたかも」


「さすがに大人になったら言ってないだろ」


「どうかな。清太、放っておいたらずっと逃げるタイプだったし」


「否定できないのが悔しい」


 莉乃は笑いながら、俺の手を取った。


 指輪が触れ合う。


「でも、逃げなかった」


「莉乃が追いかけてきたからな」


「勝手に幼馴染のふりまでして?」


「最初は怖かったよ」


「今は?」


「今は、莉乃がそこまでしてくれてよかったと思ってる」


 莉乃は静かに目を細めた。


 高校時代の俺たちは、不器用だった。莉乃は好きという感情を抱えきれず、幼馴染のふりをして俺の隣へ入り込んだ。俺は青春を恐れ、誰かと関わるくらいなら一人でいたほうが楽だと思い込んでいた。


 そんな二人が、今は同じ家で暮らし、同じ食卓を囲み、同じ布団で眠り、日々の些細なことで笑ったり喧嘩したりしている。


 物語なら、告白や結婚で幕を閉じるのかもしれない。


 けれど現実のラブコメは、その先も続いていく。


「清太」


「なに?」


「私、清太と結婚できて幸せだよ」


 その言葉は、静かで、まっすぐだった。


 俺は莉乃の手を握り返す。


「俺も、莉乃と結婚できて幸せだよ」


「じゃあ、今日も言って」


「何を?」


「決まってるでしょ」


 莉乃が昔と変わらない期待の目で見上げてくる。


 俺は少しだけ笑い、彼女の額へ口づけた。


「莉乃が好きだ」


「私も、清太が好き」


 画面の中で、雪乃が真冬へ微笑んでいる。


 現実の莉乃は俺の肩へ寄りかかり、指輪のはまった手で俺の小指へ二度触れた。


 青春なんていらない。


 かつてそう言っていた俺は、今なら胸を張って言える。


 青春は、たしかに必要だった。


 莉乃と出会い、恋をして、結ばれて、夫婦になり、それでもまだ続きを望める今があるから。


 俺たちの物語は、これからも続いていく。


 ページをめくるたび、何度でも思う。


 やっぱり、ラブコメしか勝たんわ。

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