7.王妃と災龍
11年前、サルト国。
人々の笑顔が賑わい、自然の恵みは決して絶えることはないほど盛んな街。自然の美しさを象徴した国、サルト。それがかつて、砂漠の国だったことなど、誰もが忘れかけていた。
季節は春間近。膨らむ桜の蕾が開きかけ、大地に深く、鮮やかな緑が芽吹く頃。
「王妃ーっ、王妃ーっ!」
王宮の広い大理石の廊下で慌ただしい声が行き渡る。黒衣を着た一人の女性が声の主に問いかける。
「どうしました? プリウス大臣?」
「あっ! これはイルア殿っ! 大変です! キク王妃がこんなときにまたいなくなりました! これからアーク国との大事な会議があるというのに!」
「いつもの場所、ね。わかったわ。私が連れてきますよ」
「おおっ、なんと助かる! 流石は魔術研究会長!」
「ですので、あとはゆっくりと体を休ませてください。あまり無理しないでくださいね。血が上ると髪、なくなりますよ」
「冗談でもないことを……では、迅速にお願いします」
「ええ、わかったわ」
ハンカチで冷や汗を拭く大臣を背に、魔導師は微笑み、王宮を出る。
こうして、いつもの一日が始まった。
サルタリス山脈、信仰地。
そこにそびえるアマツメの大樹。その樹から舞い散る紅葉のような紅い花びらを見ている人物がいた。
桃色がかった美白肌の髪が後頭に一束にまとめられており、着ている巫女のような貴族衣装は風で優しく揺らぐ。海のような蒼き眼に華奢な身体。若き女性とは言えないが、大人びいた美しさを放っている。
美白肌の色の髪がなびく。
何処からともなく現れたイルアはため息交じりでその女性に話しかける。しかし、その顔は微笑んでいた。
「やっぱりここにいた」
ふわっと髪を揺らしては、その女性「キク」は振り向く。
そして、満面の笑みで応える。
「あらイルア。おはよう」
「もうすぐ昼よ。にしても、いっつもここにいるわよね」
見上げ、静かに奏でる大樹を眺める。森の父は、いつもより穏やかに笑っていた。
「ええ。ここが一番落ち着くのですもの」
彼女がこの山に来れば、森羅万象が笑顔で迎えてくれる。その神秘的な力は、おそらく、彼女の自然愛によるもの。彼女の愛が、この森を育んでいるのだと、イルアは森の様子を見て感じ取った。
「緑に囲まれてひと時を忘れるのもいいけど、これからやる大事なことも忘れちゃ困るわよ?」
「……え、と……?」
「ほーら! 今日はアーク国との――」
「……あぁ! なんちゃら会議があったわね。忘れるとこだったわ」
両手をパンとたたき、今思い出したようすに、息を吐くイルア。
「もう十分に忘れてるわよ、キク王妃」
「イルアはわざわざ迎えに来てくれたの?」
「それ以外何があるのよ」と腕を組む。
「ごめんなさいね。迷惑かけちゃったみたい」
キクは照れるように、少し困った顔で微笑む。「はぁ」と再びため息。
「ホントだわ。プリウス大臣が顔面蒼白で探し回っていたんだから。にしても毎回このパターンだから王宮の中探す必要ないのに」
「まぁまぁ、彼なりに頑張っているのですから、応援してあげましょう」
「誰のおかげで大臣は頑張っているのよ」
「え? えっと……て、亭主?」
「あんただよ。あと国王を亭主呼ばわりするな」
こんな感じで平和に過ごしていく毎日。誰かが困り、ちょっと迷惑をかけながらも、そこには必ず笑顔がある。そんな日々。
サルト国王妃キク・ホルネス・サルトは国民の誰もが愛した、かけがえのない女性だった。
その優しさは国を温かく包み、その奇抜な行動力は国民の誰もが驚かせた。
王族で、その上王妃であるにもかかわらず、街を散歩し、民間人のように民に話しかける。その様子は国民にとってとても微笑ましく、感心させるほど。このような行動力が国の将来をよくさせると誰もが思った。
おっとりとして、少し天然な彼女の行動っぷりは、王宮内の何人かが冷や汗を流し、困っているも、仕方なく許している。
