異国の洗礼
タツィオーネ・ディ・サン・ピエトロ通り
現地時間午後二時過ぎ。
許可を得ているのかいないのかはいざ知らないが、高く聳えたビル群の真下に横付けされた車達。
別に縦横無尽に駐車されているのではなく、むしろ道路を直接挟む形なのでその並びも整然としている。
綺麗なのか汚いのか判断はしかねるが、なんにしても日本では絶対有り得ない光景だ。
車道にはリサイクルボックスのようなものが四つ設置されていた。すぐ傍の高い塀には落書きなどが描かれている。
思わぬ足止めを食らった龍樹達は荷物片手にそこにいた。
ちなみにお喋りな鳥――パートリッジはまたいない。
きっとまたお使いかなんかなのだろう。
「で、どうするんだよ」
いきなりの躓きに、理不尽と分かっていても不快感は隠せない。龍樹は相変わらず何を考えているのか分からないアテナの背を細目で見る。
そのアテナは振り向きもせず口を開く。
「とりあえず、宿に行きましょうか。肩入れしてくれる場所があってね。そこで今日は休みましょう」
「そりゃいいけどさ。俺が言ってるのは除霊の事だよ。より厳密に言えば、その、段取りとかお金とかのな」
「大丈夫よ。お金はいらないって。それに、ちゃんと神父に事情を話して、今日、業務が終われば優先して診てくれるよう話はつけたから」
「そうか……つっても夜なんだろ。それまでどうするんだよ」
「どうとでもなるじゃない。幸いにもイタリアは西洋文化発祥の地。だから時間つぶしには事足りる。食事を堪能するも良し、街を観光するも良し、美術館だってあるし、本場のオペラを観るのもいいわね」
「そりゃ堪らない人には堪らないんだろうけどさ……」
お生憎と、龍樹はそんな芸術的な感性を持ち合わせていない。ましてや所持金もそこそこ。あまりお金の掛かる時間つぶしは避けたいところだ。
「まあまあいいじゃないですか。せっかく来たんだし、イタリア観光としゃれ込みましょう」
横から聞こえた呑気な声。
世界遺産の数が一番の国を歩くのに、雀はまんざらでもなさそうだった。
と思ったが、違った。
雀がそんな感慨を持っているわけも無い。
「それでアテナさん。どこのお店が一番おいしいんですか?」
「……」
眼をキラキラさせ、額に手を当て辺りをきょろきょろ見渡す雀。
それはここにきた本来の目的を忘れているのではないかと思わざるをえない程の無垢さだ。
そりゃいいよ。
雀に取っちゃ他人事なんだから。
「雀。はりきってるみたいだが、食事を堪能する線はなしだからな」
「は!? なに言ってるんですか!! ふざけた事言わないでくださいよ!! アホなんですか!?」
凄く切れられた。
アホって……
しかしそこは仕方の無いことなのだ。
「いや、別に食うのはいいけどさ。お前金持ってんのかよ」
「? 持ってるわけないでしょそんなの」
「じゃどうやって飯食うんだよ」
「え? 龍樹さんおごってくれないんですか?」
目を瞬かせ、不思議がる雀。
やめてくれ。それじゃ男の器量のない自分が最低に思えてならない。
その通りなのかもしれないけど。
「勘弁してくれよ。おごりたいのは山々だけど、そんなに持ち合わせてないんだよ。本当にギリギリなんだ。それに除霊には数日掛かる可能性だってあるんだし」
お金に関して本当は少し余裕を持たされているのだが、それこそ少し。どっかで聞いた話だとイタリアのレストランやらは全体的に値段が高いらしい。
おまけに所持金をイタリアの通貨に換えると少なくなった。
ぼったくられたのかと思ったが、円高がどうのこうのとの事。
前に聞いた話だと、アテナもお金を持っている様には思えないし。
「えー……じゃ何しにイタリアに来たんですか」
「悪魔を取り払いにだよ」
本当に忘れていたわけではないだろうが、これまた真剣にふてくされた雀に、龍樹は切言した。
