第6話 玉琳のふりは難しい
翌日、龍明が再び玉琳の部屋にやってきたときには、大量の本を自ら抱えてやってきた。
周りの女官たちや付き従う宦官たちの狼狽っぷりをみるに、きわめて異例なことだというのはよくわかった。
龍明はいつものように人払いをすると、抱えていた本をテーブルに置いて寝台に横たわる庸介を見下ろした。
「どうだ、体調は」
「……見たらわかんだろ。寝込んでんだよ」
庸介は低い声で応えると、龍明を睨み上げた。
実際のところ、昨日少し動いただけで熱があがり、体中がだるくて動けなくなっていたのだ。
この身体の虚弱さを甘く見ていた。女性の身体が男性よりも体力がないのはわかるが、それにしてもこの身体は異常だ。
ちょっと動いただけで体中が痛み出し、あっけないほど簡単に骨折し、高熱にうなされる。
しかも、昨日熱がでたときに診察に来た医官の老爺に聞いたのだが、玉琳は先日死にそうになった(というか実際死んだ)肺風邪以外はとりたてて重篤な持病があったというわけでもないらしい。
ただただ、虚弱で体力がないため、後宮に来てからはほとんど部屋で寝て過ごすことが多かったようだ。
陽の光に当たることも少なかったのだろう。肌は透き通るような白さを超えて病的に青白く、骨までもろくなっている。
寝込む庸介を見下ろして、龍明はぷっと噴き出すように笑った。
「そういう表情は玉琳のときは見られなかった。新鮮なものだな」
「うるせぇ。金玉蹴り上げるぞ」
威勢のいい言葉とは裏腹に、声は弱弱しい。まだ、熱が下がり切ってはいなかった。
「そう無理するな。そうだ、これも渡しておこう。私が知っている限りの玉琳周囲の情報を昨晩紙に記してみた。参考にするがいい」
そう言って枕元に置いたは、紙の束だった。丁寧に片隅が紐で結ばれている。
うんざりした表情を浮かべる庸介をよそに龍明は、
「この宮の者たちには、お前の言動については、まだ仮死状態から回復したばかりで錯乱することがあって妙な言動をとりがちだが、他言無用にするよう固く言い渡しておいた。だから多少の粗相なら問題にはならないだろう。じゃあな。いまはゆっくり休め」
といって、庸介の頭を優しく撫でて去って行く。
今日は手で払う元気すらないことが酷く恨めしかった。
数日後、ようやく熱が下がった庸介は、起き上がって寝台に腰掛け、龍明が置いて行った紙の束を手に取ってみた。しかし、
「なんだこれ」
すぐに投げ出したくなった。そこには、玉琳の生まれや親族の名前、仕えている女官の名前などのほかに、彼女らしい立ち居振る舞いや仕草、癖、言葉遣いまでが事細かにかかれていたからだ。
玉琳の本名は、攣鞮 玉琳。西方の騎馬民族を束ねる王の娘として生まれ、正妃候補として育てられてきた女性だった。
ざっと流し読みしただけでも、彼女は淑やかで上品で教養溢れる人物だったことが伺えた。
肉体だけ借りている自分に、そんなふるまいをしろというのが無茶な話だ。
「とはいえ、やらなきゃなんないんだよなぁ」
庸介は、つい短髪だったときの癖でがしがしと頭を掻くが、玉琳の髪は錦糸のように細く肩より長いため、すぐに指に絡まってしまう。
この長い髪も、まだ慣れないでいる。女官たちが時間をかけて丁寧に梳かしてくれるので手入れは問題ないが、俯くとすぐに顔の前に垂れてくるし、横になると背中に敷いてしまって動きにくい。
できれば切ってしまいたいところだが、そんなことをして龍明に玉琳のフリができていないと判断されれば監禁されてしまいかねない。いまはまだ、慎重に行動した方がいいだろう。
(せめて、なんか結ぶものないかな)
自分の髪を手で束にして考え込んでいたら、
「失礼します」
声がかかり、女官が二人部屋に入ってきた。長身の女官と小柄な女官だ。小柄な方が盆に湯気の立ち上がる椀を乗せて運んでくる。
「玉琳様、お昼のお食事でございます」
玉琳付きの女官の顔もだいたい覚えた。小柄な方は一番初めに床に水をぶちまけたあの子だ。まだ笑顔があどけない少女で、たしか杏梨という名だったなと龍明のメモを思い返す。
ちなみに食事は毎回、粥だ。今回も、粥だろう。しかも塩みのうすい、よく言えば素材の味を活かした、悪く言えば味がほとんどない粥なのだ。正直、数回食べただけでうんざりしていた。
杏梨はいつものように寝台の横の朱塗りの台に盆を置くと、壁際にある小さな木椅子をもってきて座り、粥をレンゲで掬った。
「はい、玉琳様。お口をお開けくださいな」
しかも、この子は毎回、食べさせてくれようとするのだ。たしかに高熱が出ていたときは手を動かすのすら辛かったが、今は熱もさがりこうして起き上っているのだから普通に自分で食べられる。
もしかして、玉琳は日常的にこうやって食べさせてもらっていたのだろうか。
(でも、この明らかに中学生かせいぜい高校生くらいの女の子に食べさせてもらうのは正直、なんかいろいろ複雑なんだよな)
このくらい我を通したところで文句は言われないだろう。そう判断して、庸介は食べさせてくれようとレンゲを近づけてきた杏梨の腕を右手で掴んだ。
「玉琳様!?」
「悪いな……じゃなかった、えっと……なんだっけ、そうだ。ごめんなさいね。私、もう熱も下がったから自分で食べてみようと思うの」
ついでに、にっこりと笑顔までつけてみる。自分でしゃべっておきながら、玉琳の口調を真似するのはかなり精神的にダメージが大きい。しかも、声は可憐な女性のものなので妙に口調にあっていて、それがまた自分的に気持ち悪くもある。
杏梨は庸介に手を掴まれたまま戸惑っているようだったが、寝台脇に立っていたもう一人の長身の女官が助け舟をだしてきた。
「寝台で食べられるように、台をもってきましょうか」
抑揚の薄い、低めの声で杏梨に言う。常に表情が動かず怜悧な眼差しで辺りに目を配らせていることが多い、クールビューティな彼女は名を霜月という。
女官たちとおなじえんじ色の上着に白い袴を穿き、その上に青っぽい長羽織を着いているが、体幹のしっかりした立ち姿に、隙のない身のこなしといい、彼女は間違いなく玉琳の護衛だろう。
羽織の下に隠してはいるが、短剣と中サイズの剣を帯剣していることは彼女が歩いている姿を何度かみかけるうちに気づいた。
この屋敷には二十ばかりの女官が務めているが、そのうち五人ほど霜月のような武人と思しき佇まいをした女官を見かける。
霜月に低い台をもってきてもらって寝台におき、ようやく庸介は自分で粥を食べることができるようになった。
(にしても、ほんと味うすいよな、この粥。それにもうちょっとこう、精の付くもの食べないとこれ以上身体が回復しそうには思えないんだよな。骨のもろさ、疲れやすさ、肌の荒れ方をみてもビタミンもミネラルも致命的に足りてないのは間違いないしな)
龍明メモによると、玉琳の年齢は18歳だという。それにしては皮膚に張りが少ない。血色も悪いし、荒れてもいる。
「なぁ、あの……ちょっと聞きたいんだけど、俺……じゃなかった、私っていつもどんなもの食べてたのかな。ちょっと頭がぼんやりして思い出せなくて」
庸介の質問に、杏梨と霜月は不思議そうに互いに顔を見合わせた。