彼女が何よりも好きなものは国民も夫のエンレイも、今年で7歳になる一人娘のサクラもそうだが、この世界を包む自然を誰よりも愛していた。
一日に一度は必ずサルタリス山脈を散歩するのが彼女の日課だった。だが、本来その山は比較的危険視生物が多数いるとのことで一定区域以外危険地帯と制定されている。
しかし、不思議なことに彼女を襲う獣など一匹もいなかった。彼女の自然に対する心が生物の警戒心を解いているのかわからないが、彼女には何かのオーラが、それとも体質的にそうなのかもしれない。
無論、衛兵の同行を国王は命令しているが、彼女は武器を持った者が来れば動物が脅えてしまうとの理由で一向に首を縦に振らなかった。
彼女のその日課は危険を伴う行為だということを国王エンレイは気付かせたかったが、その気持ちは伝わっているのか否か。奇抜な彼女の心境を知る者は当然として誰一人いない。
「王妃、今日も行くの?」
鼻歌まじりで外へ行こうとしているキクをイルアは呼び止める。
「ええ、もちろんよ。サクラも外で遊び疲れちゃって、眠かせたことだし」
「雲行き怪しいけど、傘も持たずに行くつもり?」
「大丈夫大丈夫~。雨なんて降らない降らないっ」
おっとりとした口調で微笑みかけるキクに対し、イルアは呆れ顔だった。
「何の根拠があるのよ……外見てみなさいよ。いつ降ってもおかしくない曇り空よ。それに――」
「魔術でも今日の天気は雨ってわかってるの?」
「うん、そう」
「ふ~ん……でもあくまで推測でしょう?」
「まぁそうだけど、そこまで信憑性薄いってわけじゃ――」
「だったらそんなに心配しなくていいわよ~、別に濡れたって何ともないんだから」
「貴女が良くても周りはよくないのっ」
「え~」
彼女はぷく~っと頬を膨らます。
「子供かあんたは」
突如はっと閃いたかのように明るい表情を見せ、楽しげな笑顔で言い出す。
「あ! そうだっ、イルアが魔術で雨を降らせないようにすればいいじゃない! そう、それがいいわ!」
その言葉にイルアは首の後ろを撫でるように掻いた。
「はぁ~何を言うかと思えば……そんな自然の摂理を私情で崩しちゃダメなのよ、法的に」
「えっ、ほ、法的に? 本当に?」
「まさか知らなかったの? 王妃なのに」
「…………じゃ、いってくるわね!」
キクは誤魔化し、ダッと外へ駈け出た。
「あっ! ちょっと! ……はぁ、やっぱりこうなるのね」
こうして、一日が始まり、繰り返される。そのはずだった。
いかにも雨が降りそうな分厚い灰色の空の下、サルト国王妃のキクはサルタリス山脈で散歩をしていた。
行く先はアマツメ教信仰地。冷たい湿気が身体を包む。風は凪いでいた。
危険な山道を歩んでいたが、彼女の周りには何も寄ってくることはなかった。
「――何? この音……?」
突如囁くように呟いたキクは立ち止り、耳を澄ませた。
何かが蠢くような音。捻れ、歪んでいくような音。その発端は上空の空からきているものだと気付いたのにそう時間もかからなかった。
そこまで気にしなかったキクは再び歩き続ける。
気が付けば、暗い空は浸み込むように消え、優しい光が射していた。
「あれ、晴れてる」
空を見上げながら信仰地に足を踏み入れた。
そして、そのまま前を向く。
彼女が目にした異物。
同時に脳裏に焼き付いた異物。
そして、湧き上がる疑問と、それを解決したい好奇心。
彼女が最初に放った一言が
「……あなたは、誰?」
古の社の屋根に寝ていたソレはがばっと起き上がり、獣のように息を荒くし、警戒体勢を取った。しかし、王妃は一切脅えることも、悲鳴を上げることもなかった。
「ここに住んでいる人なの?」
淡々と自然に問いかけるキク。
ソレは脚を踏み込み、風の速さで王妃に牙を向け、その手で引き裂こうとした。
だが、何が起きたのか、ソレの爪を鋭く立てた左手はキクの眼前で縛られるかのようにぴたっと止まった。全身も、石になったかのように固まる。ただ荒い息を吹き、その瞳を震わしながら。
