暖かい歓迎
置き引きやスリが多発すると言われても、他の国に比べればそれは別段高いというほどでもないらしい。
しかし、そもそもの基準として腹に据えておかなければいけないのは、それは決して低くはないという事だ。
英国やアメリカなんかに比べれば低いだけであって、決して用心を怠ってはならない。
それにイタリアは世界的に見ても有名な観光地。海外からの人間なんて金品を持っていて当たり前だし、なにより大半の人は帰国まで気づかなかったり届出を出さないという都合の良さ。
それを狙った連中がいてもなんらおかしくない。特に平和ボケした日本人なんて格好の的だろう。
一部では『泥棒大国』とまで銘打たれているイタリア。
そんな場所に荷物を置き去りにしていたのだ。
「当然の結果だな」
肩入れしてくれる一般家庭の女性は、あっけらかんにそう言った。
言ったと言ってもそれはイタリア語だったので、龍樹が内容を知ることは出来なかった。
食卓と思われる正方形の机を挟んで対面する女は、簡素な椅子に座りながら言葉を綴る。
「特に最近は欧州危機があったからな。この辺りは南に比べればマシだったんだが……前々から景気があまりよくなかった。おまけに先の金融政策もこけたし」
ぶつくさと不満か、それともこの国の現状を語る女。
その間アテナはこれといってなにも反応を示さなかった。まるで話を聞いてあげるカウンセラーのような位置取りで、女の喋りが終わるのを待つ。
やがて一区切りつき、口を開く。
「パスポート紛失の手続きは済ませたわ。後は身分の確認が出来るものが必要みたいだから、日本からそれが届くのを待つだけ。まだ財布を無くさなかったのが幸い」
「そうだな。せっかくの海外旅行なのに、無一文じゃ可愛そう過ぎる」
「旅行じゃないんだけどね」
「ん? ああそうか。悪魔に憑かれたんだったな……正直ちょっと泊めるのやだな」
「……ごめんなさい」
真剣に謝ったであろうアテナに。
冗談だよ、と女は軽く笑った。
そして龍樹達の方へと、ようやく顔をやる。
「始めまして。私はこの家の住人、ミシェル。分からないことや必要なものがあったら気兼ねなく言ってちょうだい」
簡素な自己紹介。
それをアテナが訳し、龍樹に伝えた。
「ああ……こちらこそ」
ミシェルという人は結構やんちゃそうに見えた。イタリア人なので純正であろう金髪はやや痛んでいるが、鼻の筋が通り、有体にいえば美人だ。
この辺は西欧人特有のものだろう。
生え際に少し吹き出物があるところを見ると……勝手ながら推定年齢は三十くらいだと思う。
座り方は女性のように凜とした感じではなく、片足を椅子の上に乗せるような砕けたもので、窺うに男勝りなのかもしれない。
次に龍樹は辺りを見渡す。
シンプルモダンな外観とは打って変わり中は生活観に溢れている。調理器具やテレビ、机の上にはお菓子なんかが置いてあった。
これだけ広くてこの有様だと、ミシェルが一人で住んでいるという事はないだろう。玄関には子供用の靴もあったし、男用の靴もあった。
つまり、ここは旅館やらではなく、本当に一般家庭のご住まいなのだろう。
日本で龍樹の家に居候したように。
ここに身を寄せさせて貰うのだろう。
「……ん?」
部屋を見渡していると、誰かがこちらを物陰から見ていた。物陰なので全体像は窺えないが、身長から察するに五、六歳だろうか。
こちらも純正であろう淡褐色の瞳が、ジッとこちらを探っている。
「あの子は?」
龍樹のそれをアテナが訳しミシェルに伝える。
「ああ、娘だよ。なんだ、もう帰ってたのか」
ミシェルは手招きしながら、
「おいでミレーナ」
と呼んだ。
しかし、ミレーナはそれに従わなかった。
なにも発さず、しばらく龍樹達と母親を交互に見た後――どこかへと立ち去ってしまった。
それでもミシェルが驚く様子は無い。という事は、予想できた反応なのだろう。
「……どうしたんだ?」
不思議そうに、龍樹が訊く。
ミシェルが何を言ったか分からなかったが、手招きをしたのは分かった。それにあの小さな子が応じなかった事も。
「あの子は娘さんだそうよ」
なんのことなく、アテナが龍樹にそう伝えた。
「悪いね。ちょっと人見知りが激しくて」
意味ありげに、ミシェルは言った。特に伝えるべきことではないと思ったのか、アテナがそれを龍樹達に訳す事はなかった。
「さあ、それじゃ寝る部屋を含め、家中を案内するよ」
瞬間覗いた物憂いもなんのその。
