第31話 その小さな肩にかかるもの
「わ、私と、ですか?」
女官たちがいなくなったからだろう、香蓮はさらに不安そうにおろおろと狼狽えている。庸介は髪を適当に拭き終えると、香蓮に微笑みかけた。
「うん、そう。香蓮様とね。こうでもしなきゃ、女官集団ががっちり周りを固めてて内緒の話ができなさそうだったから」
心細そうにする香蓮は、いつになく幼く見える。
庸介は足の上に肘を置いて、身を乗り出すようにして香蓮に語りかけた。
「時間がないから、本題からいくね。香蓮様。軍部がやらかそうとしてることについて、あなたは何か知ってる?」
香蓮は『軍部』という言葉を聞いただけで、肩をびくりと震わせた。
(これは、何かしってるな。軍事クーデターはもう実行間近の段階ってことなのか。やっぱり後宮から侵入するつもりなのかな)
そうでなければ、香蓮に知らせる必要はないはずだ。後宮外で武力衝突があったとしても、香蓮には何があっても後宮から出るなと言っておくだけで済むことだから。
軍部が後宮に侵入するとなると、事前に女官たちくらいには知らせておかなければ香蓮の安全が保てなくなるが、それでもただ後宮内を通過するだけの予定なら香蓮にまで知らせる必要はない。女官たちに命令しておくだけでいい。
香蓮にまで話が通っているということは……。
(香蓮に、何かさせようとしているってことだよな)
香蓮を軍事クーデータに協力させようとしているにちがいない。
庸介は、じっと香蓮を見つめたまま話を続ける。
「軍部は……あなたのお父様は、鳳凰殿に叛乱を起こそうとしている。しかも、後宮の警備が手薄なのを利用して、後宮からの侵入を考えている。違う?」
香蓮は反論すらできず目を反らした。その肩が小さく震えている。
その姿を見て庸介はまだ幼い彼女へ心理的ストレスを与えることに罪悪感を覚えるものの、彼女が軍事クーデータのキーファクターなのはまちがいないのだ。ここで手心を加えることはできない。
庸介は、畳み込むように香蓮に伝える。
「あなたは当日、なにかをする役割を担っているんじゃないの。たとえば、叛乱軍を後宮内にこっそり侵入させる手助けをするとか」
図星だったのか、香蓮の顔は既に真っ青だ。膝の上に置いた小さな拳が、握りこみすぎて真っ白になっている。
庸介は香蓮の前まで行き、ゆっくりと膝をつくと、彼女の拳を自らの両手でふわりと包み込むようにして彼女を見上げた。
「香蓮様。あなたはお父様や周りの大人に言われたとおりに行動してきただけだと思うの。それ自体は、あなたは間違ってない。あなたが自分の心や立場を守るために必要なことだったんだと思う」
香蓮の怯えた瞳が庸介を見下ろす。庸介は構わず続けた。
「私は毒殺されかけたけど、たとえあの事件にあなたが関わっていたとしても、恨む気持ちはないの。実際、いままだ生きてるし、私にも落ち度があったと思うから」
庸介の素直な気持ちを伝える。ここは後宮。さまざまな思惑と謀略が渦巻く場所だ。警戒を怠り、毒を口にしてしまった庸介自身にも責任はある。
しかし、軍事クーデーターとなると話は別だ。被害は暗殺未遂事件なんかとは比べ物にならないほど甚大なものとなりかねない。
それが成功するか失敗するかの鍵を彼女が握っているとしたら、それをみすみす見過ごすことなんてできなかった。
「でもね、これからあなたたちがやろうとしていることは違う。それがもたらす結果を、あなたは考えたことある? 自分の行動がどういう未来をもたらすのか思いめぐらせたことはある?」
香蓮は、ぶんぶんと首を横に振った。庸介は香蓮を少しでも落ち着かせようと、微笑みを浮かべる。でも口にしていることは、おそらく誰も彼女に伝えたことのない残酷な現実だ。
「じゃあ、私が考えたことを伝えるね。もし、叛乱が成功した場合、あなたのお父様や仲間たちはこの国を支配する力を手にするでしょう。次の皇帝になるかもしれない。あなたはその庇護のもと、皇女として幸せに暮らせるのかも。……でもね、現皇帝や皇太子の龍明は処刑されるでしょうし、玲蘭のお父様のような高官たちも邪魔者として排除されるでしょう。この国は武力で支配される国になる。そして私の実家である騎馬民族たちと再び国境争いの熾烈な戦いがはじまる」
この国に軍事クーデターの末の軍事政権ができれば、二十年の和平なんて簡単に吹っ飛ぶ。これ幸いと騎馬民族たちは再び国境を脅かしはじめ、戦乱の世の中になるだろう。
香蓮は目を見開いて、食い入るように庸介の話を聞いていた。
香蓮はいままでこんなこと考えたこともなかったに違いない。こんな話をする人間も周りにいなかっただろう。
でも、彼女は聡い人だ。自ら鳥の生態に精通するほどの観察眼があり、難しい立場の中で必死に生き抜くしたたかさももっている。
