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災華の縁 ~龍が人に恋をしたとき~  作者: エージ/多部 栄次
第四章 三節 災禍の宴
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2.饕餮王の晩餐

 地獄の唸りは天をも揺るがし、神々をも畏怖させる。

 怒り狂う災禍の龍神の伝記の通りだと、誰かが思った。

 災龍は叫び狂いながら、その禍々しい手で軍も国民も、老若男女を見境なく捻り潰し、捕食していく。喰らうのは口だけではない。ひとつの生き物のように各々が自我を持ったような四肢もまた、消化吸収する捕食器として人の部位を分解しては飲み込んでいく。まさに血祭と言っても過言ではなかった。


「助けてくれ! 助けてくれぇ!」

「神様! 私たちをお救いください!」

「うわあああああ!」

 パニックに陥っている声も次第に途切れる。声を上げたものから次々と葬られ、喰われていった。

 それに対抗する4国の軍。だが、いくら持ち前の竜殺しに匹敵する火力をぶつけても、倒れる兆しなど感じられなかった。


「くそっ! プラトネルの武器でもくたばらねぇ!」

 先程まで効いていたプラトネル製の強力な武器の火力を喰らってもびくともしない。

 痛みというものがないのか? そう軍兵は思っただろう。

 4国の国軍全軍が装着しているプラトネル開発の対災龍耐久のアーマースーツというアンダーシャツに、特殊素材のアーマードの二重武装。災龍の攻撃をまともに受けても壊れない防具が今、難なく肉体ごと切り刻まれている。

 災龍は今まで以上に破壊力と硬度が上がっている。軍の誰もが確信しただろう。


「おい! あいつなんかする気だぞ!」

「撃て! 撃てェ!」


 両手を組んでつくった拳を地面に叩きつけたとき、広場どころか、この国中の地面が罅割れ、幾つもの地割れが起きる。

 地盤ごと崩されたかのような地鳴りが起き、同時に民家も轟音を立て、倒壊する。


「地面が揺れて狙いが定まらんっ」

「上空から攻撃してくれ!」


 数日前、災龍を追い込ませた空飛ぶ鉄の船から空襲を仕掛ける。

 突如、災龍が両足を天の方へと広げ、地面に手を突き、回転し始める。上から落下してくる爆薬の筒はその脚の回転によって生じた見えない渦に飲み込まれ、共に回転していく。


「嘘だろ、地面が――」

 ひび割れた地面がゆっくりと掻き回される。液状化でもしたのか、否、兵たちの踏む町の大地は融けてもなければ砕けてもない。災龍が起こしたのは空間のひずみだった。

 大気が捻れ、空間が捻じれ、人が吸い込まれている。渦に引き寄せられ、巻き込まれた軍兵は二重武装ごと鎌鼬にあったかのように身体が切り裂かれた。

 その脚で天に渦を作り、その手で地を半回転させては捻らせる。


「あの回転してる災龍やつに近づくな! 斬撃に巻き込まれるぞ!」

 災龍は大気を蹴り、斬波を発しているわけではない。空間を捻じり回している。空間を剣ほどの鋭さで捻じり、剪断することで周囲の景色が歪み、掻き回され、混ざる。故にその空間の捻れに物質は形を保てず、壊れていく。

 完全に空間の捻れに支配された地面を災龍は体勢を変え、肉眼では見えないほどの高速で殴り続ける。

 瞬間、水面を叩き、水飛沫が飛び出るかのように平らな地面が棘の大地と化す。


 引き裂かれる声が鳴らす悲愴の四重奏カルテットは天地の金切り声に消される。

 巻き込まれた民間人や防具を壊された軍兵はその棘山に体躯が貫通される。棘山の領域はたちまちに広がる。


「ただの兵じゃ太刀打ちできねぇ! 撤退するしか……」

「駄目だ! 国民がまだ非難しきっていない。それに奴は瀕死だ! 最高戦力が来るまでの辛抱、持ちこたえなければ国を守るどころか国から避難することもできない」

「瀕死って、あれをどうみたら瀕死に見え――」


 微細だが、地を揺らす振動と、聴き慣れない音。災龍とは別に巨大な何かが近づく音。その気配は生き物ではない。


「――砲撃開始ィ!」

 一方から放たれた無数の光弾は吸い込まれるように災龍に直撃し、巨大な爆炎を生じさせる。だが、爆炎が渦を巻いては一気に収縮され、肉の剥き出た災龍の口や身体の中へと吸収されていく。何もなかったかのように振舞った災龍は発射地点を探り出す。

