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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
イタリアへようこそ
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悪魔の本領

 用意されていたマットレスに身体を預け、布団を被る。

 気候柄雲が少ない精なのかもしれない。窓にカーテンのようなものはなく、物置の中は月明かりで照らされていた。

 そこから見える月だけは日本と同じで、やはり世界は繋がってるんだなと龍樹は実感した。

 だが彼は決して物思いに耽っている訳ではない。

 完全に時差ボケの精で寝れずにいた。確かに眠たいはずなのに、なぜか目を閉じても閉じても眠れない。

(……まあ、別にいいけど)

 なにせ学校がある訳ではない。神父との約束の時間は夜だ。朝はのんびり起きても、誰も何も言わないはず。そう考えると少し得した気分になった。

 やる事もないので、意味もなく天井のしみを数える。

 羊を数える要領で眠くなるかと思ったが、それよりも先に飽きがきて十個ぐらい数えたところでやめた。

 次に雀が勝手に家から持ってきたゲームをやろうかと考えたが、基本的に崇子のソフトは音楽物やボードゲーム、コミュニケーション系などの極めて女子が好みそうなものばかりなので趣味が合わない。

 流石に桃鉄などを一人でやる気にはなれなかった。

 またミレーナちゃんとでも一緒にやろうと考えるに留まった。

(……いや、よくよく考えれば盗まれたんだった)

 到着早々に。

 例のハイジャックといい置き引きといいここまで良いことがひとつも無い。

 この流れだと悪魔祓いもうまくいくかどうか…… 

「……ん?」

 さてどうしたものかと、不安に駆られる龍樹の耳が、妙な音を捉えた。ごろごろごろ、という何かが転がってくる音。それは段々近づいてくる。

 なんだろうと音の音源を確認してみると。

 雀だった。

 少し間隔を開けた場所で寝ていた彼女が、ローリングしながら今まさにこちらへと転がってきた。

 やがて、流される最中見つけた木に掴まるかの如く、ぴた、と龍樹の脚にくっついた。あまりに咄嗟な事だったので、龍樹は反応に遅れた。

(……ああ、忘れてた)