ともかく。
イタリア料理にありつけないという事実が判明し、うな垂れる雀は置いといて、
「じゃとりあえず街並みを観光がてら歩くか……幸いにもスポットには困らないだろうからな――アテナ。お前地元なんだろ。案内とか頼めるか?」
「……別にいいけど」
納得しているような、いないような返事。
今更気にしてもしょうがないと、龍樹は思った。
「でも、その前に、少しここで待っていてくれるかしら」
ふいにアテナはそう言った。
当然のように、龍樹は訊き返す。
「何で?」
「さっき言ったでしょ。ここに滞在している間だけ部屋を貸してくれる人が居るって。その人に連絡を入れたいの」
「そうか……」
連絡を入れたいのならここでも、と思った龍樹だったが。
ユビキタス社会の現代で、どうやらアテナは携帯という利器を持っていないらしかった。
となると自分の携帯でも貸してやろうかと考えたが、何分異国の地。その辺の電波状況や国際基準やらは分からないし、なにより自助の精神を持っているであろう彼女はそれを断る可能性だってある。
部屋を貸してくれるというその人だって、秘匿性を帯びていないとは限らない。
というわけで、
アテナは連絡をするためか、どこかに向かった。
その背をしばらく眺める龍樹。
今更ながら、迷惑掛けてるんだろな、とやや心が痛んだ。
「……ぶる」
突如込みあがった尿意。
考えてみればハイジャックの精でトイレには行けてなかった。それに案外、初めての異国で緊張しているのかもしれない。
「雀。ちょっとトイレ行って来るから荷物見ててくれ」
実行に移すため、雀の方を見る。膝を抱えしゃがみ込み、地面を指でもじもじしていた。ぶつぶつとなにかを呟いている。
「……ピザ……パスタ……アンチョビ」
「いつまでいじけてんだよ」
「……そりゃいじけますよ。だって機内での間食はハイジャックで結局無しになっちゃったんですから。もう私その口になっていたのに」
「どんだけ食いしん坊なんだよお前……分かったよ。後で露店とかの安いやつなら買ってやるから。ほら、頼んだぞ」
「……本当ですか?」
勘ぐるようにこちらを見てくる雀。
本当だよ、と龍樹が述べると、
「……分かりました」
しぶしぶといった具合に、雀は了承した。
どうやら露店のものを買うという事で折居合いをつけてくれたらしい。
「――と、どこにあるんだトイレは」
そうと決まれば、早く行動に移そう。小便すると決めた手前、その願望もより強くなったような気がする。
言葉も通じない見知らぬ町並みの中。
雀に荷物番を頼んだ龍樹は、トイレを探しに向かう。
十五分後。
「ふう……」
中々トイレが見付からず、街を結構走り回る形となったが、それらしき場所を見つけ何とか用を足し終え、龍樹は戻ってきた。
するとどうだろう。
早速雀がいない。
「……まともに荷物番も出来んのかあいつは」
辺りを見渡し、探す。
少し歩くとすぐに見付かった。
街中に居た大道芸人に夢中のようだった。
「こら」
「痛」
呑気に拍手を送っていた雀の頭に、軽くチョップした。
いったーい、と絶対痛くないのに頭を押さえながら雀は、
「何するんですか、龍樹さん」
と言った。
「何するんですかじゃないよ、全く。あんまりそこかしこに行きまわるな。お前携帯持ってないんだから」
「でも……見てくださいよ」
雀は大道芸人の方へと顔を向けた。今も芸の最中らしく、何やら鶏とコントのようなものをしている。パントマイムの一種なのか声を発しているわけでもなく、はっきりいって龍樹にはちんぷんかんぷんだった。
自分が日本人だからなのかと思ったが、通行がてら一瞥くれて苦笑する周囲の人間を見るに、その線も薄い。
しかし、雀は、
「あんなに面白い芸なんですよ。見るなっていう方が無理ですよ」
