俺の役割
星宮と途中まで帰ることになった俺は、有名アイドルを隣に置いたまま、できるだけ人通りの少ない道を選んで歩いていた。
駅前の大通りは避ける。商店街も避ける。学校帰りの生徒が集まりそうなコンビニの前も避ける。結果として、住宅街の細い道を縫うように進むことになった。
俺一人なら気にする必要のないルートだ。
けれど、隣にいるのは星宮莉乃である。
少しでも人目につけば、「あれ、星宮じゃない?」から始まり、最悪の場合、俺の存在までセットで拡散される。そうなれば俺の平穏な高校生活は、いよいよ完全に終わる。
星宮は、そんな俺の警戒を知ってか知らずか、どこか安心したような顔で歩いていた。
さっきまで昇降口で泣いていたとは思えないほど、表情は落ち着いている。けれど、目元にはまだ少しだけ赤みが残っていた。夕方の光がそれを薄く照らすたび、俺の胸の奥に罪悪感が戻ってくる。
八つ当たりした。
その事実は消えない。
星宮は俺の隣を歩いている。
近すぎず、遠すぎず。触れてはいないのに、少し手を伸ばせば袖に届く距離。たぶん彼女なりに我慢しているのだろう。いつものように腕を掴んだり、袖をつまんだりはしてこない。
それが逆に、妙に落ち着かなかった。
昼休みのことを思い出す。
倉庫の隙間で、星宮と『青春いらない』の話をした。最初は警戒していた。どうせまた幼馴染だの、隣にいたいだの、そういう重たい方向へ話が転がるのだと思っていた。
実際、転がった。
かなり転がった。
それでも、作品の話をしている時間だけは、驚くほど気楽だった。
外用の仮面をつけなくてよかった。
相手のテンションに合わせて笑う必要もなかった。好きなキャラの話をして、好きな場面の話をして、解釈違いに少しだけ熱くなって。そういう会話が、思っていたより心地よかった。
仮面をつけるのは簡単だ。
本音を隠し、相手の空気に合わせる。波風を立てないように、笑う場所で笑い、黙る場所で黙る。それだけなら、俺にもできる。
ただ、疲れる。
自分ではない自分を演じ続けるのは、想像以上に体力を使う。
星宮なら、その疲れを抑える方法を知っているのかもしれない。
彼女は演者だ。
星宮莉乃として笑い、求められる姿を見せることに慣れている。なら、仮面を被りながら壊れない方法も知っているのではないか。
そんなことを聞きかけて、俺は言葉を飲み込んだ。
聞いてどうする。
そんなことを言われても、星宮を困らせるだけだ。変に踏み込めば、また彼女を傷つけるかもしれない。俺は自分の問題を、人に預けるのが下手すぎる。
「ねえ、清太」
先に口を開いたのは星宮だった。
「どうしたんですか?」
「私ね、清太といれて楽しい」
「……それはありがとうございます。お世辞でも嬉しいです」
俺は視線を逸らして答えた。
まともに受け止めるには、言葉が近すぎた。
だが星宮は歩みを止めた。
俺も少し遅れて足を止める。振り向くと、彼女はわざわざ俺の視線の先へ回り込んできた。逃がさない、という意思を感じる動きだった。
「お世辞じゃないよ」
星宮はまっすぐ俺を見た。
「私は本当に、清太の隣にいると安心できるの」
その声は、さっきの涙の続きを引きずっているようで、けれど不思議と強かった。
星宮が一歩近づく。
近い。
春の夕方の空気に、彼女の髪の匂いが混ざる。俺は反射的に少し下がりかけたが、彼女の目元にまだ残る赤みに気づいて、足を止めた。
「清太は、私のことを星宮莉乃として見ないでくれるから」
「それは……」
「それに、好きなものの話をしてるとき、ちゃんと楽しそうにしてくれる」
星宮は少しだけ笑った。
「私、あの顔好き」
心臓が変な跳ね方をした。
この人は本当に、言葉の距離感がおかしい。
「そういうの、あまり言わないほうがいいですよ。誤解されます」
「誤解じゃないなら?」
「なおさら困ります」
星宮はくすりと笑った。
笑えるくらいには、彼女の気持ちは持ち直しているらしい。俺は少しだけ安心して、また歩き出した。
そこからは、当たり障りのない話をした。
最近見ているアニメ。『青春いらない』の最新刊。カードゲームの話。星宮はカードゲームについてはほとんど知らなかったが、興味深そうに聞いていた。
「デッキって、自分で組むんだよね?」
「そうです。強いカードを入れればいいってわけでもなくて、役割とか噛み合いとか考えます」
「役割」
「妨害するカード、展開するカード、相手の動きを返すカード。物語のキャラみたいなものです。目立つカードだけじゃ成立しないんですよ」