 再びの爆撃。だが、それによって災龍は攻撃してきたものの正体を把握することができた。


「……なんだあれは……プラトネルはここまで技術が進んでいたというのか」

 人型の機械。

 歪に構成された合金と高分子化合物の塊はおよそ五メートルほどあり、肩や両腕など全身にあらゆる武器が装備されてある。頭部ともいえるべきところには無機質な赤い一眼レンズが点灯していた。

 一体だけではない。何十体もその先に並んでおり、その群をずば抜けた大きさを放つ機械もいた。

 プラトネル開発の自動人形。俗にいうアンドロイド。対黒龍専用に量産された自律型無人大型兵器。

 その先頭に立つ、機械を装った人間が一人。機械の國の王、ランドスは鉄の腕を掲げる。


「俺らの国の実力をナメんなよ、災龍!」


 災龍は吼えることなく、ぐちゃりと眼球だけを動かし、紅石の如き牙を魅せた。


「っ、笑った……?」

 瞬間、消える。風の音なく忽然と消失した。


「! ――どこ行った!」

 そのとき、一機のアンドロイドが断末魔を上げたように金属が潰される音を鳴らす。

 人がその音に目を向けたときには、地面に鉄の塊となって埋もれていた。そして、火花を放ち、引火しては爆発する。

 その爆発を合図にしたかのように、宙から災龍が自動人形軍の中央に姿を現す。ランドスはそれを見逃さなかった。だが、行動に移る反応が遅かった。


「しまっ――!」

 破裂したかのように災龍から何かの衝撃波が発し、周囲の自動人形は吹き飛んだ。だが、損傷しながらも自動人形は駆動し続けた。


 しかしそれもつかの間、瞬く間に複数の自動人形が食い千切られたような跡が作られては地を転がり、部品とオイルをまき散らしていく。

 8mと群を抜いた巨大さを誇る自動人形の一撃も虚しく、軽々粉砕されては災龍の腕――暴食の細胞に飲み込まれていく。溶かされ、筋繊維の中へと染みわたっていった。


「何て野郎だ……逃がすかよ!」

 ランドスの装甲腕が変形し、鋭い砲口が形作られる。電力を砲弾とし、それを人の身に纏わせた簡易兵器。角度と発射位置を確認する。崩れゆくアンドロイド軍の中を、王から放たれた一閃の光が切り抜け、災龍を穿つ。

 パッと瞬いた光。災龍の脆弱に見えるボロボロな身は猛毒の血をまき散らし、吹き飛んでは次々と町に穴をあける。


「マズいな……大気が薄い。息切れが……」

 先程の災龍の大規模な『捕食』で、大気分子の割合が大幅に減っている。塵は勿論、雲や魔力の地脈までも、災龍に吸収されてしまった。

 その事実を知るのは魔導師の最高戦力のみ。何も知らないランドスは腑に落ちないまま、次のことを考える。

「確かこの方角でよかったはずだ。頼んたぞ、エルドス」


     *


「来たぞぉ!」

 次々と町が崩れていくと共に響き渡った一人の軍兵の叫びも途絶える。すぐに起き上った災龍は町やその場にいた兵士をバラバラに引き裂きながら熱の塊を察知し――エルドス軍帥とその隊の方へ駆け寄ってくる。