庸介は、少し早口になりながら続ける。早くしないと、しびれを切らした朱雀宮の女官が入ってきたり、着替えを持った杏梨が到達してしまうかもしれないからだ。そうなると香蓮と二人きりで話す機会は失われ、二度とめぐってこないだろう。
「じゃあ、もし叛乱が失敗したらどうなると思う? 実際、軍による叛乱の成功率は世界的に見てもそれほど高くないの。もし失敗したら、軍部は解体。関係者は全員拘留。関係した家門はすべて取り潰し。そして、劉将軍はもちろんのこと、あなたも含めて劉一族は全員が処刑されるでしょう。あなたのお母様や幼いきょうだいたちもね」
このあたりは、刑法を読んで確認してある。皇帝一族に対する謀反は、国家を揺るがす大罪として一族全員問答無用に処刑だ。
香蓮には幼いきょうだいが五人いることも龍明に確認してあった。一番下の弟は三か月前に生まれたばかりらしい。
「……!」
香蓮が息をつめるのがわかる。
庸介は彼女の拳を包み込む手に、ぎゅっと力をこめた。
「どちらに転ぶかは、すべてあなたの行動にかかってるの。あなたが守りたい家族の運命を、あなたは握っている。あなたはどちらを選びたい?」
「……っ、そ、そんなの選べない! 私は、私はただ……普通に暮らしたいだけなの。お母様たちのところに帰りたい。全部終わったら、お母さまのところに帰れるよってお父様も言ってた、だから……!」
(そうか。言う通りにすれば母親の元に帰れる、そう言って周りの大人たちは彼女を操ってきたのか)
彼女はまだ十三歳だ。この後宮に来たときは十二歳だった。
現代だったら、ようやく中学に入るかどうかってところだ。部活に励んだり、勉強に悩んだり、友達と買い食いしたり……日々を自分のためだけに使いながら少しずつ子どもから大人になっていく時期だ。
庸介だって、中学時代なんて部活に明け暮れた記憶しかない。あまりに勉強をおろそかにするので、親に塾へと放り込まれたけど。
そんな幼い子に、家族の命や国の命運を左右させる決断をさせていいはずがない。
(この世界の奴らはさ。若い奴らに、重いもの背負わせすぎだよな。胸糞わりぃ)
香蓮だけじゃない。玲蘭や桃華、玉琳や龍明だって、二十歳前後の若い身空で家門や国家の未来のために身をささげている。
それはどうしても、庸介の感覚からすると歪な気がしてならなくて、憤りすら覚えるのだ。
庸介は香蓮の手を握ったまま、ゆっくりと立ち上がった。
「香蓮様。いまのままだと、その二つの未来しかこない。嫌でもそのどちらかになってしまう。でもね、私はそのどちらとも違う、第三の未来を作りたいんだ」
「第三の、みらい?」
こくりと庸介は頷いた。
「叛乱の被害は最小限にしたい。龍明様や皇帝陛下を殺させたりしない。でも、香蓮様の大切な家族は守りたい。罰を受けるのは、実際に叛乱に手を染めたやつだけで十分だ」
「そんなことが、できるの……?」
香蓮は半信半疑という様子で尋ねてくる。でも、もう彼女の身体の震えは止まっていた。彼女の瞳に、わずかに強い光が生まれている。内にばかり向いていた彼女の視線が、より遠くまで見れるようになっていた。
庸介は、にっと笑みをこぼす。
「あなたは言われるがままに動く人形じゃない。自分の力で考えることができる人だって信じてる。あなたは、どれを選ぶ? 第三の未来を創ろうとする私を信じて協力してもらえるかな?」
香蓮の瞳がじっと、庸介を見つめる。彼女の口が、なにか言おうと開いたとき、コンコンと扉が強く叩かれる音が聞こえた。
「は、はい」
香蓮が応えると、扉の向こうから白髪の女官の声が聞こえた。
「玉琳様のお召し物がとどきました」
もうこれ以上、扉を閉じたままにしておくわけにもいかない。タイムアップだ。
(香蓮の返事までは聞けなかったな……)
残念に思いながら扉の方に向かいかけた庸介の背中に、香蓮が言葉をかけてくる。
「あ、あのっ……! キョンを貸してもらってもいいかな」
庸介は足を止めて振り返った。
「キョンを?」
香蓮はもじもじしながら、
「え、えと……手紙を、おくるから」
はにかんだ笑みを向けてくる。その顔は、いつもより少し大人びて見えた。
「もちろん」
庸介も笑みを返す。扉を開けると、白髪の女官とともに杏梨が風呂敷のような布に包んだ玉琳の服を手に抱えて待っていた。
(そういえば、俺の服、びしょぬれだったんだ。すっかり忘れてた)
思い出したら急に肌寒さが襲って来て、庸介は豪快にくしゃみをしてしまい周りの女官たちに驚かれた。
普段の言動は比較的玉琳っぽく繕えるようになったけれど、くしゃみのような咄嗟な動きはまだ難しいなと内心苦笑するのだった。