キクは一切動かなかった。恐怖で動けなかったのではない。敢えて動こうとはしなかったのだ。
叫ぶこともなく、逃げ出すこともなく、蔑みの目で見ることもなく、死を恐れることもなく、ただ、この刹那を受け止めようとした。その目はまっすぐとソレの紅き眼を貫くように見つめていた。故に、ソレは動きを止めたのだろう。
彼女の口から透き通る声が小さく漏れる。
「ずっと……ひとりでいたの?」
ソレは後ずさり、逆立っていた赤黒い頭の毛をゆっくりと萎れるかのように垂れる。
「寂しかったでしょう? こんなところにひとりで過ごして……とても怖かったのね」
警戒の威圧はなくなり、ソレは抜け殻のような目をして彼女をただただ見つめる。
「私はキクっていうの。あなたの名前は?」
ソレは話そうとしなかった。いや、話せなかったのだ。
「……そう。話せなくても大丈夫。次第に分かってくるから」
ソレは茫然と見つめ、全身の骨が抜けたかのように警戒が完全に解ける。
「ねぇ、私と――友達にならない?」
その言葉が伝わったのか、それともその純粋な思いが伝わったのか、ソレは――災龍は紅い涙を一滴流し、地に膝をついた。
*
それ以来、キクは毎日サルタリス山脈を散歩すると同時に、山奥の社に住む災龍のもとへ訪れるという習慣ができた。
災龍は言語を話せるに話せるが、キクにとって初めて聞く言語で、まったくもって理解できなかった。だが、キクは人一倍、人の心が読み取れるので災龍の言いたいこと、伝えたいことは大体わかった。災龍が素直で単純だという理由も含めて。
一方、災龍はキクの言葉が何故かわかった。おそらく、彼女は口でものを伝えているのではない、心で伝えている故に理解できたのだろう。
だが、互いの名前は知らないままだった。
会ってから間もなく、キクはその青年が国中で噂となり、虚無の伝説にまで発展した災龍だということを知る。それをキクは災龍に問うた。災龍は自分の呪われた体質をキクに見せた。もう、キクというただ一人の友達を失ってしまう覚悟で。
しかし、キクは笑って、そんなことで怖がったりしないと言った。
災龍はこの時初めて、キクという人間を完全に受け入れた。
毎日、毎日、ふたりは心から楽しく話した。
彼女にとっても、彼にとっても、初めての「友達」。お互い嬉しかった。他人に自慢したくなるくらいの仲の良さだったが、国の王妃に神話の厄神であり災龍。そのふたりが友好関係を築いているなんてこと、誰も想像だにしないだろう。
勿論、この関係は誰にも打ち明けられない、禁忌の絆。決して、他人に知られることは許されない。
運が良かったのか、その禁忌の関係が他に知れ渡ることはなかった。
そんな新しい毎日を送っていたある日のこと。
春も終盤に近づいてきて、桜の花弁がひらひらと散り始めた中、災龍とキクは社の傍のアマツメの大樹の根元に座り、楽しげに会話を交わしていた。
その言葉は勿論伝わっていない。言語が異なるから。だが、互いのこころは伝わり合っていたため、支障は特になかった。
災龍は遠くの場所にある美味しい食材をキクに食べさせたいため、一時間くらいここを後にすると伝え去っていき、キクはサルタリス山脈に取り残された。
キクは時間を潰すため、この山脈内を歩き回ることにした。
山内の茂みのある森に入り、キクはしばらく探検するかのように歩き回っていた。
小鳥のさえずりに耳を澄まし、足元に咲くいろいろな花をじっくり見たり、寄ってくる小動物を撫でたり、そんな些細なことをしていた。
「あ、きれいな花……」
そこに見つけたのは色鮮やかな真紅の華だった。新緑の茂みの中、自らの存在を主張するかのように咲くその花はキクの心を惹きつけた。
(彼に見せよう……喜んでくれるかな)
そう思いを馳せ、その花を摘もうとしゃがみ、根ごと掘り起こそうと土に指が触れる。
――っ!?