とそんな事を言った。
その眼は真剣そのもの。となると、もしかしたらこちら側に非があるのではないかと、龍樹はもう一度見てみる。
しかし、やはり分からなかった。
「……まあ、いいか。とにかくだ雀。芸術の国でテンションが上がるのは分かるが、軽率な行動は控えてくれ。ただでさえ面倒な事なのに、これ以上の上塗りは勘弁なんだよ」
「はあ……すみません」
分かればよろしい、と、龍樹も言葉を重ねなかった。
先ほども述べたが、どんな形であれ、彼女もまた、彼の為に動いてくれているのだ。
その辺を考慮するのは当然といえば当然なのかもしれない。
怒るだなんて、筋違いもいいところだ。
「それで雀、荷物はどこに置いてあるんだよ」
「荷物ですか? ああそれなら」
と、ある一点へと指を向けた雀。だが、彼女が指差したその先に、件である荷物は無かった。
「ありぇ?」
よく分からない驚きを漏らした雀。そこまで歩み寄り、再度の確認を取るが、やっぱり無い。
「おかしいなあ。確かにここに置いてたんですけど」
「……じゃなんで無いんだよ」
「さあ、何ででしょう」
事の重大さに気づいていないのか、雀の返事は軽いものだった。
「他人事みたいに言うな。ちゃんと見ててくれって言っただろ」
「ええまあ……おかしいなあ、何処行ったんだろ」
「本当にそこか。お前の事だ、もう一度思い返してみろ」
「いえ、絶対にここです」
断言した雀。
という事は、そこに置いたのは間違いないのだろう。
「じゃなんでないんだよ」
「私が訊きたいくらいですよ」
険しい表情で、鞄を探す雀。膝を折り、なぜか床を這うように手を動かしている。コンタクトレンズじゃないんだから、と龍樹は思った。
「どうするんだよ。無いじゃすまないぞ。お前あの中に何が入ってるのか分かってるのか?」
「いえ、大したものは……乾燥防止ローションやエイジング化粧品。衣服。龍樹さんのゲーム。歯磨きやらのトラベルセット。後は精々パスポートぐらいで」
「その中に一個大したやつがあるよ」
「乾燥防止ローションですか? 大丈夫ですよ。今日の気候だと別に塗らなくてもいいみたいです。いざとなれば、その辺に売ってるでしょうし」
「それじゃねーよ」
「エイジング化粧品ですか? あー確かに。一日滞在だとは限りませんもんね。それこそ一週間とかになってしまったら」
「お前絶対わざとだろ」
とはいえ。
今はそれをとやかく言っても仕方がない。
頭を掻き毟る龍樹。
パスポートが無ければ帰れないではないか。
「ああ、もう、最悪だ。なんでこうなるかな。到着早々これかよ。こんなんじゃ先が思いやられる。そもそもなんで荷物を見るくらいの簡単な事が出来ないんだお前は」
普段は温厚な龍樹も、苛立ちは隠せない。
剣幕の表情で雀を見る。
雀はやや気圧されながら、
「で、でも、でも、大道芸人が……」
「でももなにもない」
「だって、だって、鶏が、パントマイムが」
「理由になってない」
おろおろする雀に、毅然とした態度で立ち構える龍樹。自分の為に付いて来てくれているので怒るのは筋違いかもしれないが、こればっかりは仕方がない。
それに雀のこの性格は本当に直した方がいいだろう。
「……分かってますよ。どうせ私が悪いんです。楽しそうな事に馬鹿みたいに反応して、龍樹さんの大事な荷物を喪失した私が……う、う、私、一体どうすれば」
手で顔を覆い、声をしゃくりあげる雀。
そんな彼女を見ても、龍樹が情けをかける事はなかった。
なぜなら、
「嘘泣きするなよ」
だからである。
「……ちっ」
舌打ちし、無駄だと分かった雀は構えを解いた。今度は一転して開き直ったように堂々とした態度を取る。
「そもそも龍樹さんが悪いんです。私にこんな事頼めばこういう風になるの、分かっていてもらわないと困ります」