微笑んだミシェルは腰を上げ、言った通り我が家を案内する。
今居た場所は日本で言うところのリビングダイニングのような造り。暖炉や丸型鏡など基調こそアンティークだが、置いてある物資は水やら調味料といった、ここも日本とは差ほど違いは無い。
そこから廊下に出て、高そうな絵や壷を誂えた通路の途中に部屋らしきものが現れた。
特色なのかどうかは分からないが、入り口は大きな2ドア式だった。
「ここは物置だ」
ミシェルはそう言い、ドアを開いた。
薄暗い中には服やらゴルフバッグなどが端に寄せられる形で詰め込まれている。
手入れが為されていないのか、やや埃が被ってた。
思うに、荷物置き場か何かだろう。
ミシェルがアテナに何かを言った。
それをアテナは龍樹達に伝える。
「あなたの寝床はここだって」
「え!?」
大袈裟に驚いた龍樹。
おいおい嘘だろ。そりゃミシェル達にとってはお荷物かもしれないが。そもそも泊めてもらう身で贅沢を言うべきではないのだろうが……
しかし、龍樹のその反応を見たミシェルは笑っていた。笑ったまま、アテナになにかを告げる。
アテナはこちらを振り向き、
「冗談だって」
無表情でそう訳した。
あ、あははは、と愛想笑いする龍樹。
流石イタリア人というところか。どうやらミシェルは中々の陽気ものらしい。
うむ、なるほど荷物置き場が寝床か……なんてお洒落なジョークなんだ、と龍樹は無理やりな解釈をつける。
もしかしたら笑わそうとかではなく、気を解してくれたのかもしれない。 ミシェルはそれだけがしたかったのか、ドアを閉め、足早に次の部屋へと向かう。
通路の反対側にあった、こちらも2ドア式のそれを開けると、真っ白な部屋には曲線の利いたバスに、トイレと洗面器があった。
但し、よく見てみるとトイレとバスはガラスで区切られており、そこはスケルトンハウスのようにもう一つの部屋が形成されていて、開放感を感じさせる仕様になっている。
それを手伝う窓ドアの前には、やはりアンティークな花瓶に洒落た花が活けられている。
「見ての通り、ここは浴室兼トイレだ」
バス、トイレ、洗面器だけでは少し物足りない空間を披露するミシェル。小まめに掃除されているのか、汚れやすい白などという概念はそこに存在しなかった。
「日本人は浴場にもそれなりのこだわりがあるらしいね。まあ仕様はお気に召すが分からないが、ここも使ってもらって構わないから」
ミシェルのその言葉をアテナは龍樹に訳した。
龍樹は軽く会釈し、どうもと日本語で気持ちを伝えた。
浴室兼トイレを後にし、次へと移る。
廊下を渡り終えるとさっきとはまた違ったダイニングが現れたが、ミシェルはそこを紹介する事なく、入ってすぐの場所にあった螺旋状の階段を上がり始めた。
それに連なる龍樹達。
改めて思うが、この家は結構な広さだ。
二階に上がり終えると、観葉植物と暗号めいたオブジェが壁に掛けられていた。
その廊下には四つほど部屋があった。ミシェルはそこの一つをあけた。
中はウォールナット(くるみ)の机。姿見。本格的なアウトドアグッズなどが規則正しく置かれていた。
「ここが君達の寝床だ」
ミシェルはそう言った。
また、アテナがそれを龍樹達に伝えた。
「そうなのか……」
とはいえまた『冗談』といわれる可能性もあったので、龍樹は若干ミシェルの顔色を窺った。
だがそれは無かった。
なら、ここが本当の寝床になるのだろう。
龍樹は眼で物色する。
確かにさっきの部屋よりかは綺麗で広いが……物置であることには変わりないと思う。
そこはやはり、文句は言えない身なのだが。
「悪いね散らかってて。後で片付けるよ。――と、君たちが使う部屋はこんなところかな。他はお見せするような有様じゃなくてね」
それをアテナが訳す。
「そうですか……すみません。短い間ですがお世話になります」
龍樹は不器用ながらも、頭を下げた。雀もそれに倣い、頭を下げたようだ。
ニコッと笑ったミシェル。短絡的だが、とても優しそうな人に思えた。
「それで、一方的にこちらから話したけど、なにか質問とかはあるかい?」
壁に肘をつけた状態で頭を掻きながら、ミシェルが言う。
アテナを介してそれを聞いた龍樹達。
「はい」
と元気良く手を挙げたのは雀だ。
「ご飯とかどうなってるんでしょうか?」
「おい雀」
と言って、龍樹は雀の不躾を正す。少し旧弊かもしれないが、この辺りの考えは聖職者である親の影響だ。
ところがアテナは、雀の言葉をそのまま伝えた。