突然、身体が浮いた。ふわっと浮いた。後から眩い程の強烈な光がこの景色を、彼女を背後から覆った。
背後に感じる熱。熱くて、熱くて、今にも火傷しそうだ。それに伴って背中が痛い。感覚が無くなりそうなほど、痛い。
「――うっ」
永遠に続くと思われた浮遊感も虚しく終わり、どしゃっと緑の地に叩き落とされるかのように強い衝撃が体中走る。
何が起きたのだと熱く痛む背中に耐え、うつ伏せから反転させ、身体ごと前の方へ向けた。
――パァン!
空気が爆発するかのような破裂音。あまりもの鮮明な響きについ耳を澄ましそうになる。だが、キクにそんな余裕はなかった。
胸に感じる違和感。異物感。
鈍い感覚。重い感覚。
全身が胸から感じる何かを拒絶している。
胸に手を当てる。温かい。濡れてる。流れてる。
触れた手を見ると、いまさっき見とれていた真紅の華と同じぐらい赤い液体がベットリついていた。それが何かを把握した瞬間、激痛が神経を刺激する。
「――ぅがふっ、……っ、……っ」
もはや声すら出ない。思うように体が言うことを聞かない。もう起き上がった上体を地へ倒すことしかできなかった。
全身がガクガクと震える。
痙攣。
悪寒。
眩暈。
嗚咽。
嘔吐。
気持ち悪いとは言い切れない、そんな感覚に襲われる。
体感したことない感覚。
眩む目で必死に前方を見ようとしても、茂みが深すぎてよく見えない。何かゆらゆらと赤いものが揺れていた。
そのとき、目の前が暗くなった。いや、誰かが現れた。自分を庇うかのように。何か必死に、殺気立って向こうに怒鳴りつけている。その声に何か見覚えあるような――。
そして、その声に恐怖を植え付けられたかのような、竜の鳴き声が聞こえた。同時にここの場所では聞かないが、いつも聞く男の声が耳に届いた。だが、よく聞き取れなかった。
キクは精一杯、最大の情報収集感覚である視覚を研ぎ澄まし、状況を把握する。
ゆっくりとぼやけた視界が晴れ渡る。
「……ぁ」
目の前にいたのは災龍だった。
そして、茂みの向こうにいた、大きな何かは太陽のように煌く銀の鱗を帯びた火竜に、それに乗る武装者。完全武装の為、顔は分からなかった。
火竜が威嚇、警戒し、臨戦態勢をとっている災龍を恐れ、武装した人の言うことを聞かずにその場を飛び去ろうとした。
災龍はそれを逃がすまいと、捕まえようと脚を踏み込むところだった。
「待って!」
キクは痛みに耐え、やっとのことで声を絞り出せた。咄嗟に災龍の腕を掴み、追いかけさせないようにした。
手が痛い。何千本もの針が掌に骨ごと貫かれた感覚。手が痙攣し、痛みが走る。さっきの衝撃より遥かに痛い。
「――あああああぁぁぁっ!」
つい叫んでしまう。災龍は目をカッと見開くように驚き、腕を振り、キクの手から跳ね除けた。
麻痺した手から皮膚といっしょに赤いものが泥のように爛れた。
手が熱い。
もう、手が失ったのではないかと思う。
それでもキクは声を振り絞り、掠れ、吐息を漏らすかのように災龍に囁きかけた。
「どんなことが、あっても……っ、うぅっ、はぁ……っ、決して、憎しみを……はぁ、持って、は……はぁ……駄目です――うぁ、くっ……に、憎しみは……憎しみを、生み……連鎖、します……! ですからっ、あぁぐ……ぅ……この出来事も……受け入れて……はぁ……くださっ……い……すべては、すべては自然の……はぁぁ……赴くままに……できているのですから――っ!」
その声は儚くも、力強かった。キクは災龍の身体を掴んだままだった。触れた手から血管が膨張し、ところどころ血が噴き出ている。皮膚の色も腕から変色し、どろどろに溶けていった。胸からの出血は収まらない。