「しっかり引きつけろよ! まだだ……」

 かなりの速さで災龍が鬼神の形相で猛威を振るう。気持ちが急かされるのも無理はない。エルドスの脈動も早まり、誰もが嫌な汗をかく。死が目前へと迫ってくる。


「――今だ!」


 カシャン、と何かを起動させたかのような音が重なった瞬間、目の前まで来ていた災龍が何もないところにガシャンとぶつかり、後方に勢いよく倒れる。

 電磁結界装置の結界が5重層になって災龍を閉じ込めた。


「成功した!」

「まだだ、油断をするんじゃない!」

「こっちのチャージも完了!」

「よし、発動しろ!」

 エルドスの声に答え、戦車程の大きな装置からキュイインと甲高い機動音が聞こえてくる。

 結界内の空間が災龍ごと歪み、光が屈折する。

 すると、何かの叫びと共に結界内の災龍が動かなくなった。ピクリとも動かない。まるでそこの空間だけ時間が止まったような光景だった。


「よし! 成功だ!」

 エルドスがそう言った刹那、軍兵らの歓喜の声が上がる。

 結界の中に閉じ込められているのは時間的に停止した災龍だった。今に襲い掛かるその悪魔のような容貌と形相には誰もが身震いする。

 結界内の空間を転移し、この世界から見れば時間が止まっているかのように見える空間へと入れ替えたのだ。災龍はその停止に等しい空間に入り、停止している。


「カナンの野郎には感謝しねぇとな。必要ない代物かと思っていたが、国を守る救世主となるとは夢にも思わなかった。……仕上げに取り掛かるぞ」

 その戦車程の装置を兵が操作し、バチバチと何かの音が鳴り響く。

 結界内の中心が異常なほど歪んできていた。どんどん捻れは広がり、莫大なエネルギーが増幅されていく。


「そろそろだ」

 そう言ったとき、中央の歪みが一気に捻れ、パンと爆発音が鳴る。歪みから真っ黒いものが浸み込むように結界内を侵食していった。


「あれが……ブラックエリアというやつですか」

 ひとりの兵が呟くと、エルドスは答えた。


「ああ、何もかも吸い込み、呑みこまれればその重力に押しつぶされ、消失する。光さえも逃げられない。流石の災龍でも消滅する」

 所謂、ブラックホール。災龍は黒い物質に飲み込まれ、結界内は黒に染まった。そして、ゆっくりと黒いものが球体状となる。


「すぐに空間転移しとけ。小さくても結界が壊れれば俺たちも飲み込まれるぞ」

「っ!? お、おい急げ! 早く転移しろ!」

 軍兵はその言葉を聞いて焦り、すぐさま装置を操作した。

 空間が転移され、その結界には黒い球体もそれに飲み込まれた災龍もいなかった。

 ただ、夕暮れと爆炎が混じった赤黒い空が映えるのみ。


「や……やったのか?」

「やったんだよ! 俺たち!」

「災龍に勝ったぁぁぁ!」

 歓喜に溢れる。騒々しい殺戮宴会はこれで幕を閉じたのだ。

 静寂を迎えたサルト国は大勢の被害が及びながらも、滅びずに平和が訪れた。

 ……はずだった。


 ――アアアアアアアアアアアアアアア!!!


「――っ!?」

 突然の奇声。いや、声とは程遠い不気味な音。鼓膜に張り付き、脳内で反響し続けるほど印象強い音。

 だが、その音は遠くから轟いた。山彦のように響く声は相当な距離の先だろうが、国内であることに変わりはない。遠けれど近い先に――。


「災龍、ですよね、いまの鳴き声みたいなの……」

「まさか、災龍は今さっき、停止した状態でブラックエリアに飲み込まれて――!」

 刹那、街の方から巨大な衝撃波が突風のようにエルドスら国軍の前にまで及んだ。衝撃波に飲み込まれ、吹き飛んできたのは何十軒もの建物や木々、瓦礫、抉れた花の大地、そして数千に及ぶ民間人だった。

