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第32話 龍明の懸念

 白虎宮の中の蔵を一つ空けてもらい、武器をためる倉庫に使っている。

 桃華の伝手を使い、ばらして工事資材とともに搬入してもらったものを、こっそり白虎宮までもってきてここで組み立てているのだ。


 元から完成品だったものを一回ばらして、再度組み立てるだけなので作業自体はさほど難しいことではなかった。


 庸介は発注しておいた最後の火箭を組み立て終わって、出来栄えを確かめる。


(大丈夫そうだな。これで最後か。もっとやりたかったなぁ)


 組み立てるだけの地味な作業が案外楽しくて、もっと発注しておけばよかったかもと思うくらいだった。玉琳が無事に正妃になれて庸介も玉琳役から解放されたら、桃華に頼んでどこかの武器工房に就職させてくれないだろうか、とすら考えたりもする。龍明には断固反対されそうだが。


 蔵の壁際には火箭や火槍、それに槍や弓のたぐいが種別ごとに山となっていた。

 火箭の山に、いまできあがったばかりの火箭をそっと置く。


 ここにあるもの以外にも、完成品の一部は青龍宮や玄武宮に移してある。全部足したら結構な量だ。


 ちなみに、震天雷はまた別のところに隠してあった。うっかり静電気などで着火したら大爆発してしまうので、万が一に備え、後宮内のあまり人がいかな場所にある倉庫を借りて隠してある。


(それにあいつに見られたら、厄介だからな)


 せっかく作ったのに没収されたら元も子もない。

 そのとき、背後でぎぃと扉の開く音が聞こえた。

 ここには女官たちは来ないように言ってあるので、来るとしたらあいつしかいない。


 振り向くと、予想通り龍明が蔵に入ってきたところだった。


「ずいぶんな量になったな」


 龍明がコツコツと足音を響かせて、置かれた武器類を眺めながら歩いてくる。


「多い分には困らないからな。まぁ、全部杞憂に終わって、使わずに済むのが一番だけど」


 肩をすくめる庸介に、龍明も苦笑を浮かべる。


「そうであることを私も願いたい」


 しかし、いつになく龍明が浮かない表情をしていることに庸介は気づいた。なにかを思い悩んでいるようにも見える。


 庸介は彼の傍までいくと、下から顔を覗きんだ。身長差があるので、前に立つとどうしても見上げる形になってしまう。


「どうした? なんかあったのか? いつも眉間に皺よってるけど、今日はいつも以上に皺よってんぞ」


 龍明の端正な顔がムッとなるが、それも一瞬のことで、すぐに愁眉を寄せる。


「……実は、しばらくここに来れなくなりそうなんだ」


 公務で忙しいだろうにその合間を縫っては二日と間をおかずに白虎宮に来ていた龍明が、しばらく来れなくなるとはどういう事情なのだろうか。


「なんで?」


 ほんのり寂しさを覚えながら庸介が尋ねると、龍明は申し訳なさそうな声音で応える。


「西欧のとある大国と、国交を結ぶことになったんだ。いや、それ自体は前々から決まっていたことだったんだが、国交樹立にあたって西欧から外交使節団が朝貢をもってやってくることになった。皇帝も我が国の威信と豊かさを見せつける良い機会だといって、盛大にもてなすことになったんだ。その準備で忙殺されそうだ」


 外交上の重要なイベントのようだ。皇太子が出席しなければならない接待や式典などもあるのだろうし、準備も万全を期したいのだろう。


「へぇ……皇太子も大変なんだな」


「お前、他人事みたいに言ってるが、もし玉琳が正妃になっていたら一緒に参加することになってたんだぞ」


 龍明が呆れたように言う。


「……え。あ、そっか。玉琳ってほんとに偉いやつなんだな」


「お前のその姿で言われると、私も複雑だけどな」


 そんなこと言われても、中身の庸介は庶民として生まれ育っており、つい最近まで一介の自衛官にすぎなかったんだから自覚を持てと言われても困ってしまう。


「ヨースケ。なにかあったら、すぐに禁軍の近衛兵を送るようにする。だが、私がすぐに動けないときもあるだろう。そのために、これからしばらく鳳凰城の北側、後宮側の外周を禁右軍の一部隊に巡回させることにした。禁右軍の将は、李正りせいという男だ。李家は皇家ともつながりが深くてな。李正の弟とは共に学んだ仲だった」