「清太は?」
「え?」
「清太は、自分をカードにしたらどんな役割?」
俺は答えに詰まった。
何気ない質問のはずなのに、妙に刺さる。
俺の役割。
そんなもの、考えたこともなかった。
「……場に出ずに手札で腐るカードですかね」
「そんなカード、私が使う」
「弱いですよ」
「私が強く使うからいい」
星宮は当然のように言った。
少しだけ、胸の奥が詰まった。
冗談なのか、本気なのかわからない。でも星宮は、俺が自分を雑に扱う言葉を吐くと、必ずそれを拾おうとする。面倒くさいくらいに。
やがて、俺たちは分かれ道に着いた。
ここから先は、俺の家の方向と星宮の向かう方向が違う。
「じゃあ、俺はこっちだから」
俺が足を止め、道の先を指す。
星宮も立ち止まった。
彼女の表情から、さっきまでの柔らかさが少しだけ引いていく。笑顔は残っているのに、目元だけが置いていかれたような顔だった。
別れを惜しむ、というには少し重い。
まるでここで俺が角を曲がったら、もう戻ってこないとでも思っているような顔。
俺はその表情を見て、言葉を探した。
だが、先に星宮が口を開いた。
「清太」
「はい」
「LINE交換しようよ」
「へ?」
「いいじゃん。減るものじゃないし」
星宮はそう言って、ポケットからスマホを取り出した。
俺は一瞬だけ固まる。
LINE。
俺の連絡先には、数少ない友達と家族、それから企業の公式アカウントくらいしかない。そこに星宮莉乃の名前が追加される。客観的に見れば、ラブコメならかなり熱いイベントだ。美少女との連絡先交換。物語のテンプレであり、主人公が後から布団の中で悶えるやつである。
だが、現実では慎重になる。
相手は有名アイドルだ。
迂闊に繋がっていいのかという不安がある。けれど、昇降口で泣かせた後にここで拒否するのは、さすがに人としてどうなのかという気持ちもある。
俺は迷った末に、LINEアプリを開いた。
「……わかりました」
友だち追加用のQRコードを表示する。
星宮はそれを読み取った。
すぐに通知が出る。
星宮莉乃。
アイコンは空の写真だった。
芸能人らしい自撮りではない。淡い夕焼けと、細い月。少し意外だった。
「追加したよ」
「はい」
直後、俺のスマホが震えた。
『よろしくね、清太』
目の前にいるのに。
わざわざ送ってくる意味がわからない。
顔を上げると、星宮は少しだけ得意げに笑っていた。
「最初のメッセージ、残したかったから」
「残す?」
「うん。清太との一番最初のLINE」
さらっと重い。
俺が返事に困っていると、星宮はスマホを胸元に抱えるように持った。
「暇なとき、何かメッセージ欲しいな。私も送るから」
「俺、あまりLINEとかしないですよ」
「うん。でも、それでも清太からのメッセージが欲しい」
星宮は目線を合わせて言った。
逃げられない言い方だった。
強制ではない。けれど、断ればまた彼女の目元が沈むのだろうとわかってしまう。俺はもう、その変化に気づくようになっていた。
「……できるだけ頑張ります」
「うん」
星宮は楽しそうに笑った。
その笑顔には、さっきの涙の影がまだ少し残っている気がした。だから俺は、それ以上強く言えなかった。
「じゃあ、また明日」
「はい。また明日」
星宮は数歩歩いたところで、一度だけ振り返った。
俺がまだ見ていることに気づくと、安心したように小さく手を振る。
俺は見えなくなるまで、その背中を見送った。
それから、自宅へ向かって歩き出す。
スマホには、星宮莉乃の名前が残っている。
たったそれだけなのに、俺の日常の中に、もう彼女の席がひとつ作られてしまったような気がした。
※ ※ ※
土曜日。
俺は駅前のカードショップへ向かっていた。
週末の昼下がり。商店街はそれなりに人が多く、制服ではなく私服姿の学生や家族連れが歩いている。学校がないだけで、空気はだいぶ軽い。
今日の目的は明確だった。
デッキに必要なカードを揃える。
最近は環境の入れ替わりが激しい。流行りのデッキに対抗するなら、あのカードを入れるのもありだ。だが、採用枠には限りがある。何を抜き、何を入れるのか。そういう細かい調整がカードゲームの難しさであり、面白さでもある。
店に入ると、独特の空気があった。
スリーブの擦れる音。対戦卓から聞こえる笑い声。ショーケースのガラスに反射する蛍光灯。壁一面に並ぶパックとストレージボックス。俺にとってはかなり落ち着く空間だ。