「うぉあああああぁああああぁああああ」

 たちまちに爆風に巻き込まれては町の壁に打ち付けられる。なんとか着地したエルドスは信じられないとでも言いたげな形相を浮かべる。

「くっ、そんな馬鹿な!? 一体どこから――」


     *


「急いで東の第4壁門へ! 竜車はまだある! 怪我人や女子供はそれに乗っていけ!」

 サルト国『花都ハーファン』。王都サンディーノにある桜庭園とはまた違った色とりどりの花が咲き誇り、比較的軒数が少ない木造建築が点在する自然街。

 サルト国軍大佐のケプトは王都より逃げゆく国民を国外へ避難させるべく指示を出し続ける。


「ケプト!」

「ケプト大佐!」

 そこへ二人の上位兵が駆けつける。ケプトにとっても知った顔だった。


「カルダス、ベルフ……よかった、無事だったんだな」

「運よくな。けどレインの姿が見当たらねぇ」とカルダス大佐。

「たぶん、いつもの3人で災龍の方へ……」

 ベルフの不安そうな顔に、ケプトは「心配するな」と肩を強く叩く。


「あの問題児3人はそう容易く死ぬやつか? 特にレインはサハド殿にも一目置かれている。なんとか切り抜けているさ」

「そうっすよね……レイン先輩のことっすから、大丈夫っすよね」

「そんなことより、おまえもここは他の兵に任せて災龍の方に行くぞ。プラトネル国が中心に対抗しているらしいが、戦力が足りない」

「わかった、すぐ行こう――」

 ケプトは目を疑った。

 突如、カルダスとベルフの背後先にできた空間の歪み。そこから大気が剪断されるような音が連続して聴こえ、同時に断続的に嫌悪感溢れる声が蠢くように耳を撫でる。


「カルダス! ベルフ! 武器を構えろ!」

 剣幕な表情に、二人はケプトの視線の先を見ては、驚愕する。

 何もないところから災龍がバラバラになって這い出てきた。だが、瞬く間に離別していた部位は血と繊維状と化した骨から結合し始め、再生させていく。周囲の花畑が枯れ、大地が腐っては高熱で融点に達し、溶岩と化していく。

 途端、阿鼻叫喚が湧き上がる。民の足は早まり、なりふり構わず背を向け逃げていく。


「高等な魔術でも使えるってのかこいつは」

 カルダスはそんな冗談を言い、平静を保つ。

 ブラックホールに飲み込まれる瞬間、空間は転換、崩壊し、停止した世界から解放される。災龍は空間を掴み、また破壊するなど、多少なり空間を操作できる。故にその一瞬を狙い、力技で脱出したのだ。その脱出先が遠い地でも大気圏外でもなく、偶然にもサルト国内だった。