 こいつ寝相が悪いんだった、と状況が把握できた龍樹は思い出す。

 起そうか迷ったが、まあ最低でも脚からはどかさなければならない。

 その作業に取り掛かる為、上半身を起す。

 一体どんな夢を見ているのか。

 しがみつく雀はよだれを垂らしながら、布団越しながらも脚に頬釣りをしてくる。

「うへへへー、やったー、龍樹さんを救ったらこんなおっきなお肉が貰えました――むにゃむにゃ」

 驚いた事に、夕飯をあれだけ食べたと言うのにこの女は夢の中でも食の事を考えている様だ。

 今の寝言を聞くに、どうせなにかしらのピンチだった自分を助けてお礼にお肉を奢ってもらいでもした夢だろうと、龍樹は解釈した。

 ひょっとしたら雀は彼の事を気前の良いお兄さんと思っているのかもしれない。

 なんにしても。退かさなければ。

 まずは引き剥がしに掛かってみる。だが掴んでいる力が相当強く、一向に離れない。

 何遍かやってみたがびくともせず、駄目だった。

 致し方なく、今度は起こす事にする。

 とはいえいつぞやのように寝起き早々殴られても敵わないので、その辺りは気をつけるよう律する。

「雀。おい雀。起きろ」

 反応なし。

 なので今度は揺さぶってみた。

「おい、起きろって。ほら朝だぞ。うまそうな肉があるぞ。早く起きないと俺が食っちまうぞ」

 しかし、これは逆効果だったようだ。

「え、いいんですかこれ食べて?」

 一瞬起きたんじゃないかと思ったが、寝言と同じイントネーションだったのでどうやらそれは違うらしい。

 だが問題はそこではなかった。

 全く、と溜め息吐いた後、ふとそれに気づく。

 イントネーションではなく内容。

 ハッとし、まずい、と龍樹は青ざめた。

 だが時すでに遅し。

 大きな口を開けた雀は、龍樹の脚にかぶり付いた。

「痛ってえ!」

 雀は満足したのかようやく離れた。

 とりあえず距離を取りたい龍樹は壁の隅っこでしゃがみ込む。ミシェルがオイルヒーターを置いてくれたので多少は暖かいが、流石に部屋全体とは行かないようで少し肌寒い。

 ズボンを捲り、噛まれた脹脛ふくらはぎを摩る。しっかりと歯形がいっていた。

 やり切れない思いで痕を作った張本人を睨む。

 気持ち良さそうに寝てやがる。おまけに場所を完全に占拠された。

「……くそ」

 やりたい放題しやがって、と雀に内心で毒づく。

「眠れないの?」

 ふとそんな声がした。

 アテナだ。彼女は寝転ぼうとはせず、入り口付近で壁に背を預け、ブランケットを膝に掛けて座り込んでいる。

 月明かりを反射する碧眼が、どうしても気になってしまう。

「……ああ、典型的な時差ボケだよ」

「そう」

「悪いな。起こしたんじゃないのか?」

「いえ、まあそうなんだけど、別に気にはしていないわ」

「そりゃ良かった……それはそうと、アテナ、時差ボケを直す方法とか知らないか?」

「あるにはあるわ。だけど……どうなんでしょうね。時差ボケってナイーブで神経質な人間がなるはずなのに」

「へえーそうなんだ、っておい。それじゃ俺が無神経みたいじゃないか」

「あら、怒った?」

「ちょっとな」

「それはごめんなさい」

 淡く笑ったアテナ。思わずこちらも頬を緩めてしまう。ここまで冷たい表情が定着しているが、彼女は笑った方がずっと似合ってる。

「アテナは世界を飛び回ってんだろ。時差ボケとかないのか?」

「ないわね。世界を飛び回ってるからこそ、その辺の対処法は弁えているから」

「例えばどんな?」

「一般的でもあるものは行き先との時間に合わせて寝ることね。それだけで随分と違うわ」

「なるほどねぇ。でもそれだと俺もちょっと仮眠取ったのに。ちょっとじゃ駄目だったのかな……それはそうと、なんで横になって寝ないんだよ」 

 日本でもそうだった。一応ベッドは使っていいと言ったが、果たして使ったのだろうか?

 ここは物置だから、気を使うもくそもないと思うのだが。

「こっちの方が寝やすいのよ」

 とアテナは言った。

 まあ、それは恐らく嘘だと思う。

 ならなんなのかと言われれば頭の悪い手前分からないが、有事の際にすぐ動けるだとか、育ってきた環境だとか、それに近いものだろう。

「それにしても困ったわね……なにか暖かい物でも飲む? ちょっとは眠くなるかも」

「いや、いいよ。ありがとう。なんか喋ってたらさ。眠たくなってきた」

これは気遣いだとかなんでもなく、本当に少し眠く、いや眠気自体は先ほどからあったのだが、心のもやもやが取れたような、肩の荷が下りたように、気持ちが軽くなった。

 それで気づいたが、寝れない原因は、見知らぬ異国で、しかも悪魔に憑かれているという不安から来ていたものなのかもしれない。

 それがアテナと話してほぐれた。

「んじゃ寝るよ。あそこは雀が占領しているから……雀が寝てた場所で寝るか」

 立ち上がり、そこに行く。

 また雀が寝相の悪さを発揮する可能性も多大にあったが、頭が悪いのでそれを阻止する良策が思いつかなかった。

 こればっかりは、そうならないよう願うしかない。

 布団に潜り込み、横になる。

 アテナへと振り返り、

「おやすみ」

 と言った。

 おやすみ、とアテナから返事が返ってきた。

 仰向けになり、目を瞑る。

 段々と意識が遠のいていく。

 わずかに聞こえるオイルヒーターがやけに耳に残る。

 瞼が徐々に閉まっていく。世界を暗闇が支配し、龍樹はやがて深い眠りに――

 