 前に皇太子になってから友人が離れたり殺されたりしたと言っていたが、李正の弟とやらはその一人なのだろう。


「じゃあ、禁右軍の大将は龍明の幼馴染の兄貴ってことか。何人くらい後宮側に回せそうなんだ?」


「そうだな……。さっきも言ったように、外国使節団が来る間は鳳凰殿周辺の警備はいつもより厳重になる。最大でも百いけるかどうかといったところだろう」


 禁軍の組織は、大きく分けて禁右軍と禁左軍に別れていて、その双方に将がいる。とはいえ、禁軍自体が少数精鋭の組織らしく全体で千人程度しかいないので、両軍それぞれ五百人程度の規模だ。そのうちの百を回してくれるというが、龍明が言うとおりそれが精いっぱいだというのはよくわかる。


(だいたい一個中隊くらいか。俺も陸自で中隊長やってたからだいたい規模感はわかるな)


 軍部の正規兵の方は一万程度いるらしい。そのうちのどれくらいを劉将軍らが掌握して叛乱に回そうとしているのかはわからないが、人数差はいかんともしがたいものがあった。


 どう戦略を練ろうか考えていたら、突然、龍明に左腕を掴まれる。


「ヨースケ」

「へ?」


 龍明は庸介の腕を離そうともせず、じっとみつめてくる。

 庸介も、惹きつけられるようにその瞳から視線を離せなくなる。


「……どうした?」

「ヨースケ。安全が確認できるまで、お前だけでもどこかに逃げないか」

「……え。お前、それ本気で言ってるのか?」


 庸介は半笑いで返しつつも、冗談ではないことは彼の目を見ればわかった。龍明は懇願するように苦しそうな声音で言い募る。


「私は何をおいても、お前と玉琳だけは失いたくない。お前たちがいつ襲撃があるかわからない後宮にいるというだけで、心配でたまらないんだ。どうか……。どうか、お前だけでも安全なところに逃げてはくれないか」


 龍明に掴まれた腕が痛くなるほど、彼の手に力が入っている。ぐっと引き付けられれば、いまの庸介の力では振り払うことはできなかった。


 ほんの少し、自分で意識して蓋をしていた気持ちが首をもたげてくる。圧倒的に少ない防備。こちら側にいるのは若い女性ばかり。そんな状況で軍部が攻めてきたら実際どれほど抵抗できるだろうか。


 庸介だって、怖くないと言ったら嘘になる。誰だって傷つくのは怖い。死ぬのは怖い。痛い思いはしたくない。いつだって逃げ出したくなる。それは陸自で働いていたときだって同じだった。覚悟なんて、いざ死を目の前にしたら簡単に揺らいでしまう。


 いま龍明に「逃げたい」と言えば、彼は全力で保護してくれるだろう。

 でも。


「お前はどうするんだ? やつらが狙っているのはお前と皇帝の命だ」


 庸介は淡々とした声音で龍明に尋ねる。

 龍明は考える間もなく、即答した。


「私は鳳国皇太子だ。この国を統べるのと同時に、この国を守り、人々の生活を守り、命を守る責務がある。その責務の前にしたら、私個人の命などなんの意味ももたない」


 きっぱりと龍明は言い切った。眼差しに強い光が見える。彼は何があっても逃げないだろう。


(それなら、俺の答えなんて決まってんだろ)


 庸介は小さく苦笑を浮かべると、逃げたいと思ってしまった気持ちを胸の奥におしやった。龍明に掴まれたままの左腕はそのままに、右手で龍明の胸を押す。


「俺も同じだ。俺だけ逃げるわけにはいかないだろ? お前みたいにこの国をどうこうする責任はないけど、せめてこの後宮とお前の命くらい守ってみせる」


 龍明を守る、それこそが玉琳の願いだったのだから。その玉琳の身体に居候させてもらっている以上、彼女の願いを叶えてあげたい。

 それに、龍明はこの国にとって必要な存在だ。きっと将来有能な君主になるだろう。こんな若さで死なせるわけにはいかない。


 でもそれ以上に、


(俺自身が龍明を死なせたくないから)


 庸介は龍明の胸にあてていた手のひらを拳の形にして、龍明の胸を小突いた。


「生き延びろよ、龍明」

「ああ、もちろんだ。ヨースケも無事でいろよ」

「当然。俺を誰だと思ってんだ?」


 どちらともなく、二人の間に笑みが生まれる。

 間違いなく、幸せな瞬間だった。


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