「け、ケプト大佐……」

「わざわざそちらから来るとはな」

 プラトネル軍と比べれば、ここにいる兵は少ない方だ。

 だが、それでもケプトは、否、この場の兵すべてが猛る。


「第3隊は国民避難を最優先! それ以外全員! 災龍を食い止めろ!」

 その大声に災龍は反応する。目を見開かせ、ニタ~っと嗤うかのように口を裂いては歯をむき出す災龍は何とも言えない不気味さを放っていた。


「処刑台に縛り付けられていたときとは大違いだな。理性がぶっとんでやがる」

 カルダスはそう吐き捨て、プラトネル製の対黒龍に使われた特殊拳銃を撃ち放つ。

 骨がめり込むような音が軋み、血が噴き出る。


 唸り声を上げる。しかし獣の唸りというよりは、機械の駆動する唸りに近い。

 災龍は両足を地面に突き刺し、踏み堪える体勢になったとき、太腿から脹脛、足首へと大砲の弾のような膨張した筋肉の塊が流れていく。


「なにをやってんだ?」

 カルダスがケプトに訊いたとき、ケプトは顔を青ざめた。

 何が起きるかを予想してしまったからだ。


「離れろぉおおお!」

 筋肉の塊が突き刺さった地中の足に到達した瞬間、反響するかのように衝撃波が地中を伝う。その振動は人の足で感じ取ることはできなかった。


「お、おいケプト?」

「ケプト大佐?」

「とにかく災龍から離れるんだ!」

 ケプトの指示通り、国軍は災龍からダッシュで離れる。だが、ケプトの恐れていたものが地上を襲う。


「――ぅわあああぁあああぁああ」

 ズン、とスプリングのように跳ね上がった地面は地上のあらゆるものを弾き飛ばす。人間は5メートル近く真上に飛ばされ、地面に叩きつけられる。

 災龍の足から発した巨大な振動の単発が地球の核に反射し、振動の範囲が増幅し、地震と化した。

 今起きた縦状の地震は初期微動、つまり余波である。

 数秒後、悲劇が起きる。


「――何かにしがみ付けぇ!」

 とても口では表現できない音。岩盤ごと割れた音。轟音と共に花の大地は揺らぎ、悲鳴を上げる。

 幾つもの地面が割れ、隆起沈降し、アンバランスな岩のリフトと化す。斜めに傾いたり、奈落ができたり、地面が垂直になったり、まるで平衡感覚を失ったかのようだった。


「地面に振り落とされるなァ!」

 ケプトは叫ぶ。だが、大陸の悲鳴の前では人の声など打ち消されるのみだった。

 何人もの兵が地割れの奈落の底へと吸い込まれるかのように落ちていく。次第に叫び声は聞こえなくなった。


「畜生……っ」

 ケプトは喉を締め付けた声を出し、歯を食いしばる。


「ゆるさねぇぞバケモノがァアアアア!」

 カルダスは転がっていたを肩に乗せ、災龍へ向けて放った。

 金色の爆発が球体状になって災龍を大きく包んだ。

 だが、その爆発はドパァン! と風船のように破裂し、災龍の口の中へと吸い込まれていく。そして、災龍の喉から放たれた超音波が花都ハーファン中に轟いた。


「ぎゃあぁああああぁうぐああがあああぁあ」

「耳が……ぁぁああああああぁあああぁあ」

「頭がっ、捻れそうだあががぁあぐあぁあががあ」

 人の頭部が彼方此方で花を咲かせるように破裂する。地面は更に粉砕し、この周辺の足場が無くなりそうだ。


「くぅ……そぉっ、たぁれがァあああ!」

 頭部の武装をしていなかったカルダスは鼓膜が破け、耳から血を噴き出しても手に担いだ光線砲を発射し続けた。

 ズズズゥ……ン、と幾つもの大爆破が一点に集中して膨張する。

 そのとき、破壊をもたらす轟音は途絶えた。

 その場で生き残った軍はもう数人しかいない。たくさんの仲間を失ったケプトは悔しさで歯を食い縛ることしかできなかった。


「やったか……?」

 ゾンビのように頭部から血を流し、ふらふらしているカルダスはそう呟いたと同時に安堵に浸った。思わず笑い声が出てくる。

 だが、


「――は?」


 死んだ。

 その場にいた人間も崩れかけた地面もすべて、死んだ。

 一瞬の光の先に見えたのは、無。

 死も感じさせない無感情で無慈悲な無。

 黒一色の無が地の底へと誘うかのように大きな口をぽっかりと開けていた。

 そして、その穴と同じようにぽっかりと大口を開けていた災龍は熱波あふれ出る口を閉じた。


     *


「うぐっ……ひぐっ、うぁあ……あぐ……うぅ、ぐすっ……」

 ウォークは涙を流し、ひたすら泣いた。乾いた地面に雫が落ち、湿る。

 彼の周りには誰もいなかった。民は広場を出て、軍は災龍を追う。


「久しぶりに泣いたんじゃない? 召使くん」

 どこか調子の乗ったような、しかし心を安らにさせる温もりのある声が背後から聞こえてきた。

 涙でぐちゃぐちゃになった顔のまま、振り返る。


「イルア……」

 亡き王女の母代わり。そこには少年期によく構ってくれた魔道師がいた。

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を拭うことなく、ぽつりと口にする。


「……どうして、ここに?」

「どうしてもなにも、サクラちゃんの顔を拝むためよ」

「……リ――さ、災龍は?」

「今、国軍が戦っている。魔道軍もネズといっしょにそこに向かっているわ」

「……」

 イルアは王女の前にしゃがみ、やわらかくも冷たい頬を撫でる。


「死んでもこんなに幸せそうな顔をするなんて……サクラちゃんらしいわね」

 イルアの声はいつもとは違う、まるで母親のような優しさが込められていた。


「ウォーク」

 顔を見せることなく、突然話しかける。


「涙はその人を強くする。これは間違いないと私は思っている。だけどねウォーク、男のあなたがいつまでも泣いてちゃ何も始まらないわ。ひどいこと言うけど、サクラちゃんはもうこの世にはいないの。もう、過ぎたことなの。だから、前を向きなさい。前を向いて、世界を見て、今のあなたに何ができるのか、考えて、歩み出しなさい」

 それは、彼女らしくないほどひどく透き通った、優しい声だった。


「サクラちゃんは最期まで笑顔だった。彼女の為に、この国の為に、そしてあなたの為に、今は生き延びて、笑顔になれる場所を見つけて」

「……イルア、ひくっ、ごめん、僕――」

 イルアは白いハンカチをウォークに差し出した。


「拭いて」

「っ、ありがとう……」

「いいのよ。さ、立って」

 差し伸べられた手を掴み、ウォークは立ち上がる。


「じゃ、私は災龍の所へ行くから」

「……ねぇ、イルア」

「何? ウォーク」

「……ありがとう」

 それは、崩れた自分を立ち直らせてくれたことに対する感謝の言葉でもあった。

 イルアは優しい微笑みをウォークに向け、


「がんばってね、召使さん」

 と微笑んで、その場を去っていった。その後ろ姿は女性でありながらも逞しかった。


「……いつまでも泣いてる暇はないんだ」

 そうウォークは自分に言いかけるように呟いた後、サクラの前で黙祷してからその場を後にした。

 そのときだった。

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