「何開き直ってんだよ……まあ今それを論じてもしょうがないんだけどさ。で、どうすんだよ。着替えは言いにしても、パスポートがないとこの国を出られないぞ」
「えーと。確かパスポート紛失した際は大使館に行って手続きを」
「冷静に対処するな」
まるで自分に全く非がないとでも言いたげな雀の態度。
まあ端から気にする性格なら、ここまでひどくはならなかっただろう。
「なんにしても、もう少し探すぞ。落し物と間違えて交番に届けられてるかもしれないし」
「可能性は低いですけどね」
「低くても無くはないだろ」
「それに、世界的に不況な今日びそんな思慮深い人がいるでしょうか?」
「いるよ!」
「どうでしょうか。だってキャリーバッグって分からないわけではないでしょうに。きっと見つけた人は『お、こんなところにキャリーバッグが、誰もいない、ラッキー』と思ったに違いありません」
「どんだけ人間不信なんだよ。もしかしたら『あ、こんなところにキャリーバッグが、今頃これの持ち主は血眼になってるかもしれない、よし、交番に届けよう』って思ったかもしれないぜ」
「そんなご都合主義……龍樹さんって悩みとかないでしょ」
「お前だけには言われたくないよ――ほら、うだうだ言ってないで、とっとと探すぞ。再発行云々は、それからだ」
全く。いちいち突っかかってくる奴だな。
そもそもこうなったのは直接的には雀の精である。
もう少し申し訳無さそうにしてほしいものだ。
半径三十メートル圏内を探す。建物が軒並みを連ねているということもあり、死角なんかも結構存在する。
だからぱっと見では気づかないような場所にあるかもしれない。
荷物が独りでに歩かない限り、その可能性は限りなくゼロに近いが。
という訳で。
雀と二手に分かれて、時には床に這い蹲り、時にはその辺に歩いている人が持っていないかと、馬鹿みたいに必死になってキャリーバッグを探していると、
「何してるの?」
いつの間にか戻ってきていたアテナの一言に、車の下を覗く態勢から、龍樹は顔を上げた。
「いや……実はちょっと厄介な事になってな」
雀を呼び戻し、かくかくしかじか、アテナに事の経緯を説明する。
それを聞いたアテナは何も言わず、ただ鼻から軽く息を吐き目を細め、
「そう」
とだけ言った。
薄い反応。言葉だけ見れば平坦だが、やはり、呆れてはいそうだった。
「これだけ探しても無いって事は……残念ながらもう無いですよ。やっぱり盗まれちゃったんです」
雀は真っ当にそんな事を言う。
確かにそう考えるのが一番早いが、
「そう悲観的になるなよ。もしかしたら、本当にもしかしたらだけど、交番に届けてるって線も」
「無いです。絶対に無いです。賭けてもいいですよ」
いや、だからなんでそこまで堂々と出来るんだよ。
ここまでくれば、最早敬服に値する。
「でも、やっぱり可能性が無い事も無いじゃん。そもそもそうあって欲しいのは事実なんだし」
「理想で現実を語るなんて空想以外の何物でもないですよ。この場合は現実で見解を語らないと」
「なんでそんなに捻くれてんだよ……アテナもなんか言ってやってくれよ」
龍樹はアテナへと振り返った。
それに対してのアテナの答えは、
「あるわけないでしょそんなもの」
という、雀よりも捻くれた意見だった。
裏世界の住人……だからなのかな? と龍樹は解釈してもみる。
「あれを見て」
と、なにやら看板に指を差したアテナ。距離三メートルほどにある薄汚れたそれは当然の事ながら横文字なので内容とやらは分からない。
こちらも当然といえば当然なのだが、現地人であるところのアテナには、あれを見て、と言った事も相まって、その内容は分かっているのだろう。
看板にはこう書いてあるそうだ。
【被害多発。スリ・置き引きに注意!!】