 ドゴン!! という大きな音が響いた。


「!?」

 ハッとし、布団から飛び上がった。

「な、なんだ今の音!?」

 部屋の出口を見る。

 すでに立ち上がったアテナは、真剣な表情でドアの向こう側を凝視している。

「むうう、何ですか今の音」

 雀も起きたようだ。目を擦りながら上半身を起す。その顔つきは不機嫌そうだ。

「分からない。なんか下から聞こえたみたいだけど」

 己の見解を雀に述べているその時だった。

 一階から断末魔のような悲鳴が聞こえてきた。

 声を聞いたからだろう。アテナはついとドアを開け外に出た。

 居ても立ってもいられず、すぐさま後を追う。

 一階に着くと、何が起こったのかが分かった。

 家具類が散乱し、壁や床にも真新しい血が飛び散っている。

「なんだよ、これ……」

 驚きを通り越し、なにがなんだか分からない。

 がしゃがしゃ、と更に奥の部屋から音がする。それは断続的に続いており、直接心臓に響いてくるようだった。

 生唾を飲み、恐る恐るそちらへと足を運ぶ。

 当然だが近づくにつれ謎の音は大きくなっていく。なにかを乱暴に漁っているような音だ。荒い息遣いのようなものも聞こえてくる。

 ようやく部屋の手前まで辿り着いた。すぐに中に入るような事はせず、まずは顔だけで覗き込む。

 始めに見えたのは大きな背。赤いなにかがしゃがみ込み、こちらに背を向け蠢いている。

 呆ける事しかできない。その異様ななにかから、目を背けられない。

 その異様な何かの手前にはアテナがいた。

 特になにをするでもなく仁王立ちだ。

 今ならチャンスなのに、と思っていると。

 異様な何かが振り返った。

 その面は人間というより、完全にヤギだった。羊角も生えていて、瞳も赤い。

 アテナに気づいた。

 赤い瞳が、更に色濃くなっていく。

 立ち上がり、アテナと完全に向き合った。

 上半身と下半身のバランスがおかしく、それはまるで童話に出てくる悪魔を髣髴とさせる。

 吐きそうになった。異様な容姿にではなく、ヤギの怪物が右手に持つそれに。

 人の頭部だった。赤く染まっていて誰なのか窺えないが、予想はある程度つく。

 ヤギの怪物は赤いものを見た牛のように動悸が荒くなっていった。

 そして――動物的な咆哮を上げながら、アテナへと襲い掛かる。 

 いつものように体勢を屈め、構えるアテナ。

 怪物が拳を振るう。当たった所が抉り取られるような、凄まじい威力だった。

 それでもいつぞやの褐色の男の時同様、アテナは演舞のような動きでそれを躱していく。

 しばらくすると、アテナお得意のカウンターがヒットし始めた。

 ――イケる。

 やはりアテナは只者じゃない。

 そう思った。

 しかし――直後だった。

 軽やかな動きで、ヤギの怪物を翻弄していたアテナ。

 彼女が――鮮血に足を滑らせ、バランスを崩した。

「!?」

 動揺を隠せない。

 なぜなら。

 ヤギの怪物が、今まさにその拳をアテナに叩き込もうとしているのだから。

 悪い予感は的中した。

 怪物の拳が、アテナの顔面に容赦なく炸裂する。

 ぐしゃ、という鈍い音。華奢な身体が、人形のように飛んでいく。

 壁に激突し、家具の瓦礫の中に落ちた。赤い怪物がそちらへと素早く向かう。拳を振り上げ、打ち下ろす。上げて、打ち下ろす―― 

 大きな背に隠れ直接は見れないが、何が行われてるのかは分かる。

 あまりの展開に声が出ない。

 その最中も、怪物の徹底した攻撃は止まるところを知らない。

「下がっていてください龍樹さん!」

 いつのまにか接近していた雀。片手には『雀蜂』とかいう刀が握られている。

 雀は有無を言わさず、怪物へと向かっていった。

 攻撃に夢中で隙がある怪物の背に一太刀浴びせた。

 動物的な声で痛がった怪物。のそりと振り返る。その焦点が雀に移った。

 構える雀。怪物はそんな彼女に血だらけになった拳を振るった。

 幾度かは避けた。だが刀で攻撃を受け止めようとしたのがまずかった。怪物の攻撃を峰で受けた『雀蜂』が折れ、貫通した拳はそのまま雀の身体へと降り注いだ。

 きゃあ、という短い悲鳴。

 地面に叩きつけられ、動かない。

 見れば頭から血だらけになった雀が、仰向けで倒れている。

「龍……樹さん。逃げて、くださ」

 力を振り絞り、こちらに訴えかける雀。

 だが怪物は待ってなどくれなかった。

 再度振り上げた拳が――今度は確実に雀の頭へと振り下ろされた。

 めきゃ、という耳障りな音。

 飛び散った血は、顔にまで飛んできた。

 ――逃げなくては。

 頭では分かっていても、身体が動かない。