受け取ったであろうミシェルは、ややあって軽く笑う。
「気にしなくても大丈夫だよ。今晩は歓迎の意味も込めて自慢のイタリア料理を用意しておくから、ぜひ堪能して頂戴」
アテナがそれをまた訳す。
「本当ですか。やった」
雀は嬉しそうな顔で小さく拍手した。
大袈裟に喜ばなかったのは一応控えめにはしている現れか。
「他になにかあるかい?」
そう言ったミシェル。
アテナが訳す。
――他になにか。
脳内でそれを探してみる龍樹。しかしこれといって特に思い浮かばなかった。雀を見てみる。彼女も彼女で、気になったのは食べ物だけらしく、こちらを見ていた。
目配せで出た結果を、龍樹が代表して述べる。
「特にないです」
忙しいだろうに。
アテナは最後にそれを訳し、ミシェルへと伝えた。
外に出た龍樹達。
目前にはさながら貴族を思わせる庭が広がっていた。聞けばイタリアは宗教的に庭を芸術の一種と捉えている傾向が少なからずあるらしく、豪華な庭なんてのは結構ざららしい。
種類が豊富な花達。樹の陰に覆われているガーデン用の丸テーブルとチェア。小さな噴水は街から引いているという。そこかしこで鳥達は囀りながら追いかけっこをしていた。
これでもかという花達の匂いに若干の息苦しさを感じながらも、
「それで、これからどうするの?」
呆然と立ち尽くす龍樹は隣のアテナにそう訊いた。
「そうね。……どうしたい?」
鸚鵡返してくるアテナ。
あくまでも龍樹達の意見を尊重する気らしい。
イタリアの食事のサイクルは遅いらしく、夕飯が出来るまで後四時間ほどもある。見知らぬ家にいるのは落ち着かないし、邪魔になっては悪いと、その間にイタリア観光と洒落込む事にしたのだ。
だが具体的な案が浮かんでいない。
「そうだなあ……何したいかって言われると、案外困るな」
雨の少ない気候柄、雲一つ無いイタリアの空を見上げる龍樹。
ちょんちょん、と肩に感覚があった。
振り返る。
雀だった。指で肩を突いてきたのだ。
「なんだ、どうしたんだ?」
「む、ちょっと龍樹さん。約束忘れてませんか」
頬を膨らませ、なぜか怒る雀。
「約束? 約束ってなんのだよ」
「あ、やっぱり忘れてる。ほら、言ったじゃないですか。我慢したら後で露店とかの安いやつなら買ってあげるって」
「……あー」
ああ、確かに言ったっけ、そんな事。
「って待て。あれは確か荷物を見張っておくという条件の下取り決められたものだ。見てないどころか、盗られたんだぞ」
「う、……で、でも、食べたいものは食べたいんです!」
逆切れする雀。
荷物から目を離したという事に関しては、丸っきり反省していないようだった。
「まあ済んだ事はやっぱり仕方ないんだけどさ……それでも、ミシェルさんも気合入れてくれるって言ってたし、ここは腹を空かせておいた方がいいだろ」
「大丈夫です。露店のスナックぐらいなら別腹にもなりません」
どんとこいと胸を叩き、自慢げに言った雀。
いやいや。そういう問題じゃないだろ。
一体この身体のどこにこれだけの食欲があるというのだろうかと、龍樹は本気で思う。
「……分かったよ。街に出たらなんか奢ってやる」
その言葉を聞いた雀は、ぱあーと表情に花を咲かせた。
「だけど、ちゃんと夕飯も食べろよ。半ばお前の為に作るようなもんなんだから」
「合点承知の助です」
と言って、敬礼した雀。
なぜ日本人ではない彼女がその言葉を知ってるのだろうかと、疑問に思う。
「なんにしても、一旦街に出るか。考えたら金もそんなにないし、どの道観光ぐらいしかできないんだよな」
先にアテナに観光案内頼むって言ったような気もするし。
「それでいいよな、アテナ」
「……ええ」
相変わらずつれない感じの返事。
その心境が分からない。
とにかく、方向性は決まった。
庭に展開された敷石の通路を通りながら、龍樹達は街へと足を進め始める。
しかし、順調な足取りで出口へと差し掛かる手前で。
アテナがゆらりとした動作で、後方を振り返った。
それはまるで何かを見つけたような、そんな感じだ。
すぐ後ろを歩いていた龍樹にはその意図が読めない。
「どうしたんだ?」
アテナの視線を追い、同じく振り返る。その視線は二階の窓に向けられているように思えた。
「なんだよ……誰か居たのか?」
見れば心なしか、そこにあるカーテンがはためいているような気がした。
「……いえ」
アテナは後方から視線を外し、
「なんでもないわ」
前を向きなおし、また足を動き始めた。