災龍は救う手はないかと彼方此方を見渡す。だが、ずっとひとりで生きてきた上、天敵もいない彼にとって、治療という選択肢は必要なかった。
故に、目の前の人の救い方も知らない。
「ねぇ……たぶんもう、わたし、ここで眠るんだと思う……だから、最期に……はぁ……あなたに言い遺したいことがあるの……。このせかいに、伝えて……!」
災龍は目から彼女の身体から流れ出ているそれと同じ色をした液体を零した。身体がかすかに震えている。
彼女は。王妃は。
――キクは、厄災の神に告げた。
自然を。国民を。夫を。娘を。そして、災龍を。
「愛してる」
そして、思い切り災龍の身体を抱きしめた。
*
翌日、国中で大騒ぎになった「王妃失踪事件」。全軍が街から国外の自然地帯まであらゆる場所を全力で捜索した。中には捜索に加勢する国民も多くいた。
捜索する人数が多かったのか、心当たりのある場所があったのか、僅か3時間ほどで王妃は発見された。
だが、その光景は誰もが唖然した。悲観の声もあれば、膝を崩し、地に手をつく者もいた。
その身体は最早、人の形を成していなかった。
全身が腐食した血肉にまみれ、活き活きしていた白色の美しいその細い両腕は黒く、溶け爛れ、骨の本来為すべき形が蛇のように歪み、痛々しく捻れていた。
体中に強力な電流を流されたかのように黒く焦げ、ボロボロの絹のように縮れ、裂けていた皮膚やその奥の肉塊が痛々しく委縮していた。
毒に蝕まれたかのような腫瘍、鬱血、痣などがその存在を主張するかのように鮮やかにくっきりと外部に浮き出ていた。
筋肉が役に立たないくらいに千切れ、今にも離別しそうな首はなんとか脊髄一本で繋がっている。
そして、胸には銃弾で撃たれたような漆黒の穴が廃れた衣服を貫通していた。嗚咽感を沸き立たせる残酷な死。それを永遠のように直視できたのは、生前の彼女の夫、エンレイただ一人だった。
だが、彼女のその顔だけは生前と一切変わらぬ、美しい微笑みを表していた。
*
災龍はもう、彼女の亡骸をこの場所に置くだけで精一杯だった。
止まらないあかいなみだ。血のように滴るそれは、彼女の凍りついたかのように冷たく、固まった体躯に落ち、伝う。
初めて体感した大切な人の「死」。それは、寂しいとも、悲しいとも言えない、複雑な出来事。
受け止めたくない。
この瞬間を否定したい。
夢であってほしい。
そんな現実逃避が己の思考を乱雑させる。
彼女は自分を抱いて、死んだ。
己の呪われた体質を酷く憎んだ。こんなものがあるから、人を失うんだ。だが、どれだけ憎んでも、願っても、呪いは解けないまま。
再び訪れる虚無感、孤独感。だが、今まで以上に苦しかった。
自分と関わった人は、死ぬ。
いや、人を守れる力が足りないのか。
どちらにせよ、もう失った人は還ってこない。――永遠に。
またこんなことが起きたら? そう考えるだけで背筋が凍る。
自分に対しての恐怖。大切な人を失うことへの恐怖。それを決して忘れる日はなかった。
泣き崩れ、自分を責めたこともあった。怒り狂い、彼女を襲った奴の復讐を考えたこともあった。だが、どちらも彼女が望んでいることじゃない。彼女が望んでいることは……。
この世界に笑顔をもたらすこと。決して憎しみのない世界にすること。理想的故、実現し難い願いだが、せめて自分だけでも、彼女の代わりに生きていこうと誓った。
災龍は再び山脈に浮かぶ深緑の森の奥へと姿を消した。誰にも、見つからないように――。