 受け止めたくないのだ。絶望的な今の現状を、世界を、脳が否定しようとしている。

 怪物の赤い瞳が――ついにこちらを向いた。

 やおら身を動かし、近づいてくる。

 後退る。それでもずんずんずんずんと、恐怖感を与えるように怪物は接近してくる。

 そうやって下がっていると。

『力ガ必要カ?』

 どこからともなく聞こえた、悪魔の囁き。

『コノ状況ヲ打開スルニハ、モウ一ツシカ道ハアルマイ。不能ヲ救ウノハ厳シイ正義デハナク、優シイ悪ダ……何ヲ迷ウ、少年』

 なにかを踏んだ。

 その物体を確認する。

 それは人間の顔だった。

 より正確に言えば――この家の一人娘、ミレーナの顔をあろうことか踏ん付けてしまった。小さな身体が、床に横たわっている。

 驚きの声を漏らし、反対側に後退さってしまう。

 どん、と何かが背に当たった。恐る恐る振り返る。

 怪物だ。身長二メートルはあろうかという位置にあるヤギの顔が、こちらを見下ろしている。

「……お兄ちゃん」

 その言葉にゾッとする。彼女は日本語が話せないはずだが、この際どうでもいい。

 床に転がるミレーナの顔は、涙を流し、こちらを悲しそうな眼で見上げていた。

「痛い……助けてよ」

 ずき、と胸が痛んだ。

 自分の身すら危ういのに、そんな事を言われても叶えられる訳もない。

『力ヲ得レバ全テ解決ダロ。オ前達ノ世界二モアルダロ。眼ニハ眼ヲ、歯ニハ歯ヲ、力ニハ力ダ。可愛ソウ二。マダ幼イト言ウノ二。力ガアレバ救エルノ二』

 それは嘘ではない。

 力を使わせるだとかそういった腹積もりがあろうと、結論としては合っている。

『確認シヨウ。今コノ場コノ時、コノ惨劇ヲ打破シウル可能性ガアルノハ貴殿ダケダ。ココデソノ可能性ヲ無下二スレバ、間違イモ正解モ、正義モ悪モ、世界ソノモノガ無クナル事ダロウ――最後二モウ一度ダケ問ウゾ少年』

 不思議とその瞬間、時間は止まっていた。

 身体もなぜか宙を浮いている。まるで宇宙遊泳でもしているかのように身体が軽い。

 段々段々上昇していくと、気づけば辺り一帯が闇に包まれ、何も見えない。

 これは悪魔の特殊能力かなにかなのだろうかと、漠然に思う。

 やがて、天井に光が見えた。眩しいほどに輝く、小さな光。きっとそれに手を伸ばせば全てが解決するのだろう。

 怯える恐怖心も。

 救えないもどかしさからも。

 全てから解放される。

 それだけで全て良好になるなら、確かに簡単な事だ。迷う必要性が見付からない。 

 なにげなく手を伸ばす。

 もう少し。

 ――後もう少しで、届く。

 そして。

 あともう一伸びで触れようかという、その時だった。

 光の中から何者かの手が飛び出し、腕を掴んできた。華奢だが力強い。

 この腕は――知っている。

 何とか思い出そうと試みる。

 どこで見たのか。どういう状況だったか。真実は徐々に近づいていく。

 そうだ。

 白皙のこの腕は、確か彼女の――

「――樹」

 なにか聞こえた。

「――樹、龍樹!!」

 ハッとし、目を覚ます。

 全身が冷や汗だらけなのが分かった。呼吸も乱れている。未だに頭がぼーっとする。

「……ここは?」

「イタリアのミシェルの家よ」

 訳の分からないことを呟いた龍樹に、アテナは言及した。

 そうだ、と龍樹は思い出した。ここはイタリアで、今はそこに住んでいるミシェルの家に泊めてもらっているのだった。

 取り憑いた悪魔を祓ってもらうために。

「……」

 意識が鮮明になってくると、アテナが手を握っている事に気づいた。

 やはり、あの手は彼女のものだったようだ。

 どういう訳か、その手は夢と連動し自分から空に掲げていたようだ。それを起こす為か握ってくれたのだろう。

 龍樹は頭を抱えながら、上半身を起こす。自分の身体なのに、自棄に重い。自然と、アテナは手を離した。

「大丈夫?」

 アテナが尋ねてくる。

「……ああ、大丈夫だ」

 なるほど。赤い羊の怪物にアテナがやられたのも、ミレーナの顔を踏んでしまったのも、殺されそうになったのも、あの惨劇は全部夢だったようだ。

 これぞ文字通りの悪夢だ。

 きっとあの夢も、悪魔の仕業だろう。

 夢の中にまで力を使うよう問い掛けてくるとは。

 これは確かに厄介だ。

 昨日神父が話をしたはずなのに……これは一体なにを意味するのだろう。

 今晩また聞いてみねばならない。

 そんな訳で。 

 異国の地での初めての目覚めは、最悪なものになった。

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