ショーケースの前に立ち、目当てのカードを探す。
一枚、千五百円。
俺は思わずため息を吐いた。
高い。
いや、性能を考えれば妥当なのかもしれない。環境で使われるカードは需要が上がる。需要が上がれば価格も上がる。わかっている。わかっているが、月五千円の小遣いで生きる高校生にとって、千五百円は重い。
カードには必ず役割がある。
相手の動きを止めるカード。
自分の展開を支えるカード。
不利な状況をひっくり返すカード。
一見地味でも、適切な場面で引ければ勝敗を左右するものもある。
物語のキャラも、きっと似たようなものだ。
主役だけで物語は動かない。脇役には脇役の役割がある。モブにだって、場面を作る役割がある。
では、現実の俺には何があるのだろう。
中学のトラウマを引きずり、外用の仮面を手放せず、一人でいることに安心している俺に。
そんなことを考えていたとき、スマホが震えた。
公式アカウントの通知かと思った。
だが、画面に表示されていた名前は違った。
星宮莉乃。
『今、カードショップにいるの?』
俺は固まった。
なぜわかる。
いや、この前の会話で土曜日にカードショップへ行くと言った気はする。とはいえ、時間までは言っていない。まさか見られているわけではないだろう。たぶん、たまたま思い出して送ってきただけだ。
たぶん。
『そうです』
短く返す。
すぐに既読がついた。
早い。
早すぎる。
『いいな』
『いつか私も行ってみたい』
星宮とカードショップ。
あまりにも組み合わせが噛み合わない。
星宮莉乃という存在は、ガラスケースに並ぶシングルカードより、雑誌の表紙やテレビの照明のほうが似合う。スリーブを選んだり、ストレージを漁ったりする姿は、想像しようとしてもなかなか形にならない。
けれど、少しだけ思ってしまった。
いつか。
もし本当に星宮とカードショップへ行く日が来たら、俺はどうなっているのだろう。
好きな場所を案内できるくらいには、普通に話せているのだろうか。彼女の隣で、変に仮面をつけずにいられるのだろうか。中学から引きずっているものを、少しは軽くできているのだろうか。
答えは出ない。
出るわけがない。
俺はスマホを見下ろしたまま、返信を打った。
『あまり星宮さん向きの場所じゃないと思いますけど』
またすぐに既読。
『清太がいるなら向いてるよ』
スマホを閉じたくなった。
重い。
文面だけで重い。
そして、ほんの少しだけ嬉しいのが一番たちが悪い。俺は返事に困り、しばらく画面を見つめた。すると追加でメッセージが届く。
『カード、ちゃんと選べそう?』
『予算、大丈夫?』
『無理してない?』
母親か。
いや、母親より細かいかもしれない。
俺は小さく息を吐き、返信する。
『大丈夫です。ちゃんと考えて買います』
『清太えらい』
やめろ。
褒めるな。
カードショップのショーケース前で、トップアイドルから「えらい」と送られてくる高校生活など、誰が想像できるだろうか。
俺はスマホをポケットにしまい、改めてショーケースを見た。
今の俺に必要なカードは、わかっている。
デッキの弱点を埋めるために、どのカードを買えばいいのかも、おおよそ見えている。
けれど、今の俺に必要な人間関係が何なのかは、まだわからない。
一人でいる安心。
星宮といる気楽さ。
彼女の重さへの戸惑い。
それらが、まだ俺の中で整理できずにいる。
ただ一つだけ、嫌でもわかっていることがあった。
星宮莉乃は、もう俺の高校生活の外側にはいない。
彼女はとっくに、俺の日常の中へ足を踏み入れている。
それも、靴を脱ぐ気配すらなく。
スマホがもう一度震えた。
俺は恐る恐る画面を見る。
『買ったカード、あとで見せてね』
続けて、もう一通。
『清太の好きなもの、ちゃんと覚えたいから』
俺は画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
カードショップの対戦卓では、誰かが楽しそうに笑っている。
俺はその声を聞きながら、ゆっくり息を吐いた。星宮莉乃は、俺の好きなものを覚えようとしている。俺の逃げ場所だったものに、少しずつ名前をつけて、少しずつ近づいてくる。
怖い。
面倒くさい。
でも、完全に嫌ではない。
その事実が、今の俺にとって一番厄介だった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。
応援が次回更新の励みになります!




